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フォトハウス写真評論-3-

2004.07.03

写真と文化

大きなタイトルをつけていますが内容は小さなお話です。

写真は光が描いてくれる絵です。
写真がなかった時代というのは絵を描いていました。

その絵の歴史をひもとくと、
わが国では飛鳥時代の古墳の壁画や
玉虫厨子に描かれた絵を思い出します。
西欧では洞窟壁画(ラスコーの洞窟が有名です)があります。

人の意識が確立してくる過程で人の行為として絵を描くことがでてきます。
その原形からさまざまに発展継承してきて、
現在の先端では写真、映像がそれに対置できる代物ですね。

そのイメージ(描かれた像)にはメッセージがこめられています。
その時代その時代の或る意味で神話的な物語がこめられる。
この作用っていうのは文化の力です。

このようにして考えてくると、現在の写真のテーマは何か?っていうのが、
あんがい導き出しやすいかもしれませんね。
いやはやここで、物語についての是非を論じ出すときりがないですから、
ここではいったん物語性の是非ということはオミットしておいて(笑)

写真の内容がこの時代の物語に由来する。
この物語が、中心的なものであるか周縁的なものであるかですね。
と、言い出すと中心的とか周縁的というのは写真以前の領域作業ですね。
わかりますよね、この話って?

写真とはカメラを使って作り出す「存在物を定着させた平面」(と定義しときます)です。
その-撮られた存在物-を認知していくのは文化の力です。
そこで、この存在物の背後の意味をつむぎ出そうとするのが作家さんの仕事です。
という論法になってきますね。

このことってけっこう難しいと思いますよ。
でもね、絵巻物ってあるでしょ、北野天神縁起とか源氏物語絵巻とか、とか・・です。
曼荼羅っていうのもありますよね。
それらイメージでしょ、描かれたイメージなんです。

絵巻は風説や物語を絵に置き換えていく作業ですよね。
曼荼羅ってのはこころのイメージ化の作業でしたよね。
なにか、写真を撮ってるひとにはこの形式がヒントになりそうですよ。

こうしてここでいろいろと話題を提供していますが、
これでもやっぱりまだなんです。
気づいておられますか?
写真の内容、中味についての話です。
これがまだ出てきていないんですね(笑)

ここで作家さんの登場となるわけです。
評論っていうのはけっきょく言葉をつむぎ出して作家さんを触発する。
そんな役割ですね。

この写真学校フォトハウスの毎日の記事も、
行ったり来たり、ぐるぐる回っていま外堀を掘っています。
まるでフーガやロンドみたいな形式ですね(笑)

でも少しずつ輪郭が作られてきているようにも思っています。
引き続き、文字ばっかりの写真のサイトですが、
これからも続けていきます。

あわせて「あい写真学校&綜合文化研究所」のサイトもご覧ください。

2004.07.02
写真を誰に見せる?

みなさん!自分が撮った写真って誰に見せます?
写真撮ることを仕事にしている人は別ですが、家族とか友達とかが多いですよね。
でも、仕事にしていなくっても、俗に趣味で・・・っていって
写真を撮ってる人がたくさんいます。

ここでは、プロとアマチュアなんて区別はしませんけれど、
写真を撮り出して、写真コンテストというのが方々であって、
そのコンテストというのに応募してみようかな~なんて思い出して、
写真グループの一員となって、せっせと写真を撮りはじめる。
また、写真を教えてくれるスクールを探して学ぶというのもありますね。

いずれにしても写真を専門に教える学校を出た人があり、
専門の学校は出てないけれど写真を撮ってる人があり、
写真をたしなむ人は、もうべらぼうに多い!

で、撮った写真を誰に見せる?っていうのが今日のタイトルなんですが、
ホント、誰に見せます?
家族の中でだけというのが多いですか?
旅行とかの記念写真類は旅行に同行した人がみますよね。
というように、身内や同僚や友達といった関係者の間で見る。

でも、コンテストに応募するとなると、第三者に見せることになりますね。
つまり、あかの他人さんに見せる、ということですね。
そのうち写真を撮ることが仕事になったらいいな~って思う人も多いです。
でも、これはほとんど実現しないです。
でも実現させる人もいますよね。

写真を撮ることが仕事になるというのは、見せる相手は不特定多数です。
雑誌とかギャラリーとかのメディアを通じて不特定多数を相手にします。
わたしは最近、写真をホームページに発表しています。
新しく学校をやろうとか、自分の考えを知って欲しいとか、
見知らぬ人に見てもらって、私の方へ振り向いてほしい!との願望があるからです。

このように見てくると、見せる相手は、
身近なひと=私とあなた=二人称の関係の中で見せる
知らない人=私と第三者=三人称の関係の中で見せる

でもでも、私が撮って私だけが見る写真っていうのありませんか?
私だけの秘密の写真?!=一人称の関係の中で見せる

この見せる相手の想定で、最近の傾向はというと、
二人称の写真が多くなっていますね。
「わたしとあなた」の関係の中に写真がある、という図式ですね。

写真の現在っていうとき、この「わたしとあなた」という水平感覚ですね。
これが基点であり、ここからの写真作りが始まるような気がします。
見せる人が見る人である、という関係のなかです。
二人の関係は、カメラを持ったか持たないかではないんです。
二人の関係のなかにカメラがあるという関係なんです。

このような写真の移転には、
上下から水平へという人間関係の変容も背後にあると認識しています。

2004.07.03
写真を私に見せる?

前回は、写真を誰に見せるの?ということでしたが、
そこでは、あなたに見せる写真、ということを導きました。

写真は自分を見つめていく鏡だ!っていうのが今日のテーマです。

自分っていったい何、または何者なんだろう?って・・・
こんな疑問を抱いたことありませんかね。
社会の器の中で相対として他人がいて自分がいる。
その自分っていう中味のことです。

写真に限らず芸術という行為にもおよぶことなのだと思っていますが、
この「自分を見つめる」ということが必要なんですね。
これは解けそうでなかなか解けないですよね、きっと。
でもこの「自分とはなに?」っていう問いを解いていく道筋が必要なんです。

他人のことはよくわかる、といいます。
他人を理解するのには、もちろんその時々の価値観に基づいて、
それに照らし合わせて、外面のこと、どこどこの学校出てるとか、
どこどこの会社でこんな仕事していて、立派やね、とか。
その反対の「けなし」もやりますよね。

でも自分のことを自分で考えてごらんなさい。
たしかに家族がいて、学校に行っていて、アルバイトして・・・とか、
自分の外回りの環境はわかります。

でもでもね、ここでも、そんな自分っていったい何?っていう疑問がでませんか?

写真を撮るっていうのは、いろいろ考えるんです。
何を撮ろうかな?自分の好きなアレを撮ろう!
そうして撮ったモノをみて、そのモノの自分が撮った意味を問い、
社会通念の枠にそって理解していきます。

やさしい気持を表現したい!楽しい気持を表現したい!
そうして、そのやさしさや楽しさの中味を撮ろうとするんです。
自分との対話っていいますが、写真というものを介して対話するんです。

こうして自分を知っていくプロセスのなかで、
作り出されてくる写真が作品となって残るんですね。
けっきょく自分とは何?っていう
最終の解答は見つけられなかったとしても、
自分の撮った写真を自分に見せていくことで自分を知っていくことになる。

まあね、判ったような判らないような、ぐるぐる回りのお話ですが、
自分に注目することって、けっこう現在的なテーマなんですよ!

2004.07.06
写真学校の役割

写真というメディアが現代生活に占める役割を考えてみますと、
これまでにもここで見てきたように、生活者の人格形成に大きな影響力を持っています。

でも、大きな影響力をもっているメディアであるのに、
そのことを学術レベルで捉える視点というのは希薄です。

既存の写真学校がこの視点からの言及がいたって少ないのが現状です。

市中に技術を教えてくれる学校があります。
けっこういい値段ですね(笑)
公共のセンターが写真教室を開催しています。
これは市民相手だから格安です(笑)
カメラメーカーや量販店が写真教室を開催しています。
消費を促す目的だから無料に近いですね(笑)

芸術系大学や専門学校がありますね。
ここで学ぶには膨大な経費と時間がかかります。
といって職業人として自立できるかといえば必ずしもそうでない。

とくに写真を撮る技術ではなくて、社会学や心理学の分野として学ぶとしても、
なかなか文献がみつからないというのが現状です。

こうした現状の中での新しい写真学校の役割とはナンだろ~って考えるのです。
そうすると見えてくるのは、生きることの技術を教えるのではなくて、
生きることの意味を考えることをベースにおいて、
写真というメディアを使いこなしていく人を育てることだ、との答えが出てくるんです。

食べることと写真を撮ることを同じレベルで考えていくことや、
写真という手段が生きることの意味を考えさせてくれるものであることなどを、
ベースにおきながら、あるべき自分のあり方を探っていく、
このような役割を果たせたらいいな~と思っています。

学校ってどう在るのが望ましいの?っていうことも含めて、
考えていく必要があるんですね。

新しい写真学校のコンセプトは、ここからの出発だと考えています。