中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

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「神々への旅」というタイトルで、写真を掲載して写真集にするべく目論んでいます。
それで第一回目を先っ飛鳥の古墳群からまとめたところですが、時期尚早かと思っています。
全体のイメージがまだつかめていないと思えていて、もう少し思考錯誤を繰り返す必要あり。
このように思っている今日現在です。

ギャラリー176にて開催されている「異種交配」というタイトルの写真展にいきました。
作者は板東正沙子さん、生命の根源的な歴史、進化、を問うていると見受けました。
生命体、人間の、私自身の、肉体には興味あるところで、私研究の中核にもなろうか。
それと同時に精神、心の領域、これの歴史、進化をどうとらえればいいのか、を問います。

神々への旅、というのは、この精神、心の領域を、どう目に見えるイメージにするか。
ここのところを、考え、イメージしているんですが、いや、これは言葉ではない、と思える。
人の心に神が発生する現象から、心的イメージをつないで、神社となってくる歴史がある。
この最初のイメージをどう現わせばいいのか、写真は目に見えるものしか写らないから。

※掲載写真はギャラリー176で開催「異種交配」の会場風景、2019.10.14です。

神々への旅-1- 先っ飛鳥 2016.7.1
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ゆれる心をどう処理すれば後悔しないでもすむのか、と戸惑い、迷います。
自分のテリトリーにだけにとどめておくのが、心への負担もなく、ただ残念な気持ちだが。
つくづく、もう取りまとめるだけの気力と体力がないことに気づきます。
行ったり来たりの毎日の気持ちなので、どこかで区切らないといけないんだろうな。
夏前から始まった拡大戦略は、結局、落ち着くところに落ち着いて、元に戻る。

季節の巡りは、多少の差はあるとしても、自然界、毎年同じことの繰り返し。
秋がやってきて、秋晴れだけど、シャツの上に一枚着ました。
秋から冬へは、イメージ通りに、心が沈んで、暗くなって、こもってしまいます。
50年前には、東京にいて、10.21を迎えて、気を張っていたときでした、思い出。
まるで香港の今みたいな、騒然とした日々でした、ぼくはノンセクトでしたけど。

1969年のことですね、いろいろと記憶が甦ってきますけど、けっこう切羽詰まってた。
それから、東京住まいは断念して、京都へ戻って、もはや50年が経ったのです。
この世には、いろいろと経験させてもらって、もう卒業する直前ですね、いま。
悔いのないようにしたいと思うのですが、もっと平坦に、淡々としないといけない。

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おとといあたりから涼しくなって、各部屋にストーブを配置しました。
今年から、灯油ストーブはやめにして、電気とガスを使うことにしました。
毎年ですが、冬場、一か月に三万円近くかかる光熱費ですが、一日千円ですね。
家にいることが多いから、それに夜の寝室にも電気のストーブ入れていますね。
家にいて、暑い時にはクーラー、寒い時にはストーブ、しやないですね。

今年から自動車はやめたのでそのぶん経費がいらない、とはいうものの。
ここ数年は赤字なので、節約して、ぎりぎりいっぱい、年金生活者です。
物価があがる、食べ物の値段があがっています、どんどん高くなっています。
年金の受給額はそんなに上がってないけど、物価は10%、20%と上がっています。
実質賃金下がっているというのは実感としてわかります。

ひどい時代になったもんだ、なんて言ってみても現体制では、どうにもならない。
千兆円の借金なんて、どないするん、これからの日本、なんて思います。
でも、心配いらない、なんとかなる、国民がそれくらい蓄えているから、チャラにする。
まあ、貧富の差、格差も広がるばかりだし、ぼやいてもしかたないけど、どないするん。
気持ちは、悠々自適、金がなくても豊かな心を、と思うけど、貧者は貧者でしかないね。

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くら寿司の鰻丼は、安いですね、二枚重ねで千円未満だったか、これがそうです。
久しぶりにくら寿司でこの鰻丼を二人で分けて、あとは寿司皿を数枚食べました。
最近、外食がけっこうあります、王将、ステーキのどん、マクドナルド、くら寿司、ですね。
肥え気味でダイエットしないと肥満、悪玉コレストロールがめちゃ高い数値です。
やばいなぁ、と思ってはいるけど、やめられない、食の誘惑にはのってしまうねぇ。

関電と高浜町の原発マネーについて疑惑というか事実が、報道されています。
そんなんどこでもやってること違いますか、とぼくは思ってしまう、裏金の流れ。
公務員してて、管理職してた経験からして、そういうマネーがあったけど、事実として。
その当時はまだ官官接待とかがあったし、地域のボス頼みってとこもあったし。
日本の、金の流れの不透明さ、っていうことでしょうか、談合とか、もね。

あんまり暴露するのはよろしくないから、うむうむ、仕舞っておきます。
不条理というか、不合理というか、末端まで潤うなら、それでもいいかと思うけど。
貧者というか貧困者は置いとかれたままで、権力者が金を食い物にするみたいな。
あってはならないこと、と言いながら、そんなことばかりがまかり通る世の中ですね。
バカみたいな世の中に、愛想つかすといっても、ねぇ、空しさだけが残ります。

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昨夜、家族とステーキを食べにいきました。
孫ちゃんはハンバーグを注文したけど、ぼくらはステーキを注文。
ファミリーレストランでステーキを食べさせてくれるメニューです。

ステーキってゆうのは高嶺の花で、食べ物のなかでも憧れの存在でした。
ステーキのどん、とゆうお店で、ほかにも、そのままステーキという店もある。
いずれも、それなりに高い値段ですが、外国産の牛肉なんですね。

食べ物についてのブログを別のところで立ち上げました。
食べ物を話題にするって、無難じゃないですか、それにみんな興味津々だし。
ということでいえば、記事として書きやすい、話題豊富、などなどです。

政治や経済のことは、書くのも虚しくて遠慮して、性のこと書くのも憚れるしね。
食のことなら、と思っていて、自己矛盾を起こしながら、自分を表出しています。
地産地消、有機無農薬、これらに対立するファミレス、ファーストフードの食品ですが。

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令和元年9月30日、今日の日付です。
明日から消費税が10%になるとゆうので、マスコミはそのことばかり。
特に買い置きしておかないといけないものはないから、買い急いでいません。
写真は、鞍馬口地蔵尊、昨日、近くへいたので久しぶりに拝ませていただきました。
話しの場の人、数人にも紹介しながら一緒に見せていただきました。
三年前にもこのお地蔵さんをアップしていて、フリーになった旨、書いていました。

三年前と、それから三年の経緯と、いま、いる場所について、想い考えています。
新たな学びの場を生成させたいと、枠組み作りに、あちこち動いてきたところです。
反省をこめてゆうと、思うようにはいかなくて、結果として、いったん終結、という日です。
新たな日々を作っていこうと思っているところですが、思考回路の変更を認めます。
変更を認めて、どのように、どうすれば、いいのか、このことが自分ではわからない。
自分の在り方を続けてきた結果としての終結だから、どう変更するのか、ここです。

学校つくりのプロジェクト、この大枠のところに戻って、組みなおしをします。
総合文化研究所から15年、紆余曲折あって、現代表現研究所に至っています。
時代の精神、なんてむかし言いましたけど、いまの時代の精神はいかに、です。
シリアスにこの時代精神の底流を、つかみたいと思っていて、仮説を立てています。
自分の内面、私の研究、私風景ですか、そこへ降りて行って、そこからの表現です。
これが時代の精神、現在の主流だと思っていて、さて、いかに表現するのか。

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撮ったばかりの曼殊沙華、庭に咲いている彼岸花、スマホで撮っております。
いつも感心するんですが、彼岸の頃になるとにょろにょろ茎が伸びて咲くんですね。
その植物の感覚ってゆうか、感度ってゆうか、これが自然体位なんですね。
人間様も、この自然体位で生きたいところですが、社会ってのはそうはさせない。
人間には、特有の思い入れってのがあって、記憶に基づいて行為があるみたいな。
ここまで生きてきて、生命の不思議に、素直に忠実に、残りは生きていきたいなぁ、と。

最近はまっているのが、かなり昔の小説というか文章の塊を探して読む、こと。
1940年代後半から50年代半ばまで、和暦でいえば昭和20年から昭和30年頃まで。
ネット上に公開されている、当時の雑誌のページがそのままスキャンされているのです。
カストリ雑誌とはちがうSM雑誌のようなそうでないような、風俗史研究の資料でしょうか。
風俗史研究の資料、なんていうとカッコいいけど、人間の性欲を満たす、資料でしょうか。
文学史には表れてこない裏文学史とでもいえるか、いやいや文学史幅を拡大するべき。

野間宏とか大岡昇平とかの、硬派な戦後文学なら、正々堂々、研究してますって名乗れる。
でも、たぶん、それらと並列できそうな、軟派な戦後文学、隠れた文士たちの小説がある。
小学生のころに、乱歩とかと同列で、雑誌のページを見て読んだ記憶があって、それが蘇る。
野間とか大岡とかを読むのは、高校から大学生のころで、少年期はカストリ雑誌を読んだ。
まだまだ開放的ではない領域ですが、私の研究表現塾でも立ち上げて、研究しようかな。
写真もそうだし、映像もだけど、軟派文学を研究対象としても先鋭的なのではないですか。

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<手記>という熟語に文学的な匂いを感じている自分がいます。
なにか秘密めいた隠し事を表に出す、みたいな感覚があって、戸惑ってしまいます。
日記とか記録とか記憶、<記>という文字が含まれる熟語にはあまり抵抗はありません。
ドストエフスキーだったかに、手記という熟語がはいったタイトルがあった。
そんな闇の中からの記憶が立ち昇ってきて、なにか感情をゆすぶってくるんですね。

手記っていうと、自分の生い立ちとか、性関連とか、性癖とか、そういうのを暴露する。
私研究という枠組みならば、肉体に関する諸般の見識、とかを話題にするべきか。
なんてむつかしい言葉を使って、考えようとしているけれど、もっと単純ですね。
掲載の写真は、昨日食べた、天ぷら定食の膳です。
食べ物の話でいくと、そこにも変質者の趣向みたいな匂いがしてきます。

生きるってことが、実はかなり変質だと思うのは、自分が自分と向き合うからかも。
なにが良質で、なにが変質なのか、この境界線なんて、曖昧だし、一線は引けない。
社会で、表現や行為が許される範囲というか、枠があるじゃないですか。
そこを外れると犯罪というレベルになるという境界線のことです。
心のなかでは犯罪していても、行為しなければ許される、というのでしょうね。

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NAGASAWAさんとは数か月に一回、SANOさんとは二か月に一回、会っています。
高校からの知り合いで、ここ数年、朝ミーティングを行っています。
SANOさんは、小学校から高校まで、一緒に勉強した友だちです。
明るい陽が射し込む喫茶店の、デラックスモーニングを嗜みながらです。
定例的に会っているのはこのお二人で、よもやまの話を交わしています。
お二人の特徴は、定年まで一つの企業で勤め上げられた人ということです。

まともに人生を送ってこられたひとは、枠組みが安定していて、紳士です。
ぼくなんかは、そういうことでいえば、ちゃらんぽらん、という男子です。
きっちり社会的基盤を持っておられるから、発想がぶれませんね。
ぼくなんかは、その基盤が浮遊してきたから、あれこれ発想がぶれます。
でも、まあ、ぼくが、深い話ができる相手のようで、個別に関係が続いています。

もう人生ここまで来たぜ、という感じで、共通の興味の話を交わして勉強会です。
でも、一番肝心な、セックスにかんする話題は、やったことがないですね。
一般に避けてとおる話題だから、親密なる友とは、そこの話をしたいところですが。
ましてや、私を探求する、なんてフレームは持っていないから、話題にならない。
この歳になって、政治経済の話や、国際情勢の話よりも、もっと別のテーマでも。
このようには、個人的には思うところですが、それ以上には話題交換できないですね。

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この一年ほど、評論に値する文章を書いていないことがわかりました。
というのも評論でブログに書いた文は、ホームページにまとめているのです。
そのホームページのページを更新していて気がついたところです。
先月に、管理していたブログの大半を潰してしまって、今は見れないです。
それらしき文章を書いていたようにも思えますが、それらは駄文の類だと思います。

写真一枚と文章を書く、という方法をとっていますが、最近は文章なしで写真のみ。
そういうブログページが多いです。
文章が書けなくなった、駄文にすぎないから、書いてもしやない、との気持ちです。
その点、写真はあっけなくページを作れるから、楽なんです。
あ、写真は、それなりに厳選しているところですが、駄作も結構ありますね。

もの心ついたころから、自分のことしか考えていない気がします。
利己主義とか自己主義とかではなくて、自分のことがテーマなのでした。
自分に向かう刃物、とでもいえばいいか、自分を対象化する作業に向けていた。
作家というのは、そういう作業回路を持っているもんだと思うけど、と思っています。
IQのことが話題になっていたけど、ぼくのIQは中学のとき130でした、高い方ですかね。

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さあ写真を撮ろう、と思って出かけた最初は下鴨神社であった。
盆が過ぎて、もたもたしているうちに8月も後半になってきて、焦りが出てきた。
何をするもの、手につかない、そんなときにはふらっと外に出て、バスに乗る。
バスも地下鉄もフリーパスなので、行き当たりばったり、来たバスに乗る。
とはいっても、方向を決めないと、バス停で待てないので北か南か、決める。
この日は北へ、205系統で、下鴨神社前まで、乗っていったのであった。

等身大の白い風船玉が、あちこちに置かれていて、不思議な空間を作っている。
なにやらイベントのために、夜には光るオブジェになるのか、まあ、いい。
G5Xカメラが潰れたので、G1Xをもって撮影のトレーニングです。
そこそこに撮って、帰りにギャラリーを訪ねるとOKADAさんがいらした。
コーヒーを飲ませてもらい、しばらく歓談して、別の人が来たので、外に出た。
バスを待ち、来た経路で帰る、慣れた手順の行程だ、迷いはない。

京都という土地に生まれ育ったから、写真の被写体は京都の様々にしている。
総枠でのタイトルは「京都」、既存イメージの京都のなかで新イメージを創る。
そうはいっても、新しいイメージなんて、どうしたら、そうなるんだろうか。
まるで迷路のような、あっちに行ったり、こっちに来たり、右往左往です。
作家であることを意識するから、そうなるので、そんな意識は脱ぎ捨てろ。
なんて思っても、習性ですね、そういう意識から抜け出せない自分がいます。

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