中川シゲオ写文集

中川シゲオの写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2019年06月

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はな>と<小説>のホームページ
昨日、お見舞いかたがた写真の先輩OOYAGIさんの家を訪ねていきました。
京都シュピーゲルという写真クラブに入会されていて、90歳になられる長老です。
関西の写真史をまとめようとして、資料を借りていたのを返しに行ったのです。
ぼく自身が、もう資料を漁って文章を書く、という作業ができにくくなっています。
気力の問題かもしれないけれど、その気力が衰えている気がしています。
それだけではなくて、構成された文章が書けなくなってきて、散文ばかりです。
散文は、書き出しと終わりのつじつまがあわなくて、思いつくままだからです。

<カフェ&プレス>総合文化研究所の記録
ここのブロブのカテゴリーに<カフェ&プレス>があります。
そこに2001年頃に思考した構想を文章として載せています。
今月になってから、帝塚山ハウスを訪れ、別の研究会に遭遇したところです。
キーワードは、地域通貨、ジャンル難民、ぼくが共鳴するのかこのあたり。
新しい社会運動を提唱したNAM(ナム)は2000年に生成、三年で消滅しました。
この運動を受けて、ぼくはぼくなりにフリースクールからカフェ&プレスを提案。
その後、京都写真学校になったり、現在のワークショップの枠組みになったり。

あんまりでしゃばるといけないんだけど、というのも言うばかりで実践伴わない。
かってあったような体力がないから、実践の場を創りだし運営することはできない。
求められれば、その構想をお知らせすることにして、ぼくとしては現状を知りたい。
いま、まだ、その当時の出来事が、生成してきていると感じているところです。
帝塚山ハウスに集まる人たちが、新時代を、どのように生成していくのか、です。
よその真似事から、自分たちの独自性へ、これを創っていけるかどうか、です。
反資本、反グローバル、親人間の共同体が、イメージできるかどうか、ですかね。
中川繁夫のホームページ

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中川繁夫のホームページ
衣笠の立命館大学正門前にある堂本印象美術館は京都府立になっています。
ぼくは京都市民で老人だから、無料で入館できます。
今日、思い立って堂本印象さんの作品展を拝観してきました。
仏画を描いていた日本画家の堂本印象さんです。
その彼の画室というのかアトリエというのか、衣笠にあったのです。
その跡地に建てられているのが堂本印象美術館、現在京都府立です。
この地、通っていた中学の前で、1960年代はじめの、この界隈のことが記憶です。

日本画に京都画壇という括りがあって、北野から衣笠あたりに、画家さんが住んでいた。
そういうことでいえば、文化度が高い地域だったと思います。
なにかしら、ぼくが生まれ育ったのは、西陣の末端地域の生産現場です。
でも、ぼくの両親は西陣織に関係していなくて、祖母と叔母が西陣織の織子でした。
屈折した気持ちというか感情が、地域のなかの異端児だったように思うのです。
年を取ったいまは、偏屈なおじいさん、変なおじいさん、というところでしょうか。
学問というか、学術に憧れていて、文学とか芸術のことを語ったりします。

それほど教養レベルで、知識があるわけではありません。
書籍はたくさん買ったけど、読むほどには時間が持てませんでした。
貧乏だから、いつも食うために働かなくてはならなくて、高等遊民ではありません。
なにをもって偏屈だというのかは、自分からは言えないけれど、分からないから。
どうしたわけか、反権力をめざす権力志向の精神構造に育ってしまったみたい。
絵を描くのは下手、筆も下手、写真も下手、下手だけど、想像力は変態レベル。
まだ、あと、10年くらいは、生きてられるかと思っているけど、???ですね。
はな>と<小説>のホームページ

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中川繁夫のホームページ
なんだか気分が区切れた感じがして、非連続な感じがして、いまここにいます。
昨日までのせっぱ詰まり感が抜けていって、青天井になった気分です。
思い起こせば、といったって何を思い起こすのか、思い起こしてそれを文にする。
そんなことできなくて、思いにとどめておかなくちゃ、と思ってしまいます。
でも、ここまで来て、といっても此処という位置は、自分の中でしか定めていません。
過去は過去、過去のしがらみにしがみついていても、始まらないですね。

たくさんの広報ツールを操って、なんとか人を集めようとしているけど、徒労ですね。
掲載している写真は、説明しないと単なる雑木林でしかなくて、でも説明が必要なのか。
陵墓参考地となっている場所だから、ひょっとしたら皇族の墓、というのらしい。
でも、そんなことは、どうでもよい気がするけど、必要な情報なのですね。
曖昧な場所です、まあ、自分が立っている場所も曖昧といえば曖昧そのものです。
とりとめなく、際限なく、自分なんて小さな存在にしか過ぎないのに72年も生きた。

目の前の本棚に、少しずつ最近買った本が並んできて、背表紙を眺めています。
古くから所持している本もありますね。
最近の興味の中心が、書籍という格好で、目の前に並んでいるということ。
要らないものは捨てろといわれても、要るかもしれない、と思うから捨てられない。
もう色あせた紙のかたまりなんて、焼却処分にしたらいいのかも知れない。
まあ、未練、という後ろ髪引かれる感情ですね、これが邪魔してるわけ。
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