中川シゲオ写文集

中川シゲオの写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2018年10月

愛と癒しの「徒然に-2-」
むくむく叢書のご案内
_20181025_102213
徒然に-2-
15~28 2012.6.18~2012.10.25

-15-
1984年に書き起こした「写真ノート」を再録しはじめました。
このブログじゃないけど、別のブログです。
1984年といえば、およそ30年ほど前になります。
ちょうどぼく自身にとっても過渡期な時期。
釜ヶ崎、白虎社、京都と取材をしてきて、終える時期。

そのころからフォトハウス構想の具体化を目論みます。
まあまあ、出発するんですけど、今に続きますけど。
紆余曲折、いろいろあったなぁ、ですわ。
写真を撮らなくなって、ワークショップを目論みます。
年齢としては、三十代の後半ですね。

今年になって、フィルムスキャンをしています。
釜ヶ崎取材のフィルムを、デジタル化しています。
すでにキャノンのアルバムに載せていて、目下制作中です。
と同時に、その後に書いた写真評論、メモ、を整理中。
順次ブログに書いていて、まとめていこうと思っています。

過去のことにこだわるのは、新しいネタがないからです。
ついに自分も、ここまで来たか、って感じ。
振り返る、そんな時もあっていいだろう、なんて。
結局、自分が成してきたものを、整理している。
死に際に至って、自分を記憶しておくために、かな。

ここに掲載する写真は、直近のを使おうと思っています。
タイトルとか、撮影場所とか、つけません。
イメージだけを載せていく予定です。
まあ、これも、コンセプトかなぁ。

-16-
いま、このブログフォーマットとともに音楽が聴こえます。
朝に、パソコンの前にすわって、音楽を選定しているようだ。
今朝は、どうしたことか、チャイコフスキー。
交響曲第四番、このあと五番、六番、およそ三時間。
作業をしながら、音楽を流しておく。
ボリュームを上げたり下げたり。

チャイコフスキーの四番は、ファンファーレから始まります。
高校生のことかなぁ、千円のディスカウント盤を買って、聴いた。
懐かしいですね、懐かしい。
懐かしがるのは、先が短い、とか。
1946年生まれ、先日、中学の同窓会幹事が集まった。
半世紀、五十年が過ぎているんですよね。

別のブログに、かって書き残した文章を掲載しています。
なにより、自分の過去を、思い起こすため、みたい。
この先が、見えない、ええ、自分の先が、です。
写真を撮ってる、今日は午後から、京豆庵の商品写真撮り。
これはお金もらうの拒否しています、ボランティア。
お金もらわないのは、責任逃れ、これですね。

半世紀の記憶を、前後左右させながら、辿っていく作業。
ここに、こうして、書いているのは、現在そのもの。
現在に立って、過去をふりかえって、今を書く。
かって書いた文章を載せるのは、その時代の風潮のなかで。
まあ、自分だけの思い入れ、ですけど、見せる、見てもらう。
他者の目を意識して、作業を続けてきていますねぇ。

-17-
2012年7月10日。
これが今日の日付です。
暦ってゆうものがあって、それにしたがって年をとる。
混沌とした世界イメージから、クリアーで透明な世界。
その透明な世界を、区切っていく暦。
自分には自分の区切り方がありますね。

ひとそれぞれに、個別、そのひとだけの体験の連なり。
ぼくにはぼくの、あなたにはあなたの、個別。
その個別の体験を、整列させてくれるのが暦。
ぼくなんかもう66年も生きてるから、それなりに長い。
履歴ってゆうのも、けっこうたっぷりあって、いろいろ。
個人史なんてこと目論んだって、なかなか出来ない。

あれこれ、過去のことを書くのは、おこがましい。
今と未来について語ろうと思う。
ところが、どっこい、すぐに過去を語りたがる。
過去を語るってゆうのは、おおむね自慢話。
そんなの、だれも聞いてくれへん、って。
といいながら、過去にこだわってしまう習性がある。

年寄りは、老い先短いから、長い過去を語りたがる。
小学校や中学校の同窓会なんて、半世紀も昔の話。
あたかも、いま現在のように、語っています。
時代がちゃうやろ、めちゃくちゃ違うやろ、半世紀やぜ。
年と共に、時代区分とか、年月とか、関係ない感じ。
ふうううっと空へ舞いあがって、いってしまう、そんな感じ。

-18-
2012.7.11(水)。
ここをぼくのメインにしようと以前から思っていました。
でも、なんていうか、扱いにくいんですね、なんとなく。
それにアクセス数も少ないんです。
ほかにアメーバーとか楽天とかのブログもあります。
でも、まあ、なんてゆうか、ここがメイン。
というのも、いまプロバイダー契約は、ここですから。
そのほかは、ぜんぶ、無料で使っているんです。

無料で、といえば、ブログにしろホームページにしろ。
それからアルバムですね、これも無料。
無料であることは、広告がついてくる。
広告をつけて、走ってるみたいなもんだ。
ええ、宣伝してあげてるんです、お礼に、です。
いいじゃないですか、そうゆう世の中だから。

でも、無料で作ってるホームページ。
これは、更新しても、なかなか画面が変わらない。
遅いときには、数週間とか、それ以上とか。
うたい文句は、500メガまで、とか、1ギガまでとか。
そんなの、たしかにそうかも知れんけど。
100メガ超えてしまうと、使えないと言いながら。
使っているんですけど、その奥には、有料がある。

保険とかサプリメントとか、勧誘電話がかかってくる。
原則、いや全面に、電話勧誘は断ります。
その奥に、なにがあるかわからない。
悪徳業者がいるかも知れない、だから。
ぶっそうな世の中、信じられない世の中。
なんか、そう思うと、この世の中、どうにかならないか。
そんなこと、思うこと自体、もう、つまらない。
でわ、また、愚痴を書いてしまいました。

-19-
暑いさなかですが、ここにいます。
30年前撮影の釜ヶ崎、そのスキャンが終わった。
大阪梅田界隈から釜ヶ崎の奥まで、6年間の撮影。
1978年から1983年ごろまでです。
まだ、最後のスキャン分、五千カットは、未整理。
これから、セレクトして、修正して、まとめます。

スキャンしながら、画像を見て、思い出すことしきり。
いっぱい思い出が詰まっていて、甦ってきます。
写真とは、そうゆう存在なのでしょう。
記憶を甦らせてくれます。
一段落、そんな気持ちですが、次は京都です。
京都、西陣、釜ヶ崎の後半と平行して、取材したネガ。

釜ヶ崎も京都も、いまにつながっています。
1984年からフォトハウス構想を立てて、実行。
これもいまにつながっています。
なんかしら、人生って、けっこう連続している時間だ。
時間といえばスパンが短い感じ、年月がふさわしい。
年月、生まれてきてこのかた66年がすぎた。

一昔なら、もう人生が終わっていた年齢ですね。
それがいまや、まだまだ終わらないじゃないですか。
でも、いつ終わるわからない、これ実感です。
ぐるぐるまわる回り灯篭、幻、そんな光景が、目の前です。
まもなくお盆、今年は、どうするんやろ。
まだ、未定、取材するかどうかも、未定。
父親の一周忌をしてあげないといけません。

-20-
むかいのおばさんが亡くなられた。
99歳と半年、来年早々には100歳という。
長寿、ほんとに長寿の時代。
ちょうどお盆が近くなって、霊を迎える頃。
ぼくは、無神論者のつもりだったけど。
今は、信じてないけど、不思議、霊感とかはあるかも。

人間って、柔くって脆くって浮き沈みする感情です。
それにからだ、肉体ってのがくっついている。
肉体が先で、感情はそのあと、肉体ありきですね。
そんな肉体を意識しだしたのは、最近のことです。
老いていく自分、年寄のからだになっていく自分。
精神だって、からだの老いにしたがっている感じ。

若さの残滓が、もう初老でもない自分をせめます。
つくづく、肉体があって、精神があることを実感です。
でも、物忘れしたり、想像力が弱ったりしても、です。
意識が広がる、高みから見れる、なんでも許す、みたいな。
ふわ~っとした、ああ、これが仙人の境地なのか。
なんて、少しだけ、思えるような感覚もある。

性欲、食欲、何々欲、人間って欲望のかたまりだ。
その欲望が希薄になっていくってのが老いかもしれない。
だいぶん、そういうことでは、希薄になってきたと思う。
ひとのためになるのなら、できるだけのことをしよう。
必要としてくれる人がいるなら、尽くしてあげよう。
なんかしら、仙人の訓示みたい、笑えちゃうね。

-21-
お盆が終わった。
いつもお盆の時期になると写真取材のことを思う。
お盆行事を追って、夢幻舞台を制作するためです。
夢、幻、その舞台。
舞台とはこの世のこと、夢と幻のこの世。
今年は、どないしようかなぁと、迷っていたけど。
8月7日、六道まいりの道を、撮影した。

思い起こせば、もう30年ほどまえのことです。
写真と文章を載せた夢幻舞台って小冊子を出した。
その年、瀬川恵美って子が、亡くなったその鎮魂。
昔、撮ったフィルムをスキャンしているんですが。
その瀬川恵美、出てきたんです、かなりの枚数。
ほとんど記憶になかったフィルムに、驚きました。
昔のことを、記憶をたどって、まとめようとしています。

66歳になって、いまならできる、そんな気持ちです。
まあ、4~5年、70歳前後、これが目安ですね。
それと最近また文章を書けるようになってきたみたい。
文章を書く循環ってのがあるんでしょうかね。
ここ数年、あんまり文章が書けなかったのに。
そのぶん、写真が撮れなくなった。
被写体に迫れない、距離をとってしまう。

父の一周忌の法事をすませて、やれやれ。
気にかかることは、一応クリアーした感じ。
あとは、ちまちま、好き勝手に、できたらなぁ。
宝塚メディア図書館、SVTPにボランティア。
畑さん、中島さん、あとは若いスタッフばかり。
関西写真史を書くのに、刺激をもらえそう。
お人好し父ちゃんの登場、でいいんじゃない。

-22-
あれから11年目、2001年9月11日、思い出しました。
ニューヨークのWTCビルへ飛行機が突っ込んだ日。
午後10時過ぎ、タクシーのなかで声のニュース。
自宅に入ってテレビの画面、二機目が突入するとき。
テレビでライブ、目撃しました。
なにが起こってるのか、わからなかった。

翌日の早朝には、関空からグアムへ家族旅行。
家族は準備をして、MKが迎えに来るだけ。
JTBへ問い合わせると、飛行機、飛ばないとのこと。
旅行中止、そうやったなぁ、思い出します。
前便は、着陸できず途中で関空へ戻ったとか。
でも、具体的な悲劇性は、伝わらなかった。

悲劇であることは、感情がゆすられてくること。
時間の経過とともに、何とも言えぬ滅入り感を意識します。
1年半前のあの地震と津波。
悲惨さは、映像見るたびに、いまもって甦ります。
テレビとか、見ちゃおれないから、逃避します。
人が死ぬなんて、耐え難い気持ちになります。

まあまあ、ほんとに、わが身でなくてよかった。
こんなこと言っちゃあかんと思うけど。
ほんと、悲しい出来事、自分の家族でなくてよかった。
せめてもの追悼は、こころのなかで、行います。
ぼくは悪人じゃないです、善良な市民です。
ほんとです、閻魔様。

-23-
世の中の動き、あわただしいです。
すべてリセットして、戻ればよろしい。
どこまで戻るかって?
そうやね、縄文時代あたりまで!
そしたら、みんな幸せな気持ち?

気持ちでいえば、30年前くらい昔。
それでも1980年、それなら半世紀前。
それやと1960年、長生きしてるよなぁ。
縄文時代に戻るというのは比喩ですけど。
何もない、目の前に食べ物だけ。

そんな時代が来るような予感。
まあ、実質、はりぼて捨てたら、それだけ。
からだと、着るものと、食べるもの。
それに寝るところ。
男には女が、女には男が必要。
それぐらいシンプルにしないとあかん。

そんな夢ばっかり見ている昨今。
どっちゃみっち、金なんてない人生。
これから、どうしようか、生きる中身。
お金ではない、価値観、ああ、無情。
言葉知ってるから、こんなの書いてる。
突然ですが、バッハ、いいですね。

-24-
最近の出来事では、政治の世界、党首が変わった。
政治のことは、ブログでは触れないようにしています。
でも、まあ、なんていえばいいのか、だましですね。
ぼくなんか、もう年金生活だから、左うちわ。
なんて思っていたら、年金だって変動するんですね。

まあ、いいや、生活していけるから。
かって働いたおかげで、年金積立したから。
いま、三カ所から年金もらっています。
国家公務員共済、私学共済、厚生年金です。
フリーター諸君ぐらいの収入です。

内閣総理大臣は民主党の野田さん。
昨日、内閣改造で、メンバーが入れ替わった。
もう、どうでもいいけど、嘘つくの、やめてね。
恥ずかしいこと、しないでください。
嘘ついたあかん、これ子供でも知ってる。

なんか、こんな話題は空しいです。
だから、そっから逃げて、愛の話しとか。
愛と癒し、なんて内心、笑いながら、ですけど、
政治とか経済の話しをするより、癒されます。
なんとか、ならへんのかなぁ。
では、また。

-25-
今年ぼくの年齢は66才。
もう老体だけど、最近の感覚では、まだ若い。
若いといっても、この先、知れてる。
なによりも、このままの健康を維持できるか。
いつ切れてもおかしくない年齢だと自覚します。

ここにこうして文章を書いている。
このことが突然できなくなるということが。
そういうことでいえば、いつも刹那です。
わかいころには、年老いの実感なんて知る由もなし。
年相応なんてゆうけど、それなりに老化が進んでいる。

健康保険は、三割負担だけど、行政が二割負担してくれる。
つまり、ぼくは、65歳をすぎて、収入が少ないから、減免処置。
なるべく医療費は使わないでおこうなんて思っているんですけど。
高い保険料払っているから、使わにゃ損損なんて思う。
年金収入の一割が健康保険料として払ってるかな?

こんな現実的な話をしても、生産性低いですね。
さりとて、理論、理屈なんて、もう御免こうむる。
感情、これは豊かにして、喜怒哀楽、感じたい。
生き方そのものが、変わってくるんですね。
つまり社会生活に生産活動に参加してないからか。
むつかしい話は、しないでおきましょう。
でわ、また。 

-26-
ノーベル賞の発表があって、京大の山中教授が受賞。
とっても喜ばしいことです。
昨夜から今日の朝は、この受賞ニュースでいっぱい。
ぼくなんかやと、大江健三郎さんの受賞が浮かびます。
でも、大江さんの名前、出てきませんねぇ。
ニュースのなかで川端康成でてきたけど、です。
まあ、それぞれ、放送意図があってのことでしょうかね。

すっかり秋。
さわやか、いいお天気、朝なんか肌寒い。
古いフィルム、ネガをスキャンしています。
釜ヶ崎のスキャンが終わって、いま、京都。
釜ヶ崎の写真は、アルバムにしてあります。
スキャンしてデジタル化して、アルバムにする。

フィルムからデジタルへ、です。
記録の方法が、媒体が、変わっていきます。
発表の方法も、変わってくる筈です。
ギャラリーで展示から、ネット上で展示へ。
発表媒体の枠が拡がるってわけですね。
これからも、ハード環境はまだまだ変化しますね。

テレビモニターが、薄型になって、廉価になる。
額装のプリントから、デジタルデータ表示へ。
写真のギャラリーは、展示する方法が変わる。
展示内容を支えるハード環境が変わる、が正解。
あたらしい時代がきて、新しい表現方法も来ます。
まあ、欲望を満たす道具として、昔の比ではないですね。
この内容は、また。

-27-
岩波講座「哲学」を少しずつゴミに出しています。
1968年から配本された全18冊。
ぼくの手元にあった岩波講座の最後です。
日本歴史、文学、それにこの哲学です。
まあ、もう、ぼくは哲学はいらない。
そんな感じですね。

だんだんと学問の成果とか、受けてるけれど。
いまさら、学問なんて、いらないと思ってる。
ただし、感覚的には、研ぎ澄ましておきたい。
といいながら、感覚だって鈍ってくるってもんだ。
いやいや、多感な頃に受けた感性が、そのままだ。
だから、時代が変われば、感性もかわる。

考え方とか、構想力とか、想像力とか。
これらだって、その時代の空気みたいな感受性。
そっから生じてくるんだ、としたら。
やっぱり、年代が変わると、これも変わる。
そう思うと、老体は、いまの若い人とは、ちがう。
いつも、若い世代の感性が、中心です。

もう30年とか50年とか、年齢の差。
一世代15年区切りだとすると、です。
そうすると、二世代、三世代、違うことになる。
つまり、理解しあえない、感性の交換ができない。
本当か嘘か知らないけれど、ぼくは信じない。
信じないけれど、本当のような気がする。

-28-
寒くなってきて、ストーブ入れだしました。
ぼくの部屋には、灯油ストーブ。
灯油の値段が上がって、㍑95円とか。
ひところは、電気よりガスより灯油が安い、と。
どうなんでしょう、いまなら、ガスが安かったり。
必要経費だから、しかたないけど。

電気の節約ということで、夏にトライした。
関西電力からクオカード1500円分送ってきた。
節電トライ、昨年比11%でした。
そういえば、昨年の夏は途中から節電モード。
昨年に節電したあとの節電だから。
昨年同月比5%ほど減でした。
6月が26%ほどの節電になっていたから全体で11%。

まあ、まあ、電気を使う生活になっている。
なんでも電気を使うようになってきている。
ひところの電気消費に抑えれば、いいのに。
便利な便利な電気、なんてほんとかな?
これから先、これでいいのか、と思う。
政治も含め、これでいいのかなぁ。


愛と癒しの「徒然に-1-」
むくむく叢書のご案内
_20180101_224554
徒然に-1-
1~14 2011.5.27~2012.6.13

-1-
自分史
自分のことを、生い立ちを書いていこうとしています。
他人様が読んでいただくなんてことは、考えないほうがよろしい。
だれもが、自分のことを中心に、動くわけだから、他人様のことなんか、どうでもよろしい。
とは言いながら、ひそかに、自分のことを知って欲しいと、思う気持ちがあります。
ひそかにと書いたが、かなり強く、その気持ちがあります。

自分史を書く。

どこから書こうかしら。
今年2011年、中学の同窓会が6月にあるから、ここから始めようか。
中学は衣笠中学校、1960年かなぁ、まあ、その頃。
中学生といえば13歳、十三参りって、父に連れられ行きましたよ。
嵐山の渡月橋を渡るとき、後ろを向いちゃあかん。
その時のこと覚えているから、書いておきます。
父と弟とぼくの三人、なぜか母はいなかった。

中学の入学式の日。
ステージでブラスバンドの演奏がありました。
どうしたことか、ものすごく感動しました。
音楽担当は沢村先生、クラブに入りたい人いるか、と聞かれました。
ぼくは、猛烈に、吹奏楽部ですね、入りたいと思いました。
それから、ぼくの中学時代、ブラスバンド、吹奏楽部入部と日参が始まるのでした。

-2-
京都は祇園祭り。
今年も宵山と山鉾巡行を見に行った。
山鉾巡行は三年連続の見物&写真撮影。
一昨年は河原町通で、昨年は四条烏丸で、今年は御池新町。
祭りを撮る目的は、写真集京都に収めるためだ。

写真集京都は、たぶんぼくのライフワークとなるはずだ。
まとめ方に新鮮さ、斬新さはない。
なるべく京都というイメージを自分なりに作りたい。
そしてなにより、ぼく自身が京都生まれ、京都育ち、京都在住。
このことが重要なポイントにはなると思う。

かって写真を撮る行為を、日常の方へ、と考えていた。
その方向からいえば、祭りを撮る行為は、非日常の方へ、だ。
だから、そんなわだかまりがある、とはいっても、祭りがある。
祭事、法事、歳時記、風土記、名称はさまざまにつけられた中身。
まだまだ、入り口に立ったばかりの認識。
京都がすべてではないけれど、大きなファクターではあるのです。

-3-
今日からお盆に入ります。
毎年、祇園祭からはじまって、大文字の送り火まで。
夏のセレモニーとして、夢幻舞台を、制作します。
今年も、また、その気になっているところです。

写真を撮って、静止画でまとめているけれど、動画。
ニコンのカメラにしてから、動画をも、撮りだしました。
ウエブアルバムでも、動画を載せられる。
ニコンのフォト蔵、グーグルのピカサ。
ユーチューブとかニコニコ動画とか。

そのうち、パソコンで編集でもするようになるか。
年を取ってくると、なにかと億劫になるのがわかります。
なんなんやろ、年寄りの傾向を、認めなければなりません。
年寄り、高齢者、その部類に入ってきた自分。
今日は、京都写真学校、ライティングのレクです。

お盆のお迎え行事が今日から。
レクの前に千本閻魔堂へ寄って、取材するか。
いちおう京都取材は終わったんですけど、まだ。
行事とか、祭りとか、そんなの拾います。
京都風土記を、作りつつあるんですけど、まとまりません。

-4-
お盆が終わったと思ったら、父の死。
2011年8月20日午後4時25分。
享年91歳。
大往生だと思う。

21日に通夜、22日は午後1時から葬儀、告別式。
やまから帰ってきて、初七日。
入院していた双ヶ岡病院からセレマの玉泉院へ移動。
父の遺体は、家にかえらず、そのまま葬儀場へ移した。

ぼくと弟、兄弟夫婦、それぞれの子供、父から見れば孫、4人。
ひ孫5人中3人が列席。
家族だけの家族葬でした。
昨夜、終えて、今日は、整理。

父との思い出とか、母を交えての思い出とか。
これから、記述する機会があれば、記述します。
父を送る。
それが終わって、一段落である。

-5-
久しぶりの近況記録です。
このまえの記事が、父の葬儀直後でした。
あれから、満中陰、49日も終え、お骨おさめも終えました。
次第に、記憶からも薄らいでいくのでしょうね、父のこと。
順送りだから、悲しみとかの感情はありません。
でも、生きるってこと、生きる意味みたいな。
そんなこと、思わさせられますね。

つぎは、自分の番ですけど。
妻が先か、自分が先か、ですね。
これだけは、いまのところ、わかりません。
なにより、老いていくこと、必然なんですね。
このままで、いられるわけではなくて、老いていく。
もう、65才だから、今しかできないことを、したい。

人間って、どこまで貪欲なんでしょう。
精力尽きてきてるのに、気持ちだけが高ぶります。
65才の体力、ひところと比べると、これも衰えています。
でも、まだまだ、これから、衰えていくのだと思うと。
ちょっとみじめな気分になります。
だれにも明かさない秘密みたいなもの、えろすかろす。

つぎは、いつ、ここへ来てかくのやら。

-6-
もう12月、早くも一年が過ぎ去る。
この「早くも」という実感は、年々実感として感じます。
感じなんですよね、きっと。
年齢を経ると、そのように感じる感じ方。

いま、ベートーベンのピアノソナタを聴いています。
パソコンにダウンロードしたもの、29番。
29番といえば、ハンマグラービア、ですね。
なにかしら、ぼくの人生に関わっている感じ。

父が死んで、三か月が過ぎて、もう忘れてしまった。
喪中だというのに、喪に服していない。
なんと非常識な自分だろう、と思います。
ことごとくが、そんなお年寄りになっていく自分。

まあ、人生。人の生き方に、定型はあるようでない。
自分流、生き方。
それもままならないではないか。
どうすれば、自由が得られるのか。

-7-
2011.12.31
大晦日、2011年の終わりです。
今年一年、なにがあったのか。
あっちもこっちも、その話題に尽きています。
ここも、そうゆうことで、締めくくりましょう。

身内的には、父の死、8月20日。
なにより、大きな出来事です。
東北大震災、これは大きい出来事。
こころ痛みます。

自分的には、パソコンを買った。
ブログとホームページを作ってきている。
来年に向けて、新しい枠組み。
花、京都、愛の巣、この三つをリンクさせます。

表現、自分とは何か、なんて。
写真と映像と文章で表す。
65才になって、老人日記の部類です。
来春は66才、いやはや、どうしたことか。

-8-
あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくお導きください。
昨年は、喪中でしたけど、今年は晴れています。
お正月早々は、毎年、金沢シフトです。
昨年は妻が入院で変則でしたが、今年は例年とおり。

元旦に京都の家をでて、娘夫婦の家へいきます。
そこから金沢へ出発です。
高速道路を使って、行きます。
タダにするって、うそつくな、って思ってしまいます。
幻滅しますよね、公約反故にしたら、信頼ゼロですよ。

なにかしら、むなしいのは、そんな政治のせいもあります。
それだけじゃないけど、気持ち、むなしいです。
今年66才、ええ年ですよね。
ひと昔なら、もう寿命が尽きるって年代ですよ。
いやはや、だから、なにが起こるかわからない。

先が見えないから、どうしたらいいのか。
といいながら、続けるしかありませんね。
今年は、京都と花、それに愛の巣、三つのHP制作。
リンクさせながら、ぼくの制作物としたい。
ということで、よろしく、ね。

-9-
調子に乗って、文章と写真をまとめようと意気込んでいます。
現代写真の視座1984、これはドキュメンタリー論です。
表題にもあるように1984年に書いたからおよそ30年前。
それから、写真への手紙・覚書、これは写真論。
1988年から1994年にかけて書いた写真論です。

どうしていまごろになって、そんなものを。
つまり、見直し、自分の痕跡確認、そんなもの。
京都を取材してきたのが2007年から。
いちおう取材終了としたのが2011年。
でも、あらためて、京都の写真をまとめています。

次から次へ、自分の中で、企画が起こってきます。
すこしづつ、新しい方へシフトしていくわけです。
京都、花、愛の巣、この三つのテーマをHPに立てた。
それぞれをリンクさせながら、新しい作品群をつくる。
さて、そう見栄を切ったが、はたして、どのようになるのか。

問題は、愛の巣とタイトルした領域のことです。
公然と表に出すにはおこがましい内容です。
といいながら、公然化させてしまったわけです。
中味をどのように公然化させるか。
まだまだ、未定形の中味です。

-10-
このまえに、ここに近況報告をしたのが1月16日。
それからひと月半のごぶさたでした。
きょうは2月29日、うるう年です。
せめてひと月に一回の記事をアップする。
やめられないなら、それぐらいしなきゃあ。

今年になって、ぼくの動向が変化してきているんです。
気持ちの在りようで、写真とか文章とか、してるわけです。
なので、その時々の興味の在処が、中心になるんです。
釜ヶ崎の写真を、フィルムからスキャンしています。
66才になる年齢で、これまでのものを整理しておこう。
こんな気持ちになってきている。

新しい論を書く、少しこの作業を少なくして、温故知新。
そのためにも、古き自分の著作を再現する。
15年ほど前に、ファイルを作ったのがある。
でも、いまやパソコンでネットで、デジタルデーターで。
この流れに沿って、データーを作っている。

現代写真の視座・1984、ドキュメンタリー写真のゆくえ。
写真への手紙・覚書。
釜ヶ崎の写真と文章。
まだまだ、デジタルデーター化するのがある。
できるところまで、やっていこうと思う。

-11-
2012.3.4
徒然日記にあやかるわけで、タイトルを「徒然に」とした。
2012年3月4日、きょうの日付です。
東日本大震災から一年、2011年3月11日。
この最近、一年ってゆう単位が、非情に短い。
年取ると、年月過ぎるの早し、というけどほんとですね。
あれよあれよで10年が過ぎる。
中学校を卒業して半世紀が過ぎた。

今朝、ブラームスのハンガリー舞曲集を聴いていた。
聞き覚えのある音の連なりが、思い出をよみがえらせる。
思い出をよみがえらせる光景より、感情、感覚、ですね。
なんといえばよいか、ノスタルジックな感覚とか。
その当時の感覚ではないと思うが、その感覚とか。
いろいろ思い出すこと、いっぱいあります。

思い出は、思い出だから、いまさらどうすることも。
いやな思い、いい思い、全部含めて、いま、ここに、いる。
まだ五体満足、あたまがちょっとボケてるかな、くらい。
いつまで続けられるんやろ、これが不安種です。
過ぎ去ってきた時間からみて、あと少ししかない。
そう思うと、整理しておくことは整理しておく。

釜ヶ崎というところに撮影に入ったのが1978年ごろ。
それから35年近くが経ってしまいました。
稲垣氏の勧めで、ネガを掘り起しています。
フィルムスキャナーでスキャンして、調整して。
釜ヶ崎ドキュメントとして、まとめています。
全駒からピックアップしたのをランダムにならべています。
いつまでかかることか、はじめています。

-12-
あれから一年、早くも過ぎ去りてきました。
東日本大震災のニュースでにぎわっています。
被害にあわれた当事者の方の心中を察します。
身内を失われた方のこと、思うだけで、切なくなります。
でも、一年、過ぎていく、過去になっていく。

ここを、徒然に、というタイトルでシリーズしていこうとしています。
でも、なかなか、この文章を書く作業が、ちょっとめんどくさい。
つまり、別のところに興味の中心があって、そこ優先するから。
だから、なんか、義務化してるんです、ここなんか。
過去を整理できない性格のぼくは、切り捨てられない。

今日は、岩波講座の日本歴史の本を4冊ごみに出した。
古本屋さんに売るのは、気持ちで、できないから、ごみだ。
そういえば、転向三冊は、前々回、前回から日本歴史。
過去を切って、整理して、身軽になる。
そのようにも思うが、いざとなるとできにくい。

最近は、Facebook、フェースブック、これが情報交換の中心。
知った他人さまとつながっている感覚は、気持ち安定します。
そういえば、社交クラブ、そんな感じですね、フェースブック。
人恋しい気持ちは、年寄りになって、社会から切れつつあるから。
やっぱり、人は、他人様と一緒でないと、生きれない。

-13-
もう4月の終わりかけ、ごぶさたしていました。
明日、4月28日はぼくの誕生日、66才。
それと結婚記念日、1970年だから42年目。
最近は京都写真学校、も8年目を迎えました。

1946年生まれ。
いつの間にか66才。
あとどれほどの時間、年月が残っているんやろ。
それを思うこのごろ、そんなことばっかり。

文章を書き連ねるのがけっこう億劫です。
写真、これは撮って整理して載せる。
比較的簡単に処理しています。
込み入ったことはしない。

京都の写真集を作っている。
どのようにまとめるのか、まだできない。
できないけれど、撮って連ねて、見せてる。
日本の絵巻物とか、歳時記とかのまとめ方。

絵巻物が参考になります。
写真は絵巻の現代版だと思う。
内容は、雅のなかの京都。
対語で鄙(ひな)という概念を持ち出した。

まだまだ制作意欲は衰えていないなぁ。
でも取材するのが億劫になってきた。
どこまでいけばいいのか。
今日は、別件、過去の写真、釜ヶ崎。

釜ヶ崎ドキュメント、撮ったコマをスキャンしている。
モノクロフィルム、400本ほどスキャンした。
あと300本ほど残っている。
そのあとには、京都、白虎社、その他がある。

-14-
世の中、物騒なことばかりが起こっています。
日本を含む世界で、悲しいことばかりが起こっています。
ぼくは感情的に、良し悪しを判断しようとしています。
しょせん専門家じゃないから、感情のレベルで、判断します。

原発の問題。
これは廃止すべきです、ぼくの感情です。

消費税アップの問題。
消費税アップには反対です。
生活者として反対です。

経済危機の問題。
つけがまわってきてるんだからしやないですね。
なるべく経済活動から遠ざかろうと思っている自分。
自己矛盾を抱えながら、存在している自分。

なにかしら、むなしい気持ちになってきます。
民主党、約束を守れよ!
選挙では投票しなかった。
実践活動してる党の候補者に投票しました。

なんか枠組みが崩れていく感覚ですね。
世界の枠組みが、壊れて、再生される。
どっかで、断ち切って、新生世界を、ですかね。
いまって、おおきな変化期なんでしょうね。

愛と癒しの「そのころ、近況-2-」
むくむく叢書のご案内
_20181026_160918
そのころ、近況-2-
13~25 2010.11.1~2011.5.10

-13-
11月になりました。
急に寒くなってきたようです。
ストーブをつけて、部屋を少し温める。

要は心の在り方の問題。
気分ってゆう感じかも知れない。
言葉で言い表すなら、さみしい。

寒さは心を閉ざします。
冬の到来にむけて、仕度をします。
冬物の衣類を出しました。

いつも彼女がしてくれていたこと。
なにがどこにあるのかわからない。
探して見つけて取り出してきました。

自分の衣類、見覚えがあります。
自分が自分であることの証。
それが自分が着ていた衣類がわかること。

なんか、どこまで認知症なのか、わからない。
もの忘れがすごい。
なにより、前後がつながらない。

そんな自分を想像してみる。
人間って、けっこうきつい生き物です。
意識があって、自尊心があるなんて・・・・。

-14-
ものごとを悲観的にみるのはやめる。
人を恨んだり、誹謗中傷しない。
なんでも認めていく。

なにかこの世の出来事って暗いですね。
自分が生きた60数年を振りかえっても、いやなことが多かった。
だから、もう、仙人さまの境地で、日々を過ごそうと思った。

気分は楽天、それでもくよくよしたりするけど。
落ちこむときには、くよくよしない。
もうなんでも受け入れちゃうよ。

それでかなり救われていると思う。
無責任、怠惰、いやらしい、なんでも言ってもらって結構。
それがいちばん気楽ってゆうもんだ。

まあ、楽しまなくっちゃぁ、ね。
そう思っても、やっぱり落ち込んじゃうね。
今年は、アクシデントが多発した。

-15-
人生、なにが起こるかわからない。
ある日、突然、思いがけないことが起こる。
アクシデント、その連続で、日々が過ぎていく。

ひとつひとつに喜怒哀楽してたら、疲れる。
だから、そしらぬ顔して、通り過ぎさせる。
これも対処の仕方のひとつでしょう。

父のこと、これは老いが原因だ。
人間って死が待ち受けているけど、状況がわからない。
死に際、どんなことが起こっていくのか。

妻のこと、これはアクシデント、予期しなかった。
なにかするときには、リスクを伴う。
事故、突然の事故、予期せぬ事故。

うろたえる自分。
こっけいな自分が、そこにいて対処している。
起こったのが10月14日の午前だから、もう一か月になる。

日々の生活を組みかえる。
それでいいのだ。
なるようになる、無理にねじることもない。

淡々、日々淡白に生きていけばいい。
とはいえ、まだまだ血の気が多い。
10年先って、どうなってるんやろ?

-16-
京都と金沢を行ったり来たりの日々。
苦に思っているわけではない。
むしろアクシデントによる変化を楽しんでる。

父のこと、妻のこと、暗くて考えるのもおっくう。
でも、そんなくよくよしても仕方ないから、気楽にいこう。
不幸中の幸い。
そのように思うのが、生きてる術としてよろしい。

中学のときの同窓会企画。
昨日、幹事会に出席しました。
世話役というところですね。

人との接触が少なくなっていく老後。
そんなときに出入りできるところがあるのはうれしい。
そんな感じで、世話役の一端を引き受けた。

些細で微妙なところで、自分を満足させる。
満足とは心を満たす。
いいじゃないですか。
 
-17-
今年は、最初からアクシデントがありました。
父の介護につながる病院通いからはじまりました。
ディケアーへの申し込み。
介護商品のレンタル。
総合支援センターへの依頼。
なにかと、介護の現場を、知ることができました。

5月の中旬には、脳出血により、シミズ病院に入院。
6月下旬には民医連中央病院に転院。
8月中旬には上京病院、それから双岡病院。
身体障害者1級を適用してもらっていまに至る。
一か月の年金額が六万未満の父。
双岡病院、完全看護で、月額5万円未満の支払い。
ラッキーな環境になった、と思ったところに、妻の骨折入院。

金沢の浅の川総合病院、10月14日入院。
太ももと首の骨が折れていた。
現在、入院、リハビリ中。
年越しても、まだ入院が続きます。
不幸中の幸い、手足などへの障害は、残らないと思う。
金沢と京都を行ったり来たりの生活が続いています。

キクさんの47回忌、12月20日が命日だという。
高校三年のとき、単車で安置室へ行ったのを覚えている。
板の上に寝かされていた死者、あれ、12月20日なのか。
無性にむなしい気持ちになっていた学生服の自分を思い出す。
セイさんの50回忌が来年なので、一緒に回忌をしてもらう。
12月20日、つまり明日のことだ。
参列は、ぼくひとり。

厄払い、環境を変える。
とはいっても住まいを変えるわけではない。
気分の入れ替え、できるかどうかわからないけど。
パソコン入れ替え、カメラも入れ替え、リニューアル。
ほんとに今年は、いろいろあった。
ぼくは、来年65歳になる。

-18-
今日は2010.12.23、年末になってきて、気分もあわただしい。
NECのパソコンがデスクのうえにきて、セッティング。
ホームページ、ブログ、アルバム、アドレスとパスワード設定。
それからこれまでのデータを移行させたり。
なんとか、もたもた、お部屋の掃除もかねてしている。

2003年の秋から始めたパソコンライフ。
デジタルカメラ、ネットにて作品つくり。
あしかけ7年。
なんか、ここで転機を迎える感じだ。
ネット環境も変わったし、さて、どうするか。

バリヤーが外れていく感じ。
ぼくを支えてる価値観、そんなのが壊れる感じ。
そういえば、支えられ、安定を求めて、心が安心するのだと思う。
そのバリヤーが外れていくときにおこる感情。
なんてゆうか、心を絞められる感覚。

そんな気分が、昔からあって、それが起きていたり寝ていたり。
もう心開いて、あっけからん、無敵、なにも怖くない。
そう思うことが、絞めつけられる、起きてくる。
なにか、罪悪感みたいな、この世にいることのせつなさみたいな。
ああ、だめだめ、こんなことしてたらあかん、なんて、ね。

ニコンのデジカメで撮った最初の写真。
なんだ、こりゃ、って感じ。
カメラを手にしたけど、写真作る気分が減退してる。
その分、文章を書く気になってきてる感じ。
繰り返しだね、人生なんて。

-19-
ただいま西暦2011年となっています。
4月で誕生日を迎えて、満65歳になります。
なにかにつけ、半世紀、50年。

中学の同窓会を6月に開催する幹事になっています。
今日、パレスサイドホテルの喫茶で、その会合がありました。
ブラスバンドで一緒だった菊谷さん、50年ぶりの再開。
そんな調子で、半世紀ぶり、というのが最近の傾向。

高校時代の長澤さん、太田さん。
最近、再び、懇意になってきて、うれしいかぎり。
なんかしら、昔の友なら安心できる。
そんな気分にさせてくれる、同窓生。

妻の骨折で、今年の正月は金沢でした。
こころ痛め、一緒にいることの必要性をあらためて知ります。
かけがえのないひと、と思う。
もし、いなかったらと思うと、おそろしい気持ちになります。

父の入院、妻の入院。
昨年は、ついてない、アクシデントでした。
今年は、どんな年になるやら。
パソコン、調子悪い、買い直しします。

-20-
結局パソコンを買いなおして、富士通に戻りました。
最新、最上級バージョンですけど、3Dテレビなんて見ません。
HDは2テラ、メモリーは8ギガ、そんなスペックです。
一昔のパソコンと比べたら、すごいです。
そんな時代になってるんですね。

カメラはニコンになって、京都取材を終えて。
何を撮るか、節分の取材をしませんでした。
植物園へ行って、温室で花の写真を撮りました。

延滞フェスタのブースに展示する釜の写真。
稲垣氏と一緒に写真を撮ったのが2月1日。
昨日、パネルにする写真のデーターを渡しました。

今日は町内会、来年度の会長等を選ぶ名簿つくりの集まり。
なにかと気になってしかたがない町内のこと。
それでも一年が過ぎていきます。

来週には、喜美子が退院します。
京都へ帰ってきて、ふたりの生活が始まります。
ひとり暮らしに慣れだしたけど、基本二人ですから。

そんなこんなで、日々が過ぎていきます。
日々、なにかやり残してる感じがして仕方がありません。
思いうほどには、ことが進まない、そんな日々です。

-21-
写真学校の問い合わせ者がありません。
この4月からの第七期が開講できないかも。
そんな危惧を抱きだしました。
まだ2月中旬とはいえ、問い合わせが激減しています。

毎年、いまごろの時期には、心配することです。
でも、昨年から今年にかけて、何かが変化している。
時代が大きく変わろうとしている。
その変化に、学校がついていけてない。

そうなのか、どうなのかは、わからない。
いずれにしても、問い合わせがない。
なにか、割り切れない気分です。
写真は、新作、Botanical Gardenより。

-22-
今年65歳になる人が考えること。
これから、どないしょうかなぁ。
これまでやってきたことの区切り。
何度か区切ってきた節目がありますが。
どうも今年は、その節目なのかも。

いまこれを書きながら、そのように思う。
整理せよといわれて、ぼちぼち。
書籍とか、ビデオとか、雑誌とか。
かさばるものを捨てる。
捨てるのもなかなか難しい。

手元にある物たち、それぞれに思い入れがある。
些細なペーパー一枚にしても、思い入れがある。
捨てるってゆうのは、その思い入れを断ち切ることだ。
捨てられるもの、捨てられないもの。
それは、時間が経過して、捨てられる。

-23-
東北関東大震災。
発生から10日が経った。

強烈なショック、ダメージを受けたのは被災者。
被災者ではないぼくなんかも、ショックとダメージ。
それほどに、強烈な災害なのだと思う。
被災者のこと思うと、悲しみ、胸が詰まる。

昨日、お寺の彼岸会に行った。
本法寺、ぼくは初めての参列。
なにかしら、年のせいもあるのかと思う。
感覚が、かなり身近なものとなってきている。
母の23回忌、平成元年4月15日死去だった。
4月13日に23回忌の法会を行うこととした。

弟と、父の見舞いに行く。
月に一度ペースだ。
それとは別に、週に一回程度の見舞い。
双岡病院、終の棲家となる父。
父、母のこと、65歳にして、さまざま思う。
今日は、妻の63歳の誕生日。

-24-
4月も終わっていきます、今日は2011年4月26日。
明後日、65歳の誕生日、41年目の結婚記念日。
総合文化研究所、むくむく通信社、京都写真学校。
つくって7年を迎えました。

いま、新世界より、を聞いています。
いまあるパソコン、2テラバイトのハードデスクです。
カメラはデジタル、キャノン、ニコン、静止画を作っています。
ネットにアルバムを作って、写真展にしています。

時代が大きく変わっている感じ。
科学、技術、ものすごい変化、進化、信じられへんくらい。
人間の心も、それなりに変化してるんでしょうね。
パソコン介して、さまざまな情報を、手元にゲットできます。

かって集めた音楽CD、それをいまパソコンに取り込んでいます。
中学のとき、ベートーベンの運命を千円で買った、それはレコード盤です。
クラシック、ベートーベンとかの、ピアノ、交響曲、その他。
中学生のころ、思い出しては、胸を詰まらせてしまう。

そういえば、中学の同窓会が6月に。
卒業50年になるそうです、そのとおりです。
何回か幹事会に出席しているけど、なにもしていません。
そろそろ、65歳ってゆうのは、区切り時なのかも、ね。

-25-
京都写真学校が開校して7年目。
今年は、ぎりぎりになって応募者が増えた。
先日には、里さんの講座を実施、サイアノプリント。
9月には長澤さんのジャーナリズム論を実施できることになった。
写真を制作する作家養成講座となればいいと思う。

なんだか、書くのが億劫、めんどい、そんな気分。
音楽、といってもクラシック。
持っているCDをパソコンに取り込んで、聞くようになった。
バッハ、ベートーベン、ショパン、それにシューベルト。
容量が大きいから、それに音質もいいから、ストックしている。

とにかくすごい。
パソコン、インターネット、デジタル環境。
ここ数年でさえ、すごい大容量になっている。
あきらかに時代が変わってきている。
それをどう使いこなすか、が問われるところだ。

最近は、花、植物を主体に写真作業している。
京都の取材は、いちおう終了。
食べ物、環境、それも終了か。
流動的といえば流動的な写真テーマだ。


愛と癒しの「そのころ近況-1-」
むくむく叢書のご案内
_20181021_145348
そのころ近況-1-
1~12 2010.4.29~2010.10.30

-1-
そのころというのは、1969年から1970年にかけて。
いまからいえば40年以前のころのはなし。
大学の夜間部に入学したのが1968年。
ちょうど学園紛争の真っただ中で、ぼくの学校もそんな感じ。
生活費としてのお金を稼がなければならなかったから。
2年目になって、待望の出版社に就職できた。
出版社にとはいっても、営業補佐くらい、見習です。

京都は百万遍のそば、京大北門の前にその出版社があった。
いまは、別の名前の出版社が、あります。
たまたま、昨日、通りがかって、思い出した。
そこが出版社の京都支店というか営業所。
どんな本出してたかというと、法律関係。
それとちょっとえっちな感じの本、二本立て。
安保肯定論ってのが、売れ筋とか。

そうなんですね、安保。
日米安全保障条約、いま軍事同盟なんていってますね。
日米軍事同盟、普天間基地をどうするか、もめてる最中です。
安保反対どころか、容認したうえで、どこに米軍基地を置くか。
なんと、時代の変遷ってのを感じるところです。
まあいいや、そのころの話です。
ぼくは、大学に休学届をだして、東京へ、東京本社へ配属。
東京大学の正門と赤門の間の正面が、出版社があった場所。

-2-
それから10年後になっていた、1980年前後5年間ほど。
写真を撮りだし、ひとりで作業を進めていたころに。
出会ったのが中平卓馬という人物。
出会ったといっても、面識ができたわけではなく、写真と評論に触れたわけ。
カメラ毎日って雑誌だったかも。
それから書店、四条河原町にあった京都書院で。
そこの書籍棚で、なぜ植物図鑑なのか、ってタイトルの本を見つけた。
けっこう、読み進み、ある感動を覚えた。
たぶん、写真に関する思い、考え方、など示唆されたと思ってしまう。

その後、東松照明さんに出会って、写真についての様々なことを、教わった。
教わったというより、影響を与えられた。
いま、こうして、記憶をたどりながら、ぼくとの関係を考えると。
この二人の人物に、おおきく由来していると思えます。
もちろん、多くの人との接触があり、そのつど影響されてきたわけです。
でも、とりわけ、ぼくが意識し、その中心となった人物といえば、この二人。
とくに、そのなかでも、東松照明さんには、傾斜してしまいまいた。

いま現在、2010年ですが。
ぼくの写真作法の原点は、上記二人の影響が大きいと思ってる。
その二人の人物が、1968年から1970年にかけて、何をしていたか。
1968年という年ににこだわりたいぼくは、そこをまず明確にしたい。
ぼく自身は、大学へ入れた年、すでに22歳になる年です。
文学をめざし、小説家を夢見ていた、まだ夢を見れた年です。
プロヴォーグっていう写真同人誌のことを、知るのはまだまだ後。
東松照明さんのことを知るのも、まだまだ後。
1968年という年は、大学紛争、そのまっただなか、でした。

-3-
近況 2010.5.31

この五月、なんか日々過ぎるのが、遅い気がしています。
いくつか、身の回りの出来事があって、思い出が多いからか。
五月連休に子供家族と一緒に田舎へ。
小学校4年C組の同窓会。
それから父の入院。

父の入院には、こころが沈みます。
ウツ状態といえます。
まあ、自分で言うから、病的じゃないと思う。
気持ちの落ち込みっていえばいいでしょうか。
まあ、気分爽快じゃない。

ここの日記風エッセイも、ご無沙汰気味。
文章を書くってことが、億劫になってる心境。
どうしたことか、失語症。
いいえ、そうではなくて、こころが重い。
思い出して書きたくない、そんな気分。

今日は、朝いちばん。
いま、朝飯前、ぼくとしては公的ブログに、記事を掲載。
その流れで、ここにいます。
ええ、どこで終わろうかと、イライラぎみ。
文章を書くことを、意識しています。

-4-
6月5日は、ミニ同窓会。
小学校4年生の同窓生で、琵琶湖の蓬莱。
そこにヨットを置いている同窓生の計画。
ヨットに乗る。

男女合わせ8名。
若くはないですね、悠々自適族?
まだお金儲けで働いてるメンバーもいる。
そんな旧友とたのしいひと時を過ごす。

還暦過ぎて、初老の年代になっていまごろ。
昔、10歳前後のころに、一緒に勉強し遊んだ人たち。
不思議、ほんと、なかよしともだち、そんな感じ。
まあ、こんなこと、できること、素直に喜びましょう。

-5-
一か月ぶりに、ここに参上。
最近、この数年、こうゆう状況が続いています。
毎日、パソコンの前に、座っているのに、です。
写真を撮ることも、減退している。
集中できない。

この原因は、父の介護関係、町内の関係。
これで気持ちがそがれてる。
なにかと気がかり、手間がかかる。
だから、自分の作品つくりに集中できない。
文章を書くのが、億劫だ。

介護環境のことが、わかってきます。
現状の老人介護のことが、わかってきます。
当事者になって、わかってくることがあります。
たしかに、もっともっと環境整備をしてほしい。
消費税もさることながら、介護の現場を充実してほしい。

老人施設をもっとつくれ、とか。
医療費をもっと安くしろ、とか。
年金の受給額レベルで、介護を受けられるように、とか。
とかく、やっぱり、自分の将来の、不安材料ですね。
参議院選挙、実践している政党に、投票します。

-6-
もう今日は8月7日、夏の真っ盛り。
昨日は琵琶湖の花火大会に行ってきた。
おとといは、墓参りに行ってきた。
父がいま入院中、昨日医師と面談。
今後のこと、ケースワーカー氏がアドバイス。
双ヶ丘病院を最後の病院として、それまでの策を考える。
なにかと、死にいたる手続きだけに、気が重い。
身内ってこと、意識してしまう昨今です。

月記となっているこの場所。
最近、日記体のこういう文が書きずらい。
もちろん、ほかのまじめな文章も、書きずらい。
ちょっとイライラっとしてくるのです。
そういう時期、波の最中なのかも知れない。
といいながら、もう64歳となっている自分。
なんとも、いえない昨今です。

このまえ、7月24日、小浜へ塩をつくりに行って、写真を撮ってもらった。

-7-
この夏は、気を病むことが多い夏です。

第一に父の介護。
今年5月22日に脳出血が発症、3カ月がたちました。
脳専門のシミズ病院へ運ばれて入院1か月。
そこから民医連中央病院へ転院40日。
そして8月13日に上京病院へ転院となりました。
この28日には双ヶ丘病院への受け入れが決まった。
このことが、いちばんの出来事です。

夏、今年も、祇園祭り、地蔵盆、送り火、そうして、いま。
琵琶湖の花火大会を、見に行った。
祇園祭りは、山鉾巡行を四条烏丸で見ました。
夜には、幸い、神幸祭を取材しました。
こうして、もたもた、夏が終わっていきます。

あまり、作業が進まない。
夏の暑さ、猛暑日、熱帯夜、それが影響しているのかも。
まあ、あんまり焦っても、しやないなぁ。
そんな気持ちにもなっているところです。
もう、なにもかも、いいじゃないですか。
いまさら、怒っても、悔やんでも、どうなるものでもない。
なりゆき任せでいいのでは。

-8-
昨日、8月28日、双岡病院へ入りました。
入院手続きを終え、今日は二日目。
今日は日曜日だから、家庭裁判所へは、明日。
保護者申請をする?
診断書には、出血性認知症とか、書いてあった。
それで、本人が法的行為ができないから、代理人。
いろいろ、知ることが多いです。

今日も、自転車で、病院まで、行って帰ってきました。
も45年も前、高校が嵯峨野だったから、そのへん土地勘あります。
帰り、妙心寺の丸太町側で、池垣って家、確認しました。
ひょっとしたら、まだあるかも、記憶をたどっていきました。
あったけど、誰が住んでるのかな。
池垣先生は国語の先生、あくろう、悪郎ってあだ名。
なんか、家へ入り浸ってた。
東京オリンピックのテレビ映像、そこで見てた。

この話は、近況というより、そのころの内容ですね。
双岡病院は、精神科の病院、そのイメージがあるんです。
でも、設備というか、環境いいですよ。
病室、明るい、看護師さんなんかも、親切です。
こころ救われる感じがします。
ターミナルケア、終の棲家。
マザーテレサの死を待つ人の家。
その、気分って、いま、なんとなくわかります。

-9-
9月になって、涼しくなると思ったら、今年は残暑厳しい。
35度を超える猛暑日、25度を下回らない熱帯夜が続いています。
なんか、地球温暖化が、加速してるということでしょうね。

命、人間の命について、いろいろと思うことが多いです。
高齢の父を抱えて、病院に預けて、顔を見に行くだけ。
それでも、親子のつながりで、それでよい。

今年は、国勢調査の年にあたっていて、その調査員になった。
町会長に当選した流れで、そのように任命された。
なにかと煩雑、というより手間がかかる。
9月中旬から、10月中旬まで、用事が多い。

昨日、今日とアルバムを作っています。
ニコンのピクチャータウン、2010年、今年撮影の写真。
なにしてることかと、自分でも、説明がつかない日々。
これが、生きてる証拠、ハンドルネームでは、物足らないけど。

-10-
9月中旬、かなり涼しくなってきた感じですが、暑い。
なんか、地球が異変してる。
昨日、さんまの寿司を買ってきた。
四切れで約400円、かなり高価なにぎりずし。
さんまが、捕れないらしい。
昨年は一匹100円、今年は400円前後。

そういえば、イカだって、日本海、金沢近郊の海、捕れてない。
なにかしら、魚場が、移動してるらしい。
海水の温度とか、クラゲとか、いろいろな事態があるみたい。
ひとつひとつ、関心ごとのように書いているけど。
ぼく自身、いま、そんなこと、関心の中心ではありません。
関心の中心でなければ、なにが中心なのか。

なにが中心なのかと問われてもぉ。
明確に答えられないじゃないですかぁ。
いやいや、明確に答えるには、ちょっとお恥ずかしい。
食べるモノのこと&セクシュアルなこと、このふたつですけど。
いずれも生存に欠かせない、いやはや後者は人類存続。
生命を維持していく基本でありかる重要なことなのです。

老いていくということ。
これって、関心ごとですけど、食べること、生殖すること。
二大関心ごと、動物として生存するための、条件です。
これが、老いということで、変化していくということ。
これ、食べ物については、語ること、できます。
でも、生殖のこと、なかなか、論ずるの難しいですね。

-11-
昨日2010年10月1日は、北野天満宮のずいき祭りでした。
ずいき祭りに、特別の思い入れがあるわけではないけれど、取材に行った。
北野天満宮、なにかしら、記憶に残るスポットなんです。

その第一は、もう60年近く前、小学校にあがるまで、壬生にいたころの話。
父に連れられて、北野天満宮の縁日に来た。
御前通りをあがっていって、そのままいけば、祖母の家。
そこへ行くのかといえば、今日はそこへは行かないと言った。
その後、小学校にあがるとき、その地へ引っ越してきた。
現在も居住の地、ぼくが生まれた生誕地、いまはない家屋があった。

その第二は、子供のころの遊び場として、北野天満宮の参道界隈。
毎月25日には、縁日で、おこずかいをもらって、遊びに行った。
コルク玉の射的、見世物小屋、口上語って品物を売る男。
食べ物では、お好み焼き、串カツ。
小学校の4年か5年のころ、母が露店を出しだした。
お正月、25日の縁日、参道中ほどの鳥居の近く、西側。
その場所が母の店がある場所でした。

中学生になると、天満宮の記憶は薄れて、千本今出川から中立売の記憶へ。
千本は繁華街、映画館とか、喫茶店とか、飲食店があった。
今もあります、その痕跡、そこを訪ねて写真を撮っている。
この話は、別途、書くことにして、北野天満宮。
ぼくの<京都>の中心スポットであるわけです。
掲載の写真は、2010.10.1撮影、ずいき祭りの行列。

-12-
ここで物語をつくるつもりは毛頭ないけれど。
語ること、書くことが、まるで物語なのです。
そのように思えてくるんです。

10月30日、土曜日の今日。
朝から、金沢発、高速道路つかって、京都へ戻ってきた。
妻が、左太ももの骨を折って、浅ノ川病院に入院している。

それは10月14日の午前10時半ごろのことです。
それから、今日まで、もう二週間以上が過ぎてしまった。
なにかまだ、現実の実感が、わかないんです。

ここで、日記を書き、過去を語ろうとの思いがあります。
なにから書こうかと、思う。
そうなのです、結婚40年が過ぎた。

愛情、そりゃそうゆう感情のものです。
怪我とはいえ、入院ですから、心配します。
いっしょに生活していたわけだから、困ります。

アクシデント、父が双岡病院に入院中。
妻が、金沢にて入院中。
ぼくは、アクシデントに見舞われている。

今日は、光影会の例会、久々に参加させていただいた。
写真って、なんなんでしょうね。
写真を介して、ともだちつきあい、なのでしょうね。

明日はグランドゴルフ大会とかで、参加します。
初めての参加で、老人入りを認めてあげます。
地域にもなじんで、京都の写真集を作っていきます。

愛と癒しの
むくむく叢書のご案内
_20181021_145326
もたもた
1~10 2009.10.20~2010.1.13

-1-
この写真は、前に持っていたカメラで撮ったんですけど。
おととい、新しいカメラを買ってもらいました。
キャノンG11って機種で、最新バージョン、値段も総計6万円少し。
かなりのことができるのか、一昨日、昨日と、ためし撮り。
露出補正も、あんましいらないようにも思えます。
なにより、カメラになじまないと、あかんから、ね。
ちょうど、撮影中断してたとこだから、ちょっと戸惑ってるけど。
あさってには、時代祭りをちょこっと撮りにいこうかな。
そんな日々です。

-2-
11月にはいって、もたもた、もっともたもた。
スピードをおとして、ゆっくり、いこう、と思っています。
パソコンを導入して6年が過ぎた。
10月からこのブログのビッグローブに、契約を変えました。
11月になって、部屋を移動しました。
2年前の夏、煙草をやめるとき、部屋を和室に移したんです。
それを、もとの書斎らしき部屋に戻したところです。
なにかと、区切りをしないと、だらだら、続き。
いつの間にか、浦島太郎、その気持ちにならないために。
久しぶりに、今日は、まともなブログを書いています。

-3-
11月中旬になって、紅葉の様子を見に、金閣寺から鏡石。
しょうざんから千束。
きつい坂あがって、鷹ヶ峰の光悦寺から常照寺へ。
とお定まりのコースを歩いて、それなりに写真を撮りました。
これは11月16日、月曜日のことです。
それから、昨日、11月17日は、大阪、西成、釜ヶ崎。
来年の4月22日、連帯フェスタのブースで、展示する写真を制作のため。
炊き出しを中心にまとめる。
I氏が収監される直前ということで、けっこう、急いでる自分。
それから、埋立地の舞洲、まいはまってよむんやろか?
そこに市立で自立支援センターってのがあって、そこの周りで写真を撮った。
なんか、雨降りで、うっとおしくって、ゆううつ、そのもの。
そんなこんなで、もたもた、今日は、午後から、金沢行きです。
旧友のはなしは、またの機会にします。

-4-
この一週間は、けっこう多忙でした。
訃報もあり、気持ちが沈む。

18日(水)の午後から、金沢へ出かけ、20日(金)帰宅。
翌21日は、KBSの秋の収穫祭取材、夜には光影会例会。
一日おいて昨日、23日は孫の七五三詣りに与謝野町まで。
帰ってきたら岡田さんから留守電、山村国夫さんが亡くなられた。
大八木さんに電話して、例会の時の件も話して、少し落ち着いた。

-5-
11月のおわり。
あっけない感じで、終わっていきます。
なんか、言葉を忘れたカナリア、いやいや老木ってとこか。
自分のことです。

紅葉の季節、撮影は数回、この写真は北野天満宮の紅葉。
京都撮影も一段落つけた感じで、撮らない日が多くなりました。

来年4月の連帯フェスタ用、釜ヶ崎の炊き出しの写真。
30年前のと、今年のとを、展示します。
ぷらす状況説明ってところでしょうか。

気持ちが落ち込んでるって感じが否めません。
収穫祭の取材が終わり、これから園部方面の取材など、気分が乗りません。
乗らない時には、無理せんほうがいいんだと思うけど。
そうとばかりも言っていられない。
2009年11月が終わります。

-6-
2009年12月。
終わって始まっていく。
あえて意識的にいえば、終わりにして、始めよう。
何を終えるのかといえば、自給ネットに関すること。
それから、ブログの整理、規模の縮小。
そんなことを、具体的に、するべき。

ここを、せんせ、つまりぼくの公式ブログとしていきます。
これまでのヤフーから、ビックローブに変更したから。
としても、2003年秋から6年が経っての変化です。
もたもた、なにか締まりがない。
だらだら、年のせいかも。
すっきりしない。
体力の減退が、行動にもあらわれ、無理をさけるようになった。

-7-
12月も10日になって、師走中盤になります。
ぼくは、いまや、ゆうゆうだから、のんびり。
とはいいながら、のんびりしてると、さみしい。
人と人の関係が、わづらわしいけど、なつかしい。
世の中で、世捨て人になったわけではないんです。
ホームレスには、ならなくてもよかった。
家もあれば家族もある。
粗食ながら、食べていけるだけの年金もある。
まあ、逃げきってきた。
だから、もう、わづらわしいことは、お断り。
ともいえない、このご時世であります。

-8-
12月26日、クリスマスも終わって、いよいよ終わり。
大晦日を迎えるだけ。
あっちもこっちも、今年1年の振り返りばかり。
ここでも、そうすることにしてみると。
これ、もたもた、のシリーズを始めた。

京都取材が終わった。
農関係も終わろうかな、と思った。
そうして、あらたな年を迎える。
来年64歳になるってゆうから、年寄り。

京都写真学校は6年目に入っています。
10年は継続、そのころには後継者さん、いてほしい。
あっとゆう間の5年間でした。

最近は、まとまった文章が書けなくなった。
起承転結の文章のこと。
もちろん、以前にも、これはなかった雑文でした。

終わって始まる、そんな日が今日なのかも。
うん、終わって、始めよう。
なにを始めるかは、わからないですが。

-9-
2010年、新年にあたって
あけましておめでとうございます。

西暦2010年の幕開けです。
新しい年への、期待のファンファーレが響きます。
もう暗い話はよしにして、明るい話で盛りあげましょう。
ことしも、よろしく、おねがいいたします。

-10-
タイトルをつけるのが苦手なので、日付にします。
これまでだと、京都何々ってゆう名称でしたけど。
京都の取材を、実質、終了したから。
今年は2010年、それを日付で連載します。

部屋にこもっていると、憂鬱ですね。
他者との交流がないとゆうのは、むなしいですね。
どちらかといえば、交流が少ない自分なので。
性格だと思うから、仕方がありません。

さて、ほんと、2010年って、へんな気持です。
身の回り、パッとしたこともなく、父の介護の件で浮きません。
63歳から64歳になってしまう自分の年齢。
自分が逝きそうなのに、父の介護とは、辛いですね。

あんまし、暗いことを言ってるのも、せいないです。
だから、なるべく、明るくふるまっていこうと思う。
つまり、フィクション、しちゃえってことか。
太宰生誕100年って、今年のことかなぁ。

徒然日記・雑記帳「愛と癒しの-4-」
むくむく叢書のご案内
_20181002_133057
愛と癒しの-4-
  27~33 2013.5.29~2013.7.8

-27-
もう梅雨になってしまいました。
早いもんで、もう一年の半分が過ぎる。
なにかしら、年と共に早く過ぎる気がします。
もっとゆっくりと、時よ、過ぎてくれよぉ。
なんてことつぶやいて、日々を過ごしています。

パソコンに入れた映画音楽集。
昔聴いた音楽「鉄道員」の最後のところの。
人の声が入ってるサントラ盤です。
めちゃくちゃ懐かしい、胸が締まる。
何度見に行ったのだろうか。
高校生の時、1960年代半ばですかね。

祇園会館とか美松大劇場とか洋画の映画館。
ひとりで見に行くことが多かった。
思い出すんです、そのときの心、自分の心を。
いやあ、なんてゆうんでしょ、青春、青い春。
ほんとに青かった、まだ熟していなくて青い実。
そのころに出した詩集が手元にある。

それらの日々から50年、半世紀がたった。
じぶんのなかの時間、じぶんのなかの記憶。
新丸太町通りを西から東へ走ってきて。
双ヶ岡の手前に「まつもと」ってスーパーが。
そこで彼女とふたりで買い物をする。
生活するための食料品ほか、でした。

かわればかわるもんですね。
かって畑やったところが住宅街に。
嵐電の踏切なんて、車が渋滞するくらい。
かっての姿を脳裏に描いて、繋ぎます。
生きてる証拠、記憶、それを懐かしむ。

-28-
朝からパソコンの前に座って何してる?
外とのコミュニケーション、メール、フェースブック。
写真の整理、ブログに記事を書く。
これに音楽を聴く、が加わります。
スマートフォンを使わないからパソコンだけど。
スマホを使ってる人は、スマホですね。

阪急電車に乗って大阪の方へ行くけど。
かってなら文庫本を読む人がいまやスマホ。
ぼくは、電車のなかでは、何もしません。
眠っていません。
子供みたい、窓の外、見れたら見ています。
携帯を持ってるけど、家族との連絡だけ。

なにかめまぐるしく変わっていきます。
変わり方に、気持ちがついていけません。
いまやってることが、古臭い、うとん臭い。
なにやっても老人がやってることだからダサイ。
見よう見まねでブログしたりホムペしたり。
もうやめようかしら、こんな気持ちになるのなら。

等伯って小説、読みえ終えた。
久々の書籍、本の活字を眼で見て読んだ。
おおむねその時代の事が頭にあったから読めた。
深い処は読めてないけど、等伯という人。
そこに出てくる本法寺は、ぼくの菩提寺になります。
そこに眠ることになる予定です。

ベートーベンの交響曲が終わった。
エグモントが始まっています。
あまりなじみがない曲ですけど曲名は知ってる。
これは西洋音楽、日本の音楽って、あまり聞かないですね。
最近になって、日本文化ってのを意識しだしたけど。
ぼくの生活文化って、欧米文化そのものですね。
なんてこった。

-29-
今日はブラームスのシンフォニーを聴いています。
小澤征爾指揮、演奏はサイトウキネンオーケストラ。
一番から順番に聴いていて、いま四番です。
ブラームスのシンフォニーは聴いたことなかった。
ブラームスといえばハンガリー舞曲第五番とか。
いま、これに切り替えて聴きだしました。

まえにも書いたかも知れませんが、ブラームス。
ハンガリー舞曲は中学生で聴いた音楽です。
旋律が、なんともいえない、胸を締めつけてくる。
きっと中学生の多感な感情を思い出すからかも。
いま、この年齢で初めて聴いて、感動するかしら?
舞曲といえばスラブ舞曲ってのもありますね。

スラブ舞曲はドヴォルザーク作曲ですね。
ドヴォルザークといえば新世界ですね。
新世界といえば大阪通天閣、なんて(笑)
音楽に耳を傾けて、時間を過ごす。
この世のものがすべて美しく思える。
見るモノ見るモノ、美しく感動します。

スラブ舞曲の第二番が聞こえています。
もの悲しいといえばいいんでしょうか。
ポルカみたいな感じにも思えるけど。
音のイメージってなんなんでしょうね。
言葉じゃなくて、音に感じる感覚。
音楽って、理屈じゃなくて、いいですね。

-30-
もたもたとパソコンで作業をしています。
中川繁夫寫眞集 なるHPを作っています。
たまたまみかけたただでつくれるHP。
まあ、ただにはただの理由があると思うけど。
ぼくが作っているHPはすべて無料で作っています。

民放ただで見てるようなもので、コマーシャル入り。
放送に関してはクレームつけないのに、HPについては。
ただのHPねぇ、なんてクレームをつけられちゃう。
それにしてもそのHP、ぼくらの世代ではまだ認知されない。
60代の後半だから、若いうちの経験のなかに含まれてない。

なんだか、あっちいったりこっちへきたり。
いま、ベートーベンの交響曲第二番です。
中学生とか高校の時に聴きなれてないから。
感情が動いてきません。
五番の運命なんか、こころ揺すられるのに、ね。

音楽は、ぼくにとっての癒しなのか。
音楽といっても、むかし聴いた音楽を聴き直すこと。
昔の記憶を呼び起こし、その光景を思い出す。
年をとって、先が短くなった証拠なのかも。
これからのテーマは、老いを見つめる、です。

-31-
今日は雨、梅雨の雨、恵みの雨。
一日中家の中にいてパソコンに向かっています。
スピーカーからは「運命」ベートーベンの第五番です。
第五番になって、この愛と癒しのを開いた。
じゃじゃじゃじゃあん、そうして第一楽章が終わった。
第二楽章は、切ない、こころ揺すられる。
眠たくなるような旋律、ぼくの場合です。

今日は雨、パソコンの画面見つめて、目が疲れてる。
なんか失明してしまう恐怖にさいなまれます。
中学生のときに、千円で買った25センチのLPレコード。
それが運命でした。
小型のレコードプレーヤーにレコードのせて。
33回転するレコード、78回転のSPでなく45回転でもなく。
なんか時代の先端にいるように思えた中学生。

そういえば、先週、中学の同窓会の打ち合わせ。
幹事に選んでもらえて、幹事をすることに。
地元の写真も撮っていることだから、それも含め。
これからの残りは、ちまちまと、地元志向かな。
生まれて育って、ふるさとは、今いるところです。
ホルンの音って、ぐっときますね、第三楽章。
中学の同期で三人が阪急音楽隊に行った。

-32-
6月がもう終わりになる。
お正月から半年がたったことになる。
どうしたことか、早すぎる、過ぎるのが。
この速さ感覚って、けっこうダメージです。
もう残り少ないのに、こんなに早く、なんて。
こんなこと言っていても仕方がない。

なによりも落ち込むのは、新しくないから。
新しいというか、前向く力というか。
新しい展開ができないいらだちみたいなもの。
年齢にともなう想像力の欠如なのかも。
新しいことを手掛けていないことに気付く。
なんやかやとチャレンジしてたのに。

ここは愛と癒しのブログです。
この言葉を見て、書いて、こころが癒される。
なんとなくほっとした気分になる。
愛と癒し、なんか、誰かに叱られそうですけど。
からだとこころに、潤いがほしいのでしょう。
年と共にからだが萎えてくるから、ね。

-33-
夏が来た。
とっても暑い部屋。
温度は35度をこえている。
外気温だってそれくらいだろう。
京都の夏、暑い日々。
今日は家にいます。

パソコンのある部屋は西側。
だかが午後になると暑くなる。
部分的にトタン屋根だからなお暑い。
暑い暑いといっていても仕方がない。
暑いのを承知でクーラーを入れていない。
入れてしまうと入れたくなるから。

毎年、夏は作業効率が落ちます。
なので目標を定めてそれに向かう。
たばこをやめはじめたのは夏前。
ダイエットしだしたのも夏前。
そうして毎年、夏を越してきた。
さて、今年は、なにも目標がない。

写真を撮るのも、ひと区切りな感じ。
2007年から始めた京都取材もこの夏はなし。
ひと区切りついた感がします。
フィルムのスキャンも中だるみ状態。
白虎社の途中でストップしている。
なにかにつけて中途半端なことだ。

この章おわり

このページのトップヘ