中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2017年10月

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<掲載写真は、2008.11.24 KBS秋の収穫祭風景>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

フリースクール京都
学校の3分野と講座概要

1、個人が新しい枠組みの共同体を思考しながら実践に結実させる。
 目標は実践作業を積み重ねることから社会の構図を裸眼で見通す
ジャーナリスト系・・・・新聞記者、放送記者、フリージャーナリスト、写真・ビデオジャーナリスト
編集系・・・・専門分野の雑誌編集者、番組編成者、メディア編集者
著述系・・・・小説家(ノンフィクション作家)、評論家
アドミニ系・・・・映画、舞台のアドミニストレーション

2、個人が身体表現の場としての生活を実践する。
 各ジャンルの共同作業体がワークショップを形成する
身体系・・・・バイオ、医療、東洋医学
農業系・・・・農産物生産、牧畜、酪農、、、農場は、京都府下、和知、美山など
手工業系・・・・医療、家具制作、 陶芸・ガラス、、、工房は西陣(織物)、清水(陶芸)など
コンピューター系・・・・ネットワーク構築、DTP,通信、人工知能、、、工房は、KRP、ATRなど

3、個人が考え、そして行動プログラムを編み出すことを目的とする。
 塾それぞれにワークショップが開催される
文学・芸術系・・・・人間の快楽を文学研究、音楽研究、美術研究を通して考える
           映画塾、小説塾、絵画塾、音楽塾
思想・歴史系・・・・思想と世界史研究から近未来の人間の関係縮図を考える
           哲学塾、神話塾、風俗塾、知能塾
政治・経済系・・・・国際政治や国際経済を通して国家の解消(消滅)を思考する
           国家塾、貨幣塾、流通塾
数学・地学系・・・・人間にとっての快適な生活条件としての地球環境を考える
           数学塾、地球塾、聖域塾
天体・人体系・・・・人間にとっての大気と生物としての人間の関係を考える
           宇宙塾、空気塾、バイオ塾、遺伝子塾




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<掲載写真は、2008.11.24 KBS秋の収穫祭での野菜写真>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

フリースクール京都の開講場所等

1、研究の分野

「基本セオリーは政治・経済・哲学・文学・芸術」
 ・総合的基礎研究をおこなうグループの育成をおこなう。
 ・既成のジャンルを越えて研究した成果を各ジャンルに還元する循環型の学術研究体制を念頭に置いて、総合的にジャンルを融合編集できる人材を育成する。
 ・設立当初にはこのような循環型の研究者が希少なので、各ジャンル専門家を講師に招き、レクチャーを実施する。
 ・学生は各分野の研究を総合的におこなうことで、将来の新学問体系を構築することができることを念頭に置いて、基礎研究をする。
 ・たとえば、
 1、日本文化総合研究会編「日本文化の成立と今後の課題」といった研究成果を出版できるぃような共同研究グループを想定する。
 2、既存の研究所・研究機関から講師を派遣してもらい講義をしてもらう。
 3、既存の研究所へ学生がインターンとして研究参加する。
 ・この基本セオリーは実践の場として塾が形成される。

政治・経済分析
 ・基本セオリーを踏まえたうえで、政治・経済の分野に特化して一層の専門家をめざす。
哲学・文学・芸術分析
 ・基本セオリーを踏まえたうえで、哲学・文学・芸術の分野に特化して一層の専門家をめざす

2、学校の三分野
 ・ジャーナリスト系
 ・身体系
 ・研究系

3、工房の三分野
 ・農業系
 ・手工業系
 ・コンピューター系


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<掲載写真は、2006.9 京都農塾の記念写真>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

「フリースクール京都」の組織概要(案)

<経営>
1、経営方針
 21世紀、グローバル化する経済側面において、人間としてあるべき人間の問題について、様々な角度から議論し、ありうべき姿を仮定していくことの実践の場の確保を中心とするムーブメントとして捉える。そのためには、このムーブメント自体を新しい社会像に移行させるための理論と実践を研究し、学びあい、なおかつ新しい経済活動につなげていくことを目的とします。

2、経営組織
 ・特定非営利活動法人(NPO)とすることを基本形として考える。
 ・既存の財団婦人等の一セクションとして・・・・初期投資の必要によって。
 ・協同出資の協同組合方式、これは将来的に生産現場が確保できる段階で考える。
 ・株式会社、別途収益事業展開の目途がたった事業について考える。

3、経営形態、経営母体、経営資金
 ・NPOには、代表理事、理事会と会員
 ・協同組合方式には、代表者グループを組織化して、代表を選ぶ
 ・経営母体として、賛助する法人、会社、財団、学校法人等で
  初期資金及びランニングコストの一部を協賛金として拠出してもらえる法人
 ・経営資金は、講座受講料収入、協賛金、寄付金、行政とのタイアップ

<組織>
1、運営組織
 ・理事・幹事の構成
 ・事務局は常勤スタッフと非常勤スタッフで構成
 ・講師は非常勤講師扱いで趣旨に賛同される研究者及び経験者


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<掲載写真は、2005.5.21 京都農塾の作業風景>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの展望-2-

 いま来たり来ている新しい時代は、ひょっとしたら新しい文明なのかも知れないし、これまでの文明の延長線上なのかも知れないが、ここではまだ解答がみつからない。このような疑問を投げかけだすと、「文明とは何」とあらためて問い直さなければならないのではないかとさえ思う。すでに現在、新しい文明として始まっていて、私がそのことを認知するためには、新しい捉え方をしなければならないからである。で、このままでは、その捉え方そのものの方法がどうなっているのか、という堂々巡りがはじまってしまうのだ。

 確かにコンピューターの高度な利用により生活のスタイルそのものが変化した。今後もますます変化していく予定である。この変化により社会経済システムが変容する。いや社会システムが変容したから生活スタイルも変化したのだ。このように私たちの周辺の構造変化が生じてきている。しかしこれは、生活者としての人間が主役だったとはいえない力に拠った。この変化を、今後は私たち個々の生活スタイルのほうから激変させていくときが来ている。

 あるいは革命と呼べるほどのスピード感をもって変化が起こったともいう。しかしこれらは権力構造・所有構造への革命ではなく生活環境の変化スピード革命であっただろう。そしてインターネットの普及により、国家や国民といった概念が変容し希薄化され、そのうちこれまでの概念自体が解体される。これはおおいにありうることだ、と思う。これは受け身の態度ではなく、能動的に、その解体作業を進めていかなければならないのだ。

 このことにもう少し介入していこう。いま問うことは、権力構造・所有構造レベルの革命が起こりうるかどうかである。この革命は起きている。そうでなければ起こさなければならない。私は、人間の存在の意味を捉える地平線の向こうに、そのことから解放された人間の存在をみつける。そこからが新しい文明の始まりである。このようにしてフリースクールの持つべき領域は、徐々にではあるが見えてきているのではないだろうか。


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<掲載写真は、収穫祭、知恩寺境内 2004.11.21>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの領域

 フリースクールと書き表してどのようなイメージが湧いてくるのだろうか。これまでにも正規の学校教育とは別に、様々な時代に、様々な領域に、人間教育の機関が生まれ実践されてきた。あるいは教育という範疇で語られなくても人が集まったその場自体が、その役割を果たしたこともあるだろう。ここで私が表わにしたい「フリースクール」とは、新しい時代を担うひとたちの人間として、あるべき姿の根本の捉え方そのものをつくり出す運動体である、と定義するところから始まる運動体であり、その実験の場として存在してみたいことである。

 この場所から出発すると、まず「正規の学校教育」って何?、「人間としてあるべき姿」とは何?、といった疑問が次々と出てくる。正規の学校教育といったとき、これは国家が定めた教育の内容基準であり、新しい時代といったとき、これは21世紀がはじまった今の社会状況、グローバリゼーションとコンピューターネットワークの時代、がキーワードとし想定されてくる。また、人間としてあるべき姿といったとき、これは人間あるいは人が生存することの条件としての生存の仕方そのものの質であると言えるかも知れない。

 正規の学校教育については、幾多の意見や見解があったとしても、運用上の問題を議論することとして、まあいいだろう。しかし新しい時代といったとき、あるいは人間の生存の意味を考えたとき、これらについては多様な見解とともに多様な解答がひとまずは、みつけられるに違いない。私は私なりに、その解答を導き出す。

 このようにして出てくるさまざまな見解と解答を仮説的に網羅して、それらの仮説を様々な視点・観点から考えていく場がなくてはならないと思う。哲学的に、文学的に、芸術的に、社会学的に、科学的に、工学的に、医学的に、宗教的に・・・・・・といったように。そして次は身体の問題である。身体活動として生活レベルでの生産活動を見直す。生産の現場に参加する。商品生産ではなくて、それ以前の自らが衣し食し住するレベルにおいて、自給することを実践していくこと。そのことの延長線上に芸術の在り方臨があrためて展開されるだろう。
(続く)


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<掲載写真は、2006.3 京都農塾の収穫風景>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの展望

 歴史性を重視する。そしてその根底をゆるがす変革のとき21世紀
 日本語文化圏において立ち現れてきた権力支配の構造は、君主の存在なくして成立しえなかったと基本的に認識します。そういう観点からみると、日本文化は雅と鄙び、中央と地方、中心と周縁、等々の構図で見渡すことができるでしょう。この構図は世界史においても同様であると思います。

 時代の大きな流れとして<政治・経済・文化>の構造をこのような関係性を基に捉えることは、その構造総体をひとつの文明のスケールとみることができるのではないかと考えます。そのように捉え、なお現在が文明移行の端境期と仮設してみると、いま私たちにとって必要な行動原理は、その関係を解体する方法に向けて模索し実践すること以外にはありえないように思われます。と同時に新しい人間の関係の構図や労働の在り方の構図を模索しながら、新たな白地図を塗りつぶしていくように実践していくこと。

 思想の根底には人としての個人が個人として自立できることが条件となります。これは、個人として自立するということの意味を具体的に問うことから始めなければならないはずです。そして個人と個人の間の位置関係とその在り方をそのものを意識レベルで捉えられること。そのトレーニングが必要だと思います。このようなトレーニングが相互的に出来る場所が担保され保証されるような環境が生みだされるとき、ようやくフリースクールの展望が見えてくるように思います。

 新しい関係は、権力関係を解体した関係ー分散型協同関係ーとして立ち現れてくるのではないでしょうか。個人が個人の能力により場を保つ。そのことの連合体として共同体が生成される。そういった意識のモンタージュが個人のありようとしての意識を形成する、そのこと。

 フリースクールの展望は、新しい人間像をイメージし実践するところから始まる。そして身体の起立と意識の充実<トランス状態>を手に入れることです。

 これまでに培われてきた最先端科学技術を、どのようにして身体の満足に応用していくのかといった科学的医学的研究と同時に、哲学的考察及び文学的表現とをどのように組み合わせるのか。身体と最先端科学技術の組み合わせで、どのような生活レベルの生産品が生みだせるのか。カオス宇宙的な感覚の拡がりのなかで身体と精神をどのように安住させるのか、等々をおこなうプラットホームを生み出すことが、いま望まれているのでしょう。

 フリースクールの展望は、そういったことを実験的に生成させていくことから必然的に見えてくるものでありましょう。


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<掲載写真は、2005.5.14 京都農塾の田植え風景>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

フリースクール長期スケジュール

経済の構造改革⇒新しい産業構造の明確化⇒情報資本主義の確立⇒新しい人間関係の確立
グローバル化の進展⇒ローカル化の拡大⇒グローバルとローカルの共存⇒身体と心の充実

状況:既存システムの領域では、情報革命⇒情報資本主義⇒グローバリゼーションの完成
   :世界のアメリカ化、ユーローの成熟、アジアの台頭
   :日本のシステム崩壊⇒新産業構造の模索⇒新時代への移行期

フリースクールの領域
 2003年~ワークショップの開講 贈与経済の精神が浸透し始める
 2004年~ワークショップの全面開講
 2010年~フリースクール出身者がワークショップを開催し始める
 2015年~共同体として機能し始める
 2020年~既存のシステムが圧力をかけてくる
 2030年~構造変化激しく、世界の構造が確定する

ジャーナリストの養成⇒芸術家・評論家グループが生成⇒新しいものの見方が定着しはじめる
 :身体と心の充実を求めて      :出版活動が活発化する
 :農地・産地の提供者が現れる   :フリースクール出身者が主宰の生産現場が多発する
 :生産の開始  :生産者ネットワークと消費者ネットワークが生まれ形成される

コンセプト
1、世界、アジア、日本を総合的に編集できる人材の育成
2、生産がベースの職住生活で21世紀型産業構造の創造
3、具体的なプロジェクトにしていく能力の強化
4、研究者は野に出て野のひとに、野のひとは研究者に
5、新しい共同体と新しい人間関係の構築


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<掲載写真は、2004.10.2 ヤギの会の稲刈り風景>
※2001年7月1日付の文書を掲載します

フリースクール概念図2

ポストキャピタリズムの考察から実践へ
ー新しい人間とその関係を探るー

研究の分野
 基本セオリー
<政治、経済、哲学、文学、芸術における人間の新しい在り方についての統合的基礎研究>
・政治、経済分析とケーススタディ&実践
・哲学、文学、芸術分析とケーススタディ&実践
・倫理、科学、芸術

学校(フリースクール)の三分野
 第一群<ジャーナリスト系、編集系、著述系、アドミニ系
 第二群<身体系、農業系、手工業系、コンピューター系
 第三群<文学・芸術系、思想・歴史系、政治・経済系、数学・地学系、天体・人体系
◎検証と実験の場から行動の場へ
 ・構造のパラダイム変換は実践から始まる
 ・構造をシームレスに変換していくこと
  キャピタリズムフレームの中での変換構造を
 ・生活体系ー衣食住と祝祭ーによる文化創造

工房の三分野
 1、農業系
 農産物・食糧生産と加工品、牧畜・食糧生産と加工品
 2、手工業系
 衣料生産及び加工、家具什器生活諸道具の生産
 3、コンピューター系
 知の体系化の生産(ゆっぱん、放送等)

生産事務局と流通事務局
<生活者共同組合>
組織は、NPO
三つのネットワーク
 ・協同組合のネットワーク
 ・生産者と消費者のネットワーク
 ・地域及び地域間のネットワーク



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<掲載写真は、収穫祭、知恩寺境内 2004.11.21>
※2001年8月20日付の文書を掲載します


フリースクールの基本概念
ー新しい人間社会の構造を考えるー


三つの部門
◎総合文化研究会
◎フリースクール部門
◎工房部門ー生産者共同組合へー

◎総合文化研究会
 文化を見る視点として求められるのは、総合的な観点をもって、いかにして現状の発想から自由に構想できるかが課題である。
 その意味で総合文化研究会における研究の分野においては、誠二・経済の論点から思想・歴史・文学及び芸術の論点まで、総合的な視点で論じられる人が求められている。
 そこには人間存在の根源に迫るような、感覚的及び論理的な総合指針といったものが立ち現れてくる可能性がある。
 総合文化研究会では、そのような観点から総合カリキュラムが提供できるような研究を行う。

◎フリースクール部門
 フリースクール部門は、総合文化研究会の総合指針を実践していくメンバー育成の教育現場である。ここでは概念上3分野におおまかな体系分けを行っている。ここでは各々の分野において、実践活動を行うための理論及びノウハウを学ぶことで、パラダイム変換を試みていく。
 第1群は論述を主体としてアクティブに外枠を構築していくためのカリキュラムである。
 第2群は技術を主体としてアクティブに生産の現場を構築していくためのカリキュラムである。
 第3群は研究を主体としてアクティブに人間存在の根源を探るためのカリキュラムである。
 フリースクール学生は第1群から第3群までを総合的に学びながら、各々の自立した考えにより自分の生きるべき方法を選ぶ。個人の生涯においては、概念的に分割されたジャンルを相互に横断しながら、生活の体系をみずから構築していく。個人は各々に生産の現場を体験する。

◎工房部門ー生活者共同組合へー
 個人がフリースクールの課程を経過していくなかで工房を形成する。工房は生産の在り方と流通の在り方を、既存のシステムから新しい関係へ変更していくものである。
 工房では生産を行う。
 また総合文化研究会において及びフリースクール部門において研究を重ねる結果、現在の世界的潮流である世界均一化の波(グローバル化)を推進するメンバーとしても担っていく。
 工房は、そのグローバル化のなかで研究開発される先端科学技術の成果を享受しながら応用展開を行うものである。
 第一段階として工房のリーダーはその道の専門家によって主宰される。フリースクール学生は工房に所属することにより、生産の現場を体験していく。プロフェッショナルに至る過程である。おおむね5年程度の時間が必要であると想定している。
 第二段階としてフリースクール学生の卒業生ネットワークから、工房の主宰者が出現していく過程である。現在に存在する様々な機関とネットワークを組みながら、社会的存在として形成されてくる。フリースクールが認知され、社会のなかでの渦を起こしていく。この渦はこれまでとは違った人間存在を形成しているというカリスマ的認知を必要とする。
 第三段階として生活者協同組合が組成される。この形態は現時点での発想であり、フリースクールの活動が活性化されていく過程で、その構成員により修正が加えられていくものである。この第三段階までの過程おおむね20年から30年の波と考える。





 

 

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