中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2018年05月

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現代表現研究所のHP
昨日、5月28日、音楽家の文字さんと、畝傍山をのぼってみようと行ってみました。
どこからのぼろうかと詮索しながら、やっぱり橿原神宮からのぼろうと決めました。
懸案、昨年、香具山、耳成山、それから今回の畝傍山と大和三山を巡るつもりが。
丁度一年前くらいに、麓までいったのに、のぼれなくて、神武天皇陵でストップ。
今回は、だから、橿原神宮からの出発としたけれど、全部、まわれなかった。
いくつか神社があるのだけれど、そこへは到達できなくて、でも頂上へのぼれました。
掲載の写真は、橿原神宮の本殿前ですが、ヒトがいない、参拝者がいませんでした。

そもそもなぜ大和三山巡りなにか、ということです。
先っ飛鳥の地から、明日香、藤原京、と古の跡を巡っているところですが。
どうして、こういうことを、するようになったのか、古寺巡礼じゃないけれど、です。
寺というより神社の方へ、興味がわいきて、かれこれ10年くらいです。
あんなに宗教を否定していたのに、歳と共に肯定する気持ちになってきています。
信者じゃないですが、その精神性というか、人間の心境について、同化する感じ。
それが、最近は、かなり明確にイメージできるようになってきた、と思えるんです。

京都に至るその前の、大きな歴史の流れを、自分の中にイメージしています。
そのことが、写真や文章、はたまた映像に、まとめることができるかどうか。
作品に昇華させていくための、イメージトレーニングしているところ、です。
たぶん、永遠に終わらない、イメージの展開ですが、作品にしたいと思っています。
なのに、その片鱗すらつかめていないように感じられている、いまです。
それでも、大和三山の写真が、そろったところです。
日本の風景、その精神性なる感覚を、提示できればと思うところです。

フォトハウス表現塾のHP
フォトハウス表現塾主催
<カフェ&プレス>
毎月第三土曜日に開塾しています。
次は三回目で、6月16日です。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ
参加費500円(コーヒー代+) 
サービス満点、ぜひ、来てくださいね。


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現代表現研究所のHP
いい天気になりましたね、午後にはもっと暑くなるとの予報です。
昨日は、久々に日帰り温泉、仁左衛門の湯、へ行ったところです。
帰りには吉野家で鰻を食べようと、計画的に思っていたところで、これです。
ええ、けっこう高いんですよ、これで1220円だったか、50円の割引券がありました。
吉野家はTポイントのポイントがもらえるお店で、5ポイントが付きました。
ええ、これで、けっこう満足しているんです。
区切りにしようと思って、その区切るために日帰り温泉に行って穢れを洗い落とす。
でも、ね、日々は連続していて、繰り返し繰り返し、螺旋階段みたいにぐるぐる。
あがったり、さがったり、あっちへ、こっちへ、前向きなのか、後ろ向きなのか。
内面ってこんなもんだろうと思うけど、これは隠していかないと、やられる。
ぼくなんか、あけっぴろげだから、だまされっぱなしですね。
身ぐるみ剝がれされた感じもするけど、家族と家が残っているから、まだましか。
でも、生きれてるから、それでいいと思って、自由気ままに生きたいと思うのです。
肩書ってゆう名誉もいまさらどうでもいいし、肩書がないと評価されないのも事実かも。
人の見る目って、肩書を見てその人を評価する、でも、これ、もう過去の評価基準です。
肩書のある奴って、悪徳ですよ、人をだまして、自分を正当化する、そんなのいけません。
吉野家鰻重二枚重味噌汁セット、ひとりで、内緒で食べたのを、インスタで暴露して。
ここに、こうして、暴露して、五千円の鰻重とどこが違うのか、ぼくは、こだわりません。

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時間は、午後2時~午後5時
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 雨が降る予報だったのが、今の時間、11時11分ですが、降ってきています。こういうときは、外出するのも億劫になるので、自室にこもることになってしまいます。でも、体調管理には、適度な運動とストレス解消をしないと、身体が壊れてしまうと思っているところです。先月から、コナミトレーニングジムへ、週に1回~2回、通っています。平日昼間の時間ですが、二時間程トレーニングに励んでいます。励んでいるというより、アバウト、テキトウ、ですが、筋肉つけと、プールで50メートル泳いで、歩いて、サウナに入って、というコース。一回千円程で利用しています。かなり、危険リスクが回避できるのではないかと、内心、思っているところだけれど、体重が減らないですね。

 そういうことで変化といえば、自動車運転を、この秋で終えようと考えています。本気で、やめようと思って、もう少しで決断してしまう、という流れです。生活の形が変わっていくと思うんだけど、年寄りじみたくはないなぁ、と思っています。でも、外見、鏡で見るけど、それなりに年相応に年寄りだと自覚するしかない。講座をやろうとしても、客演ではなくて自演だから、無理なんだろうな、相手が、のれないんだろうな、と思っています。寂しいけれど、自作自演というのは、そういうところに落ち着くんでしょうね。

 seesaaブログで、文章をいっぱい書いているけれど、ブログの様式が変わったみたいで、ちょうどよかった、引き際だな、と思ったのが今朝です。整理する方向で、写真を主に掲載することにして、ここ、ライブドアのブログを活用しようと考えています。このライブドアのブログは、他と比べてアクセスが極端に少ないのが難点だと思っています。アダルトサイトが主なブログなのか、そちらの方はアクセス、それなりにあるのに、ノーマルは、少ない、ほぼゼロです。といいながら、ここで、こんなこと、言っていることが、ひんしゅくものですかね。

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 今日は、大田神社へ行ってみようと思って、午後一番、市バスに乗って上賀茂神社終点まで行って、そこから歩いて10分ほど。年に一回ぐらいか、訪れている処で、カキツバタの花が有名な場所。もう終っているだろうなと思って行ったら、案の定、花の季節は終わっていました。本殿も修理しているようで、幕がかけられていました。写真は、スマホで撮るだけです。そういえば、スマホで撮るために、あちこちと巡っているんです。作風が変わっているでしょ。ひところの画風から、一変してると思うんですが、なるべく引いて撮っている感じです。

 ここに載せたのは、上賀茂神社の遠景といえばよろしいか。向こうに見える鳥居の向こうが社殿というパースペクティブです。風景について、ちと思うこともあり、文章にしていかないといけないのかな、と思いながら気分的には、あほらしくなっていて、ぐだぐだ、こんなわけのわからない文体で、文章を作っているというのが、嫌になっているんです。でも、どうしようもない、あれこれ思っても、いまさらどうしようもなく、読者なんてどうせいないんだから、とか思いながらも、読者を想定しているんです。

 京都ということにこだわっていて、それも市内の北部をターゲットにして、作品にならないかと模索しているところです。そういう事でいえば、上賀茂神社は神さまがいらっしゃる処で、葵祭の行き先になる処で、歴史あり、由緒あり、意味をいっぱい持っている場所です。でも、それを無視するわけでは全くないけれど、その意味の今様のありかたを、再度捉えなおしてみたいと思っているのです。といいながら、元からその意味を自分の中に持っていないことに気づいて、あたふたしているところです。意味の再構築以前の、最初の意味をどう掴むのか、が問題なのです。神話といい、神の存在といい、意識化しだしたのは、告白しますと、最近の事なのですから。



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別のブログで<京都慕情>ってタイトルの文章を連載しはじめたところで、北野天満宮の「ずいき祭」を話題として出したところです。ここの別ブログで<京都写真帳1980>を連載していて、そのつなぎの写真に、この写真がありました。何してるところかというと、ずいき御輿が、上七軒をあがってきて、北野天満宮の東門の前までやってきて、そこで神主さんが禊して、御輿はここから御前通りを下っていく、という光景になる、その禊している光景がこれ。撮影は1981年か1982年あたり、10月4日夕方の光景です。説明的になるけれど、ずいき御輿は野菜で作られた御輿です。いまは一つだけですが、何時の頃からかの昔は、いくつもあった、氏子の町内が採れたて野菜を御輿に仕立てて、奉納したのだといいます。

京都に生まれ育って、たまたま京都を記録している自分ですが、写真にしても、映像にしても、文章にしても、そのテーマとなるのは、日本という国の歴史に根ざした光景ではないかと、思うところです。もちろん、これは、ドキュメント、あるいはノンフィクション、ということになろうかと思うのですが、そうではなくて、フィクション、虚構、作り物イメージで、作ってもいいです。映画やテレビドラマは、創作で、フィクションで、あたかも事実のように扱うことで、リアリティを獲得するのかとも思えます。これは制作論、創作論、そういうレベルで会話したい内容ですが、ぼくは、これからいっそう顕著になっていく流れが、日本の歴史に根ざした光景、それと個人の内面との関係、その交差点が、作品になると思っている最近です。

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昨年から、フォトハウス表現塾を主催していて、学びの枠組みを創っていて、世の中に提供しているところです。現代表現研究所という枠組みを作っていて、これは<現代>という問題を<表現>することを研究する場です。無意識に、自明の理として、なにげなく過ごしている事象に、あらためてスポットを当て、検証していく必要を感じているところです。問題にならないと思っていることを、問題にすることで、新たな認識が生まれてくるのではないかと思うわけです。そういう場を、京都に作りたくって、もぞもぞと動いているところです。日本の文化を、捉えなおしていく作業です。だれか、いないかなぁ、これまでの経験から、ここに提案している枠組みは、これからの潮流になっていくと思うんだけど、なぁ。
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まだ幼かったころ、この道、千本鞍馬口から北大路にいく道ですが、きつい坂道に見えた。
幼児で背の高さが60㎝か70㎝くらいなので、すごい坂道に見えていたんだと思えます。
坂道だといいっても、祖母にはそのことが分からなかったようでした。
大人になって、そのことを思い出すたびに、ぼくの目線は幼児のままなので坂道とわかる。
実は、この道は、千本通りで、蓮台野に成っていく坂道なのです。
野辺に死者を送る葬列が、この道を昇って行ったのではないかと、空想します。
京都の地場の記憶を辿りながら、文章を書くと、どうして、暗い場面ばかり思い起こすのか。
祭の光景といっても、明るいはずなのに、暗いイメージで色彩されてしまいます。
その当時を記録した写真の、モノクロやカラーの色彩が、そのイメージにあるのかも。

蓮台野、蓮の台といえば仏像がのっている蓮の形をしてる台座です。
その台座のように見えたから、このあたり一帯を蓮台野と呼ぶようになったのでしょう。
鞍馬口の手前にはえんま堂があり、鞍馬口を越えると上品蓮台寺があり、千本北大路。
そのあたりから、北にひろがる一帯が、死者を野晒しにして風化させる地だった。
いつごろからか、平安京の時代には、そのような風習だったのかも、知れません。
なにかしら、坂口安吾じゃないけれど、桜の樹の下は血なまぐさい、そんなイメージです。
最近、そういう死者を葬った場所のイメージを追いかけている感じがしています。
死んだ人の想い出ばかりがよみがえってくることが、朝、目ざめのときに、あります。
身内というより、知人、先輩、といった関係の人々のことです。

こちらも、もういい年だから、世間では、もう隠遁生活者の部類です。
診療所へ行ってきたけれど、高齢者扱いです。
バスに乗ると、若い女の子が席を譲ってくれます。
もう外面は、老人なんだな、と自覚するようにしています。
ここまで、生きてきたことに感謝して、水に流そう、利害のことは。
淡々と生きていくことが望ましい、というところでしょうね。
では、そういうことで、今日は終わります。


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カメラはスマホ、アンドロイド、ソニーのエクスペリアです。
レンズを、北に向けたり南に向けたり、からだごと撮る方向にもっていきます。
これは船岡山の頂上から南に向けて、京都の市中を撮った写真です。
平安京の造営に当たって、この丘陵地が北の基準になったというのが定説です。
奈良の藤原宮でしかね、飛鳥の都、そこでは北に耳成山を置いているじゃないですか。
その耳成山に船岡山が符合するのでしょうね、風水占いの何か、ぼくにはわからんですが。
大極殿は、現在の千本丸太町、一条通りは千本中立売より北の通りです。
市中の大極殿よりも南については、いまのところ論外です。

というのも「京都北物語」と括ってしまって、その範囲を想定しているところです。
東西に一線を引くとしたら、一条通りよりも北、ということにしようと思います。
一条通りより北、北山の麓までが、その文化圏に入ろうかと思います。
では南北の区切りではどうなのか、東の南北は加茂川を軸に、加茂神社を含む。
西の南北は、山の縁に添って、竜安寺や仁和寺あたりまで拡げるのがいいのかどうか。
等持院は当然含めることとしますが、西方面、嵯峨野との区切りもあるから、微妙です。
嵯峨野慕情(未完)では、鳴滝、双ヶ岡、太秦あたりまで含もうと思っているところです。

この連休には、京都北物語について、四本の線を描いてみたところです。
あらためて整理すると、
①上賀茂神社から南下して今宮神社②船岡山から北上して今宮神社
③船岡山から東にとって本法寺④千本上立売から北上して蓮台野、鷹ヶ峯まで
実際には、もう少し曲折するけれど、大体の物語の系、大筋ができたように思います。
あとは、そのポイント、点と線のなかで時間軸は1200年、人の心をどう解析するか。
フィクションとして、物語として、成熟させていきたいけれど、というところです。
ちょっと、整理できたかな、こういうメモは、整理するためのもので、公開しています。
フォトハウス表現塾のHP

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京都北物語というタイトルを使いだしたところですが、それのための取材を始めたんです。
4月30日のことでしたが、上賀茂神社へ行ってみようと思い立って、市バス46系統終点。
行きなれた場所で、ことあるごとに、何度もここへ赴き、写真を撮っています。
久々に写真を撮ろうと思うときの最初のポイントがこの地点になるんです。
ぼくには信仰心がないから、こういうとき拝むということをしなくて写真に撮る。
むこうのうすけた山が、神山といって、由緒ある加茂神社のご神体だというのです。

3月から嵯峨野をめぐってきたところですが、次には京都の北部を被写体に選びました。
カメラは、スマートフォン、エクスペリアで、キャノンのデジカメでは撮っていません。
撮った写真は、その場で処理してインスタグラムにあげていきます。
でも、横長で撮っているのは、ブログに使おうと思って、パソコンに取り込みます。
文章と写真をつないで、作品に昇華していかないか、と思うところです。
文章をトレーニングしないといけません、テーマを絞らないといけません。

カフェ&プレスという名称を使って、月一回の例会を開催していこうと思っています。
天野さんの場所を使ってもいいとおっしゃるので、ここからプレス、発信しようと思う。
かってあった平安京時代、室町時代、京都の北山文化が花咲いてきたところです。
そういう素地がある地域で、いまの時代に、新しい文化が発信できないか。
まだ構想段階で、イメージを醸成させているところで、京都北物語、です。
上賀茂神社、櫟谷七野神社、雲林院、紫式部、この痕跡をスマホで巡ってみたところです。
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