中川シゲオ写文集

中川シゲオの写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2018年11月

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むくむく通信 VOL 007

2005年秋号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2005年11月1日発行
新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
生活情報・アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々
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季刊むくむく通信 2005年秋号
目次
むくむく通信社の主張
記事1 農-食べること-
記事2 京都地域文化研究(1)
記事3 通信と通学で学べる写真学校
記事4 お勧め NPO法人彩都メディア図書館
記事5 食と農-赤熊自然農園-
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むくむく通信社の主張
もう一つの生活圏へ

  

世の中の中心となる大きな流れは、グローバル化です。
グローバル化とは何かというと、アメリカの経済的世界統一。
郵政民営化なんてやってますが、この流れに乗り遅れるな、です。
もうその流れを止めることはできないのかな?
ボクはもう止めることは出来ない、との悲観派です。
この大きなグローバル化していく世界が、中心となる生活圏(公共圏)となる。

そこで、ボクのできることは何か、と考えるのです。
戦争は根源から反対ですから、武器を持たないで抵抗する方法です。
それは生産手段を手に入れることです。
食料の自給、貨幣経済から遊離させたところでの、食料自給自足。
もう最後に残された抵抗だと考えています。
この小さな食料自給自足を成熟させる世界が、目下の生活圏(非公共圏)となります。

グローバル化がもたらす個人が不幸になる諸現象。
目覚めた個人が自衛することでしか、対抗手段がないですね。
幸福を手に入れる、心の充実、心の開放、これが幸福の根底です。
その一つが食料の生産を手に入れること、自給自足です。
抵抗軸は、ここが原点、ここからしか始まらないように思っています。
具体的な作業は、まだまだこれからとの感がありますが、
食と農とアートを考えるベースとしたいものです。
2005.8.31 nakagawa shigeo

  

記事1 農-食べること-
お米と野菜を作る
<生産手段を手に入れる>

グローバル化する世界に対抗する手段として、生産手段を手に入れることを提唱しています。
ここでは、農作物の生産です。主食となる米、副食となる野菜。
あたらしい共同体を必要としている現在です。
ここ、京都農塾では、京都、大阪から集まった塾生が、共同して生産しています。


 

 
2005.8&9のお米と野菜そして共同作業 於:京都農塾

<生産と消費>というとき、この社会では、お金(貨幣)が介在することを前提とします。
このお金を得るためには、ふつうは賃金労働をしなければならないんですね。
この賃金労働の対価として得るお金の量、つまり所得が減少していく傾向にあります。
ということで、お金を使わない方向で、食料とか生活必需品を手に入れることで、収支を合わせる。

そこで、生きることの自衛手段として、自ら生産することを考えていきます。
一人でできないところも、共同でならできる、と考えます。
ここに自給自足する共同体構想が生まれてきます。
あらためて、新しい共同体を生み出すための試みをするグループが出来つつあります。

記事2 地域文化研究

京都地域文化研究(1)

グローバル化する世界に対してローカル化の方向をめざします。
むくむく通信社は、京都を本拠地として情報を発信しています。
ローカルな地域情報を発信していくことで、地域文化と個人の内面を見つめ、安定させようと試みます。

京都地域文化研究の目的と研究範囲を、次のように想定します。
(1)京都の文化ルーツと心のグローバルネットワークを探ります。
(2)京都地域の食文化とローカルネットワークを探ります。
文化は心をつくります。食文化は身体をつくります。
古くて新しい人間関係の像を探索していきます。
主宰:中川繁夫

  

  
北野天満宮にて 2005.7.25 photo by nakagawa shigeo

北野天満宮は通称「天神さん」、京都の北西に位置する神社です。
ここは、門前町の原形として、この地域を造ってきた天神信仰のメッカです。
菅原道真が冤罪にて大宰府へ流罪となった後、京に疫病が蔓延し災害が多発したといいます。
これを鎮めるために造られたのが、この北野天満宮です。
庶民信仰の中心として参拝者も多く、門前に市が形成されてきます。

記事3 通信と通学で学べる京都写真学校

あい写真学校と写真ワークショップ京都

京都を拠点とした新しいタイプの写真学校が誕生しています。
あい写真学校は通信制、写真ワークショップ京都は通学制。
インターネットの利便性を使いこなしていく通信制の写真学校と従前の学ぶ現場を持った通学制の写真学校。
あい写真学校と写真ワークショップ京都、あわせて京都写真学校です。


 
写真ワークショップ京都 2005.8のテクニカルとゼミの風景

<写真専門のギャラリーが運営する写真学校>
あい写真学校と写真ワークショップ京都の運営母体は、ギャラリー・DOTです。
ギャラリー・DOT は、オリジナル・プリントを扱う老舗の写真専門ギャラリーです。
カリキュラムなどの企画は、フォトハウス京都(1984年設立・代表中川繁夫)が担当です。

デジタル写真が主流になってきた昨今の現状です。
これまでフィルム写真が培ってきた写真つくりのノウハウを持ったギャラリーが、
新しい時代の提案型ギャラリーとして開校させたのが、
通信と通学を兼ね備えた写真学校です。

写真発表の場が、ギャラリースペースからホームページへ移行していきます。
いま、ギャラリースペースの変容が必要となっています。
ちょうど100年前の1905年、ニューヨーク五番街に「291ギャラリー」がオープンしました。
開設者は、アルフレッド・ステーグリッツです。
「291」は、写真の時代を先駆けたギャラリーとして、高い評価がなされています。

学校は、教育の現場であると同時に研究機関でもあります。
ギャラリーが企画運営する、新しいタイプの写真学校です。
写真を愛好する人たちが増大するなかでの、デジタルを介在した写真の現場。
写真の可能性を、様々な観点から捉えて発信する現場です。

あい写真学校&写真ワークショップ京都は、個人参加型の共同学校です。
教え教えられる関係を、共同でつくりあげる写真表現分野に特化した学校です。
商業ベースに乗せることを追求する学校ではありません。
むしろ商業ベースを排除する方向での、共同運営をめざします。
2005.10.3 nakagawa shigeo

記事4 お勧め

NPO法人彩都メディア図書館


 

彩都メディア図書館は、大阪・千里の万博記念公園にあります。

NPO法人彩都メディア図書館には、写真、美術、デザインなどの書籍や資料が約2700冊。
1992年、写真図書館として開館、以来13年を迎えました。
2001年に現在地へ移転、NPO法人となりなりました。

フォトハウス京都の写真集等資料約3000点を寄託しております。
ボクは初代館長を5年間務め、IMI大学院スクールの初代事務局長として2002年まで仕事をしました。
そんな関係から、情報集積基地としてのお奨めスポットなんです。

NPO法人彩都メディア図書館が運営する「写真表現大学」は、写真を総合的に学ぶスクール。
同じ場所にある「IMI大学院スクール」は、芸術系大学院レベルの研究施設としてあります。
現代社会と未来が必要とする一つの領域が集積する場所として、注目に値します。
2005.10.8 中川繁夫記

記事5 食と農-赤熊自然農園-

赤熊自然農園

赤熊自然農園は、京都・亀岡にある農園です。
不耕起(耕さない)、肥料を施さない、水をやらないという、
自然農法で野菜を栽培されています。

野菜の生命力を最大限に発揮させてあげるには、この自然農法がよいといいます。
自然のままに成長する野菜は、野菜本来のおいしさを発揮してくれるといいます。


 

 

 

 

 
赤熊自然農園の所在地は、京都府亀岡市東本梅町赤熊西山口20

食と農を考える

おいしい食をつくる会

2005年8月27日、この赤熊自然農園で、車座交流会が開催されました。
<「食と農」をキーワードとする活動グループの立ち上げを考える会>
これから、この会を立ち上げようという前段での意見交換会です。


2005.8.27 準備会ミーティング
2005年10月20日
おいしい食をつくる会発足しました。

編集後記
この夏から秋にかけて、身辺があわただしくなってきたように思っています。
というのも、IMI大学院スクールのキャリアアドバイザーなんていう名刺を作ってもらったり、
びわこほっと・まるエコ塾の塾長さんになったり、またまたおいしい食をつくる会に参加させてもらったり・・・
総合文化研究所を立てて、HP作成準備から2年が過ぎたところです。
ボクの基本コンセプトが、そこに集約させていますが、生成と消滅の繰り返しのようです。

この季刊むくむ通信も第7号となりました。
編集期間中に起こるボクの興味や立ち振る舞いを中心にまとめています。

あい写真学校と写真ワークショップ京都が当面のベースとなります。
この写真学校を成熟させていくために、その周辺を配置していると考えています。
2005.10.8 nakagawa shigeo

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むくむく通信 VOL 006

2005年夏号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2005年7月1日発行
新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
生活情報・アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々
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季刊むくむく通信 2005年夏号
目次
むくむくの話題-まるエコねっとわーく-
記事1 びわこほっと、まるエコ塾の話題
記事2 京都農塾の田んぼ
記事3 写真ワークショップ京都の話題
記事4 ネットワークすること
記事5 
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むくむくの話題
まるエコねっとわーく

  

むくむく通信社創立から1年が経ちました。
新しい時代の到来を予測して、その方向を考え示すことを目的としているむくむく通信社です。
むくむく通信社の提案として、まるまるエコロジーのネットワークを創ろう。

まるエコとは、自然をまるごと生活の現場へ持ち込もうとの発想。
人間の自然的な要素を十分に生かす生活態度を考えようとの発想です。
そういう人と人とのネットワークを作ろう!

人が生きていくのに必要な条件は二つあると思っています。
一つは、食べることと生殖活動、生存のための本能です
二つは、知的生産活動、共同するための本能です。

この基本条件を、自然という器のなかで考える。
そうして自分の生活スタイルをその器のなかに創りだす。
そのための知恵を交換し、ネットワークしていく連帯運動です。

現代社会のなかに生活をする私たちです。
現代社会は人にとって、様々な場面で閉塞しています。
また、まるエコ生活をしていくためには様々な困難があります。
まるエコ生活は、こころの開放をもくろみます。
逃れることのできない現実からの逃避ではなく、知恵と工夫の生活アレンジです。

それぞれの人に社会的条件があるから、均一ではありません。
そのためにも自分のいる場所を知り、そこからの生活アレンジをしなければならない。
学びの場の学校、生産手段を手に入れる、情報を発信、交換し共有していく。
このサイクルの場作りが必要だと思っています。
2005.5.9 nakagawa shigeo

記事1
びわこほっと、まるエコ塾の話題


滋賀県が-みらい創造への提案-をしています。
その提案がまとめられたのが次の題目です。

「湖国まるごとエコ・ミュージアム」づくり
~自然・人・地域が輝く、暮らしや仕事のスタイル提案~

この提案の中に、「情報ボックス」プロジェクトがあり、
ここに「まるエコ塾」を作ろうという話題です。


 
びわこほっと探偵局平尾局長さん 2005.5.26

まるエコ塾には、写真や文章を学ぶアート塾と食べ物料理塾が計画されています。
この塾長に、むくむく通信社主宰者中川せんせが指名されました。
具体的な開塾は2006年4月と想定している現在(2005.5.30)です。

記事2
京都農塾の田んぼ

 

 
田植え風景 2005.5.14

開塾3年目の京都農塾(京都・園部)では、
有機肥料を使い、無農薬で野菜つくりと米つくりをしています。
田んぼは約1反(300坪、1000平方米)
銘柄はコシヒカリ
機械を使わないで手植えです。
収穫の秋には、手刈りで天日干しします。
まあ、脱穀以降は機械に頼りますが、中心は手作り。

体験学習で沢山の人力だからできるのですが、
現代人生活に慣れてしまった私たちでは、
手間ひまかけるお米つくりは重労働ですね。

今年は、別にオーナー制で1反の田んぼをしています。
こちらの方は、減農薬で機械作業でやっています。
田植え前に除草剤を入れているので、除草の手間が要らない。

化学肥料や農薬については、何かと議論があります。
流れのコンセンサスとして、有機無農薬栽培が注目ですが、
体験的に云うと、これは現代農法としては大変な作業です。
いきおい生産者が大量生産のために、
機械を使い、化学肥料や農薬を使うことも心情として理解します。

まるエコ関連で云うと、有機無農薬で機械に頼らないで野菜や米をつくる!
でも、このことを実践していくには、
社会・経済の仕組みを変えていくことが必要だなと思います。

 
京都農塾の田圃 左・オーナー田圃 右・共同田圃 2005.6.18

記事3
京都写真学校
写真ワークショップ京都が開校しました

4月10日、写真学校/写真ワークショップ京都が開校しました。
昨年(2004.10)プレ開校して、月1回のセミナーを開講してきましたが、
2005年4月10日、写真表現を学ぶ綜合プログラムをもって開校しました。


   

   

   

   
2005.4.10、写真ワークショップ京都開校。4月、5月、6月のWS風景

写真ワークショップ京都の総合ゼミ&ゼミの第一期入学者は9人です。
技術修得はテクニカルレクチャーでおこない、
総合ゼミ&ゼミは、自分の写真を撮るテーマを導き出すのが中心です。

いわば写真作家を養成するワークショップです。
写真のテーマは、写真以外の領域から写真を眺めることで導かれます。
これまで、「写真を学ぶ」ということは、写真を作る「技術を学ぶ」ことと同義でした。
この技術なくして写真は作れないですが、それだけでも不可なのです。

写真ワークショップ京都の総合ゼミ&ゼミでは、この不可であることを理解します。
そのうえで、自分の写真を作る作業を、模索します。
写真を作るための様々な分野の現代的テーマを知って、
そのうえで、自分にあったテーマを見つけ出す。
考え、感じる、知性と感性を自分のものとしていく作業なのです、

「自立する」といいますが、同時進行する「まるエコ塾」と同様、
自分を見つめ、自分を発見し、自分を生きるための共同作業なのです。
写真ワークショップ京都は、このように仮説を立てて、学んでいく学校だと思っています。
2005.6.15 nakagawa shigeo

記事4
ネットワークすること
<人と人が交流しネットワークすること>

新しい時代の新しい生き方を考え実践していく。
その目標となる気持は、
日々暮らしていて楽しい、充実している、夢と希望が持てる、
という気持ちになれることです。

これは論理やシステム優先の発想から、個人の感情優先の発想です。
個人の幸福を追求してきた近代から現代の政治や経済の枠組み。
それに物質優先で、科学優先の枠組み。
その結果としての現代の生活現場があります。

この現代の生活現場での不義に気づいたとき、
ここで提案します「ネットワークすること」の必要が、
わかるのではないかと思います。
アート的ネットワークたより
むくむく通信社グループでは、現在、
あい写真学校&写真ワークショップ京都が具体的に活動しています。
また、あい文学校が具体的な活動準備に入っています。


写真WS京都のゼミ風景 2005.6
農的ネットワークたより
むくむく通信社グループが関連するところでは、
京都農塾、まるエコ塾があります。


京都農塾の田植え風景 2005.5

記事5
身体を養うお百姓 心を養うアート
<お百姓すること、アートすること>

総合文化研究の枠組みでは、生産と消費、発信と交流、
この二つの領域二つの系を、総合して研究することとしています。
個人が自立する、そのためのプロセスです。

生産と消費のサイクルは、自分の食べ物を生産し消費します。
自給自足、地産地消、そのようなキャッチフレーズで流通しています。
このような考え方の背景には、いくつかの抵抗概念があります。

その大きな抵抗概念は、グローバル化し、エコノミック化していくことへの抵抗です。
そこで、あらためて個人とはなにか、個人の自立の必要性がテーマになるのです。
グローバル化、エコノミック化の未来予測に、資本の集中、生産手段の集中があります。

この未来予測では、個人がますます流動化し、根無し草のような不安と従属を強いられる。
抵抗概念とは、このことへの抵抗で、個人を安定させ自立させようとすることなのです。

その抵抗概念を、具体的に実践していくムーブメントが、
表題のお百姓すること、アートすることなのです。
この実践を個人レベルで捉えて、地域&ネットワーク共同体に成熟させる。
まあ、基本的には、このように考えているのです。

食料生産が個人の手を離れ、アグリ資本によって生産手段を独占されます。
アート作品が第二貨幣として経済システムに組み入れられています。
この現状と未来予測の中では、個人の自立と解放はありえず、
個人の、資本への従属が顕著になる。

もちろん、自立とはどんな状態を云うのかとか、個人がどうあるべきか、と云った議論が、
同時並行的に行われていかなければならないのですが・・・

総合文化研究所では、カフェ&プレスの場を設定します。
カフェ&プレスとは、地域&ネットワーク共同体の中心となる場の概念です。
自立した個人が、生産に携わり、消費し、そんな情報を発信し交流する場。
このような機能を持った場を生成していこうと考えているのです。

ヒトには、身体と心が共存してあります。
自立する個人に必要なことが、お百姓をし、アートすることだと思うのです。
2005.6.20 shigeo nakagawa

編集後記
むくむく通信第6号です。この6号編集中に、写真学校/写真ワークショップ京都が開校し、
まるエコ広場がオープンし(7月9日)、その枠に「まるエコ塾」が開かれる。
いずれも学校機能なのです。
むくむく通信社の母体・総合文化研究所の根幹にある学校概念。
これを具体的な形とした学校の枠が出来る。
もちろん成果は、参加される個人の自覚によって計られるわけです。
まだまだ始まったばかりのことなので、全く評価は今後になりますが、
その成熟過程を報告していきたい。

農作業の現場、アート作業の現場。
京都農塾では、お米作りが始まり、写真WS京都では、写真作りが始まった。
実感として、かなり早いスピードで、現場が立ち上がったと思っています。

むくむく通信、塾・学校、それらの論評を共同で、とは思いつつ個人ペースで行っていることが、
一番のネック、弊害になりつつあるような現状だと思いつつあります。
2005.6.20 中川繁夫

むくむく通信 VOL 005

2005年春号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫 2005年4月1日発行
むくむく通信は、新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
生活情報・アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々

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季刊むくむく通信 2005年春号
目次
むくむくの話題
記事1 京都農塾たより-05-
記事2 アートとはなにかということ-連載5-
記事3 通信と通学で学べる写真学校の話
記事4 京都地域文化研究所の設立
記事5 食と農園について 編集後記
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むくむくの話題
こんにちわ!むくむく通信社です

  

2005年の春です。この季刊むくむく通信も第5号となりました。
この第5号発行のころには、むくむく通信社設立一周年を迎えます。
まだ1年か~という感じと、もう1年か~という感じが入り混じっております。

巷では憲法改正や郵政民営化問題が論議されておりますし、
北朝鮮の拉致問題もその後の進展が見られないなかで、
北朝鮮は核保有していると宣言しましたし、
アメリカはブッシュ政権2期目に入りましたね。

むくむく通信社の話題では、
大きな問題にはなるべく触れないでおこうとの思いがあります。
むしろ無視していこうとさえ思っております。

というのも個人が生きていくことの充実感や幸福感を得ようと思うと、
大きな問題を無視することはできないんですけれど、
そこにリンクしても充実感や幸福感は得られないと考えるからです。

このむくむく通信社の設立目的は、
個人の自立、個人の生き方の模索、個人の幸福の追求・・・
まあ個人が主役になることを考え実践していくことなのです。

むしろ個人がそれぞれに自立することが大事だと思っています。
そりゃ戦争は反対です、絶対にいけません、この立場です。
でも反対!って言ってなくなることはないとの思いです。
直接運動というより間接運動として
個人がそれぞれ自分の生き方を模索し充実感や幸福感を得る
この方が空しさから脱却できる、とのい考えなのです。

個人の生活実践は、おおむね出来上がっていく大きな体制に反抗する。
そのようなことだと思っています。
その具体的な反抗の手法を編み出して生きたいと思ってます。
2005.2.16 nakagawa shigeo

記事1
京都農塾たより-05-


2005.1.15の農塾作業日風景
   

   

冬場の農作業は地味ですね。
収穫物も夏から秋のようにはいきませんね。
主には大根の収穫。
聖護院大根は丸大根、青首大根は長大根、それにかぶらを植付け収穫です。
白菜、キャベツはまだ収穫できない状態です。
ネットの中は水菜、ほうれん草、小松菜。

お昼は採れたて野菜と農塾米で大根粥と小豆粥をつくりました。
共同農園での共同生活です。


2005.2.19の農塾作業日風景
   

   


生産共同体の試み
ボクは京都農塾を生産することの共同体だと考えています。
経済の論理だけで営まれる生産と消費の人間関係ではなくて、
そこには貨幣経済を超える生産と消費の関係があるんです。

勿論、そうだといっても貨幣経済の真っ只中にありますから、
京都農塾の作業で使う道具や野菜の種やその他を購入することになります。
そういう意味では、通常に置かれている生産と消費サイクルから離れることはできません。

自分の食べるものは自分でつくる。
このことは、生産する手段を自分の手にいれることになります。
アグリビジネス、食料供給の寡占化、グローバル社会、資本の集中・・・
コレへの逆方向への流れを作り出しているのです。

これまでの歴史のなかで、いく度かの革命によって人の在り方が変わってきました。
フランス革命、ロシア革命・・・いつも人間解放をテーマにします。
人の意識の目覚めが社会からの抑圧を感じて、そこからの解放でした。
その時代の社会構造を突き崩す革命だったわけです。

21世紀のグローバリゼーションの抑圧を受ける人間の解放。
大きな革命なんて想定できないですけれど、足元から小さくです。
ひとり一人の現場が、生産の手段を手に入れて、
ネットワークしていくことで、革命を達成できるんじゃないですか、ね~。

記事2 
アートとはなにかということ-連載5-

  

いったいアートとはなんなのでしょうね。
このような問いかけをしながら論を進めてきていますが、
前回には、欲望と経済価値という枠を導きだしました。
そのポイントとして「経済価値からの逸脱を志向する」という仮説を立てました。

ヒトが生存するのは人間社会です。
現在の人間社会には、その基本に「生産と消費」があります。
この生産と消費を循環させることでヒトは生存していきます。
生産のための道具があり生産設備があり、流通システムがあり、消費します。
この循環のなかにヒトは生命を維持していくのですが、
この枠内に収まりきらないのがヒトの心です。

自分のなかに、見えない混沌としてかたちのないものが、湧き立ってくるときがあります。
生産と消費の世界から、あるとき見えない世界が湧き立ってきたとき、
ヒトはうろたえの気分をもって、不可視で不思議な世界があることを知ります。
でも、これは一瞬、またもとの生産と消費の世界へ戻ります。

心の奥底で波打ち混沌としている渦を明確なものにしたい。
このような想いが湧き立ってきます。
現代科学の枠では捉えきれない領域の感情を表出したい。
この衝動がアートの原形を創りだすものと考えています。

生産と消費のサイクルのことを経済と規定したうえで、
様々な生産物をこのサイクル上に乗せてランク付け価値の基準をつくります。
でも、もうお判りのようにこの基準では測れない心の衝動。
この衝動の表出を試みることが大切な営みだと考えています。

アートすることとは、この領域を意識し何らかの形に表出すること。
この結果、表出された形あるものがアート作品ということになります。
「アート」とは、このアートする行為と結果の総体をいえばいいと思います。

見えない混沌としてかたちのないもの。
この不思議なものに対して、見えて整然としたものに置き換える作業。
宗教の原理があり、芸術の原理があり、
この両者を生産と流通の世界に隣接させて置くことで、
この世はあたかも生存のための安定を得たかのようです。

宗教家はその時代の心の救済者です。
芸術家はその時代の心の救済者です。
これらのの庇護にもかかわらず、
自分の心の奥底の混沌を明確化したいと思う衝動に駆られたとき、
アートする行動が芽生えてくるのです。

心の奥底の混沌状態は情動と欲情として自分の身体を揺すります。
この揺すってくる情と欲を満たしていくために、手段と形式を選びます
すでにある形式を枠として、そこに自分の手段をもって埋め込んでいくのです。
アートとはこの全体であり、アートすることとは全体に向けたプロセスです。
nakagawa shigeo 2005.2.27

記事3 
通信と通学で学べる写真学校の話
あい写真学校&写真ワークショップ京都
☆☆☆
通信で学べる あい写真学校 通学で学べる 写真ワークショップ京都 

このふたつの写真学校のカリキュラムを相互リンクさせて、新しい写真学習の場をつくる。

この試みが、いよいよ2005年4月から始まります。

   
写真ワークショップ京都セミナー風景

初年度の今年は、写真ワークショップ京都では、5つのコースを用意しています。

(1)綜合ゼミ (2)ゼミ (3)特別ゼミ (4)セミナー (5)テクニカルレクチャーです。

通信制あい写真学校では、(1)通信本科と(2)通信セミナーの2つのコース。

これの全体をうまく融合させて、
デジタルネットワーク時代の新しい写真学校カリキュラムが出来ればいいと思っています。


写真や映像表現、それに小説や文学表現に、新しい潮流が起こっています。

プライベートなコミュニケーション・ツールとしての使い方。

表現の方法がプライベートであること。

このプライベート・私個人が前面に押し出された表現です。

デジタルネットワークが私個人の関係のあり方を変える。

新人類とでも云えばいいのかも知れませんね。

☆☆☆
自分の気持を相手に伝えるのに、手紙で数日かかった時代
部屋の中から、また公衆電話からで相互に会話した時代
そしていまや携帯電話、メール、写メールの時代

かって写真や文学は、ある種特殊で特別な表現手段でした
発表する場は、ギャラリーや同人雑誌とゆうお金と手間のかかる場でした。
いまや発表の場は、インターネットのホームページやブログです。
誰もが自分の発信ツールを手にすることができる時代です。

新しいコミュニケーションの方法を手に入れた世代は、
私個人のいる場所を従前とは違う場所に創りだす。
この従前とは違う場所、この場所をつくる、ふたつの写真学校です。

日常的な私個人的なまなざしで、写真や文章をやり取りしていく時代は、
私個人を枠付けていく機能が消失していく時代でもあると思います。
浮遊する私個人、これは自分の居場所がわからない感覚につながっています。
内側に閉じ込められてしまう空虚感を放出したい欲求。
この欲求放出のツールとして写真を捉えてみよう。

通信と現場が参加する私個人のニーズを、満たしていく場として機能していければ、
これは新しい学校として成功の部類に属するでしょう。

これから始まるのです。
ふたつの写真学校は、写真を学ぶ学校であると同時に、
私個人のことを知って、私個人を確認していく学校でもあるのです。
新しい時代の新しい人が、新しい方法を編み出して学ぶ。
このように思い考えています。
nakagawa shigeo 2005.3.7

記事4 
京都地域文化研究所の設立

むくむく通信社の母体、綜合文化研究所では、
文化研究と実践活動を結びつける研究を提案しています。

文化研究の分野は学校を併設していますが、
第三群社会科学系・文学、芸術、哲学、歴史の研究所として、
京都地域文化研究所が設立されました(2005.3.17)。

新しい世界の枠組みと個人の幸福感や充実感を考える綜合文化研究です。
私たちは、大きくは西欧、米国、東洋の三つの文化圏の東洋文化圏に位置しています。
この固有文化の集積地・京都を文化研究の中心とすることから、
私たちの目指す新しい世界の枠組みを模索したいと考えます。
地域の活性化でグローバリゼーションの波に抵抗しようとの試みでもあります。


    
写真取材地は、京都北部にある閻魔堂(1)、釘抜き地蔵(2)、北野天満宮(3~5)

京都は西暦794年遷都以来、1200年を越えて固有文化の歴史を育んできています。
大きな潮流として、グローバル化に対抗するように、
スローフード運動や地産地消運動が起こってきています。
地域活性化の試みも各所で起こってきています。
こうした大きな潮流のなかで、経済的活性化だけではなくて、
私たちの感情や情動を育む文化風土の見直し再発見も必要となっています。

流動化する私たちの心の基底をなす文化(地域文化)を捉えなおすことで、
私たちの心の定着と開放が為しえられるかも知れない、との想いがあります。

京都地域文化研究所は、京都に拠点を置くから京都文化研究です。
各地域に起こりつつある文化研究成果とネットワークしながら、
あらためて、芸術や宗教のあり方を研究していきたいと考えます。

京都地域文化を研究される研究員を募集しています。
もちろんコンセプトとしての研究だけにとどまるものではなくて、
個人の実践活動に直結する研究として捉えていきます。
2005.3.18 nakagawa shigeo

記事5 
食と農園について

人間の生存に必要なものの第一条件は食料の確保です。
それから住居と共同生活体が必要ですね。
人間社会が進化して、これからも進化し続けるとしても、
食料の確保は生存のための必要条件です。

現代は資本集中のグローバル化が進展している真っ最中です。
資本集中の途上にある世界経済構造です。
この流れが人間に何をもたらしていくかといえば、一層の欲求不満です。
あれも欲しい、これも欲しい、欲望は無限に増大していきます。
この欲望を手に入れようとして競争を生むのですが、
すでに過度の競争原理が人のこころを蝕んでいくように思います。

少数の勝者と大多数の敗者、そもそも勝者敗者とゆう捉え方のなかにあることで、
人の心は病む。
食べるものをつくる農園を手に入れるとゆうのが、
現実の競争からの逃避ではなくて、新たな人間の在り方をつくるものでありたい。

 

いま、新たな生産者組織が組まれ、連携しながら、生産と消費の形が出来てきています。
写真は、菊菜のハウス栽培をしている現場です。
「京都有機の会」のはたけです。

個人が自己防衛のために自家菜園をつくる。
これの発展形として、市場経済の中に拡大していく流通です。
生産者の反逆とゆうと大げさかな~
農産物・食料の生産者、専業者が自立しようとしているんです。

ここでは無農薬野菜を作っています。
無農薬で無理なら減農薬
消費者へ提供する際には、その野菜の農薬使用回数を表示します。
化学肥料や農薬を使った野菜、遺伝子を組み替えた野菜・・・
こんなのが主流になってきた食料生産の現場です。

自然のかたちに戻そう、これが現代の良心的なコンセプトですね。
食と農園のありかたを求める。
人間回復へのターニングポイントとして捉えることが求められてると思います。

自然環境を取り戻していく運動。
その一つとして野菜の生産と供給をしていく取り組みが、ここにあります。
なによりも個人が勝者敗者の枠組みを壊していくための試みに繋げて、
人間解放をめざしていく、なんかこれはニュー・ルネサンスですね~
nakagawa shigeo 2005.3.10

編集後記

季刊むくむく通信の第五号、2005年春号です。
ブログHPが手軽な発信ツールとして人気を呼んでいますこの1年です。
主宰者の中川も、この1年でブログに記事を1000本以上をアップしています。
だれでも簡単に自分を発信できる時代に突入しています。

この季刊むくむく通信を発信するホームページの所有者はFC2さんです。
無料で借りているなかで、発行しています。
ブログを提供している所有者は、一方で商用運営をしていて、
顧客誘致のためのサービスとして、所定の枠を提供しているわけです。

この現状を全く否定はしていません、これが現在の時代そのものです。
そこで戦略が始まるわけです、どこまでやっていけるかな?
管理される社会の典型のなかで、逆手にとった戦いでもあります。

時あたかも、ライブドアとニッポン放送の主導権騒動が、マスコミを通じて流れてきています。
インターネットと放送・出版が合流して、いっそうの巨大マーケットを確保するんでしょうね。

この大きな流れに対抗する、どこまで抵抗できるかです。
ある意味、悪の領域をも含め、人間の開放をもくろんでいきたいと考えています。

むくむく通信社グループ、本体は綜合文化研究所です。
大きな資本とメディア独占への対抗軸として、展開していきたいですね。

2005.3.18 nakagawa shigeo

☆☆☆

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むくむく通信 VOL 004
2004年冬号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2005年1月1日発行
新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
生活情報・アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他
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季刊むくむく通信 2004年冬号:目次

むくむくの話題
記事1 京都農塾たより-04-
記事2 アートとはなにかということ-連載4-
記事3 むくむくネットワーク
記事4 写真ワークショップ京都が開校しました
記事5 食と共同農園について

むくむくの話題

こんにちわ!むくむく通信社です。

  
自給自足のための食料、くり、くるみ、みょうが

最近のニュースでは、台風による被害、地震による被害があります。
京都府北部の由良川の氾濫がありましたし、
新潟県中越地震では土砂崩れによって、
車ごと生き埋めとなってしまわれた母子の悲惨なニュースがありました。

世界では、イラク、アラブ情勢が流動的、
イラク地域ではアメリカ軍を中心とした軍事作戦もなかなか思うようにいかないみたいですね。
イラクへは、名目はともあれ日本の自衛隊が派遣されていますね。
つまり日本は実質の参戦国なんですね。若い青年が犠牲になりました。

自然災害と人間災害。
台風や地震というのは人間の科学では、まだまだ手に負えない自然の姿です。
戦争というのは人間の意志ですから、手に負えます。
その気になれば戦争は無くすることができる災害です。

ひとり一人は無力なんですが、戦争を無くする方法を考えることが必要ですね。
ボクは無力なひとりですが、戦争はダメです、と宣言します。
そのためには何をすればいいのか?
何か有益なことをすれば戦争に加担する結果となります。
そうしたら当面は、無益なことをするか、何もしないか、ですかね~。

むくむく通信社は、何かをしています。
何をしているかといえば、情報を収集し発信しています。
そうすると発信する情報の内容が、無益となる情報であることですね。
でも究極これは不可能です、とすれば・・・・。
せめて害になること、背をむけるようなことをしていく!
さあ、ホントにそんなことができるかな~。
2004.11.10 nakagawa shigeo

記事1 
京都農塾たより-04-


京都農塾は京都・園部で共同作業で野菜とお米を作る学校です。

はたけでは有機肥料による無農薬栽培をしています。

個人が生産にたずさわる第一歩です。

春から始まった実習が半年を過ぎて、塾生の交流も盛んになってきました。

京都農塾作業日 2004.11.27
  

  

  
京都農塾は花盛り、共同作業はヒトとヒトのネットワークです。

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秋は収穫のときです。
この日の収穫は、九条ネギ、青首大根、サトイモ。
お昼ごはんは収穫祭!
メニューは、ここで採れたお米のご飯、
それに採れたて野菜の豚汁とお漬物。
2004年11月27日の作業日にて
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京都農塾作業日 2004.12.18
  

  

  
ジャガイモの収穫、お餅つき、人が集まり歓びを共有します。

--------------------------------------------
この日の収穫はジャガイモでした。
ほうれん草、みづ菜、小松菜の畝には、
寒冷裟をかけてあげて冬の寒さに備えました。
お餅を丸めて、みんなでお昼ごはんを食べました。
新しい人も加わってきましたね。
2004年12月18日の作業日にて
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記事2 
アートとはなにかということ-連載4-

  
写真ワークショップ京都のセミナー風景

アートの枠組みをどのように捉えるのか、というのがここでの主題です。
前回では、アートは経済システムに内在していますが、
ヒトのこころのはみ出し部分である、と仮説を立てました。

ヒトのこころのなかにある欲望といえばいいのでしょうか?
なにかやりたい!っていう行動するエネルギーがありますが、
このエネルギーとしての情動が根底にあるように思います。
このエネルギーは生きる力です。
生きる力は生産する力を生み出します。
その根本は、食物生産と子孫生産、つまり、食べることとセクスです。
この二つの欲望をからだが求めるのです。

この欲望を実現するために、知恵が働き、想像力が育まれます。
この想像力というもの、こころの働きです。
だから、アートというのは、欲望実現のこころが成せるものだと考えています。
アートとは、基本的にこのような性質をもつものですから、
ヒトの生涯における成熟過程で、だれもが持っている資質だと思うわけです。

でも、このような欲望があったとしても、この欲望をなにかの形にしなくては、
アートとしての形になりませんね、つまり表現の形です。
からだという道具を使う表現に、身振り手振りのパフォーマンス、声楽(歌)。
これは時間のなかに生成し時間のなかに消滅します。
からだの外に道具を求め、この道具を使ってなにかを作る。
この場合は、時間のなかに生成して、時間を超えて残ります。

このふたつ、時間のなかに生成し消滅するものと、消滅しないもの。
これが原形です。
太古の時代を想像してみます。
何かへの儀式でパフォーマンスをおこなう、踊りです。
それと洞窟などに描かれる痕跡、絵です。
いまだから「アート」という言葉を使っていますが、まだそんな言葉がなかったころです。
アートという言葉はなかったとしても、ヒトの欲望を満たす行為はあった。

その行為は、ヒトの進化とともに原形を保持しながら、
さまざまな工夫と技術が付加されて進化してきます。
パフォーマンスにおける化粧や衣装。
音を出す楽器。
絵を描く絵の具類。
さらにその欲望をとどめておく支持体、つまり紙とか舞台とか・・・

こうして外形は変化してきますが、その根底のヒトのこころの欲望は、
大きくは変わっていないと考えています。
ただ、新しい道具が開発されてきますし、世の中の仕組みが複雑になってきますから、
それに伴って、こころの欲望を紡ぎだす手段や方法や道具が多様化します。

現代、直近の例だと、デジタル技術の開発により、
この技術を応用して欲望を満たす手法が発生してきました。
としても、これは道具が変容しているだけで、根底は連続しています。

ヒトだれもが持っている欲望の発露の形としてのアート。
この欲望の発露に対して、経済システムが組み合わされることで、
アートの表層概念が作られてくるわけです。
つまり、アートの価値が経済価値の中に組み込まれ、イコールとなるんです。

ここで重要なポイントは、既存の経済価値から逸脱することを志向するとき、
アートの価値というものを、経済価値から切り離してしまうことだと、考えることです。
nakagawa shigeo 2004.12.11

記事3 
むくむくネットワーク

むくむくネットワークは人と人のネットワークです。

  

むくむく通信社では、
生産と消費、そして生活者のネットワークを考えています。
それらの情報を共有していくために
10月20日 ☆むくむく新聞☆ を創刊しました。


日刊むくむく新聞では、
生活に密着したブログを結んで情報ネットワークを創っています。
日々の生活情報は豊富です。
写真、文章日記、などを結んでいきましょう!
あなたのホームページをリンクしていきましょう。

これからの生活スタイルを考えていきましょう!
自然を愛する情報を発信しています。
2004.12.12 nakagawa shigeo

記事4 
写真ワークショップ京都が開校しました。


2004年10月10日、
写真学校/写真ワークショップ京都が開校しました。
開校場所は京都・下鴨にあるギャラリー・DOT。

写真ワークショップ京都では、毎月1回、セミナーを開催しています。
通信制あい写真学校が4月に開校しましたが、写真ワークショップ京都は通学制。
2005年4月からは、毎月1回開催されるセミナーに加え、
◎綜合ゼミ、◎特別ゼミ、◎ゼミ、◎テクニカルレクチャーの4講座が開講されます。

  
写真左:10月10日ガイダンス 写真右:10月24日第一回セミナー

   
4人のアドバイザー 左から ・里博文 ・石川大恵 ・岡田悦子 ・中川繁夫

京都に写真を学ぶ場所が必要だ。
写真ワークショップ京都の写真表現を学ぶカリキュラムは
写真表現の入り口から専門レベルまでをカバーする学校です。

写真ワークショップ京都は
1984年に活動を開始したフォトハウス京都(中川繁夫主宰)と
ギャラリー・DOT(岡田悦子主宰)が共同企画でリニューアルさせた写真学校です。

デジタルカメラが主流となってきた状況を鑑みて
フィルム写真のより高度な技術修得と理論
デジタル写真の将来的展望を論じながらの作品制作
このメディア再編の時期に的確な勉強ができるようにしていきたいと思います。

通信制あい写真学校と通学制写真ワークショップ京都
デジタルネットワークと現場を結んでのワークショップです。

2005年4月からのカリキュラムはそれを具体化したものです。
nakagawa shigeo 2004.12.16


記事5
食と共同農園について

食べることは、生きることの基本です。
自分の食べるものを自分で作りだすことを提案します。
つまり自分のための生産活動をする、ということです。
自分と自分たち、個人と共同体。
遠い関係じゃなくて、近い関係をつくりだしていきましょ!

  

  

食べるものって生きていくのにいちばん大切なものですよね。
この大切なものを自分たちの手で作り出すということが必要だと思うんです。

というのもぼくたちは消費者です。
生産は大きな資本の手に集約されていきつつあります。
地球規模で生産と流通システムが進んできていますし、
このままではいっそうの集約化が進んでいくのではないでしょうか。

生産の手段を自分の手に持つということは、
自分が自立するということの基本だと思うんです。

こんなこと言い出すと、
なにか難しいことを考えてるように思う人がいるかもしれません。
そんな人が悩んでいます「私のいる場所は何処?」なんて思ってますね。
私のいる場所を作り出すんです。
探していたって悩みが増すだけ、なんの解決にもなりません。

一生懸命働いてお金を稼いで生活してるんですけど、
食べるために働いてるみたいで
働いていることに歓びが見出せない、なんてね。

 

そこで提案
食べるものを作り出しましょ!
生産することを手がけだしましょ!
ひとりで出来ないなら共同でやりだしましょ!

生産すること、このことの提案なんです。
すでに生産することや消費のための流通のところで、
いろいろな試みがあります。
今年の春からいままでに、ぼくが知ったところでは、
京都農塾、NPO京都自給ネットワーク、るり渓やぎ農園
このようなグループがありますね。

ぼく自身はこの3年間自分で少しのはたけを耕してきました。
そこで分かってきたことが、個人でやるより共同でやるほうがいい!
このことなんです。

生産と消費のネットワークを自分たちで作り出すこと、
その関係のなかで自分の生活基盤を作り出すこと、
このように思いだしています。



先にいいました「自分のいる場所」を作り出すんです。
大きな資本に集約されていく中で「自分のいる場所」を探したって、
こころの深くまで満たされることはないと考えています。
つまり消費者であるかぎり「自分のいる場所」は見つからない。
生産することを自分のものにしていくことで「自分のいる場所」を作り出せる。
このような思いが強まってきて、いまは確信するようになりました。

少なくとも自分が生産と消費のサイクルに携わることで、
これまでよりは確かに「自分のいる場所」が確保できるように思えています。

むくむく通信社のコンセプトは、このことの情報を提供することだと思っています。
自分の食べるものを作り出すことを始めていきましょ~!
nakagawa shigeo 2004.12.28

120nojyuku20040005

むくむく通信 VOL 003

2004年秋号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2004年10月1日発行

新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々
 
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季刊むくむく通信 2004年秋号

目次
むくむくの話題
記事1 京都農塾たより-03-
記事2 アートとはなにかということ-連載3-
記事3 情報発信のはなし
記事4 お勧めスポット&人
記事5 食と農の話題

☆むくむくの話題☆
 こんにちわ!むくむく通信です。     

今年の夏から秋にかけての話題といえば
アテネで行われていたオリンピックでしょうか。
イラクで日々起こっているドンパチでしょうか。
台風と噴火と地震なんて自然現象でしょうか。
なにか物騒がしいこの頃やな~というのが実感ですね。

自然の現象と人間が作り出した現象があります。
自然現象への対処は災害対策を十分にしていくことです。
人間が作り出した現象っていうのは存続と廃棄があります。
オリンピックは存続、ドンパチは廃棄ですね。
戦争は絶対にいけません。
正義の戦いなんてありえません、全て悪です。

     
        ☆☆
むくむく通信社では情報発信の中心サイトとして
☆日刊むくむく新聞☆を置きました。

ブログHPが多くなってきて、個人が毎日、日記をつける感覚でHPを作る。
この傾向が顕著ですね。むくむく通信社関連のブログが12blogあります。
その中で「むくむく」と名のついたブログが2つあります。
日刊むくむく通信 むくむく通信社blog
 この2つのホームページに日々情報を発信しています。
 いずれも新しい生活のための情報を主な内容としています。

☆日刊むくむく通信では、最近は「苔の私日記」と題しての文章を連載しています。
 主宰者中川繁夫の文章作品として位置付けています。
☆むくむく通信社blogでは、こころ充実する暮らしへの提案をおこなっています。
 観点は、グローバル化する全体からローカル化への暮らしを志向しています。
☆むくむくにっきblogでは、新しい生活への提案をおこなっています。
 観点は、若い世代に充実したこころの未来を考えてもらう参考としてもらうこと。
 大きな中心文化への融合を拒否するた文化戦略との位置づけをしています。

☆むくむく通信社の発想は、ヒト個人の日々生活において
 充実感や幸福感に満ち満ちた日々を得ることにあります。
☆生きることの充実感や幸福感を創造していくことが、
 むくむく通信社の役割だと思っています。
 2004.9.10 nakagawa shigeo

記事1

京都農塾たより-03-

京都農塾は京都府船井郡園部町天引に農場があります。
農業法人京都ナチュラル・ファームが主宰しています。
はたけと田んぼは、有機無農薬栽培です。
京都市内から車で約90分、るり渓に近い里山です。
第二土曜日と第四土曜日が共同の作業日です。

京都農塾2004.9.4
 
お米を栽培しているんです。銘柄はコシヒカリです。
 
はたけの草引きと収穫の仕分けです。

稲刈り 2004.9.18
田んぼの稲穂が黄金色になりました。
先の台風で稲穂が倒れてしまいました。
この日は全家族が釜をもって稲を刈りました。

   

   

   

お米は主食、私たちの食の基本です。
稲の栽培と収穫はとってもいい体験となりますね~
夏場の汗だくだくの作業も少し涼しくなった秋の稲刈りも、
共同作業ですから喜びの気持ちがもういっぱいですね。
共同で食べものを生産することって生きていく充実そのものですね。
家族の絆が基本となって、知り合った家族同士が生産を共有する。
消費一辺倒生活から生産消費一体生活へ。
新しい時代の新しい人の生き方だと思います。
なによりも「からだとこころ」が共に喜ぶ自分を発見でしますね。
  nakagawa shigeo


記事2

アートとはなにかということ-連載3-

今回は、この世の中での、
アートという領域を考えてみまたいと思います。
この世の中といったとき、
この大きさは過去の歴史の全てを経てきて、
今ある人間世界のことです。

私たちはこの人間世界のことを、
いくつかのカテゴリーに分けて整理をしています。
概念上、その中心に政治・経済の領域をおいて、
その周辺にアート(芸術)領域と宗教領域をおきます。
ほんとうは単純に分類できることではないのですが、
このように単純化してみてみます。
するとアートと宗教という領域が明確になるかと思います。

中心が政治・経済の領域です。アートと宗教は、その外側にあるのではなくて、
政治・経済の領域に取り込まれるようにして、内在しています。
内在していますけれども、アートや宗教は政治・経済とは質の違うものなんだと考えます。

政治・経済というのはシステムです。
構造化された人間の関係です。
身体をもった人間の集団が国家を形成し、これがひとつの単位になって、
国内政治・経済が国際政治・経済と契約により関係を持つ。
これが近代社会のありようです。
この関係の根本原理を構成するものとして、貨幣というものが介在します。
人間集団である国家、その国家を構成する人間が国民、
その人間と人間をつなぐ貨幣というもの。
この国家、国民、貨幣、という三要素でもって、政治・経済の領域とします。

世に言うアートというのは、
貨幣経済に組み込まれてしまったアート領域の部分を言っています。
単純に言ったら、商品価値としてのアートです。
そしてアートはスキルと感性だといいます。
それを特別な枠に縛っていって、商品価値というものを作り出します。

ところでこのスキルと感性というものです。
スキルは技です、技術です、
これは形式化できます。
すると「感性」というのが、何を指すか、ということです。
感性とは、感じること、とでもしておきましょう。
この、感じることの感じ方の中味です。
この感じ方っていうのも、歴史的に培われてきたものだ、との考え方を認めます。
この感じることは「こころ」です。

人間社会のこの世の中の関係が、国家、国民、貨幣、そこにヒトのこころを含める。
でもこれで全てではないことは、直感としてもわかります。
つまりヒト個人のこころの部分の中味です。
この「こころ」に、どうもその領域に収まらない部分があるようなんです。
「こころ」といっても独立してあるわけではないですね。
これは歴史的に作られてきたというのが大筋の見方です。
でもボクは、この「こころ」の領域に、
そこからもはみ出してしまう部分があるように考えています。

アートというのは、このはみ出してしまう部分のこと、
という仮説をここで立てておきます。(未完) 
nakagawa shigeo

記事3
情報発信のはなし

個人が充足するために自分を発信する。
情報は共有され共通認識となる。
情報は世の人の好き嫌いや流行の流れを創り出す。

マスメディアに対するミニメディア論

   

個人が自分を表現するためのツールとして、
ひところは同人雑誌。
それから情報誌フリーペーパー。
いずれも紙媒体でした。
いまの主流はなんといってもホームページになります。

メディアというのは情報媒体のことです。
つい先ごろまでは、情報は一方的に送る側と受け取る側のワンパターンでした。
放送局、出版社、新聞社とありますが、公共の器として言論の中心です。
視聴者や読者が参加することで固定客を増やそうという流れが、
大きなメディアの一角を占めるようになりました。
視聴者参加型番組、読者参加型紙面です。
これマスコミの大衆路線ですね。

それとは別に、ミニコミ誌が登場してきます。
多くは1970年代、マスコミに対抗する手段としてのミニコミです。
資本に対抗するミニコミ。
このミニコミ誌を専門に扱うショップもありました。

それがこの10年、いや5年ですね。
電話回線を介してのオンラインでホームページ発信が登場してきました。
大手のプロバイザーが管理運営しますマスメディア的役割があります。
それと並行するように個人ホームページが立ち上がってきました。
ひところの放送局、出版社、新聞社のオフラインが、オンラインになって、
個人で放送局や出版社&新聞社的機能として、
使うことができるようになってきました。

これは見せかけのメディア開放なんですが、
そのことにはこだわらなければ、
誰もが自分のメディアを持つことができるようになったのです。

グローバル化の時代は、
かってあり今もある視聴者参加型、読者参加型マスメディアの
インターネットを利用した形への転換です
この「むくむく通信社」もその一環です。
でも、かってのミニコミの要素を持とうとしています。
これは何かというと、やはり体制批評、批判であると思います。
ここでやろうとしていることは、かってあったことの焼き直しです。
でも、ただ一点、違うところは、
体制批判の結果として対抗権力を目指さない。
個人の解放を別権力の中に求めない、ということでしょうか。
権力構造を解消する。
その方向性を求めていくためのミニメディアであろうとすることです。

いまやこのような論説さえ浮上しない時代なのかも知れません。
全てが管理される時代のミニメディアです。
ミニメディア自体が管理されてしまっているのです。
でも、これを嘆いたところで解決はしません。
利用するしかないんです。
それゆえに対抗手段としてのミニメディアも、
新しい戦略を要求されていますね。

こんなことはもう関係なしに、個人が自分情報を発信する時代です。
さまざまな個人の自分情報をネットワークしていきましょう!
nakagawa shigeo

記事4
お勧めスポット&人

  富樫さん夫婦の生きかた賛美


  
富樫卓和さんと伸子さん

海外赴任もあった会社人生活を終えて、ここ滋賀県湖西の山麓に住んで5年がたちました。
白を基調にした家屋とお庭は、5年をかけてのほとんど手作り。
お庭には花草木そして菜園。
自然人生活を楽しんでいますね~

   



ここにいたらいくら時間があっても足りないですね~と語る富樫さん、
富樫さんは1940年東北の遠野産です、子供のころに経験した農作業体験が、
自然に向けるまなざしとなって、今ここに居る、という感じですね、と語ります。
学生終えて就職で赴任したのが京都にある自動車工場でした。
この国が経済成長してきた真っ只中でのサラリーマン生活を終えて、
悠々自適の日々を過ごそうと思いました。
サウナ室と露天風呂を屋台ごと手作りしました大工さんですね。


今日はお庭を開放しての野外パーティーです。
   
富樫さん主宰の野外パーティーは2004年9月11日(土)に開かれました。

富樫さんは、京都農塾の塾生としてご夫婦で参加されていて、
農塾に参加する家族を招待しての野外パーティーでした。
テーブルに並べられた食べ物は手作りのものばかりです。
農塾で育てたお野菜ですから、生産からの手作りですね。
ただしバーベキューの食肉は、仕入れてきました、です。

(写真&記事:中川繁夫)

記事5
食と農 自給自足をめざして

自給自足をめざす!というのは一つのスローガンですね。
自分でつくって自分で食べるのは食料品。
主には農産物ということになります。

自給自足をめざすとき、その基本的な考えは、
この農産物を作り出すシステムを考えることかと思います。

自給自足といってもいくつかのレベルがあると考えています。
その第一は、自分が生存するための食料を自分で調達するというレベル。
これは仙人隠遁生活(笑)ですかね~
世捨て人的なイメージがついてきます。
この場合、たとえ食料が確保できたとしても、
生存に必要なものって食料だけじゃないですから、
食料以外の生活必需品をどうやって調達するか、ですね。
やはり、現代人には、貨幣経済のなかで部分自給自足しかできないと思います。

その第二は、共同で創りあげる自給自足体制です。
この共同体自給自足体制は、
いってみれば貨幣経済が未熟だったころの体制です。

でもそのころの体制っていうのは、封建制といってますように、
ヒト個人の尊厳とか幸福という考えなんて見かけませんね。
奴隷制みたいな体制でした。

21世紀に入った初頭の現在として、自給自足ということを捉えることは、
なにを意味するのでしょうね。この意味するものを紡ぎ出さないといけませんね。

そこで出てくるのが、現状と近未来の予測です。
ヒト個人が、このままの状態でいけば、どのような立場になるのかな~
この立場をイメージすることが必要だと思います。

ここでは、問題提起にとどめざるをえないのですが、
ヒト個人の主体が大きな全体に巻き込まれてしまってのロボット化。
まだ生命体そのものを生み出す技術は持っていませんが、
ロボット工学の進化は、別の生命体を生み出す予感がします。
人工知能と人工身体です。
新しい人類を超える生命を生み出す可能性ですね。
予感的にいえば、これを否定することができないです。

自給自足をめざす!ということの意味は、これだけじゃありません。
近視的にみれば、グローバル化の進展で生産手段が一元化する。
生産手段が一元化するということは、ヒト個人が一元管理されることを意味します。

ボク個人の感情として、これは困るんです。
そう感情の問題です。
感情の問題というのも時代と共に変化しますから、現時点での問題です。

そのように捉えると、自給自足をめざす!というのも、
21世紀初頭の現時点でのテーマかも知れません。
ヒトの現在的クローズアップされる問題ってあるじゃないですか。
たとえば、リストカットする少女。
登校拒否する少年少女。
社会制度への入り口にたったヒトが、なにか社会拒否する行動です。

現時点で、やはりこれは変な動向です、クローズアップされるべき問題です。
やっぱり、仕方が無いこととして容認するわけにはいきません。
これらの行動の背景に、感情があるように思われます。
この感情というものをどのように受け止めていくのか。
そのようなことにならない成長のあり方はないものか?

自給自足をめざす!という背景には、
このような社会現象を解決する糸口として捉える、捉え方をしています。

ここでのこれらの提案は、全く十分ではありません。
おぼろげに見えてきている、現象への対処法なのです。

nakagawa shigeo 2004.10.27


むくむく通信 VOL 002
2004年夏号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2004年7月1日発行
新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
生活情報・アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々

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季刊むくむく通信 2004年夏号 
目次
むくむくの話題
記事1 京都農塾たより-02-
記事2 アートとはなにかということ-連載2-
記事3 通信と通学で学べる写真・文学・農学校の話
記事4 お勧めスポット ギャラリー・DOT
記事5 食と農について

☆むくむくの話題☆

あい実践学校 について


  

こんにちわ!むくむく通信社です。

綜合文化研究所をこの4月28日に創立しましたが。
そのコンセプトのなかに「あい実践学校」群の運営があります。

そのコンセプトに基づいて、あい写真学校、あい文学校、あい農学校と
3つの学校が開校しました。
ここでは、この学校のがなぜ必要なのか、について説明したいと思います。

自分が生きていく日常の根底となる、食べることを自分で作る。
写真と文章を、自分をみつめていく手段のツールとして使う。
身体を生かすことと心を生かすことの全体を作りだすこと!

つまり生きていくトレーニングをする場としての学校を考えています。
その学校で学ぶことの中心は、個人の自立ということです。

インディペンデント・スクールオルタナティブ・スクール、もうひとつの学校・・・
表現の方法はいろいろあると思います。

現在ある教育システムの中心的役割は社会に役立つ人材育成です。
この場合の「社会に役立つ人材」とは社会進歩に貢献する人のことです。
国が他国との競争に勝つための秩序に組み込むための教育。
これが中心となるシステムです。

ぼくには、そのことだけが優先されていいのかな~との思いがあります。
というのも、競争社会の中に組み込まれた人の全てが、
自分の人生に満足を得ているのでしょうか?

ぼくは生きることに必要なのは、
競い合うことで勝った負けたのことじゃないと思っています。
人より優位に立つことで満たされる、
この発想って空しいではないですか

正規の学校教育とは、構造的になされる権力の行使なんですね。
この学校枠組みのなかで、
多くの人たちが何か変やな~って思っていませんか。

これまでこの国の人は、競争社会に参入することが当然のこととされてきました。
だから、年頃になって登校拒否や引きこもりするのは悪であって、
その子たちをいかにして競争社会に参入させるか、
が「社会復帰」という言い方で論議されてきたように思います。

でもいまぼくは、かならずしもそこに組み込まれなくてもいい生き方、
もうひとつ別の生き方もあるだろうと考えています。

生きていくうえで、何処までもいっても、
競争する大きな体制から逃れられないとしても、
自己認識として競争社会であることを理解することが必要です。

その認識に立って、競争に参入する人は参入すればいいし、
そうではない方向を目指すなら、
競争から遠ざかる方法を編み出していかなければならないんです。

その認識の方法が学べる学校!
思索とスキルの両立で自分を見つめる学校!

イメージ表現としての写真映像・写真学校。
言葉表現としての文章・文学校。
身体を養う食べものを生産する農学校。

構造的になされる権力のなかでどのようにして生きるのかを考える場所。
あい実践学校のコンセプトは、
権力を持たない人が自立するための学校であろうとしています。

2004.7.24 nakagawa shigeo

記事1 京都農塾たより-02-

京都農塾では、春に植えた野菜苗が大きくなって、
次々と収穫できるようになてきました。

京都農塾 2004.7.10 はたけの光景
    

    

京都農塾では、田んぼと畠のつくりかたを教えています。
その京都農塾の活動方針を紹介します。

<かっこいい野菜って、なんてかっこ悪いんだろう>

自分が、そして、ご家族が食する野菜やお米を、
ほんのちょっぴりくらい自分でつくってみませんか。

どうせ自分が作るのなら、農薬や化学肥料に一切頼らない、
ちょっぴりかっこの悪い、安心な野菜やお米を一緒に作ってみませんか。

野菜栽培が中心にはなりますが、時には、収穫した野菜で漬物を漬けたり、
野菜でジャムを作ったり、味噌や豆腐、醤油なども作ったり、
山羊のミルクでヨーグルトやチーズを作ったり、と色々な手作り教室も開くつもりです。

収穫野菜のふえる6月から11月の作業日には、
皆で朝から収穫をして、その収穫野菜を皆で料理して、
そして、皆でお昼を楽しくたべましょう。

そして、元気になったお昼からは農作業に精を出しましょう。
こんな小さな自給自足生活を体験してみませんか。

こんなことを考えている「京都農塾」は、今年の5月で2年目に入ります。
安心な野菜作りに興味のある方、自給自足生活に興味のある方、
手作り生活に興味のある方、農業に興味のある方、
「京都農塾」にぜひ一度参加してみてください。


京都農塾 2004.7.24 はたけの光景
   

   

   

春に植えつけた野菜の苗が生長して収穫できるようになりました。
インゲン、茄子、胡瓜・・・はたけで作業は汗だくだくです。
収穫、追肥、誘導、ネット張り、仕事はいろいろあります。
共同で作業を行います。

京都農塾 2004.8.7 トマトの収穫とお昼のおかず「野菜のてんぷら」
 

 

8月7日にはトマトが真っ赤になっていました。
お昼ごはんは、はたけで収穫したお野菜を、
その場で、天ぷらにしてに食べました。
最初の収穫祭!ですね^o^
みんなでつくってみんなで食べる!
ちいさいながらも生産共同体だと思っています。
自然と人間の関係の中に農・食が介在していく生活って、
これからの時代ますます重要なテーマだと思います。

記事2 アートとはなにかということ
       連載-その2-

人間の生の営みのなかでアートということを考えてみます。
生命を維持していくなかで、食べること、寝ること、セクスすること、これが基本だと思います。
その上に、衣装をまとうことや、美味しく食べたい、人に認めてもらいたい、というような欲求が
あります。
マズロー(1908年NY生まれ)は、欲求段階説を書き表していますが、その根底(第一段階)で
は、生理的欲求をあげています。生存、安楽の欲求です。衣食住の生理的、肉体的な欲求で
す。そのことが充足されることで安全、安定を求める欲求があるといいます。そのことまでも充
足されると、社会的親和の欲求がある、集団帰属欲求です。
この段階説からいうと、アートする欲求は衣食住が満たされ生きることの安全、安心が確保さ
れた上で生じてくるように感じます。

集団に帰属したい、集団の中で一体感を持ちたい、仲間から受け入れられたい、愛情ある人
間関係でありたい・・・・
こういう意識が芽生えはじめるなかから、アートといえる意識が発生してきたんだと思います。
ぼくは、コミュニケーションツールとしての表現のなかにアートの原形をみることができると思っ
ています。
アートすることとは、コミュニケーションすることです。人に自分の感じる何かを伝えたい、この
欲求を形にしていくもの、これだと思います。
自分の欲求の痕跡を残すものとして、岩や石に、身体に、刻んだ痕跡です。
そこから様々なアートするための道具がつくられてきます。この道具はアートするツールです。
大事なのは、そのことを欲求の内に抱いたこと、そのことなんです。

だから一応の線引きとして、生きるための食料を求める行為そのものの中では、アートする行
為は認めない、という線を引いてみます。これは共同体総体としてのレベルのことです。

そう考えると、たとえば、地域共同体が収穫祭をとりおこなうこと。収穫祭の形式が出来てくる
過程で、その祭りという儀式そのものがアートすることを孕むんです。
親密な関係のなかで営まれるコミュニケーションです。
ここで安心、安定した集団帰属への充足がみてとれます。

ここでは、原理的な話をしています。
アートとはなにか、というその根底を支える心のあり方に論及したいのです。

ぼくが、農産物を作り出す作業とアートする作業とを同列に置くゆえんは、ここにあります。
現代社会では、社会総体として生存を脅かされている段階ではありません。ただ配分の問題
がありますが、うまく工夫をすれば生存できるだけの食料はあると考えています。
そこにはもちろん人間の労働がなければならないわけですが、食料は充足しているとみていい
と思います。

でも、個別に見ていけば、貧富の差があるし、食うに困る立場に追いやられることもあります。
この格差は、別に是正していくことを考え行動していかなければいけないんですが・・・。
そのためにも食料を生産するスキルを身につける必要があると思っています。
また、いまの社会にあっては、都会に住まう人にとって、食料生産は贅沢生活のようにも感じ
てしまいますが、生きることの基本として捉えるんです。
また、このことは、心の充足、幸福感を得るという道筋にもつながっているように考えていま
す。

アートの原形が生活の安定、安心から生じるんです。そのうえでコミュニケーションツールとし
てアートを生み出すんです。その基本形を自分の領域で作っていかなければいけないんです。
社会生活不安からアートが生み出されるのではありません。社会での安定生活のうえに喜び
の対象としてアートすることは眺められるべきなんです。

自分の作品が世に認められること、確かに集団帰属へのコミュニケーション手段です。
F1レースに出場するレーサーがトレーニングを重ねる、オリンピックでメダルを獲得するため
にがんばる!この図式でアート作品を生み出して名声を得る!
でもこのことだけがアートする心の道筋じゃないんです。基本形はこういうことです。

ぼくは、アートすることの意味を、問い直す作業をしているんだと思っています。
これは、生きることの意味を、見つめなおす道筋に起こってきたことなんです。
人が生きることのなかに充実感と幸福感を見いだせるかどうか、との設問なんです。
個人の生活の総体のなかで、どのようにしてこれを実現していくのか、との設問なんです。

記事3 通信と通学で学べる写真・文学・農学校の話

  


いまやインターネットが普及して誰もが使えるツールとなってきました。
情報化社会が進展してわたしたちの生活様式が大きく様変わりしてきています。
それから社会の構造が変わってきています。

今日(2004.8.12)のニュースでは、大手スーパー・ダイエー再建をめぐって、産業再生機構の支援か銀行支援による
再建か、ということを伝えていました。
支援する銀行にUFJがあります。このUFJ銀行自体も経営悪化していて、合併しなければ立ち行かなくなっているん
ですね。
細部はわかりませんが、この一連の話をニュースで見聞きしていて、これは自然でない、と思っています。
たしかにそこには従業員がいて、それぞれに生活がかかっていますから失業させるわけにはいかない!・・・というの
は名目ですよね。過当競争で敗者なんです。けっきょくはね。

なにが言いたいのかというと、大企業は優遇される、ということです。ちいさな個人はますます
小さくなって生活も小さくなりますよ!っていいたいんです。
グローバリゼーションって言っていますが、資本が集中していく道筋の出来事だと思っていま
す。
ぼくは、このグローバリゼーションに反対しています。根底から反対していますと、ここで言って
おきます。世の中の流れの中心はこのグローバル化です。経済システムが多国籍企業に支配
されていくことです。生産手段の保有が集中していくということです。
なにを意味するかといえば、個人が生産手段を持てないんです。おおきくわければ個人は今以
上に消費者になる。戦争がなくなるわけでなし、福祉が充実といっても十分でなし、人間の尊厳
が失われていくんです。このように考えております。
(人間の尊厳とはなにかを別途考えましょう)

世の中が、そういう事態に直面していますから、人間を取り戻していくための学校を創らないと
いけないな~と考えているのです。生産手段を自分のものにしていくことを学ぶ「学校」です。

学校の基本は「農学校」です。これは食べるものを作り出すノウハウを手に入れることです。
作るということの基本に「食べ物」がありますが、それだけではなく、生活道具をつくることにも
つながっていきます。当然、自然にやさいい素材を使います。

それと食べるものをつくるだけでは、人間いきていけないんです。そこにはコミュニケーション、
人と人が交わり、共同で生活していかなければならない。そのためのツールとして「写真学校」
と「文学校」で、自分を表現するノウハウを学ぶのです。
写真は現代のツールです。イメージ表現です。その先は絵画でもビデオでも舞台でもいいんで
す。一方で文章表現があります。これは言語を使いこなすことです。

この身体をやしなう食の生産と精神をやしなう写真や文章の生産をミックスして手に入れるこ
と。これが基本設計図です。
グローバル化していくおおきな流れに乗せられないような生活スタイルを身につけることを始め
る学校!これが必要だと思っているのです。

学校経営が収益の対象として運営されるのではなく、個人のために存在する、そういう学校で
す。これを共同して創り出そうというのが本題です。
費用はいらない、ということはできないんです。貨幣経済に全部とはいいませんが組み込まれ
ざるをえないんです。だから最小の費用分担をします。総額は極力維持経費内にとどめます。

具体的な金額は、通信セミナーでは、写真学校が月2000円、文学校が月2000円です。農学校
は京都農塾に委託を想定しておりまして、月1000円(実費)。合計月5000円です。
どこからも補助なしでやります。写真学校と文学校の経費は、相当の生産物でもいいんです。
お米とか野菜とかです。ただし自分で作ったものに限ります。この考え方は地域通貨が基礎に
あります。

さあ、次はみなさんが参加する番です。
2004.8.12 中川繁夫記

記事4 お勧めスポット
ギャラリー・DOT



京都・下鴨にある、オリジナルプリントを扱うギャラリー・DOT(TEL 075-722-0658)です。

1980年11月にオープンしたオリジナルプリントを扱うギャラリーです。
京都散策の折にはぜひ訪問してほしいギャラリーです。


ギャラリー・DOTオーナーの岡田悦子さん

1984年にはじまったフォトハウス京都の事務局となった場所です。
ギャラリーオープンから24年の歴史を持っている写真ギャラリーの老舗存在です。
数々の写真中心の展覧会が開催された歴史はHPを参照してください。
展示機能と人材育成機能を併せ持ったギャラリー運営を行ってきました。

2004年10月に開校する写真学校「写真ワークショップ京都」の会場となります。

記事5 食と農について

食べること・生産すること

食べることは生活の基本です。
それから人間存在の原点は生産活動をすることです。
この2つの基本原点について考えてみたいと思います。

お金をだせば何でも買える、金さえあれば・・・・と多くのヒトが思っています。
でも、ここで発想を逆転させて、食べるものを自分でつくる方へと考える。
自給自足の方へ考えを発展させる。

食料の生産手段は大きな資本の手の中にあります。
アグリビジネスっていいますが、世界規模で資本が集中してきています。
この大きな潮流を、グローバリゼーションといっていますが、現在は、世界が大きな資本に集
約されていく道筋にあると捉えています。
そこには、かってあった安定的労働の場所が流動化していて浮遊化てきています。
能力主義とかで、そこに居るヒトは不安と不安定に見舞われています。

つまり、安心して日々が過ごせる世界が無くなってきているんです。
だったら、その安心して過ごせる日々と場所を取り戻さないといけないな~、と思うんです。
そのためにはどうしたらいいのか。その基本が生産手段を手に入れること、食べるものを自分
で作る、ということなんですね。

ひとりでやれることって知れてます。自給自足といったってひとりでは無理です。
そこはネットワークを組んでやるしかないんです。
ぼくはこのネットワークを、むくむくネットワーク っていっています。

ヒト個人がそのままでは大きな力に押されてしまいます。
ネットワークを組むことで、ヒト個人が自立していこうとすることなんです。

確かに身体はひとつしかなくて、時間もひとつしか持てないですね。
だから生産活動に入るには大きな転換が必要だと思います。
当面の生活をどのようにして維持していくんだ~っていう声があがってきます。
というところから、生活の見直しを始めていかなければなりません。
それぞれのヒト個人が、ある日突然に転換できるというものではないです。
少しずつ生産することの方へ、自立することの方へ移動していくしかないです。

フリーターでは、お金が少ししか手に入りませんから工夫をして安いものを確保する。
食料品、衣料品、生活必需品・・・お金なしで済ませるには、最終生産するしかないですね。

この移動していくプロセスは与えられるものではなく、自分で作り出していくものです。
自分の食べものを確保しながら少しずつ生産の方へ向けていきましょう!

2004.8.24 nakagawa shigeo

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