2006.7.2
関係性の芸術-1-

関係性のなかの芸術という問題は、ネットワーク思考の時代になって、人と人との関係について語られることが多くなったなかで、新たな芸術のあり様が、求められてきているように思います。そこで人と人の関係を作る場の関係性を、それを介在するインタフェースを、最初にとらえてみます。

人と人が対面で顔をあわせ言葉を交わす。これが関係の原点だとすれば、手紙を交換する、電話で話をするということは、その原点から派生した形です。対面はリアルなライブです。手紙は伝送の時間が必要となりますから、一定の時間枠のなかでのバーチャルな場です。電話は基本的に声だけの双方向通信が現状です。

これは面識ある人と人の関係の中で使われるとき、半リアルなライブです。このように対面、手紙、電話と歴史的時間帯のなかで作られてきた人と人が関係する場があります。手紙はリアルで人が介在するネットワークです。電話は電話機という手段が介在するネットワークです。最近では、電話回線を使って提供されるサービスに、携帯電話+写メールがあります。いずれ写真に変わって動画が交換される装置になります。

自分を表現することを、他者に知らせる。基本形は、私とあなた、第一人称と第二人称の間で行われるコミュニケーションです。ここで関係性というとき、基本形は二者のコミュニケーションです。電話網はネットワークです。網の目のように張り巡らされたネットワークです。ボクたちは、このネットワークを使ってコミュニケーションする。最新の事例だと、電話回線網を利用した携帯電話+写メールがあり、インターネットを利用する自己の表現発信があります。

パソコンや携帯電話がハードウエアとして供給され、共用電話回線が提供されて、ボクたちはそれらを使いこなす需要者となります。芸術を、生成される現場の関係性で捉えることで成立する場、とするならば、一般的に使われる装置を使って、いかにして芸術たらしめるのかという提起がなされます。

芸術とはなにか、芸術とはなにを指し示すのか。いま問われている問題は、この<芸術>の中味のことです。個人の営為の結果生み出されたモノが、他者の目の前に置かれることで成立する芸術の形ではなくて、ネットワーク上に生成される芸術、つまり<関係のなかの芸術>とはなにか、なにを指し示すのか、この問題を解く作業が求められているのが、現在の視点です。

2006.7.15
関係性の芸術-2-

<芸術>の中味は、創り出すヒトの心、情動、気持ち、とでも表記すればよろしいでしょうか。作品制作のプロセスで、制作するヒトが突き動かされる<感情>そのものであるとボクは考えています。出来上がる作品が、社会的コードの中で読み明かされ、その作品の社会的意味が詮索され、社会的存在として認知される。この<社会的>というのは、外観、外側、表皮の部類に属しており、中味を意味するものではありません。ここでゆう中味とは、ボクは、制作者の心のありようだと認定するのです。

制作者の心は、何を求めているのか。ボクは基本的に他者とのコミュニケーションを求めているのだ、と考えています。この他者を求める心は、ヒトだけに留まらない。たとえば神と称される創造物とのコミュニケーションということもある。その心は、制作者が理想とする関係を求めているのだと思うのです。制作プロセスを、他者との共同で、相互に交換し、制作プロセスの場を共有し、つまりそこに含まれる共有者の心を感じあう。この感じあうことを目的になされる芸術の形を、<関係性の芸術>と呼ぼうと思うのです。

共同体は個人の集合で構成されています。国家という共同体、会社という共同体、政治共同体、経済共同体、個人の集合によって構成されている共同体は、システムを持ちます。生産と消費の循環システムが基本です。この循環システムに組み入れられた個人は、感情を疎外される。あるいは感情を排除することで成立するシステムです。ですから、共同体の生産と消費の循環システムに内在するものとして<芸術>という概念が生じます。芸術は、疎外された、あるいは排除された心を救済する立場の関係です。

ボクは、個人の孤独な制作プロセス時空を、個人と個人&個人という共同関係の時空に制作プロセスを置く芸術、これが<関係性の芸術>と呼ぶにふさわしい形式だと考えています。相互コミュニケーションのなかで成立する芸術、つまり心の救済を求める<関係性の芸術>を想定しているのです。そして、この<関係性の芸術>を成熟させるための道具として注目しているのが、デジタルネットワーク装置だということを、ここに付け加えておきます。


2006.6.22
写メールアート

携帯電話についているカメラ機能を利用して、アートができないかとの思いが、かなり前からありました。ネットワーク・アートとか、メディア・アートとか、近年のアート形式のなかに現れてきたアートの形です。その範疇のなかで、ボクは、関係するアートの形を模索しているのです。

アートは、いつも時代の先端技術を取り入れてきましたし、その時代流行にさきがけて、ツールを使ってアートの形としてきました。このような発想に立つと、今なら、ここに携帯電話というツールがあり、デジタルカメラというツールがあり、インターネットという媒体があります。これを組み合わせることで、アートの形になる。このように思うわけです。

一方で、アートとはなにか、という問題を解いているボクが居るのですが、二者の間にコミュニケーションが成立する関係をとりあげ、そこに情の交流が生じていくとき、その形がアートに昇華するとの仮説を出したところです。この形式が新しいものだとは、決していえないのですが、ツールと媒体を、携帯電話とインターネットの組み合わせであることが、新しいのです。

かってドストエフスキーは、貧しき人びと(1846年発表)を書きましたが、この小説は手紙形式をベースにおいています。また、文通形式をベースにする作品も、ジッドの狭き門など、多々あることと思われます。そうしてこれらは、作家の内部で作られた人格を演じさせることで成立した作品でもありました。

ネットワークアートの形式は、個人の営みの中から生まれるアートではなく、他者との関係性のなかに生まれるアートです。アートであることはフィクションでもあるわけですが、これを写メールというツールを使って、作りだしていきたいと考えているところです。

具体的には、二者の関係性がそれだけで完結するのではなく、一般に公開されなければなりません。リアルタイムに公開されるか、タイムラグを置いて公開されるかは、リアルタイムが望ましいわけです。しかし素材を組み合わせて、アート作品とするには、それなりの加工が必要なのかも知れないです。具体的には、ブログを使います。さて、いよいよその実験に取り掛かる準備が整ったようです。

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