中川シゲオ写文集

中川シゲオの写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2018年09月

光の玉手箱(21)2008.3.5~
むくむく叢書のご案内

せんせの自分&文化批評 2008.3.5~2008.12.29
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2008年3月5日
2008.3.5

今日の日付です。
西暦2008年3月5日。
このように書いてみて、なにを感じるかといえば、年月がここまで来たということ。別に、そのことが、特別に意味があることではないけれど、ぼくには、なにかしら2008年という年が不思議な気分で書いているんです。

生まれは1946年4月28日。
そうするとそれから62年が経過したことになります。
つまりぼくの年齢は、まもなく62歳ということです。
なんのことはない、最近、ぼくは従順になろうと思った。
何十年かぶりで選挙に行って投票した。
公民権行使というわけです。

けっきょくは、体制の制度にべったしとくっついているわけだから、なにも反抗することもないや、と思っただけです。
これからも、もっともっと従順になろうと思います。

ぼちぼち、とゆうこと
2008.4.13

この春先から、今にかけて、ぼくのやりかたが、かなり大きく変化させてきています。ある種、戦略的に、とでもいえばよいと思えるほど、計画的でもあります。計画的といっても、先のかたちがあるのではなく、形はそのうち、作られてくる。このように思っているところです。

このブログにしても、紆余曲折、いったんはやめようと思いながら、また、こうして続けているわけだし、いったりきたり、ぐるぐるまわり、螺旋階段をあがったりさがったり、いったりきたり。きょうのタイトルは、ぼちぼち。ぼちぼち、といったときの感じ方、捉え方みたいな、ユックリズムな感じです。

さいきん、言葉をつむぎだすのが億劫で、写真にたよっている表現です。その写真も、昨年のいまごろから撮りだした<京都>の神社仏閣町角の光景。観光客として来る若い女性を中心に、写真にしているところです。賛否あると思うけど、やっているわけです。それを、やめようかと思いながら、続けている。

かって1980年のころ、釜ヶ崎という枠組みで、無名碑とタイトルしたポートレート集をつくっていた。これのバリエーション、ぼくの現在版とでもいえばいいか。理屈をつけようと思えばつけられるけど、理屈をつけてなんぼのもんや?!なんて思って、いまのところ、あえて理屈はつけていません。

まあ、いつものことで、最初の出だしが迷路に入っていく文章で、起承転結になっていない。これも、戦略といえばそうだけど、文体とか、文章のありかたとか、文法とか、作法とか、現代版でいきたいと考えています。恐縮。写真は、千本閻魔堂の桜、2008.4.12撮影、閻魔堂普賢像桜ではなくて、関山という札がついていた桜です。わすれないうちに書いときます、閻魔堂普賢桜というのは、めしべがふたつ、にょきっと出ている、昨年、閻魔堂の法主さんに聞いたはなしです。今年は二尊院普賢像というのを、見て見たい。

記念日
2008.4.28

今日は4月28日。自分の誕生日でもあり、ネット上に、総合文化研究所、むくむく通信社の設立した日でもあり、ぼくには記念すべき日なのです。

そのことを、やっぱり、意識してしまうんですね。とくに、誕生日ということについては、いろいろな思いが出てきます。
じつは62歳という誕生日で、それが世間的にはどうゆうことかというと、つまり初期老齢者ということになるんでしょう。
じぶんで、自分のことを語るのが、おこがましい感じもしますけど、まあ、テーマが自分研究ですから、おおいに自分を書いていこう。

自分を書くといっても、自分のことがわからない。外見はわかります。62歳だし、男だし、家庭もあり家族もあり、生存しているわけだし、えも、いまもって自分のこと、つまり存在の意味がつかめない。つかめないからといって死ぬわけではなくて、生きているわけだし、年々、生きている意味がつかめなくなってきているうようにも思えます。
これが、初老ということ、なのかも、知れません。 

今日から5月です
2008.5.1

なんといえばいいのでしょうか、言葉に詰まってしまうんですけど、今日は5月1日、2008年5月1日。これは、ぼくにとって思うと、この世に誕生して、身体を持って62年が過ぎたと認識するわけです。
そうして、ぼくがとらえてきた60歳を越えた年代の人像を、思い起こし、自分が、いま、その人像にある、と思うわけです。

老人、お年寄り、前期高齢者とでも、いうんでしょうか。自分では、まったくそんな意識はないんですけど、風貌、見てくれ、そんなの、やっぱり、そうゆう年代ですよね。毎朝、洗面所で鏡を見て、ええ、自分の顔です。そうして、嫌悪感を感じたりしますけど、まぎれもなく、それが自分自身の身体、顔つき、というものです。

かって、自分に違和感があって、自分が他人のように思えたり、なにより、自分と自分の意識が乖離していたような感じがありましたけど、最近は、それが、あんまりなくて、身体と精神が、密着している感じです。そうすると、自分がやっていること、いいこともわるいことも、ぜんぶ自分だと、自分に言い聞かせて、でも、リアルでは他者にいえないこと、内緒のこともありますから、これも人間としての自分だろう、と思ったりしています。

このジオログページ、ぼちぼち、記載していこうかなぁ、と思ったり、文章書くのが億劫だから、やめようかなぁ、と思ったり。そうゆうことでいえば、月替わりっていう日は、何かしら、痕跡をとどめておかなくっちゃ、気分にさせてくれて、ここに、こうして、痕跡を残しているわけです。

区切り
2008.5.14

日々、流れ流れて、思うこといろいろ、そのつど意識になってくることがあります。
そうして、やっていることが、あほらしくなったり、おしすすめようと思ったり、迷いということですけど、そんなことが、つもり積もって、決断になるように思えます。
そうゆうことでいうと、いま、やっている写真の行為、それを見直し、やめる、につなげようかとも思ったり、でも、やめられないなぁ、いいや、やめよう、なんてせめぎあっていて、ずるずる、続けていくんですね。
でも、今日は、人は撮らないでおこう、とか、風景も撮らないでおこう、とか、考えていて、写真自体を撮らない、とゆう方法もあるのに、毎日、撮ってきた連続を、ストップさせる勇気がゆらぎます。

昨日撮影した写真を、今朝セレクトし、そうしてここに掲載の写真が、最後のコマです。たぶん、これがこのシリーズの最後になる、そのようにします。迷いは、こうして書き出すことによって、決定となる。写真を撮ることをやめる、とまでには至ってないけど、方向転換。1年間やってきたシリーズを、いちおう終えたいと思います。それから、つぎの被写体へと移っていくわけですが、あたらしいところへはいけなくて、もういちど、もどるとすれば、どこへ戻ればいいのか、それを考えています。

kamagasaki
2008.5.16

釜ヶ崎という場所。大阪西成区萩之茶屋1丁目・・・。地下鉄御堂筋線の動物園前で降りて4番か5番かの出口からあがると、そこは霞町の交差点でした。25年ぶりの釜ヶ崎訪問。なにも大げさぶる必要もないけれど、自分とのかかわりでいうと、25年ぶりに、ついに訪れた、という感じです。

いこい食堂ってのがあって、西成教会の牧師さんでもあった金井愛明さんがお亡くなりになって、偲ぶ会が、5月15日、西成市民館で催されたのにあわせて、稲垣さんに進められ、いちおうカメラマンとして、訪問したというわけです。

なんでしょうね、25年。取材に入りだして、1978年だから、それから30年です。なんだったんでしょうね。当時の顔ぶれ、小柳さん、岡さん、どちらもケースワーカーをしておられた。高柳さん、電報が届いていました。ふうむ、30年、もしくは25年。この歳月を、どう受けとめればいいのか、まだ、わかりません。

午後9時過ぎに現地をはなれ、ローソンで焼きそばパンをチンしてもらって、立ち食いして、そうして堺町線で淡路まで、そっから西院まで快速急行、バスでわら天神、自宅11時ごろ着。ええ、自宅に戻ってきました。いずれ、このことについて、触れるとおもうけど、きょうのところは、ここまでにします。支離滅裂、ごめんなさい。

5月末
2008.5.31

文章を書くことがめっきり少なくなったように思われる最近です。というのも、写真を撮ることが中心になっていて、文章にまで至らない。写真はイージー、文章は手間かかる、そんな感じがしていて、時間の余裕がない感じです。ここに、こうして、記入の枠を開けてみたものの、そうなんだ、結局、書きたい内容が、せっぱつまって出てくる状況ではないんだ。このように思います。

これまでにも、文章を書ける時期と、書けない時期はあって、繰り返されてきたように思えます。数年前には、文章が、どんどこ書けた。中身は別として、まあ、書けたわけです。ところが、最近は、書くことそれ自体、内容とか、考え、それを文章にしていく作業が、めんどくさい。ええ、写真はイージーだし、ついつい写真中心になってしまっています。

写真集と銘打って、いくつものシリーズを手掛けています。おもにブログに連載する要領で、写真集を構築しています。テーマは「京都」さまざまな切り口で、構成しようと思っているけど、ここ一年は人中心です。思えば、釜ヶ崎にて「無銘碑」ってのを手掛けて、それの京都版、その関連のなかで、京都をつくっているところです。

でも、まあ、ここらで方向転換、別の角度から京都を、考えてみたいと、思うようになっています。「神」または「神社」というイメージを、集めて、神のいる社、神社です。この1年、京都シリーズをやってきて、ひとを撮るのもさることながら、神を撮ろうとしてみよう。こうゆうアプローチが、はたして可能かどうか、できるかどうか、その問題です。

バリへ旅行してきました
2008.6.30

やっぱり月に一回は書いておこう、なんて思って、今日は6月30日です。つい最近、バリ島へ行って来たことの話からしておこうと思います。なんのことはない、日本旅行社のパック旅行で、現地ホテル三泊の一般コースです。だから、リゾートっていうか、癒しっていうか、まあ、リッチといえばリッチなパック旅行です。

バリの文化とか芸術とか、日本文化の源流がある、というような話も聞いたりしていて、それなりのイメージを持って出かけて、観光地にその面影があったりして、それを写真に撮ったりして、バリの文化と芸術に触れたような気分になって、帰ってきたところです。

バリ島で思い起こすのは、東松照明さんの太陽の鉛筆第二部の東南アジア編です。第一部の沖縄編からカラーになって第二部になりましが、その最果てがバリ島の写真でした。それから、IMIにいたころに、伊藤俊治氏を中心にしたバリプロジェクトがあり、間接的にバリの文化風土などを知ることになりました。

それで、そんなバリなんですが、たぶん、行くことはないだろうと考えていました。でも、縁あって、新婚旅行並みの気分で、バリ島を訪問することができたわけです。写真を撮って、セレクトして、135枚ほど選んで、保管したところです。まだ、旅行気分がさめない今ですが、6月末の日記、いいえ月記として、残しておきます。

暑い7月
2008.7.28

月に一回の記事書きになってしまって、いまや、7月28日です。
何か書くといっても、何を書こうかと迷う気持ちがあり、その限りにおいて、必然的に言葉が編まれるということではなく、むしろ半強制みたいな感じで、書いています。
つまり、ここ最近、かってのような文章を、書く気持になってこないんです。
あんまり、プライベートな話題も、よろしくないかと思うと、よけいに話題がない。

温暖化現象の影響か、今年の7月は、けっこう暑い日が続いています。日中気温が35度を超えた日を、猛暑日ということですが、この猛暑日が続いているんです。地球温暖化、なんだか地球が壊れていくみたいな気がして、怖いです。なんて言ったって、自分の年齢は62歳だし、まあ、孫の将来を案じることになるわけです。

なになに、自分の未来なんて、もうここまで来てしまうと、終わってしまう感じじゃないですか。いまさら、未来があるなんて思うのもはばかります。生きてきた過去の年月が、懐かしく思うだけでなく、いやなこともいっぱいあったけど、それをみんな許してあげて、あとは、悠々自適、なんて思いたいところだけど、そうとも言えないね。
7月の記事、ここで終わります。

夏の終わり
2008.8.27

月記、8月。今日はもう8月27日。涼しい日が続いています。気象のことを言えば、最近、ちょっとおかしい。地球温暖化の影響ということだけど、まだ8月の後半なのに、涼しい。

今年の夏は、家の整理。生まれて育った家。今も健在の父親が住んでいる家屋を、閉じるため。7月のはじめから、60数年間につもった家財を整理した。自分の生まれ育った家だから、小学生のころの記憶だけではなくて、具体的に、学校の教科書とか、数十年ぶりに再会するモトたち。

感傷にふけっている時ではなくて、具体的な、生命、いのちの問題なのです。生きてきた証が、そこにはありますが、それを消してしまうことなのです。汗だくだく、モノを整理しながら、感慨深い気持ち、思い出す出来事、いろいろ巡り巡る思いがありました。

自分の生まれた痕跡。今で言う母子手帳が出てきた。母親が亡くなったのは平成元年。それから20年の年月が過ぎた。整理した家屋の中には、母親の持ち物が残っていた。懐かしい匂いがした。今日の掲載写真は、母親の戒名。この盆に、千本えんま堂で流した塔婆です。

9月の終わり
2008.9.30

思い出したかのように、ここへやってくると、たいがい1か月ぶりぐらい経っている感じですね。
ぼくの感覚、ちょっとそろそろ、書くかなぁ、とおもうタイムリミットが1か月、というのかも知れない。
最近は、書くのがめんどくさい。頭を使って、思考回路を紡ぐのがめんどくさい。
かって、ひところなら、軽蔑のまなざしでしか見ていなかった<お笑い>なんて、最近は、ハマってしまう。
それにつけてもシリアスなドラマとかは、もう暗くって見てられない。
そろそろ、それなりに、無責任、あの世を垣間見る、そんな自分がここにいて、消滅することを、平常に迎えようなんてことを思ったり。
2008年9月ってゆう区切りが、今日で終わります。

時代祭へ
2008.10.22

今日は10月22日、京都暦では、時代祭が行われる、鞍馬の火祭りが行われる。時代祭りへ写真を撮りに出かけてみようと思っています。このブログへ書き込むのは久しぶり。最近は、ほんと、文章を書くのが億劫で、というのも話題に事欠くわけで、自分の興味を文章化する根気といえばよいのか。ブログへは、京都の写真を中心に掲載しています。そんな写真を撮ることにも、ちょっと沈滞気味なところへ、祭りなんてイベントがあると、ほいほい、なんてったって写真になるから、出かけて、撮って、残している。浅はかといえば浅はかな動機でわあります。

祭りとか、賑やかなこと、ハレの場といえばよろしいんでしょうか、そうゆうことが受け入れられる自分があります。年をとってきて、暗いことより明るいこと、静かなることより騒がしいこと、祭りとか、お笑とか、そうゆうほうが生きていくのに負担がかからない。そのように思っていて、肉体の衰えとともに、肉体が生きることを望むようになっているんです。

同窓会、昔の記憶と交わる。このまえ、高校の同窓会があって、参加しました。高校を卒業して、45年ほど経つんですが、卒業年齢18歳、今62歳です。なつかしい、年月が経ったことを忘れてしまう。同窓会って、なんていえばよろしいか、こころを休める場所。なにか、世間では立派な立場のひとも、そうでないと自認しているひとも、同列になってるように思います。そういえば、学校卒業して就職して仕事の関係となると、そこはお金がからみ、名誉とか上下とかの俗がからむ関係だから、その場を離れれば、関係なし、ってなことで、同窓会ってゆうのは、特殊な場ですね、やっぱり。

11月12日という日
2008.11.12

今日は11月12日、正確には2008年11月12日です。ぼくにとって、特別な日というわけではありません。記念日でもありません。日常の日々の一日にすぎません。
最近、ちょっと変化が起こっている気がします。ぼく自身、身の回りのこと、世の中のこと、大きく言えば世界変動。
この変動している世界に対して、話題にしていくことで、この種のブログとかホームページとかが成立するわけですが、それにのっとらないで、自分と文化の批評をする。このコンセプトが、けっきょく文章を書けなくしている。

最近のニュースでいえば、アメリカの次期大統領がオバマ氏に決まり、初めての黒人大統領となる。麻生総理大臣が誕生している。ニュースキャスターの筑紫テツヤさんががんのため亡くなられた。11月24日にはKBS京都で、収穫祭が行われる。などなど、大きくは世界のニュース、身の回りのニュース、いろいろあります。でも、どうも、それらを話題にして、文章を書くということに興味が乗らないのです。

パソコンに向かって、自分流にホームページをつくり、ブログをつくり、最新の手法を使って自分を発信する。かれこれ5年が過ぎていくんです。そんななかで、いったい何してるんやろ、なんて思いがよぎっていきます。むなしいといえばむなしい気持ちがあります。自虐的に、人はそんなに振り向いてくれない、と思ってしまう。悲観的になってしまう。そんな感じを払拭したいと思うけれど、ふっきれない。

ああでもない、こうでもない、と思うことは、けっきょく確定ではないから、中途半端なところで終わってしまう。といって、確定させればよいといえば、そうゆうこともできない。こんなことを、ここに書いていて、なんの役にもたたない、とも思えます。要領よく、このあたりでまとめるとすると、つまり、自分自身研究なんて、どうすればいいのか、という問題に行きあたっている感じです。ながれにまかせて、外の出来事を、適当に評論しておけば、それでいいのかもしれないのです、けれども。 

2008年も終わります
2008.12.29

最近は、この場所を訪れることも少なくなりました。毎日、かなりの時間、パソコンの前に座って、HPやBLOGをいじっているのに、ここへはご無沙汰です。原因は、いろいろ考えられます。いやあ、こうゆう書き出しではじめるのが、この場所のしきたりみたいに思えて、それに対応するような文章を書くことが、できない、興味が薄らいだ。そうなのかも知れません。それに、この場所のフォーマットのバージョンが、古いようにも思えるんです。

ここのタイトルが、自分&文化批評。ぼく自身を批評し、文化を批評する枠組みです。文化という括りは、こうゆう文章を書くということも含め、自分を表わす力です。動物から人間へ。この人間なるものを考察しようというのがここでの目的。その人間でも、自分という人間を考察しようという、かなり新しい考えに基づく、枠組みだと思います。つまり、このことを進めていくのに、かなり興味が薄らいだといえます。

自分の興味にしたがって、日々、写真を撮ってブログに載せて、写真集をつくっています。文章を書くのが、かなりめんどくさい。でも、この場所は、文章を書くのが、主たる目的のサイトです。アクセス解析もなく、他との関連もなく、だれがどの程度来てくれるのか、来ても読まれているのかどうか、などなど考えると、やっぱり遠のいてしまう。ここをやめようかとの記事は、もう1年ほど前、2008.2月に書いています。それから、月1回程度の書き込みです。そんなこんなで、2008年が終わります。新しい年には、新しいことをしようと思います。でも、何が新しいことなのか。でも、年末年始というのは、区切りでもあります。


光の玉手箱(20)2006.4.3~
むくむく叢書のご案内

徒然えろす日記 2007.7.17~2007.9.5

祭りだよ
2007.7.17
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 <女>
祭りはえろす、どんなことがあっても、祭りはえろすの領域でござる。と、まあ、このように思うわけで、晴れの日といえばいいですね。 カメラを向けても、いい顔してるじゃないですか、気分が晴れてるんやろね。祇園祭の真っ最中で、昨日、夕方から、カメラを持って出かけていきました。

祇園祭っちゅうのは、京都の代表的な祭りだし、日本の代表的な祭りでもあるわけで、それなりにでっかい祭りだけれど、ぼくはあんまり興味がなかったので、ここ数年は宵山に出かけてはいるけれど、カメラは持っていきませんでした。

今年はちょっと京都シリーズを中心にしているから、カメラを持参したわけで、ちょろっとすなっぷ、チョロスナをしてきました。そうですね、ぼくの夏の始まりだと思えばいいのかも知れませんね。夏の写真テーマに、祇園祭からお盆行事まで、いずれもえろすをテーマにしていこうかなぁ。

夏到来-1-
2007.7.20

<うなぎ>
いよいよ夏の到来や、と思ったのが昨日のこと、自宅からぶらぶら歩いて街中ウオッチングをしている最中に、夏到来、そのようにつくづく思ったのでした。祇園祭が終わって、一気に暑くなって、梅雨が明けたんやと思っていますけど、8月のお盆までのおよそ一ヶ月が、ぼくにとっての夏、今年の夏、2007年の夏、そのように思うわけです。

夏の写真を撮るテーマを何にしようかなぁ、とそれほど深刻ではないけれど、思い考えています。ぼくのなかでは、四月の桜にはじまり、5月以降は町角シリーズで、ストリートにおける女達をメインに撮ってきたと思っていて、次なる夏のメインテーマは、どうしようかなぁ、と思いめぐらせているんです。

うん、うん、いずれにしても、京都シリーズですし、ショーウインドウ、うんうん、食べ物中心、衣食住ってゆうから、衣と食がテーマかなと思ったり、それに一貫してきている神社と町場、洛中洛外、なんかが混在して、まあ、散歩を続けていきながら、範囲を決めていきたいと思っています、思いつきです。

夏到来-2-
2007.7.26

<女>
夏の風物を写真にしようと思っているところだけれど、どうしたら夏の風物写真になるのかわからない。女の子は薄着になり肌を露出する。 こおゆうイメージがあるのだけれど、どうなんかな、いまさら夏でなくても肌露出しているようだし、といいながら女の子を撮った写真を載せています。みんなどうしたの下を向いて、なんて思いますけど、夏なら上を向いて歩きましょう。

まあ、町の中でえろす気分を味わうならば、せいぜい薄着をした女の子を眺めるともなく眺めて、うむうむと頷く程度に留めておかないといけません。海辺へいけば海水浴、プールへいけばプールサイドにて、八割裸体にお目にかかれるわけですけれど、町の中ではせいぜい五割の裸体ですかね。顔、足、腕、それに腰周りがこころもち見え隠れする程度ですね。

夏到来-3-
2007.7.27

<カツ丼>
夏にはスタミナが必要だと思って、けっこうカロリーの高い食べ物を食べる癖がついてしまって、なになに、どっちかゆうと脂っこい食べ物が好きなわけで、コレステロール値を気にしながら、肥満を気にしながら、やっぱり食欲があって、なにより健康な証だと思っている次第です。といいながら、今年はそうめんが美味しいと思うようになっています。三輪そうめんは奈良ですかね、それで大門そうめん、これは富山です。そうめんではスタミナがつかないと思っているのが今年の夏です。

なになに、これはカツ丼、ソースカツ丼、 福井県は三国にある三里が浜の道の駅にあるレストランのメニューです。うん、ご飯が美味しい、地元産のコシヒカリを使っているそうです。とんかつの豚の由来はわからないけれど、まあ、ボリュームたっぷり、780円です。まあ、安いといえば安いし、高いといえば高いし、ぼくの京都金沢間移動中の昼食で定番メニューとなっているところです。

夏到来-4-
2007.7.28

<女生徒>
夏が来たとゆうことと、女子生徒がいるとゆうこととの相関関係なんて、全く無いわけで、いってみれば強引にイメージの語呂合わせをしている感じです。というのも、なんとなく夏の眩しい日差しのなかに、女子生徒が二人、なにやら話をしているようで、いいえ、誰かを待っているとでもゆうように、なんとなく夏の日を彷彿とさせる感じがするのです。

それにしても、夏ホンバンだとゆうのに、写真を見てみると、二人の女子生徒、スカートは膝上だけど、長袖シャツを着ているんですね、もうちょっと露出してもいいのになあ、とも思ってしまいます。清楚な感じがいいんです。なんてったって高校生なんですから、なんて思いながら、こうゆうことをテーマにすることじたい、どうなんかなあと思ってしまうわけ。

夏到来-5-
2007.7.30

<焼き鳥>
夏バテしないようにと滋養をつける。これ、焼き鳥。白梅町の居酒屋串八にて食べた焼き鳥の一部です。なんてったって、暑い夏を乗り切るためにはスタミナが必要、とばかりに食欲旺盛に食べてしまいます。 もっと盛りきった鉢を写真に撮ればいいものを、貧弱ではあるけれど、撮ってみたってわけです。それは昨日のことで、今日は土用の牛ってゆう日だそうで、うなぎを食べるんですね。

うなぎを食べるにあたって、中国産うなぎがなにかと問題になっていて、今年は食べ控えするひとが多いと聞きます。なあに、そんなもんですよ、食の安全、安心なんてゆてますけど、どこまで信頼したらええのか、わからへん世の中ですね。うなぎに限らず、安全・安心な食べ物をそろえるとなると並大抵のことではございませんで、参議院選挙の結果もさることながら、食べ物においても、安心が必要ですね。信じたいですよ、全てのことを、ね。

夏到来-6-
2007.7.31

<女子>
京都は観光名所だから、そうゆうところへ行くと観光旅行者がたくさんいます。ぼくは京都に住んでいるから観光客ではないけれど、観光客を装って観光地へ行って、写真を撮るわけです。夏の気分は開放的だから、写真も開放的になってあげなくては、とついつい思って、なるべく開放的イメージを求めようとしています。ううん、開放的ってイメージは、女子の薄着、燦々太陽の光に萌える風景、でも町の中だから、からだにおいては開放的というよりも、閉鎖的イメージが強いです。

ともあれ食欲と性欲を開放してあげなくっちゃと思いつつ、肉体が思うほどにはままならなくて、枯れる寸前、燃え尽きる寸前、そういえばまもなくお盆だ。そういえば今日は7月31日、明日から8月ではないか。夏到来としたタイトルが今日で終わり、明日からまた新しいタイトルでえろす日記を綴っていこうとおもうけど、どうも暑さのせいかもしれないけれど、文章書くのがめんどくさくって、写真ってイージーやね、写真中心にしていこうかな、徒然えろす写真日記・・・なんて、ね。

夏の日-1-
2007.8.1

徒然えろす日記 2007.8.1
今日から8月、あらためて夏の日や~と思います。夏の日、なつのひ、ぶつぶつ呪文を唱えるみたいに<夏の日>って呟いています。べつに、そやからゆうてどうってこともないのに、区切りのような気がするんです。つまり、終わって始まる。なにが終わってなにが始まるのか明確ではないけれど、終わって始まる。そうそう、たばこをやめて一ヶ月が経ったんですけど、体重が増えた、およそ二キロ。それに勃起不全がなおってきたかもしれない。うんうん、夏やし、えろっちっくなことも欲しいし、といいながら年々衰えゆく体力、精力に無駄な抵抗なのかも知れないけれど、ちょっと快復してきている感じもしなくもない。

街角って雑雑してて、けっこうえろっちっくな色彩に満ちてるよなぁ、と思いながらきつい日差しの真昼間、カメラを持って歩いています。じっとり汗が滲み出て、これがまた気持ちいい、なんて感じながら、けっこう楽しんでいるわけです。何撮ろうかなぁ、なんてあんまり悩んでなくて、おじぞうさまの前の花、ショーウインドウの料理見本、道行く人、とくに若い女子、街角の雰囲気、なんていろいろ、あんまり悩んでなんかいなくて、どんどんシャッター切っちゃうタイプになった。今日の一枚は、無難にロングショットの一枚、雑然としたえろっちっく街路、<女と男がいる舗道>なんて名づけようかなぁ、と思うシリーズです。

夏の日-2-
2007.8.3

徒然えろす日記 2007.8.3
アーバンライフとルーラルライフなんて分け方で、二つの生活様式を対比してみたことがあります。アーバンライフとは都市生活、ルーラルライフとは田舎生活。どっちもどっち、良くもあり悪くもあり、一長一短ということでしょうか。時代の流れとしては、ルーラルライフの方へと動いているようにも見受けられるけれど、いま、ぼくはアーバンライフに戻ってきている感じです。そうゆうなかでの夏、2007年の夏を想うわけです。

青空ではなくてどんより曇った空、じめじめした湿気多い空気感、なんてったって自然のものなんて何にもなくて、身のまわり全てが人工のものではありませんか。街路樹が自然のものだと言えば言えるけれど、人間のからだが自然のものだと言えば言えるけれど、どこまで純粋自然物かいなぁ~って疑問視してしまう、アーバンライフ感覚です。そうゆう中でからだが疼く、じんじん、疼いてきます。自然が欲しいと疼いてきます、夏です。

夏の日-3-
2007.8.5

徒然えろす日記 2007.8.5
観光で京都を訪れるとすると、JR京都駅に到着することが多いと思われて、JR京都駅前に立って写真を撮りました。京都を外からみれば、どのような形をしているのだろう、なんてイメージを抱いて、旅行者の目で京都をとらえてみたい夏の日なのです。外側からとか、内側からとか、言葉ではイメージ可能だけれど、実際の絵面としてはどのような形になるのだろうか、それには観光者の足跡をたどっていくのがベターだろうとの思いで、ぼくは旅行者となっていくのでした。

うんうん、けっこうエロティック京都が見えてきた、って思うのは早とちりで、そんなにかんたんに真髄エロスなんてみえるわけがないのです。とはいえ、お盆の行事がいよいよ始まる京都です。きっとエロスが満ち満ちているのではないか、との想定で、取材準備オーケーとゆうところですよ。うん、期待にこたえてくれることを望みますけど、現場はそんなにエロティックではないんです。

夏の日-4-
2007.8.8

徒然えろす日記 2007.8.8
夏の日やといいながら、立秋だから、もう秋の気配なんや、とは思えないけど、暦のうえではそうらしい。とゆうことは、お盆は秋の入り口になるんですね。旧暦とか新暦とか、ぼくには詳しくはわからないけど、まあ、NHKのニュースでそうゆうてるから、この夏の日は、秋の入り口、秋らしい話題にしないとあかんのかも、ね。

なあに、えろすに夏も秋もあるもんかい、季節とは無関係に・・・、なんて思っているけど、でもしかし、えろすはからだに由来している感覚だから、夏の汗だくだく、なんてゆうのはけっこうえろすな感じです。風景のなかに異性体が一つ混じってくると、なんとなくそわそわしたものでしたけれど、いまやそうでもない日々になりつつあります。

夏の日-5-
2007.8.9

徒然えろす日記 2007.8.9
お盆の日々ってゆうのは、あの世とこの世が交感する日々なのかも知れないですね。 三次元空間から四次元、五次元へ移動できる日々なのかも知れないですね。死んでしまった人が行った先から、呼び戻してあげる儀礼が、お迎え手順じゃないですか。あっちからいえば行ってあげるから、準備しておくれ、ってゆうわけでしょうね。まあ、お盆だから、この世はちょっと夢幻の世界やなぁ・・・。

たぶん、ぼくば思います。この世はえろすで、あの世はかろすかもなぁ、ってね。なんてったって肉体からだがあってこそえろすなんやから、つまり、えろすとは、せっくす含め肉体からだを満足させるため、子孫繁栄願われているための行いなわけですから、それで心を満足させるえろすなわけで、あの世には、この世における肉体は消滅しているわけだから、そこにえろすがあるわけがなくて、あるとすればかろすでしょうね、かろすとは美のことです。

夏の日-6-
2007.8.13

徒然えろす日記 2007.8.13
お盆の真っ盛りの今日、高校野球では京都代表が勝ちました。お盆真っ盛りの今日、我が家では孫が泊まりにきているところです。いずれにしても、お盆です。偶然なんてありえなくって、それなりに必然があるんだろうけれど、本棚に仕舞われていた「来迎図の美術」なんて豪華本を、開いてみた。1985年に同胞舎から出版された本で、京都国立博物館の金井氏が模写されたものです。手許に置いて20数年、初めて開いてみたんです。そうなんです、来迎図のイメージを追っているんです。

空の写真を撮って<天>なんてシリーズで写真を連ねているけれど、来迎の図には程遠いイメージやとおもいだしていてですね。ところで<京都聖域図>ってシリーズをやりはじめたんですけど、どうもこちらのイメージが来迎図に近づいてきているイメージです。つまり来迎とは如来を中心として観音さまとかが近づいてきて、お迎えしてくれるんですから、女が写った京都聖域図は、イメージとして来迎の図をめざそうと思ったのです。

夏の日-7-
2007.8.23

徒然えろす日記 2007.8.23
ことし2007年の夏から、気温が35度以上の日を、猛暑日と呼ぶ、なんてことゆうてはりますけど、まあ、呼び名はどうでもええとゆうても、やっぱ、言葉にしてゆうゴロ、漢字(猛暑)を見た感じ、視覚、聴覚として、ものすごい暑さを連想するじゃないですか。でも、まあ、年々、温暖化現象のひずみなのかしら、異常気象ですね。ううん、ちょっと待って、異常って?異常ってのは、いつもと違うことをゆうんやとしたら、そうか、かなり異常ですね。それで、異常なのは天然、自然の気象だけではなくて、ヒトの心も異常事態ですよね。

ヒトの心の正常、異常なんてことに及ぶと、かなりヤバイ感じがして、引いてしまうので論調は避けるとして、まあ、正常と異常の区分なんてどこでどうするんや、とまあ、考えてしまうわけです。実際、有害サイトなんて単語を、頻繁に見かけるようになって、だいたい察しはつくけれど、何をもって有害とするんやろ。といいながら、性犯罪なんかに導いていく内容のもの、なんてことでいいのでしょうかね。それに商売、お金が絡んでるのが有害サイト??って認定でええんやろか。こんなはなし、たわいないはなしやけど・・・。

夏の日-8-
2007.8.24


徒然えろす日記 2007.8.24
コンビニのつくりってゆうのは、お客が入りやすいように考えてはるなぁ、っておもうんですね。とゆうのも、入り口から入って店員さんと目線が合うことがない。それから、壁面は、全面ガラスになっていて、内部が見えるようになっていて、それに、週刊誌とか雑誌の棚がガラス面にあって、表からみると、書架の裏側になっていて、新しく発行された、つまり新刊紹介かねて、表紙が道路にむかって並べられているわけで、そこはちょっとホットな平面なんですね。

なにかとゆうと、にっこり笑った女の子が表紙の女性向け雑誌、ちょっとセクシーポーズの女の子が表紙の男性向け雑誌、かなり露出度が高いアダルト雑誌、とまあ、こんな具合に並べられてあるんですね。意図的なんか無意識なんか、ぼくにはコンビニのコンセプトはわからないけれど、食べ物とえろすと雑貨、この三点が主要な商品構成なんでしょうね。まま、ぼくは、こういった町角の美人美女を撮ります。


夏のおわり
2007.8.27

徒然えろす日記 2007.8.27
そろそろ夏を終わりにしないと、きりがつかない気持ちがしています。というのも、この夏は、炎天下に外出して、汗を流しながら取材するという方法を繰り返してきたんです。 そうして昨日は、あいかわらず暑さ厳しいなかでしたけど、上賀茂神社まで歩いていこうと考えて、実行したんです。なにがってゆうと、昔、そうですね千年前、紫式部が源氏物語を執筆していたころ、北野天満宮あたりから上賀茂神社へ参拝するのに、道中、どんな道やったんかなぁ、その体験取材とあいなったわけです。

ヴァーチャルでないリアルな場所、つまり身体と気分がともに置かれる環境で、道筋では千本通り、昔は朱雀大路を北上して、今宮神社を通って、北東に歩いていった。そうしてぶらぶら道草食ってたのでおよそ一時間半、加茂の社に着いたわけ。そうしたら、うん、結婚式の道中、神官に導かれた花嫁花婿に出会ったので、写真を撮ったというわけです。これが夏の終わり、秋立ちたぼくの一日でした。


徒然えろす日記 2007.9.3
いっきに秋の気配となった9月3日。とはいえ、暑いといえば残暑の日々、まあ、うずうず夏が終わって、しんみり秋の気配に、こころも沈んでしまいそうですね。最近は、あんまり文章が書けない心境で、ついつい写真を中心に構成しています。どっちかゆうと、えろちっくな中味の写真と文で綴っていきたい日記ですけど、そうとばかりはいかないです。

徒然えろす日記 2007.9.5

えろすは生きる糧、豊かな生き方を支えるもの、なんてわかったようなことを言っていますけれど、ほんとはどうなんでしょうね。 せまい範囲でえろすなんていうと、男と女の出来事ですけど、ひろい範囲でえろすといえば、それは生きるための豊かな感情と豊かな体、その二つが満たされることだと解釈してあげて、食欲と性欲を置くわけです。食べることは体を支える基本だから、何にも優先して食べることがメインテーマですね。そうして二番手にセクシュアルなこと、セックスとかですね。人間社会、進化してきたとはいえ、まだまだ開示されていないのが、後者の案件です。食については、かなり開示されてきていますけど、いよいよえろす開示の時代やと思っているんです。

光の玉手箱(19)2006.4.3~
むくむく叢書のご案内

雑感シリーズ 1~20
 2007.2.28~~2007.6.12

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<生きて、いること>

生きているのが恥ずかしい、と思うことがままあるんですけど、きっとこれは若いときに愛読した太宰治の影響が色濃いとおもっていて、ふっとそんな気分になって、死のうと思っていた、なんて書き出しではじまる冒頭を思い出したりしてしまうのです。どちらかとゆうと、そのほうに近いところに自分がいるような気になる、てゆうのも太宰文学の影響なんだと思って、まあ、あんまり表面だって人にはゆわないわけです。

このまえには、鶴瓶の番組をみていたら、斜陽館の映像がテレビに映ってきて、行ったこともない津軽、つまり地名などが出てきて、懐かしい思いにふけるのでした。思い出のなかに、行ったこともない土地の地名が出てきて、あたかもその土地を知っているような感じがして、そういえば斜陽だったと思うけど、西片のお屋敷、って表記だったかどうかは定かでないけれど、この西片という地名にも郷愁を抱いてしまうのです。田端、日暮里なんてゆうと、室生犀星の小説を想い起こすし、神田のニコライ堂なんてゆうと、やっぱり太宰を想い起こすし、なにかこの年になって、郷愁という気持ちが、ひしひしと迫ってくるわけです。

そんなとき、そうゆう過去をもったことが、恥ずかしく思えたりするんです。全然、脈絡のつかない話を、ここにこうして書いているとゆうのも恥ずかしい気分です。

<春の訪れ>

春の訪れとともに、気持ちもむっくむっく、むくむくした気持ちになってきます。むくむく通信社なるものをバーチャル設立して3年になります。むくむくとは、無垢と無苦を連ねて平仮名表記にしたところが語源です。土の中からむくむく顔をだす虫。器官がむくむくと疼いて頭をもたげるわたし。まあ、春っていうのは始まりの初め、なにかが終わって、なにかが始まる、そんな予兆の足音が聞こえるようにも思ってきます。

ここに載せた写真とは、無縁な文章、いいえなんとなくむくむくと感じる写真です。写真のなかに写真があって、その写真は、ん?何?。記念写真屋さんのショーウインドウに飾られた記念写真。こうゆうたぐいは、お見合いに使うとか、成人の記念にとか、そうゆう写真なんですね。顔を見せるのか着物を見せるのか、その両方の相乗効果で、わたしに写真を撮らせたのか。うん、まあ、見ていてたのしいじゃないですか、ねぇ。

はなしを元にもどして、無垢無苦なんていうけれど、手垢に汚れた苦悩の真っ只中にいるわけです。

<お守り>

ヒトとは、どうも自分を守ることに、あの手この手をつかうように思います。いつのころからお守り札が出てきたのかは知らないけれど、神社へお参りして護身をお願いし、その形として神さまの分身を肌身につける。肌身につけないとしてもそばに置いておく。そういう習性を身につかせてしまったようです。

いいえ、人間なんてもろいもんで、一人ぼっちでいると、平衡感覚がなくなってしまうように感じられて、拠ってすがるものを必要とするんだと思います。ヒトには裏切られることがあるので、あんまり信じないでおいて、神さまはこちらが善行ならば、裏切らない存在だから、ついつい神頼みしてしまうのも習性なのかも知れません。

お守りいただけるってことが、ほんとかうそかは知らないけれど、最近なら交通お守り花盛り。それも赤色系のお守りがあって、女の子を意識した神さまが、その身をお守りしてあげようとの魂胆なんでしょう。でもね、信じることで全てがはじまるわけで、信じないとご利益ないように思うから、まあ信じる心をつちかっていかないとあかんなぁ、そう思うわけです。

<春の色>

 春はさくらの花が咲きます。春の色はさくらの色です。ピンク、白いピンク、赤いピンク、緑のピンク。ピンクは桃色、桃の色です。いや、桃より桜の色です。これからはピンク色のことを、桜色といいましょう。

<桜の花を背景に>

まだ満開とはいえない桜ですけれど、今年もまたデジカメを手に持って平野神社へと赴いています。桜の色めかしさと陽気に浮かれているわけではないけれど、桜の花を背景に、記念写真をお撮りになっている若い子をみると、ついついカメラを向けたくなって、斜め前から撮らせてもらう。さすがに京都やなあと思うのは、旅行客が多いこと。旅の記念に写真を撮るのはあたりまえですから、どこもかしこも記念撮影現場です。

<桜>

桜の花が咲く頃になると、それは春爛漫、陽気な翳り心を感じるんです。楽しくていい思い出も、忘れてしまいたい思い出も、桜の頃の思い出がよみがえってくるからです。最近は、体力の衰えを感じるようになって、萎えていく肉体に、心だけでも若返ろうと無駄な抵抗をしているような気がして、桜の花を写真に撮って、このようなコメントをつけているわけです。

それにしても情を揺すぶる桜の花、春爛漫です。 桜にまつわる小説もあれば、日本国の象徴のような存在感をかもしだすこともある桜です。ともあれ、情を揺すぶる桜の花は謎の花です。かっては遠くに見ていた桜の花でしたけれど、けっきょくはめぐり巡って桜の花を愛でる昨今でもあるのです。そんな自分の経緯を振り返るときが、思い出のよみがえりなのです。

<お稚児さん>

年に一度のお祭りに、おさなごがお化粧をして冠被って、よそ行きの顔になるお稚児さん。桃の節句もそうだけれど、お宮の氏子としておめかしする女の子です。今日はわら天神宮のお祭りで、カメラを持って出かけたら、このお稚児さんに出会って、写真に撮ったというわけです。

昔から潜在していたとは思うのだけど、最近はとくに色艶あるモノに惹かれる心です。春はなにかと新しい命を感じます。梅から桃に移って桜が咲く頃、ちょうど今の時期、気候もよくなり萌える日々です。たぶん自分の未来が少なくなっていることへの反動だ、と感じているしだいです。

<桜の季節>

今年の春は、桜の開花を追いかけて、毎日のように写真を撮っています。主にはご近所の平野神社です。自宅から歩いて5分、デジタルカメラをポケットに仕舞いこんで、現地へ入る前後から写真を撮りだして、メモリーがなくなるかバッテリーがなくなるか、そこまで撮って、だいたい一時間ほどの滞在です。

桜の季節は春で、美しいのは桜だけではなくて、おなごさんも美しくなっているようで、どうも目移りしてしまいます。着物の女性がおりまして、写真を撮りたいといえばこころよくOKしてくれて、まあ、記念写真というわけで、ぼくのアルバムにはいるだけのことです。

<巫女>

神に仕える女子を、巫女さんといえばよろしいのでしょう。神社の境内で、白い着物に赤い袴姿の女子を見るにつけて、なにやら魅力を感じてしまいます。生きた神さまのお使いであるような気分になってしまうのです。神官にはそれほどの情はわかないけれど、巫女には情がわいてきます。

神の世と此の世をつなぐ境界があるとすれば、巫女はその境界にいる生きた女子のようにも思えて、神聖な気分になっていきます。いいや、ここで神聖な気分と記したけど、それっていったいどんな気分なの、って思っているわけで、撮らせてもらった写真を一枚、見ていて、ふつふつとわいてくる情です。俗聖と神聖の微妙な境界感情ですかね。

<桜がおわり>

今年は桜をたんと撮ったと思います。三月中旬から四月中旬まで、おおむね1ヶ月の間、毎日のように桜を撮りました。桜の花に魅せられて・・・なんていうとありきたりな句になってしまうのですけど、やっぱり魅せられてるんやなと思っています。桜を見るときって、なんてったって気持ちが浮かれてくるじゃありませんか。おとこ心でいえば、おなごの艶を見ている感覚ですね。桜取材の最中には、おなごの姿がかいま見えてきて、ついついシャッターを切ってしまったのも印象に残っています。

さて、桜の季節がおわってきて、早くも新緑の季節がやってきていて、数日前から薄緑の芽吹きだした葉を撮りだしているところです。ピンクからグリーンの季節へと変容していく地表の出来事ですね。浮かれ立った桜の季節がおわって、可憐な花と新鮮な緑の季節がやってくる。カメラをもって写真をとっている自分、いったいなにやってるんやろ、って苛立ちの気持ちも同居しているんですね。トップ写真は、平野神社の突羽根桜です。

<若葉の季節>

桜がおわると若葉の季節となってきて、薄紅のつややかさから、黄緑の清楚さに変化していきます身辺です。自然の営みは循環していて、一年のサイクルで移ろいでいきます。手許に瀬戸内寂聴さんの源氏物語があって、昼間に、若菜の帖を読んでいたところです。

<ぼたん>

立てば芍薬、座れば牡丹、なんていい方があったと思うんですけど、その牡丹です。ぼくはその重量感といえば、牡丹にまさるものなし、と思っています。そのぼってりした花。魔をもって魅了させる花。 ぼたんです。

<葉を外側から見る>

外側から眺める、外側から見る、外側から観察する。どうもなにをしても、なにを見ても、外側からというイメージでしか見れないんですね。そもそも<見る>ということじたい、目の前にあるものを見るわけだから、自分の外側でしかないわけです。5月にはいって若葉の季節になって、うすい緑の葉が萌えだしてきて、ああ、新鮮な思いでそれらの葉を見つめているけれど、しょせん外側から眺めるしか手立てがないんです。

<白い花弁>

凛とした顔立ちの白い花、その花弁。なんとはなしに白い花は死霊を連想させてきて、あまり好む花の色ではないんですけど、ときにはうっとり見とれてしまうことがあります。白無垢は、花嫁衣裳にもあるから、いちがいに死霊を連想させるだけではなくて、清楚な無垢を感じるところでもあります。自分のなかでの感じ方だから、その気分とゆうのは表現しにくいです。なになに、だから文学って領域があるんです。その気分は、文章で伝えなければいけないのかも知れませんね。

<葵祭>

とくにぼくの氏神さまでもないので、行列を見にいくつもりはないけれど、今日は葵祭りです。源氏物語の<葵>の帖が、この祭りを背景にした記述ですね。源氏の子を身ごもった葵の上が見物にいき、六条の御息所はお忍びで見物にいき、場所取りで争いが起こる。それと源氏の君は、行列のメインどころです。いやはやおよそ千年前の物語のなかでの出来事です。

先日、祭礼をひかえた上賀茂神社と下鴨神社へ行ってきました。神域シリーズの一環としての撮影取材です。縁起を担ぐ気がないといえばウソになって、なにかと縁起を担ぎたい心境の今日この頃です。いまの時間、祭りの行列が町中をすすんでいるのでしょうね。ぼくは縁起を担いで、この記事を書いています。源氏物語にひっかけたたわいない試みですけど、ね。

<女の子写真>

写真に<女の子写真>、こんなジャンルがあるようですね。どう解釈するのが正当なのかわからないけれど、女の子が撮る写真というのが筋なんでしょうか。それとも女の子が写っている写真をいうのでしょうか。最近は、女性がカメラを持つのがあたりまえで、携帯とかデジカメとか、ほぼ全員が持っていて、写真を撮っているんですね、ファッションです。

それとは別に、女の子が被写体になった写真が、氾濫しているんですね。かなりエロティシズムを醸しだすピンナップもそうだけど、ほとんど無修正、無修正、ってのも氾濫しだしていて、そうゆうことからいえば、ぼくが撮る写真なんてたわいないものです。女の子写真のプロでもないので、まあ、町角でスナップする程度です。流行といえば流行で、その表層を記録している、といえば面目立つかな、と理屈をつけています。でも、それはまやかしですね。

<おみくじ>

これからの先行きがどうなるのかを知りたい、と思う人間の習性がそうさせるのか、お宮とか神社のおみくじは盛況のようですね。 おみくじは占いのひとつでしょうね。ただし、たまたま引いた籤が目の前にあらわれて、偶然とはいえ籤の中味を読んで喜び悲しみ、我が身の成り行きを想いうかべるわけだから、まるで宝くじ感覚なのかも知れないですね。

ここは北野天満宮。おみくじを引いて、こっそりたたずんで読んでいると、友達がやってきて、見せて見せて!ほれ見て見て!運勢を共有するのはいいことで、金運、恋愛運、その他諸々、まあ人生、生きていくうえで喜び悲しみを先取りすることで、生きている証拠を掴もうとしているんやろね。

<意味ある場所>

ストリート・フォト。路面スナップをしていると、通り過ぎる場所、立ち止まる場所によって様々な記憶がよみがえってきます。また記憶が記憶を呼び起こしてきて、つぎの場所へと誘っていきます。まるで夢宇宙をさまようかのように、記憶の場所へとおもむくのです。ここはぼくが通っていた中学校から通りへ出た場所です。いまは「きぬかけの道」と呼ばれているそうで、このポイントの緑のむこうは大学構内です。手前に堂本印象美術館があります。

1960年に中学入学だったと記憶しています。この道路が造られていた光景、工事中の光景がよみがえってきます。金閣寺から竜安寺へ至る観光道路です。土塁を運ぶ木製のトロッコがあった。ブラスバンドの路上行進練習を、その工事中でこぼこ道路でやりました。それからおよそ半世紀が過ぎたいまです。広小路が中心にあった大学が、ここにあります。そういえばこの大学敷地で体育祭があって、ぼくは子連れで参加したものでした。路上スナップポイントは、おおむねそういった記憶のポイントです。

<修学旅行の京都>

デジカメを持ってお散歩ぶらぶら、いまの時期、京都を訪れる修学旅行の生徒さんにお目にかかります。金閣寺から西大路通りを南下して、何処へいくのか自由行動の時間だと思います。修学旅行に京都を訪れるのは、中学生と高校生です。観光バスで金閣寺や北野天満宮へ来る修学旅行の生徒さん。個人タクシーで5人程度がグループで、観光地をまわる修学旅行の生徒さん。

ぼくなんか、修学旅行ってゆうと、もうかんなり前のことですが、こうして修学旅行中の生徒さんを見かけるたびに、小学校では伊勢神宮へ、中学校では箱根から東京へ、そして高校生のときは南<洛中洛外>

京都には御土居(おどい)というのがあって、秀吉のころ、京都の町を土手で囲んでしまったのです。東西南北、京都の西には紙屋川というのが流れていて、この川を境に東側を洛中、西側を洛外と区切られたわけです。 現在は、都市開発のなかでほとんどが壊されて住宅地になっています。その痕跡には史跡碑がたてられ、区切られて保存されています。京都生まれで、京都にこだわるぼくの気持ちのなかに、この洛中洛外観念が色濃くあります。

写真を撮るとき、ああ、ここは洛中、ここは洛外・・・と必要以上に意識しています。境界線に立って、カメラを向けることがよくあります。北野天満宮が洛中、平野神社は洛外。この橋は洛中と洛外をまたぐ橋です。この位置でゆうと、左が洛中、右が洛外です。洛中から洛外へ、自転車に跨った女子が通り抜けていきます。この位置から、左に北野天満宮、右に平野神社があります。


光の玉手箱(18)2006.4.3~
むくむく叢書のご案内

せんせの日記帖 2006.4.3~2007.7.26
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軽やかに 2006.4.21

軽やかに日々を過ごしたい、時間を過ごしたい、と思いながら、けっこう重たい日々であり、重たい時間の連続ですね。気分が重い。どういえばいいのかな、ちょっと表現に困ってしまう。つまり、困ってしまうことじたい、すでに重い感じなんです。なにもしたくない、といって何もしないでおこうとして、ただぼんやり時間を過ごすこともできない性質だし、何かしようと思っても気分が乗ってこない。

こんな状態をなんと呼ぶのかわからないけれど、まあ、こんな状態で、この日記帖、4月に入って記載がないから、ここに書こうかと思って、この記事を書き始めたというわけだ。そうですね、こういう状態を、凹んでる状態というのでしょう。

あと8日で、ボクは誕生日を迎えます。なんと60歳だというのです。このことがけっこう重くのしかかっているように思う。恥ずかしい過去、未知の未来、あと何年あるんだ、健康は大丈夫か、生活費は捻出できるのか・・・。いろいろと頭の中をめぐる思いだ。どうも出不精になっていて、ヒトとの接触が億劫になってきて、パソコンに向き合っているんだけれど、パソコンの向うは、バーチャルだし、かといってリアルな場は、ボクを億劫にさせてしまうし、で、焦りの気持ちが競りあがってくるし、事務的作業も乗り気にならない。

軽やかに、なんてタイトルつけたけれど、それは願望の意味をもってつけたんだ、といっておきたい。

ふたたび、小説を書きたい、写真を撮りたい、そう思い出して二年が過ぎる。写真学校をつくろう、テキストを書こう、そう思って精力的に作業を進めてきて、ああ、中途半端だ、そういう思いにさいなまれていて、不義理をしてしまう、ですね。

4月に入って、年金受給手続きをやりだしたんだけれど、あんまり気乗りがしないなか、ぼちぼちと問い合わせたり、書類を書いたりしている。これがけっこう気にかかっている案件です。写真関連でいうと、写真WSの二年目、やっぱり集まる人が少ないというのは、落ち込む原因になりますよね。お金のことは、トラブルにまで至らないことだけれど、心痛みます。教育ということに乗り出しているんだけれど、人に教えるなんて大それたことを、反省ふまえ、不安になってしまう心情もある。

そんなこんなをいいながら、それでも時間は過ぎ去っていくんですよね・・・。

この3年間 2006.5.11~2006.6.8
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2006年5月11日っていうのが、今日の日付。綜合文研究所ってのをWEBで立ち上げたのが。2004年4月28日だから、それから丸二年が過ぎたことになる。三年前とゆうと、2003年の5月です。まあ、この3年間の反省とゆうか、痕跡を残すために、ちょっと書き込んどこうと思ってる。

2003年ってゆうと、まだ、それ以前の世界が、ボクのなかで過去とはならなかった時期です。もちろん現在だって、完全に過去形とはなっていないこともありますけど、そのころってのは、飛び出してしまった過去と向き合ってた時期、自分の思いの世界を作っていくことで、対抗しようと思っていた日々です。

綜合文化研究所の基本枠組みの構想は、2001年夏ごろに素案がまとまってきたんです。いいえ、まとめようとしたんです。なぜかとゆうと、あるひとと離れたくなかったからです。ものごとのきっかけなんて、いわばプライベートで些細な・・・でも本人にとっては重要な位置を占める、ことなんだと思います。

基本形、自分が生きる世界をつくる。ボクって、放出するエネルギーがけっこう強いみたいで、なにもない、淡々には耐えられないたちのようなんです。直前にいた領域は、アート領域の組織体でした。ボクの興味ある領域と符合していたから、仕事環境としては、満足できる場でありました。だから、辞したときは、空漠とした気持ちだったし、全てを失ったような気分でした。経営上の苦境から、脱出したことと引き換えに、環境を失ってしまったわけです。

ボクの叛乱、たったひとりの叛乱、ああ、カッコいいね(笑)、そうして、2001年夏に書面化し、改稿を企ててきた内容を、実行しようと思ったわけだ。現場としては、写真をベースにした学校をつくる。2003年の春から夏ごろ、e-ラーニング、つまり通信環境を利用した教育で、通信制写真学校をつくる計画を買ってくれる話が、持ち上がってきたんです。実名は公表しませんが、アマチュアカメラマンが大量に集まる出版系のシステムの関係者から、通信学校をつくるというボクの提案に乗ってきたわけです。

企画原案を作って、提示して、そこそく形が出来上がってきたころ、そう、ボクの企画の全てが相手に渡ってしまったあと、ボクはスポイルされる。よくあることです。そんなことを何度も経験してるから、ボクは、さっと身を引いた。もちろん具体的企画内容は、ボクの手許にあった。

通信制あい写真学校の原形です。立ち上げに三千万ほどの予算を組んだ東京レベルです。ボクは、金なしでできると確信してたから、当初の予定どうり、2004年4月に開校する目的で、テキストから募集要項まで、2003年10月に、いま使ってるパソコンを買い、ホームページをつくりだしたのです。

ボクの気持ちは、綜合文化研究所とあい写真学校を立ち上げるべく作業に追われることで、後ろ向きエネルギーが、前向きエネルギーに変わってきたんです。ええ、これは、強く意識しました。そうして2004年4月に、綜合文化研究所とあい写真学校、それにむくむく通信社を立ち上げたわけです。

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綜合文化研究所のHPつくりの最中、2004年4月28日に設立したことになります。この日、あらたな活動が開始されたと思っています。むくむく通信社のHPつくり、あい写真学校のHPつくり、外向け情報発信ツールが、お目見えしたわけです。ボクのやり方が正しいとは思ってなくて、外見より中味だ、と思う気持ちが濃厚にあるんだけれど、自己防衛手段として、外見をつくっていきます。箱をつくるとゆうやつです。中味はそれから・・・、そうゆう手法です。

綜合文化研究所には四つの領域を想定しましたけれど、教育、つまり学校機能が最重要でなお下層をつくりだす基本だと思っています。それで、WEB上であい文学校ってのを作り、農学校と自然学校も2004年中に立ち上げたわけです。2001年夏に企画原案をつくり、おおむね3年で形にしたい、と計画を立てたから、まあ、強引といえば言えなくない格好で、形作りをしたのです。ほれ、見てご覧、できたでしょ!まあ、意地もあったし、そういうことでは負けん気強いほうだから、かなり必死でした。

一応、形式が整って、土俵のなかで、ひとり相撲を取りはじめる。いいえ、決してひとりではない。2004年10月プレ開校、2005年4月開校の「写真ワークショップ京都」は、盟友岡田さんがいらっしゃったことで始まったわけです。何人か支えてくださった人がいたから、それらは成熟する可能性があるわけです。

かってあり、この3年間に関係した人たち、一過性の関係もあれば、これから続いていく関係もあります。徐々に、あたらしく知り合った人たちと、あたらしい仕事ができる、そうゆう環境が整ってきたのが、昨年から今年のいま、にいたる1年です。3年間という時間、おおむね千日という日々、古き場所から新しい場所へ移動する時間だと思います。

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パソコンを買ったのが2003年10月です。同じ時期にデジタルカメラも手にしました。綜合文化研究所のHPつくりを見よう見真似で作り出し、デジタルカメラで写真を撮りだしました。それから2年半が過ぎたいまです。あい写真学校と写真ワークショップ京都。このふたつの学校の広報を、ネットオンリーでやってみようと思っていたところに、ブログの存在を知ったのです。ニフティとの契約で、あい写真学校&写真ワークショップ京都のHPを開設し、このサイトを閲覧に導く手段として、ブログを立ち上げたわけです。あい写真学校&写真ワークショップ京都です。それから矢継ぎ早に、四つの学校ブログを立ち上げました。

このあたりから、ボクのネットワーク展開がはじまるわけです。かって、映像情報って個人誌を編集発行していたことがありました。1980年から1983年の三年間に、第12号まで発行した印刷物です。これのWEB版との想定で、映像情報編集室のかわりに、むくむく通信社を作ったんです。もちろんWEB上で、fc2というサービスが、HPサイトを無料で使わせてくれるというので、申し込んで「むくむく通信社」を立ち上げ、そこに「季刊むくむく通信」を置きました。

写真学校を立ち上げる。その広報をネット上だけで行う。印刷物を作らず、配布をしない。この実験的試みをやりだしたのです。ブログをつくっていく最初の動機は、この広報目的でした。検索すれば、写真学校のサイトが上位に上がってくるように、との目的もあって、精力的に記事をアップしました。なにより、写真学校のテキストを、すべてブログ上にて、直接書いていくという魂胆だったわけです。

そのうち、メディア研究に興味を持っていますから、どんなタイトルをつければアクセスすうがアップするか、なんてことを思いながら、アクセス解析を注目していきました。インターネットメディアは、新しいメディアだといわれています。この新しいメディアの新しい由縁を、具体的に使いこなしていきたいとも思っているんです。

その前後に興味を持っていた体系に、ひとつはトランスパーソナル心理学、ひとつはカルチュラル・スタディーズです。アートの新しい潮流にはメディア・アートがありますし、これらの綜合として、インターネット環境をどのように使いこなせるのか、というのが命題になってきたのです。個を越える・トランスパーソナル。マージナリーを研究するカルチュラル・スタディーズ。それにメディア・アート。これを複合させることで、なんか出てきそうだぞ、と思い出したわけです。

それに、ボク自身の規定のしかた。作家をやりたいとの思いがあるし、評論をやりたいとの思いもあるし、これらはいずれも二十歳のときにすでにあった自分の実現したい姿だったわけです。また、メディアを作り出すという考えも、三十歳のころにあった実現したい姿だったわけです。そう思うと、いま、なんだかんだといいながら、夢を追い求めているんだ、といえますね。

写真の中味 2006.6.24

なにかと想う中で、写真表現ということに回路をめぐらせます。理性の系とが情緒の系とか、写真を撮るテーマを導くための、枠組みをどうするか、というようなことです。そもそも、このような話を持ち出すことじたい、かなりナンセンスな感じを、ボクはいま、抱いているわけです。

写真の中味を考えてみる、というのが今日のタイトルです。で、考えるということは、言葉で語り、文章にして残す、という作業になります。まさに、いま、これ、そのものです。このことのナンセンスさ、とでもいえばいいのでしょう。写真の中味と、直接には関係しないとの思いがあるからです。

理性で組み立てていく論において、写真を拘束しようとすると、その写真が指し示す意味を定める行為となる。かってあった無数にちかい写真を読み解く回路は、その論に立脚した場で、組み立てられ、理解、納得、という結果を得ることに導くのです。でも、いま、ボクが想う写真とは、ちょっと違うんです。

写真が写真じたいとしてあって、そこに言葉が介在しない写真。その写真がボクに与えるインパクト。言い換えるなら、誰かが言っていた射精する瞬間の気持ち、これは♂だから、♀でいえばオーガズムに昇った瞬間の気持ち。この高揚の極みの瞬間を求めているのがヒトだとすれば、写真において、この代替となせるかどうか。 

その気持ちってのは、理屈ではないんです。理性でも、知性でもないんです。写真を文化の枠組みにおいて、そこに意味を込めようとするというのではない写真。つまり、感じる写真、ということになります。この感じる写真っていうのを、撮りたいと想うのです。ある意味、それは究極の写真として、求める価値があるとも思うのです。

ヒトの中味 2006.7.13

ヒトの中味、なんてタイトルをつけて、何を記述しようとしているのかとゆうと、わけの判らないものを詮索するために、ああでもない、こうでもない、とぐだぐだ記述していこうというだけのことです。まあ、完成された文章とゆうより、メモ書きといった感じで、そのときでまかせ言葉を、書き連ねていくだけなんです。ゆうてみれば、自分宛のメモって感じです。

ヒトの中味というからには、心っていう部分の記述です。どうしたはずみか、「時の輪」カルロス・カスタネダ<古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索>なんて書を、手許に持っているんです。山の書斎の本棚にしまってあったのを、昨日持ち帰ってきたんです。いいえ、陶酔しているわけじゃありません。興味のなかにある言葉集とでもいえばいいのでしょう。

科学的分析手法ではない、宗教的文章でもないなぁ、もうひとつの世界観とでもいえばいいのかなぁ、ボクが興味を示すのは、未知への言及みたいなイメージが立ち昇ってくるからです。シャーマン、呪術師、なんかとんでもない書物のような気がして、興味半分、本気半分、そんな感じで手許に置いているわけです。もうどん詰まった心境から4年も経ってるから、あらためてちょっと触れてみようかな、なんて思っているところです。

さて、本題、ヒトの中味、それは心のことです。自分を死が近くに感じたころ、それは救い手のように思って手を伸ばしたけれど、それは恐怖を抱かせたから、そのまま打っちゃっておいた領域です。心の中の得体の知れないモノ、たぶん死の直前っていうのは、この世の理屈ではない世界にいるのであって、まったく別のエネルギーによって心が動かされている感じだと思うのです。ボクの興味は、仮にこれを<別エネルギー>と呼ぶとしたら、生と死の両端は、エロスとタナトスのエネルギー源だと感じるんです。

エロスは生の方向へ、タナトスは死の方向へ、いずれも恍惚、混沌へ導かれる方向だと思うのです。両者とも、ヘッジがしっかり守られているので、普段は意識することはないようです。漠然と脳裏をかすめることはあっても、マジに受け留めることは避けるように仕組まれているんだと思うのです。この仕組みを解明する社会学を、ボクは持ち得ないので、これは直感的なものです。

ボクがいま試みだしているアートの形は、もし仮に、そんなアートがあるとすれば、という思いで、エロス志向、生を得るためのアートでありたいと思うわけです。ああ、ちっとも具体的でないですね。そのとおり、具体的に記述することは、いまここでは避けたいと思っているからです。文学って、作中人物が書中で死んでいくので、読者は救済されるってこともありますけれど、これって暗いじゃないですか、病気そのものじゃないですか。といってボクのエロス志向も、ある種、病気アートなのかも知れないけれど、いわば生への病気、情欲そそりて死から救済する中味とはならないだろうか、と思っているわけです。ヒトの中味は、エロスだと思っているボクが、ここにいるわけです。お粗末でした!

地殻変動 2006.8.2

数週間前から、その兆候はみられたのですが、数日前に一気に激震が襲ってきて、ついに大きく崩れてしまったものがあります。
それが何かというと、わたし自身の内側のことなのです。この三年間をかけて創りあげてきたことに、激しいゆさぶりが生じてきて、気分もろとも崩壊してしまった、と認定してよいかと思います。他者に向ける言葉は、自分を拘束する。この定理によって、わたしがこれまで積み上げてきた枠組みを変更しようと思ったのです。

何がどのように変わるのか、その範囲と内容は、これからの作業となります。前へ向いていたエネルギーが、急速に減退しており、後ろ向き推進力が強くなって、失速したっていうのが事実のようです。価値に対して価値をつくること自体への懐疑といえばいいのかも知れません。まあ、かれこれ三年間に創りあげてきた領域を、解体させていって、整理して、再び歩みだすというのが、いいことなのだと思います。

ドストエフスキーの「貧しき人びと」を、今日、読み終えました。最初は、2002.8.20に読み、そうしてふたたび、ぼちぼち読み始めて、今日、読み終えたのです。描かれた時代は、写真が発明されたころ、19世紀中頃です。人間の心の理想を含め、現実の心の醜さを描いたとでもいえばよいでしょうか。結末は、あわてふためく自分の姿を見させられる。わたしの地殻変動に、影響がなかったといえばウソになります。おおいに参考資料として、また、その手法を今に引き寄せ、わたしの新たなる文学アート形式として採用しようと思った動機でもあります。その新しい手法だと思う方法じたい、わたしは見直す必然に迫られているのだと思っています。

再生立ち直りつつ 2006.8.3

そうして今日は朝から、パンを焼く日、ネット上の中のデータを取り除くことを決意した。
パンは予定時間より早く、一次醗酵が終わり、焼き上がりが予定より2~3時間短縮された。
その間に、HPのページ削除をおこない、アドレスとトップページだけ残した。
ブログの整理には至ってない。
そうこうしているうちに写メールが送られてきた。
回路が繋がったという安堵感を味わう。

港千尋さんの著書「洞窟へ」を読み終える。
石器時代の洞窟壁画を紹介しながら、意識、記憶といった心の生成を解き明かそうとする書だ。
想像力をたくましくして、ボクのかかえているテーマに、多くの示唆を与えてくれる。

午後から、先端芸術家宣言を読み始める。
いま、芸術とはなにか、という問いを、関係性という括りで書かれている(と思う)テキストだ。
いずれも数年前に購入し、手許に置いていた書籍です。
ようやく、ひとつの時間の流れが終わり、あらたな時間へ立入っていくボクの今だ。
気分が急速に開放されていく感じを受けている。

見直し 2006.8.4

2002年7月にIMIを退職。
2002年9月からOICP写真学校のカリキュラムつくり。
2003年4月から2004年3月まで、OICPのディレクターを務める。
2004年4月にあい写真学校を立ち上げ、10月に写真ワークショップ京都のセミナーを開始。
2005年4月から写真ワークショップ京都を開校。
こうして現在2006年8月です。

2001年夏から起こした、現在の綜合文化研究所の構想、当時はフリースクール京都。学校のありかたを自分に問い、写真が専門領域らしい自分において「写真学校」をベースにしてきました。現代文化状況の諸相をまとめてマトリクス化し、分節して組み上げた綜合文化研究所の枠組みがあります。おおよそ5年にわたって、拡げてきた枠組みですが、その具体的な表象において、これでよかったのかとの問い、見直しをし始めているところです。

今朝、綜合文化研究所のホームページの各ページをWEB上から削除しました。
綜合文化研究所の枠組みは残してあります。
むくむく通信社とその関連は残してあります。
あい写真学校と写真ワークショップ京都の関連は残してあります。
個人的作品のホームページには、手をつけていません。

ここに書き上げた今日現在にいたる簡略文と、昨日から今日にかけて行った作業は、全て外向きの事柄です。
この間の内面、ボクの気持ち、それから放出してきたエネルギーの源泉が、何に由来しているのか、ということには触れていません。
創りあげてきた表面を、崩していくボクの、ほんとうは、その経緯であるとか、気持ちのあり方、だとかに注視しています。
外向けの言葉より、内向けの言葉に、ボクは執着してきていて、今はむしろ、自分のことを自分に発してあげることにエネルギーを使いたい。
そのように思っています。誰かに見てほしい。見ていてほしい。そのような気持ちが、底深くにあります。ここから、いま一度組み立て直したい。
それがここ数日のアクションなのだと思っています。

季節の終わり 2006.8.17

大文字の送り火で夏の季節が終わった、という気持ちになります。朝から、けだるいような、落ち込んだような、けったいな気分になっています。
ぐるぐるまわってきて何度も体験した気持ちだといえば、もう慣れた気持ちだけれど、やはり辛い気持ちには変わりない。
でもこの8月は、精力的に写真を撮った。連日、撮影モードに入っていって、お盆の風物、行事を撮りました。
お盆を取材するのは、23年ぶりのことで、この撮影モードに入るきっかけを、思い出し、そうして取材が終わったということです。

ことの発端は、たぶん5月末ごろに、あるヒトに出会ったことから起こったと思っています。そのヒトは、かっていたヒトを思い起きさせ、かっていたヒトは一冊の本を想い起こさせ、そうしてその面影と逝ってしまった原因に思い巡らし、そうして8月を迎えたというわけです。
それからボク自身の節目の年齢ということも、要因としてあると思います。自分をまとめてみたい。そういう思いが、前向きに出ていたエネルギーを内向きに逆噴射してきたのだと思います。

2001年の夏に始まる外向けエネルギーが、終息を迎えており、あらたなエネルギーと入れ替わり始めて、この8月を迎えたのだと思います。
フリースクール構想をおこした直接の理由が、目の前にいたヒトを繋ぎとめる手段であったことをここに記しておいて、その延長で全面拡大展開を成してきたわけです。そのことが終わったのです。いま、ボクが落ち込んだ気分に支配されている原因は、この移行期にあるためだと思っています。

何度目かの出来事になるボクの内面の劇は、今日から新しい季節を迎えようと思っています。

<我が心は石にあらず>高橋和巳が1965年頃に書き上げた小説のタイトルです。なぜかいまボクは、この小説の冒頭がよみがえり来て、単行本を開いています。
「もし築きあげえたことの成果でものの価値が計られるのなら、私たちの間の愛情はまことに価値寡いものだった。・・・」
埴谷雄高は、評のなかで、この小説を「内部の暗い奥所へ凹んだいわば凹型人間を扱うのは、高橋和巳の好んで追求する主題である。・・・現代の厚い知識人層の底辺にまぎれもなくあるひとつの原基のかたちにほかならない。」といい、それをあらためていま読むボクに、ノスタルジーとも時代の空気感ともつかぬ思いだしがあり、そのなかにボク自身を投射しているボク自身をも発見するのです。ひとつの時代の文化風土を内面化させたと思う自分自身へのやるせなさ。これがボクをつくり成している要因なのかも知れないと、思いつつ・・・。

移行期 2006.9.21

夏からいまにかけて、大きな転換期、そして移行期を迎えていると自認しています。
ボク自身のありかたの全面見直しとでもいえばいいのかも知れない。
2000年夏に始まる頭のなかで考えてきたこと、フリースクールから綜合文化研究所、むくむく通信社、写真学校に発展した一連の展開の見直しです。
パソコンを購入して、ホームページを中心として作りだしたのが、2003年の秋だったから、かれこれ3年が経ったことになります。
築き上げてきたことを崩すのはなかなか難しいところがあります。でも、考えが変わり、思うことの中心が変わり、興味の中味が移行しているわけだから、それに則して変化させていくのが筋というものだと、自ら言い聞かせています。

何がどのように変わるのかといえば、外向きから内向きへ、志向方向が変わってきた、ということです。
綜合文化研究所、むくむく通信社、写真学校、これらを立ち上げ運営するというのは、外向き、啓蒙的な側面が中心です。この中心が、わたし、わたしたち、という個人的な方へ向かって、なにかを作っていくという側面へ中心が移ってきたことです。
見直しの中心は、このズレの修正です。外面から内面へ、といえばいいのかも知れない。作家作業を中心にしていく、ということかも知れない。

昨日のことです。かって買い求めた書籍、ケン・ウイルバーの「万物の歴史」を取り出し、いま、机の上においています。大著だから、読み通すのは難しいと思っているけれど、暫く、この書を手許に置いて、まま読んでいこうかとも思うところです。

今日は、このあと、まるエコ塾の第二回目で、安土まで出かけていくところです。いわば、まるエコ塾の運営も、一連の思考のなかから結実してきた内容だから、これへのかかわりも、若干修正されていくことと思っています。
いま、ボク自身の移行期にあたって、ホームページの整理、ブログの整理、アルバムの整理・・・、それらを少しずつ実行している最中です。

もたもたと 2006.10.7

10月7日、今日の日付です。
一日一日が飛ぶように過ぎていく感覚で、はやくも10月になったんやな、って感じで、苛立ちの気持ちも無くは無い今朝です。
綜合文化研究から地域研究、そして自分自身研究へと、表出していく枠組みが変わってきて、今朝、自分自身研究室なるページを作ったところです。
気持ち恥ずかしい自分がここにいる。自分はいったい何をしているのだろう。外に向けていろいろ策略を仕掛けていくことをしているわけだけれど、もう少し自分を見つめてみよう。そう、これまでに何度そう思ってきたのか、判らないけれど、外化と内化の繰り返しなんだ。

内化していくプロセスは、けっこうしんどいものがある。いいえ、そりゃ外化させていくことだって、しんどさはあります。そう思うと、いずれもしんどいことだ。つまり苦ということだと、思ってしまうのです。この苦を楽にかえるために、あの手この手で、日々を過ごししているのに、ああ、結局は無駄な抵抗なのかな~、なんて思ってしまう。
このように思ってしまうことじたい、内化していくプロセスの悪いところ。落ち込む、凹む、鬱になる、言い方さまざまだけど、あんまりいい傾向ではないです。
外化していく文章を書くのもめんどくさいというより、虚しい気持ちなって、繊細になって、微妙になって、けっこう不安定ですね。

こうしてここに、このようなことを書いていることで、かろうじてバランスが取れているんだと思います。お許しあれ・・・。
昨日は満月、中秋の名月、みることができました。写真を10日ぶりに撮った。この一枚、ボクの執務室の窓から見えた西の茜空です。

2006年11月2日

10月には7日、この日記帖に記してから、もたもた1ヶ月近くが過ぎました。
ひところの書きたい欲求が遠のいてしまうと、何を書くのも億劫になって、いまも、定例的にこのスペースを埋めようと思うと、言葉が出てこない状態に陥り、なかば絶句状態のまま、数十分過ぎて、ようやく書きだしたところです。
いったい何を書くというのでしょう。たくさんのツールを持ってしまって、お義理的に文章を連ねても、仕方がないんだけれど、と思いながら、スペースを埋めている次第です。

10月には、写真アルバムをいくつか作りました。キャノンのアルバムにですが、これから撮っていこうと思っている<海><苔><葉>です。
<空>についてはすでに8月に作っているので、いま、四つの領域が確保されたというところです。<花>というアルバムを作ろうかどうか、迷い中です。
この三年間を、山の生活物語にまとめ、文章もそれなりに集めて、はっきりと線引きできるわけではないけれど、一応の終わりとしたところです。

ぼくの意識のなかに、いま3つの区分があります。すでに手がけてきている<桜><着物>のシリーズがあり、今回の<空><海><苔><葉>のシリーズがあり、もう一つが生きるという<えろす>です。世界観の捉えかた、自分表現の歩きかた、いわばぼくの生60年を経た結果としての<いま>の世界観を写真と文章という表現で、具体的なモノにしていく。そんなに力んでしまっても、どうしようもない、淡々と、なんて思っているけれど、それにしても、ぼくというインターフェースの向うにいるヒトへのメッセージだから、見てもらいたい、読んでもらいたい、と思っているわけです。

まだ、あたらしい三つの領域への、自己検証していく前段階です。さあて、文章をつらねて論理化すること自体を、疑りだしたもんだから、それをやっていくかどうかも、未定です。うん、体力がなくなってきて、それだけの気迫がないという諦念のような気もします。追って、ここに展開していくかも知れないですけど・・・。

拡大と縮小 2006.11.8

このブログを始めたのが2004年9月、いま2006年11月だから、2年と2ヶ月が経ったというわけです。
作ったころっていうのは、領域を拡大していた真っ最中のころです。
2003年10月、パソコンを手元に据えて、綜合文化研究所という枠をメインに、何かをやろうと思って、HP作りにトライしだして、半年後の2004年4月に、綜合文化研究所という枠を設立したことになります。
それと同時に、むくむく通信社、あい写真学校を作って、農事のことエコロジーのことなど、大きな枠組みに対抗しうる思考と実践、なんてことを考えて、狼煙をあげたというわけでした。
それから、そうですね、ブログをたくさん作り、写真アルバムをたくさん作り、その中に記事をいっぱい詰め込んできて、日々のほとんどの時間をそれに費やしてきたと思います。
なにがボクをそのようにさせていたのか、と問います。それは、何かに対抗する、という対抗という気持ちだったと思います。いま、その「何か」の中味については、明確にしないですが、けっこう負けられない気持ちがあったわけです。

今年の夏ごろから、ボク自身の気分がかなり変化してきて、それまで、外に向けていた視線を、自分自身に向ける、むしろ内向する自分にスポットをあててみようとの気持ちが全面に出てきたと思います。
自分のことにこだわる。自分のこだわりを、紐解いていく。自分自身研究ということを表明したわけだけど、そうなると、それまで外のことを、外向けに書いていた文章なんぞが、白々しくって、もう書けないなあ、なんて気分になってきて、つまり縮小してきているわけです。
拡大、縮小という言葉を使っていますけど、まったく正確ではないです。不要になったものを棄て、必要になってきたものを得るということです。移行期といえば、そのようなところにいる現在です。

ご無沙汰しています 2006.12.5

こんにちわ、ご無沙汰いたしておりますが、お元気ですか。
ぼくの近況をお話しますと、書斎にこもることが多い毎日です。
でも、最近は写真を撮ることも多くなってきて、お天気の良い昼下がりなんかに、ぶらっとカメラをもって撮影に出かけたりしています。
撮影といってもお散歩コースを辿るくらいで、遠出などはしません。

今日も午後から、北野天満宮、通称天神さんへ行って写真を撮りました。
いま痕跡シリーズを撮っていて、地、根、苔などがある場所として記憶していたからです。
ええ、それなりに撮ってきました。そうしてさっそくキャノンのアルバムにアップしたところです。

神社やお寺って、そう思えばよく撮影する場所になってきました。
なにかしら感じるところがある場所、足はついついお寺よりむしろ神社の方へ向きます。
この一週間でゆうと、上賀茂神社、下鴨神社、平野神社、それに今日の天満宮です。

イメージとして、神というのに、興味が湧いてきているんです。
神社は箱ですから、神が見えるわけではないのですけど、ね。
感じる、とでもいえばいいのでしょうか、何かしら感じてしまうように思えるのです。

この感覚っていったい何なんでしょうね?
理屈ではなくて感じてしまうこと、そういえば写真っていうのは、この感覚を感覚のように表出することなのかも知れないですね。
でも、たいがいの撮影場所は、ぼくの記憶の場所へと赴きます。
通りすがりに撮影する、ってあまりないです。
現場に立ってカメラを向ける方向に、ぼくの記憶の光景がちらちらと脳裏によみがえってきます。
あるいは脳裏によみがえってきた記憶の場所へとカメラを向けてしまいます。
まあ、こんなことはどうでもいいことなのかも知れませんけど、ね

最近の興味 2006.12.14

カメラをもって写真を撮る。最近、めっきりこの回数が増えてきました。撮る対象が決まってきて、自分のアルバム作りに精出している。いってみれば、コレクション作りの入り口に立ったんでしょうね。

その被写体のある場所が<神域>、つまり神社の境内ということに繋がってきていて、直近では、北野天満宮、今宮神社、わら天神という場所です。地、苔、根、主にこの3つのシリーズのための撮影といえばいいようです。

前に買って、読んでいなかった書籍で、日本人の宇宙観-飛鳥から現代まで-というのがあって、金沢の書棚から持ち帰ってきたし、文庫本の古事記三冊も持ち帰ってきました。天地創造、太古の意識構造、それらのイメージを作っていくための参考資料として、ちょっと閑をみつけて、読んでみたいと思っているところです。

神という概念、それを<感じる>というレベルで、写真化できればいいなぁ、と思っているんです。

2006年も年末です 2006.12.21

毎日、日々、呼び方いろいろあるけれど、ぼくを強く支配してる観念に、年月日時間というのがあるなあ、と思っているんです。まるで脅迫観念やないか、あらためてそう思うねぇ。2006年12月21日、これが今日という一日の区分です。

なんやろ、だれがいつのまに、こんな区分を考えたんやろ、なんて思うことしばし、です。すでに飛鳥時代に、暦博士だったですかね、そんな人を任命して暦を管理させていた、なんてことどっかに書いてあったなぁ。そういえば山科の御陵(みささぎ)に、水時計ってのがある、ええ?推古天皇のときに作られた時計ですよね、小学生のときに知って、まだ見たことないんですけど、つまりそれは、時を計る装置です。

ぼくは時計を身につけていないのです。ええ、もうこうなったら抵抗です。でも、時計なしではいられない世の中です。何かにつけて、時が区切られて、それに合わせて動かなければならないから、時計を身につけていないといっても、しょっちゅう時を気にしているぼくがいるんです。

自然派人生には、時計は不要だ、なんて思ったりして、それで時計を身につけないわけですけど、世の中との接点には、時というのが介在しちゃう。時を越えちゃうときって、そこは死なんでしょうね。死以後。死以後なんて、そんなもんあらへん!たぶんあらへんやろなぁ。そうすると、死が最大の恐怖だから、ああ、あるんや、死後の世界があるんや!、と、そう思うことで、静かに移動していけるんやろなぁ。

閑なことしてる、なにをいいたくて文字を連ねてるんや。こうしている間も、時間が過ぎ去り、今日という日が過ぎ去っていくんだね。12月21日だから、あと10日で来年だ。2007年という年です。信じられへんけど、信じるしかないなぁ。

あけまして2007年 2007.1.5

あけましておめでとう、なんてゆうのも時遅しという感じで、今年2007年最初の書き込みです。
大晦日、久々に四条へ出て、大丸から錦を通って、モスで休憩、それから高島屋へ行って、食料品を少しだけど買い求めました。買い求めたといっても、お金を支払うのはぼくではなくて彼女です。それから自宅に戻って、年越し蕎麦を晩御飯にして、にしんそばにして食べて、それから紅白を見て、千本閻魔堂へ除夜の鐘を突きにいったのです。ここまでが去年の出来事です。

元旦、朝9時過ぎに自宅を出て、10時に娘家族の家に着き、11時ごろに揃って車で金沢の別荘に出発。このスケジュールは3年目。二泊三日の旅行です。もろもろ、自宅へ戻ってきたのが3日の夜。昨日4日を自宅で過ごし、今日も朝から自宅にて、ああ、もうお昼の時間です。朝から、パソコンに向かって、ブログに書き込みしながら、ここにたどり着いたわけです。

昨年秋から、写真を撮りだして、大方の方向が定まってきた感じで、いまに至っているのです。テーマは、神話の世界を写真にて表現?このテーマは、さっき思いついて確定?させたところです。テキストは「古事記」です。まあ、思いつきだから、どこまでやるのかは未知数だけど、昨年、押し迫って神話を読みだして、具体的なぃマージとして、撮っていく写真のバックボーンにしようかしら、と思っているわけです。ちょっと複雑に交錯する気持ちがあります。この交錯する気持ちを整理しながら、すすめていくのがいいのかも知れません。

自分で年齢を自覚するのも嫌な気分なんだけど、60歳を超えてしまって、今年の4月には61歳ということになります。自分自身研究というフレームを立てて、自分を研究するという命題に突き当たっていて、社会との接合面、その境界面の内側を見て書いていこうと思っているところです。神話には全く触れなかった時代に育った自分がいて、西欧文化の真っ只中に育った60年です。なにも国粋主義者になろうとは思わないけれど、固有の文化土壌に育まれたぼく自身を、ぼく自身の頭によって、明確化していきたいと思っているわけです。
追々、このテーマに論及していくための、伏線として、ここに書き残しておきます。

あれよあれよと 2007.1.29

ほんと、あれよあれよと日が過ぎて、もう1月も29日だよ、何してるんだろ、毎日・・・。なんてつくづく思ってしまうんです。日々過ぎる早し、こんなことばっかり言ってるから年寄りなんだよなぁ、なんて自問自答です。
昨日1月28日(日)は、京都写真学校/写真ワークショップ京都のセミナー&ゼミの日で、朝11時に自宅を出て、自転車で書店まわりをしてしまうはめになってしまいました。

現代農業の別冊に、むくむく通信社のクレジット入りで写真が掲載されているんです。手元に一冊置いておきたいですから、と思って現代農業を置いてる書店へ行ったけれど、別冊はなくて、取り寄せもめんどくさいきぶんなので、運動のつもりで、市中をチャリンコで走ったというわけです。
紫野ほのぼの日曜・朝市、本を手に入れて朝市へ回って、それからワークショップへ行こうと思っていたのに、予定どうりには行かないのが世の常であるようで、そのまま開校場所のギャラリー・DOTへ行ったところです。

1月に入って、結構写真撮影しています。二日に一回、お散歩ぶらぶら、取材に出かけています。
紫式部関連で、瀬戸内寂聴さんの源氏物語ダイジェスト版を読み出しているけれど、ついついパソコン作業が優先で、読書が進まない。ブログに写真を貼り付けて、いくつもの写真集を連載形式で作っています。
何してんのよぉ、なんて疑問をはさむと空しくなるので、まあ、淡々、そんな気楽な乗りでやろうと心がけているんです。
いまさらやることといえば、自分の時間への閑つぶし。パスカルのパンセの一節を思い出しながら、何してるんやろ、なんて思いながら、けっこう慣れた手さばきで、事をこなしているんです。

立春すぎて 2007.2.7

今日は2月7日、毎日が飛ぶように過ぎていく、そんな感じに思える日々です。
歳をとると、日々があっとゆう間に過ぎ去っていくんだといいますが、まさにそのとおり。
こんなことぐだぐだ言ってても、何も始まらないから、いくつかのことに関わりをもってやっている。
でも、何かに追われているようで、落ち着かない日々です。

一つは、むくむく通信社を中心にして、情報発信をまとめていこうと思っています。昨年夏以来、綜合文化研究所をいったん閉鎖状態にしていたのを、その領域をまとめて、むくむく通信社を充実させようと思っているのです。
そうしてもう一つは、ぼく自身の作品を作っていくこと、これは作家作業を中心として、まとめていくものです。
とりとめなく拡大してきて、ピリっとした締まりがない感じに拡散しているのが現状で、これはぼく自身の資質なんでしょうね。

月1回の日記帖 2007.3.7

日記とゆうには、日々の出来事や思いを書いていくものだと思いながら、ここの日記は、月記になってしまっています。
月一回の日記帖です。だから近況報告ということで済ましたいけれど、近況を報告するほどの気負いも薄れているような、そんな感じの日々なのです。

でも、これはウソ、ちょっと興味の中味が変わってきて、別のことが中心になってきているわけで、それなら閉鎖してしまえばいいものを、未練がましく残しておいて、また機会があったら日々書いていこうと思っているのです。

なにか最近、この1年、自分の興味が変わってきているなぁ、と思うんです。この変わってきた興味の中味を申し述べることができなくて、このように書くことに内心イライラしてしまいます。つまり秘密ということです。

秘密を持ちたくない。そう思う気持ちがあります。ここは表の舞台だから、秘密は隠しておく必要がある。このように区分していくことが、文化の現状であり、世の習いです。秘密のアジトが側にある、なんて過激派対策ポスターが目について、テロ対策実施中なんて看板が目につくけれど、秘密は決してそうゆうことではないんだけれど、うん、まあ、ね、なんてお茶をにごしておきましょう。

三月の終わりに 2007.3.31

今日は三月末日、年度末という日です。でも、いまのぼくにはあんまり関係ない日です。公務員してたころは、先生してたころは、会社員してたころは、年度末というのはけっこう重要な日だった。区切りということでは、年度の区切りだから、終わって始まる区切りの日だったわけです。
いまそれなりに年をとって、フリー稼業をしていて、特にお金のことから距離を置いている現在では、この区切りというのも、たいして意味をもたないわけだけれど、習性というものは何時までもついてまわるようですね。やっぱり、何かと意識してしまうんです。

京都写真学校を名乗って、写真ワークショップ京都を名乗って、学びの場を作っているわけだし、まるエコ塾を名乗って、学びの場を作っているわけだから、ここでは年度の終わりと始まりがありますね。
最近は、写真を連日のように撮っていて、今日もこのあと、桜取材にでかけようと思っているところで、あんまり天気がよくないなぁ、やっぱり晴れの日がいいなぁ、なんて考えているところです。

桜の季節が終わります 2007.4.26

やっぱり日記とはいいながら月記になってしまいました、お久しぶりですね。この一ヶ月は、ほんと桜に呆けていました。こころはけっこう浮き浮きランドでしたから、喜んであげればよろしいんですね。今年はことさら桜取材に明け暮れたという感じで、そのついでに町角、神域、人々に、と写真を撮った感じです。
ブログをたくさん作ってきてしもて、にっちもさっちもいかないような状態になってきているのが現状で、写真を中心にしたブログに組み替えて、いま、写真集ブログが7個か8個か、というところです。おおむね日々、写真をアップしていくことで、写真集を生成していこうとしているわけです。

文章が書き辛い心境です。呆けるというのは、けっこう感覚の世界であって、感覚を感覚で受け留める態度であるようにも思えて、だから呆けていると思っている今日この頃ですね。この日記が、たまにしか書けないというのは、文章で綴っていくことがメインのブログだからです。呆けているときって、論理じゃなくて、情なんですね。情を傾ける。その情とは、かなりえろすちっくなものです。えろすちっくな情は、公然と文章化できにくいから、書きにくいという状況です。というのもここは、バーチャルだとはいえ、匿名ではありませんから、リアルでもあるわけだから、社会通念の枠のなかに自分を置かなくてはなりませんから、書きにくい、それが原因ですね、きっと・・・。

移ろいゆく関係 2007.5.8

人とめぐりあい、人と人としての関係をもち、そうして人と人が別れゆく。こうゆう流れを、移ろいゆく関係と名づけて、思い当たるには、様々ないくつもの、山ほどの移ろうゆく関係を結んできたものだと思います。そのなかにあって、変わらないものが一つだけあって、それを主体といい、つまり自分自身です。
人とめぐりあうとおなじように、書籍であったり風景であったり、そのつどに自分自身が関係していくことがあります。

書籍でいえば、今年に入って、源氏物語を読み始めました。読み始めて、読むといっても、原本ではなくて、瀬戸内寂聴さんの源氏物語、その抄です。文学的にふかく研究しようなってことは毛頭ないから、ざっと流し読みして、めずらしく二回目の読みにはいってしまったというところです。
内容についての評論とか感想とかを述べるほどには、読み込めていないのが実情ですが、そこに拡がる男と女の世界、それに自然の四季の移ろい、あるいはそこに使われている言葉、単語、登場する人の名前、なんてどこかで聞いたり見たりした記憶のなかにある名詞です。

なにを隠そう、源氏物語を読み始めた動機は、写真イメージを作るためです。なんとなく読む前から、源氏物語という小説が、ある区切りのような気がして、立入り始めたわけです。天地の初め、というイメージから古事記の現代語訳を少しだけ読み進んで、いくつかのマトリクスにして写真を撮りだしたのが昨年の秋ごろです。
そうして、そこからくだってきたときに、二つの系列に分岐するように思われて、イメージのなかにあった源氏物語だったというわけです。源氏物語を<情>の世界と受けとめて、その中心が情欲と感情、それに人の関係、そういう匂いを嗅ぎ取ろうとしているわけです。

写真でもってまとめていくことは、現代絵巻物をつくることのように考えていて、絵巻物の変わりに写真集ということです。ということは、ぼくは物語を作ろうと思っていて、その語りを写真イメージに置き換えてみようと思っているわけで、それらの写真イメージを作っていくために、言葉を必要としているわけです。すでに言葉からイメージをはせるトレーニングを受けてきた身として、まだ始まったばかりの物語に、古事記と源氏物語を読むことから始まったと思っています。この世の移ろいゆく関係を、イメージ化できればいいなぁ、と思っているわけです。

神域、俗域、風景・・・ 2007.5.29

タイトルにあげた<神域><俗域><風景>という単語は、先日組み立て始めた写真イメージの枠組みです。
写真を組み立てるイメージとして「京都」というイメージは、ぼくの中ではかなり古くて、25年ほど前になります。その延長線上に浮上してきているのが、いま撮りだしている写真群です。
取材区域限定、どでに線引きするのか。そう問われれば、かって小学生のころから二十歳ごろまでに立ち振る舞った地域としています。それに若干周辺を拡大した地域です。おおむねの区域を書き出すと、北方面は北山裾ライン、西方面は嵯峨野ライン、問題は南方面と東方面です。南は丸太町通り、東は堀川通りというところでしょうか。
北山裾ラインは、鏡石から千束、鷹ヶ峰あたりが遊び場としてのラインです。西方面ラインは、高校が嵯峨野だったもので、当時の友たちが奥嵯峨、鳥居本、嵐山、太秦あたりにいて、その界隈は懐かしい思い出があります。
こうした区域限定をしておいて、そこを中心に取材をすすめていこうと思うところです。

この区域限定をしたうえで、ピンポイントとしての神社仏閣があります。
京都千二百年を歴史的時間としてとらえて、社寺仏閣のなかでも、神社というトポスが浮上してきます。
玄武神社、今宮神社、上賀茂神社、下鴨神社、平野神社、ここまでは神話世界の神を祀る神社です。それに北野天満宮、建勲神社などなどがあります。
ところで、北野天満宮も建勲神社も歴史上の人物を神と崇めています。北野天満宮は、ぼくの遊び場だったし、こってり思い出も多々ある場所だから取材の中心ですが、建勲神社の扱いをどうしょうかと迷うところです。迷うところの理由は、その歴史背景に拠っています。明治になって創建された神社であることです。とはいえ、被写体としては魅力ある神社でもあるわけです。

これらの神社境内で撮った写真を<神域>として、その周辺にひろがる面を<俗域><風景>と区分しています。俗域と風景区分はグレーゾーンです。
俗域はぼくの心象にフィットするイメージで、風景は町角イメージです。
この三つの領域には、いずれも人が居るイメージを中心にしようと考えています。<神域><俗域>は、ぼくの心象風景と重なり合うイメージで、<風景>は町角淡々光景で、と思っているところです。
このような区分も、かなり揺らいでいて、ここに至った経緯をみても、昨年夏の日々写真からはじまって、まだ10ヶ月、その過渡期だから、まだまだ生成途上ではあるのです。

日記とはいえ月記、禁煙モード 2007.6.28

やっぱりここは月記になってしまう。ついつい、最近のブログの操作でゆうと、ちょっとしにくい感じで、遠のいてしまう。それに、ここは評論スペースとしているので、文章を書くのがちょっと辛い気分になっていて、この編集画面に入れないんです。
直近のことでいえば、今日の朝から禁煙モードに入っています。いま、朝からの一本を吸ったあとですけど、目覚めから二時間、吸わなかった。
昨日、保健所の禁煙支援してくれる講座とゆうか、そうゆうのに参加して、禁煙を明日からすると宣言したわけで、自分としてちょっと禁煙に努力してみようと思っています。

こんな意志というのも、自分のからだと、自分の意識とのたたかい。からだが欲して、意志でそれを止めようとゆうのだから、意識をそれに専念させないと出来ない。
このご時勢だから、禁煙に向かうとゆうのは、理にかなっているわけで、止めれるものなら止めたい・・・、これが止めるとの決意になって、悶々しだして、している、その初日とゆことです。

ほんとに禁煙できるんかなぁ、なんて思う気持ちもかなりあって、さっき一本吸ってしまったけれど、ううん、辛い気持ちになるんやろなぁ。なんでもそうかもしれないけれど、習慣になってしまっていることを止めるというのは、止めるという意志を貫かなければならないわけで、いま、頭のなかはたばこにまつわるイメージばかりで、この文章も支離滅裂的様相をおびだしているような、まとまっていかないですね。
たまたまこの文章、この場のいま、禁煙にふみきった最初の文章となった。

ありがとうございました 2007.7.26

2007年7月末で、せんせの日記帖を終了します。
ご愛読ありがとうございました。


光の玉手箱(17)2007.2.7~
むくむく叢書のご案内

着物
2007.2.7
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一昨年あたりから天神さんの縁日で、古着着物を撮っています。
女物着物が露天で山積みされ、
一枚500円とか千円の値段がつけられた古着です。

衣紋掛けに吊るされた着物は、多少値段が高いようだけど、
それらと合わせて露天の店先は色艶に満ちています。
魅せられたのはこの色艶です。

もちろん女性が身に着けた残滓であるわけで、
いろいろな連想が起こってくるのでした。
むしろ悲哀に満ちた物語が連想されてくるようで、
固有文化の残滓をここに見ているわけです。

このようにして、悲哀な物語が連想されるというのは何故なのか、
と考えてみて結論なんて出てこないから、
ここにシリーズとしてちょっとそのイメージを
具体的な文章にしてみようと思うわけです。

ぼくの生まれ育ちが京都であり、あえて階層的にいえば庶民の庶民です。
カタカナでしか文字が書けなかった祖母は織子だったし、叔母も織子だった。
ぼくの両親は織屋には縁がなかったけれど、
母なんぞは露天の店をだしたりしていた。

もう半世紀以前の話だけれど、ぼくには鮮明に甦ってくる記憶があるのです。
悲哀な物語だというのは、
おそらくそういう光景のトータルイメージとして感じる
感情なのだろうと推測しています。

気になる光景
2007.2.22

散歩の途中に、ふっと気になる光景にでくわすことがあります。
出逢ったときに、こころがときめいたり、情が傾いていったり、気になることとは、
そうゆうこころが動かされる瞬間だといいたいんです。

この気になる光景には、視覚によって喚起される情動が伴うことだと解釈して、
そこからぼくの気になる光景を写真に撮り、ここに載せるような風に、お見せするわけです。

この気になる光景の、気になる事物には、ある傾向がみられるます。
ぼくの今日のばあいだと、こんな光景を気になる光景として、
写真にしたものを、こうしてブログにアップして、
羅列し、積み重ねているのです。

何してんやろ、若い和服の女性が数人、かくれんぼでもしてるんかなぁ、
なんて、ぼくの興味は尽きないわけで、キーワードは和服、女性、この二点なのです。

色写真
2007.3.19

写真は、カラーで撮ります。やっぱり現実には色があるから、カラー写真がよろしい。
そうしてなるべく赤系の色があると、なおよろしい。
このように思い感じる今日この頃です。
最近のぼくの撮る写真の被写体の色をいうと、一つの傾向は、空<青色>、樹木<茶色>、地<灰色>などがあって、あんまり色系としては面白くない気分です。
ところが、着物、桜&花、なんていうのも撮っていて、
これはもう赤系、桃色、橙色、つまり色気で、こちらの方が興味あります。

写真がモノクロームからカラーへ、つまり色がつくことへの流れは、
心理の自然体だと思っています。
初期の写真には色彩つけてカラーにしたわけだし、
感材のつごうでモノクロームが主流であったし、
印刷の技術的都合で白地に黒インクだったわけだし、
テレビにしてもカラー映像への道だったし、
このように歴史を思うと、やっぱりカラー写真、それも色艶があるほうがいい。

だってね、見ていて色艶を感じるわけだから、
この写真なんぞはヤブ椿で、
赤い色があるからいいんだと思っているのです。
まあ、表現の自由ってのがあるから、
カラーでもモノクロでも、いいんだけど、ぼくは、いま、カラー写真がいいですね。


初めての器
2007.4.6
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以前から機会があったら陶芸教室に通おうと思っていました。
それが実現しました、昨日です。ぼくが成型した最初の器がこれ。
ぼくのぼく自身のための記念写真です。

歳月を知る
2007.5.5
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こどもの日です。こどもというのは、年々大きくなっていきます。
生まれてきて、からだが大きくなり、
そのうち幼稚園、小学校と年々数があがっていくことで、区切りを知ってしまいます。

光の玉手箱(16)2007.5.11~
むくむく叢書のご案内

ゆれうごく(1)
2007.5.11
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風が強い日です。風に揺すられる物音が、聞こえてきます。雨戸がガタガタ、木の葉が揺すれる、それに風が空気をまさつする音。ぼくのこころもゆれうごいている。風のなせる技のように音は立てないけれど、かなりゆれうごいている感じがして、こんな時には気晴らしのために外出するのがいいのだと思うけれど、腰があがらない。こんな状態をなんといえばいいのだろう。かなりデリケートになっているんですね。うん、鬱状態とは認定したくないけれど、こんな状態をそうゆうのかも知れないですね。光溢れる外気に、心を晒したいと思う。ふつふつとわきあがる感情を、晒したいと思う。前に向いているときには、そこそこ晒せる心の内も、どうもバリアーをはってしまう心境ですね。

源氏物語を読んでいます。瀬戸内寂聴さんの源氏物語です。空蝉の一節に、「女は、はずかしさとくやしさで、死んだようになっていました。ひと晩じゅう源氏の君がいくらやさしくなぐさめても、愛をちかっても、ただ泣いていました。」とまあ、こんなくだりがあるのですが、こんな一節の中味が、そこそこの分量で小説として描けないものかなぁ、と思ってみます。絵巻にしても文にしても、どこまで細部描写が許されるのだろうか、とも思ってみたりします。源氏物語から千年を経たいま、表現の底辺はどこまで許されるのだろうか、ぼくの関心ごとでもあります。こころゆれうごきます。

ゆれうごく(2)
2007.5.12

風になびくようにゆれうごく心があります。ふらふらと、おもむくままにゆれうごいています。無理に静止しようと思っても、無駄な力が必要だから、成り行きまかせでいい、とは思えどもゆれうごいています。かのパスカルは、パンセのなかで人間は考える葦だと書きましたけど、その前段なんて悲痛たるもので、死にいたる血みどろのたたかいなんだとか。まあ、血みどろには程遠いぼくの心理心境だけど、こうしてゆれうごくこころは決してうれしいものではありません。

生きている証ともいえるえろすな心がたなびいているわけで、その境界線をいったりきたりしていて、タブーの領域へとおちていきそうな気配がしてきて、これではあかんと思って平常心をこころがけているふりをしてみます。なんだか滑稽な感じがして、自分で笑ってしまうところです。まあ、笑えるというのは、まだ救いようがあるんでしょうね。自分ってなんなんやろ、なんてそんなことを考え出すとにっちもさっちも行かなくなるので、そこそこにしとかないとあかんね。

ゆれうごく(3)
2007.5.16

ゆれうごくときには神頼み、なんてこといいますけど、神さまにお願いするには抵抗している自分がいます。そうですね、すっかりすがりついてしまえばいいのかも知れないけれど、そうゆうことが出来ない時代のひとだから、他のひとがすることにはとやかく言わないですけど、やっぱり自力でいきたいと思います。

ゆれうごいているのは、バリアーをはずしているからだと思っています。既存の枠組みのなかにしっかり根付いていて、なんのアンチも感じないし考えないのなら、それはゆれうごくものじゃないと思うけれど、どうも<悪の華>じゃぁないけれど、ちょっと足を滑らしてしまいそうな不安定のなかにいるんですね。

聖なる場所-1-
2007.5.24

<雨宝院境内>
人間なんて、とくにぼくなんて俗っぽい人だから、聖なる場所にあこがれるのかも知れない。神聖なる場所と云ってもいいのだけれど、神聖とすると神がいらっしゃる場所となるから、聖とだけにします。イメージとしては、魔の領域と聖の領域が隣り合わせ、というより混在する感じで、べつに言葉遊びをしているわけではないけれど、ズキンと感じる場所のことです。最近は町のなかにいてもズキンと感じるから、つまりこの世の出来事にズキンズキンと感じてしまうわけです。

ズキンと感じる風景を、聖域と俗域に便宜上わけて、どっちみち目の前に現れる光景には違いないのだけれど、カメラで写し取っておこうという魂胆です。ズキンと感じる直接の動機は、どうも記憶にかかわっているようです。そうして過ぎ去った年月、日々への欠落した空白を埋める作業として、写真記録をおこなっているんだと思っています。縁すくなかったものを、残りの年月、日々に取り込んでおこうと思っているのでしょうね。

生きることは<えろす>です。聖域も俗域も<えろす>を感じさせます。えろすを感じるということは、こころが豊かになる感じ方です。悲しみとか苦しみとか、つまり四苦八苦ではなくて、喜怒哀楽の喜びと楽しみでありますけれど、それはまた哀しみの心情でもあるんです。写真は、浄福寺通りの上立売りにある雨宝院の一角です。ほんとうは鳥居の向うが聖なる場所なのでしょうね。先月、桜の終わりごろに初めて這入った場所でした。今回は二回目の侵入でした。なんとなくえろすちっくに、ズキンと感じたわけです。

聖なる場所-2-
2007.5.31

<今宮神社境内>
聖なる場所と俗なる場所の境界線は、鳥居とか注連縄(しめなわ)とかで区切られていて、こちら側が俗なる場所で、むこう側が聖なる場所なわけです。なんでも区切りたがる人間の習性ですね。まあ、区切り境界線があると、何かと便利なわけで、むごう側が聖なる場所だと認識するところです。聖なる場所といっても想像空間なわけで、思い込みように委ねられる代物です。

浄化された空間だから、不浄なことはやったらあかん。おしっこなんかしたらあかん。男と女のことなんか考えたらあかん。俗なる欲望は封印せんとあかん。まあ、人間が日々営む生活と情念から飛翔する場所。そうゆうことでいえば、ぼくなんてほんと俗っぽい人間だから、鳥居をくぐっていくというのは、ほんとにくぐってええのかなぁ、なんて思ってしまいます、ほんとですよ。

聖なる場所-3-
2007.6.3

<北野天満宮境内>
北野天満宮、俗称天神さんです。ぼくの近所にあり、子供の頃からよく遊んだ場所でもあるから、特別に聖なる場所という感覚にはなりにくいのですが、あらためてここにこうして聖なる場所として認知すると、ここは聖地として偉大な場所だと思います。門前町の原形が形成され、庶民信仰の中心的存在として、今に至っています。 不運のヒト菅原道真を祀ったお宮ですが、学問の神様として、受験生などがお祈りにくる。

科学先行のこの時代だから、神さまに祈るなんてことに何の意味があろう、なんて思っていたわけでしたけれど、最近は、心の依存所としてこうゆう場所があるのだと、マジ思うようになっています。若い女の子がおみくじを引いて、こっそり隠れて熱心に見入っている姿を見かけると、心の時代、拠所を求めている様子が見えてくるように思います。困ったときの神頼み、なんてこともあるし、心の救済を求める気持ちも分らなくはない近頃です。

聖なる場所-4-
2007.6.12

<わら天神宮境内>
こどもを身ごもったおなごが、安産の祈願に訪れる場所として、わら天神宮があるとゆうのです。安産祈願です。祈願したあと、腹帯をもらい占いもどきの数センチ藁が包まれたモノをいただく。藁に節があれば男の子、節がなければ女の子。ウソかマコトか知らないけれど、わが家もわが子の誕生まえに、ここへ祈願にきました。

厄病封じとか、願掛けとか、心の救済を求めるとか、祈願の目的はいろいろありますけれど、ここはむしろハッピーな出来事、祈願の目的からして、明るいお宮といったイメージです。たぶん認知されたおとこおんなの行為のあと、妊娠身ごもりの祝いを兼ねて、安産祈願に参拝するわけですから、この世のハッピーな男女の出来事の延長線上にありますね。

聖なる場所-5-
2007.6.13

<玄武神社正面>
ぼくはここの氏子です。氏子であることを意識しだしたのは、かなり最近のことです。意識の中味は、氏子とはいったい何なんやろなぁ、どうゆう関係なんうあろなぁ、といったぼくの存在の起源にかかわることなのです。まあ、生まれ住んだ場所が、たまたまこの神社の区域に入っているわけで、母を選べなかったと同じくらい、選択の余地がないことでした。

氏子の区域でゆうと、かなり縁です。北野神社の氏子境界線に近いから、意識のなかでは、玄武神社は遠い存在でした。もともと玄武の名は、北面の鎮護神に由来しているわけで、ぼくは京都の北に位置する俗域にいるわけです。この地域は織物の産地ですが、この産地図からいえば縁になります。 うん、ぼくはどっからゆても地縁的にはヘッジにいるとゆうことになります。

聖なる場所-6-
2007.6.15

<平野神社境内>
遠い記憶がよみがえってきます。小学生の何年ごろか思い出せないけれど、この神社の森にまつわる記憶です。近所の中学生が、この森を探索するというはなし。なにを探索するのかといえば、使い棄てたティッシュペーパーを探すというのです。当時にはティッシュペーパーなんて言葉はなくて、ちり紙、はな紙、そういう呼び名でした。しわしわになって薄汚れたちり紙に、なにやらべっとり滲みこんだあとがある。そうゆうティッシュペーパーです。そういえば、おとことおんなが寄り添って、この神社の森へ這入っていくのを見かけたことがあります。

汚いちり紙をひろげて見入る中学生のやっていることが理解できないぼくに、中学生はいろいろ教えてくれたように記憶しています。おとことおんなが、抱き合って入れあって、おまえ、入れるほうやぜ、おんなは入れられるんや、神さまもしたんやぜ、なんて講釈だったかどうかの記憶はないけれど、まあ、そうゆうたぐいの講釈でした。聖なる場所にて聖なる行為をおこなう。なんやアオカンというやりかたやないかなんて、いまは思う。

聖なる場所-7-
2007.6.19

<釘抜地蔵尊境内>
なんてったって庶民であるぼくは、庶民信仰の場所としてある<釘抜きさん>へ、よく連れていってもらいました。連れていってもらったというのは、まだひとりで町を徘徊できない幼年のころ、うんうん、高校1年のときに死んでしもた祖母に連れられていったのです。釘抜きって板に打ちつけた釘を抜くペンチですけど、ゆうてみれば人に似ています。頭、首、胴体なくて足二本。からだを病んで痛いところがあると、ペンチの痛むからだの部分をお擦りして、自分のからだを擦ります、そうしてお祈りお願いするんです。

それと願掛け、お百度ってのがあります。本堂の横に竹棒の入った箱があって、どうするんやろ、手に何本も握って、本堂一周するたびに、竹棒を箱にもどしていくわけです。大切な人のために、願掛けしてあげる。自分のからだが健康でありますようにではなくて、大切な人の病気が治りますように、ってお願いしながら、まわるんです。でも不祥者ぼくは、願掛けをやった記憶はありません。ううん、センス悪い、ダサい、田舎イメージ、中学になると、都会へ東京へと憧れが昂じてきますから、そのころには寄り付かなかったですね。

俗なる場所-1-
2007.6.20

<映画館/千本日活>
ぼくが立ち振る舞う場所を聖・俗とゆうイメージで分けていくと、聖なる場所がおおむね神域、俗なる場所がおおむね歓楽街、という分け方ができるんですね。京都には北野天満宮ってのが造られていて、この神社界隈に町ができた、つまり門前町ってゆう町です。この認識なんぞは、小学校の社会で習った知識やとおもうけれど、折に触れこの町のありかたに興味をもって、あれこれ考えてきたんです。手許にはないのだけれど、この界隈の古地図をみせてもらったことがあります。京都の北西の地域に、この町があります。

ぼくの北野門前町の辿り方は、参拝にくる人とは逆になります。参拝とゆうと千本中立売あたりから北上して北野天満宮に至る道筋ですが、ぼくは南下して千本中立売に至ります。ぼくの位置からいえば南端に、参拝者の位置からいえば入り口に、たった一軒残った映画館があるんです。たった一軒残った映画館という表記は、かっては何軒もの映画館があった、ということなんですけれど、ううん、この映画館の前に立って写真を二枚撮ったんですけれど、懐かしいような空しいような、そんな気分におそわれていました。

このシリーズ<俗なる場所>を、ぼくの記憶をたどりながら、千本界隈を探索してみて、写真と文章で書き起こしていきたいと思っています。その一回目が、いまはエロ映画、いいえ日活ロマンポルノ、いまもこの呼び名があるのかどうかわからない知識ですけど、その映画館千本日活の前です。こうゆう場所に立つと、もう半世紀もまえになるぼくの記憶がよみがえってきてしまいます。自分のアイデンティティ探し、なんてこと言いますが、たぶんこのシリーズは、そのことだと思っているんです。あああ、年取ったなぁ、つくづく・・・。

俗なる場所-2-
2007.6.22

<喫茶店/マリヤ>
俗なる場所なんてタイトルつけて、京都は千本今出川から中立売界隈を歩くと、映画館の次には喫茶店とゆことにしたくなった。とゆうのも、ぼくが子供のときからあり、いまもなお営業を続けている場所っていえば、そう多くは見当たらないからです。どっちかゆうと甘党喫茶、つまり、おぜんざいとか、あんみつとか、そういった類のメニューで、そのころにはまだ珍しかった喫茶店なのです。

そのころの千本通りは、西陣の織物産業がまだ活性化していたので、若い織子さんなんぞで、この商店街が賑わったと思うんです。人がいっぱいいた。そんな記憶のイメージがあります。このお店は、西陣京極の入り口にあって、映画を観たあと、家族でぜんざいとかケーキとかを、食べたんです。そんな家族の記憶が、ぼくには濃厚な場所なのです。

この喫茶店にしても、連れられていくのはいつも天神さんの日でした。毎月25日に、天神さんの縁日があって、夜に家族連れで、お参りしたあと露天の店が並ぶ沿道を下がり、下の森から千本中立売へまわって、休憩です。そこで甘党の喫茶店へ入ったとゆうわけです。うんうん、もう半世紀もまえのお話ですけど・・・。

俗なる場所-3-
2007.6.25

<歓楽街/西陣京極>
西陣京極と名づけられた露地のような道筋には、映画館が三軒ありました。東映、大映、それに洋画をやってる映画館だったと記憶しています。それにストリップ劇場がありました。ぼくがよく連れられていったのは、東映の封切り映画館で、いつも満員でした。押し合いへしあいという言い方しますけど、超満員状態でした。中村錦之助とか大川橋蔵とか、そんな名前の俳優に、美空ひばりが出ている時代劇が多かったですね。

テレビなんてなかった時代だから、映画を観ることは、健全な大衆娯楽だったと思えます。俗なる場所、なんてゆうともっとエログロなイメージがつきまとってくるんだけれど・・・。ああ、そうか、ぼくが小学生の子供だったから、そうゆう場所へは行かなかった。そうゆうことですね。カウンターの飲み屋が並び、ストリップ小屋があり、遊郭址があり、となるとそこはやっぱりエロスチックな場所だった。大人になるころには、もうこの界隈へは行かなかったから、親と一緒に小学生が立ち振る舞えた場所。これに限定されていただけなのです。

京極というのは、京都の端っこということで、だいたいが隅っこイメージで、どろどろねちねち泥沼、沼地。寺町通りに並行する三条から四条までを新京極とゆう名で、いまも修学旅行の生徒でいっぱいな場所がありますが、これに対抗したのでしょうか西陣京極と名づけられた場所。西陣の織物産業が衰退していくるとここも衰退してしまう、つまり西陣の織物産業に支えられた歓楽街だったんだと思います。

俗なる場所-4-
2007.7.5

<飲み屋/千本中立売>
この世にある場所を、聖俗概念で括って、俗なる場所というのはどうゆう場所なのかを表そうとしているわけだけれど、そんなにかんたんに括れるものじゃないことが、この章を立てているなかでわかってきたことです。たまたまこの場所は、飲み屋が何軒か並ぶ小路です。飲食する場所が俗なる場所なのか、という問いが発せられます。飲食することは、聖なる行為なのか俗なる行為なのか、なにか価値軸の本質的なところに触れてきそうな気がしてきます。

たとえば高級レストランで食することが聖なることで、場末の飲み屋で食することが俗なることだ、なんて区分することは、実はナンセンスなわけで、でもこのナンセンスなことが聖俗の区分であるかのように振舞っているのも現実だと思います。

俗なる場所-5-
2007.7.6

 <てんぷらうどん>
食べることが聖なることか俗なることかと問うているわけで、まあ、俗なる場所という枠に飲食店の店先を写真に撮って載せているわけだから、この飲食店は俗なる場所として認定しているわけです。食べ物の店、レストランであったり食堂であったり、呼び名はさまざまありますが、要はお金を払って食べる場所です。聖とか俗とかに分けることじたいが意味を成さない、とお考えの方も多々いらっしゃることと存じます。でもしかし、そうではないことをそうであるかのように、分けることで新たな意味がでてきそうにも思いませんか。

漠然と、聖なる場所、俗なる場所と分けだして、聖とは何か、俗とは何か、このわけること自体について考えなければならないようになってきて、なぜてんぷらうどんが俗なるものなのか、を証明しなければいけないのでしょうね。なんだか迷宮入り様相を帯びてきてますね。まあ、欲望を満たす場所が俗なる場所だ、といってしまえば、食欲を満たすあらゆる場所が俗なる場所になるわけで、そういえばそうかも知れない、食べ物をつくる場所とゆうのは、俗なる場所。食べて腹を膨らして満足を得るという行為、プロセスそのものが俗なることなのですね。

聖なるえろす・・・
2007.7.10

<お守り>
えろすに聖とか俗とかつけて、聖なるえろす、俗なるえろす、なんていってみたところでなんの役にもたたなくて、聖も俗もあったもんじゃなくて、えろすはえろす。ところで、えろすとは何ぞや、あらためて問わないといけませんね。そうして、それを聖なるえろすとしなければいけないようにも思えてしまうのです。

徒然えろす日記とゆうけれど、ちっともエロティックなことあらへん、と誰かが言ってましたけど、それは期待しすぎってゆうもんで、こんな公の場所で、期待するようなエロティックなえろすを、表現できないじゃぁ、ありませんか。とゆうのも、この記事は顔見知りとか友だちとか、とくに女性なんかがいらっしゃるんで、そんなに露骨なことなんていえないわけですよ。

ちょっと中途半端やなぁ、と自分でも思っているわけで、理屈ばっかり捏ねててもエロティックちゃう。そうこう思いながら、それらしいことをそれらしく言って、すませてしまおうとしています。写真なんかでも、ずばり裸写真がえろす、エロティックという狭義でとらえるよりも、もっとおおらかにとらえて、ほんわかエロスティックもええんとちゃうやろか・・・。

俗なるえろす・・・
2007.7.15

<食べる>
えろすに聖も俗もないとはいえ、食べることを神聖なりとは言いがたく、食べることは俗世界の出来事なのであります。 食べることはえろすの典型です。えろすとは生きることを象徴するわけで、なにより食い気です。非常に健全極まりないえろすなのです。神さま拝んでも腹ふくれないですけど、食料品はなにより満足を与えてくれます。なにはともあれ、生存の基本的条件は食べることなわけです。

ホットドッグ、パンにウインナをはさんで、スパイスにケチャップとマスタードです。なにやら昔、とはいっても50年ほど前のことですけど、ミニバントラックのホットドッグ売りが町角に出没して、腹は減った夜な夜なに、買って食べたものです。それを連想してしまうホットドッグです。うん、ウインナソーセージとゆうのは、やっぱりエロティックな食べ物だと思ってしまいます。個人的にそう思うだけで、一般ではないですけど、やっぱりエロティックなんです。

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