京都で写真を学ぶなら
 <京都写真学校>

徒然日記
2013.3.29~2014.1.14
  120hana1311130014
-14-

2013.11.13
寒くなって、冬到来って感じですね。
灯油が高くなって、経費がかかります。
年金生活、金銭的にはまったく豊かではないです。
だから、せめて、こころでも豊かにしようと思う。
こころの豊かさ、いったいどんな状態をいうのか。
こころおだやかな状態、ストレスのない状態。
年と共に生き方の価値観も変わってきます。
余分なものは捨て去って、気楽に生きよう。
そのように思うけど、なかなかですわ。
  120kyoto1311250001
-15-

社会の仕組みの中に生きている。
自動車の車検、2年に一回です。
今朝、カローラのお店へ持っていく。
なにかとお金がいります。
一式で十数万円の費用、年金1ヶ月分弱。
なにかと経費がかかるから、どうしようかと。
次の免許切り替えが5年後だから、そこで切りに。
なかなか手放せないというけれど、その気持ちはわかる。
5年後といえば72才になっている。
引き際だと思うけど、田舎生活、どうするか。
悩んでいても仕方がないけど、悩む。

-16-

昔、昭和20年代、1950年代のころの雑誌。
奇譚クラブとか風俗草紙とかがあったというはなし。
今でいうSMの初期雑誌とでもいえるのでしょうか。
小学生のころ、見たことがあるんです。
不思議な感じ、女の人が縛られて、みたいな。
それから半世紀以上が過ぎて、ネットで発見したんです。
その雑誌の誌面がスキャンされてブログに載ってる。
記憶が、思い起こされて、なつかしくって、どうしよう。
なんだか、裏面史というか、芸能秘話というか、ですね。
シュールリアリズムといえばいいかも。
耽美派といえばいいかも。
そういう世界があるんですね。
そういうところへ出入りしたことはありません。
人間の、男子の、本能をかきたてる世界かも。
正面から取り組んでみたいとは願望的に想う。
  120kyoto1311250002
-17-

パソコンでネット環境を使うようになって約10年です。
たしか1996年ごろにホームページのことを知った。
1985年ごろか草の根BBC、パソコン通信を使った。
およそ30年の時間のなかで、飛躍的に拡張した環境です。
ネット環境はメディアの形だと思うんです。
個人の内面が、パソコンを通して、直結するメディアかも。

かって、手に触れる、目に見える、この環境しかなかった。
それが、手に触れなくても、目に見えないところで。
ネット環境のなかで情報が手に入るようになっています。
書店へ行かなくても本の内容が手に入る。
図書館へ行かなくても調べものができる。
パソコンに向かって、なにもかも事足りる。

ネット環境を使て個人が情報発信ができる。
ブログなんかは全部お膳立てしてあって文章を書くだけ。
見栄えよく、自分が変身できるツールです。
同人誌とか個人誌とか、冊子にしていた時代があった。
最近はまた、紙媒体で情報を発信する傾向があります。
写真の本、文章の本、少部数発行できるようになった。

これらが実現してきたことの背景に、技術革新があります。
通信環境、電話が今のスマホになるまでの経緯。
子供の頃、半世紀前は、町内の富裕家にしかなかった電話機。
それがいまやだれもが手元に電話機、携帯・スマホです。
パソコン環境だって、30年でものすごい進化・深化です。
そんな時代になったことは、やはりうれしいことです。
  120kyoto1311250004
-18-

ここも整理しなくちゃと思いながら書いています。
パソコンでHPを作ったりしだして10年がたちます。
なにかとチリが積もって古臭くなった。
ブログをいくつが消しました。
愛着があって忍びない気持ちだけど。
だからここも消そうかとおもながら、今はあります。

積上げてきたことを自分で否定するのはきつい。
せりあげてきていただけに、ショックは大きかった。
でも、これまでにも、何度かあったことだ。
三日たって、もう気持ちも落ちつきだしたと思える。
空しさと寂しさとの寂寞感に耐えています。
あとは淡々と終わりを迎えていく手続きだけだ。

10年やってきたことだし、それなりに老体になったから。
受け入れてくれるところでやっていこうと思う。
よろこばれてなんぼ、それだけです。
いやがられて、いることはない。
京都写真学校、もういいですね。
新たにはつくれないけど、それでよい。
  120kyoto1312300008
-19-

2013年の年末になってきました。
今年も残すところ4日、今日は金曜日。
なにかと一年、振り返ると、多々ありました。
政治の世界では、経済の世界では、です。
もう大きな世界の出来事は、関係なし。
小さな、些細な出来事で、感情が動きます。

10年間積もり積もった過去を清算したい。
清算したいといっても表面だけだけど。
ブログを大分解消しました。
写真学校関係はクローズです。
自分の作品となる写真関係のブログ。
アルバム類も整理しだしています。

身軽になって、あらたなる世界をなんて言ったって。
60の手習いじゃなくて、70前のあがき。
まだ枯れるには少しばかり滓が残っている。
この滓の処置を、自分できめていかなければならぬ。
2013年、ほんとに一年が早く過ぎた、年寄感覚です。
まだまだ、生かしてもらえるのかなぁ。
  120kyoto1312300012
-20-

新しい写真表現のトレンド、新しい潮流。
このことについて、自分の感性が対応しているか。
そう自問するのは、かなり怖いことでした。
今年の自分をふり返ると、過去しかない。
現在と未来がない、このように思うのです。
かなり時代のトレンドとずれているなぁ。

京都写真学校のカリキュラムは10年前です。
小刻みな変更は施してきているところだけど。
枠組みの基本は、10年前のフレームです。
フレームがそうであっても内容が現在ならよろしい。
この内容についても、10年前のコンセプトだ。
やはり、このことが自責の念に駆られるところです。

もう一度組み直しにチャレンジしたいと思う。
あらたなフレームを模索しています。
写真家と名乗った。
これまでかなり抵抗があったけれど、です。
名乗ることによって、責任が生じるように思う。
写真批評家ではなくて写真家です。

京都写真学校の試みは不作に終わった。
広報媒体はネットのみ、お金を使わない写真学校。
時代に合った内容とトレンドを作りだす装置。
この想定が出来えなかったとの反省です。
来年一年は継続するとして、その次はない。
いま、このように決断して、新年を迎えたい。
  120kyoto1312300015
-21-

暮れも押し迫った大晦日前日の今朝。
音楽はハンガリー舞曲が聴きたくなって。
言葉は、耽美。
耽美について、ウイキペディアを参照。
そうしていま、このブログへやってきた。
どうしようかと迷いながら、キーを打つ。

耽美という得体の知れないイメージが立ち昇る。
谷崎、三島、渋澤、それにボードレール。
バタイユとかも含まれるのかなぁ。
それにしても自分的にとらえて内省してみる。
興味のほどは、どうもそちら方面へ向かっていた。
自分の性格的方向といえばいいかも知れない。

いまさら、ではなくて、いまだから、だろうと思う。
若いうちの体力ではなくて、老体の体力だから。
内に沈んでいく感性が求めている領域。
耽美という領域に、こうして言葉にすること。
文学の世界、寫眞で求めているのも耽美かも。
ああ、これらは時代の裏面史だ。

寫眞における荒木さんなんぞは耽美派か。
森山さんは自然派だね。
東松さんなら、そのように言うんだろうな。
東松さんが亡くなられて一年が経つ。
まだ夜があけない朝に、想いはめぐるばかりだ。
耽美について、論究していきたいけど。