中川シゲオ写文集

中川シゲオの写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

2019年07月

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作家になりたい、作家になろうと思ったのは、高校生の頃だから17歳ですかね。
漠然としていたけれど、作家といっても文章を書く作家で、詩人か小説家です。
二十歳のときに音楽から文学に、十字屋楽器店を辞める時、作家になると言ったのです。
先輩の社員さんには笑われたけど、ぼくの気持ちは本気でしたよ。
それから一年浪人して、大学生になって、小説を書きだして、同人誌に参加して。
まあ、あの手、この手で、文章の練習をして、文体を作ろうとして、四苦八苦の日々です。
学生運動に直接参加はしなかったけれど、ノンセクトラジカルとかいうレベルでした。

今年73歳になったんですが、こんな歳まで小説書くなんて、思いもかけなかった。
歳とともに、緻密さとか、構想力とか、そんなのが薄れてきて、フラット生活です。
もとから構想力とかの能力はなかったのだと思いますが、それも歳とともになくなる。
ただ、性欲が減退してくることと反比例するように、この領域のテクニックが上達ですね。
リアルロマンなんて造語で、自然主義と浪漫主義をミックスさせる小説世界、を想定です。
写真は、現場を持たないと絵にならないけれど、文章は、現場なしで想像力で描ける。
それらの文章を一か所に集めて、ぼく自身のための収納庫としようとしているところです。

高橋和巳っていう小説家、知る人ぞ知るその当時の作家で、ぼくもファンであった。
39歳の若さで死んでしまったけれど、「わか解体」って本を最後に残しているんです。
この自分を解体するというコンセプトを、ぼくは、今あらためて、命題にしている感じです。
いや、長女が生まれたときに、この本を買って、メモを残していて、それが手元にある。
気取って、いっかどの文章家のごとく振る舞っている若僧ですが、そんな時代もあった。
もう、いまは、メタメタ、なにがなんだかさっぱりわからず、その日暮らしをしておる。
毎日、もう、日課だね、原稿用紙なら三枚分ほどの、フィクションを手掛けておる。

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遠い遠い記憶が、ふううううっとよみがえってきて、その光景に酔いしれてしまう
ドストエフスキーって作家がいたけど、彼のイメージったら屈折おじさんって感じです。
なにが屈折かといえば、その心のなかが闇でエッチなことや悪のことなんか考えてる。
それもロシアという寒い寒いところで、悶々としながら、言葉を発してる。
そこからの言葉が、手記となっていて、ぼくに、彼の心の闇を、垣間見せてくるんだろうな。

人には、心の闇ってのが、あるような気がするんですよね。
これは気づきだから、気づかない人もたくさんいると思うんです。
作家という奴は、自分が気づいた闇を、気づかない奴に、気づかせる。
おお、怖い話ですね、太宰治とか高橋和巳、深く読んだのはこれくらいですけど。
ドストエフスキーってのは50代になってから読んだから、これは論外にします。

ボードレールは、悪の華、って詩集を作って今に残していますね。
ぼくは深読みしてないから、批評的に内容を語るなんてできないけどタイトルが良い。
悪の華、なんてその向こうにひろがる闇が、ぼく自身の存在を問うてくるじゃないですか。
いや、著名な人の名前を出しているけど、ぼくは、まったく著名ではないです、念のため。
手記を書こうと思うけど、やっぱり、心の闇にライトを当てることは、まだ、できない。


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気儘な手記というタイトルをつけました。これまでは日記というフレームでしたが、日記にはならなくて、気儘に書きますというタイトルにしていました。それが手記という文字を使うことにしました。微妙なのですが、手記、という単語には古い語り口の匂いがしてきます。古い箪笥の扉を開けると、樟脳の匂いがして、なんだか秘密めいたモノを見る、そんなイメージです。江戸川乱歩の怪人二十面相、明智小五郎と少年探偵団、少年の頃に垣間見た未知の世界を、覗いたあのイメージです。

手記という文字をよく見知ったのは、ある月刊本だったように思い出されます。「~~~~の手記」なんていうタイトルで、描かれたイラストがいまでは古い、カストリ雑誌の挿画、色なしのペンタッチの描画です。~~~~の部分は、たとえばアブノーマルな私、というようなフレーズが入っておりました。「アブノーマルな私の手記」、手記と言うとこういうイメージが心的に立ち昇ってくるから、公開文章で、書いていいのかなぁ、と思うところでした。

ペンネームで書く、ということが文筆家には多いと思っています。そうだ、ペンネームを使って、文章を書こう、と思ったわけです。そういえばネットではハンドルネームって使うじゃないですか。フェースブックになってから、実名を使うようになりましたが、まだハンドルネームが主流だったころには、すけべえな言いたいことが溢れていた、じゃなかったですかね。自分が自分であることを隠して自分の内面を書き出す、という屈折です。

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<はな>と<小説>のホームページ
暑くなる前にと思って、山に登ろうと思って、稲荷山にのぼりました。
写真のこれは、山というほどではないけれど、泉涌寺の山の奥の天皇陵です。
昨日は豊国神社の豊国廟の階段をのぼって、きました。
いずれも京都の東、伏見から七条あたり、そのへんを取材したところです。
人がいるところでは、祇園の八坂神社から高台寺、安井金毘羅へも行きました。
でも、観光客などが群れている場所で撮った写真は、ちょっと意味合いが違います。
なので、撮影のメインにはしていなくて、嵯峨野にしても嵐山は番外です。

ホームページを各方面ように作っていて、農作業から写真や文学まで。
それに総合文化研究所から現代表現研究所、フォトハウス等々のグループ。
むくむく通信社関連のアグリネットやむくむくアーカイブス等々のグループ。
いくつかの系統があるのですが、それをもう少し簡略して明確化したいなぁと思う。
花と小説のホームページには、たくさん書いてきた「小説」を集めようかとも思う。
いずれにしても、もう年齢が高齢者なので、今後のことも考えないといけない。
そうこうしているうちに、そのこと自体が不必要なことだと、断定するかも、な。
中川繁夫のホームページ

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中川繁夫のホームページ
数日前ですが、伏見のお稲荷さん、その稲荷山の頂上まで登ってきました。
音楽家のMONJIさんと一緒に、前回は松尾大社、今回は稲荷山、でした。
次は、石清水八幡宮がある八幡の山へ登ろうか、と話しています。
ともあれ、稲荷山、頂上まで登ったのは初めてて、たぶん最後になるか、と。
個人的には、船岡山、吉田山、双ヶ岡、と平安京の三方にある山を登りました。
でも、松尾大社と伏見稲荷と石清水八幡は、京都の別格だというのです。
頂上には、なにがあるのか、松尾大社は登山禁止でしたけど、稲荷山はOKでした。

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