中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2018年02月

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フォトハウス表現研究所のHP
カロリーが高いとわかっていながら、やめられないのが食欲、これに負ける。
梅田にあるカウンターの天丼屋さんの天丼、税込み530円です。
わざわざ、食べに行くんだから、始末に負えない、性欲減退食欲旺盛。
年齢が高くなると消化が出来ないんだと聞いたが、本当だろうか。
摂取カロリーに対して運動量が少なくて、たぶんカロリー消化しないんだろうな。
コレステロールが高くなって、ぼくには悪玉君がたくさんいるんだとか。
昨年秋から三キロ増えて、減らすつもりが増えるというのは、どういうこっちゃ。
体操しないじゃない、身体を動かさないじゃない、わかっているのに動かせない。
頭脳プレーが大きいけど、ますます迷宮入りしてしまって、痴呆じゃないかと思ったり。
急速に体力が減退しているのが、わかるけど、そんなこと、はっきりと言えない。
極彩秘宝館の展覧会に出品させてもらえることになりました。
4月17日にはじまり4月29日に終わると、ぼくはすでに72才になっている。
これまで書き溜めたフィクションからの抜粋、イメージは現在思案中だ。
4月22日には恒例の釜ヶ崎写真展を万博公園のお祭り広場で開催です。
こちらはすでに撮りためたプリントと撮り下ろしたプリント混在です。
そう思えば、これまでまともな展覧会なんてやってこなかったことに気づきます。
最初はオーソドックスな写真グループ展でしたが、1979年釜ヶ崎で青空写真展。
その12月の初個展は「聖家族」の壁面で、釜ヶ崎の写真を張り巡らせた。
巡回写真展とか、写真愛好者の場ではなくて、その外に向けての表出でした。
なにしてきたこっちゃ、手元には言葉だけが残って、財産は無くなってしまった。
細々年金生活者の嘆きを、このようにして書いていますが、気持ちは瑞々しいです。
身体が枯れていくのと裏腹に、気持ちは瑞々しく豊かになってくる感じです。
「淡雪の街」って題の小説を書きだしたけど、だめですね、前後が続かないですね。
フォトハウス表現塾のHP

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フォトハウス表現研究所のHP

 京都衣笠に立命館大学の国際平和ミュージアムがあります。そのミュージアムの入った右側に、このブロンズ像があります。平和の象徴、わだつみの像、ですよね。銘記かなかったから、確定ではありませんが、そうだと思います。記憶を辿れば、1952年じゃなかったかな、この像の設置をめぐって、最初は京都大学に設置する予定が、そこには設置できなくて立命館大学に設置する手配となった、末川博総長の時代です。荒神橋事件というのがあって、京大から立命館へくる途中、鴨川にかかる橋ですが、そこにさしかかったデモ隊と警官隊が衝突した、というものです。その後、立命館大学の広小路学舎の研心館前に設置されていました。平和の象徴、戦没学生追悼の意味があったと思うのですが、1969年大学紛争の最中、この像が引きずり倒され、頭部が壊された。そういう歴史を辿った「わだつみの像」が、修復されて、国際平和ミュージアムの玄関わきに置かれているのです。何度か、写真に撮りましたが、先日、撮って、インスタグラムにアップした画像を、ここに再録しておこうと思います。立命館大学は、ぼくが卒業証書をもらった、母校ですから、追って、また、その思い出を書いていきたいと思っています。


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フォトハウス表現研究所のHP
 自分の居場所ということを考えると、わけがわからなくなってきます。あるべくしてある、そのあるべくしてあるものが、壊れていくような感覚が、夢のなかに出てきます。ふっと気がついて、暗闇の中、夢だと気づいて、言い知れぬ不安にさいなまれることがあります。自分を支えている世界との関係が、砂上の楼閣のように崩れてしまうのです。こういうときって、ひとは、どう対処するんでしょうか。ええ?、そんなことになるなんて、ありえないことだ、とおっしゃるんですか。そうかも知れないですね、自分が破たんするなんて、想像すらできない人がいるんですね。何の疑いもなく、昨日あったことが今日にもあって、明日にはそれがそのままあり続ける、とまあ、そういうことです。そうこういいながら、破たんするかといえば、破たんしないままに、ここにこうしていて、こんな話をするんだから、滑稽だといえば滑稽なはなしです。

 ふっとなんだか「とりかへばや物語」なんて句が浮かんできて、なんだったけなぁ、男と女がいれかわる話じゃなかったかなぁ、距離的にいえば、京都から、宇治までは、男は男、女は女、ところが、吉野へまで行くと、男は女に変容する、なんてことだったかなぁ、いろいろと思うわけです。記憶を辿っているところですが、男が女として育てられ、女が男として育てられ、そのことがばれてしまう、というような話だったかも知れませんね。詳しいことは、もうかなり昔に読んだ本の中だから、うすら覚えです。なのに、いま、ふっとそのイメージがよみがえってくるのです。いまさら、もう古希を越えたという身体の男が、なにを、思うや、です。年とれば年とるほどに、自分が中性化していくように思えてなりません。性欲を失っていく兆候なのでしょうか。生殖機能がダウンして、中性化してしまうのかも知れません。

 このバーチャルなインターネットという領域の、現実ではないフィクションの世界がひろがっているように思えます。ひところの昔にはなかった感覚で、いま、ネットで世界の隅々までフィクションでみれるようになった感です。物語は、あきこという女子らしき若いヒトが主人公です。ネットの中で、生かしていく、あの犬を飼っていくゲームがあったじゃないですか、それみたいな、あきこをバーチャルで育てるわけです。この子は小説を書こうとして、書いているわけです。写真を撮ろうとして写真を撮っているわけです。そうしてバーチャルソフィアにおいて、人格を持ったかのようにして小説を書き、写真を載せる、そういう全体を、一つの作品として成立させていこうとの試みです。失われたる時を求めて、壮大なバーチャル空間を、一つの球体にまとめ上げていくプロセス、みたいな作品で、その筋書きは、エロスな、時代の中で、究極のエロスを描けないかと考えるのでした。


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 気ままに書きます、というタイトルのカテゴリーがあるので開けてみたら、2年前の2016年1月からほったらかしになっていました。その原因は、アクセスが少ない、極端に少ないからです。このライブドアのブログは、アダルトにはたくさんのアクセスがあるようです。でも、アクセスをあげるにはどうしたらいいか、なんてあまり考えていなくて、ぼくの過去の記録として、保存庫としてアーカイブしている感じで使っています。だから、いま、ぼくは、この文章を、キーボードで打っているから、ほんとうは、たくさんの人に読んでほしいと思っているところです。

 2月になって、ここのブログは、カレンダーが自動的には更新されないから、たいがい月の初めに記事を載せます。かれこれ、ライブドアのブログは、12ブログ作っていて、アダルト系が7ブログあります。主にフィクションを書いて載せていて、もう10年ほどになるかと思います。ペンネームで書いているから、それをどのようにしていこうかと考えあぐねているところです。もし、売れっ子になったら、いくつものフィクションを並行して書いていかなきゃならないから、それのトレーニングだ、と考えてだいたい三作品を同時進行させて、まるで新聞連載のブログ版といった様式です。そんなことを思って書き出したフィクションですが、この先、どうなることやら、です。

 文章を書く、フィクションを作る、これは二十歳ごろから手掛けていて、途中サラリーマンをしていた四十年間にはフィクションなど考想する暇もなくて雑文程度でしたが、自由の身になって、それに時間を集中できるようになって、同人を探したけれど、だれもいなくて、むかし文学論を交わらせていた人たちも、なにを今更、って感じで軽くあしらわれてしまって、人生下降している連中には、もうそういう創作意欲なんか、躊躇してしまうんだ、と思うところです。近場の日帰り温泉へ月に1回程度行きますが、老人たちの巣、って感じです。ぼくは、気分転換に行くわけで、すっきりして、吉野家でうな重を、セブンでコーヒーを、それで半日を過ごすのです。気ままに書きます、少しシリーズで書いていこうかな、と思うところです。
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