中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

光の玉手箱(16)2007.5.11~
むくむく叢書のご案内

ゆれうごく(1)
2007.5.11
_20180914_145447
風が強い日です。風に揺すられる物音が、聞こえてきます。雨戸がガタガタ、木の葉が揺すれる、それに風が空気をまさつする音。ぼくのこころもゆれうごいている。風のなせる技のように音は立てないけれど、かなりゆれうごいている感じがして、こんな時には気晴らしのために外出するのがいいのだと思うけれど、腰があがらない。こんな状態をなんといえばいいのだろう。かなりデリケートになっているんですね。うん、鬱状態とは認定したくないけれど、こんな状態をそうゆうのかも知れないですね。光溢れる外気に、心を晒したいと思う。ふつふつとわきあがる感情を、晒したいと思う。前に向いているときには、そこそこ晒せる心の内も、どうもバリアーをはってしまう心境ですね。

源氏物語を読んでいます。瀬戸内寂聴さんの源氏物語です。空蝉の一節に、「女は、はずかしさとくやしさで、死んだようになっていました。ひと晩じゅう源氏の君がいくらやさしくなぐさめても、愛をちかっても、ただ泣いていました。」とまあ、こんなくだりがあるのですが、こんな一節の中味が、そこそこの分量で小説として描けないものかなぁ、と思ってみます。絵巻にしても文にしても、どこまで細部描写が許されるのだろうか、とも思ってみたりします。源氏物語から千年を経たいま、表現の底辺はどこまで許されるのだろうか、ぼくの関心ごとでもあります。こころゆれうごきます。

ゆれうごく(2)
2007.5.12

風になびくようにゆれうごく心があります。ふらふらと、おもむくままにゆれうごいています。無理に静止しようと思っても、無駄な力が必要だから、成り行きまかせでいい、とは思えどもゆれうごいています。かのパスカルは、パンセのなかで人間は考える葦だと書きましたけど、その前段なんて悲痛たるもので、死にいたる血みどろのたたかいなんだとか。まあ、血みどろには程遠いぼくの心理心境だけど、こうしてゆれうごくこころは決してうれしいものではありません。

生きている証ともいえるえろすな心がたなびいているわけで、その境界線をいったりきたりしていて、タブーの領域へとおちていきそうな気配がしてきて、これではあかんと思って平常心をこころがけているふりをしてみます。なんだか滑稽な感じがして、自分で笑ってしまうところです。まあ、笑えるというのは、まだ救いようがあるんでしょうね。自分ってなんなんやろ、なんてそんなことを考え出すとにっちもさっちも行かなくなるので、そこそこにしとかないとあかんね。

ゆれうごく(3)
2007.5.16

ゆれうごくときには神頼み、なんてこといいますけど、神さまにお願いするには抵抗している自分がいます。そうですね、すっかりすがりついてしまえばいいのかも知れないけれど、そうゆうことが出来ない時代のひとだから、他のひとがすることにはとやかく言わないですけど、やっぱり自力でいきたいと思います。

ゆれうごいているのは、バリアーをはずしているからだと思っています。既存の枠組みのなかにしっかり根付いていて、なんのアンチも感じないし考えないのなら、それはゆれうごくものじゃないと思うけれど、どうも<悪の華>じゃぁないけれど、ちょっと足を滑らしてしまいそうな不安定のなかにいるんですね。

聖なる場所-1-
2007.5.24

<雨宝院境内>
人間なんて、とくにぼくなんて俗っぽい人だから、聖なる場所にあこがれるのかも知れない。神聖なる場所と云ってもいいのだけれど、神聖とすると神がいらっしゃる場所となるから、聖とだけにします。イメージとしては、魔の領域と聖の領域が隣り合わせ、というより混在する感じで、べつに言葉遊びをしているわけではないけれど、ズキンと感じる場所のことです。最近は町のなかにいてもズキンと感じるから、つまりこの世の出来事にズキンズキンと感じてしまうわけです。

ズキンと感じる風景を、聖域と俗域に便宜上わけて、どっちみち目の前に現れる光景には違いないのだけれど、カメラで写し取っておこうという魂胆です。ズキンと感じる直接の動機は、どうも記憶にかかわっているようです。そうして過ぎ去った年月、日々への欠落した空白を埋める作業として、写真記録をおこなっているんだと思っています。縁すくなかったものを、残りの年月、日々に取り込んでおこうと思っているのでしょうね。

生きることは<えろす>です。聖域も俗域も<えろす>を感じさせます。えろすを感じるということは、こころが豊かになる感じ方です。悲しみとか苦しみとか、つまり四苦八苦ではなくて、喜怒哀楽の喜びと楽しみでありますけれど、それはまた哀しみの心情でもあるんです。写真は、浄福寺通りの上立売りにある雨宝院の一角です。ほんとうは鳥居の向うが聖なる場所なのでしょうね。先月、桜の終わりごろに初めて這入った場所でした。今回は二回目の侵入でした。なんとなくえろすちっくに、ズキンと感じたわけです。

聖なる場所-2-
2007.5.31

<今宮神社境内>
聖なる場所と俗なる場所の境界線は、鳥居とか注連縄(しめなわ)とかで区切られていて、こちら側が俗なる場所で、むこう側が聖なる場所なわけです。なんでも区切りたがる人間の習性ですね。まあ、区切り境界線があると、何かと便利なわけで、むごう側が聖なる場所だと認識するところです。聖なる場所といっても想像空間なわけで、思い込みように委ねられる代物です。

浄化された空間だから、不浄なことはやったらあかん。おしっこなんかしたらあかん。男と女のことなんか考えたらあかん。俗なる欲望は封印せんとあかん。まあ、人間が日々営む生活と情念から飛翔する場所。そうゆうことでいえば、ぼくなんてほんと俗っぽい人間だから、鳥居をくぐっていくというのは、ほんとにくぐってええのかなぁ、なんて思ってしまいます、ほんとですよ。

聖なる場所-3-
2007.6.3

<北野天満宮境内>
北野天満宮、俗称天神さんです。ぼくの近所にあり、子供の頃からよく遊んだ場所でもあるから、特別に聖なる場所という感覚にはなりにくいのですが、あらためてここにこうして聖なる場所として認知すると、ここは聖地として偉大な場所だと思います。門前町の原形が形成され、庶民信仰の中心的存在として、今に至っています。 不運のヒト菅原道真を祀ったお宮ですが、学問の神様として、受験生などがお祈りにくる。

科学先行のこの時代だから、神さまに祈るなんてことに何の意味があろう、なんて思っていたわけでしたけれど、最近は、心の依存所としてこうゆう場所があるのだと、マジ思うようになっています。若い女の子がおみくじを引いて、こっそり隠れて熱心に見入っている姿を見かけると、心の時代、拠所を求めている様子が見えてくるように思います。困ったときの神頼み、なんてこともあるし、心の救済を求める気持ちも分らなくはない近頃です。

聖なる場所-4-
2007.6.12

<わら天神宮境内>
こどもを身ごもったおなごが、安産の祈願に訪れる場所として、わら天神宮があるとゆうのです。安産祈願です。祈願したあと、腹帯をもらい占いもどきの数センチ藁が包まれたモノをいただく。藁に節があれば男の子、節がなければ女の子。ウソかマコトか知らないけれど、わが家もわが子の誕生まえに、ここへ祈願にきました。

厄病封じとか、願掛けとか、心の救済を求めるとか、祈願の目的はいろいろありますけれど、ここはむしろハッピーな出来事、祈願の目的からして、明るいお宮といったイメージです。たぶん認知されたおとこおんなの行為のあと、妊娠身ごもりの祝いを兼ねて、安産祈願に参拝するわけですから、この世のハッピーな男女の出来事の延長線上にありますね。

聖なる場所-5-
2007.6.13

<玄武神社正面>
ぼくはここの氏子です。氏子であることを意識しだしたのは、かなり最近のことです。意識の中味は、氏子とはいったい何なんやろなぁ、どうゆう関係なんうあろなぁ、といったぼくの存在の起源にかかわることなのです。まあ、生まれ住んだ場所が、たまたまこの神社の区域に入っているわけで、母を選べなかったと同じくらい、選択の余地がないことでした。

氏子の区域でゆうと、かなり縁です。北野神社の氏子境界線に近いから、意識のなかでは、玄武神社は遠い存在でした。もともと玄武の名は、北面の鎮護神に由来しているわけで、ぼくは京都の北に位置する俗域にいるわけです。この地域は織物の産地ですが、この産地図からいえば縁になります。 うん、ぼくはどっからゆても地縁的にはヘッジにいるとゆうことになります。

聖なる場所-6-
2007.6.15

<平野神社境内>
遠い記憶がよみがえってきます。小学生の何年ごろか思い出せないけれど、この神社の森にまつわる記憶です。近所の中学生が、この森を探索するというはなし。なにを探索するのかといえば、使い棄てたティッシュペーパーを探すというのです。当時にはティッシュペーパーなんて言葉はなくて、ちり紙、はな紙、そういう呼び名でした。しわしわになって薄汚れたちり紙に、なにやらべっとり滲みこんだあとがある。そうゆうティッシュペーパーです。そういえば、おとことおんなが寄り添って、この神社の森へ這入っていくのを見かけたことがあります。

汚いちり紙をひろげて見入る中学生のやっていることが理解できないぼくに、中学生はいろいろ教えてくれたように記憶しています。おとことおんなが、抱き合って入れあって、おまえ、入れるほうやぜ、おんなは入れられるんや、神さまもしたんやぜ、なんて講釈だったかどうかの記憶はないけれど、まあ、そうゆうたぐいの講釈でした。聖なる場所にて聖なる行為をおこなう。なんやアオカンというやりかたやないかなんて、いまは思う。

聖なる場所-7-
2007.6.19

<釘抜地蔵尊境内>
なんてったって庶民であるぼくは、庶民信仰の場所としてある<釘抜きさん>へ、よく連れていってもらいました。連れていってもらったというのは、まだひとりで町を徘徊できない幼年のころ、うんうん、高校1年のときに死んでしもた祖母に連れられていったのです。釘抜きって板に打ちつけた釘を抜くペンチですけど、ゆうてみれば人に似ています。頭、首、胴体なくて足二本。からだを病んで痛いところがあると、ペンチの痛むからだの部分をお擦りして、自分のからだを擦ります、そうしてお祈りお願いするんです。

それと願掛け、お百度ってのがあります。本堂の横に竹棒の入った箱があって、どうするんやろ、手に何本も握って、本堂一周するたびに、竹棒を箱にもどしていくわけです。大切な人のために、願掛けしてあげる。自分のからだが健康でありますようにではなくて、大切な人の病気が治りますように、ってお願いしながら、まわるんです。でも不祥者ぼくは、願掛けをやった記憶はありません。ううん、センス悪い、ダサい、田舎イメージ、中学になると、都会へ東京へと憧れが昂じてきますから、そのころには寄り付かなかったですね。

俗なる場所-1-
2007.6.20

<映画館/千本日活>
ぼくが立ち振る舞う場所を聖・俗とゆうイメージで分けていくと、聖なる場所がおおむね神域、俗なる場所がおおむね歓楽街、という分け方ができるんですね。京都には北野天満宮ってのが造られていて、この神社界隈に町ができた、つまり門前町ってゆう町です。この認識なんぞは、小学校の社会で習った知識やとおもうけれど、折に触れこの町のありかたに興味をもって、あれこれ考えてきたんです。手許にはないのだけれど、この界隈の古地図をみせてもらったことがあります。京都の北西の地域に、この町があります。

ぼくの北野門前町の辿り方は、参拝にくる人とは逆になります。参拝とゆうと千本中立売あたりから北上して北野天満宮に至る道筋ですが、ぼくは南下して千本中立売に至ります。ぼくの位置からいえば南端に、参拝者の位置からいえば入り口に、たった一軒残った映画館があるんです。たった一軒残った映画館という表記は、かっては何軒もの映画館があった、ということなんですけれど、ううん、この映画館の前に立って写真を二枚撮ったんですけれど、懐かしいような空しいような、そんな気分におそわれていました。

このシリーズ<俗なる場所>を、ぼくの記憶をたどりながら、千本界隈を探索してみて、写真と文章で書き起こしていきたいと思っています。その一回目が、いまはエロ映画、いいえ日活ロマンポルノ、いまもこの呼び名があるのかどうかわからない知識ですけど、その映画館千本日活の前です。こうゆう場所に立つと、もう半世紀もまえになるぼくの記憶がよみがえってきてしまいます。自分のアイデンティティ探し、なんてこと言いますが、たぶんこのシリーズは、そのことだと思っているんです。あああ、年取ったなぁ、つくづく・・・。

俗なる場所-2-
2007.6.22

<喫茶店/マリヤ>
俗なる場所なんてタイトルつけて、京都は千本今出川から中立売界隈を歩くと、映画館の次には喫茶店とゆことにしたくなった。とゆうのも、ぼくが子供のときからあり、いまもなお営業を続けている場所っていえば、そう多くは見当たらないからです。どっちかゆうと甘党喫茶、つまり、おぜんざいとか、あんみつとか、そういった類のメニューで、そのころにはまだ珍しかった喫茶店なのです。

そのころの千本通りは、西陣の織物産業がまだ活性化していたので、若い織子さんなんぞで、この商店街が賑わったと思うんです。人がいっぱいいた。そんな記憶のイメージがあります。このお店は、西陣京極の入り口にあって、映画を観たあと、家族でぜんざいとかケーキとかを、食べたんです。そんな家族の記憶が、ぼくには濃厚な場所なのです。

この喫茶店にしても、連れられていくのはいつも天神さんの日でした。毎月25日に、天神さんの縁日があって、夜に家族連れで、お参りしたあと露天の店が並ぶ沿道を下がり、下の森から千本中立売へまわって、休憩です。そこで甘党の喫茶店へ入ったとゆうわけです。うんうん、もう半世紀もまえのお話ですけど・・・。

俗なる場所-3-
2007.6.25

<歓楽街/西陣京極>
西陣京極と名づけられた露地のような道筋には、映画館が三軒ありました。東映、大映、それに洋画をやってる映画館だったと記憶しています。それにストリップ劇場がありました。ぼくがよく連れられていったのは、東映の封切り映画館で、いつも満員でした。押し合いへしあいという言い方しますけど、超満員状態でした。中村錦之助とか大川橋蔵とか、そんな名前の俳優に、美空ひばりが出ている時代劇が多かったですね。

テレビなんてなかった時代だから、映画を観ることは、健全な大衆娯楽だったと思えます。俗なる場所、なんてゆうともっとエログロなイメージがつきまとってくるんだけれど・・・。ああ、そうか、ぼくが小学生の子供だったから、そうゆう場所へは行かなかった。そうゆうことですね。カウンターの飲み屋が並び、ストリップ小屋があり、遊郭址があり、となるとそこはやっぱりエロスチックな場所だった。大人になるころには、もうこの界隈へは行かなかったから、親と一緒に小学生が立ち振る舞えた場所。これに限定されていただけなのです。

京極というのは、京都の端っこということで、だいたいが隅っこイメージで、どろどろねちねち泥沼、沼地。寺町通りに並行する三条から四条までを新京極とゆう名で、いまも修学旅行の生徒でいっぱいな場所がありますが、これに対抗したのでしょうか西陣京極と名づけられた場所。西陣の織物産業が衰退していくるとここも衰退してしまう、つまり西陣の織物産業に支えられた歓楽街だったんだと思います。

俗なる場所-4-
2007.7.5

<飲み屋/千本中立売>
この世にある場所を、聖俗概念で括って、俗なる場所というのはどうゆう場所なのかを表そうとしているわけだけれど、そんなにかんたんに括れるものじゃないことが、この章を立てているなかでわかってきたことです。たまたまこの場所は、飲み屋が何軒か並ぶ小路です。飲食する場所が俗なる場所なのか、という問いが発せられます。飲食することは、聖なる行為なのか俗なる行為なのか、なにか価値軸の本質的なところに触れてきそうな気がしてきます。

たとえば高級レストランで食することが聖なることで、場末の飲み屋で食することが俗なることだ、なんて区分することは、実はナンセンスなわけで、でもこのナンセンスなことが聖俗の区分であるかのように振舞っているのも現実だと思います。

俗なる場所-5-
2007.7.6

 <てんぷらうどん>
食べることが聖なることか俗なることかと問うているわけで、まあ、俗なる場所という枠に飲食店の店先を写真に撮って載せているわけだから、この飲食店は俗なる場所として認定しているわけです。食べ物の店、レストランであったり食堂であったり、呼び名はさまざまありますが、要はお金を払って食べる場所です。聖とか俗とかに分けることじたいが意味を成さない、とお考えの方も多々いらっしゃることと存じます。でもしかし、そうではないことをそうであるかのように、分けることで新たな意味がでてきそうにも思いませんか。

漠然と、聖なる場所、俗なる場所と分けだして、聖とは何か、俗とは何か、このわけること自体について考えなければならないようになってきて、なぜてんぷらうどんが俗なるものなのか、を証明しなければいけないのでしょうね。なんだか迷宮入り様相を帯びてきてますね。まあ、欲望を満たす場所が俗なる場所だ、といってしまえば、食欲を満たすあらゆる場所が俗なる場所になるわけで、そういえばそうかも知れない、食べ物をつくる場所とゆうのは、俗なる場所。食べて腹を膨らして満足を得るという行為、プロセスそのものが俗なることなのですね。

聖なるえろす・・・
2007.7.10

<お守り>
えろすに聖とか俗とかつけて、聖なるえろす、俗なるえろす、なんていってみたところでなんの役にもたたなくて、聖も俗もあったもんじゃなくて、えろすはえろす。ところで、えろすとは何ぞや、あらためて問わないといけませんね。そうして、それを聖なるえろすとしなければいけないようにも思えてしまうのです。

徒然えろす日記とゆうけれど、ちっともエロティックなことあらへん、と誰かが言ってましたけど、それは期待しすぎってゆうもんで、こんな公の場所で、期待するようなエロティックなえろすを、表現できないじゃぁ、ありませんか。とゆうのも、この記事は顔見知りとか友だちとか、とくに女性なんかがいらっしゃるんで、そんなに露骨なことなんていえないわけですよ。

ちょっと中途半端やなぁ、と自分でも思っているわけで、理屈ばっかり捏ねててもエロティックちゃう。そうこう思いながら、それらしいことをそれらしく言って、すませてしまおうとしています。写真なんかでも、ずばり裸写真がえろす、エロティックという狭義でとらえるよりも、もっとおおらかにとらえて、ほんわかエロスティックもええんとちゃうやろか・・・。

俗なるえろす・・・
2007.7.15

<食べる>
えろすに聖も俗もないとはいえ、食べることを神聖なりとは言いがたく、食べることは俗世界の出来事なのであります。 食べることはえろすの典型です。えろすとは生きることを象徴するわけで、なにより食い気です。非常に健全極まりないえろすなのです。神さま拝んでも腹ふくれないですけど、食料品はなにより満足を与えてくれます。なにはともあれ、生存の基本的条件は食べることなわけです。

ホットドッグ、パンにウインナをはさんで、スパイスにケチャップとマスタードです。なにやら昔、とはいっても50年ほど前のことですけど、ミニバントラックのホットドッグ売りが町角に出没して、腹は減った夜な夜なに、買って食べたものです。それを連想してしまうホットドッグです。うん、ウインナソーセージとゆうのは、やっぱりエロティックな食べ物だと思ってしまいます。個人的にそう思うだけで、一般ではないですけど、やっぱりエロティックなんです。

光の玉手箱(15)2007.1.5~
むくむく叢書のご案内

元旦の閻魔さま
2007.1.5
587_8777
元旦の閻魔さま。ぼくが閻魔堂へいったのは、大晦日の午後11時50分くらいでした。除夜の鐘を突きにいったのだけど、閻魔さまの扉が開かれていました。今年の初撮りはこの閻魔さま。午前0時をまわった時間に、写真に収めたから、撮り収めではなくて撮り初めです。

除夜の鐘を突くのに整理券をもらい、行列に並んで、山伏たちの般若心経を耳にして、鐘を、ご~~~ん!と突いて、元旦をむかえたのでした。目で見て、耳で聞いて、鐘の綱を手に握って、線香の匂いがして、突き終わったあとには糟汁をいただいて・・・。五感まるごと預かってもらって、ひとときの魔界体験だったのでした。

生きることはえろす
2007.1.8

生きてるってことはやっぱりえろすやで、おとこがおっておんながおって、それにねえ、食べるもんがいっぱいあって、光が燦々、海の潮が満ちてきて、月が満ちてきて、おとこがおんなを求め、おんながおとこを求め、そうして生きてるこの世は満ち満ちて、ぷりぷり、ぶるるん、むくむくなんがええのんやなぁ。

豊穣する心、弛緩する心、どっち取るってゆうたら、そりゃぁ豊穣する心やで、里山の静けさかネオンサイン煌めく猥雑さか、どっち取るってゆうたら、そやなぁ、どっちも欲しいなぁ。欲張りじいさんが花を咲かせてあげようと、さっそく持ち出したのが桜のお花。真っ赤も真っ黒もどぎつすぎて、うすいピンクがほんのり豊か、これがええねん、京都やから、ね。

それにしても年々歳々、からだが縮んでいくのが悲しいので、その分こころを膨らませてあげようと思っているんやろなぁ。初々しい、水分タップリ、リンゴを割れば蜜のかたまり、レモンを匂うとすっぱい、思い出すことが多くなった幼年期のころです。そして、生きることはえろすやなぁ、生きるかぎりはえろすやなぁ、お正月からぶつぶつと、ひとりごとを呟いているわけだ。

今様源氏物語
2007.1.18

なんで提灯は赤いんやろ、うんぬ白もありまっせ、ともあれ赤い提灯がやたらと目につく今日この頃なんよね。目につくことを意識してるから目につくわけで、今更赤い提灯が出現したわけではないのです。ぼくの意識には、赤ってゆうのは情欲系やと感じているわけで、燃える情欲、むしろ怖い感じがしているんです。桃色、あの桃の色。色でゆうたらちょっと赤みがかった桃の色ってとこがいいですね。ぼく、源氏物語って読んでないんです。そやのに源氏物語ってのが、意識にこってりへばりついていて、瀬戸内さまの現代訳のんでも読む必要がありますよね。谷崎訳のんは昔ちょこっと読んでそのままやけど、これは手元の全集の中に四巻あるので、と思いつつ、読みきれへんなぁ。

さておき、この正月から、紫式部とゆうおひとのことが気になりだしてきて、恋心やないけれど、ちょっと詮索したくなってきて、供養塔へ行き、お墓地へ行き、そうして雲林院という場所へ行き、恥ずかしながらここに文章してるわけで、まるで恋しだした青年ウエルテルみたいな感じで、おるのです。うんうん、昨年秋ごろから<神>のことについて、あれこれと想像してきて、千年ほど前に系列が分岐しているような気がしていて、その一系列の元祖が源氏物語あるいは紫式部というおなごのように思えてきているのです。

脈々と物語成立から千年、来年が千年目だそうですが、今様、インターネット環境で、ブログとかソーシャルネットワークサービス(SNS)の環境を想うにあたって、そのコンテンツの源流が、紫式部あるいは源氏物語にあるようにもイメージしているのでございます。ああ、直感、なんの根拠もありません。たわいない戯言の類で、瘋癲老人の独り言でござるけれど、ちょっと連載しちゃおかなぁ、そんな気持ちもあって、この文を書いているとゆうわけ。

着物の色
2007.2.1

どう見ても、どう考えても、どう思っても、女性着物は悩ましく、情緒があって、艶っぽい代物です。どうなのでしょう、そのように見て考えて思うのは、ぼくが男だからなんでしょうか。つまり写真で見る限りにおいて、女性着物を、そのように感じてしまうのです。そうしてその根底に、えろす感情が潜んでいることを確信してしまうのです。フロイトさんは、夢や幻のなかに、性衝動を見ていたように記憶しているのですが、ぼくのばあい、やはり着物の写真は、それをベースに組み上げるイメージ世界なのです。

天と地、大樹と根。それらの具体的な写真を撮りだして、一方で女性の着物や桜の花などの写真を撮りだして、それらのイメージは、色彩だけではなくて、いいや色彩そのものかも知れない、情を感じるのです。ぼくは大胆にも、男えろす、女えろす、分類し始めているのですが、前者の類は男えろす、後者の類は女えろすだと思うのです。さて、この分類、この思うイメージ、言葉で区切る作用は、たぶんに世の中が培っている価値感に則しているのではないかと思っています。

封じられてきたえろすの世界。封じられてきたえろすな心。ぼくの関心ごとがここ、封じられてきたという、ここにあります。着物が醸しだすイメージえろす。ヒトのこころを豊穣にとらえる術として、ぼくは着物を撮っているのではないかと考えているところです。

えろすの氾濫
2007.2.6

えろすの世界は泥沼やねぇ、って誰かが言ってたんですけど、そう思えば思うほど、際限なくぼくのドロドロな内面を反映している世界のようやなぁ、と納得してしまうわけです。えろすは、ヒトの感情に直接リンクしている内世界、なのかも知れないとも思うのです。ぼくが気になるなかに、R・メープルソープの写真群があります。 奥ゆかしくて美しい国のなかでは、美術館の壁面に飾られることもないけれど、彼の写真群の一角を占めるハードコアな写真は、えろす世界のひとつの極みを撮ったものだと思っています。

1980年代にビニ本とゆうのが流行りました。写真雑誌も流行りました。それらの被写体は、おおむね女性であり、男性は顔を隠すという代物でした。写真を撮り始めたころにはヘヤーの露出はタブーだったのが、次第にヘヤーが露出されるのは公然のこととなってきました。ビニ本にも裏本、温泉街で売られる裏写真、つまり無修正写真のことで、それらが公然の非公然としてありました。それらは印刷物として、制作されて流布されてきた代物でした。

さて、現在、インターネット、WEB環境のなかで、えろすの氾濫がすざましい勢いで進んでいる実感があります。あえて意識化して思えば、この半世紀のぼくのまわりにあった、えろす表現物の実態を辿ってみて、いまネット社会に突入して、おおきく様変わりしたと思うのです。SNS大手のmixiにおいても、かなりのコミュニティがあり、盛隆しているところです。そうして類似のSNS、アダルト専門SNSが乱立しているのが現状としてあります。いいわるいは別にして、この現状を、それから後を、基本認識しておく必要があると思っているのです。

演歌
2007.2.9

最近はたまにしか聴かないのですけれど、歌謡番組で演歌が流れてきます。ぼくはこころうっとり聴きこんで、和服をきた歌手の身のこなしに、ある種の美を感じてしまいます。かっては、いまほどではなかったけれど、演歌を聴くと、やっぱりこころがしんみりしてくるのでした。そりゃあ何がしかの感動を、つまりこころを揺すぶることのプロフェッショナルが、仕立て上げるショーなのだから、それに乗せられているにすぎないとしても、そのあっぱれさには敬服してしまいます。演歌は艶歌、そして恋こがれる歌詞、おとことおんなの悲哀を綴ったものが多いように思います。

和の旋律、切々と謳う女ごころ、聴くのは男、立身出世、企業戦士、熾烈な戦いの中で、束の間の安息。まあ、構図的にいえば、そんな男の日々に亀裂を生じさせて、うっとり聞き惚れるのかも知れないなぁと思ったりします。その当時、つまりぼくがまだ、そういう場所にいたころの、カラオケなんてのは、もう演歌ばっかり、それで浮世の哀れさを身に滲みて、ちょっとまどろんでいたような感じですね。

悪の華
2007.2.21

シャルル・ボードレールが著わした詩集に<悪の華>と題されたのがあるんだけど、といいながら、今時の<悪の華>とは、なんやろう、もしそう題するとしたら、どうゆう内容の詩集あるいは写真集になるんやろなぁ、と思ってしまうわけです。何に対して<悪>なのか。悪があるからには<善>があるとおもうけど、今時のこの<善>とはなにを指すのやろ、と、まあ、言葉遊びをしているわけだ。

善悪ってゆうけど、ぼくの感覚でゆえば、戦争、武器をもって戦う、これが善であるわけがないんです。でもね、これ、悪だ!とも、いちがいには、言わないんですよね。必要悪!そんな言い方ってあるかよぉ、なんて憤慨してみてもしやないけど、これは善なのです、聖戦なんていってるけど、善の範疇に入れちゃうんでしょうね。美しい日本、これは真善美の最高に集約された状態をいう、なんてぼくは抽象的に解釈したりしているんだけど、これも変な話です。

悪は犯罪です。だから悪の華は、犯罪の華です、なんて言ってみても、何に対しての犯罪なのか。人を殺傷することは断じて犯罪です。人を欺くことも断じて犯罪です。どんな手段を取るにしても、この二つは犯罪です。つまり<悪>です。このように規定しておいて、さて、今時の<悪の華>とは、いったいどのような内容を言い当てれば、いいのだろうかと、やっぱり螺旋階段、スパイラル状態で、ぼくは、考え思索している感じです。

えろす表現
2007.3.2

写真とか文章をもって表現を試みる一角にいて、もどかしい気分になるのが、えろす表現ということです。えろすを表現する。ええい、そんなの無視していけばいいんや、とは昔の自分であって、今の自分は、そうではないんです。文化の枠組みを想い描いて、美術や文学なんかの置き方をみて、綜合文化研究という試みをやりはじめて、えろす表現というものが、自分の問題として無視しえなくなってきたと思っているのです。

どちらかといえば軟派に分類されるえろす表現だと思うんだけど、そうゆうことでいえばぼくなんかは、硬派で通してきたわけで、いまも多分写真の被写体であれ、農事にかかる文章であれ硬派の部類だと思っています。でもしかし、みづからが表現対象として扱うか否かは別として、興味の程は、なくはなかったわけだし、タブーという境界線があるなら、そのタブーを守ってきたわけで、タブーとゆうからには、そのタブー視された領域への興味も深々やったということです。

うう~ん、ぼくも年老いてきて、心残りはタブーへのチャレンジかなぁ、と思う日々です。たとえば釜ヶ崎に関わった過去には、表層的にそれは硬派としての、タブーへのチャレンジだと認識していました。それとは別に、ヌード作品をつくったこともあったし、白虎社取材の写真なんてのも、かなり、えろす表現であって、あれから二十年の後にぼくの作品としてHPに掲載したところです。

つまり、ぼく自身が心残りなことは、ある意味、たたかう表現者としての表現行為という問題なのです。何に対してたたかうのか、といえばタブーに対して、タブーを打ち破るべく思考すること、そうして実戦交えること、そのことなのです。ちょっと困ったジレンマやな、とぼくはいま立ち尽くしているところです。

えろす感
2007.3.8

生きている、そのこと自体が、えろすです。えろすとは、からだが活動していること、それ自体を言い当ててるんや、と思います。なんとまぁ、この肉体とも身体ともいわれている物体、これ自体が相当なえろすなわけで、狭義な意味では、男と女の関係のなかに生成するものがえろすと解釈しますが、もっともっと、生きてること自体、それがえろすだと認定してあげる。

えろすはからだの欲望です。食欲、性欲、からだの器官が要求する欲望です。金儲け欲とか支配欲とかは、あとからつけられてくる欲望ではないかと思います。ぼくはお酒を飲まないたちだから、甘いスイートが無性にほしくなるときがあります。たぶん身体が糖分を欲しているからだと思います。赤い苺がのせられたショートケーキを食べる。食べるまえに見る。ちょっと幸福な気分になる。

食欲か性欲か、どっちが優先なんやろな?なんてふつふつと考えながら、甘いショートケーキを食べ始め、そりゃぁ食欲やろなぁ、と思ってしまうわけです。なんてったって食欲が満たされることが優先だよ、って考えているんです。まあ、こんなことを考えているってことが、つまり、食を満たすことができているからなんでしょうね。ということで、ぼくは、基本に食をとりあげて、その次に性をとりあげて、えろすの全体像をつくろうとしているんです。

春めきて
2007.3.20

ことしの春ってのは、けったいな春やなあ、冬に季節に春があり、春の季節に冬があるってな感じで、今日は3月20日、いよいよ気温が上昇してくるという予報です。なにかと、春という季語は、こころが浮き立ってくる気分で、生きる力が目覚めてくるような感じになって、ほんわかな気持ちです。

最近はご近所を、カメラをもって散歩することが多い日々です。目の前に現れる光景を見て、生きている喜びみたいな感じが立ち昇ってきます。いわば老体の域に入ってしまった自分があって、この世の見納め的な驚きかと思ってしまいます。空を見上げて、雲間から光が射しこむのを見て、天がはじけるそのときを想い描いて感じたり、地を見て岩石土をみて、奇妙な愛着を感じたり、けったいな感じです。

花の色には特に感動、こころ揺すられてしまいます。ご近所を散歩していると、京都の旧市街だから特に、各町内にお地蔵さんがあって、花束が飾られていて、その色彩に目を奪われてしまいます。これからはそれら置かれた光景の、襞となる細部をじっくりと、観察しながら写真にしよう。そのことに専念しようかと思う日々です。うんうん、生きてるってこうゆうことなんでしょうね。

春の色に
2007.3.24

今日は春雨、気象予報がいうとおり、先ほどから雨が降ってきています。春は曙ようようたなびく・・・、春雨じゃ濡れていこう・・・、なんて春をあらわすことばが、ふつふつと湧いてきて、まったり時間をすごしてしまいます。一年の季節のなかで、春という季節が、やっぱりいいですね。なによりも萌えだす季節だからかしら、気分もうきうき浮き立ってきます。

年とともに、年々歳々、時季に感じるこころを、大切にしたいなと思いだしています。命ということへの執着がでてきているんやろな。おとろえゆくからだと反比例するかのように、春という季節を思う気持ちが昂じてきます。素直に喜べばいいのであって、なにも偏屈になることはないんです。かなり自然体で、その日その時の空気感を味わう。いいじゃないですかねぇ、えろ爺さんといわれても、いっこうに差し支えないと思いだして、こんな日記をつけているというわけです。

自分が撮った写真は、だれのためよりも自分のためにある。そのように思いだしている昨今です。お商売に使う写真でないなら、それはなによりも自分が見て楽しくなる写真であるほうがいいのです。気に入った光景を、まるでこの世の見納めのような感じで見てしまって、カメラを持ち出して撮っていく。街の光景も、社寺仏閣の境内の光景も、空を見上げりゃ空があり。地を見下げれば大地があり、大樹に草むらに花に・・・、なによりも人間に・・・。

祭りの日
2007.4.1

お祭りというのは、参加するにしろ見物するにしろ、こころうきうきするものです。ここは京都のわら天神宮。安産の神さまとして知られているお宮ですけど、毎年4月第一日曜日がお祭りの日なので、今年は今日、4月1日というわけです。京都に多数あるお祭りでは、ここが春祭りの最初ではないかと思います。

ここはぼくの氏神さまではないけれど、散歩の途中になにかと立ち寄るお宮ですから、今日はカメラを持って出かけていったというわけです。お稚児さん、女の子がおめかしして、可愛い冠を頭にのせて、可愛い美しいの一日となる。そのスナップ写真です。この年頃の孫娘をもつ身として、愛着を感じるわけです。

神社
2007.4.15

神社は神が宿る処です。この四月は、例年のことながら桜取材で毎日のように神社へ出かけて桜の写真を撮っています。桜を撮っていると、まま、その前に美女が現れます。巫女のようにも思えて、おもわづシャッターを切ってしまう。なになに、それはおとこ心で、覗いてみたい欲望なんだとおもうけれど、神さまを仲介してくれる巫女だと思おうと思っているわけです。

神さまなんて、見た人だあれもいないと思うけど、でも、だれもが見たいと思うのだと思っています。当然ぼくも神さまを見たいわけで、見るとしたら、対面した人のその中に見たいと思うわけです。熨斗がつけられた箱のなかではなくて、生きた女性のその中に見てみたいと思うのです。

花嫁衣装
2007.4.16

結婚する男女の女を花嫁と呼ぶんですね。花嫁衣裳を着けた女は一生に一度の、であってほしい晴れの日の衣装ですね。4月15日の日曜日の午前、平野神社での神殿結婚式に遭遇して、記念写真を撮った。まったくぼくとは無縁な関係です。この二人、あたらいい日々が始まる門出の日なんやなぁ、古いぼくの頭は、そのように思ってしまいます。

さくら
2007.4.23

まあ、さくらっていう花は、女の子イメージですね。さくらの花と向き合って、さくらの花を撮っていて、そのこころは、細部をじっくり観察するために写真に撮ってると、まあ、そんな気持ちがふつふつと湧いてきていました。今年のさくらをどのように撮ろうかしら、と思いながら、けっきょく最短で最大限明るく、というのが撮り方になってしまいました。ここに載せた桜なんて、撫子って名前がつけられていて、なんとまあ、かわいいじゃありませんか。光をたっぷり注いであげて、その細部をじっくり見てあげて、ぼくのコレクションとするために、写真を撮っているんです。やわらかえろすのこころですね。

花をじっと見つめていると、けっこう嬉しい気持ちになってきます。もちろん花の種類や形によって、嬉しい気持ちも微妙に違ってきます。これ、れんげつつじなんかは、清楚なキリッと締まった表情の美少女を見るような感じがしてきて、こころが洗われる気分です。

認識のしようによっては、花は生殖器だからそれだけでエロスティックな匂いがただよってきて、光に向けておしげもなくその姿をさらしているのだから、それはあっぱれだと思ってしまいます。花を見て、鬱になることなんてありゃしない。美少女の微笑みのような清楚な花にあっては、なおさらのことです。

光の玉手箱(14)2007.4.1~
むくむく叢書のご案内

沸々と湧き出る
2006.11.5
_20180622_141031
もう十数年まえのことになりますが、性器を被写体にした写真集が日本語において出版されたことがあります。ぼくは書籍コレクターだったし、その手の小説とか画集とか写真集とかを集めていたので、この本もコレクションされたわけです。写真において、ヘアーヌードがあらわれ、セクシュアルなイメージが一般化してきたなかで、性器を被写体としたこの本は、話題になった部類です。

性器イメージの公開展示&出版は、すでに半世紀ほど前に、読売アンデパンダン展で展示されたものの撤去されたという記憶があります。1980年代には月刊誌写真時代誌上にてそれとわかるように掲載されたという記憶もあります。そういう流れのなかで、発行された本が、それだったように捉えています。

それから十数年を経たいま、インターネットを介して、カラー化された画像が手元に入ってくる時代となっています。ことの良否は別として、男と女の欲情の、隠すべきモラルが一変してきた感があります。だれでもがアクセスできるということではないけれど、いまや書店等を介さなくても、手元における時代なのだ、という認識です。

幻想即興曲
2007.11.14

たまたま、いまこの記事を書こうとしてPCに向かっているわけだけれど、聴こえてきてるのがショパンの幻想即興曲なのです。テンポのはやいピアノ曲です。CDジャケットには、ピアニストはウイルヘルム・ケンプ、1958年3月録音とあります。なんと半世紀も前に演奏された原盤から収録されたCDからパソコンに取り込んで、いま、ぼくが聴いているというわけです。

そう思えば、ぼくが生きてきた時間のなかで、音楽、とくにピアノの音に傾斜していたことがあります。この幻想即興曲の収録がなされたとき、ぼくは11歳です。小学校の5年生にあたるころです。そのころ、ぼくはピアノの音に魅了されていた記憶があります。なぜか知る由もないけれど、学校の講堂にあったピアノを弾く女の先生をステキだと想い、ピアノの音がこころに滲みた記憶です。

高校を卒業して就職して、初めて貰った給料で、なぜかシュナーベルのベートーベンピアノソナタ全集を買っているのです。たしか一ヶ月分の給料に近い金額の全集だったです。いまも手元にあるエンジェルの赤盤、これの録音は1930年代前半です。ここで歴史背景を語るつもりもないので、年代だけに留めておきますが、そうゆことでいえば、ぼくのピアノ曲を聴く、原点はベートーベンのソナタです。

幻想即興曲はショパンの曲です。ショパンのピアノ曲を聴くようになるのは、ずっと後のことになります。そのなかに幻想即興曲があるというわけで、ショパンの甘くて切ないピアノを集中的に選ぶ日々と、ベートーベンの重くて苦しいけれど希望を与えてくれるピアノを選ぶ日々と、入れ替わりながら、いままで続いているのです。ああ、これは思い出綴りですね。

花と情
2007.11.23

今年、初めて花を咲かせた山茶花です。ぼくは開きかけた蕾を手に取り、じっくりと眺めています。真っ白な花弁に少しだけ淡い紫をもった山茶花の蕾です。翌日には花弁をひろげて雌蕊雄蕊を花の真ん中に、誇らしげに見せてくれます。

花は女性の象徴だと感じています。ぼくの愛でるかたちは、その花が女性器を彷彿させるところにあります。そのように想うと、なんともエロティックな情感が湧き出てくるのです。ぼくは、じっと花弁の中心に見入ります。 なんとも愛らしい、なんとも艶やかな、なんとも清楚な、なんとも美しい、ぼくの情が移りいきます。

もみじ-紅葉-
2007.11.30

紅葉は紅の葉、楓の葉です。秋の風情を、紅葉によって、感じるようになったのも、からだが年老いてきた証なのかも知れない、とつくづく思いながら、先日は下鴨神社へ、今日は上賀茂神社へ赴いていったのです。そこが神域だとは思ってもみなかったことだけど、なるほど、神が宿る処だな、と想う思いがふつふつと湧いてくるのでした。それは想いのなかであって、具体的な形をもった神がいらっしゃるとは思いませんが、情のレベルで、何かしら感じる、畏怖といったような戦慄が、生じていたように感じたのです。紅葉は表の感情で、畏怖を感じる感情はもっと深くて、ぢめぢめした苔と根のあいだへ入り込む光のことでした。

神がいらっしゃる(1)
2006.12.4

具体的な<神>のかたちがあるとは思わないのですけれど、この写真のような光景は、神がお入りになっている器だと解釈してもいいかと思います。見える、見えない、ということでいえば、見えないものです。ボクはその見えないものを、見ようとしているわけです。文学という文字とか言葉を使うか、映像という写真とか動画を使うか、音楽という音を使うか、それぞれを組み合わせて使うか、いずれにしても、ボクは見えないものを見ようとしているわけです。

イメージの最たる頂点が神のイメージのような気がします。神聖な場所へ入っていって、研ぎ澄まされた感覚をいただくような感じで、そのような感じを受ける処に神がいらっしゃるような、つまり、感じになるわけです。いいえ、言葉で、ひとことで伝えられることでもないし、写真で単純に伝えられることでもないし、音の連なりで伝えられることでもないと思うけれど、なにか感じて仰ぎ見る感覚をいただける処があるようにも思えて、ボクはその場所を探しているのかもしれないなぁ、と思ってみたりしています。

神がいらしゃる(2)
2006.12.8

神社には神がいらっしゃる。神はお名前をお持ちになられて、ここはスサノオノミコトさまがいらっしゃった処だと書かれております疫神社です。疫神社に有らしめるこれは石でございます。疫神社は今宮神社の一隅にございます。造営は、ああ、もう千年も昔の出来事でございます。

京都という地域の風土に興味をもって、生まれ育った京都を還暦を迎えた今年から、ちょっと散歩してみようかいなとも思って、ごく最近になって、あらためて神社仏を訪れていくようになったのです。どちらかとゆうと神域に興味があって、その神域に足を踏み入れて、無礼とは百も承知でカメラを向けているのでございます。

神域は、侘び寂びかと想いしや、なあに、決して決して、わたしにゃあえろすであるように想えて仕様がないのでございます。熨斗あり、赤あり、白ありで、紅葉があって、苔がある。根っ子があって、穴祠がある。なんとまあ、神域にてお受けする情感は、とっても若くてピチピチに甦る処でございます。

神がいらっしゃる(3)
2006.12.10

神が、おとこかおんなかと問うのは不埒でばかげていることかも知れないけれど、あるいは、おとことかおんなとかを超えた性だと、いいえ性なんてないのだと、このようにとらえるのがいいのかも知れないけれど、やっぱりボクはそれにこだわっているわけです。

熨斗で封印されたむこうにいらっしゃるようですけれど、その封印された熨斗からむこうには、なにがあるというのでしょうか。石に宿る神、樹木に宿る神。熨斗で封印した箱のなかだけではなくて、あっちにもこっちにも神がいらっしゃるようにも思えてきます。

巫女はゆうまでもなくおんなです。白装束に赤い袴を穿いたおんながいらっしゃる。それがおんなだとすると、交感するあいてはおとこなのかなぁ、そうすれば神はおとこということにもなるなぁ・・・。

神がいらっしゃる(4)
2006.12.18

初めの神の名は、天之御中主神-あめのみなかぬしのかみ-だと古事記では記述していて、この神は、天の中央にあって、天地を主宰する神の意、だといいます(古事記全訳注・講談社学術文庫・全注訳/次田真幸氏)。この神は、古事記編纂のときにあらたに設けられた抽象神・観念神だとの注釈もあります。ボクは、これを学術研究しようと思うわけではなくて、イメージとして描いてみたいとの試みで、不埒だとはおもいながら、写真制作とこの文章を綴っています。

というのも、神の初めが心世界の初めだとする想いに、かなり共感していて、信じるとか信じないとかを超えて、イメージとして、今現在を想い見る創作を試みたいと思っているわけで、いま、ボクの興味が、生命体としての雌雄にむいていることもあり、神が男なのか女なのか、とボク自身に問うているわけです。専門領域の研究のなかでは、どのように解釈されているのかは知らないのですが、ボクには、神の初めは、男でもなく女でもなく、男でもあり女でもあり、つまり雌雄の全体としてとらえればいいのかな、と発想しているところです。

つまり、つまりですね、ボク自身のボク自身をボク自身が問題化していく取っ掛かりとして、ボクをして男と女の関係をイメージのなかに感じていきたいからだと仮説しておきたいと思います。生物科学的にみると男・雄体であるボクの感じ方というものが、ボクの外にある男女の区分であるとか、境界線であるとかのイメージと対照してみて、どうもその区分と境界が混沌・朦朧としているんですね。

そうしていま、神と名づけるイメージにむかっていて、感情の内に生成させたい、あるいは確認させたいと思っているわけで、ああ、これはちょっとやばいなあ、とも思いながら、模索しようとしているところなのかなあ・・・。つまり不可思議な生命というもんだについての、自己質問なのだと解釈しているのです。

神がいらしゃる(5)
2006.12.20

ヒトが死して神におなりになるとか、ヒトが生きたままで神であられるとか、ぼくには信じがたいことなのですが、そういう神のありかたではなくて、神のかたちについて想いをふくらませているのでありまして、白と赤の色彩に目をうばわれているぼくがいます。

ヒトが意識を育ませるようになって、ヒトが意識のまわりにバリアーを張ることで、安定する気持ちはわかります。そのバリアーの外になにがあるのかといえば、見えない存在への気持ちの傾斜であろうと思うのです。

怖れおののき、得体のしれない不安に苛まれる。この情の領域において体験するそれらの蠢く動きにたいして、それらを鎮めるための作用が必要であり、その作用をイメージ化したものが神という抽象なのかな、と思えてきたりします。

榊と稲藁をつかい、白と赤をつかう、この道具と色彩というのは、目に見える装置としてぼくのまえにあります。それは境界、バリアーであって、そこから、ぼくは、その向こう側をイメージ化しようとしているのですね。つまり、神がいらっしゃる、という神という非存在について・・・。

ピンクの山茶花
2006.12.15

冬ざれた風景には、山茶花がひときわ鮮やかに目に映ります。 赤から白のグレードにピンクの花弁をつけた山茶花です。最近、新しいシリーズで、空地海苔根葉と続いて、いよいよ花の痕跡を残していくこととしたんです。現代の写真はカラーで、色彩が感情を揺する大きな要素だと思っているので、ここにいたって、ようやく暖かい感じがしてきています。

花が咲く地上は、この世の楽園とでもゆえばいいのかも知れないなぁ、って色づいた花を見ながら想います。空にしたって朝焼け夕焼けに感動するんだし、葉も紅葉すると感動させてくれます。そうゆうことでいえば、花の色形は、感動の、情動の、源流にあたるのかも知れないですね。

赤と黒
2006.12.24

赤と黒なんてゆう小説があったと思うんですけど、その小説の赤は革命、黒は軍だったように記憶しているんですが、どうなんでしょう、赤と黒、この赤と黒は、平野神社にある稲荷社のミニチュア鳥居です。赤い色は情欲を感じるんですよね。そういえば稲荷社とゆうのは、商売繁盛の神さまですよね。商売繁盛も情欲も、よく似た欲望であるようなイメージです。いえいえ、欲望のかたち違いですかね。

チョコバナナ
2006.12.26

この世には男と女がおりまして、消費する代物を吟味していくと、その根底にえろす気分を充足させる装置が仕組まれているようにも思われて、おとこらしく、おんならしくと、おおむね区分されているように思います。おとこらしさとおんならしさを、無意識レベルに喰いこませていくこの世の装置を、ぼくも喰いこまされてきたのだな、とつくづく思ってしまいます。

バナナにチョコレートをかぶせて、きらきら星をまぶしてある棒を、だれが頬ばるのかとゆうと、女児から乙女が頬ばるのです。煌びやかなようなグロテスクのような、チョコバナナを、いかにもおいしそうに口に頬ばり、もぐもぐと食べるのです。夏には冷凍バナナを、冬にはナマバナナを、自然のなりわいに応じて工夫されたこの食べ物はこどもたちの人気商品でもあるのです。

光の玉手箱(13)2007.4.1~
むくむく叢書のご案内


桜の季節に
  2007.4.1
_20180405_161637
今年もまた桜の季節がやってきて、4年目の桜取材をしています。主には平野神社ですけれど、ご近所で歩いていけるお寺や神社にて、桜を写真にしています。桜をめぐる難しい話は置くとして、まあ、見ていると、きれいやし、かわいいし、こころが浮き浮きしてくるし、まさに春の気分って、こうゆう感じなんやなぁ、と思いながら、浮かれて撮影している感じです。撮影においても、露出やら構図やら、考え出すとキリがないので、かなりイージーに撮っています。

誰のために撮るんや、なんて野暮なことは考えないで、情ですよ、ゆらゆらゆらめく気持ちです。桜には、けっこうエロティックなところがあって、木の全体を見るのもよろしいけれど、細部を、つまり一輪一輪を丹念に見るために、アップで撮って、後でじっくり見てあげる。そんな感じで、けっこうアップで撮るのが多いです。桜を他のモノへと連想させると、そこには初心な少女のイメージから熟年したおなごイメージまで、やっぱり女性なんですね。どうイメージしても男衆を連想することなんぞは出来ないんです。

平野神社へ行くと、神さまなのにピンクピンクしてる感じです。お守りにしろお土産にしろ、だいたいがピンク系にしつらえてあって、まあターゲットが女性やというのは、そのとおりやと思うけど、それにしてもそのように思うイメージじたい、ちょっと複雑な思いになってしまいます。いいえ自分の感覚をどういえばよいのか、迷ってしまうわけです。

前を向いて歩こう
  2007.4.3

桜を撮りに出歩いて、目を向けるのはおおむね上。だから、上を向いて歩こう、というタイトルがいいのかもしれないけれど、それだと坂本九の歌の文句になってしまうし、過去を引きずっている感じだし、まあ、新鮮味も、あっと驚く驚嘆もないけれど、前を向いて歩こう、とタイトルしたわけです。ええ、走っちゃだめだと言い聞かせているから、歩こう、です。歩こうというなかには、自らの意思が込められていて、意志と希望を秘めています。

4月に入って、思うことしきりにあって、過ぎ去ることにはおさらばして、新しいことにチャレンジしよう、なんて思う気持ちが昂じてきて、これを書いたら桜を求めて、歩きにいくか、と思っている。家を出て、船岡山から建勲神社を経て今宮神社へ行って、そっから鷹ヶ峰まで歩いて、2時間コースの散歩兼桜取材の予定です。ちょっと陽が射し込んで来ているから、外は明るいようです。

※二時間のコースで、今宮神社で桜取材中にメモリーがなくなってきたのと、バッテリーがなくなってきて、鷹ヶ峰まで行かなくて引き返してきたというわけで、いま、13:30です。撮影150カット、それにしてもざっと見ただけで、露出、構図、その他使えないのが山ほどあります。いちおう20カットくらい採用できればいいかな、と思うところです。採用しても、実際にブログとかで使うのは、もっと少ないけど、そんなもんやなぁ。

ここに載せた桜の品種は、御車遷(みくるまがへし)との名札がつけられていました。撮影場所は平野神社、2007.4.2のです。

今年の桜取材
  2007.4.16

今年はデジタルカメラで撮る4回目の桜取材です。三月の下旬から毎日のように桜の写真を撮った。まあ、桜のある場というのは、浮かれ気分になれる場ですね。主には平野神社の境内に咲く桜を撮っています。ここに掲載の写真は、平野妹背桜、2007.4.15撮影のものです。

ぼくが使っているデジタルカメラは、キャノンスーパーショットS50という機種です。今年の桜取材の、結果は、最短距離、最大限明るく、これがポイントになりました。ぼくの撮り方、テクニカルがへたなのか、一枚で決定的な写真を、なんて思ってもできなくて、成り行き任せでシャッターをどんどん切っていきます。大半はピンボケ、露出不足、露出過多、構図もママならず余分なものが入ってしまう。こんなヘッポコカメラマンを自認して、撮っているわけです。

現場の桜を忠実にとらえるなんてことは、あまり興味がありません。色調なんか出来合いでよろしい。このように思っているわけで、写真は現場の再現ではないんだと、思っているわけで、かなりアレンジメントしていこうと思っています。とはいえ、現場主義で、撮りっぱなしで、あとでトリミングとか、色調補正とかは全くしません。まあ、これがぼくの主義といえば主義です。

桜がおわり・・・
  2007.4.26

京都では桜の季節が終わりになってきて、今年の桜取材もそろそろ終わりにしようと思うところです。ここ最近、桜に呆けて、文章を書くことがけっこう億劫になっていて、今日は朝からこの欄を開けたけれど、けっこう書くことに戸惑っているんですけど・・・。今年は、平野神社を中心に桜を取材して、各種の桜を写真にしてきました。今日掲載の桜は、御衣黄桜という品種で、今年初めて写真にした桜です。掲載しているのは、雨宝院の御衣黄桜、昨日4/25の撮影です。

京都に生まれて住んで60年ですけど、京都のことはあんまり判っていない自分があることに気がついています。最近、京都文化という枠で、地元学をはじめだしているんですけど、まだまだ漠然としていて、中心が定まらないんです。もちろん一定の枠組みのなかで表現する目的ですから、その枠組みを想定するところから始めなければいけないわけで、この数年間の試みをまとめて、枠組みをつくっているところです。

桜は毎年4月に巡ってくる暦みたいなもんで、この4年間の自分が撮った桜を見てみて、かなり変化していることに気づいています。神社があり、町角があり、そこに人が生活している。けっきょく人の生活に踏み込みたいとはおもうけれど、まだまだ遠いところにあります。そもそも京都の文化枠組みとはなにか、このことが自分にとってのテーマでもあるわけです。

桜の季節がおわり、新緑の季節がはじまり、桜を境にして、牡丹などの花が咲き出します。花は山の別荘で撮ってきたのを、京都の市中に求めていこうかとも思いだしています。古着の着物、寺院の花々、神々がいて、それに市井のひとがいる風景。なにか自分を探している旅のような気がしています。

新緑の季節
  2007.5.8

年齢のせいもあると思うけれど、四季の移ろいにかなり敏感になってきています。若い時代の頃からみて、という自分のなかでの変化です。そうゆうことでいえば、桜の季節が終わって、新緑の季節という移ろいです。数年前に<わかば>というタイトルで、五月初旬の木立の新芽を撮ったアルバムをつくったんですが、いってみればその延長です。ところで、桜を初めとする四季の移ろいを、自然風景のなかにみるとき、ぼくには二つの系列があるんです。冬がおわり、梅の花、桃の花、そうして桜にいたる花暦ですが、そこからの一つは花の流れ、一つは緑葉の流れです。

植物領域の生命体を、イメージのなかで男系列と女系列にわけています。新緑は男系列イメージです。木立に芽生える葉。黄色をおびた新緑、黄緑から緑に変化していく、つまり成長していくわけですが、その一連の流れに、稲から米へ、山菜とか野菜へとイメージが連なっていきます。まあ、それらを写真にしていこうとしているわけですが、緑というのは、あまりインパクトが少ないです。どちらかとゆうと、花の移ろい系列に興味があります。桜を初めとして、ボケ、シャクナゲ、ボタン、ツツジといった花の系列に、どうも情が移ってしまうのは、ぼくが男生命体だからかも知れないですね。ともあれ、緑、新緑の季節に移ってきて、写真にしているわけだけれど、どうもいまいち、ぱっとしないんですね。これっていったいなんでかなぁ、と思い思いしているんです。といいながら新緑を撮っています。

写真を撮る、このことを考えてしまいます。被写体があって、それをどのように撮るかという以前の、なんで写真を撮るんや、という問題です。実は、この設問のしかたはご法度です。だって、解答の見だしようがない問いだと思うからです。確かに、社会問題にアプローチする写真行為とか、誰かのために撮る写真行為とか、ある目的を実現するために写真を撮る、とゆうのはそれ自体が解答になるわけだけれど、そうではない写真行為とはありうるとしたら、いったい何なんやろ、と考えてしまうわけです。といいながらも、新緑を撮っています。

京都、神社、町角、生活の場ではない・・・
  2007.5.29

ぼくの写真テーマの主流になってきているのが、京都というイメージにおいてです。かって観光写真ではない京都を、内在者の視線でとらえるという思いで、写真を撮った時期がありました。1980年代のはじめ頃、すでに四半世紀、25年ほど前のことです。西陣という地域に生まれ育った自分を検証するという目的があって、一方で釜ヶ先という流浪の地域を取材していたところから導かれたテーマでした。すでに25年も前のことだから、当時のぼく自身の考え方とか思いとかというのも定かでなくて、いま回顧するなかで、いまのぼくが思う過去にしかすぎない。つまり記憶を辿っているわけです。

そのようなぼく自身の経験前段があって、いま、あらためて京都を舞台に写真を撮りだしているのです。取材の範囲は、京都とはいってもぼくが小学生から二十歳前後の頃に立ち回った区域に、おおむね限定しています。かって、写真は生活現場をとらえるべきだとの考えがありました。だから当時は、なるべく日常生活を営むレベルへ参入していこうとの思いがあって、家屋のなかへと入っていこうとした経緯があります。

現在の京都取材のおもむきは、京都の表層を撮るところから始まっています。神社があり町角があります。かって見知った場所です。撮るために訪れていく場所、場所、場所。いずれも記憶に結びついた路面であり社寺の境内です。それといま初めて訪れる場所というのもあります。観光化された京都のスポットで、かって訪れたことがない場所もかなりありますから、そういう場所へも行っています。まだ始まったばかりの現場です。どのように推移し、どのようにまとまっていくかは未知数です。文章を書いて、思考を重ねながら練り上げていく作業を、ふたたびやりだしているところです。この文もその一環です。 

神域、俗域、風景。
2007.6.15

京都という地理的場所において、写真を撮りすすめているところですけど、一つの区分け方法として、神域、俗域、風景なる領域を試みています。神域は神社の境内、俗域は町角、そうして風景は街並風景、このように設定して、主には人がいる光景を撮ろうとしています。一方、京都つれづれ日々えろす、ちょっと長めのタイトルですが、ここでは主にはブツ撮りしていこうとしています。まあ、今様京都シリーズとして、デジカメで撮るスナップショットです。

おおよそ100年前、ステーグリッツがニューヨークの町角で、ハンディカメラを携えてスナップショットしたなぁ、というようなイメージがふっと立ち昇ってきて、その真似ごとみたいな方向で、ちょっと京都をやってみるかぁ、ある意味、イージーな考えなわけです。真似ごととは、独自の方法ではなくて、真似するわけですから、気楽といえば気楽です。うんうん、種明かししながら、心では、スタイルだけ真似して、中味は違うものにしたいなぁ、と思っているわけです。

京都を撮った写真家さんに、森裕樹さんがいます、東松照明さんがいます。観光写真の類の撮り方ではなくて、スナップショットスタイルで、です。長年写真に携わっていると、どうも先駆者のイメージが纏いついていて、チラチラとそのイメージが思い浮かべられて、いいものかわるいものか、真似ごとにならないように、とは思いつつ、真似ごとにしか過ぎないかもなぁ、と思うところです。

写真にする立場として、外在の目、内在の目、という言い方がされますが、ぼくは内在者の目として、生活するその範囲において写真にしたいと思っている。いわばこれが新しいスタイルにならへんかなぁ、ということです。いずれにしてもこんな話は、写真の中味ではなくて、外面にしかすぎなくて、写真そのものが現象の表皮をしかとらえられないのに、これはそのもう一つ外側の話なのです。たまねぎの皮を何枚か剥けたかなぁ、と思うところですけど・・・。 

自分とゆうことは
  2007.6.28

自分とゆう物体について、自分の意識がいろいろ詮索しているんだけど、その中心に身体(からだ)とゆうことがあります。意識が生成するためには身体が必要なわけで、これを養ってあげなければならないわけで、養うその中心は食料補給。それとは別個に、自分の場合、たばこってのがあって、じつはこれを今日から止めようとして、葛藤しているところです。最近は毎日写真撮影を手がけていたところでしたが、昨日は撮らなかった。カメラを手許に持ってはみたけれど、撮らなかった。

まあまあ、迷っているわけで、どうしょうかなぁ、どうしょうかなぁ、そんなふうです。ぼくだってそうなんだよ、って言っていることにも、ある程度の作為が見えていて、自分を表現している一端になっていると自分は思っていたりして、自分の見られ方というのを意識しているんですね。誰に見られるんや、とゆうと、見てほしいと思う人がいて、その人たちに見てほしいと思っているんです。その、ぼくとゆう自分を見てほしいと思う人は、第二人称で<あなた><きみ><だれだれさん>とぼくの目の前に顔像が浮かんできています。

けっきょく写真を撮って、ブログやアルバムに掲載して、アクセス数の多さではなくて、誰々さん見てくれてますか、と問うてみて、見てほしいなぁ。つまりコミュニケーションの手段として、写真を掲載して、話題にして、知り合っていることを確認し、自分の気持ちの安定を図る。ぼくがいまブログやアルバムに写真を置き、文章を書き添えるというのは、そのような回路だと思っていて、多分にいま、最前線写真家、ごめん写真のありかただと思っているのです。で、このことじたいが、ほんとかなぁと懐疑的になり、迷うということに他ならない。そして、誰かぁ、一緒にやらへんかなぁ、見せっこしやへんか!なんて考えているんです。

自分とゆうことの研究
  2007.7.15

なんかここの枠組みの大筋が、自分と文化の批評ということを標榜しているので、それに則した文章にしんとあかんわいなぁと思えばおもうほど、文章が書きづらくなってきて、あんまし呆けてられへんなぁ、と思うことしきりです。とゆうのも、自分を研究するなんて、あるいは批評するなんて、そんなことして何になるの?なんてことにぶつかってしまうわけで、自分のことが迷宮入りになって、にっちもさっちも行かなくなって、どうしようもないんやなぁ。

そこで、ぼくは、それを打破するために、自分とは他者の中にあって、自分が発見できるんだ、と考えて、自分を位置づけるために、関係性という概念を導入しようとしているようにも思います。人間関係、人関係、ひとはなんらかの関係があります。遠い人と近い人、遠い人が近い人になってくる関係、それとは逆の関係、などで構成される関係性です。そりゃあ、まあ、いちばん近い関係はといえば家族だと思うし、家族のレベルでも濃淡があると思うし、友達とか、仕事関係だとか、いろいろなきっかけを介在させて、関係を成立させているのです。あとは、利害と無償なんてレベルで遠近を計ることもできると思うし、同好であるゆえの関係とゆうのもありだと思います。

自分を表現するというレベルで、表現が介在する関係を考えているわけですが、特に写真とかの制作物を介して、関係を持つ位置関係、なんだか言葉で示すのもむつかしいのですが、自分と他者との位置関係を明確にすることが必要なのかなぁ、そう思ったり、それを明確にすることもなくて、混沌のままがいい、そう思ったりしています。なに、写真という表現物を介して、なにをどう表現できるのか、果たして、自分とゆうことは、いったいどうゆうことなのだろう。ああ、難しい・・・。

1967年を思い出す
  2007.7.20

いま2007年だから、40年もまえのことになる。思い出しているのは、その頃のことです。というのも、昨日、歩いている途中に、いくつかの記憶がよみがえってきて、それを思い出して記録していくのもいいかなぁ、と思って、いまここに、このような書き出しで、始めたというわけです。ひとはいかにして行動するか、余った時間というか予定の無い時間に、何かをする、散歩するといったようなときの話しです。

最初の目的は、彼女と一緒に、大極殿址まで歩くつもりをしていたのです。大極殿址は、千本丸太町の西北にあり、現在は児童公園となっています。というのも今回、初めて訪ねてわかったことでした。うんうん、この近所へは何度も来ており、通過している場所でしたが、訪問は初めてです。興味がここにあって、足を伸ばしてみたいと思ったのには、春からの京都探索の思いのなかで出てきたものです。

標題の1967年というのは、大極殿址を訪ねて、それからの行程のなかで思い出されてきた事柄でした。大極殿址が千本丸太町で、そっから南下してJR二条駅まで行こうと思った。最近JR二条駅は再開発とやらで、光景が大きく変わってきています。そこにあるビルの一角にローソンがあって、そこで飲み物を買い、店内のカウンターに座って、飲んで安上がりの休憩となった。

あとの行程を羅列すれば、二条駅から三条商店街を歩いて、堀川通りへ出て、南下して四条通りを東へとり、最近目につくホーリーカフェでホットコーヒー休憩を取りました。そこにて相談した次なる行程は、四条烏丸から大丸へ行き、店内通過で錦へ行こうということで、いいえ目的地は、三条河原町角のむさしで、回転寿司をたべるため、そこに決めました。思い出は錦を出て、寺町通りを北上するあたりから、濃厚になってきて、40年前にあった喫茶店を探し出したわけです、嵯峨野。


  2007.7.31

7月末日といえば、夏真っ盛りといったところで、8月に突入してお盆までが、夏の感覚、イメージです。そんな今年の夏は、夏を写真に撮りたいとの想いがあって、しかし、夏のイメージってゆうても、町中で何をどのように撮ろうかなぁ、なんて思っているうちに夏真っ盛りといった感じです。うん、うん、今日は、朝一番に光を撮って、午前中に天満宮中心に千本通りへ、午後には今宮神社にいたるコースで、廬山寺通りを東へ大宮通りまで、そっから北上、大徳寺境内を通って今宮神社といったところです。

あしたから8月、撮影の方はどうするかなぁ、このまま続けるか、方向転換するか、まあ、思ってはいるけれど、当面は継続やろなぁ、なんて思っているところで、もっぱら撮影とアルバムつくりに明け暮れている感じです。たばこをやめて一ヶ月が過ぎたところですけど、まだまだたばこが懐かしい感じで、文章を書くとか、落ち着いて考えるとか、ちょっとできない感じなので、まあ、外出して写真撮影に専念しようとの気持ちもあるわけです。

町中で人物を中心に写真を撮っているところです。まあ、若い女性を中心とした被写体で、写真をコレクションしている、あるいは採集といってもいい手法です。子供の頃に昆虫採集とか植物採集とか、夏休みにやったじゃないですか。大人になって、もう屑箱に足を突っ込んでしまった今になっての採集は、けっきょくのところ若い女の子採集とゆうことで、破廉恥このうえない、えろおやじにしかすぎない、こうゆう気持ちがふつふつ湧いてきて、もうやめようかなぁ、と迷うわけです。平成の西鶴を目指して、なんて心に思っているってこともあって、どっちかゆうとアラーキーが近いかなぁ・・・。

今年のお盆
  2007.8.7

今日は8月7日です。最近は毎年、8月になるとお盆の写真撮影について考えます。今年は、7月の祇園祭巡行が終わった日以後、京都の夏の写真を撮ろうと思って、日々カメラを持って写しているところです。そうして、今日からお盆のお迎え行事が始まる京都です。午前中に、千本閻魔堂へ様子を見にいってみようと思っています。お盆の頃の京都を眺めるぼくは、それらの光景を夢幻舞台と呼んでいて、アルバムにしているとことです。1983年の夏に取材し、夢幻舞台というタイトルで、小冊子だけど自費出版したことがあります。3年前にその続編のようなかたちで、デジタルカメラを持って祭礼の現場へ行き、写真に撮ってアルバムにしています。

そんないきさつもあり、今年となっているわけです。六道の珍皇寺界隈へも行っておこうと思うのですが、そうやねぇ、今日の午後からでも行ってみようかなぁ、なんて思っています。で、こうして行事を追いかけて、写真にして、いったいそれがどうしたん??、なんて考えてしまうのもこの季節です。いつも考えてるといえば言えますけど、夏の今頃、つまりお盆の頃、あの世とこの世の交感時期のこととして、やっぱり年々、生と死について思ってしまう。つまり肉体の衰えを自覚してしまう、死に向かっている自分を思っているのです。

まあ、60歳を超えてしまって、世間では還暦、赤ちゃんに戻るなんてこともいうので、そこまでは戻れないけれど、若い自分に戻った感じで、若い頃には決してできなかったテーマで、写真撮影しています。女の子が主役になる写真群です。まあ、いまさら恥も外聞もないじゃないか、なんて思って死に際にいたって、えろじじいの様相を帯びてきたなぁ、なんて思うところです。とはいっても、撮って発表する写真には限界があるので、限界以下のところはどうするのか、という問題を抱えているところです。今現在の解決方法は、別人を作り上げているところで自分の中で整合性を保っているといえます。

夏のおわりに
  2007.8.30

今日は8月30日、もう暦ではとうに夏が終わっているのに、気分がなかなか切り替えられなくて、それでも月が替わるとなると、ひとつのけじめな気がして、いくつかの作業も終え、そうして始める準備をしている今日です。今日は雨、朝からしびしびと雨が降り出してきて、夏の風情は消えうせて、秋雨みたいな気分です。最近は、毎日、写真撮り歩きです。あんまり文章が書けない。このブログへも、今月は一回きりです。律儀なぼくは、もう一回、文章を書いて夏の終わりにしようと思っているところです。

9月から気分入れ替えてスタートしたい、と思っているけれど、なになにそんなに簡単に気分が切り替わるわけではないので、当分は、もたもた、こんな調子で、でも日々写真は、ちょっとお休みしようかな、とも思っています。なにせ取材対象が町角で、神社仏閣で、なにせ人を中心に捉えたいと思っていて、それがちょっときつくなってきた感じなので、自然体に任せようとも思っているのです。釜ヶ崎も白虎社も被写体となったのが人そのもの、その流れでいうと、ぼくの写真の被写体は人という流れが出てきて、この春以降、その現場を生み出してきた気がしています。

町角スナップという手法で、それが写真現場で有効なのか、それとも無効なのか、そんなことも考えながらの作業であって、表写真を撮っているけれど、インパクトないなぁ、とそんな思いもしているところです。

何のために・・・
  2007.9.7

写真を撮って、文章を書いて、そうしてこのうようなウエブサイトに発表しているわけですが、いったいこれは何のため、という疑問に当たっていて、明確な答えが見つからない。もちろんこのような問いかけが、明確な答えを見出せないということは、経験的に知っているわけで、ある種ナンセンスな問いかけなのですが、やっぱりこだわってしまうのです。

暇つぶし、なんて思いたくはないけれど、結局そんなものかも知れないな、と思うと感情的に迫ってくるのもがあります。金儲けのため、とか人を喜ばすため、とか理由があってこそ、その目的が、何のための<何>になるからいいけれど、そうではないとき、困ってしまうんです。

たとえば100年ほど前に、パリにおいて写真を撮っていたアッジェは、絵描きさんのための下絵つくりとして写真を撮っていたというし、アメリカのアンセル・アダムスは、ヨセミテ公園の自然を絵葉書のようにして売っていたというし、まあ、目的とすればそうゆうところかと思います。でも、そうではない立場にいるぼくとしては、何のために写真を撮ってるの、と質問したら明確な答えが返ってきないから、困ってしまうのです。

自分探し
  2007.9.19

けっきょく、自分という存在を確認しようと思って、あれこれ詮索しているんじゃないか、と思っていて、その具体的な行動が、いまやっている写真を撮る、そのことなんだと、いちおう結論つけて、ここから再び、論が始まるわけです。人生60年なんて言っていた時代の感覚でいえば、僕なんぞはもう寿命が終わっているわけで、別に意識しているわけではないけれど、やたらとあの世のことなどに関心がでてきて、そこへの橋渡しをしたいような気持ちになってきて、きっとこれは永遠の時間確保のための詮索にちがいないと思ってしまいます。

人の成熟というか年月の重ね方で、区切りということであれば、20年単位というのが、大きな区切りで、20歳まで、40歳まで、60歳まで、それぞれの20年間に変化していく人生です。60を越えてしまうと、そこはもう未知の世界で、やっぱり自分探しをしているんですね。けっきょく一生かかって、自分って何、なんてこと考えながら、結論でないままに、あの世へともっていくのかなぁ、とも思ったり・・・。ここで、すでにぼくの思考は、終着点を出発点にするループに入っていて、うんうん、エンドレスなんやと思おうとしていますねぇ。

最近の写真は、今様来迎図をイメージしています。夏の最中にそのイメージがわいてきて、それまで、どっちかゆうと地獄の方に目が向いていて、そのイメージを模索したりしていたけれど、来迎図なんです。自分を探しているその先にあるのが、そのイメージであるようにも思えてきて、これが60歳を越えた直近の自分です。そうして見れば、来迎図なんて、若いぴちぴち女模倣のかたまり図であるわけで、あの世が桃色であると思うことで、安らぎ嘆き、それがこの世との橋渡しだ、なんて思ったのでしょうね、きっと・・・。

フォトする
  2007.9.28

写真を撮るなんて言葉のニュアンスをイメージしているつもりが、いまどき<写真を撮る>なんて言葉、はやらないんじゃないかと、ふと思ってしまうのでした。そうしたら、いまどきなら、どうゆう言い方が妥当なんやろう、<フォトする>なんていい方が、コマーシャルであったような気がしていて、フォトする、そうですね、これがいいかも知れないですね。そこで、フォトする、って行為をひらべったくいえば、デジカメもってあちこちおもむくままにシャッターを切る。つまりフォトするわけです。

1976年ごろの話だから、すでに30年前のことですけど、ニコマートってカメラからニコンF2ってカメラに変えたころ、一眼レフ高級カメラを手に入れて、36枚撮りモノクロフィルムで撮りまくった。撮りまくったっていっても、普通は3本100カット強、10本撮って360カットですね。それだけ撮ると、あと処理が大変な労力、またはお金がいるんです。そんな時代の写真を撮った日々のことを思い出しながら、いま2007年。デジタルカメラの時代です。つい先日、2台目デジカメとしてキャノンのパワーショットA720って機種を買いました。1Gメモリーと充電式バッテリーをつけて¥39840でした。

なによりデジカメ、ランニングコストがいらないのは収入が極端に少ないぼくにとっては、すっごい救いで、毎日300~400カット、フィルムなら10本分前後を使うわけですから、処理お金に換算していったら、とてもやないけど、写真撮れへん、いいやフォトでけへん。それがデジカメで、あとの経費はほぼゼロです。そうゆう時代なんですね、いま・・・。あらためて、言い聞かせて、そうゆう時代だから、ね。だから、写真を撮るなんて表現は、もうやめてしまって、フォトする、なんてことがいいんだと思います。携帯電話カメラふくめ、だれもが日常的にカメラを持っている時代なわけですから、ね。

ふりだしに戻す
  2007.10.14

こどものころ、すごろく遊びをしていて、ふりだしに戻る、なんて枠にはまってしまって、最初に戻ってしまう羽目になってしまうことがありました。すごろくは、すごろくをふって出た数をゴールに向けて進めていく競争で、早くゴールに達した人が勝ちというわけでした。いまさら、そんなこどものころの出来事を思い出してしまうのは、人生さまざま、すごろくみたいなもんやなぁ、そう思ってしまうんです。ゴールを目指しても、どこがゴールなのか、進めば進むほどゴールが遠い感じがして、けっきょくゴールなんてなくて、からだ消滅がまっているところが、つまりすごろく遊びのゴールかなぁ、と妙に納得してしまって、むなしくて、いてもたってもいられない、そんなとき、どうしたらいいのかしら。

これまでに何度もふりだしに戻ろうと思って、それなりにふりだしに戻って、再出発感覚で日々をすすめてきたことがあります。日々、時間なんて単調に流れているものですけど、そこに自分流気持ちが入り込んで、強弱、前へ進む、後ろへ後退する、なんてイメージで物事の流れをつかもうとしています。そうこうしているいま、なんかしら、ふりだしに戻る、なんて言葉がふつふつと沸いてくるんです。どこまで戻ろうかしら、なんて、戻りようもない時間を、戻ろうとしている。で、もし戻れるとしても、これが最後の戻りだろうなぁ、とふっと思ってしまいます。

そんなこと、こんなこと、いろいろ思い、言葉をつらね、そうして単調な時間の流れを、起伏ある時間にしようとしているんですね。むなしいったらありゃしないですね。もっと個別具体的に書かないと、ちっともすっきりしないですけど、こうしてぐだぐだ、いらだたしいけど、文字を連ねて、何かしら意味ありげに作っている、そうゆうことをふりだしに戻したい、人生もうこれまでだよ!

京都の写真-1-
  2007.9.4

最近は毎日撮影に出かけていて、9月になって、ちょっと方向転換しようかな、と思いつつ、これまでの延長にあります。いま、9月4日午前11時過ぎです。さっきからパソコンの前に座って、入力しているところだけれど、撮影に出かけようか、どうしようかと迷っているところです。そうゆうことで言うと、ちょっと不本意な事態におちいっている感じもして、どっかで切り替えしないと・・・、と思っているんです。

もっぱら京都の町角と神社仏閣で取材、といっても自宅から歩いていける場所で、町をカメラを持って徘徊する。ちっちゃなデジカメだから、ポケットにも入るから、ちょっと散歩気分で出かけています。という気分はうそで、ほんとは作品作りということをかなり意識しているわけで、どうしたら作品となるのか、試行錯誤中という気分で、ちょっと息が詰まりだしたと感じているんです。

京都に生まれ育ったという事実をもって、いま、京都をキーワードに写真と文を綴っているわけですが、その形式と内容をどうするか、ということに悩んでいるんです。もとから学識なんてないから、印象的にというところだけど、なにか洗練されてないなぁ、中途半端やなぁ、突込みが足らんなぁ、とかとか、いろいろ思うわけです。写真も文章もある意味、とっても曖昧なもんだから、その曖昧さにほんろうされてる。そんな感じです。この文とて、ちっとも理屈になってない。

京都の写真-2-
  2007.10.8

春の終わりごろから夏を越えて、今、秋たけなわ、10月に入りました。桜が終わったあと、町角、神社と取材を続けてきて、アルバムを作ってきたところです。手法としては、スナップ手法で、被写体と関係を結ぶというより、被写体を斜め切りという感じで、あんまりほめた手法ではなくて、あんまり推奨できつ手法ではなくて、むしろ否定的にとらえてきた方法なのですが、それをやっていたわけです。

10月に入って、ちょっと気分的にもきつくなってきたスナップ手法で、取材対象も方向転換、とはいってもこれまで撮ってきたモノの中心が移動するだけで、目新しいスタンスで写真を撮るというのではないのです。痕跡シリーズ、京都シリーズ、はな物語、いくつかのグルーピングで写真をまとめているところですが、再び痕跡シリーズのほうへと向いてきている感じです。

空と海と地から始まる痕跡シリーズも1年を過ぎて、撮られるものが静だから、あんまり面白くないんですけれど、いったんそこに戻って、再構築しようと、言葉上は思うわけです。一方で、京都シリーズをHPに作りこむ準備も進めているところです。なんのために・・・なんて考えだすと詰まってしまうので、なるべく考えないようにして、ふうらふうら、風の赴くままに、なんて思ったりして、でも、なかなか、そうゆうふうにはいきませんけど・・・。

京都の写真-3-
  2007.11.22

京都の写真を撮って<京都>と題したアルバム、写真集を作り出しています。10月から始めて、50日ほど経ったところです。この京都の写真集について、若干、思いについて記しておきたいと思います。

この写真集の特色は、作者が生まれ育った場所を、60歳を越えて、カメラを持って徘徊するという筋書きです。旅行者でもなく、外から京都へやってきたカメラマンでもなく、生粋京都人、とはいえ知識とか経験には相当な偏在がみられる個人の徘徊録とでもいえます。

特に子供のころの記憶を元に、地場を徘徊しながら、いまある姿を羅列していく手法です。取り立ててフォトジェニック、写真的写真ではなくて、徘徊のレベルで、撮っています。遠近については、視覚に準じるレベルを、角度については、立ち位置正面から、そうゆうことを念頭において、撮っています。

大きくは、神社仏閣の囲みある<聖域>と市井のありよう<俗域>に分類し、通り名を区切りとして、マトリクスのなかを埋めていく作業です。

地域的には、作者が幼年から少年期に生活環境としてあった場所を中心としているから、かなり狭い範囲に限定されています。これは、個人史のレベルで、有効な手法だと思います。

1969年の記憶
  2007.10.21

今朝、目覚めたときに思い起こされてきたのが、今日の日付、10月21日であることでした。どうした弾みか、その次に思い起こされてきたのが、国際反戦デー、あれは1969年の10月21日・・・・。と思いもかけなかった記憶がよみがえってきて、いま、ここにそのよみがえってきたことを記しているわけです。

1969年という年は、ぼく自身にとって、ある種、記念すべき年であって、人生に転機をもたらす前兆としてあったようにも考えています。ええ、記録によれば、東京の新宿が学生デモ隊で封鎖された、あの過激時代の最後の集団的出来事だったようです。ぼくはその日を最後に、京都へ帰ろうと思っていたし、そうして参加したデモ隊はベ平連の隊列でした。いま、そのときの像がよみがえってきていますけど、詳細を記すための言葉をつむぎだす気はありません。

突然に現れた記憶、そうして記憶の像、あれからおよそ40年近く経過する日々のいま、記憶をよみがえらせてみたところで、それはノスタルジーにしか過ぎないようにも思われます。とはいえ、その記憶と全く無縁かといえば、そうでもなくて、写真史講義の1コマに1968年問題を取り上げているから、問題意識ではあるのです。でも、もう歴史のなかに埋もれてしまった出来事で、いまさら思い出してみてもどうしょうもない感じです。

日々過ぎるの早し
  2007.11.5

一日が24時間とはいえ、この単位が早くも遅くも思えるのは、思う主体の側の問題で、ぼくの場合など、いま、一日がほんと、あっという間、とでもいえそうな感じで、過ぎ去っていきます。そんな感じです。11月5日というのが今日の日付です。ここ、毎日写真を撮っていて、かなりのスピードで進めていて、京都の写真集を作ろうと、HP内に「フォトギャラリー<京都>」とぴうページを設けたのが10月1日で、それから1ヶ月少しが過ぎた。ここ数年の写真撮影の流れで、京都にこだわりだして、京都を撮りだして、まあ、町中と神社仏閣内でのスナップ写真だけど、いろいろな思惑で、撮り、アップしているところです。

9月13日に新しいカメラにして、それから先日、1万コマをこえた。思うに、フィルムカメラで撮っていたころ、処理に一週間かかっていたのが、いまや一日です。撮影に行って、帰ってきて、パソコンにつないでアップして、それから一回目のセレクトをして、ストックしてきます。フィルムだと5日から一週間かけていた時間が、一日とはいわづ、数時間です。つまり、時間に関して得をしているのか、せきたてられているのか、それはわかりませんけど、日々過ぎるの早し、と思わざるをえないのです。

なになに、年取ると、だれでも、時間が飛んでいくんだっていいますね。たぶんにもれず、ぼくもそうなのだとおもっています。

京都の写真-4-
  2007.12.1

今日もまた、京都の写真を撮りに、出かけています。京都で撮った写真は、全て京都の写真だ、などとの傲慢なことはいいません。それなりにセレクトしているわけで、おおむねスナップショット形式の撮り方だから、どうも十分な構図にならないし、露出もなかなかばっちりとはいかないところです。最近は、捨てることにも慣れてきて、とはいえ微妙に、その日その日で選択の許容幅が違ってきます。気分による、そんなところです。

さて、きょうはもう12月1日です。今日の撮影経路は、鷹ヶ峰の光悦寺へ行くのを目的として、金閣寺経由今宮経由で、鷹ヶ峰まで行き、常照寺から光悦寺へ、でも、中へは入らずに、お金を払っての拝観をせずに、数枚写真に撮って、それで千束へ降り、しょうざん、鏡石経由で、帰ってきたというところす。440カット、そこから66カットを選び、サイズ処理したところです。

京都の撮影にあたっては、思うこと多々あるけれど、なるべく写真に没頭しようと思っています。どうも言葉がつむぎ出せない。そうして、京都は理屈ではなく、感じるレベルで、つくりたいなぁとおもうけど、やっぱり理屈抜きでは京都をテーマにできないのかも、と思って、どっちなんや。つまり迷っているわけですね。

今年もあと少し
  2007.12.19

今日は12月19日、西暦2007年もあとわずか、暦が2008年になり、あたらしい年を迎える。こんなこと考え、記事にするのも、昨日、今宮神社へ取材にいって、神社暦って冊子の表紙をみて、そこに三つの年号が書かれてあって、写真に撮って、それを載せますけど、ぼくは日常的に西暦を使っていて、平成何年なんてあんまり言わないんですけど、その神社暦にはもうひとつの年号が書かれてあります。皇紀なんて表記です。まあ、こんなことは無視したらいいようなもんの、わざわざ、ここにこうして文章にしている、つまり話題にしているわけです。

昨年から始めて、今年の春から意識的に<京都>を取材しだして、最近は<フォトギャラリー京都>というアルバム、写真集を作りつつあって、どっぷりぼくは、京都イメージ作りに精力を注いでいるように思っています。そんななかで、京都のイメージを代表する(と思っている)神社仏閣のイメージを、どう捉えたらええのやろう、と思いめぐらせ、そこに天皇制というイメージが、ぼくなりにちらついているんです。いいわるいは別にして、と棚にあげておいて、そうゆうなかで<皇紀>という暦の読み方がある、印刷物に載せられている、つまり現役なんですね、この暦・・・。

まもなく西暦2008年です。ぼくは現在、満61歳で、来年4月の誕生日には62歳。生きてきた年月を満年齢で測るのが日常ですが、そういえば神社で厄年の暦があって、それなんかは満年齢ではなくて、数え年齢ですね。ぼくの生まれは1946年で、戦後教育ということだったのでしょうか、いまここに書いている内容は学校では教わっていないと思いますけど、巷では、いまもって存在している文化現象です。そのように捉えています。

今年は2008年
  2008.1.22

もう今年といえるようになって三週間、1月22日が今日の日付、2008年です。あれよあれよと思う間に、年月が過ぎてしまいます。なんてったって還暦を過ぎてしまったわけですから、毎日を有意義に過ごさないとだめだと思います。そんな気持ちばっかりがあせって、いっこうにモノになっていかないから、ちょっとゆっくり着実にしていかないとあかんなぁ、そんな気持ちでおります。

ここもお休みにしようかな、とも思っています。つまり、ここに書いていても、反応がない、反応がわからない。もちろんほかのブログにしても、反応はほとんどありませんけど、閲覧者の数くらいはつかめます。ここは、それにも及ばないようで、ちょっと興味が薄れているのです。

それだけではなくて、文章を書くということがもどかしい気持ちになってきて、写真をアップしています。イージーやなぁ、つくづく思います。書くことには時間が必要で、そのテンポがつかめなくなってきて、ああ、イージーやなぁ、写真を撮って、写真をアップして、それの羅列、つまり写真集をつくって、自己満足してるってことです。つまり、反応がない、むなしいけど、ね。
(終わり)


光の玉手箱(12)2006.10~
むくむく叢書のご案内
日々2006.12.16~2007.3.22

120kyoto1401200022

日々-1- 2006.12.16

日々淡々と過ぎ去っていきます。ふっとカメラをもって散歩に出かけます。通りすがりの光景をカメラに収めます。何のこともない、淡々、目の前にある光景をカメラに収めます。このようなコンセプトで撮られる写真とゆうのは、けっして新しい手法ではなくて、ステーグリッツがすでに100年も前にやっていることだし、ボクがカメラを持つようになった30年前にも、盛んに行われた手法です。

日々淡々。毎日が大きな起伏もなく、いわばフラットな時間が流れていきます。でも、ふっと想い起こしてみると、世には深さがあり、深さは意味をもち、その意味を探ることで写真作業が行われる。視覚というのも、カメラはまさに目そのものですから、脳裏に焼きつけるように写真に焼きつける。日々淡々ですから通りすがりの光景など、意識の内にも残らない。残らないほどたわいな出来事が、目の前に起こっている。

写真には意味があります。光景を写真にするとは、光景に意味をつける作業です。日々淡々と流れる時間のなかにあって、目の前を通過する光景は、さほどの意味もないのです。意味のないものを写真にして、意味を見出そうとしても意味あるわけではありません。そうですね、意味を持たないとゆう意味を持たせようとしている、日々、なのかも知れません。

日々-2- 2006.12.18

写真は、見てしまった光景を、記憶しておく装置だと思います。そこでは、見る&見てしまった、ということが、注目されるべきことだと考えています。<見る>とは目に映る光景の全体を関連付けて、認識、理解することだとしておきましょう。<見てしまった>というイメージには、偶然にも遭遇してしまった、という偶然性を彷彿させてきます。

ああ、ちょっと論理っぽくなってきたので、続けようかやめようかと思いながら、書き出したんだから、続けちゃえ、なんて思って続けますけど、見るとは、見ようとする意思があるんですよね。だから<見る>意思をもって、見ようとして、<見てしまった>光景というのが、写真の画面に再現された現場、このようにいえると思います。

<見えない>ものを<見える>ようにするのが写真作業だ、という考え方があります。この場合の<見えない>ものというのは、目に映る光景の背後にある意味のことで、いわば因果関係のことです。その因果関係を探った結果として写真の画面として再現される。ここに写真の意味がある。なんてこと言ってしまうボクがここにいます。 

日々-3- 2006.12.20

網膜に映る光景とは、関係があるような無いような、写真はファインダーを覗くかぎり、網膜に映った光景です。関係があるような、というのはボクの記憶の何かがショートして、火花が散ります。そんなに強いものではなければ、線香花火のお終いの、あの柳のひと筋あたりですけど、まあ、何か感じてるわけだとしておきましょう。

でも、よくよく考えてみるまでもなく、それらの光景は、むしろ無関係な光景なのだと思ってしまいます。目の前にある、肉眼で見る、リアルな光景だとは思います。テレビの画面に映し出される遠い国の光景が、目の前の光景よりも近場に感じるけれど、それはヴァーチャルな光景です。リアルであれ、ヴァーチャルであれ、心が動くことで自分を確認しているのだとすれば、そうゆう時代が現在なのでしょう。

この写真と文章を、誰かがみてくれ読んでくれる、その誰かとゆうのは、ぼくにはわからない。ここはヴァーチャル領域で、リアルではなくて、ヴァーチャルです。仮想空間なのです、といえば、じゃあ、街角の光景はリアルなのか、ぼくにはもう、どちらもヴァーチャルであり、リアルであるような、そういう錯誤に陥ってしまっているようなのです。いったい、ぼくは誰で、きみは誰なのだね。

日々-4- 2006.12.21

この写真を見てなにを感じるかは見た人それぞれに違うと思います。写真を、思わせぶりに撮る。これは樹木の幹です。樹木の幹なんだけれども、ぼくはこの写真から、写実された樹木の幹を超えて、あるいは背後にある、何かを言おうとしている。

いいえ、別に、この写真について、この被写体について、明確な背後の思いがあるわけではありません。明確に、ではないけれど、じつはあるんです。あるはずなんです。それが<見えない>のです。見えないけれど、樹木の幹であることは、判ると思います。

写真作業は、抽象概念で語られる<見えない>中身を、具体的な図象をつらねて<見える>ようにすることだ、なんてことはいいません、いいえ、いいます。でも、これって、ほんとにそんなことできるんやろか、いやいや、そんなことしなくったって、写真を見て、ワクワク、ドキドキしたら、その写真は価値があるんとちがう?、なんて思ったりもして、未整理、未分化、未消化、浮遊してたらええのんや! 

日々-5- 2006.12.24

あんまり面白くもない写真を掲載することには憚る気持ちもあるので、どうしようかと迷いながら、この写真を日々の一枚に加えたわけだけれど、写真として優れているわけでもないし、その日12月23日の朝、テレビを見ていたら今天皇の誕生日だということで、お顔が映っていて何度も聞きなれたお声がスピーカーからながれ出ていて、ある特別な日なんだ、と思ったのでした。午後三時まえになって、前日の残り寿司飯と、お揚げと千切りネギを一緒にフライパンで焼いてあったおかずで、遅めのお昼ごはんを食べて、カメラを持って散歩がてらに、今日の目的は、まだ未訪問のそこを探索しにいくことでした。

デシタルカメラをポケットに入れて、目的地までシャッターを切らずに、赴いたのでした。目印の小松原児童公園のそばを通って、華道の小松原流家元さんのおうちを初めて見て、その道路の反対側が、目的地の裏側になっていて、腰高ほどの石垣をぐるっとまわって、南に向いた表へ出たというわけで、立ち入り禁止の看板はでていなくて、みだりにたちいらないこと、という看板だけだったので、まあ、でも、ちょっと膝を折り気味で、起立でもなく座るでもなく、カメラを向けて入っていって、写真に収めたのでした。

なにも信仰心がそうさせているのではないと思っているのですけど、京都文化をテーマに研究みたいなことをやっていこうと思っていて、その文化の源泉がその系図にあるように思えていて、でもさ、写真ってそのときの光景しか撮れないわけだから、現場に立って撮っていくわけだけれど、これは表象で、あとは何時の間にか培われてしまった意識の分別で、それらしい光景を撮り、それらしい文章を連ねて、立体意識化しようとの目的をもっているわけです。

日々-6- 2006.12.29

いつものように朝がきて、外をみると雪が舞っていて、それはこの冬最初の雪でした。雪が降ることが比較的少ない京都にいて、雪が降る光景に出くわすことは、少しワクワク気分になります。いつものように歯を磨き顔を洗って朝食の準備にはいります。コーヒーを四杯分セットして、手作りパンにシュレッドチーズをのせてトースターへ入れて、リンゴとニンジンとレモンのフレッシュジュースを作って、彼女はカフェオレ、ぼくはブラックのままだけど、自家製ヨーグルトにミルクをまぜて、飲むヨーグルトにして、金柑甘露煮1個を食べました。

日々淡々、繰り返し、繰り返し、雪止まず、昼下がりに、カメラをポケットにしまいこみ、傘をさして、煙草を買いに家を出て、道草食うように行きなれた児童公園へはいって写真を撮り、ぐるっとまわって煙草の自販機前に立ち、煙草を買い求めて帰り道、いつものようにいつもの場所で、今日はカメラを持っているから写真を撮ります。中学三年の夏休み、初めてアルバイトをした八百屋があった衣笠市場が懐かしくって、それに寺の内通りの起点となる橋があって、橋の向うは洛中で、立った位置は洛外で、洛中洛外を分ける紙屋川です。

半世紀以上もこの場所から、この光景を見続けてきたぼくは、なんの不思議もなく違和感もなく、いいえ、そうではなくて、この場所にいることが不思議なのであり、いつも違和感を覚えるぼくがいるのです。もうそのときには雪も止んでいて、薄日が射す空となり、師走の道を人が通り過ぎていくのでした。

日々-7- 2007.1.5

ここ数年、毎年大晦日には除夜の鐘を突きにいっています。この大晦日には、その前の大晦日と同様に、けっきょくは閻魔堂の鐘を突きました。年末年始だからといって、特別には扱わないでおこうと思う気持ちが強いのだけれど、世の中がこの日を区切っているから、それに便乗している、いいえ、気分的には、させられているといった感じです。

でもね、そうゆう気持ちとは裏腹に、日々を過ごしていくということは、晴れの日を作らないとやっていかれへんのやなぁ、とも思います。日々淡々なんていいながら、日々淡々ではなくて、どろどろ、泥まみれの心があって、それを浄化させるためのセレモニー、晴れの日。お正月とゆうのは、その年最初の晴れの日なのです。

京都に生まれて、京都に育って、目線は東京とか大阪とか、大都会の方へ向いていたけれど、けっきょくは生まれ育った地場である京都を意識して、日々生きていこうと思っているところです。でも、なあ、只の生活者にしかすぎないとしても、只の生活者では満足でけへんなぁ。そこで、再びカメラを持ち、パソコンを使って文章を書き、あわよくば京都人が語る京都の本質、みたいな物語を作っていて、それに自分を乗せようと思っているのです。

記録者自らが地場を記録することで記録が成立する。言い方はいろいろあるけれど、民俗学者の柳田国男せんせいが、理想たる記録の方法として論じているのを、写真家東松照明さんと交情があったころ、1980年代の初めに知って、それから四半世紀が経って、いまぼくの制作の方法論として、ベースにおいているところなのです。これは論なのであって、その論に従っていこうと思っているわけで、そこに情の源泉をみいだせれば、ぼくはきっとハッピーなわけです。そうゆう死に際をも想定している昨今です。

日々-8- 2007.1.11

かって賑わった町が、時代とともに衰退していくとゆうのはよくある話で、半世紀という時間軸は、それを見てきた者にとって、ノスタルジックな、つまり感傷的な情緒をともなって、小さな旅へと誘ってくれているようです。まま生まれ育った町を、カメラを持って歩いていて、よみがえってくるのは、かってそこにあったぼく自身がいた光景です。

そうゆうことでいえば、千本今出川界隈とゆうのは、ぼくの生活空間ではなかったけれど、映画館とか飲食店とかパチンコ店とか、月に一回か二回、親に連れられ、叔母さんに連れられ、つまり大人の遊び場として垣間見てきた街でした。高校生になったそのころ、三島由紀夫の金閣寺を読み、舞台が京都であり、確か主人公が包丁だったかを買う店が通りの角にあって、その店先を見るたびに、その小説を思い出す。それよりなにより、そのころ陰惨な気分だったぼくが週に一遍、日曜日、アルバイトしていた寿司屋があって、いわば十代半ばの思い出がよみがえる場所でもあります。

寿司寅と看板された空間、その家の中での光景がよみがえってきて、その日々の人の顔がよみがえってきて、まったく縁の無い関係から、しだいに関係していくストーリーが出来上がっていくのです。たまたまお店の張り紙、アルバイト募集を見て、戸を開けたんだけれど、その戸を開けたのは偶然ではなくて、ストーリーがあったことが、思い出されてきます。大将の嫁さんがタエコの母親の妹で、寿司を握っている筆頭使用人がタエコの父親で、タエコは三人姉妹の真ん中で、クラスは違ったけれど中学の同級生で、いつのまにか友だちを少し越えたような関係になって、中学卒業と同時に関係が終わって、かれこれ半年過ぎたころ、張り紙に応募したというわけです。

タエコが水事故でいなくなったのが何時だったか、葬儀にはいかなかったけれど、という記憶だけで推測するとタエコの死は18を越えたころだったのかも知れない。うん、ちょこっと話をすれば、偶然にだったけれど、はじめて手を握った女の子なんです。ぽちゃぽちゃ、あったかい、やわらかい、いま思い出しているわけで、握ってしまって二人がバツ悪そうに動作が止まって、それは数秒間だったように思い出します、中学三年でした。ウンウン、季節は夏です、薄手のワンピースでシャツもブラも着けてなかったなぁタエコ。記憶は糸を引くように思い出されては消えていきます。<思い出は狩りの角笛、風のなかに音は消えゆく>だったか、こんな詩句までも思い出してしまった2007.1.11-AM10:12-。

日々-9- 2007.1.12

あんまりロングショットの写真は好まないんですが、といいながらよく使ってますけど、写真には説明不要、イメージで追いかける写真と、説明して納得できる写真があるんだと解釈して、ちょっと説明していくと、向うに見えるのは比叡山です。撮影のポジションは、建勲神社の正面上り口途中です。建勲神社の正面から石段を昇っていって、途中で振り返ると、こうゆう光景が目にできたわけです。

だれやねん、比叡山焼き討ちした武将、たしか織田信長とか、ええ、この建勲神社は織田信長を奉る神社なのです。それもこの神社、明治天皇の命により奉ったとあるから、歴史は新しい。ただし、神社がある場所は、船岡山の東側斜面です。船岡山は京都の基点となるポイントです。平安京造営のとき、このポイントを基点にして、真南に大極殿を造営したようです。比叡山が聖地となるのは、平安京造営後だから、船岡山界隈の歴史のほうが古いんですね。

船岡山の少し北に今宮神社、少し東に玄武神社があります。大極殿の北方位、玄武方位にあたる界隈です。京都の鬼門であり疫病は鬼門からやってくるから、鬼門に神社を置く、まあ、いわゆる神頼みってことですね。なんでいま、こんなこと考えて書いてるんやねん、自分に聞いているんですけど、年とともに方位とか距離とか、つまり人間の遠近法感覚に興味をもちだしていて、いろいろ詮索していくと、どうもこの船岡山というポイントが、推論ですけど、日本文化の基軸・基点であるように思えているのです。そうゆう場所に、建勲神社が造営されたとゆうこと、天皇は一等地に奉ることを許したわけですね。

いや、ね、ぼくの思いではね、信長が存命しておれば、戦国の世に、いわゆる共和制国家への萌芽があったかも知れないなぁ、と思ったりしてしまうのです。まあ、四百数十年まえのことだから、だれも推論するしかないんだけれど、なんかの因縁やなぁ、信長が築城した安土にて、塾を主宰しだしたこととか、なにか因縁めいた迷信を作っているようですね。それと、方位とか距離へのイメージは、今日の場合だと具体的な地理的距離を指していますけど、高天が原とか浄土とか、そうゆう世界が想像されたヒトの心に興味もあったりして、現実と夢幻をごっちゃにして、近代遠近法を越えられるかなぁ、超えちゃいたいなぁ、天の浮橋を昇りだしているのかなぁ、それとも黄泉の国へ・・・。

日々-10- 2007.1.18

散歩にでかけるとき、玄関を出て、東西南北、どっちへ行こうかと迷うことがままあります。歩くというのは前へ進むことで、前へ進むとゆうことは、東西南北、方向が決まるということで、ところが歩ける道はすでに作られていて、それの選択とゆうことになります。この日(2007.1.16)は、自宅から西へ向かって西大路まで歩き、そっから北へと歩いていくのでした。到達する目的地は決まっていて、ちょっと遠回りして行こうかと、道すがらの光景を写真にしながら、北上するのでした。

大文字山が見える。電線が邪魔やなぁ、ある種写真制作的発想で、そう思ってしまうわけだけれど、いっぽうでそうやないやろ、あるもんはあるんやから、いっしょに写しこんでしまえ、それでええんや、なんて妙に納得しながらシャッターをきるのでした。そういえばこの光景、この場所から何時こんな風に見えるようになったんやろ、かって農林年金会館という施設があって、いまは金閣寺の駐車場になっているんやね。

大文字山は言わずもがな年に1回、8月16日の夜にデビューします。そのお山へ登った記憶は小学生のころ、中学生になると衣笠山へ登ったんや。大文字山界隈は、子供のころの遊び場でした。なにやって遊んでたんやろ、チャンバラ、探検隊、ぼくらは少年探偵団、大文字山から奥の方へいくと洞穴があって、それは自然の洞穴ではなくて、採掘の跡やった。洞穴の中へ入ることは恐怖に満ちた未知の体験やったなぁ。

光景を見るたびに、見るといってもかなり意識して見るたびに、思い出が通り過ぎていきます。ふるさとは遠きにありておもふもの、犀星の詩句ですね、ふるさとは近くにありておもふもの、ノマド的発想ではなくて地場に住み着いたぼくのこころは、いかがなものか。生まれ育った場所にて、散歩の道すがら写真を撮るとゆう行為。これぞ最新、あたらしい方法論、てなぐわいに想ってみたりもしながら、ぶつぶつ自問のお散歩なのでした。

日々-11- 2007.3.20

月に一回、この頃に郵便局、銀行、信用金庫と金融機関をはしごします。とゆうのも、公共料金やらクレジットやら、金融機関引き落としを利用しているから、現ナマを追加しておかなければならないから、西大路の金閣寺からわら天神にいたる東側を、一巡するわけです。

今日の一巡には、カメラがポケットに仕舞われていて、ぶらぶらお散歩とは違う、目的外出と平行して写真を撮ったというわけです。いつものように、ストリートを撮ります。肖像権ってのがあって、本人了解、なんてことは、ううん、無視無視。街角風景の一部なんやから、そんでええやん、なんて思いながら、ひとがはいるとスリリングな気分を味わうわけです。

写真には、覗き見的要素がある、そのスリリングさを、味わうってことですね。いいのかわるいのかしらないけれど、多少の後ろめたさの気持ちもあって、そしらぬ顔して撮っているわけです。イージーなもんやなぁ、自分でもそう思っているわけで、写真としての価値どうこう以前に、まあ、スリリングやなぁ、と思っている、ささやかなたのしみ&はじかみ、若返ったような気分です。

日々-12- 2007.3.22

昨日は春分の日、東山花灯路イベントに、観光客気分でいってきました。観光客っていう気分は、京都の表の顔にふれることができると思っていて、観光客が京都へ来たときに見るお土産屋さんとか、神社とか、お寺とか、その表面をみる気分です。祇園までバスで行って、そこから八坂神社の境内を通って東門、ううんまだ明るかったから、人の数は少なかった。何年か前に訪れたことがあるのですが、あんまり明確な記憶がないまま、カメラをポケットに仕舞いこんだまま、彼女と一緒に散策でした。

これは最近の、京都の観光イベントだから、それほどの思い入れもないので、写真を撮るのはもっぱら人が群がる光景に向いていきます。人恋しいんやなぁ。この世の見納め、なんてゆうほど深刻ではないけれど、最近、目の前に現れる光景には、何を見ても美しさを感じる。美しさといったけれど、表記の言葉が見つからないから、その一言に集約したけれど、まあ、人を見たり、明るいお店を見たり、これはわくわく気分です。

お祭り気分、祝祭気分、晴れの場、明るい、うれしい・・・。理屈やなくて気分なんです。気に入った写真をアップしているわけだけれど、これは自分のためにあるのであって、つまり自己満足、それだけです。といいながら、ブログに載せて、見せているわけですけど、まあ、いっか、かなりイージーな気分です。

<日々>終わり


光の玉手箱(11)2006.10~
むくむく叢書のご案内

文化&芸術批評
2006.10.9
_20180905_144853
ここの枠組みの標題が文化&芸術批評となっているもんだから、書くことを躊躇してしまうんですね。ええ、外見のことを論じ語ることへの興醒めといった感じでしょうか。世の中の、世に中のあり方に対して、違和感を感じているんです。世の中のあり方に対して、なんてちっとも具体的でないのだけれど、この具体的でない事柄を具体化させていくことが、この枠組みの目的でもあるわけで、なんて思うと、もう絶句状態におちいってしまうのです。

こんなことを言ってることは、ちっとも生産的でない、と俗にゆわれているそのこと自体なんだと思うけれど、この思うことの根拠を明らかにしていきたいとの欲求が起こってきているわけです。まさに堂々巡り、下降のスパイラル状態だと、自分で言ってしまいたいほどです。

批評という行為が、ボクの外にあることを、外に向けて、クリアーな区分をしていくことだと考えているけれど、いまぼくが立っている処は、この外にあることを外に向けることへの懐疑だと思っているようなのです。外にあることを内に向けて、という方向が妥当なような気がしていて、この内に向けていくことが、批評ではなくて、文化&芸術の作り手、つまり批評家ではなくて作家の立場のようにも思えているのです。

ああ、なんてナンセンスなことを、いま書いてるんだろうという思いと、この混乱状態を整理しているんだ、という思いとが交錯して、いまぼくはここにいる。

空と海と地
2006.10.18

ここは文化と写真の批評空間として設定している枠ですけれど、ぼく自身の進んできている方向が、ちょっと混沌しだして、出口が見えてきて、入り口が見えてきたように思います。
テーマは「存在」、つまり「ある」ということ。そう思って初原の光景を想定したところ、どうも存在の原形は、空と海と地、その表面、皮膚、そこらへんにありそうだと思って、それで「空と海と地」の表面、皮膚を撮りだしました。
もうひとつは「痕跡」、つまり印です。足跡、過ぎ去るもの、これは時間の流れという概念に基づいているわけで、ここにはぼくの意識があります。

たしかに写真の被写体が多岐にわたり、姿あるものがそれなりに撮られてきたわけだけれど、ぼくの想いは原点回帰だと思っています。その背後にかいま見える光景は、生命ということです。生命体、有機体、命、生と死、たぶんこれが原点であって、この上に文化・文明といった枠組みが組成されてくる。一方で内面の感情についての興味もあり、二本立て二方向のテーマにそって、写真と文章を連ねていこうかしら、と思うところです。

生きているということ、意識をもっているということ、そのうえに組み立てられた様々な意匠がぼくのなかに広がっているようです。地面に立って、上を見上げれば空があり、真横を見れば海があり、下を向いたら地面があった。まあ、ぼくが二足で立ったその位置から、見えるもの、それをその時々に、記憶のための装置としてカメラを持とうと思うところです。


2006.11.5

このまえに<海と空と地>なんて区分したところですけど、<葉>を追加して、いま四つの枠というか、四つの形に区分したところです。ぼくがいま、ここで形という概念にこだわるのは、そのなかに身体という形を垣間見てるからです。
海と空と地の延長線上に、苔がり、木々があり、木々に葉があるわけです。ここでは地表の現象を現しているものを形という括りで、記述していこうと思っているんです。

という思考でいくと、次には花という括りがでてくるのですけど、これはもうちょっと後にします。ええ、苔も葉も花も生命体ではあるけれど、植物という類です。そののちに動物という類を考えていて、ヒトという枠を考えていて、♂♀という分類を考えていて、というように、全体として、ボクという形にこだわろうとしているのです。
ボクは、いずれ消えゆく身体ということを知っていて、消えゆくということに対して、どう対処し準備していくのか、という思いがあり、まあ、それまでの日々をちょっと暇潰ししていこうと思っているわけです。

今の時代ってゆうのは、自分の思ったことを書いて、ええ、いまここに書いているシステムです。送信すれば、それで人目にふれてしまうのです。なんという時代なんだろう、って思います。そういう時代を批評するというより、自分の日記を、他人が見るという前提で、ここにこうして書いていく。時代環境が変わってしまいました。メディアの激変だと思っていて、これを活用して、ボク自身を公開して残していこうと思っているんです。

ボク自身の全てを公開していこうと思っているなかで、まだまだ触れられないことがあります。面識あるヒトにはリアルなボクを想い起こしていただけるけれど、面識のないヒトには、ここの枠自体は匿名と同質なものです。面識あるヒトに、どこまでを公開するのか、という問題ですね。ええ、人間としての木の、ボクは葉の一枚としてあるわけですけれど、自分を公開するということに、やっぱり面食らっているのかも知れません。

世界に構造を
2006.11.23

夏のころから、ぼくの頭のなかで、世界の構造の部分部分を写真に撮って、アルバムを作ろうとの思いが生じてきています。ぼくが生きてきた環境を想うなかで、環境を構成しているモノについての想いです。最初に天と地が分離したそのふたつに<空と海>があり、その後<海と陸地>が生じてきて、そういう環境に生命が生成されてくるというイメージです。いいえ、ぼくが描いたイメージというよりも、科学的根拠をもって解説された書を読み、ぼくのイメージが広がってきたにすぎないものです。

<空と海と地>この三つが、生命を育ませるための器です。そこで、ぼくの被写体が、決まってきたというわけです。空、海、地の三つです。それから、生命を持った被写体として、ぼくは植物を置いています。苔、葉、花、ぼくのアルバムがこうして出来上がってきたわけです。このようにして構造化すると、次の枠組みは<動物>ということになります。でも、これはまだ、未着手です。

写真に撮るということは、ぼくがその場にいることを前提とします。この根拠を崩さないで、写真を撮り、写真を作ろうと思っています。カメラは、キャノンのデジタルカメラ、パワーショット500です。3年前に購入したカメラだから、今ならもう少し精度が向上しているおかも知れない。でも、当分はこのカメラで撮って、パソコンのハードデスクに保存し、縮小はするけれど、その他の画像処理加工はしないでおきます。今のカメラで撮った写真として、それでいいと思っているのです。

海のむこうに
2006.12.3

海の写真を撮ろうと思って、この9月から定点観測的に海を撮りだしました。撮影場所は越前海岸です。京都からゆうと越前岬の手前10キロ前後のポイントです。カメラを向ける方角は、そこからおおむね北西です。海岸沿いに設えられた道路脇のちょっと高台になったポイントです。

地球は丸いから、そこから見える最遠は水平線です。現代史を少しは齧ったことがあるボクは、かって内灘の海岸に興味をもっていました。つまり目の前に広がる海は「日本海」と名称された海です。その海のむこうに陸があって、その陸は朝鮮半島です。きな臭い話だけれど、能登半島の根っ子の内灘から、ボクがいま選んだ越前岬までのラインは、軍事的要所として北西を見ることになります。

その海の向こうに向けて、ボクはカメラを向けています。ちょうど写真に撮られた海の真ん中あたりが北緯38度あたりではないかと認識しています。この目の前に広がる日本海の生成は、1700万年から2000万年前ごろだといいます。ボクは、この長大な時間への想いとともに、現代史のある側面を連想させるのです。

この写真が意味をもつのは、ボク自身においてです。1970年代の中頃にカメラを持って、家族以外に最初に撮った写真が、内灘砂丘の海岸へ、家族で海水浴に行ったときでした。当時にはまだ試射場当時の弾薬庫跡が残っていて、それを何コマか撮ったのです。やがて1980年に「映像情報」を発刊しますが、その表紙写真に、そのとき撮った写真を採用しています。

そんなこんなでこの40年間、ボクが何かしらこだわってしまい、事あるごとによみがえってくる場所なわけです。今年9月から撮りだした海の写真は、そのポイントに立つとき、ボク自身の記憶をよみがえらせるのです。いまさら現代史の問題にアタッチメントしようとは想わないんですが、ボクのこだわりのある部分として、海を撮るポイントを選定してしまったことだけは確かなことです。 

<地>を撮る
2006.12.7

いま痕跡シリーズで、いくつかの被写体を選んでファイルにしている一つに<地>のシリーズがあります。昨日は自宅から紙屋川沿いに北上して、鏡石まで行ったんです。これまでにも薄々意識はしていたのですけど、あらためて明確に意識したのは、天皇陵が川の東、つまり洛外に散見されたことです。

地が露出した場所を求めて、それもボクの意識のなかで、意味ある場所を求めているわけですけど、昨日の場合だと、御土居ーおどいーがありました。御土居とは、秀吉によって築かれた京都を囲む土塁のことです。念のため、この御土居の内側が洛中、外側が洛外と区分されているのです。

鞍馬口通りの北にある児童公園で最初の撮影をし、それから金閣寺前の通りを山際に沿って北上していったのです。道路はアスファルト舗装で、山際はフェンスが張られ、宅地化して住宅が並び、立ち入れて土が露出している処というのは、ほとんど無いのでした。その道すがら、道路の右手、つまり山際の道路の右に天皇陵があり、垣根の下が、<地>が露出していたわけです。

撮影の主たる目的は、鏡石を撮ることだったので、数カットシャッターを切っただけでしたが、掲載の写真はその一枚です。いま、あらためて、土の露出したポイントで意味ある場所が、そういった類の処だと意識しているところです。写真のテーマについて、少し考えていく必要があるなぁ、と思うポイントだと思い出しています。

<神域>を撮る
2006.12.18

もう一年以上も前から、京都地域文化研究なんて標題を掲げて、研究、つまり考えることの枠を作ってしまったわけですが、それ以後、やっぱり意識化してしまって、ことあるごとに思案していたんです。で、そもそも京都地域文化研究という枠がボクのなかで起こってきた背景は、グローバル化していく世界構造に対して、いかにローカル化軸を立てていくか、なんて考えがあったのです。

このグローバル化とは、ボクには、西欧化だとの基本認識があって、拠って立つボクのアイデンティティ、つまり自分とは何か、なんてことを考えてきた最中で出てきたテーマだったわけです。綜合文化研究所なんて標題で、やろうと思っていたことの対面に、綜合ではなくて個別、個別文化研究、つまり自分研究につながってくるテーマが浮上してきたわけです。

良い悪いはさておいて、ボクの思考と実践方法というのは、大きな枠組みを作って、部分の枠組みを作って、それらを図式化して、それらの部分部分を、写真に先立つ文章で埋めて、平行して写真作業に入っていこうとの考えが濃厚に支配していると思っています。それが、今年の初めごろから、それらのことを棚上げしていたのです。つまり、基本視点を<理>から<情>へ移そうと思ったわけです。

情において<美>の意識を、写真化できないか、との思いが起こってきて、春には桜を撮り、花を撮り、古着ではあるけれど着物を撮ってきたところです。情はエロスという側面でイメージ化を図ってきたつもりです。一方で京都に生まれて育ったボクの60年をもって、ボク自身の研究をする想定として、ボクの身のまわりの風土を探索してみようとの着想で、日常生活空間に限定して、記憶の場所を写真に撮ることをしはじめてきたところでした。

ボクの記憶の場所から、街角を外していくと、そこは寺社仏閣があり、寺社の領域のうち、寺(てら)ではなくて社(やしろ)に傾斜している自分を発見したように感じているのです。つまり<神域>です。具体的には、このひと月ほどのことですが、意識してそれらの<神域>を訪ねていこうと思っているのです。まだ始まったばかりの今ですので、あえて言葉にしておきたいと思って、ここに記したとゆうわけです。

<空>を撮る
2006.12.20

<空>と書いて<くう>と読み<そら>と読みます。

愛用の国語辞典で、<くう>を引くと、次のような注釈が記述されています。
1:そら。2:中身がないこと。から。うつろ。3:むだ。4:(仏)世の中の物事は、すべて仮の姿で、実体がないということ。

同じく<そら>を引くと、次のような注釈が記述されています。
1:天。2:天候。3:季節。時節。4:場所。方向。5:心持。6:中間。中途はんぱ。7:心の落ち着かないこと。うわのそら。8:根拠のないこと。9:うそ。いつわり。・・・。

ところでぼくが空にカメラをむけていく、直接の動機は、来迎図を見たことに拠っています。今年の8月9日だったかに、お迎え行事の珍皇寺へ行ったときに、寺宝だとして、天国と地獄の絵図が掛けられてあって、その絵図を見て、写真に撮って、ええ、二十数年まえにも撮った絵図です。実は地獄の部分を撮っていたのでしたが、ふと意識に昇ってきたのが、雲に乗るようにして降りてくる如来とその従者たちでした。

その曼荼羅を見て、そのイメージ世界を見て、空のイメージがふつふつと湧いてきたのです。かってこの曼荼羅を描いた絵描さんには、空に来迎の光景を想像しているのだと思ったのです。実作した絵描さんというより、その時代の文化環境がそうだったのだと思ったのです。ぼくには驚異でした。空を見て、来迎図を示す、そのことじたいへの驚きでした。

カメラという装置において、空を撮って、はたして空想、想像をしのぐイメージを作りたい。気分として、そのようなことが沸き起こってきたのです。これはぼくの想いであって、心の動きであって、仮想の空間です。カメラで作る写真は、現実に在るモノしか映らない装置が成した結果のモノです。かって空を見て、想像のイメージとして曼荼羅が、心に起こった結果として描かれた、このことに注目したわけです。さあ、そういうインパクトが、太陽だけが実在する空において、カメラで成しえられるかどうか、ああ、無駄な抵抗に終わらせたくないな~!

<洞>を撮る
2007.1.5

木の洞、樹木の割目、其処は黄泉の国への通り穴。この世で目に見えるものを、想像の世界と結びつける神話の成り立ちに興味をもちだして、その目に見える光景とか風景の前に立ってみて、こころがどのように揺れ動くのかを知りたいと思って、あえて記述されたような姿の前に立っているのです。

地の底は、夜見の国、黄泉の国、地獄、そこへの入り口&出口のひとつが樹木の割目だというイメージです。なるほど、不気味な心象に導かれます。苔むした老木の亀裂に、生の営みの果てる後のイメージを感じとります。写真にしてみると、谷底につながるイメージで、その光景がぼくに迫ってきます。

天には天を治める神があり、海には海を治める神あり、地には地を治める神あり、その神々たちのイメージに恐れおののき、崇めたこころを、ぼくは知りたいと思っているのです。逆行、退行、いろいろ言い方ありますが、方向感覚でゆうと、今様に生きる術は、このイメージから遠ざかることで、生活が成り立つ仕組みとなっているのです。

神の存在イメージをどう扱うか、現代文明の只今、経済構造の真っ只中で、たとえばここ近年、文明の対立ともいわれているアフガン、イラクの戦い現場のイメージが、宗教宗派の対立ではなくて、心の有り方の対立ではないのか、と思えてくるのです。そのような心境も含め、ぼくは写真を撮ろうとしている、と理屈つけようとおもうのです。

べべ>を撮る
2007.2.3

べべ、つまり着物のことを<べべ>というんです。京都弁なのかどうかしりませんけど、べべ、さあさあおべべ着て、ちっちゃな子供に言い聞かすと可愛げもあるけれど、なんとまぁ、ぼくはこの言葉に独特のイメージを彷彿させる。えろい感じとゆうより侘びし寂びしのニュアンスかなぁ。特に女性ものピンク系着物と着物下着には、開放的なえろす感覚よりもちょっと閉塞的なえろすを感じているようです。

神、神話のイメージを追って、昨年秋から神域へと足を運んで、写真を撮っているんだけれど、樹木、根、苔、地、石などなど神が宿っていそうな被写体を探しているところに、着物と桜の色がいっそう気になってきたのです。ぼくは文化のなかに二つの大きな流れがあって、一つは武士道にいたりて熾烈サラリーマン像に結実する流れ。そうしてもう一つの流れが、えろすのながれ美の世界だと考えていて、特にえろすの領域におけるヒトの心の危うさ、封印された向う側の開示のされかたしかたに興味をもっているのです。

風紀とか公序良俗とかの言葉に含まれるニュアンスは、暗にあちらを封印するためのバリアーだとして、神域における熨斗封印と同列に置いているのです。つまり人間の知恵が封印してきた領域を、その深みへと写真イメージを導いていこう、いやいや導くための手段だと思いをめぐらせているわけです。

今年にはいって、千年昔に書かれた源氏物語に興味をもった。かなり意識の表層に躍り出たというほうが適切かと思うけれど、昔も今も延々続く色恋物語のその中味に興味を持ったというわけです。神代の時代とゆわれるイメージ産物世界から、人間模様を導いたとき、大きな流れとしての武士道、儒教、禅、他力本願、その流れの一方にベベ文化を見てしまったのです。

小谷城址にて
2007.2.28

奇妙に気になる場所に、お城の跡があります。歴史書を紐解いたというより、遠藤周作の小説をもう7、8年前に熱心に読んだことがあって、そのなかに浅井長政とお市の物語があって、その舞台が滋賀県は湖北の小谷城です。そのころには、戦国時代の武将たちに興味があって、織田信長が築城した安土城跡を訪ねていったこともありました。城跡というのは、ようするに跡であって、痕跡が残っているわけで、当時の天守閣とか、その他の建造物が残っているわけではないのです。

ぼくたちが訪れる季節がそうさせているのかも知れないのですが、人がいない、殺伐とした風景がそこにあるように感じてしまうのでした。小谷城にまつわる話は、信長の妹お市が浅井に嫁いで、信長の軍に攻められ、落城するなか、お市も城に残り共に死するという悲劇のような内容を持つ実話の物語なのです。長政とお市の三人娘の長女が淀君となる家系で、いまは福井の朝倉との恩義のなか信長と戦う。その末に起こる悲劇のような物語。

こうして書いていくと、戦国時代の一齣が、城跡を訪れるときに、それなりに支える背景となって、ただの石ころ、ただの樹木(これは当時のものではない)、そこから見える湖北の風景などなどが、見る人に深い感銘をあたえる、と、まあそんな気がしているわけです。ぼくはまったく茶化す気持ちはなくて、その城跡に感銘を受けるのです。ある人間達が生きた痕跡がそこにあり、遠く昔の、とはいえ500年にもならない昔を、血なまぐさい歴史を、感動という感銘ではなくて、悲しみの感銘を受けるのです。

この世は戦い、人間の歴史は古今東西戦いの歴史である。このように認定してしまうことに、空しさと絶望に似た感銘を受けているのです。なんというおろかな人間たちよ、と仙人ぶって言ってみても始まらない現実に生きる自分を、どうしても正当化できないのです。おろかな自分よ、そのように思いながら立ちすくんでしまった城跡でした。

日々過ぎる
2007.3.8

なにかしら日が過ぎていくのが早い感じがしてしまう昨今です。この前、ここに記事を書いたのが二月末、そして今日は3月8日。時間に追われている環境でもないのに、時間に追われている感じが否めない。これも仕事を多く抱えてしまったからだろうと思っています。
仕事っていっても、ここではお金には繋がらない仕事です。老人のボランタリーとは全く解釈していないけれど、世間から見たら、そういうことかも知れない仕事。好きなことを好きなようにしている、とは自分では思えてなくて、でも、好きなことをやってるとの感触があるから、そんなに悩んでいるわけではありません。

一日24時間、一月30日、月が12回あって一年。一時間は60分、一分は60秒。この単位にこだわってしまう自分があって、時を刻む時計があって、いつもいっしょに走ってるって感じで、時に縛られている自分を発見して、そっから逃れようと思っても、やっぱり逃れられない自分がいて、結局、時間という概念を認めたくないと思いながら、認めざるをえないのです。

時間は、一つの大きな呪縛ですね。それとゆうのも、自分の生涯時間をおおよそ計算できる時代になって、ひところならもうあの世へ行っているかもしれない年頃なのに、いまや生涯80年なんて、勝手に思っていて、ああ、あと20年もある、ああ、あと20年しかない。どっちかゆうと後者の方で、このあと20年といっても、いつぷっちり切れてしまうかも知れないと思うと、急ぐ気持ちがありあり現れてきてしまうんです。

そうして、いまやってることの、自分への意味を問うてみても、意味があるようで無いようで、この身体が生きてるあいだにしか通用しないことで、何を焦っているんや。そんな日々なわけです。たわごとにすぎないとはおもうけれど、ついつい言ってしまう自分が、ここにある。意味を成さないたわごとが、ここにある。ただそれだけのことです。

越前今立にて
2007.3.15

今立は和紙の里。いつのころからか一度は訪れてみたいと思うようになっていた町だったので、気象情報では海岸は時化との予報で、急遽国道8号線経由で金沢へ赴くことにして、武生から近い今立を訪問したのでした。和紙への魅力を感じているけれど、たいした知識も持ち合わせていなくて、訪問の目的は、むしろ越前という土地と、奉書の類を生産していたという知識においてです。

三月も半ば、暖冬で雪が少なくて、もう桜が咲くかと思いしや冬が舞い戻った日、晴れ間が出たかと思うと、吹雪いてくる日、観光客用に整備された「和紙の里めぐり」の一角を見学したのです。紙の文化博物館、卯立の工芸館、パピルス館、この三つの館が見学コースで、入館料200円、パピルス館は和紙のお土産品を販売されているので入館料不要でした。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の木の皮を一定の工程をもって紙に仕上げていくプロセスが、わかるように解説され、工程を見学できたり、体験できたり、とゆう工夫がされているのでした。ぼくは観光客だから、観光客の道筋をそのまま歩きます。きれいに整備された一角で、はるかいにしえの美しい国のイメージをくゆらせ、おいしい十割蕎麦を食べ、自分へのお土産に、A4サイズの楮の手漉き紙を買い、あれこれと使い道を想いうかべているのです。

ぼくの興味は、京都と越前の位置関係にあります。京都から鯖街道朽木を経て琵琶湖今津へ出、そこから山を越えて敦賀にいたり、つまり山を越えた処が越前です。つまり京都から超えた処の前。京都の文化をあれこれ想う、その先に今立という紙の産地があるのです。この地、紙梳きの歴史は1500年といいます。ぼくの滞在は二時間でした。まあ、観光地めぐりとはこんなもんよなぁ、と思いながら、あえて一文を記して記念にしておく。それと掲載写真は、紙梳きとは関係のない、玄武の彫刻です。記念館に展示されていたものです。

桜の季節
2007.3.24

今年もまた、桜の季節がやってきています。もう四年目になる桜取材。今年はどんなスタンスで桜を撮ることになるのかなぁ。毎年、同じ被写体を求めて、写真に撮っているんですけど、撮り方が毎年変わってきていて、写真の作り方が変わってきて、その時々の自分のあり方によるんやろなぁ、と思うわけです。

一年目から三年目にかけては、接近、接近、レンズを最短距離にして撮るようになってきて、たぶん今年は、少し引いた位置で写真を撮るような気がしているんです。桜の写真を撮るときに意識するのは、東松さんの桜です。彼が撮らなかった桜は、桜のアップです。そういうこともあって、最短で桜のアップ写真を、と思ってきて、情に直接インパクトを与える写真を目指しているわけです。写真の社会性とかを、いったん御破算にして、情にのみ訴える写真。それが昨年の桜を撮るコンセプトでした。

さて、今年もすでに桜を撮りました。とはいえまだまだ前哨戦です。ホンバンはこれからです。カメラは四年目になるキャノンのパワーショットです。最近は、一眼レフデジカメが主流ですけど、ぼくはあえてこの機種にこだわっていて、これで十分だと思っていて、ストレートに撮る手法で、今年はどんな桜が撮れるのかなぁ、と思っています。



このページのトップヘ