自然の方へ 2005.12.5~2007.2.8
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自然の方へ向かう生活を作り上げていく第一歩は、食べ物を自給する手立てを考えてみることから始まります。自然の方に向かう反対の位置に、工業的大量生産の方向があります。だから自然の方へ向かうための、農産物の自然化です。自然化とは、つまるところありのままに、自然のままに、という方向です。

<縄文>あるいはそれ以前の食料調達は、自然のままを拾い集める採取生活だったといいます。この調達方法は原始的だといわれます。つまり文明・文化とは、原始的な方法から、人間の手が介在し、機械が介在してくることで、進化とみなすわけです。で、ここで云う自然の方へ、というのはこの進化を逆行させる試みと云えます。

秋の山に入れば木の実がある。胡桃や栗や銀杏がある。それで全てがまかなえるとは思わないが、食料の足しにはなる。この程度の気持ちの方が楽だから、そのように気持ちを切り替えて、胡桃や栗や銀杏を採取する。そうして思うのは、その方へ向かう気持ちを大切にしたい、ということです。

食することを放棄して生命を維持できないのだから、人間の知恵として、なるべく楽して、安定したなかで食料を調達したいと思う。そのためには、稲作や野菜栽培が主流になる理屈はわかります。でも、自然の方へと移行させる原点は、採取生活を経験していくところから、始めたいと思うのです。
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いま求められていることの一つに、身体感覚を取り戻すことがあります。身体感覚とは、聞いて、見て、触れて、匂いをかいで・・・という感覚のことです。この身体感覚をよみがえらせるらせることが、ヒトに求める課題だろうと考えています。
風や雨など自然の音を聞くこと、四季折々の野山の光景を見ること、ヒトの心が自然環境の中へ広げられていくとき、そこは驚きと発見の場所です。なによりも自分が自分であることの発見です。

心が自然の方へ向くとき、それは癒しの部類かも知れない。日常の生活は雑多でストレスが溜まります。特に現代社会構造のなかで、サラリーマンをしているヒト及び家族なんぞは、お金に縛られて身動きできない状態です。心は飛翔したいと求めます。束の間の現実逃避する処は多々ありますが、すべてそれらは一過性の逃避です。
自然の方へということは、一過性の現実逃避ではなくて、ヒトのあるべき姿に戻してあげる方へいくことだと考えています。

商品経済の枠組みから逸脱すること・・・。理想形でいえばそのように言えるかもしれません。自給自足のなかで物々交換しあう方へ、です。いま大きな世界が行こうとしているグローバリゼーションの流れから逸脱すること・・・。ヒトのヒトたる心を取り戻すために、です。
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月刊現代農業(発行:農文協)の2月増刊号タイトルは「脱・格差社会<私たちの農的生き方>」と銘打たれて、「格差社会」を問い直し、「自然な暮らし」を推奨するといった特集が組まれています。アーバンライフとルーラルライフ、つまり都市型生活様式と田舎型生活様式があって、どちらかといえば、田舎型生活様式の方へとの案内役を担っている参考書です。

世界の大きな流れとして、環境破壊問題がクローズアップされてきて、テレビニュースなどで環境に関する国際会議の模様なども報道される昨今です。地球環境が壊れてしまう、地球温暖化、北極の氷が解けて海面が上昇する。今年の暖冬なんて、この壊れかけた地球が警告を発しているのかも知れない。そんなふうにも思える日々です。人間の生存をかけた環境問題です。とはいえ、大きな世界のニュースを知っても、他人事ではなくて、それに対処する自分を発見していかないと、意味がないのです。

この論には、<自然の方へ>とタイトルをつけましたけど、これはぼく自身の問題として、ぼくの生き方の、多少はそれなりの実行をしだしている現場から、シュミレーションしてみようとの試みです。個人のレベルで、捉えていかないと話は始まらないわけです。そうですね、ひとり一人が、自然の方へと歩みだすことで、地球環境を悪化させないための、少なくとも最大の効果が発揮できると思うからです。人それぞれに生活場があり、それぞれの立場があるわけだから、それに無理のないなかで、いかにして自然の方へ向いていくかを、考えるための、そうして実践していくための参考となれば、うれしいことです。

<田んぼの風景>
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自分が食べるお米を、自分で作る。自給自足と言うのだそうですが、農家でもない限り、そんなことは、できないこと。そう思っていたんですけど、オーナー制田んぼ。昨年から始めて2年目になります。

つまり、田んぼを貸してもらって、自分が食べるお米を、自分でつくることが出来るようになった。自分でつくることが出来る、とはいっても、田植えから稲刈りまでの全てを、自分でするというのではありません。

1反を四人で借りている。京都農塾のメンバーです。土地所有者の方から、無償貸与していただいて、お米を作っているのです。この田んぼの場合、減農薬栽培です。最初に除草剤をまいて、その後は農薬散布はしません。田植え、稲刈り、収穫後の保管などは、地元の専業の方のお世話になっています。

この一反の田んぼで、収穫するまでに諸経費が12万円ほどかかります。四人で割って一人3万円ほどです。収穫は480キロを目安にしていて、一人120キロです。いま米の消費量は、年間ひとり60キロといわれています。だから、二人分の収穫です。市場で買うより、かなり安いことになります。でも目的は、安く手に入れるということではなくて、自分の食べるお米の生産そのものに関わるということです。自給自足の始まりです。

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<京都農塾>

京都は園部に京都農塾という農の学び場があって、ぼくはこの3年間、京都農塾の塾生として、月に1回か2回、農作業の体験学習をしています。ぼくの生活根拠地は京都市内です。JR等での交通の便を考えると少し不便ですので、乗用車を使っています。国道では亀岡市街が混むので、京都縦貫道路を利用してしまいます。いまのところ帰農する、つまり農業者になるつもりはしていないのですが、京都農塾では、農業者になりたい希望者には、それなりの措置がとれるようになっています。アーバンライフを棄てて、専業農業者になるノウハウも備えた農塾です。

環境問題が話題になっていて、現在の都市部における一般的な生活態度を続けていく限り、環境に負荷をかける当事者となる。まあ、現状を環境破壊の悪とする立場ですが、この観点からいうと、環境にやさしい農作物をつくるノウハウで、塾生で共同作業をする。つまり善の実践をするという、まことに前途明るい、希望ある人生を送ることができる。ハッピーな方へ導いてくれる場、だといえると思います。化学肥料ではなく有機肥料を使い、農薬散布はおこなわず自然のままに露地栽培をする。そこで採れた野菜を、共同で料理して昼食にする。いくつかの生活態度の理想形を想定するなかにあって、まさにこの場は、理想形の入り口なのです。

ぼくは、アーバンライフからルーラルライフへ、都市型生活から田舎型生活へ、つまり<自然の方へ>ということは、このルーラルライフ・田舎型生活へと向かう道筋のことをいうのだと考えているのです。そのためには、環境問題知識に先立つ技術的ノウハウが必要であり、その実践場としてとらえています。でもしかし、それは表層の出来事であって、貨幣を使う消費者としての発想を、農産物つまり食べ物を生産する現場消費者であってはならないと考えているのです。生産と消費を一体のものとして得ていくとき、それは貨幣経済からの脱却を意味するととらえています。この脱却のプロセスこそが、ここでいう<自然の方へ>のテーマであるのです。
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