中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

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今日から2016年になりました。
なにかしら昨日と今日とは全然違う日として断絶した感じがします。
気分的なもので、単純には連続しているのに、区切ってしまうのです。
年末には、これは錦市場の風景、人混みしています。
観光客相手のお店が増えて、市民の足が遠のいている、というのです。
確かに、外国からの観光客が多かったように思えます。
ああ、今日は、正月、元旦、前向きの話をしていかなくちゃ。
前向きったって、そうですね、これから先どうするのか、前向きに、でしょう。
(続く)

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クリスマスイヴ、とはいってもぼくにはあまり関係ない。
今夜は帰りが遅くて、家族と一緒に食事するなんてしません。
この12月は、パソコンを入れ替えたので、そのメンテに時間がかかっています。
ようやく一巡、ホームページやブログへのアクセスを終えたところです。
このブログでは、これまでに書いた文章を再録していましたが、今は違います。
現在点での文章をライブで書いて、載せていくということです。
ところが最近、論を構成する文章が書けなくなってしまったのです。
フィクションならイメージを文章化すればいいだけなのに、これもできない。
どうしたことか、わけわからん、あたまが老化してしもて、あかん。
まあ、そういうこといっていても仕方がないので、支離滅裂しようと思っています。
こうなってしまった原因は、それなりに自分ではわかっているけど、なんで?
なんで、こんなことになってしまうのか、心の中なんて、不思議なものですね。
まもなくお正月、2016年になるというのに、われ、70歳です。




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iPhoneを使い出して2ヶ月少し、これで写真を撮っています。
かなり小回りをきかして、その場でアップロードすることにしています。
GPSにより場所が記録される。
瞬時にネットワークにあげることができる。
リアルタイムで、いまのところ静止画を羅列している。
いまどきの作品作りの方法を、模索しているところです。
車窓からの写真が多いのは、瞬時の成り行きを、定着させる。
そんな発想もあって、粗悪品、作品つくりに励んでいます。
気持ちが、動転してしまって、どうしようかと思う。
自分の在処を探しているんです。



ぼくの写真史-16-
  2005.11.7~2006.3.16

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2006年です、早々に一言
あけましておめでとうございます。2006年ですね・・・ボクは1946年生まれだから、60歳になる。何かしら自分で信じられないな~という感じです。いつまでも若いままでいたいですが、身体のほうは老化しているのがわかります。でも、気持ちのほうは、ますます若くなっていくのかな、なんて思っています。

綜合文化研究所なるもの、構想からおよそ5年が経ちます。最近、その構想の細部をWEB上、そして現場を作りつつありますけれど、ちょっと自分でも混乱するくらい、多岐にわたってしまったようです。綜合文化研究の各パートを少し整理整頓しないといけないのかな~と思ったりもしています。それと個人的作品制作、今年は作家をやろう、と正月早々思った。

ボクが展開しているWEB戦略・・・多岐にわたって、迷路のごとくなってしまったHPやブログ。全体像を把握されないように迷路のようにしているところもあるんです。現代社会が迷路のようになっていて、全体像がつかめないようにです。ただ、いえることは、資本に対抗する、このことです。ひとりの人間が成し得ることなど、ちっぽけな、たかが知れたことです。WEB上で全方位から押し寄せてくる情報に対して、全方位に情報を対抗させていく。そんな無謀な試みを、けっこう面白がってやっている自分を発見します。

1月3日、綜合文化研究所を中心とした展開マトリクスを書面化してみた。学校、生産、発信、交流の四つの分野に分けてみて、それぞれが入り子状になっていて、相互関連を持っている。世の中の表と裏、ボクの表と裏、それらを全体として現代文化として捉える試みだ。グローバル化への対抗軸。心の抑圧からの開放軸。大きくはこの二つの対抗軸をもって、各パーツを動かしていく。このような基本設定が見えてきたといえる。

ここでは、この軸の具体的な展開を整理していきたいと思っている。けれども、浮気性なボクは、あっち行ったりこっち来たりで、まだまだ定まらないです。その時々の興味で、動いているんです。まあ、今年も何かとよろしくお願いします。
☆文学・小説を手がける
文学とえいば、ボクは高校2年のとき個人詩集を発行していました。「そなちね」という名前の詩集で、ガリ版刷りの詩集で、3号まで発行して終わった。俗にいう3号雑誌です。その後、1年間浪人生活をしていたころ、1967年前後には、小説家になりたいという意志をもちました。大学へ入り、文芸サークルに入部し、何点か短編を載せ、文学論を交わしていました。1970年を越えた頃、同人「反鎮魂」というグループをつくり、毎週日曜日の午後に読書会、そうして同人誌を発行していきました。ボクは、けっこう硬派な小説を書いて発表していました。

1975年か76年頃には、小説を書くということに閉塞感をいだいており、その頃から写真に熱中しだします。高校時代から大学を卒業する約10年間が、いわばボクの小説家をめざした年月でした。その後も、文章を書くということは、かなり断続的ではありましたが、写真評論を手がけたり、写真情報誌「映像情報」を発行したりしてきました。文学というには遠い感じがしていて、もう詩や小説を書くこともあるまい、と思っていました。

再び文章を書くことを手がけたのは、2001年の秋前後からです。その2年程前から、読書を始めた。手当たりしだいに興味分野の書籍を読み・・・とはいっても哲学系原書には及びませんですが・・・小説を読み直そうと思い出してきたのです。五木寛之のエッセイ、遠藤周作の小説をまあ、徹底的に読破しました。そのほかにも傾斜していった作家もありますが、現代の流行作家の小説もいくつか読みました。

2002年にそれまでの仕事をやめ、その前後に構想した綜合文化研究所の設立を着手しだしました。2004年4月にWEB上にホームページにて設立し、最初の現場は写真学校を作ることから始めて、文学校、農学校、自然学校なんてヴァーチャルですが枠組みをつくりました。評論を手がけて、猛烈な勢いで文章を書いた。難しい理論はさておいて、自分の思いを文章化していくというものです。そういうなかで、フィクションを書きたい、つまり小説形式の文章を書きたいと思うようになってきました。

現在、えろす領域をテーマにした小説を書くようになり、写真評論や社会評論とは別枠で、展開しだしているところです。本題はまた別途、書いていきます。

☆まるエコ塾
滋賀県のプロジェクトにこんなのがあって・・・と、昨年の春先に菱川さんから話を聞かせてもらって、興味をもったのが始まりで、当初10月開塾予定が12月になったものの、計画は着実に進められたと思います。菱川さんの<情報ボックス>プロジェクトのラフ案をみたとき、ボクなりに全体像が見えた感じがした。

ボクの企画プロジェクトは、綜合文化研究所を想定し、WEB上で設立させたのが2004年4月です。学校機能を軸において、生産、発信、交流の三つの領域をクロスさせていくマトリクスを描いたものです。あい写真学校と写真ワークショップ京都は、学校機能の柱です。むくむく通信社は発信機能の具体化です。

生産にこだわるボクは、京都農塾の塾生となった。そこで知り合ったのが菱川さん。ネットワークつくりに精力的にエネルギーを注いでらっしゃる人です。ボクのほうは、見る前に跳べ、だからミーティングに参加させてもらって、まあ、好きなことをぺらぺらと喋っていました。そうしてボクは、まるエコ塾長ということになり、まるエコ塾の基本ラフ設計をやりだした、というわけです。

まあ、ある種、戦略的アイデアをもって、イメージを作っていって、内容を固めていく・・・。ボク自身が批判する<ハリボテ構造>と同じような構造だと思いながら、反ハリボテ構造を作ろうとしている、と自負しておきます。

まるエコ塾は、写真塾と記者塾、つまりボクの領域と菱川さんの領域が、ひとまず開塾したというところです。ほんとうは生産する塾が優先的に立ち上がるべきだと思っています。でも、今年、プレ開塾にまで作れると思います。追ってまた企画を進めて、ここに書きつけていきたいと思います。

☆まるエコ塾 2005/2/9
まるエコ塾が始まって、6回目が昨日2/9開講しました。地域ジャーナリスト養成講座としているのですが、昨日の塾では、この地域ジャーナリストの枠つくり。一般にジャーナリストというと、事件やイベントがある地域へ赴いて、取材し、メディアを通じて公開するというプロセスです。歴代のジャーナリストから、キャパさん、サルガドさんの取材方法と作品を見ながら、では、地域ジャーナリストとは、どういうことをするの?という問いかけをしてみました。

歴代ジャーナリストは、おおむね自分の生活圏とは違った場所で、取材活動をします。通過形、滞在形と取材の形は違いますが、生活圏外で取材します。そうしてそれらの写真や記事は、メディアを通じて公開されます。ここに取材者と非取材者、撮る側と撮られる側があり、見る人は第三者という図式です。この形が一般的なジャーナリストのありかたです。

ボクの立場でいうと、1978年から取材に入った釜ヶ崎で、この形を変形させようと思った。撮る側と撮られる側、それに鑑賞する人の関係を、一体のものとする形です。でも、そのときのボクには限界がありました。そこに生活する人ではなかったわけです。

地域ジャーナリストへの試行がその当時に思考され、いま、あらためて枠組みをつくっていこうとしているわけです。被写体となってきた人が、みずから記録者になる。それも生活圏において・・・。地域ジャーナリストの枠組みは、このことを実践する人のことをさします。このように考えているところです。

☆春に想う
毎日の過ぎるのが早い。そのように思う日々です。この前、この日記をつけたのが2月10日とあります。今日は3月16日だから、一ヶ月以上も放置していたことになります。

春です、昨日、桜を撮りにいきました。平野神社です。一昨年、昨年と2年にわたって、平野神社の桜を撮りました。今年は3年目になるのだけれど、この2年は、桜花のピークを中心に撮ってきたんです。地域の文化をみつめる。地域文化研究という枠を課しているんですが、その実行ということも意識しているのです。桜にもいろいろな種がある。ソメイヨシノが意識の中心だった。桜といえば、それをさしているような感覚だったのが、最近は、そのほかの種、昨日は桃桜、-とうおう-っていうんでしょうか、春一番の桜花。

きらびやかな光景に気持ちが向いていくのは、身体が衰退していくことに原因があるのかな、と思う。昔読んだ、谷崎の細雪のなかに、広沢の池あたりで四姉妹だったかが花見をしている描写があったことを思い出す。和服と桜と京都の光景だ。ボクの最近の興味も、そこに至っているんです。

桜にまつわる記憶は、東松さんの桜取材だ。もう20年以上も前の話だけれど、東松さんの桜取材に同行して、一緒に桜を撮らせてもらった。そのとき、ボクは桜をアップで撮った。東松さんは、そんな写真は撮らない、ということを言った。その後、桜の写真集を出版されたけれど、桜花のアップ写真はない。

固守するわけではないけれど、ボクは桜花のアップ写真を撮る。キャノンのデジカメで、マクロではないレンズだから、おおむね最短で撮る。そのように最近は思っています。花そのもののディテールなのです。これはテーマ自体に由来する撮り方だと思います。東松さんは、たぶん、文化という枠組みで桜を捉えられたと思うのだけど、ボクは情の枠組みで捉えようと思っているのです。



 写真への手紙・覚書/写真物語-6- 2006.4.28 nakagawa shigeo

ぼくの写真史-15-
  2005.11.7~2006.3.16

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☆天神さんの縁日
毎月25日は、天神さんの縁日、北野天満宮です。ぶらりカメラを持って出かけました。目的は古い着物を撮ることです。着物シリーズを手がけているところです。和服の着物です。赤い色が多いです。古着屋さん、この和服の山を見ていると、何かしら情が湧いてきます。古い昔のイメージで、ボクの心を締めつけるなにか・・・。とおい記憶を呼び覚ますのです。

京都に生まれて京都に育った。そうして今も京都に住んでるんですが、北野天満宮は近場でもあり、子供のころからの遊び場、縁日のたびに胸をワクワクさせていたものでした。生まれて育っておよそ60年が過ぎていくわけだけれど、その心のふるさとに天神さんの縁日があるような気がします。

京都を分析しようなんて思っても、そりゃ~無理っていうもんだ!そんな概念じゃ~ないんです。感じていくなかに立ち現れてくるイメージなのだと思います。最近はちょっと落ち着いてきたから、出来事の一つ一つに感じていこうと思う。写真作業は、ぼちぼちと進めています。何のことは無い、今あるものしか写らないんだけど、それでもボクのなかで、昔の記憶と目の前の光景がダブってくるのさ、ね。天神さんの縁日なんてその最たる光景ですね。

☆写真にまつわる
まあ最近は写真を軸にボクの日々が組まれているといってもいいですね。今日は、写真ワークショップ京都の12月テクニカルレクチャーの開講日です。先日、12月1日に、まるエコ塾が開塾させたのですが、ボクの担当は写真塾です。

もともと写真を撮る、写真を考える、という枠組みは、写真の外側への体験を、写真画像にしていくわけです。ボクの場合、写真に撮られる被写体を求めること、そうしてその枠組みをつくる場をつくる、この二つが共存しています。

京都で始めた写真ワークショップ京都。この写真教育システムは、1984年に企画したフォトハウス京都(当時は、フォトハウス)の再開の中で、これまでの体験ノウハウを詰め込んだ講座です。

まるエコ塾は、講座が扱う領域自体を拡大しており、その中に写真表現の項がある。そんな企画で、中核は、写真ワークショップ京都です。この現場に先立ち、あい写真学校たる通信で学べる写真学校を立ち上げた(2004年4月)のですが、その半年後にギャラリー・DOTの岡田さんと共に、本拠地たる写真学校の設立を目論んだところです。

このようにみると最近のボクのなかは、写真というものにまつわる行為に終始しているといえます。今日掲載の写真は、12月1日開塾のまるエコ塾風景です。

☆早いな~12月
12月16日・・・もう今年もあと二週間少しで終わってしまう。暦という怪物があって、何時も手元に置かれていて、今日が何年何月何日・・・なんてこと確認しているんですが・・・今年は、山の生活、あわただしかったせいもあって、ゆっくりできなかった。

写真は行く度に撮っているんですが、丸二年が経って、3度目の冬を迎えることになります、山の生活物語です。「山の生活物語」とは、ボクの写真作業のタイトルとしてつけているものです。2年前にキャノンのデジタルカメラを買って、それから写真撮りが始まったんですが、ね。金沢の山手にいまはまだ別荘として使っている家をこしらえて、11年目になります。

最初はソニーのビデオ、ハンディカムで、移り行く季節の風物を撮っていたんです。数年前から写真をも撮るようになっていました。昔使っていたニコンの自動露出カメラに、55ミリマクロレンズをつけて、別荘の庭と、その周辺です。ネガカラーフィルムです。ボクの写真を撮るわだかまりが、解けてきたから・・・なんですが、1984年3月に写真を撮るのをやめようと決断したんです。そのとき、10年を封印しようと決断したんです。結局、それ以上の年月が過ぎ去って、ぼちぼちとカメラを持ち出した、というわけでした。

この2年間で、写真を沢山撮ったと思っています。もうなんのてらいもなく、どんどんホームページに掲載していってます。総数二千点を越えてると思います。ここにも最近撮った写真をアップしています。2005年12月12日朝の真弓の実です。

☆ドキュメントの手法
ボクのドキュメント、その方法論とでもいえばよろしいんでしょうか。自分が居る現場で写真を撮っていく・・・。ドキュメントの方法として、そういう手法をとっています。

12月17日、赤熊自然農園の一角で造られている、石窯つくりに参加しています。この日の作業を写真に撮った。これがボクの写真作品となる。もちろん沢山撮りますから、即作品採用ということではないとしても、そのつど、最新情報で発信していく。

インターネット環境が大分整備され、いまやだれもが情報発信できる時代です。だからボクの発表媒体は、インターネット上です。自分が関わる現場で、写真を撮ります。興味ある現場で主体的に関わっていきます。写真を撮ることを平行させていきますが、写真を撮ることが第一目的ではありません。

かって1980年代に、ボクは映像情報を発行していましたが、その当時の考えかたと変わってないですね。写真が日常風景に向かうべきだ、という命題を掲げて、釜ヶ崎取材に入ったんです。けれども運動体に寄生するカメラマンという立場を脱却できなかった。
それからかれこれ20年が過ぎて、いまは主体的に関わる現場を記録している。写真と文章によるドキュメント!の手法です。

☆クリスマスイヴ
もう12月24日、世間並みに話題を取り上げれば、今日はクリスマスイヴ・・・普段と変わらない日々の一日なんだけど、気になることは気になります。

今日も朝から、パソコンの前に座って、ブログに記事を書いたり、HPのメンテやったりして、夜になりました。そんななかで、或るグループサイトをつくった。虚構の人物を、小説の主人公のようにして、ネット上を歩かせてみようとの試み(考え)です。

小説という物語を一冊の本の中に閉じ込めてきた文学という芸術分野です。これを今の時代に置き換えてみれば、仮想空間があるじゃないですか。インターネット環境という代物です。この仮想空間をリアルタイムに捉えていく。かってハイレッドセンターのハプニングってのがあった。なんか、それのサイバー上行為のような気がしてるんです。

それぞれの時代に、独特のメディアの形があり、価値創造の役割を担っているわけだけれど、全てを既存のツールを使って、いうなれば公共の路上に替わる、サイバー上のストリートで、ネットワークを創り出す。その登場人物は、あたかも小説の主人公を設定し、息吹をあたえていくプロセスと同じようなものだとおもうのです。

メディアアートとかヴァーチャルアートとか、メールアートとか、サイバーネットを使ったアートの一端を、試みている、と思っています。はたして、どうなのかは、これからの展開に、なる話だ。危ういアートの形ではあるけれど、新しいアートの形として、ボクは認定しているんです。


ぼくの写真史-14-
  2005.11.7~2006.3.16

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☆東松照明展
東松照明さんの写真展が今日から始まるというので、大阪まで見に行った。
淀屋橋にある「ギャラリー新居」。東松さんと会えるかも知れないと期待しながら行ったけれど、今回は来られないとのこと。図版を買い求め、芳名帖に名前を書いて、数枚、会場の写真を撮らせてもらった。

京都市バスで四条河原町まで行き、阪急に乗って梅田へ、地下鉄御堂筋線一駅、淀屋橋まで。ギャラリーの所在がわからず、2回、淀屋橋から新御堂まで行き来してしまった。三和銀行旧本店、瓦町という表示板。かって行き来した場所へ、久しぶりに赴いて、複雑な気持ちになった。会場には10分ほど滞在したと思う。コーヒーでも飲もうかと思いながら、やめて、そのまま京阪特急に乗り込んだ。京阪電車、これも思い出多き電車だ。淀屋橋の階段降り口で、もう30年も前だな、長女を連れて写真材料の買出しにいった。そのときの光景をふっとよみがえらせていた。

四条で降りてそのまま市バスを待ち、乗り込んだ。四条のバス停で、四方の風景を写真に撮った。家を出てから帰りつくまで、5時間の行程だった。 

☆エグザイルギャラリー
エグザイルギャラリーは、北白川にある。西澤豊さんが主宰しているギャラリーだ。今日、そこへ行ってきた。1999年オープンで、これまで5回写真展を開催したという。今日は、松井洋子さんという人の写真展。目的は、西澤豊氏に会うことだった。

もう10年以上も前のことになるという、表現大学へ西澤氏が受講しに来ていた、税理士さんだった。同じ京都に住んでいて、いわば様子伺いといった訪問だった。綺麗なギャラリー空間だった。顔を合わすなり、西澤氏も気づいてくれた。ボクが京都で、DOTと一緒に写真学校を始めたことなどを話した。共同作業ができないかなとも思ったのだったが・・・。

自転車で、出町柳から百万遍へ、そこから北白川のギャラリーを探しながら行った。そうして西澤氏と会話して、また自転車で・・・今出川通りへ出た。京大農学部前、そこでカメラを取り出して、シャッターを切った。路上を撮った。1969年春先の光景が、脳裏に甦ってきたのだった。

路上バリケードの前で、投げられた火炎瓶のガソリンが燃え盛っていた光景。機動隊が催涙ガス弾を打ち込んだ光景。昨夜のニュースで、フランスで暴動が起こっているという光景を見た。それが誘引となったのかも知れなかった。1969年春の光景が、目の前に妄想されたのだった。

平和だな、と思った。自動車が行き交い、自転車に跨った学生とすれ違った。光景は、ボクの妄想にしか過ぎないのだ、と思った。ちょっと憂鬱になった。理由はわからないが、メランコリー。晴れた日の午後の時間だった。
☆写真ワークショップ京都11/12
昨日、11月12日は、写真ワークショップ京都の11月セミナー&ゼミの日でした。4月に開校して8ヶ月、今回のWSには、新しい参加者が2名、見学されました。写真の勉強をしたいと、やる気満々の二人、男の人と女の人。毎回、参加者の顔ぶれが定まらないんですが、内容的には、まだまだ試行のところがあるので、欠席の人、なんで欠席なの、と心配になってるのも事実なんです。

技術を教え学ぶカリキュラムってのは、ある意味、楽なんです。というのも撮影や写真制作技術という、確実なものを伝えるんですから、楽なんです。
セミナー&ワークショップの枠組みは、不確定要素、つまり考え方や捉え方、そのこと自体をテーマにするわけだから、やってて不安になってくるんですね。これでいいんやろか~なんて思ってしまうわけ・・・。なるべく参加者が、自らの言葉で発言して欲しい、と思いながら、言葉が少ない・・・。

新しいお二人が、言葉を沢山紡ぎだしてくれたので、正直なところ楽でした・・・。でもしゃべれなかったメンバーの気持ちを、推測すると、これでいいのかな~?やっぱり思ってしまう・・・。

一日あけた今日です、そんなこと思ってしまって、ここに記述しておきます。
ホント、主宰者がこういうことを言ったらあかんのだけど、ね。

☆イタリア紀行
11月14日から21日まで、イタリア旅行に出かけた。JTBのパック旅行です。
ヘルシンキ経由でミラノへ到着。ベローナ、ベネチア、フィレンツェ、ナポリ、カプリ、ローマ・・・。あわただしい観光旅行だった。35年目の新婚旅行と云うのも恥ずかしい気がするけれど、同行16組中、14組が新婚旅行の若いペア、それに得体の知れない中年ペアとボクたちのペアだった。

イタリアというと、最近ではスローフードの発祥地とローマ法王庁、サン・ピエトロ寺院がある・・・程度の思いで出かけた。断片的に刷り込まれたボクの知識。旅の途中の観光ガイドで、ほんと、断片知識がそれなりのまとまりとなってきた。

ルネサンスの発祥地なのだ。レオナルド・ダビンチ、ミケランジェロ、その程度の名前なら知っている。フィレンツェ、ベネチア、ローマ、その程度の地名なら知っている。その程度なのだけど、訪れた先々で、刷り込まれた記憶が、断片として浮上してくる、経験だった。

キリスト受難のイメージが、ボクの記憶のなかにあり、それを絵画や寺院を目の前にして、ある種の感動が紡ぎだされてくるのだった。いくつかの見慣れた絵画や彫刻があった。遺跡があった。そして旅は、その記憶を甦らせてくるのだった。

写真を撮る。今回はデジカメ、バッテリー消耗の範囲で、撮る。出発前に、130~150カットが撮れる計算で、撮影旅行ではない。旅の記録程度の思いで、出かけた。訪問する各都市で、10~20コマ程度の枚数だ。寺院内部や暗い場所で、シャッターを切るとき、手振れする。まあいいや、と思いながら撮った。177コマ撮れた。整理して70コマをセレクトした。極端に手振れたコマは除いた。感動して撮影したコマがいくつかある。磔刑のキリスト、マリアに抱かれたキリスト、サンピエトロ寺院の内部・・・それらがアルバムに残る。

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