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秋風のなかに立っていると黄ばんだ木の葉が舞い落ちてきました。ぼくは風に吹かれて皮膚が快く共振しています。感じています。生きることってどういうことなんですか、というあなたがお出しになった問いを解こうとしています。

ぼくの魂は時計の振り子のように振れています。これまでぼくが経験して培われてきたこの世では価値とよばれているものが溶解しはじめているようなのです。あれらと共振するぼくの魂というのはからだと切り離すことができないものなんですよね。

自然のなかにぼくの感性や情動を委ねていくことはぼくの生の現象を確認していく手だてとなるものとの想いがあります。ぼくの関心の中身は自然とともにあるぼくが身に受けるさまざまな事柄への興味なのです。ず~っと向こうのほうまで傾斜していくんです。

ぼくが身に受けて立ち上がってくる想念を写真に撮り連ねていくことがぼくたちの織り成す物語への発端になるように感じます。ぼくたちがいまを生きていることの意味を問う物語としてそれらは撮り連らねられていくのでしょうね。きっと。

でもあれらの物語は多くの真であると同じだけ多くの虚をはらんでいるとおもっているんです。真と虚を前提としてのあれらの物語。あなたにもわかるでしょ?それがぼくのからだの奥深~くから発生してくるあれらの断片であるということがね。

かつてぼくはイメージ過程説という概念を想い描いたことがありました。ぼくたちが共有の磁場を発生させることができるとしたら、その磁場における磁力はふたりのあいだでどこまで交感し重なりあえるかということでした。

ぼくが描いていくイメージの断片である言葉をあなたにつなげること。あたかも一枚のマテリアルとしての写真のように目を閉じてまぶたに浮かぶイメージがまるで写真のように見えるその見えかたで重ねあえることができるかどうかの試みなんです。

かつてぼくたちの先祖が織り成してきた創成物語が生じる風景とはどのようなものだったんでしょうか。いま海に浮かぶくらげのようにぼくの内面にあるあれら恍惚とする風景はどこから導き出されてくるのでしょうか。

ぼくの風景の発見はぼくの魂の発見につながっています。魂を発見していくことが新しい物語を創生していく場の起源となるような質を孕むのだろうなと思っています。

ぼくたちの恍惚とする風景の発見は何を指し示しているのでしょうか。すでにこのぼくはぼくの外側にひろがっているものの総称を風景と名づけておりそのことを認知するものの総称をぼくの魂と呼ぼうと思ってます。

でもこの分けかたの認識がどこからやってきたのかということを問うてみます。そうするとことばのなかからやってきているのではないかなと思うんです。そんな状態でぼくがここですくい上げてあげることでぼくの全身を揺さぶってくる情が湧いてくるんです。

その根底の情動という得体のしれないものがぼくを突き動かしている感情なんです。その風景はからだの存在や魂の存在そのものを忘れさせてしまうなにかなのです。からだと魂が一体化すること。これって恍惚そのものですよね。

これから起こると想定されるぼくにとっての理解不能の現象は「おどろき」の感情を誘発することであると思います。あれらのこと自体を空想すること。幻覚を呼び込むこと。幻視すること。幻聴すること。恍惚を得ること。

深~い悲しみのあとの恍惚はあれら幻視・幻聴・幻覚をとつとつと語りはじめることでぼくたちの物語はきっとあたらしい創生の物語としての体系が培われていくのではないですか。ぼくたちの花物語はそうした磁場を形成していくことで磁力が働きはじめるのではないですか。

自然の現象とぼくたちが交感するあれら恍惚感覚のなかでそれぞれの感性を織り込んでいくイメージがおおきなうねりとなって記憶されていくときをあなたと共有したい。
いまぼくたちは自然の現象のなかのぼくたちとして生成されてきているようです。光と生の記憶に参入していくことで自然とぼくたちの交感がはじまってきているのではないでしょうか。あなたは感じますか。

ゆっくりと時が流れています。その時というものを遡行したり解体したりしていくことができるようになりたい。ぼくたちってその試みをおこなうことをもってあなたとともにあたらしい愛の関係へと紡いでいかなければならないのではないでしょうか。

ぼくはあれが起こってくるそのみちすじと情動がゆらめいてくる根元を見つめようと思っています。ぼくは想起する記憶の点検をおこなっているんです。ぼくの体験は生として発生して来てからいままでの時のすべてです。ぼくのすべては大地のなかに育まれてきました。

この世で文明とか文化とかいっているなかに延々と培われてきた記憶っていうのがありますよね。ぼくたちっていうのはその広い記憶の風景から作られてきているんですよね。で、ぼくたちはそこからの脱出ができるのかという問題を想起してみようとしているんですよね。

ぼくたちの日々の記憶は生まれたときからいままでの時を軸として共にあるのですよね。ぼくたちはからだに記憶の光景が想起されてその光景の意味を解釈しようとしているんですよね。このことってぼくたちの記憶に意味をもたせる基になっているんでしょうかね。
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