中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

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現代表現研究所のHP
いい天気になりましたね、午後にはもっと暑くなるとの予報です。
昨日は、久々に日帰り温泉、仁左衛門の湯、へ行ったところです。
帰りには吉野家で鰻を食べようと、計画的に思っていたところで、これです。
ええ、けっこう高いんですよ、これで1220円だったか、50円の割引券がありました。
吉野家はTポイントのポイントがもらえるお店で、5ポイントが付きました。
ええ、これで、けっこう満足しているんです。
区切りにしようと思って、その区切るために日帰り温泉に行って穢れを洗い落とす。
でも、ね、日々は連続していて、繰り返し繰り返し、螺旋階段みたいにぐるぐる。
あがったり、さがったり、あっちへ、こっちへ、前向きなのか、後ろ向きなのか。
内面ってこんなもんだろうと思うけど、これは隠していかないと、やられる。
ぼくなんか、あけっぴろげだから、だまされっぱなしですね。
身ぐるみ剝がれされた感じもするけど、家族と家が残っているから、まだましか。
でも、生きれてるから、それでいいと思って、自由気ままに生きたいと思うのです。
肩書ってゆう名誉もいまさらどうでもいいし、肩書がないと評価されないのも事実かも。
人の見る目って、肩書を見てその人を評価する、でも、これ、もう過去の評価基準です。
肩書のある奴って、悪徳ですよ、人をだまして、自分を正当化する、そんなのいけません。
吉野家鰻重二枚重味噌汁セット、ひとりで、内緒で食べたのを、インスタで暴露して。
ここに、こうして、暴露して、五千円の鰻重とどこが違うのか、ぼくは、こだわりません。

フォトハウス表現塾のHP
フォトハウス表現塾主催
<カフェ&プレス>
毎月第三土曜日に開塾しています。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ
参加費500円(コーヒー代+) 
サービス満点、ぜひ、来てくださいね。

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 雨が降る予報だったのが、今の時間、11時11分ですが、降ってきています。こういうときは、外出するのも億劫になるので、自室にこもることになってしまいます。でも、体調管理には、適度な運動とストレス解消をしないと、身体が壊れてしまうと思っているところです。先月から、コナミトレーニングジムへ、週に1回~2回、通っています。平日昼間の時間ですが、二時間程トレーニングに励んでいます。励んでいるというより、アバウト、テキトウ、ですが、筋肉つけと、プールで50メートル泳いで、歩いて、サウナに入って、というコース。一回千円程で利用しています。かなり、危険リスクが回避できるのではないかと、内心、思っているところだけれど、体重が減らないですね。

 そういうことで変化といえば、自動車運転を、この秋で終えようと考えています。本気で、やめようと思って、もう少しで決断してしまう、という流れです。生活の形が変わっていくと思うんだけど、年寄りじみたくはないなぁ、と思っています。でも、外見、鏡で見るけど、それなりに年相応に年寄りだと自覚するしかない。講座をやろうとしても、客演ではなくて自演だから、無理なんだろうな、相手が、のれないんだろうな、と思っています。寂しいけれど、自作自演というのは、そういうところに落ち着くんでしょうね。

 seesaaブログで、文章をいっぱい書いているけれど、ブログの様式が変わったみたいで、ちょうどよかった、引き際だな、と思ったのが今朝です。整理する方向で、写真を主に掲載することにして、ここ、ライブドアのブログを活用しようと考えています。このライブドアのブログは、他と比べてアクセスが極端に少ないのが難点だと思っています。アダルトサイトが主なブログなのか、そちらの方はアクセス、それなりにあるのに、ノーマルは、少ない、ほぼゼロです。といいながら、ここで、こんなこと、言っていることが、ひんしゅくものですかね。

フォトハウス表現塾のHP
フォトハウス表現塾主催
<カフェ&プレス>
毎月第三土曜日に開塾しています。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ
参加費500円(コーヒー代+) 
サービス満点、ぜひ、来てくださいね。

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 今日は、大田神社へ行ってみようと思って、午後一番、市バスに乗って上賀茂神社終点まで行って、そこから歩いて10分ほど。年に一回ぐらいか、訪れている処で、カキツバタの花が有名な場所。もう終っているだろうなと思って行ったら、案の定、花の季節は終わっていました。本殿も修理しているようで、幕がかけられていました。写真は、スマホで撮るだけです。そういえば、スマホで撮るために、あちこちと巡っているんです。作風が変わっているでしょ。ひところの画風から、一変してると思うんですが、なるべく引いて撮っている感じです。

 ここに載せたのは、上賀茂神社の遠景といえばよろしいか。向こうに見える鳥居の向こうが社殿というパースペクティブです。風景について、ちと思うこともあり、文章にしていかないといけないのかな、と思いながら気分的には、あほらしくなっていて、ぐだぐだ、こんなわけのわからない文体で、文章を作っているというのが、嫌になっているんです。でも、どうしようもない、あれこれ思っても、いまさらどうしようもなく、読者なんてどうせいないんだから、とか思いながらも、読者を想定しているんです。

 京都ということにこだわっていて、それも市内の北部をターゲットにして、作品にならないかと模索しているところです。そういう事でいえば、上賀茂神社は神さまがいらっしゃる処で、葵祭の行き先になる処で、歴史あり、由緒あり、意味をいっぱい持っている場所です。でも、それを無視するわけでは全くないけれど、その意味の今様のありかたを、再度捉えなおしてみたいと思っているのです。といいながら、元からその意味を自分の中に持っていないことに気づいて、あたふたしているところです。意味の再構築以前の、最初の意味をどう掴むのか、が問題なのです。神話といい、神の存在といい、意識化しだしたのは、告白しますと、最近の事なのですから。



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別のブログで<京都慕情>ってタイトルの文章を連載しはじめたところで、北野天満宮の「ずいき祭」を話題として出したところです。ここの別ブログで<京都写真帳1980>を連載していて、そのつなぎの写真に、この写真がありました。何してるところかというと、ずいき御輿が、上七軒をあがってきて、北野天満宮の東門の前までやってきて、そこで神主さんが禊して、御輿はここから御前通りを下っていく、という光景になる、その禊している光景がこれ。撮影は1981年か1982年あたり、10月4日夕方の光景です。説明的になるけれど、ずいき御輿は野菜で作られた御輿です。いまは一つだけですが、何時の頃からかの昔は、いくつもあった、氏子の町内が採れたて野菜を御輿に仕立てて、奉納したのだといいます。

京都に生まれ育って、たまたま京都を記録している自分ですが、写真にしても、映像にしても、文章にしても、そのテーマとなるのは、日本という国の歴史に根ざした光景ではないかと、思うところです。もちろん、これは、ドキュメント、あるいはノンフィクション、ということになろうかと思うのですが、そうではなくて、フィクション、虚構、作り物イメージで、作ってもいいです。映画やテレビドラマは、創作で、フィクションで、あたかも事実のように扱うことで、リアリティを獲得するのかとも思えます。これは制作論、創作論、そういうレベルで会話したい内容ですが、ぼくは、これからいっそう顕著になっていく流れが、日本の歴史に根ざした光景、それと個人の内面との関係、その交差点が、作品になると思っている最近です。

フォトハウス表現塾のHP
昨年から、フォトハウス表現塾を主催していて、学びの枠組みを創っていて、世の中に提供しているところです。現代表現研究所という枠組みを作っていて、これは<現代>という問題を<表現>することを研究する場です。無意識に、自明の理として、なにげなく過ごしている事象に、あらためてスポットを当て、検証していく必要を感じているところです。問題にならないと思っていることを、問題にすることで、新たな認識が生まれてくるのではないかと思うわけです。そういう場を、京都に作りたくって、もぞもぞと動いているところです。日本の文化を、捉えなおしていく作業です。だれか、いないかなぁ、これまでの経験から、ここに提案している枠組みは、これからの潮流になっていくと思うんだけど、なぁ。
現代表現研究所のHP


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まだ幼かったころ、この道、千本鞍馬口から北大路にいく道ですが、きつい坂道に見えた。
幼児で背の高さが60㎝か70㎝くらいなので、すごい坂道に見えていたんだと思えます。
坂道だといいっても、祖母にはそのことが分からなかったようでした。
大人になって、そのことを思い出すたびに、ぼくの目線は幼児のままなので坂道とわかる。
実は、この道は、千本通りで、蓮台野に成っていく坂道なのです。
野辺に死者を送る葬列が、この道を昇って行ったのではないかと、空想します。
京都の地場の記憶を辿りながら、文章を書くと、どうして、暗い場面ばかり思い起こすのか。
祭の光景といっても、明るいはずなのに、暗いイメージで色彩されてしまいます。
その当時を記録した写真の、モノクロやカラーの色彩が、そのイメージにあるのかも。

蓮台野、蓮の台といえば仏像がのっている蓮の形をしてる台座です。
その台座のように見えたから、このあたり一帯を蓮台野と呼ぶようになったのでしょう。
鞍馬口の手前にはえんま堂があり、鞍馬口を越えると上品蓮台寺があり、千本北大路。
そのあたりから、北にひろがる一帯が、死者を野晒しにして風化させる地だった。
いつごろからか、平安京の時代には、そのような風習だったのかも、知れません。
なにかしら、坂口安吾じゃないけれど、桜の樹の下は血なまぐさい、そんなイメージです。
最近、そういう死者を葬った場所のイメージを追いかけている感じがしています。
死んだ人の想い出ばかりがよみがえってくることが、朝、目ざめのときに、あります。
身内というより、知人、先輩、といった関係の人々のことです。

こちらも、もういい年だから、世間では、もう隠遁生活者の部類です。
診療所へ行ってきたけれど、高齢者扱いです。
バスに乗ると、若い女の子が席を譲ってくれます。
もう外面は、老人なんだな、と自覚するようにしています。
ここまで、生きてきたことに感謝して、水に流そう、利害のことは。
淡々と生きていくことが望ましい、というところでしょうね。
では、そういうことで、今日は終わります。


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カメラはスマホ、アンドロイド、ソニーのエクスペリアです。
レンズを、北に向けたり南に向けたり、からだごと撮る方向にもっていきます。
これは船岡山の頂上から南に向けて、京都の市中を撮った写真です。
平安京の造営に当たって、この丘陵地が北の基準になったというのが定説です。
奈良の藤原宮でしかね、飛鳥の都、そこでは北に耳成山を置いているじゃないですか。
その耳成山に船岡山が符合するのでしょうね、風水占いの何か、ぼくにはわからんですが。
大極殿は、現在の千本丸太町、一条通りは千本中立売より北の通りです。
市中の大極殿よりも南については、いまのところ論外です。

というのも「京都北物語」と括ってしまって、その範囲を想定しているところです。
東西に一線を引くとしたら、一条通りよりも北、ということにしようと思います。
一条通りより北、北山の麓までが、その文化圏に入ろうかと思います。
では南北の区切りではどうなのか、東の南北は加茂川を軸に、加茂神社を含む。
西の南北は、山の縁に添って、竜安寺や仁和寺あたりまで拡げるのがいいのかどうか。
等持院は当然含めることとしますが、西方面、嵯峨野との区切りもあるから、微妙です。
嵯峨野慕情(未完)では、鳴滝、双ヶ岡、太秦あたりまで含もうと思っているところです。

この連休には、京都北物語について、四本の線を描いてみたところです。
あらためて整理すると、
①上賀茂神社から南下して今宮神社②船岡山から北上して今宮神社
③船岡山から東にとって本法寺④千本上立売から北上して蓮台野、鷹ヶ峯まで
実際には、もう少し曲折するけれど、大体の物語の系、大筋ができたように思います。
あとは、そのポイント、点と線のなかで時間軸は1200年、人の心をどう解析するか。
フィクションとして、物語として、成熟させていきたいけれど、というところです。
ちょっと、整理できたかな、こういうメモは、整理するためのもので、公開しています。
フォトハウス表現塾のHP

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