中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年8月29日~のブログ掲載の文を転載します

<あい写真学校のご案内>

こんにちは!綜合文化研究所です。
綜合文化研究所の提案のなかに学校運営があります。

あい写真学校は通信で写真表現の方法を学ぶ学校です。
写真学校といえば、都会地で相当なお金を払って技術を学ぶ、というのが通り相場です。
写真を愛好するヒトがたくさんいらっしゃいます。
デジタルカメラの普及で、いっそう写真を使うヒトが増えています。
いまや写真はファッションですね。

そこで通信により写真での表現方法が学べるカリキュラムを開発しました。
全国、いやいや世界中どこにいても学べます。

あい写真学校では、経費を最小限に抑えています。
通信ゼミは年間6万円、セミナーは半年12千円です。

あい写真学校は通信制ですが、通学制の写真学校を開校します。
「写真ワークショップ京都」です。
この10月10日開校です。

通信制と通学制の写真学校、それに文学校、農学校も併設しています。

<アートする学校> 

綜合文化研究所では、通信制の学校を運営しています。
学校へ入学してきた人は、自分独自のメディアを創り出すノウハウを学びます。

通信制の「あい写真学校」、通学制の「写真ワークショップ京都」綜合ゼミと、
「あい文学校」の履修で、フリージャーナリストを目指したり、
フリーペーパーを編集したり、文章を書いたり、
それらの綜合計画を立てたり、そんなことができる人材に育ってほしいと考えています。

社会の事象に対しての考え方は自由ですが、
その基本に「人間の尊厳」というテーマをもって、
個人の充実感と幸福を追求する視点を確保してほしいと思っています。

最近の傾向として顕著になってきていることは、自分のことがよくわからない、
と悩んでいる人が多くなってきていることです。
自分のいる場所が見えない、判らない、という人です。

この現象は、個人が自立し始めていることの証だと捉えています。
ところが、自立していく気配が見えているのに、
自立していく道筋を自分のものにしていく学び場がないんです。

写真や映像、コンピュータなどの操作技術を教える学校があります。
社会構造の変化によって新しい職種が必要になってきて、その技術を教える学校です。
でもね、いちばん肝心な、ものを創り出す想像力というか、コンテンツといっていますが、
そのベースになるものをつくりだすことは置き去りになっているように思います。

その基本に、自分を知る、ということが必要です。
とはいっても自分を知るということは難しいことなんです。
それから、社会を知る、ということが必要です。
この社会を知るということは、これまでに培われてきた見方がありますから、
書物を紐解いていけばいいんです。

でも、ここに落とし穴がある。
自分の傾向や方向を見定めないままに、情報ばかりが入ってきますから、
主体性のない自分になってしまうんです。
この主体性というのは、自分の考え方のことです。

その考え方のとっかかりをつくるために、なにかものつくりを始める。
この「もの」が、ここでは「写真と文章」を提案したいのです。
それと平行して、身体をつかって生産するものを加えたい。ここでは「農」です。

なにかを始めることから分かってくることがあります。
この分かってくることが自分のベースとなってくるのです。始まりはここからです。
綜合文化研究所では、その始まりをつくる場を提供します。
それが学校!新しい学校!飛ぶ学校!です。
よろしくおねがいします。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2005年9月8日付の文書を掲載します

<総文研の学校コンセプト>

学びの場である「学校」を、経済の枠組みから遊離させることから始まる、綜合文化研究所の学校コンセプトが、ここにあります。学校が商売として成立する時代に、あえてそうではない学校を創りだす必要があると考えています。

また、これまではともすれば頭脳を使うことと身体を使うこととが、分離してしまう傾向がありました。研究者は部屋に閉じこもり、さまざまな妄想にさいなまれていました。労農生活者は肉体の力を切り売りすることで日々の糧を手に入れてきました。

これからの人間のあり方は、頭脳活動と身体活動を統一していくことを目指すことだと考えます。つまり野にあったひとは頭脳を手にいれ、部屋にこもっていたひとは野に出ていくこと。こういうことが「アートするひと」と呼ばれるようにならなければなりません。商品価値としての頭脳プレーや作品制作プレーには、おさらばして、生きてる充実感というものを手に入れなければなりません。

といって農的プレーにおいても、商品として流通させることを指向する領域ですが、ここでは、そのように指向することの弊害をみつめて、新たなる農的プレーの方向を模索していきたいと考えます。

あい実践学校のコンセプトは、夢と希望を紡ぎだすこと。そして、自立する個人のネットワークによる「自給自足」。これがどこまで可能なのかということを実践していきたいと思うことです。あい実践学校は、新しい「ひと」と「ひと」の関係のあり方を模索しながら、「新しいライフスタイル」を紡ぎだしていく学校にしていきたいと思います。

<写真ワークショップ京都>

9月11日(日)、写真ワークショップ京都の9月ゼミが開講されました。
掲載の写真は、ゼミ風景の一齣です。

写真ワークショップ京都は、新しい写真表現の方法を手に入れる人のために、1年制で開校されている写真学校です。開校場所は、京都・下鴨にあるギャラリー・DOTです。ギャラリーが運営する写真の学び場だといえます。

「綜合ゼミ+テクニカルレク」コースは、通信と通学を併用した、新しいタイプの学びの場です。
綜合ゼミでは、写真を相互批評するセミナーと写真理論などを学ぶゼミを履修します。併設の通信制あい写真学校のカリキュラムも、同時に履修します。
テクニカルレクでは、カメラ操作や撮影実習などの前期カリキュラムと写真史や写真プレゼンテーションの方法などの後期カリキュラムがあります。

写真の初心者の人には、基本から高度な応用まで、写真のノウハウがわかります。
写真作家になりたい、ディレクターになりたい、そういうニーズにあわせています。
少数精鋭、個別対応のユニークなカリキュラムをもった写真学校です。  

                

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年9月23日付の文書を掲載します

<あい文学校コミュニティ>

文学っていうと仕事としては、文学研究をする人とか、小説や詩を書く人とか、あります。
研究者と作家ということにしましょう、ふたつの領域があります。
でも、まってよね、作家という仕事は研究者でもあるんですね。

このようにして考えると、文章を書く人、
コミュニケーションの中で文章効果を考える人、綜合して作家です。

あい文学校というのは、文を書く学校です。
生きていくなかで、いろんな場面で文を書くことが生じますね。
文学が特殊な分野で、常人には近づきがたいもの、っとの偏見を捨てましょう。

文章を書くことで自分を表現するツールにするんです。
自分の生きた証を残していくんです。
自分のことをそのままなぞってもよろしいし、
想像力を働かせて体験してないものを書いてもよろしい。

自分を表現する手段のひとつとして、文学を捉える。
その捉え方を学ぶ学校が、あい文学校です。

通信制あい文学校は、文章の添削をします。
自分の思いを、伝達したい相手に、判りやすく、感動的に伝える。
そのためには文章構成技術が必要となります。

姉妹校に、通信制あい写真学校があります。
写真表現と文章表現を組み合わせることで、いっそう豊かになります。
写真だけ、文章だけ、と単独でもいいですが、
できれば、写真と文章を同時に、自分のものにしましょう!
それに食べものを生産する人、農のことを学ぶ、あい農学校。

身体と心の全体を掴んでいくトレーニングです。
これがお勧め学習コースです。

人生これ学習ですね。いつも学びがあって上がりなしです。
さあ!始めましょうか、文章トレーニングを!

2006.12.16
「翔・翔<TOBETOBE>」 メンバー 募集!!

詩、小説、評論、等のメンバーを募集しています。
メンバーはあい文学校のアドバイザーをしますので、登録には審査があります。
詳しくは主宰者へお問い合わせください。

なお、投稿(掲載には審査あり)及びコミュニティへの参加は自由です。


あい文学校 入学募集要項。

小説や詩を書いてみたい、すでに書いているけど、どのように展開したらいいのかわからない。
ジャーナリストを目指したい、批評文や評論を手がけたい、編集ディレクターをやりたい。
そうゆう人のためには、あい文学校の「翔・翔」同人メンバーが文章添削をお引き受けします。
入学金不要、経費はサイト維持運営費として6ヶ月12000円、または相当のP(交換証)です。

☆インターネットで学ぶ
●通信制あい文学校の募集要項●

1 「あい文学校」は、インターネット環境を利用した文章表現のノウハウを学ぶ通信制の文学校です。

  ※同時開校している「あい写真学校」や「あい農学校」との併行学習をお勧めします。
  ※写真と文章で、ジャーナリストやアートセオリスト指向の人にお勧めです。

2 学科は (1)通信セミナー があります。

3 定員は (1)通信セミナー 10名です。

  ※入学審査をさせていただきます。
  ☆審査方法はメールによる意思確認です。

4 入学日は毎月の初めです。
  定員は在校生の人数としますので定員になり次第締め切ります。
  修了者があった時点で新しく入学ができます。

   ※マンツーマン方式をとりますので定員厳守です。

5 経費は (2)通信セミナー 半年間 12,000円です。

  ※連続受講の3年目以降は不要です。
  ※経費は円で決済をしますが、綜合文化研究所が提唱する交換証Pを充当することができます。
  ☆交換証Pというのは、むくむくネットワークで生産品を交換するときに使う証です。
  ☆経費にはPまたはそれに相当する生産品(米とか野菜とか手工芸品とか・・・・)を当てることができます。  

  

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年9月16日付の文書を掲載します

<文化・カルチャー論>

文化研究とは、カルチュラル・スタディーズと同義語ですね。
そんなフレームを設定して、文化の層をマトリクス化していくと、
高級文化←→低俗文化という分け方が意識の中で分けられていきます。
ハイカルチャー、ローカルチャー、サブカルチャーなんていうようにです。

そうすると「芸術」ってのはどの層に属するのかというのを定めんならんですね。
芸術って言葉はもう古い、としたら「アート」ですか、言葉としては~ね。
芸術・アートってのは、ハイカルチャーなんでしょうね、きっと・・・
とすると、その範疇にある文学とか写真とか、っていうのはハイカルチャー。
ホントかな~そういう分け方でいいのかな~、っていう思いも出てきます。

作り手のレベルでいうと、芸術行為はハイカルチャー領域に属する。
これでいいでしょうか?
正解ですか?

ウ、ナニ、そういう分類方法そのものが今や無効だって?
そやね~そういうことかもしれんな~無効かもね。
ハイカル、ローカル、サブカルなんて所詮商売用語じゃん!なんていうんですか~。

ということで、結論先送りしておきますけれど、
少しこのあたりの問題を解いていこうじゃありませんか、ね~。 

2004.9.20
政治・経済という中心となる大きな枠があるとすると、芸術とか宗教っていうのは、その両横にくっついてるシステムやな~というイメージを持っています。
球体の非常に単純なモデルですけれど、そうでしょ、芸術も宗教も中心じゃありません、お添えものです。というのが近代社会の構造モデルです。

政治・経済と文化・カルチャーのマトリクスの密度には濃淡があります。濃いところ(力がある)とか薄いところ(力がない)があります。なお力エネルギーが都市という囲みに集中してきたのが近現代の姿です。

先にハイカルチャー、ローカルチャーなんて分け方をしましたが、ハイカルは都市へ、ローカルは周辺にというイメージ化ですね。ということでゆうと、NYとかpariとかtokyoという囲みにハイカルが集中してあるようにイメージしますね。
政治・経済の中心があたかもそうであるように、文化・カルチャーの中心もそのようにイメージします。

でもボクの思考はヘッジがに中心となるようイメージ化をしていきます。
という場所からいゆうと、都市にあっては場末とか寄せ場とかゆわれて疎外されるイメージの場所が中心となります。また、芸術とか宗教というものが、本来、世の中のヘッジにあっていつも中心に対して脅威を与える立場であることに、留意しなくてはならないと考えています。

このような視点(視座)を確保するところから、文化・カルチャーの諸相をみていくという作業が、実は、求められているのだと思っています。
ハイカルに対してローカル、その別枠としてサブカルですね。

これとは別な切り口として、全てが商品化されていく時代への非商品化思考ですね。
綜合文化研究とは、このような立場を仮説として設定していく文化・カルチャー研究領域だと考えています。
その立場から見えてくる実態という姿イメージを紡ぎ出していかないといけないと思っています。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>から>
※2004年9月7日付の文書を掲載します

<自分を見つめる文章を>

綜合文化研究所では、ヒト個人が自立することを目的としています。
そのヒト個人の外側での自立(経済的地位)はもちろんですが、
ここでいうのは、自分自身のアイデンティティっていってますが、
つまり、自分の生き方を自分で納得して、充実感・幸福感を得ていくことです。

自分のことがわからない時代、どうしたらいいのか迷いの時代。
自分の行き場が無くて、引きこもってしまう気持ちの時代。
競争に追いたてられてる時代。

この現代を表現する言い方は様々ありますが、おおむねヒトは悩んでますね。
そこで提案、自分を見つめる手段をもとう!です。

文章を書くことと写真を撮ること、このふたつの手段をもって、自分を見つめる!
そのことを提唱しています。

日記を書く、絵日記をつける、写真日記をつくる・・・
インターネット社会になって、だれもがホームページを開けるようになりました。
だれもがミニですが、新聞社、出版社、放送局運営ができる時代です。

そ~ゆうツールを使いこなして、中味(コンテンツ)を作っていくんです。
情報を一方的に押し付けられることから脱出して、自分のメディアをつくろう!
そのための、自分を見つめ、表現する技術としての、文章を書く勉強です。

そういうことに目覚めたヒト個人のネットワークを創っていきましょ~!

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>から染色屋さん>
※2004年9月2日付の文書を掲載します

<あい文学校の開校>

今日は、あい文学校についてのご案内をします。

☆あい文学校は文章による自分の記録をつくる学校です☆

あい文学校は同人による運営をします。
あい文学校では、詩、小説、日記、評論を扱います。
形式はさまざまですが文学することとは、自分の思いを文章に託して
あたらしいコミュニケーションの方法を手に入れようとすることです。
文章を書くことや、画を描くことや、写真を撮ること、
それに食べものを作ることの両方を実践すること、
あたらしい時代のあたらしい生き方をつくりはじめる。
そのことを記録していくことからはじめましょう。

☆写真は現場作業です、文学は密室作業です、農作業は身体作業です☆

綜合文化研究所では、ヒト個人が自立することを目的として、
生産することと消費することを一体としてあるもの、との考えをしています。
「こころとからだ」の一体としてあるヒト個人の未来像に向けての、
新しい生活スタイルをあみ出していこうとの想いです。

現代社会は、ヒト個人を疎外する社会、との認識を持っています。
子供・若者においては、不登校、引きこもり、リスカなどの現象が現れています。
中年大人においては自死行為が問題視されています。

このような現状から、ヒト個人の充実感、幸福感を得ることへの道筋を考え、
まずは行動していく必要があります。
そのためにも、あい文学校の開校が必要だとの認識です。

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<掲載写真は、夏祭り 知恩寺境内 2004.7.18>
※2002年2月28日付の文書を掲載します

地域の自然と生活の出来事を提供する
コミュニティカフェ&プレスオフィス(CCPO)

ローカルネットワークの必要性
ー地域の人間関係の創生ー

(1)地域研究機構のネットワーク
  地域に住むひとの高度な教育を実現するために
・これまでの教育のシステムは知的労働と生産労働が分化していたきらいがあった。そのなかで権利義務関係と契約関係で結ばれていた個人関係を、新たな共生と共有の関係へと移行させるための研究機構の創設が必要となる。
・新たな共生と共有の関係を導き出すために必要な作業は、哲学・文学から政治・経済学や地球物理学などの学問領域において近代主義を超えるあらたな枠組みを創生することが必要となる。
・そのためには地域においても専門分野の研究が出来、かつ地域の実情に合わせた学術研究ができる機構が必要である。
・幕末にあった適塾のような形態を想定すればよいかもしれない。
・階層や分野に応じてカルチャースクールのような形態をも付設する。
・学びながら生産に従事するシステムを構築する必要がある。

(2)地域経済エリアのネットワーク
  地域内での生産、流通、消費のサイクルと循環型経済の創生。
・地域内の商工舎のネットワークを充実させる。
・地球環境や環境保全、エコロジーやエネルギー、有機農や工芸品の生産をおこない、自然にやさしい循環型経済への移行を実現する。
・このことで地域の生活サイクルが確保され、地域住民の身体とこころの健康と生活の充実が実現する。

(3)地域内住人の人間性恢復ー祝祭の日々ー
  地域に住むひとの特技を活用するネットワーク
・住人ひとり一人の特技を見いだして従事することで各人の生きがい感や充実感を高める。
・農業をする人、木工品を作る人、商売がうまい人、ひとをまとめるのが得意な人、等々それぞれの特性を生かした職業に従事する。また希望により転職も可能な地域経済機構をつくる。
・このようにして共同の働く喜びをもつことで日々祝祭のごとき境地に至る。

(4)あたらしい人間の関係の創出
  個を超える個人のあり方。
・以下、未記入。


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<掲載写真は、2004.10.2 ヤギの会の稲刈り風景>
※2002年2月17日付の文書を掲載します

<地域の自然と生活の出来事を提供する工房>
コミュニティカフェの開業について

まとめ
 人々の生活において、生活の充実感を得ることを目的として、自分の興味のある分野とか食品とかを絞り込んで、そのものに執着して生産から消費までをサイクル化していくことで成立するものであると考えています。
 おおきな意味においては、社会の構造改革と同時に感性の分野での自己解放のための手段として考えられると思いますが、健康な生命体を維持していくための手法の伝達ということが、当面の目的として掲げてよいのではないかと思います。共感しあう人々が共同して創りあげていくことが、なにより大事なことです。人間の関係についての共同認識が必要です。
 そのためには何が必要かといえば、まず、現状の理解からはいる必要があると思います。現状の理解とは、現状の世界の経済構造を中心とした大きな流れを把握することから始まり、その中で次にやってくる生活環境の予測を立てて、そこで満足感が得られそうな空間を空想する必要があると思います。あるいは、近代主義が打ち立ててきた合理主義や物質主義などからの脱出のための思想を議論していくこと、といったようなレベルから始めてもよいのかも知れません。

 主宰者の考え方や物事の捉え方が問われるところです。人間には欲望と不安があります。その欲望をどのようにして満たしていくのか、そして不安をどのようにして取り除いていくのか。人間は身体を使ってなにかを創りあげていくことを基本的に受け入れる生き物です。つまり労働ということは喜びであるはずなのです。
 にもかかわらず、いまの現状では労働することそれ自体を回避したい欲求にたたされています。この原因は何なのか、と考える必要がありそうです。
 逆に労働する喜びを創り出すものはなになのか、ということも考えなければならないと思うのです。そこのところを本音(欲求に忠実)で議論したいと思います。そして自己変革をしていくのです。
(Shigeo Nakagawa 2002.2.17)




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<掲載写真は、2006.3.11 京都農塾の作業風景>
※2002年2月17日付の文書を掲載します。

<地域の自然と生活の出来事を提供する工房>
コミュニティカフェの開業について


生産・流通・消費のシステムについて
 生産、流通、消費の流れについては、現状では分業体制が徹底されすぎており、経済活動としても非効率であると思います。またその生産にたずさわる個人が、目に見えない大きなシステムに巻き込まれてしまっているので、より多くのモノを所有することや、モノに取り巻かれて生活することで、自らの位置を安定させようとしているのではないかと思います。大規模生産ラインによる規格品や大規模処理ができる農産物の大量流通。現在、それらは世界規模での流通となっていますが、むしろ地域内(ローカルネットワーク)での配分を主体に考えることが必要です。
 このような生活の様式を、どのように創っていくのかを考え提案することが、求められていることであり、このことを実現するためのプロセスとして、生産、流通、消費についてのサイクル(コミュニティカフェ)と情報流通のサイクル(プレスオフィス)の融合があげられると思います。

地域経済の活性化
 現在、地域経済が停滞している主な原因は、ピラミッド型の生産構造が解体しつつあるということです。つまり地場産業が解体したということです。衣食住の生産財が地域外ネットワークで廉価に供給される結果、地域経済が崩壊してきたといえると思います。
 そこで地域内の活性化計画とでもいえると思いますが、次のように考えようと思います。
1、メディアの創出と運営について
2、生産と流通と消費のサイクルについて
3、情報の収集と発信のサイクルについて
4、知的生産実践のための講座について
5、身体と心の健康を創るための講座について

◎メディアの創出と運営について
 別途、新聞社機能に集約します。

◎生産と流通と消費のサイクルについて
 コミュニティカフェが活動を行う基本は、地域内に生産される特定の品種を取り扱うことです。
 ・食品・薬品を生産者から消費者への橋渡しをおこないます。
 ・食品としては自然農産物(野菜、果物)、薬品としては薬草栽培(ハーブ、漢方薬草)などがあります。
 ・これを実現するためにはコミュニティカフェが共同組合的場としての役割を果たします。

◎情報の収集と発信のサイクルについて
 コミュニティカフェと共有する場所に新聞社(放送局)を置きます。
 ・新聞社は地域の情報を地域に還元する役割を担います。
 ・上記の生産、流通、消費サイクルについての情報を集めます。
 ・販売の方法については、コミュニティカフェの経営をおこないます。
 ・工房によって生み出された品物は直営の店にて販売されます。
 ・喫茶、レストランを経営することによって、その工房のある場所が話題となります。
 ・新しい世界観の枠組みとしての思想が変容していくので、その変容に対応できる思想の販売(講座の開講)をします。

◎知的生産実践のための講座について
(1)自然との共生をテーマにした講座を開講します。
(2)生活を創り出すことをテーマにした講座を開講します。
(3)教養を高めるための講座を開講します。

◎身体と心の健康を創るための講座について
 身体をつかう実践講座を開講します。





 

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<掲載写真は、2010.12.26 仁左衛門朝市風景>
※2002年2月17日付の文書を掲載します。

<地域の自然と生活の出来事を提供する工房>
コミュニティカフェの開業について

コミュニティカフェ&プレスオフィスの基本的性格
 これまで重要視されてきた「自己」を超えて、人と人の間で共有する深い結びつきが生まれてくるような場所。このような場所で、私とあなたの関係を創っていくことで自己の居場所を手に入れる。このことを原点あるいは原風景として場所創りを始めていく。
 この原風景を共有して何かをはじめていく「何か」についてのキーワードは、ローカル地域内での生産と消費と、それに伴う付加価値である生活情報の共有だと考えられます。
 「カフェ&プレス」の組み合わせられてある場所。この空間領域の今後の生成展開のなかに、地域経済の活性化と生活の充実、生涯教育的側面、アート化側面、心と身体の合一的な術を伝授される場所、などとして設定される。
 いま、老若男女、人々がそれぞれに生きていく目的・目標を定めるとしたら、「こころの安定」と「生活の安定」、それに「知的充実感」といったところでしょうか。自己を超えて共有するという意味合いは、それぞれの自己が持っているものをその場所に提供していくことであり、新しい生き方を過去のさまざまなスタイルを参考にしながら、自分なりのスタイルを生きていこうとすることです。
 自己の持っている様々な財産(物質的、精神的)を地域で共有していく、といったようなことでしょうか。このことで、他者や地球の生態系や宇宙の存在や、動物たち植物たちと同一化、していくこととでもいえるでしょうか。
 自己を超えて共有できていくもの、創りあげていけるもの、そしてこの創りあげるための戦略といったような思考と実践の繰り返しが必要だと思うのですが、これを通り超えたところに、あたらしい社会の枠組みがあるように思います。

 さて、その自己を超えるところに生じる枠組みが、<地域の自然と生活の出来事を提供する工房>コミュニティカフェ&プレスオフィス、という概念です。
 この基本コンセプトは、個人と個人をつないでいくためのフレームとユニットの構成です。今後の社会において必要な組織というのは、これまでのような組織ではないと思います、
 スケールメリットや収益を追求するような組織ではなく、単体または複数の人間が組み合わされるユニットのネットワークで生命活動が展開されていくものと想定しています。
 その基本形は、相手が見える関係です。その関係のなかで生産されたものが流通する。生産されたものとは貨幣または地域通貨で交換される品物です。
 その基本形を創生していく試みとしての工房が、コミュニティカフェ&プレスオフィスの場所・空間です。(この項おわり)







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<掲載写真は、2009.5.17 京都大原の朝市風景>
※2002年2月17日付の文書を掲載します。

1、基本コンセプト
地域の自然と生活の出来事を提供する
コミュニティカフェ&プレスオフィス(CCPO)

<地域の自然と生活の出来事を提供する工房>
コミュニティカフェの開業について

はじめに
 あたらしい社会の枠組みが目の前に来ており、人間が新しい生き方を実行していくとしたら、どのようなシステムが必要なのだろうか?。
 こういう質問を発し、解決していこうとすることは、あたらしい社会の枠組みのイメージがどのようなものなにかを、明確にしていくことと同義です。
 この枠組みの明確化は、いま私たちが直面している、いろいろな問題への解決を探る道筋として、あたらしい枠組みを生み出すための場所・空間が機能していくことで明確になってくることでしょう。
 このように根本的な領域で、あたらしいシステムを考えるべく場所・空間の創出を試みなければならないでしょう。 

 私たちのまわりには様々な問題が提起されています。たとえば地球環境問題やエネルギー問題、また、個人の心と商品のあらたな関係を探る「宗教的領域と近代主義」の融合化問題などがあります。
 世界の構造は、ますます加速するグローバル化の波で、日本の経済構造をも大きく変容させていくと同時に、人々の心のあり方やあたらしい生活管理システムの開発、流通のあり方、等々、私たちが直面している問題は、マクロには地球規模で、ミクロでは対面する人と人との関係で、あたらしい創生をどのように捉えていくのかという、基本的認識を必要としています。
 時はすでにあたらしい社会構造の入り口のところに立っており、その構造も少しづつは見えてきているように思われます。それはグローバル化に内在するローカル化の現象だと思います。この現象を創造的に捉えて、実践していくことを具体的戦略として、パラダイムシフトをどのように実現するのかのプロセスを、考えることが必要だと思います。



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<掲載写真は、2006.9.2 京都農塾の収穫風景>
※2001年8月5日付の文書を掲載します

1、なぜ、いまフリースクールが必要なのですか

 現在、日本の社会現象件でいうと、政治構造の行き詰まり、経済的活動の行き詰まりといったように見える変動が起こっています。また世界に目を向けると、民族、地域、国家といった領域で、新たな枠組みが生まれる兆しが見えてきます。そこから派生して、あるいはその関係の真っただ中で、私たちの周辺に起こっている雇用形態問題と職業観の変化、産業構造変化と就業観の変化、銀行資本の統廃合などの事態による社会不安と生活不安といった社会変動が認知できます。

 また生活者のレベルでは、学校の教室としての教育の崩壊、さまざまな心の病による個人の崩壊、グローバル化(価値の世界単一化)する経済とローカル化(価値の地域分散化)が統合されないまま、流動的に交差しています。
 こういった現象面を認知したうえで、今後の統合されていく方向を見極め、その良否を模索することが必要ではないかと考えるのです。

 フリースクールというと学校のイメージが強いですが、上記のような社会現象が認知され、今後の人間の在り方、生活スタイル、関係の捉え方、などを考えること、それを共有する場所の創造が、ここでいうスクール機能です。そしてその場所で様々に論議されることと、そこに集まった人たちにより、実際に生産の関係を創っていくことを近未来の目標としていきます。

 現実には、いまある社会から変化していく近未来に対して、5年、10年の計画のなかで、各段階の目標を見定めながら、それぞれのステップにおいて検証と方向の修正を行う機能が必要です。それは21世紀全体を示唆すると同時に、その検証を行っていく機能をもった人の集まりです。

 これらのことを実現していくためには、具体的な現状の把握を行い、同時にあるべく姿の世界像をイメージする必要があると思います。そういった内容のものを考え実行していける人材を育成するための場所として創られる場がフリースクールです。

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