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2004.06.03
写真の限界

写真のことを考える枠組み作りが、写真学校フォトハウス京都の仕事です。
そこで今日は「拡大する写真の現場」から写真の限界をとらえてみます。

写真ってけっきょく物質としてあるものしか写らないんです。
すごく当然当たり前のことなんですがそ~ゆうことなんです。
だから写真の限界ってのは物質でないものは写せないってことです。

物質としてあるものは写真にすることができる。
宇宙の写真があります。
コンピューター処理して目に見える宇宙の姿の写真があります。
人体内部のミクロな物質を撮った写真があります。
遺伝子とかの写真です。

そうなんですね、写真に撮られるものってマクロからミクロまで
科学技術開発のおかげでもう際限なく拡大深化しているんですね。

1852年にパリで出版されたマキシム・デュ=カンが撮ったエジプトの写真からはじまって
写真は遠くのものを近くへ引き寄せる役割をになってきたんです。
旅行記や冒険物語として多くの記録を残してきたんです。

いつもその時々の写真の限界に挑みつつここまでやってきたんですね。
宇宙深部や人体内部の深~いところまで写真に撮られてきたんです。

でも見えるものしか写らないという原則は崩せないです。
これが写真の限界なんですね。

でもでもでもですね、写真は見えないものを見せようとしてきたじゃないですか!
表現っていうのは見えるものの背後にある見えないものを見せることじゃないですか?
なんか、ややこしくなってきたな~(笑)

このややこしいところを検証していくのが、
新しい写真学校の役割のひとつかな~
そんなふうにも思っています。
2004.06.02
写真を学ぶキーワード

写真ってどんなものなんですか、
って問われて明快に答えって出てきますか?
真実を写すもんなんや、って言ったって
そんなこといったら余計に複雑極まりないですしね。

でも写真って不思議なものです。
考えれば考えるほどわからなくなってくるように思っています。
そこで写真ってのは器であってその中味は他の体系に依存する。
このように括ってみるとおぼろげながら見えてくるものがあります。

現代社会を論理付ける枠組みそのものを
具現化したものが中味ではないか?って思うんです。
そこで現代社会の話題となるキーワードをだしてみました。

1、生命、こころの科学的解明と非科学領域
2、自然、地球、宇宙の捉え方
3、人間の欲求、欲望、情動のありかと社会制度
4、政治、経済、芸術、宗教の再融合化

非常にアバウトなものですが、こんな区分を仮説してみて
それらについて自分が捉える位置というのを明確にしていくこと
そこからどのようにイメージ化していくのか、
っていうのがキーワードになるように思うんです。

いまの時代、そんなん理屈と違うよ、っていう風潮もありますが
そんな風潮の中でこそ問題を明らかにしていく必要があると思うんです。

写真を学ぶ写真学校の基本的スタンスをこのように求めています。

2004.06.01
フィルム写真は残れるか

デジタル写真の時代になって、コマーシャルやエディトリアルの仕事も、
デジタルカメラを使うようになってきてます。
写真を仕事にするにせよしないにせよ、デジタル化へまっしぐらに進んでる現状です。

こういう現状にもかかわらずフィルムで写真を制作する人たちもいます。
フィルムにはフィルムの魅力がある!
確かに現状では粒子、色調など印画紙を使う限りフィルムの方がよい。
でもこれもデジタル技術の進化でフィルムを淘汰していきますよね?
フィルム写真が今後も残るとすれば、
それはフィルムしかできない領域を確保していかなければいけないんです。

写真が美術(アート)の一角を占めるようになって久しいですが
工業製品としての銀塩やカラー処理工程での残存というより
フィルムを使ってより手作り化していく方向での残存を想定しています。

作品制作者(作家)は銀塩だけではなく非銀塩の写真世界も含めて、
その技法や材料を吟味していくことを考えていかなければいけないと考えています。
つまり手作りの、かってあった技法を掘り起こしていく作業が求められるのです。

それともう一方の技術ではなく「写真が扱うテーマ」の問題があります。
フィルムがフィルム固有の向かうテーマとは何か、
ということを導きだしていかないと意味がないです。

フィルムとデジタルというふたつの媒体をどう使うのかというのが
当面の課題になりそうですね。

2004.05.25
写真のネットワーク

いま、ここで考えようとしている「写真のネットワーク」とは、
新しい時代の人間の生き方を探っていくための開かれたネットワークのことです。

現在、学問上の分野で、生産と消費生活の領域で、
これまであった社会システムや考え方では解決できないことが、
あらわになってきているように思います。

このことは、世界の構造(国家と国家の関係のありよう)や世界経済システムの変化により、
個々の人間のあり方も急激に変化していかなければならないように思えています。

この変化はグローバル化する世界構造において、いろいろと問題点がクローズアップされています。
私たちの周辺を見てみても、精神世界や宗教関連の出版物があふれ出していることや、
自然と親しむ方向(ルーラル化)への情報がテレビ番組や雑誌などの特集が
多くみられるようになったことがあります。

これは近代以前に人間社会が培ってきた文化環境を取り戻す試みとして、
その現在的な問題を解決していくことを暗示しているように見受けられます。
私たちはこの情勢の変化を的確にとらえて、
新たな人間関係のネットワークをつくっていく必要があるのではないかと思っています。

各生産分野(特にここでは写真生産分野を中心として)の専門領域においても、
このままでは人間不在ともいえる新しい商品開発の研究のみが先行していくようにも感じています。

写真の分野では、モノクロ写真からカラー写真へ、現在はデジタル写真へと移行しています。
そして、いつもその周りには消費者としての私たちが存在しています。
あるシステムが商品化されることで完成したものとみなすとすれば、
フイルムをベースにしたカメラと写真処理はすでに完成品であって、
私たちは消費者の域をでることができなくなってしまったのです。

デジタルカメラはすでに商品化されて機材としては完成しました。
今後は部分的改良が加えられてそのつど需要を喚起してきます。
でもそのソフトウエアである写真表現の形はまだ始まったばかりです。
現在はフイルム写真からの置き換え過程です。
20年ほど前にレコード板からCDへ移行したようにです。

世界が統一(グローバル化)されていく構図に対して、
どのようにして一人ひとりの人間としての希望の実現を試みていくのか、
ということが求められているのです。
こうした視点から見てみると、いろいろと現れてくる新しい仕組みに対して
それぞれが意識的に対処していくことが求められていると思います。

これらのことを具体的に実現していくためには、
いまある商品としての価値観から意味を組み替えるべく新しい考え方の体系を模索しながら、
新しい世界観をつくっていける個人と個人のネットワークが必要だと思っています。
これから先、私たちが具体的にやらなければならないことは、
写真を撮り、写真を創るということを中心としながらも、
現代のいろいろな問題を考えながら表現の形にしていくことだと思います。

自由に発想し新しい時代を創っていくためには、
具体的な方法を取得する場を創り出すことが必要で、
写真ワークショップ京都のネットワークはそのような場になればいいなと考えるところです。
価値や意味をとらえる思想の領域から生産と流通と消費の領域までを含む、
私たち自身の一体化した新しいシステムを創り出していくことが必要になっていると思います。
この写真ワークショップ京都もすでにある価値観や意味するもののなかにありますが、
また、デジタルネットワークという商業システムを使っていくことになるのですが、
紙一重のところでそこからの脱却を図ってそれぞれが独自のメディア展開を
していけるようにしていきたいと思っています。

写真のネットワークとは、ぼくたちが新しいメディアに使われるのではなくて、
これを私たちのために使いこなしていくことに尽きると思います。
具体的なネットワークの創り方は別項にて提案していきます。大きくいえば、
デジタル環境を使ってのネットワークシステム作りということです。
2004.05.24
写真教育のはなし
写真って小学校や中学校で教えないんですね
写真つまり映像文化の根幹にある表現媒体なんだと思いますが
学校の基本教育のかたちは文字文化が全てのようにも見えます
20世紀の時代は写真、映画、テレビというように映像を主体に進んできたと思うんですけど
人間の生成過程にけっこう大きな影響を及ぼしてきたメディアだと思うんですけど
学校で教えてないですよ
写真が発明されてどれくらいの年月がたっているか知ってる?って聞いてみて
たいがいはきょとんとしてしまって、さあね~どれくらいなんやろ~戸惑ってしまうね
これが現実の認識度合いです
べつにこんなことどうでもいいことや、って言ってしまえばどうでもいいことかも知れませんけど
カメラを持つこと写真を撮ることが英会話すること以上に現代生活に入り込んでるのに
どうもいけませんね~
でもでも最近は写真の美術館もできてきたし展覧会も頻繁に開催されてるし、
表面にはだいぶん現れてきたな~~
でも見せてもらう側にしてみれば解釈の尺度がないもんだから
どのように解釈したらいいのかわからないんです
だって学校で教えてないんですから
いやはやこんなこと必要ないんかも知れませんね
写真って消費されればいいものであって学問の体系に組み込む必要なんてないのかもね
でも大学の社会学部あたりで文化論の論文書くときに困ってる学生もあるんですよね(笑)