中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

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中川繁夫のHP
昨日今日と二日間、町内の地蔵盆行事が行われて、先ほど終了しました。
生まれ育った地区で、今もって住んでいるという、純粋なる京都人です。
1980年代以降、自分の風土を捉えるところから、内省し、京都を外在化させる。
この地域、大正四年の幕に、愛宕郡という書かれていて、京都市ではなかった。
この地域の地蔵盆は、盂蘭盆会の時、8月13日から15日に行われています。
京都の他の地域では地蔵盆の8月24日に行われています。

聞くところによると、織屋の盆休みは13日~15日、これにあわせて地蔵盆を行う。
同じ京都市内といっても、微妙に差異があります。
この差異は、その地区の仕事に密着しているように思えます。
この地域は、西陣の織屋が集まるところで、生産地で、盆正月しか休まない。
西陣の産業構造のなかで、収奪される側の人々が住まっていた場所です。
きらびやかな飾りの祭壇は、生産者の誇り、そのものが具現化しているのです。
女が労働力として働いていた地域である西陣の端っこです。

釜ヶ崎に関わっていたとき、どうして京都の人が釜ヶ崎なの、と訊ねられたものだった。
たぶん、人の意識を構成する底流が、共通しているのではないか、と思ったものです。
虐げられる側にいる人々、その群れのひとりに自分がいる、そのような感覚でした。
これらの感覚は、微妙な差異だから、たぶんかなり自己省察しないと、分からない。
この自己省察からくるテーマ設定と、出来上がる作品が、いま求められていると思う。
外面から内面へ、省察の底流がひろがり、深まり、それがテーマの進化というものだ。
最新のテーマは、自分の考察、自分分析、そういうところに置かれるのではないか、と思う。

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現代表現研究所のHP
毎年のことですが、お盆という風習について、いろいろと思ことがあります。
文献を紐解いてイメージを創るという作業というよりも、目で光景を見ての感覚として。
京都に生まれて、京都に育って、いつの間にか京都の風土のなかで精神を育ませた。
それにしても信仰心が余りない自分だと思っているのですが、どうしてだろうか。
自分がいる場所のから受ける精神風土への想いというか、降りていく道ですね。
幼少のころからの記憶が、いろいろとよみがえってきて、心のなかの映像です。
写真作品とか、小説作品とか、エッセイとか、自分の想いを語る語り草のこと。

17歳で詩集を出そうと思ったけれど、どうしてそう思ったのか、詮索します。
文学作品に触れていて、詩集を読むことが多かった。
外国作家、日本作家、リルケとかアポリネールとか、高村光太郎とか島崎藤村とか。
中学に入ったときからはブラスバンドに熱中して、パレードの指揮官をやったり。
これは高校にまで引き継ぎ、ブラスバンド部を創部することになります。

そういえば小学校の学芸会では、音楽に出て、いつも真ん中にいた感じです。
多分にもれず、多感な少年だった、好奇心旺盛、不良にはなりきらなかった。
こんな言葉、単語、そのことだけで、今なら小説仕立てで物語ることもできそう。
夢幻舞台というイメージは、ある女子の死によってもたらされた熟語で、1983年です。
京都のお盆行事に取材した、写真とエッセイ、これは200部の自費出版をしました。

フォトハウス表現塾のHP
現代表現研究所&フォトハウス表現塾の主催
<カフェ&プレス>
今月は、8月18日(土)午後2時~午後5時。
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ
参加費500円(コーヒー代+) 
ぜひ、来てくださいね、お待ちしています。


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