中川シゲオ写文集

中川シゲオの写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2019年05月

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中川繁夫のホームページ
嵯峨天皇陵、宇多天皇陵、天智天皇陵と、最近、京都近郊の天皇陵を取材しました。
昨年の今頃って、取材に天皇陵は避けていて、太秦から嵯峨野の古墳を追っていました。
ぼくの世代は、反天皇制というイデオロギーが表立っていたし、ぼくもそれに感化された。
だからそれにまつわるあらゆることに反発か沈黙を決め込んでいました。
心情的に、天皇という立場を容認できなかったわけです。
でも、年とってきて、自分がいる世の文化として、天皇制に興味がわいてきました。
いま否定論者ではなくて、賛同者でもない立場にいますが、日本文化に興味があります。
特に古代、国家が形成されてくるプロセス、歴史の分野ですかね、これに興味があります。

そこそこに高齢になってきて、いやこれはあきらかに東松照明さんの影響です。
文庫本で現代語訳の古事記の第一巻を、それなりに読みながら、神話の時代に興味をもった。
史実と神話、意識しだして、日本という国が成り立ってきた背景に興味がわいてきたのです。
まったくアバウトに、イメージだけをつないでいるにすぎないところです。
明日香へ、先っ飛鳥へ、山の辺へ、MONJIさんに連れて行ってもらって、現場を探索。
これが三年前から始まって、纏向とか、天理とか、他にも連れていってもらいました。
おぼろげに古代から平安京あたりまでの全体像が、イメージできるようになってきました。

カメラを持って、行く先々を点描するだけで、文章化するところまでには至りません。
京都のイメージを文章にと試みますが、思うようにはいっていないところです。
先月から今月、西暦2019年4月から5月ですが、元号が替わったのです。
あきらかにこれを意識して、天皇陵、目に見えるモノとして、写真に撮ってきたところです。
膨大に文献資料がある領域ですが、ぼくはイメージだけで全体を掴もうとしているわけです。
そういう歴史の分量を下敷きにして、自分とは何か、という問いかけをしているところです。
73歳になりますが、ようやく自分とは何かという問いの入り口、門を開こうかと思うのです。
現代表現研究所のHP​

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<はな>と<小説>のホームページ
先日、衣笠山へ登ろうとして堂本印象美術館の横から侵入してみました。
立命館の駐車場と幼稚園との間の道から、侵入することができました。
頂上の方へは行かずに水平に北の方へと歩みましたが途中で道がありません。
一人で歩いているので帰り道に迷わないようにと思いながら、迷ってしまいました。
衣笠山は思い出として、懐かしい山です。
中学がこの山の裾にあって、学校の裏から、直接、この山へ一直線で登ったのです。
そんな思い出がある衣笠山で、60年ぶりにのぼってみようと思ったわけです。

いまある「きぬかけの道」観光道路を造る工事をしている真っ最中のころでした。
堂本印象さんの自宅アトリエがありましたけど、堂本印象さんのことは知りませんでした。
山裾の中学校で、吹奏楽部の演奏に魅せられ、入部して、そこからが青春時代です。
この歳になってきて、毎年のように同窓会があって、旧知の友と顔をあわせます。
この前には小学校の同窓会で、会長のKIKUTSNIさんとは、吹奏楽部で一緒でした。
そう思い起こせば中学の三年間は吹奏楽部が中心にあったように思えます。
女子を意識しだす年頃でもあったから、ほのぼの、思い出すと、ほのぼの、ですね。

その衣笠山の界隈、今は立命館大学の正門があり、堂本印象美術館があります。
その頃には立命館はまだ衣笠に移転していなくて、野球場と理工学部がありました。
小松原があり、等持院があり、友達もそこらへんにいて、立派な家に住んでいた。
そんな友達の家へ、遊びに行って、部屋に通してもらって、感心したことばかりです。
恋した話は、しない方が良いかと思っていて、ここには書きませんけど、淡い恋したよ。
まあ、同窓会で恋した女子に会っても、恋してたとは言いませんけど、面はゆいですね。
そうなんだ、十代の前半になるんですね、その頃の思い出というのは、今や遠いですね。
中川繁夫のホームページ

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現代表現研究所のHP​
太秦に通称蚕ノ社と言っている神社があります。
木嶋神社とも言っているようですが、ぼくは蚕ノ社と言っています。
正式には、もっと長い名前で、どうも覚えられなくて、言えないんですね。
古い神社、四世紀のころには存在していたようです。
この蚕ノ社に三本柱の鳥居があるのです。
三柱鳥居と書いてあって、日本ではここだけにある、そうです。
柱に囲まれた空間が神聖な処、ご神体なんかな、よくわからないけど。
ぼくは結構アバウトな人で、詳細分からないまま、確認もせず、書いています。
今更、詳しく、学術的に、学ぶ、というには遅すぎる年齢です。
いや、もう、覚えられない、記憶力がなくなっていて、それでアバウトなんです。
<はな>と<小説>のホームページ

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現代表現研究所のHP​
まだ案ですが、お知らせが来ました。
写真芸術学会(?)の第6回研究会は2019年9月7日(土)午後5時~
於 ビジュアルアーツ専門学校VD1校舎7B教室
「1970年代以降の関西における写真動向を検証する
 ;京都を中心とした写真活動について」
ゲスト 写真編集家 中川繁夫氏

どんな話を展開すればいいのか、頭の中で構想を練っているところです。
1970年代以降の関西における写真動向を検証する、というのがシリーズのようです。
そのなかの京都の活動について話をしてほしいという要請だと思います。
ここでも、メモをつける意味合いで、話題を出していきたいとおもうところです。


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現代表現研究所のHP​
音楽家の文字さんと松尾大社へ行きました。
ご神体が大きな岩だというのでそれを見るためです。
神社のご神体が岩であるという神社が多いそうで松尾大社はそれです。
山の上の岩に神さまが降りてこられるというイメージがあるんですね。
ご神体の山が台風被害で登れないというので、残念ながらあきらめました。
松尾大社に隣接するようにして月読神社があって、そこを訪問しました。

目的は何かというと、平安時代よりも前から秦氏一族がこのあたりに住んでいた。
この秦氏一族がいたという地域を、古代をイメージしながら、歩くことでした。
北は嵯峨から東は北野白梅町にあった北野廃寺まで、そうして南は向日市。
京都では、この一帯が平安京以前に、渡来人系の秦氏一族が住んでいたようです。
ぼくは、古希を迎えたあたりから、これらの地域の古墳を訪ねたりしています。
誰の為でもない、自分の知識を増やして、見てみてイメージしているところです。

もちろん写真を撮って、それにともなってこのような文章を書いています。
写真を撮るカメラは、スマホとコンパクトデジカメの二刀流です。
文章は昨年「峨野慕情」「京都北物語」のタイトルで短文を書き出したところです。
紙の媒体での出版は、費用がかかるのと手間がかかるので、できそうもありません。
ネットでホームページやブログで、写真と文章を載せているところです。
こういう作家活動と並行して場つくりをもしていかないと、と思っているところです。
<はな>と<小説>のホームページ

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