中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2014年12月

京都で写真を学ぶなら
 <京都写真学校>

徒然日記
2013.3.29~2014.1.14
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3月29日、今年は桜の開花が早いらしい。
気象条件によってるのだと思うけど。
年々桜の開花が早くなってるように思う。
地球温暖化に影響されているんでしょうか。
桜の花はなにかと話題になることが多いです。
桜は日本を代表する花でしょうね。

花の写真を撮っています。
花といっても様々な花があるんですけど。
そうですね、どちらかといえば、和風。
日本とか京都という風土になびいてます。
桜はその代表ですね。
梅、桃、桜、冬から春へと季節は移り、です。

花はやはり女性です。
椿を撮って、牡丹を撮って、芍薬を撮る。
あでやかでつややかな美の世界です。
もちろん美の典型はなにか、と問えばです。
ビーナス、美人画、といったところでしょう。
いずれにしても春、春はうらら、まどろみます。

ここも新しいタイトルにしました。
徒然日記、おおきくは変わっていません。
もうひとつ、アメーバも「徒然にっき」だったから。
同じタイトルはまぎらわしいから。
なにより、いくつもブログをつくっているのがまぎらわしい。
使い古したのは、整理したほうがよさそうですね。
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朝からベートーベンの曲を聴いています。
いまピアノ三重奏曲第7番って表示されています。
CDからパソコンのハードデスクに取りこんだものです。
ウインドウズメディアプレーヤー、ソフトウエアです。
CDからHDに、総計500枚近くをコピーしています。
再生するのにパソコンは便利ですね。
音響のいい大きなスピーカーじゃないけれど。
充分に聴ける音質だと思っています。

パソコンでなにもかも処理できるんですね。
食べること、匂うこと、これはダメですね。
映像を見る、音楽を聴く、文章を読む、この三つ。
かってなら、別々にあったものが、統合されて。
制作するのも、パソコンを使って、します。
以前には、なんていうのは古いですね。
いまはいま、いまの時代に生きてメディアを使う。
スマートフォーンは使っていませんが。

もう65年余りを過ごしてきたこの世のできごと。
時代の変化というか変容というか、様変わりです。
昔はなんてことは野暮なことですけど、すごい時代です。
書店へ行かなくても、読める、見れる、ですね。
そんなコンテンツを世界から集めることができる。
かって書店でしか手にはいらなくて、といったことが。
いまやパソコンとかスマホとかで、手に入れられる。
ボーダーレスな時代、ソーシャルネットワークの時代。

写真を撮っているけどデジタルカメラです。
フィルム時代からみれば、めちゃくちゃ使い良いです。
なによりお金がかからない、魅力です。
この10年をみてもデジカメ環境はものすごく変わった。
1000枚の写真が、90分の動画が、撮れちゃう。
フィルム1本36枚時代には想像できなかったこと。
でも東松さんはこのことを30年前に予測していたみたい。
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おととい10日は平野神社の桜祭りでした。
何年か前に取材していてHPにもアップしています。
今年は、あらためて写真を撮ろうと思ったわけ。
ところが沿道にロープが張られています。
以前にはそんなふうになっていなかった。
もっと自由に写真が撮れた。
昨今のことだから事故防止でしょね。

明後日の14日はやすらい祭りです。
玄武神社のお祭りで京都最古とか。
我が家が氏子になるから自分の祭り。
子供のころから聞きなれたお囃子。
赤い衣を着た踊り手四名若い男子です。
長年この世にいるといっぱい経験しています。
その経験がゆすられて感動しちゃうんですね。

年を取るにしたがって涙もろくなる。
年を取るにしたがって感情が剥き出しになる。
年を取ると扱いにくくなる。
なんてったって年寄は邪魔者です。
生産活動を担っていなくて消費者です。
とかくこの世は住みにくい、漱石?。
ぼくもその部類にはいってきたのかなぁ。
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今日は4月30日、4月の末日。
昨日は奈良、明日香の万葉文化館へ行きました。
万葉集にちなむ日本画と写真展。
写真は荒木経惟氏と繰上和美氏の競作。
いろいろと参考になりました。
写真の現在、どうとらえるか、です。

明日香、飛鳥、その地域へは初めて行きました。
飛鳥寺の釈迦如来像とか、日本最古と書いてあった。
それから高松塚古墳、見に行きました。
明日香村、明るい風景が、暗くはないですね。
文化が育む陽の世界、そんな感じがします。
明日香って字も、なつかしい、記憶があります。

陽といえば陰、この二つのイメージを思います。
ぼくはおととい28日が誕生日で67才になった。
なるべく陽の方向で目をむけていきたいと思っています。
でも、陰、影、日の当たらない処、あるんですけど。
残る時間、残る年月は、陽気にいきたいと思う限り。
表現は、それだけではいけないのかも、なんて思うけど。
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早くも5月の中旬。
昨日は初夏の暑さかと思っていたけれど。
今日は少し寒いくらいの気温です。
毎日、なにをしてるんやろ、なんて。
確かに時間の中で作業をしているわけだけど。
それがいったい、何になるんやろ。

昨日は、稲垣さんとふえろう村塾へ行った。
養豚場で、豚肉、ロースとヒレを買ってきた。
稲垣さんにはたいへん世話になっているところ。
なにかと懇意になって、いい友だち関係。
もう30年来の知り合い、お付き合い。
稲垣さんは、まれにみる美徳の人物です。

釜ヶ崎の運動に身をささげ、闘っておられる。
ぼくなんかとは、その精神力が違うんです。
死ぬときって、なんて話題で言葉を交わしたり。
生きざまのこと、幸福とは、みたいな。
彼ももう70才に近い、ぼくだって67才だ。
老年、それにふえろう村塾の三浦さん。

三浦さんは、少し若いが、後継者をどうする。
なかなか養豚運営、きびしいんやろなぁ。
なにかのご縁で、知りあって、豚肉を買ってあげる。
ふえろう村塾で写真を撮って、なにに使うかはこれから。
連帯フェスタでは、ハンバーガーの店をだしてた。
来年も、また、連帯フェスタが、行われるのでしょう。

人との縁、ぼくはそんなに多くの人はいない。
長澤さん、岡田さん、稲垣さん。
懇意な人って、こんなところでしかない。
利害をもたない関係にして、長続きさせたい。
もう、あと、残すところ、どれだけなのか。
なにかと思うこと多いけど、時間がない。
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雨が降ってきました。
日曜日、午後4時前、中途半端な時間。
第三番「英雄」のこれは第一楽章。
オーケストラの音がパソコンからでてきます。
マルチタスク、1980年代にそんな言葉を読みました。
パソコンからスマホの時代になって、ますます便利に。
世の中、革新、革新、革新だらけ。

カメラはデジタルになって、コストがかからない。
かってフィルムを使って撮影してた時代。
まあ、あと処理に時間がかかる、経費がかかる。
それからみたら、デジカメ、夢のようです。
フィルムと比較する向きもありますがナンセンス。
そんなの時代とともに劣化していく論議です。
フィルムはフィルム、デジタルはデジタルです。

キャノンG1Xって機種を使っています。
その前はキャノンG11、G1Xの方が画質はいい。
でもG1X、接写が使えないから、G11も使うはめに。
微妙に操作方法、露出などが違うから、戸惑う。
新しい機種が、確実に進歩してる、とは言えない。
これは、個人の趣向と進歩がかみ合わないときです。

上位機種の一眼カメラが恐らく性能的にはいいだろう。
でも撮影する対象によって、最適なカメラを使わないと。
まあ、スナップ写真では、G1Xが使い良い。
確実にピントを合わせるためには、手動が必要。
でも、オートに馴れたら手動なんてめんどくさい。
シャッターを多く切って、そっからピントが合ったのをえらぶ。
そんなふうにカメラを使って、カメラマンしています。
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京都で写真を学ぶなら
 <京都写真学校>

徒然にっき
2012.10.2~2013.3.18
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写真家東松照明さんの訃報に接す。
2012年12月17日、沖縄の病院にて死去。
死因は肺炎、82歳。
人間は死ぬ、いつの日にか死ぬ。
1930年生まれの東松照明さんでした。

彼が京都取材のために京都へ来た1981年年末。
1982年の正月、京都に来てた彼から電話があった。
三条河原町の六曜社で待ち合わせ、午後9時。
それが東松照明さんとの最初だった。
その後三年間、京都取材が終わるまで取材に同行した。

ぼくの最近は京都をテーマに写真を撮っています。
先輩東松照明さんの京都を意識しないわけはありません。
桜にしてもそうでした。
東松さんの「桜」は、風景を取りこみます。
ぼくは、桜の花そのものをクローズアップ。

彼の京都は有名人を撮って並べる。
ぼくは無名の人を撮って並べる。
いえいえ、彼には及ばないかも知れない。
ただ、通りすがりの彼とは違う、ぼくは地場です。
通りすがりの方がいい写真が撮れるかも、とは彼の弁。

三年間、二人だけのワークショップ、セッションをしてもらった。
西井一夫さん、平木収さん、東松さんを通じて、知った。
東京のマンション、代々木、中野、千葉の一軒家へ、赴いた。
妻と一緒に千葉の家へ行ったのは1994年だったか。
思い出尽きない東松照明さん、ありがとうございました。
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このまえに東松照明さんの訃報にふれました。
弔いの気持ちを持ったまま、あれこれ考えていました。
そうしているうちに大島渚さんの訃報です。
大島渚さんとは、ぼくは直接の面識はありません。
でも映画監督として興味ある方でした。

若松孝二さんでしたね、そのころエロ映画の監督。
そうゆうことでいえば大島さんは「愛のコリーダ」。
DVD版で見たけど、これには影響受けます。
愛欲シーンがたっぷりあるじゃないですか。
刺激的な映像、色彩もまた、素晴らしい。

ぼくの人生、その年月の長さは66年強です。
いつのころからか文章や写真や映画の濡れ場に興味を。
ぼくのできないもうひとつの表現世界だと、思ってきました。
そのころの作家さん、おおむね性の解放運動。
人間の本能、欲望、満ちる情と欲、その世界です。

東松照明さんだって、本音、撮りたいと言ったんです。
でも、作品の流れ上、作品にはできなかったと思う。
縛りやりたいねぇ、なんて酒の場で聞いた。
京都を継続されておれば、その領域に至ったかも。
いすれにしても、彼らは逝ってしまわれた。

残された者は、何をと思う。
その継承者たらんとするかぁ。
ねじまげて継承しないと二番煎じだ。
東松さん、大島さん、ありがとうございました。
三辺さんのお葬式の時、大島さんに会いました。
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冬はどうもこもりがちになっていけません。
こころが萎えるってゆうか、鬱になるってゆうか。
外の世界がこわいようにも思えて、おびえています。
自分のいる場所が、明確にならない感じです。
分裂してる、自意識とか、視線とか。

過去の文章をあらためて書き起こしています。
デジタルデーターにするための作業です。
没頭するというほどではないけど、時間をかけてる。
昨年のいまごろに、フィルムスキャンを買って一年。
釜ヶ崎、京都、とフィルムをスキャンして、いま白虎社。

フィルムで撮っていたころのこと、思い出します。
1977年ごろから本格的に撮りだして1984年に終わる。
自分の写真をといえば、釜ヶ崎、労働者の写真。
いま、ブログに、アルバムに、発表しているところです。
まだまだ、これからの作業になると思います。

それらと並行して、その当時に書いた文章を再録。
むくむくアーカイブ<物語と評論>目次ページ
いま、写真行為とは何か、現代写真の視座1984、写真への手紙・覚書。
いくつかの残りを、これからも再録していくつもり。
まあ、命あってのことだから、いましかできない。
そのように思っているところです。

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ウエブ上で写真集を構成しているところです。
この写真集には、HPで、ブログで、フォトアルバムで。
フォトアルバムは、容量が大きいから、使いよい。
ぼくの場合、キャノンとニコンのアルバムを使っています。
カメラメーカーのアルバムの他に、ピカサとかも使います。

最近、昨年はキャノンのアルバムがリニューアル。
今年になってニコンのピクチャータウンがリニューアル。
ニコンイメージスペースということになった。
容量がニコン製品を使っているから20ギガにアップできた。
ところがアドレスが変わったから、組み直しを迫られて。

ウェブ上で提供されるフォトアルバム。
パソコンとかウエブの環境によって変更される。
バージョンアップだから、文句はいいません。
それを承知で利用させていただいているから。
時代の要請、最新の形になっていくんでしょう。

写真のアップ枚数、京都関連一万枚を超えた。
2003年末からはじめたデジタルカメラでの撮影。
それらをウエブアルバムに収録して公開していきます。
かって1980年前後に撮ったフィルムのスキャン。
スキャンをはじめて一年になります、これもまとめます。

作家を名乗っていませんが、作家しています。
テーマは京都、どのように撮って表現するか、です。
今年になって、ふたたび京都撮影にチャレンジです。
東松照明さんの京都ではない「京都」です。
67歳になる今年、もう少し頑張ろうと思う。

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二月が明日でおわっていきます。
早いですね、日々過ぎるのが、とっても。
意識するから、よけいに早く感じるのかも。
少年の頃は、そんなに年月を数えることもなかった。
未来がいっぱいあって、数えきれないんだね。

最近、未来において、なんて数少なくて。
過去が、どうだったのかとの、懐古趣味。
昔を懐かしがるわけではないけれど。
生きてきて、生きてる証をなんて、キザに思う。
そうそう、井原西鶴、どんな男子だったのか。

元禄六年、五十二歳で逝去したとゆう西鶴さん。
浮世草子、写実小説だとゆうじゃありませんか。
ぼくは、古典読めないから、解説書で読むだけ。
写実といえば、写真じゃありませんか。
リアリズムとでもいえばよいか、写実主義。

その時代、浮世絵とか浮世草子とか、浮世もの。
歌舞伎も浄瑠璃も、浮世のこと。
浮世とは、この世のこと、生きてるこの場。
いよいよぼくだって、老いの境地に至らないと。
いつまでも浮世では、死にきれないよなぁ。

<京都>を作品に仕上げようとの無謀な試み。
写真をもって作るから、その時代の絵巻物風。
21世紀洛中洛外光絵図、なんてサブタイトルで。
写真集<京都>を模索しつつ制作中です。
エンドレスですねこのテーマは、いつまでも中途半端です。

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あれっ?、徒然にっきがここにもあった。
アメーバの花のワルツってブログで連載中。
ここは、ブログの名前が、徒然にっき。
吉田兼好さんの徒然草からの引用です。
ピアノの曲、ベートーベン、ワルトシュタイン。
その第二章ですが、ここでは音を再現できない。

パソコンに取りこんで、メディアプレイヤーで聴いています。
なかなか、いい音で聞こえますよ。
田舎では大きなスピーカーで聴くときがあります。
やっぱり、音質が違うけど、これはこれ。
なんといえばいいのか、こころむしられる。
ピアノの曲には、けっこう思い入れがあるから。

最近のことですが、けっこう忙しい?
作業を抱えすぎてるのかもしれない。
此処へは、なかなか来れない。
文章書くのが、なかなか重いんです。
別バージョン、小説については精力的に。
つまり、興味の対象が、いまは、別にある。

来月満67歳になる。
自分で信じられない。
体力落ちてきた、老体になってる。
でも、気持ちは、どうなんやろ、変わった?
精力なくなって、エロさもなくなった?
ほんとかなぁ、ここでは真相を語れないけど。

なんやかやゆうても、真相を語れない。
言論の自由とはいっても、枠がある。
ネットは公共の器だから、ガイドラインに従う。
しかし、こころは、いつも逸脱していくんです。
井原西鶴、ベルメール、モリニエ、谷崎、永井。
なんてったって、文学者であり芸術家ですね。
ぼくもその境地へ行きたいです。

-21-
視力が落ちています。
この時間、この作成画面の文字が見えにくい。
使いすぎなことは、わかっているけど。
パソコンの画面を一日何時間見てる?
ほぼ12時間、そんなにも見てないけど8時間以上。
やりたい作業がいっぱいあるから、です。

4月に出品する展覧会の写真をまとめる。
フォトコンプレックス第五回展です。
USBに入れて、パソコンで見せる。
12作品全部を混合して、流す。
スライドショーするのに、今年はパソコンで。
まえのバージョンのパソコンがあるから、これ。

IMIOBの三木さん、葛城さんが作ってるフォトマガジン。
港さんと勝又さんが作家、三木さん編集、葛城さん発行人。
東京発、新しい試み、料金は月600円+消費税。
毎週木曜日にメール配信される、というもの。
カード決済ではなくて、特別に振りこみにしてもらった。
ネットでクレジットカードを使いたくなくて、です。

寫眞、その他のアート潮流、その現状をどうつかむのか。
ネットで情報が得られるとはいえ、やっぱりこの目で見る。
いま宝塚にあるメディア図書館へ、毎金曜日、行ってる。
そこには情報がいっぱい、それを体感します。
情報は魔物で、知る必要があるのかないのか。
なくても良いけど、なければ何かしら不安になる。

あれから10年を超えた。
あたらしい流れがぼくのまわりに起こっている。
昔の知り合いと会うだけが目的ではなくて。
功名心を得たいと思うわけでもなくて。
なにかしら、得体のしれない空気が、ぼくを連れて行く。
あと何年、このようなことができるのだろうか。



 京都で写真を学ぶなら
 <京都写真学校>


徒然にっき
2012.10.2~2013.3.18
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12月になると、気持ちがあわただしくなります。
世間があわただしくなるからかも知れない。
なんとなく、そわそわ、落ち着かない。
今年なんか、総選挙っていってるから、なおのこと。
じつは60歳になるまで、選挙へは行かなかった。

20歳になった時の最初の選挙には行った。
それ以来、選挙に行かなかったけれど、心変わり。
体制から逃れることなんてできないんだから。
せめて権利を行使して、義務を果たそう。
そう思ったわけで、心がとっても従順になった。

年金生活がベースにあって、それに依存してる。
基本的に、日本国国民として、権利義務を行なっている。
なんだかんだと言っても、しょせん枠の中。
なんとか楽して生き延びよう。
それが生活の知恵というものだ。

気ままに、好きなこと、好きなように、したい。
ストレスのたまることはしたくない。
正義の味方なんてちゃらちゃらおかしくって。
悪の華みたいな、あだ花、せせら笑って、なんて。
遠回りしながら、人生の最後のあだ花、咲かせようか。
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12月になると、気持ちがあわただしくなります。
世間があわただしくなるからかも知れない。
なんとなく、そわそわ、落ち着かない。
今年なんか、総選挙っていってるから、なおのこと。
じつは60歳になるまで、選挙へは行かなかった。

20歳になった時の最初の選挙には行った。
それ以来、選挙に行かなかったけれど、心変わり。
体制から逃れることなんてできないんだから。
せめて権利を行使して、義務を果たそう。
そう思ったわけで、心がとっても従順になった。

年金生活がベースにあって、それに依存してる。
基本的に、日本国国民として、権利義務を行なっている。
なんだかんだと言っても、しょせん枠の中。
なんとか楽して生き延びよう。
それが生活の知恵というものだ。

気ままに、好きなこと、好きなように、したい。
ストレスのたまることはしたくない。
正義の味方なんてちゃらちゃらおかしくって。
悪の華みたいな、あだ花、せせら笑って、なんて。
遠回りしながら、人生の最後のあだ花、咲かせようか。
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師走、12月、今日はその13日目、木曜日。
一年の過ぎるのが早く感じます。
毎日、こうして、パソコンに向かっています。
単調な日々だから、早く感じるのかも知れない。
今年66歳、来年67歳、自分で信じられない。

今年は、7月だったかに、宝塚メディア図書館へ。
目下、毎週金曜日に、通っています。
いつまでも続けているわけにもいかない。
引き際を思い描いて、どうしょうかなぁ、です。
いま、いちばんの懸案です。

陶芸は6年目かなぁ。
ちまちまと月に2回ほど、通って続けています。
自分が使う食器のほぼ九割が自作の食器。
ここまでこれたとは、自分でも驚き、継続の結果です。
自分と他者、いい関係だけ、これからはそれでいこう。

京都写真学校、これは9年目を迎えます。
来年の入学問い合わせが今のところない。
毎年、問い合わせが少ないけど、開講できている。
不安だけど、開講できるかどうか、です。
入学者がなかったら、開講できない、ということです。
そんなこんなで、一年が終わっていきます。
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毎年のことながら、この時期、気が急きます。
大晦日まであと一週間。
それから新年です。
2013年、平成25年。
もうそんな年になるんですね。

記憶をたどっていくことが多い昨今。
同窓会の集まりで、昔の美男美女に会う。
いまも美男美女だけど、老齢者になった。
淡い、十代のころの思い出が通り過ぎます。
今年は、そんなことで思いにふける。

もう会えないと思っていた人に巡りあう。
まだ巡りあっていない会いたい人もいる。
人のつながりって奇妙な縁ですね。
けっきょく、つまり、ひとは一人で生きれない。
同好の集まり、写真、これも人との交流。

それでいいのだ。
人と接することが、社会とのつながりです。
接せられるということが、ラッキーなことです。
いくつかの社会と接しているけど、大事にしよう。
なにかのご縁、なんて、いいじゃないですか。
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2012.12.28
総選挙が終わって、自民党が独り勝ち。
なんてこった、このざまは、って感じです。
元の木阿弥、元に戻った、とは言ってないけど。
何の変化もないままに、継続されていく世の中。
そんな時代に、どのように生きるのか。

ぼくなんかは、もう社会人終えて隠居の身。
なんだかんだで年金生活、これで確定。
だから、もうあくせくしない、のほほん生きる。
でも、まだ、稼いで生活をしていく人は大変。
先が見えないから、それに辛い時代です。

自分が生きてきた年月、その中にあった辛いこと。
いやいや、いろいろ、ありましたよなぁ。
でも、過ぎ去ったこと、いまは悠々自適です。
あとは消えゆくまで、なにをするか、です。
パソコンで、カメラで、遊んでいる自分。

社会との接点が、少なくなってきているから。
社会との接点を、大切にしていきたい。
時代感覚でいけば、生活実感が乏しい。
流動的な世の中に、自分を泳がせている。
はたして、これでいいのかと、問うこともなく。




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