中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2014年07月

自分とゆうことの研究
  2007.7.15
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なんかここの枠組みの大筋が、自分と文化の批評ということを標榜しているので、それに則した文章にしんとあかんわいなぁと思えばおもうほど、文章が書きづらくなってきて、あんまし呆けてられへんなぁ、と思うことしきりです。とゆうのも、自分を研究するなんて、あるいは批評するなんて、そんなことして何になるの?なんてことにぶつかってしまうわけで、自分のことが迷宮入りになって、にっちもさっちも行かなくなって、どうしようもないんやなぁ。

そこで、ぼくは、それを打破するために、自分とは他者の中にあって、自分が発見できるんだ、と考えて、自分を位置づけるために、関係性という概念を導入しようとしているようにも思います。人間関係、人関係、ひとはなんらかの関係があります。遠い人と近い人、遠い人が近い人になってくる関係、それとは逆の関係、などで構成される関係性です。そりゃあ、まあ、いちばん近い関係はといえば家族だと思うし、家族のレベルでも濃淡があると思うし、友達とか、仕事関係だとか、いろいろなきっかけを介在させて、関係を成立させているのです。あとは、利害と無償なんてレベルで遠近を計ることもできると思うし、同好であるゆえの関係とゆうのもありだと思います。

自分を表現するというレベルで、表現が介在する関係を考えているわけですが、特に写真とかの制作物を介して、関係を持つ位置関係、なんだか言葉で示すのもむつかしいのですが、自分と他者との位置関係を明確にすることが必要なのかなぁ、そう思ったり、それを明確にすることもなくて、混沌のままがいい、そう思ったりしています。なに、写真という表現物を介して、なにをどう表現できるのか、果たして、自分とゆうことは、いったいどうゆうことなのだろう。ああ、難しい・・・。


1967年を思い出す
  2007.7.20
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いま2007年だから、40年もまえのことになる。思い出しているのは、その頃のことです。というのも、昨日、歩いている途中に、いくつかの記憶がよみがえってきて、それを思い出して記録していくのもいいかなぁ、と思って、いまここに、このような書き出しで、始めたというわけです。ひとはいかにして行動するか、余った時間というか予定の無い時間に、何かをする、散歩するといったようなときの話しです。

最初の目的は、彼女と一緒に、大極殿址まで歩くつもりをしていたのです。大極殿址は、千本丸太町の西北にあり、現在は児童公園となっています。というのも今回、初めて訪ねてわかったことでした。うんうん、この近所へは何度も来ており、通過している場所でしたが、訪問は初めてです。興味がここにあって、足を伸ばしてみたいと思ったのには、春からの京都探索の思いのなかで出てきたものです。

標題の1967年というのは、大極殿址を訪ねて、それからの行程のなかで思い出されてきた事柄でした。大極殿址が千本丸太町で、そっから南下してJR二条駅まで行こうと思った。最近JR二条駅は再開発とやらで、光景が大きく変わってきています。そこにあるビルの一角にローソンがあって、そこで飲み物を買い、店内のカウンターに座って、飲んで安上がりの休憩となった。

あとの行程を羅列すれば、二条駅から三条商店街を歩いて、堀川通りへ出て、南下して四条通りを東へとり、最近目につくホーリーカフェでホットコーヒー休憩を取りました。そこにて相談した次なる行程は、四条烏丸から大丸へ行き、店内通過で錦へ行こうということで、いいえ目的地は、三条河原町角のむさしで、回転寿司をたべるため、そこに決めました。思い出は錦を出て、寺町通りを北上するあたりから、濃厚になってきて、40年前にあった喫茶店を探し出したわけです、嵯峨野という名の喫茶店。


  2007.7.31
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7月末日といえば、夏真っ盛りといったところで、8月に突入してお盆までが、夏の感覚、イメージです。そんな今年の夏は、夏を写真に撮りたいとの想いがあって、しかし、夏のイメージってゆうても、町中で何をどのように撮ろうかなぁ、なんて思っているうちに夏真っ盛りといった感じです。うん、うん、今日は、朝一番に光を撮って、午前中に天満宮中心に千本通りへ、午後には今宮神社にいたるコースで、廬山寺通りを東へ大宮通りまで、そっから北上、大徳寺境内を通って今宮神社といったところです。

あしたから8月、撮影の方はどうするかなぁ、このまま続けるか、方向転換するか、まあ、思ってはいるけれど、当面は継続やろなぁ、なんて思っているところで、もっぱら撮影とアルバムつくりに明け暮れている感じです。たばこをやめて一ヶ月が過ぎたところですけど、まだまだたばこが懐かしい感じで、文章を書くとか、落ち着いて考えるとか、ちょっとできない感じなので、まあ、外出して写真撮影に専念しようとの気持ちもあるわけです。

町中で人物を中心に写真を撮っているところです。まあ、若い女性を中心とした被写体で、写真をコレクションしている、あるいは採集といってもいい手法です。子供の頃に昆虫採集とか植物採集とか、夏休みにやったじゃないですか。大人になって、もう屑箱に足を突っ込んでしまった今になっての採集は、けっきょくのところ若い女の子採集とゆうことで、破廉恥このうえない、えろおやじにしかすぎない、こうゆう気持ちがふつふつ湧いてきて、もうやめようかなぁ、と迷うわけです。平成の西鶴を目指して、なんて心に思っているってこともあって、どっちかゆうとアラーキーが近いかなぁ・・・。

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中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
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新緑の季節
  2007.5.8
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年齢のせいもあると思うけれど、四季の移ろいにかなり敏感になってきています。若い時代の頃からみて、という自分のなかでの変化です。そうゆうことでいえば、桜の季節が終わって、新緑の季節という移ろいです。数年前に<わかば>というタイトルで、五月初旬の木立の新芽を撮ったアルバムをつくったんですが、いってみればその延長です。ところで、桜を初めとする四季の移ろいを、自然風景のなかにみるとき、ぼくには二つの系列があるんです。冬がおわり、梅の花、桃の花、そうして桜にいたる花暦ですが、そこからの一つは花の流れ、一つは緑葉の流れです。

植物領域の生命体を、イメージのなかで男系列と女系列にわけています。新緑は男系列イメージです。木立に芽生える葉。黄色をおびた新緑、黄緑から緑に変化していく、つまり成長していくわけですが、その一連の流れに、稲から米へ、山菜とか野菜へとイメージが連なっていきます。まあ、それらを写真にしていこうとしているわけですが、緑というのは、あまりインパクトが少ないです。どちらかとゆうと、花の移ろい系列に興味があります。桜を初めとして、ボケ、シャクナゲ、ボタン、ツツジといった花の系列に、どうも情が移ってしまうのは、ぼくが男生命体だからかも知れないですね。ともあれ、緑、新緑の季節に移ってきて、写真にしているわけだけれど、どうもいまいち、ぱっとしないんですね。これっていったいなんでかなぁ、と思い思いしているんです。といいながら新緑を撮っています。

写真を撮る、このことを考えてしまいます。被写体があって、それをどのように撮るかという以前の、なんで写真を撮るんや、という問題です。実は、この設問のしかたはご法度です。だって、解答の見だしようがない問いだと思うからです。確かに、社会問題にアプローチする写真行為とか、誰かのために撮る写真行為とか、ある目的を実現するために写真を撮る、とゆうのはそれ自体が解答になるわけだけれど、そうではない写真行為とはありうるとしたら、いったい何なんやろ、と考えてしまうわけです。といいながらも、新緑を撮っています。

京都、神社、町角、生活の場ではない・・・
  2007.5.29
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ぼくの写真テーマの主流になってきているのが、京都というイメージにおいてです。かって観光写真ではない京都を、内在者の視線でとらえるという思いで、写真を撮った時期がありました。1980年代のはじめ頃、すでに四半世紀、25年ほど前のことです。西陣という地域に生まれ育った自分を検証するという目的があって、一方で釜ヶ先という流浪の地域を取材していたところから導かれたテーマでした。すでに25年も前のことだから、当時のぼく自身の考え方とか思いとかというのも定かでなくて、いま回顧するなかで、いまのぼくが思う過去にしかすぎない。つまり記憶を辿っているわけです。

そのようなぼく自身の経験前段があって、いま、あらためて京都を舞台に写真を撮りだしているのです。取材の範囲は、京都とはいってもぼくが小学生から二十歳前後の頃に立ち回った区域に、おおむね限定しています。かって、写真は生活現場をとらえるべきだとの考えがありました。だから当時は、なるべく日常生活を営むレベルへ参入していこうとの思いがあって、家屋のなかへと入っていこうとした経緯があります。

現在の京都取材のおもむきは、京都の表層を撮るところから始まっています。神社があり町角があります。かって見知った場所です。撮るために訪れていく場所、場所、場所。いずれも記憶に結びついた路面であり社寺の境内です。それといま初めて訪れる場所というのもあります。観光化された京都のスポットで、かって訪れたことがない場所もかなりありますから、そういう場所へも行っています。まだ始まったばかりの現場です。どのように推移し、どのようにまとまっていくかは未知数です。文章を書いて、思考を重ねながら練り上げていく作業を、ふたたびやりだしているところです。この文もその一環です。

神域、俗域、風景。
   2007.6.15
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京都という地理的場所において、写真を撮りすすめているところですけど、一つの区分け方法として、神域、俗域、風景なる領域を試みています。神域は神社の境内、俗域は町角、そうして風景は街並風景、このように設定して、主には人がいる光景を撮ろうとしています。一方、京都つれづれ日々えろす、ちょっと長めのタイトルですが、ここでは主にはブツ撮りしていこうとしています。まあ、今様京都シリーズとして、デジカメで撮るスナップショットです。

おおよそ100年前、ステーグリッツがニューヨークの町角で、ハンディカメラを携えてスナップショットしたなぁ、というようなイメージがふっと立ち昇ってきて、その真似ごとみたいな方向で、ちょっと京都をやってみるかぁ、ある意味、イージーな考えなわけです。真似ごととは、独自の方法ではなくて、真似するわけですから、気楽といえば気楽です。うんうん、種明かししながら、心では、スタイルだけ真似して、中味は違うものにしたいなぁ、と思っているわけです。

京都を撮った写真家さんに、森裕樹さんがいます、東松照明さんがいます。観光写真の類の撮り方ではなくて、スナップショットスタイルで、です。長年写真に携わっていると、どうも先駆者のイメージが纏いついていて、チラチラとそのイメージが思い浮かべられて、いいものかわるいものか、真似ごとにならないように、とは思いつつ、真似ごとにしか過ぎないかもなぁ、と思うところです。

写真にする立場として、外在の目、内在の目、という言い方がされますが、ぼくは内在者の目として、生活するその範囲において写真にしたいと思っている。いわばこれが新しいスタイルにならへんかなぁ、ということです。いずれにしてもこんな話は、写真の中味ではなくて、外面にしかすぎなくて、写真そのものが現象の表皮をしかとらえられないのに、これはそのもう一つ外側の話なのです。たまねぎの皮を何枚か剥けたかなぁ、と思うところですけど・・・。


自分とゆうことは
  2007.6.28
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自分とゆう物体について、自分の意識がいろいろ詮索しているんだけど、その中心に身体(からだ)とゆうことがあります。意識が生成するためには身体が必要なわけで、これを養ってあげなければならないわけで、養うその中心は食料補給。それとは別個に、自分の場合、たばこってのがあって、じつはこれを今日から止めようとして、葛藤しているところです。最近は毎日写真撮影を手がけていたところでしたが、昨日は撮らなかった。カメラを手許に持ってはみたけれど、撮らなかった。

まあまあ、迷っているわけで、どうしょうかなぁ、どうしょうかなぁ、そんなふうです。ぼくだってそうなんだよ、って言っていることにも、ある程度の作為が見えていて、自分を表現している一端になっていると自分は思っていたりして、自分の見られ方というのを意識しているんですね。誰に見られるんや、とゆうと、見てほしいと思う人がいて、その人たちに見てほしいと思っているんです。その、ぼくとゆう自分を見てほしいと思う人は、第二人称で<あなた><きみ><だれだれさん>とぼくの目の前に顔像が浮かんできています。

けっきょく写真を撮って、ブログやアルバムに掲載して、アクセス数の多さではなくて、誰々さん見てくれてますか、と問うてみて、見てほしいなぁ。つまりコミュニケーションの手段として、写真を掲載して、話題にして、知り合っていることを確認し、自分の気持ちの安定を図る。ぼくがいまブログやアルバムに写真を置き、文章を書き添えるというのは、そのような回路だと思っていて、多分にいま、最前線写真家、ごめん写真のありかただと思っているのです。で、このことじたいが、ほんとかなぁと懐疑的になり、迷うということに他ならない。そして、誰かぁ、一緒にやらへんかなぁ、見せっこしやへんか!なんて考えているんです。

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桜の季節に
  2007.4.1
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今年もまた桜の季節がやってきて、4年目の桜取材をしています。主には平野神社ですけれど、ご近所で歩いていけるお寺や神社にて、桜を写真にしています。桜をめぐる難しい話は置くとして、まあ、見ていると、きれいやし、かわいいし、こころが浮き浮きしてくるし、まさに春の気分って、こうゆう感じなんやなぁ、と思いながら、浮かれて撮影している感じです。撮影においても、露出やら構図やら、考え出すとキリがないので、かなりイージーに撮っています。

誰のために撮るんや、なんて野暮なことは考えないで、情ですよ、ゆらゆらゆらめく気持ちです。桜には、けっこうエロティックなところがあって、木の全体を見るのもよろしいけれど、細部を、つまり一輪一輪を丹念に見るために、アップで撮って、後でじっくり見てあげる。そんな感じで、けっこうアップで撮るのが多いです。桜を他のモノへと連想させると、そこには初心な少女のイメージから熟年したおなごイメージまで、やっぱり女性なんですね。どうイメージしても男衆を連想することなんぞは出来ないんです。

平野神社へ行くと、神さまなのにピンクピンクしてる感じです。お守りにしろお土産にしろ、だいたいがピンク系にしつらえてあって、まあターゲットが女性やというのは、そのとおりやと思うけど、それにしてもそのように思うイメージじたい、ちょっと複雑な思いになってしまいます。いいえ自分の感覚をどういえばよいのか、迷ってしまうわけです。

前を向いて歩こう
  2007.4.3
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桜を撮りに出歩いて、目を向けるのはおおむね上。だから、上を向いて歩こう、というタイトルがいいのかもしれないけれど、それだと坂本九の歌の文句になってしまうし、過去を引きずっている感じだし、まあ、新鮮味も、あっと驚く驚嘆もないけれど、前を向いて歩こう、とタイトルしたわけです。ええ、走っちゃだめだと言い聞かせているから、歩こう、です。歩こうというなかには、自らの意思が込められていて、意志と希望を秘めています。

4月に入って、思うことしきりにあって、過ぎ去ることにはおさらばして、新しいことにチャレンジしよう、なんて思う気持ちが昂じてきて、これを書いたら桜を求めて、歩きにいくか、と思っている。家を出て、船岡山から建勲神社を経て今宮神社へ行って、そっから鷹ヶ峰まで歩いて、2時間コースの散歩兼桜取材の予定です。ちょっと陽が射し込んで来ているから、外は明るいようです。

※二時間のコースで、今宮神社で桜取材中にメモリーがなくなってきたのと、バッテリーがなくなってきて、鷹ヶ峰まで行かなくて引き返してきたというわけで、いま、13:30です。撮影150カット、それにしてもざっと見ただけで、露出、構図、その他使えないのが山ほどあります。いちおう20カットくらい採用できればいいかな、と思うところです。採用しても、実際にブログとかで使うのは、もっと少ないけど、そんなもんやなぁ。

ここに載せた桜の撮影場所は平野神社、2007.4.3です。

今年の桜取材
  2007.4.16
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今年はデジタルカメラで撮る4回目の桜取材です。三月の下旬から毎日のように桜の写真を撮った。まあ、桜のある場というのは、浮かれ気分になれる場ですね。主には平野神社の境内に咲く桜を撮っています。ここに掲載の写真は、平野妹背桜、2007.4.15撮影のものです。

ぼくが使っているデジタルカメラは、キャノンスーパーショットS50という機種です。今年の桜取材の、結果は、最短距離、最大限明るく、これがポイントになりました。ぼくの撮り方、テクニカルがへたなのか、一枚で決定的な写真を、なんて思ってもできなくて、成り行き任せでシャッターをどんどん切っていきます。大半はピンボケ、露出不足、露出過多、構図もママならず余分なものが入ってしまう。こんなヘッポコカメラマンを自認して、撮っているわけです。

現場の桜を忠実にとらえるなんてことは、あまり興味がありません。色調なんか出来合いでよろしい。このように思っているわけで、写真は現場の再現ではないんだと、思っているわけで、かなりアレンジメントしていこうと思っています。とはいえ、現場主義で、撮りっぱなしで、あとでトリミングとか、色調補正とかは全くしません。まあ、これがぼくの主義といえば主義です。


桜がおわり・・・
  2007.4.26
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京都では桜の季節が終わりになってきて、今年の桜取材もそろそろ終わりにしようと思うところです。ここ最近、桜に呆けて、文章を書くことがけっこう億劫になっていて、今日は朝からこの欄を開けたけれど、けっこう書くことに戸惑っているんですけど・・・。今年は、平野神社を中心に桜を取材して、各種の桜を写真にしてきました。今日掲載の桜は、御衣黄桜という品種で、今年初めて写真にした桜です。掲載しているのは、雨宝院の御衣黄桜、昨日4/25の撮影です。

京都に生まれて住んで60年ですけど、京都のことはあんまり判っていない自分があることに気がついています。最近、京都文化という枠で、地元学をはじめだしているんですけど、まだまだ漠然としていて、中心が定まらないんです。もちろん一定の枠組みのなかで表現する目的ですから、その枠組みを想定するところから始めなければいけないわけで、この数年間の試みをまとめて、枠組みをつくっているところです。

桜は毎年4月に巡ってくる暦みたいなもんで、この4年間の自分が撮った桜を見てみて、かなり変化していることに気づいています。神社があり、町角があり、そこに人が生活している。けっきょく人の生活に踏み込みたいとはおもうけれど、まだまだ遠いところにあります。そもそも京都の文化枠組みとはなにか、このことが自分にとってのテーマでもあるわけです。

桜の季節がおわり、新緑の季節がはじまり、桜を境にして、牡丹などの花が咲き出します。花は山の別荘で撮ってきたのを、京都の市中に求めていこうかとも思いだしています。古着の着物、寺院の花々、神々がいて、それに市井のひとがいる風景。なにか自分を探している旅のような気がしています。

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日々 2006.12.16~2007.3.22
    
日々-7- 2007.1.5
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ここ数年、毎年大晦日には除夜の鐘を突きにいっています。この大晦日には、その前の大晦日と同様に、けっきょくは閻魔堂の鐘を突きました。年末年始だからといって、特別には扱わないでおこうと思う気持ちが強いのだけれど、世の中がこの日を区切っているから、それに便乗している、いいえ、気分的には、させられているといった感じです。

でもね、そうゆう気持ちとは裏腹に、日々を過ごしていくということは、晴れの日を作らないとやっていかれへんのやなぁ、とも思います。日々淡々なんていいながら、日々淡々ではなくて、どろどろ、泥まみれの心があって、それを浄化させるためのセレモニー、晴れの日。お正月とゆうのは、その年最初の晴れの日なのです。

京都に生まれて、京都に育って、目線は東京とか大阪とか、大都会の方へ向いていたけれど、けっきょくは生まれ育った地場である京都を意識して、日々生きていこうと思っているところです。でも、なあ、只の生活者にしかすぎないとしても、只の生活者では満足でけへんなぁ。そこで、再びカメラを持ち、パソコンを使って文章を書き、あわよくば京都人が語る京都の本質、みたいな物語を作っていて、それに自分を乗せようと思っているのです。

記録者自らが地場を記録することで記録が成立する。言い方はいろいろあるけれど、民俗学者の柳田国男せんせいが、理想たる記録の方法として論じているのを、写真家東松照明さんと交情があったころ、1980年代の初めに知って、それから四半世紀が経って、いまぼくの制作の方法論として、ベースにおいているところなのです。これは論なのであって、その論に従っていこうと思っているわけで、そこに情の源泉をみいだせれば、ぼくはきっとハッピーなわけです。そうゆう死に際をも想定している昨今です。

日々-8- 2007.1.11
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かって賑わった町が、時代とともに衰退していくとゆうのはよくある話で、半世紀という時間軸は、それを見てきた者にとって、ノスタルジックな、つまり感傷的な情緒をともなって、小さな旅へと誘ってくれているようです。まま生まれ育った町を、カメラを持って歩いていて、よみがえってくるのは、かってそこにあったぼく自身がいた光景です。

そうゆうことでいえば、千本今出川界隈とゆうのは、ぼくの生活空間ではなかったけれど、映画館とか飲食店とかパチンコ店とか、月に一回か二回、親に連れられ、叔母さんに連れられ、つまり大人の遊び場として垣間見てきた街でした。高校生になったそのころ、三島由紀夫の金閣寺を読み、舞台が京都であり、確か主人公が包丁だったかを買う店が通りの角にあって、その店先を見るたびに、その小説を思い出す。それよりなにより、そのころ陰惨な気分だったぼくが週に一遍、日曜日、アルバイトしていた寿司屋があって、いわば十代半ばの思い出がよみがえる場所でもあります。

寿司寅と看板された空間、その家の中での光景がよみがえってきて、その日々の人の顔がよみがえってきて、まったく縁の無い関係から、しだいに関係していくストーリーが出来上がっていくのです。たまたまお店の張り紙、アルバイト募集を見て、戸を開けたんだけれど、その戸を開けたのは偶然ではなくて、ストーリーがあったことが、思い出されてきます。大将の嫁さんがタエコの母親の妹で、寿司を握っている筆頭使用人がタエコの父親で、タエコは三人姉妹の真ん中で、クラスは違ったけれど中学の同級生で、いつのまにか友だちを少し越えたような関係になって、中学卒業と同時に関係が終わって、かれこれ半年過ぎたころ、張り紙に応募したというわけです。

タエコが水事故でいなくなったのが何時だったか、葬儀にはいかなかったけれど、という記憶だけで推測するとタエコの死は18を越えたころだったのかも知れない。うん、ちょこっと話をすれば、偶然にだったけれど、はじめて手を握った女の子なんです。ぽちゃぽちゃ、あったかい、やわらかい、いま思い出しているわけで、握ってしまって二人がバツ悪そうに動作が止まって、それは数秒間だったように思い出します、中学三年でした。ウンウン、季節は夏です、薄手のワンピースでシャツもブラも着けてなかったなぁタエコ。記憶は糸を引くように思い出されては消えていきます。<思い出は狩りの角笛、風のなかに音は消えゆく>だったか、こんな詩句までも思い出してしまった2007.1.11-AM10:12-。

日々-9- 2007.1.12
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あんまりロングショットの写真は好まないんですが、といいながらよく使ってますけど、写真には説明不要、イメージで追いかける写真と、説明して納得できる写真があるんだと解釈して、ちょっと説明していくと、向うに見えるのは比叡山です。撮影のポジションは、建勲神社の正面上り口途中です。建勲神社の正面から石段を昇っていって、途中で振り返ると、こうゆう光景が目にできたわけです。

だれやねん、比叡山焼き討ちした武将、たしか織田信長とか、ええ、この建勲神社は織田信長を奉る神社なのです。それもこの神社、明治天皇の命により奉ったとあるから、歴史は新しい。ただし、神社がある場所は、船岡山の東側斜面です。船岡山は京都の基点となるポイントです。平安京造営のとき、このポイントを基点にして、真南に大極殿を造営したようです。比叡山が聖地となるのは、平安京造営後だから、船岡山界隈の歴史のほうが古いんですね。

船岡山の少し北に今宮神社、少し東に玄武神社があります。大極殿の北方位、玄武方位にあたる界隈です。京都の鬼門であり疫病は鬼門からやってくるから、鬼門に神社を置く、まあ、いわゆる神頼みってことですね。なんでいま、こんなこと考えて書いてるんやねん、自分に聞いているんですけど、年とともに方位とか距離とか、つまり人間の遠近法感覚に興味をもちだしていて、いろいろ詮索していくと、どうもこの船岡山というポイントが、推論ですけど、日本文化の基軸・基点であるように思えているのです。そうゆう場所に、建勲神社が造営されたとゆうこと、天皇は一等地に奉ることを許したわけですね。

いや、ね、ぼくの思いではね、信長が存命しておれば、戦国の世に、いわゆる共和制国家への萌芽があったかも知れないなぁ、と思ったりしてしまうのです。まあ、四百数十年まえのことだから、だれも推論するしかないんだけれど、なんかの因縁やなぁ、信長が築城した安土にて、塾を主宰しだしたこととか、なにか因縁めいた迷信を作っているようですね。それと、方位とか距離へのイメージは、今日の場合だと具体的な地理的距離を指していますけど、高天が原とか浄土とか、そうゆう世界が想像されたヒトの心に興味もあったりして、現実と夢幻をごっちゃにして、近代遠近法を越えられるかなぁ、超えちゃいたいなぁ、天の浮橋を昇りだしているのかなぁ、それとも黄泉の国へ・・・。

日々-10- 2007.1.18
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散歩にでかけるとき、玄関を出て、東西南北、どっちへ行こうかと迷うことがままあります。歩くというのは前へ進むことで、前へ進むとゆうことは、東西南北、方向が決まるということで、ところが歩ける道はすでに作られていて、それの選択とゆうことになります。この日(2007.1.16)は、自宅から西へ向かって西大路まで歩き、そっから北へと歩いていくのでした。到達する目的地は決まっていて、ちょっと遠回りして行こうかと、道すがらの光景を写真にしながら、北上するのでした。

大文字山が見える。電線が邪魔やなぁ、ある種写真制作的発想で、そう思ってしまうわけだけれど、いっぽうでそうやないやろ、あるもんはあるんやから、いっしょに写しこんでしまえ、それでええんや、なんて妙に納得しながらシャッターをきるのでした。そういえばこの光景、この場所から何時こんな風に見えるようになったんやろ、かって農林年金会館という施設があって、いまは金閣寺の駐車場になっているんやね。

大文字山は言わずもがな年に1回、8月16日の夜にデビューします。そのお山へ登った記憶は小学生のころ、中学生になると衣笠山へ登ったんや。大文字山界隈は、子供のころの遊び場でした。なにやって遊んでたんやろ、チャンバラ、探検隊、ぼくらは少年探偵団、大文字山から奥の方へいくと洞穴があって、それは自然の洞穴ではなくて、採掘の跡やった。洞穴の中へ入ることは恐怖に満ちた未知の体験やったなぁ。

光景を見るたびに、見るといってもかなり意識して見るたびに、思い出が通り過ぎていきます。ふるさとは遠きにありておもふもの、犀星の詩句ですね、ふるさとは近くにありておもふもの、ノマド的発想ではなくて地場に住み着いたぼくのこころは、いかがなものか。生まれ育った場所にて、散歩の道すがら写真を撮るとゆう行為。これぞ最新、あたらしい方法論、てなぐわいに想ってみたりもしながら、ぶつぶつ自問のお散歩なのでした。

日々-11- 2007.3.20
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月に一回、この頃に郵便局、銀行、信用金庫と金融機関をはしごします。とゆうのも、公共料金やらクレジットやら、金融機関引き落としを利用しているから、現ナマを追加しておかなければならないから、西大路の金閣寺からわら天神にいたる東側を、一巡するわけです。

今日の一巡には、カメラがポケットに仕舞われていて、ぶらぶらお散歩とは違う、目的外出と平行して写真を撮ったというわけです。いつものように、ストリートを撮ります。肖像権ってのがあって、本人了解、なんてことは、ううん、無視無視。街角風景の一部なんやから、そんでええやん、なんて思いながら、ひとがはいるとスリリングな気分を味わうわけです。

写真には、覗き見的要素がある、そのスリリングさを、味わうってことですね。いいのかわるいのかしらないけれど、多少の後ろめたさの気持ちもあって、そしらぬ顔して撮っているわけです。イージーなもんやなぁ、自分でもそう思っているわけで、写真としての価値どうこう以前に、まあ、スリリングやなぁ、と思っている、ささやかなたのしみ&はじかみ、若返ったような気分です。

日々-12- 2007.3.22
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昨日は春分の日、東山花灯路イベントに、観光客気分でいってきました。観光客っていう気分は、京都の表の顔にふれることができると思っていて、観光客が京都へ来たときに見るお土産屋さんとか、神社とか、お寺とか、その表面をみる気分です。祇園までバスで行って、そこから八坂神社の境内を通って東門、ううんまだ明るかったから、人の数は少なかった。何年か前に訪れたことがあるのですが、あんまり明確な記憶がないまま、カメラをポケットに仕舞いこんだまま、彼女と一緒に散策でした。

これは最近の、京都の観光イベントだから、それほどの思い入れもないので、写真を撮るのはもっぱら人が群がる光景に向いていきます。人恋しいんやなぁ。この世の見納め、なんてゆうほど深刻ではないけれど、最近、目の前に現れる光景には、何を見ても美しさを感じる。美しさといったけれど、表記の言葉が見つからないから、その一言に集約したけれど、まあ、人を見たり、明るいお店を見たり、これはわくわく気分です。

お祭り気分、祝祭気分、晴れの場、明るい、うれしい・・・。理屈やなくて気分なんです。気に入った写真をアップしているわけだけれど、これは自分のためにあるのであって、つまり自己満足、それだけです。といいながら、ブログに載せて、見せているわけですけど、まあ、いっか、かなりイージーな気分です。

<日々>終わり

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中川繁夫寫眞集
中川繁夫の京都寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖


日々 2006.12.16~2007.3.22

日々-1- 2006.12.16
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日々淡々と過ぎ去っていきます。ふっとカメラをもって散歩に出かけます。通りすがりの光景をカメラに収めます。何のこともない、淡々、目の前にある光景をカメラに収めます。このようなコンセプトで撮られる写真とゆうのは、けっして新しい手法ではなくて、ステーグリッツがすでに100年も前にやっていることだし、ボクがカメラを持つようになった30年前にも、盛んに行われた手法です。

日々淡々。毎日が大きな起伏もなく、いわばフラットな時間が流れていきます。でも、ふっと想い起こしてみると、世には深さがあり、深さは意味をもち、その意味を探ることで写真作業が行われる。視覚というのも、カメラはまさに目そのものですから、脳裏に焼きつけるように写真に焼きつける。日々淡々ですから通りすがりの光景など、意識の内にも残らない。残らないほどたわいな出来事が、目の前に起こっている。

写真には意味があります。光景を写真にするとは、光景に意味をつける作業です。日々淡々と流れる時間のなかにあって、目の前を通過する光景は、さほどの意味もないのです。意味のないものを写真にして、意味を見出そうとしても意味あるわけではありません。そうですね、意味を持たないとゆう意味を持たせようとしている、日々、なのかも知れません。

日々-2- 2006.12.18
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写真は、見てしまった光景を、記憶しておく装置だと思います。そこでは、見る&見てしまった、ということが、注目されるべきことだと考えています。<見る>とは目に映る光景の全体を関連付けて、認識、理解することだとしておきましょう。<見てしまった>というイメージには、偶然にも遭遇してしまった、という偶然性を彷彿させてきます。

ああ、ちょっと論理っぽくなってきたので、続けようかやめようかと思いながら、書き出したんだから、続けちゃえ、なんて思って続けますけど、見るとは、見ようとする意思があるんですよね。だから<見る>意思をもって、見ようとして、<見てしまった>光景というのが、写真の画面に再現された現場、このようにいえると思います。

<見えない>ものを<見える>ようにするのが写真作業だ、という考え方があります。この場合の<見えない>ものというのは、目に映る光景の背後にある意味のことで、いわば因果関係のことです。その因果関係を探った結果として写真の画面として再現される。ここに写真の意味がある。なんてこと言ってしまうボクがここにいます。

日々-3- 2006.12.20
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網膜に映る光景とは、関係があるような無いような、写真はファインダーを覗くかぎり、網膜に映った光景です。関係があるような、というのはボクの記憶の何かがショートして、火花が散ります。そんなに強いものではなければ、線香花火のお終いの、あの柳のひと筋あたりですけど、まあ、何か感じてるわけだとしておきましょう。

でも、よくよく考えてみるまでもなく、それらの光景は、むしろ無関係な光景なのだと思ってしまいます。目の前にある、肉眼で見る、リアルな光景だとは思います。テレビの画面に映し出される遠い国の光景が、目の前の光景よりも近場に感じるけれど、それはヴァーチャルな光景です。リアルであれ、ヴァーチャルであれ、心が動くことで自分を確認しているのだとすれば、そうゆう時代が現在なのでしょう。

この写真と文章を、誰かがみてくれ読んでくれる、その誰かとゆうのは、ぼくにはわからない。ここはヴァーチャル領域で、リアルではなくて、ヴァーチャルです。仮想空間なのです、といえば、じゃあ、街角の光景はリアルなのか、ぼくにはもう、どちらもヴァーチャルであり、リアルであるような、そういう錯誤に陥ってしまっているようなのです。いったい、ぼくは誰で、きみは誰なのだね。

日々-4- 2006.12.21
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この写真を見てなにを感じるかは見た人それぞれに違うと思います。写真を、思わせぶりに撮る。これは樹木の幹です。樹木の幹なんだけれども、ぼくはこの写真から、写実された樹木の幹を超えて、あるいは背後にある、何かを言おうとしている。

いいえ、別に、この写真について、この被写体について、明確な背後の思いがあるわけではありません。明確に、ではないけれど、じつはあるんです。あるはずなんです。それが<見えない>のです。見えないけれど、樹木の幹であることは、判ると思います。

写真作業は、抽象概念で語られる<見えない>中身を、具体的な図象をつらねて<見える>ようにすることだ、なんてことはいいません、いいえ、いいます。でも、これって、ほんとにそんなことできるんやろか、いやいや、そんなことしなくったって、写真を見て、ワクワク、ドキドキしたら、その写真は価値があるんとちがう?、なんて思ったりもして、未整理、未分化、未消化、浮遊してたらええのんや!

日々-5- 2006.12.24
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あんまり面白くもない写真を掲載することには憚る気持ちもあるので、どうしようかと迷いながら、この写真を日々の一枚に加えたわけだけれど、写真として優れているわけでもないし、その日12月23日の朝、テレビを見ていたら今天皇の誕生日だということで、お顔が映っていて何度も聞きなれたお声がスピーカーからながれ出ていて、ある特別な日なんだ、と思ったのでした。午後三時まえになって、前日の残り寿司飯と、お揚げと千切りネギを一緒にフライパンで焼いてあったおかずで、遅めのお昼ごはんを食べて、カメラを持って散歩がてらに、今日の目的は、まだ未訪問のそこを探索しにいくことでした。

デシタルカメラをポケットに入れて、目的地までシャッターを切らずに、赴いたのでした。目印の小松原児童公園のそばを通って、華道の小松原流家元さんのおうちを初めて見て、その道路の反対側が、目的地の裏側になっていて、腰高ほどの石垣をぐるっとまわって、南に向いた表へ出たというわけで、立ち入り禁止の看板はでていなくて、みだりにたちいらないこと、という看板だけだったので、まあ、でも、ちょっと膝を折り気味で、起立でもなく座るでもなく、カメラを向けて入っていって、写真に収めたのでした。

なにも信仰心がそうさせているのではないと思っているのですけど、京都文化をテーマに研究みたいなことをやっていこうと思っていて、その文化の源泉がその系図にあるように思えていて、でもさ、写真ってそのときの光景しか撮れないわけだから、現場に立って撮っていくわけだけれど、これは表象で、あとは何時の間にか培われてしまった意識の分別で、それらしい光景を撮り、それらしい文章を連ねて、立体意識化しようとの目的をもっているわけです。

日々-6- 2006.12.29
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いつものように朝がきて、外をみると雪が舞っていて、それはこの冬最初の雪でした。雪が降ることが比較的少ない京都にいて、雪が降る光景に出くわすことは、少しワクワク気分になります。いつものように歯を磨き顔を洗って朝食の準備にはいります。コーヒーを四杯分セットして、手作りパンにシュレッドチーズをのせてトースターへ入れて、リンゴとニンジンとレモンのフレッシュジュースを作って、彼女はカフェオレ、ぼくはブラックのままだけど、自家製ヨーグルトにミルクをまぜて、飲むヨーグルトにして、金柑甘露煮1個を食べました。

日々淡々、繰り返し、繰り返し、雪止まず、昼下がりに、カメラをポケットにしまいこみ、傘をさして、煙草を買いに家を出て、道草食うように行きなれた児童公園へはいって写真を撮り、ぐるっとまわって煙草の自販機前に立ち、煙草を買い求めて帰り道、いつものようにいつもの場所で、今日はカメラを持っているから写真を撮ります。中学三年の夏休み、初めてアルバイトをした八百屋があった衣笠市場が懐かしくって、それに寺の内通りの起点となる橋があって、橋の向うは洛中で、立った位置は洛外で、洛中洛外を分ける紙屋川です。

半世紀以上もこの場所から、この光景を見続けてきたぼくは、なんの不思議もなく違和感もなく、いいえ、そうではなくて、この場所にいることが不思議なのであり、いつも違和感を覚えるぼくがいるのです。もうそのときには雪も止んでいて、薄日が射す空となり、師走の道を人が通り過ぎていくのでした。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の京都寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖

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