中川繁夫写文集

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<掲載写真は、2008.11.24 KBS秋の収穫祭での野菜写真>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

フリースクール京都の開講場所等

1、研究の分野

「基本セオリーは政治・経済・哲学・文学・芸術」
 ・総合的基礎研究をおこなうグループの育成をおこなう。
 ・既成のジャンルを越えて研究した成果を各ジャンルに還元する循環型の学術研究体制を念頭に置いて、総合的にジャンルを融合編集できる人材を育成する。
 ・設立当初にはこのような循環型の研究者が希少なので、各ジャンル専門家を講師に招き、レクチャーを実施する。
 ・学生は各分野の研究を総合的におこなうことで、将来の新学問体系を構築することができることを念頭に置いて、基礎研究をする。
 ・たとえば、
 1、日本文化総合研究会編「日本文化の成立と今後の課題」といった研究成果を出版できるぃような共同研究グループを想定する。
 2、既存の研究所・研究機関から講師を派遣してもらい講義をしてもらう。
 3、既存の研究所へ学生がインターンとして研究参加する。
 ・この基本セオリーは実践の場として塾が形成される。

政治・経済分析
 ・基本セオリーを踏まえたうえで、政治・経済の分野に特化して一層の専門家をめざす。
哲学・文学・芸術分析
 ・基本セオリーを踏まえたうえで、哲学・文学・芸術の分野に特化して一層の専門家をめざす

2、学校の三分野
 ・ジャーナリスト系
 ・身体系
 ・研究系

3、工房の三分野
 ・農業系
 ・手工業系
 ・コンピューター系


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<掲載写真は、2006.9 京都農塾の記念写真>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

「フリースクール京都」の組織概要(案)

<経営>
1、経営方針
 21世紀、グローバル化する経済側面において、人間としてあるべき人間の問題について、様々な角度から議論し、ありうべき姿を仮定していくことの実践の場の確保を中心とするムーブメントとして捉える。そのためには、このムーブメント自体を新しい社会像に移行させるための理論と実践を研究し、学びあい、なおかつ新しい経済活動につなげていくことを目的とします。

2、経営組織
 ・特定非営利活動法人(NPO)とすることを基本形として考える。
 ・既存の財団婦人等の一セクションとして・・・・初期投資の必要によって。
 ・協同出資の協同組合方式、これは将来的に生産現場が確保できる段階で考える。
 ・株式会社、別途収益事業展開の目途がたった事業について考える。

3、経営形態、経営母体、経営資金
 ・NPOには、代表理事、理事会と会員
 ・協同組合方式には、代表者グループを組織化して、代表を選ぶ
 ・経営母体として、賛助する法人、会社、財団、学校法人等で
  初期資金及びランニングコストの一部を協賛金として拠出してもらえる法人
 ・経営資金は、講座受講料収入、協賛金、寄付金、行政とのタイアップ

<組織>
1、運営組織
 ・理事・幹事の構成
 ・事務局は常勤スタッフと非常勤スタッフで構成
 ・講師は非常勤講師扱いで趣旨に賛同される研究者及び経験者


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<掲載写真は、2005.5.21 京都農塾の作業風景>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの展望-2-

 いま来たり来ている新しい時代は、ひょっとしたら新しい文明なのかも知れないし、これまでの文明の延長線上なのかも知れないが、ここではまだ解答がみつからない。このような疑問を投げかけだすと、「文明とは何」とあらためて問い直さなければならないのではないかとさえ思う。すでに現在、新しい文明として始まっていて、私がそのことを認知するためには、新しい捉え方をしなければならないからである。で、このままでは、その捉え方そのものの方法がどうなっているのか、という堂々巡りがはじまってしまうのだ。

 確かにコンピューターの高度な利用により生活のスタイルそのものが変化した。今後もますます変化していく予定である。この変化により社会経済システムが変容する。いや社会システムが変容したから生活スタイルも変化したのだ。このように私たちの周辺の構造変化が生じてきている。しかしこれは、生活者としての人間が主役だったとはいえない力に拠った。この変化を、今後は私たち個々の生活スタイルのほうから激変させていくときが来ている。

 あるいは革命と呼べるほどのスピード感をもって変化が起こったともいう。しかしこれらは権力構造・所有構造への革命ではなく生活環境の変化スピード革命であっただろう。そしてインターネットの普及により、国家や国民といった概念が変容し希薄化され、そのうちこれまでの概念自体が解体される。これはおおいにありうることだ、と思う。これは受け身の態度ではなく、能動的に、その解体作業を進めていかなければならないのだ。

 このことにもう少し介入していこう。いま問うことは、権力構造・所有構造レベルの革命が起こりうるかどうかである。この革命は起きている。そうでなければ起こさなければならない。私は、人間の存在の意味を捉える地平線の向こうに、そのことから解放された人間の存在をみつける。そこからが新しい文明の始まりである。このようにしてフリースクールの持つべき領域は、徐々にではあるが見えてきているのではないだろうか。


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<掲載写真は、収穫祭、知恩寺境内 2004.11.21>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの領域

 フリースクールと書き表してどのようなイメージが湧いてくるのだろうか。これまでにも正規の学校教育とは別に、様々な時代に、様々な領域に、人間教育の機関が生まれ実践されてきた。あるいは教育という範疇で語られなくても人が集まったその場自体が、その役割を果たしたこともあるだろう。ここで私が表わにしたい「フリースクール」とは、新しい時代を担うひとたちの人間として、あるべき姿の根本の捉え方そのものをつくり出す運動体である、と定義するところから始まる運動体であり、その実験の場として存在してみたいことである。

 この場所から出発すると、まず「正規の学校教育」って何?、「人間としてあるべき姿」とは何?、といった疑問が次々と出てくる。正規の学校教育といったとき、これは国家が定めた教育の内容基準であり、新しい時代といったとき、これは21世紀がはじまった今の社会状況、グローバリゼーションとコンピューターネットワークの時代、がキーワードとし想定されてくる。また、人間としてあるべき姿といったとき、これは人間あるいは人が生存することの条件としての生存の仕方そのものの質であると言えるかも知れない。

 正規の学校教育については、幾多の意見や見解があったとしても、運用上の問題を議論することとして、まあいいだろう。しかし新しい時代といったとき、あるいは人間の生存の意味を考えたとき、これらについては多様な見解とともに多様な解答がひとまずは、みつけられるに違いない。私は私なりに、その解答を導き出す。

 このようにして出てくるさまざまな見解と解答を仮説的に網羅して、それらの仮説を様々な視点・観点から考えていく場がなくてはならないと思う。哲学的に、文学的に、芸術的に、社会学的に、科学的に、工学的に、医学的に、宗教的に・・・・・・といったように。そして次は身体の問題である。身体活動として生活レベルでの生産活動を見直す。生産の現場に参加する。商品生産ではなくて、それ以前の自らが衣し食し住するレベルにおいて、自給することを実践していくこと。そのことの延長線上に芸術の在り方臨があrためて展開されるだろう。
(続く)


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<掲載写真は、2006.3 京都農塾の収穫風景>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの展望

 歴史性を重視する。そしてその根底をゆるがす変革のとき21世紀
 日本語文化圏において立ち現れてきた権力支配の構造は、君主の存在なくして成立しえなかったと基本的に認識します。そういう観点からみると、日本文化は雅と鄙び、中央と地方、中心と周縁、等々の構図で見渡すことができるでしょう。この構図は世界史においても同様であると思います。

 時代の大きな流れとして<政治・経済・文化>の構造をこのような関係性を基に捉えることは、その構造総体をひとつの文明のスケールとみることができるのではないかと考えます。そのように捉え、なお現在が文明移行の端境期と仮設してみると、いま私たちにとって必要な行動原理は、その関係を解体する方法に向けて模索し実践すること以外にはありえないように思われます。と同時に新しい人間の関係の構図や労働の在り方の構図を模索しながら、新たな白地図を塗りつぶしていくように実践していくこと。

 思想の根底には人としての個人が個人として自立できることが条件となります。これは、個人として自立するということの意味を具体的に問うことから始めなければならないはずです。そして個人と個人の間の位置関係とその在り方をそのものを意識レベルで捉えられること。そのトレーニングが必要だと思います。このようなトレーニングが相互的に出来る場所が担保され保証されるような環境が生みだされるとき、ようやくフリースクールの展望が見えてくるように思います。

 新しい関係は、権力関係を解体した関係ー分散型協同関係ーとして立ち現れてくるのではないでしょうか。個人が個人の能力により場を保つ。そのことの連合体として共同体が生成される。そういった意識のモンタージュが個人のありようとしての意識を形成する、そのこと。

 フリースクールの展望は、新しい人間像をイメージし実践するところから始まる。そして身体の起立と意識の充実<トランス状態>を手に入れることです。

 これまでに培われてきた最先端科学技術を、どのようにして身体の満足に応用していくのかといった科学的医学的研究と同時に、哲学的考察及び文学的表現とをどのように組み合わせるのか。身体と最先端科学技術の組み合わせで、どのような生活レベルの生産品が生みだせるのか。カオス宇宙的な感覚の拡がりのなかで身体と精神をどのように安住させるのか、等々をおこなうプラットホームを生み出すことが、いま望まれているのでしょう。

 フリースクールの展望は、そういったことを実験的に生成させていくことから必然的に見えてくるものでありましょう。


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