京都で写真を学ぶなら
 <京都写真学校>

徒然にっき
2012.10.2~2013.3.18
  PICT0569
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写真家東松照明さんの訃報に接す。
2012年12月17日、沖縄の病院にて死去。
死因は肺炎、82歳。
人間は死ぬ、いつの日にか死ぬ。
1930年生まれの東松照明さんでした。

彼が京都取材のために京都へ来た1981年年末。
1982年の正月、京都に来てた彼から電話があった。
三条河原町の六曜社で待ち合わせ、午後9時。
それが東松照明さんとの最初だった。
その後三年間、京都取材が終わるまで取材に同行した。

ぼくの最近は京都をテーマに写真を撮っています。
先輩東松照明さんの京都を意識しないわけはありません。
桜にしてもそうでした。
東松さんの「桜」は、風景を取りこみます。
ぼくは、桜の花そのものをクローズアップ。

彼の京都は有名人を撮って並べる。
ぼくは無名の人を撮って並べる。
いえいえ、彼には及ばないかも知れない。
ただ、通りすがりの彼とは違う、ぼくは地場です。
通りすがりの方がいい写真が撮れるかも、とは彼の弁。

三年間、二人だけのワークショップ、セッションをしてもらった。
西井一夫さん、平木収さん、東松さんを通じて、知った。
東京のマンション、代々木、中野、千葉の一軒家へ、赴いた。
妻と一緒に千葉の家へ行ったのは1994年だったか。
思い出尽きない東松照明さん、ありがとうございました。
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このまえに東松照明さんの訃報にふれました。
弔いの気持ちを持ったまま、あれこれ考えていました。
そうしているうちに大島渚さんの訃報です。
大島渚さんとは、ぼくは直接の面識はありません。
でも映画監督として興味ある方でした。

若松孝二さんでしたね、そのころエロ映画の監督。
そうゆうことでいえば大島さんは「愛のコリーダ」。
DVD版で見たけど、これには影響受けます。
愛欲シーンがたっぷりあるじゃないですか。
刺激的な映像、色彩もまた、素晴らしい。

ぼくの人生、その年月の長さは66年強です。
いつのころからか文章や写真や映画の濡れ場に興味を。
ぼくのできないもうひとつの表現世界だと、思ってきました。
そのころの作家さん、おおむね性の解放運動。
人間の本能、欲望、満ちる情と欲、その世界です。

東松照明さんだって、本音、撮りたいと言ったんです。
でも、作品の流れ上、作品にはできなかったと思う。
縛りやりたいねぇ、なんて酒の場で聞いた。
京都を継続されておれば、その領域に至ったかも。
いすれにしても、彼らは逝ってしまわれた。

残された者は、何をと思う。
その継承者たらんとするかぁ。
ねじまげて継承しないと二番煎じだ。
東松さん、大島さん、ありがとうございました。
三辺さんのお葬式の時、大島さんに会いました。
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冬はどうもこもりがちになっていけません。
こころが萎えるってゆうか、鬱になるってゆうか。
外の世界がこわいようにも思えて、おびえています。
自分のいる場所が、明確にならない感じです。
分裂してる、自意識とか、視線とか。

過去の文章をあらためて書き起こしています。
デジタルデーターにするための作業です。
没頭するというほどではないけど、時間をかけてる。
昨年のいまごろに、フィルムスキャンを買って一年。
釜ヶ崎、京都、とフィルムをスキャンして、いま白虎社。

フィルムで撮っていたころのこと、思い出します。
1977年ごろから本格的に撮りだして1984年に終わる。
自分の写真をといえば、釜ヶ崎、労働者の写真。
いま、ブログに、アルバムに、発表しているところです。
まだまだ、これからの作業になると思います。

それらと並行して、その当時に書いた文章を再録。
むくむくアーカイブ<物語と評論>目次ページ
いま、写真行為とは何か、現代写真の視座1984、写真への手紙・覚書。
いくつかの残りを、これからも再録していくつもり。
まあ、命あってのことだから、いましかできない。
そのように思っているところです。

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ウエブ上で写真集を構成しているところです。
この写真集には、HPで、ブログで、フォトアルバムで。
フォトアルバムは、容量が大きいから、使いよい。
ぼくの場合、キャノンとニコンのアルバムを使っています。
カメラメーカーのアルバムの他に、ピカサとかも使います。

最近、昨年はキャノンのアルバムがリニューアル。
今年になってニコンのピクチャータウンがリニューアル。
ニコンイメージスペースということになった。
容量がニコン製品を使っているから20ギガにアップできた。
ところがアドレスが変わったから、組み直しを迫られて。

ウェブ上で提供されるフォトアルバム。
パソコンとかウエブの環境によって変更される。
バージョンアップだから、文句はいいません。
それを承知で利用させていただいているから。
時代の要請、最新の形になっていくんでしょう。

写真のアップ枚数、京都関連一万枚を超えた。
2003年末からはじめたデジタルカメラでの撮影。
それらをウエブアルバムに収録して公開していきます。
かって1980年前後に撮ったフィルムのスキャン。
スキャンをはじめて一年になります、これもまとめます。

作家を名乗っていませんが、作家しています。
テーマは京都、どのように撮って表現するか、です。
今年になって、ふたたび京都撮影にチャレンジです。
東松照明さんの京都ではない「京都」です。
67歳になる今年、もう少し頑張ろうと思う。

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二月が明日でおわっていきます。
早いですね、日々過ぎるのが、とっても。
意識するから、よけいに早く感じるのかも。
少年の頃は、そんなに年月を数えることもなかった。
未来がいっぱいあって、数えきれないんだね。

最近、未来において、なんて数少なくて。
過去が、どうだったのかとの、懐古趣味。
昔を懐かしがるわけではないけれど。
生きてきて、生きてる証をなんて、キザに思う。
そうそう、井原西鶴、どんな男子だったのか。

元禄六年、五十二歳で逝去したとゆう西鶴さん。
浮世草子、写実小説だとゆうじゃありませんか。
ぼくは、古典読めないから、解説書で読むだけ。
写実といえば、写真じゃありませんか。
リアリズムとでもいえばよいか、写実主義。

その時代、浮世絵とか浮世草子とか、浮世もの。
歌舞伎も浄瑠璃も、浮世のこと。
浮世とは、この世のこと、生きてるこの場。
いよいよぼくだって、老いの境地に至らないと。
いつまでも浮世では、死にきれないよなぁ。

<京都>を作品に仕上げようとの無謀な試み。
写真をもって作るから、その時代の絵巻物風。
21世紀洛中洛外光絵図、なんてサブタイトルで。
写真集<京都>を模索しつつ制作中です。
エンドレスですねこのテーマは、いつまでも中途半端です。

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あれっ?、徒然にっきがここにもあった。
アメーバの花のワルツってブログで連載中。
ここは、ブログの名前が、徒然にっき。
吉田兼好さんの徒然草からの引用です。
ピアノの曲、ベートーベン、ワルトシュタイン。
その第二章ですが、ここでは音を再現できない。

パソコンに取りこんで、メディアプレイヤーで聴いています。
なかなか、いい音で聞こえますよ。
田舎では大きなスピーカーで聴くときがあります。
やっぱり、音質が違うけど、これはこれ。
なんといえばいいのか、こころむしられる。
ピアノの曲には、けっこう思い入れがあるから。

最近のことですが、けっこう忙しい?
作業を抱えすぎてるのかもしれない。
此処へは、なかなか来れない。
文章書くのが、なかなか重いんです。
別バージョン、小説については精力的に。
つまり、興味の対象が、いまは、別にある。

来月満67歳になる。
自分で信じられない。
体力落ちてきた、老体になってる。
でも、気持ちは、どうなんやろ、変わった?
精力なくなって、エロさもなくなった?
ほんとかなぁ、ここでは真相を語れないけど。

なんやかやゆうても、真相を語れない。
言論の自由とはいっても、枠がある。
ネットは公共の器だから、ガイドラインに従う。
しかし、こころは、いつも逸脱していくんです。
井原西鶴、ベルメール、モリニエ、谷崎、永井。
なんてったって、文学者であり芸術家ですね。
ぼくもその境地へ行きたいです。

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視力が落ちています。
この時間、この作成画面の文字が見えにくい。
使いすぎなことは、わかっているけど。
パソコンの画面を一日何時間見てる?
ほぼ12時間、そんなにも見てないけど8時間以上。
やりたい作業がいっぱいあるから、です。

4月に出品する展覧会の写真をまとめる。
フォトコンプレックス第五回展です。
USBに入れて、パソコンで見せる。
12作品全部を混合して、流す。
スライドショーするのに、今年はパソコンで。
まえのバージョンのパソコンがあるから、これ。

IMIOBの三木さん、葛城さんが作ってるフォトマガジン。
港さんと勝又さんが作家、三木さん編集、葛城さん発行人。
東京発、新しい試み、料金は月600円+消費税。
毎週木曜日にメール配信される、というもの。
カード決済ではなくて、特別に振りこみにしてもらった。
ネットでクレジットカードを使いたくなくて、です。

寫眞、その他のアート潮流、その現状をどうつかむのか。
ネットで情報が得られるとはいえ、やっぱりこの目で見る。
いま宝塚にあるメディア図書館へ、毎金曜日、行ってる。
そこには情報がいっぱい、それを体感します。
情報は魔物で、知る必要があるのかないのか。
なくても良いけど、なければ何かしら不安になる。

あれから10年を超えた。
あたらしい流れがぼくのまわりに起こっている。
昔の知り合いと会うだけが目的ではなくて。
功名心を得たいと思うわけでもなくて。
なにかしら、得体のしれない空気が、ぼくを連れて行く。
あと何年、このようなことができるのだろうか。