2004.8.4
アートとは何かというと

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アートとは何か、というタイトルをつけましたが、これを一言で論じることは難しいです。

でもね、ぼくは、この問題を自分ながらに解こうとしてきて、いま言えることは、自分の欲求の出し方ななんだと思っています。
自分の中にある何かを人に伝えようとすること。その伝えたいことを文字にしたり、写真にしたり、音にしたり、それらを組み合わせたりします。

それから身体表現ってのもあります。パフォーマンスなんていいますけれど、演技ですね。

アートが表現された形には、いろいろあります。

アートとは何かとゆうとき、ぼくは、そのことをやりたい!っていう感情が湧いてくること、このことが大事なんだと思います。
身体の欲望です。食いたいっていう欲求とかセクスしたいっていう欲求とか、身体にかかる欲求ですね。
この欲求があって、その欲求を満たすために出てくるのが欲望!
キミを手に入れたい!変装して踊ってみたい!小説書きたい!
その結果として、人に認めてもらいたい!・・・この欲求です。

この欲求に忠実になってあげることが、アートしていく条件かな。
アートとは、この欲求を形にしていくプロセスとでもいえばいいのかな~、って思いますね。
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写真は1983年白虎社合宿中の野外公演の光景。

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アートとは何か?っていうことの2回目ですね。
アートって身体を介在させることってありますね。

昨日、今日の写真は、かって1980年代の始めにぼくが取材していた白虎社っていう舞踏集団の写真なんですが、パフォーマンスですね。

写真を撮るってことも、けっこう身体的です。
出来事の現場で身体を使っていますから肉体的といったらいいのでしょうかね。

いま、はたけをやってるんですが、これはもう身体的です。
暑い日中に汗だくだく流しながらの作業です。
このときの気持なんですね。
気持いいっていったら気持いいんです。
アートすることのいちばん大事なことがここにあると思うんです。
なんかもうセクスの変形なんだと思うんです。
快感、エクスタシーを求めて、感じる!!
行っちゃう~~、って感じで汗だくだく流してる。

そういえば食欲、性欲。
これは身体が要求するんです。
セクシュアリティーなんですね。

アートの根底にはセクスがある!
こんなこと言い出すと写真はアラーキーさんになってしまう。
今日は、たまたま彼が写ってるんです、記念写真。

アートを捉えるいくつかの系がありますが、文化の軸でセクシュアリティから捉える方法もあります。
特に最近はプライベートな領域がテーマです。
こころの解明ということの科学からのアプローチとアートからのアプローチですね。

写真も文学も、見えないものの神秘のベールを剥がしていく作業として、あるように思いますね。

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アートとは身体を介在させることである、って言いましたが、今日は、パンを作る気持と労力について考えたいと思うんです。

アートは気持よい感じを感じること。恍惚の状態まで登りつめることができたら最高だと思いますが、何の不安も無く快楽の状態にあること。

食べるものを作るって場面では、けっこう熱中してるんです。
なんかもう変質者になった感じもしますね。アートってこの変質者になったときのプロセスなんです。

1個のパンを作るのに3日間かけてます。
出来上がりの予測はできますが、実際には作っていかないと、出来上がりの状態がわからない。

文章を書くときでも、写真を撮るときでも、パンを作るときでも、最初は何も無い状態から始まります。
出来上がるまでのプロセスと出来上がった形は違います。
詩や小説であったり、写真画像であったり、パンであったりするわけです。

でも、このプロセスって、似ていると思うんです。
このプロセスに関わる自分の気持っていうことから見ると、ほとんど同じなんです。

自分の中でイメージが膨らんできて、それをどのような出来上がりにするか、ってけっこうワクワク感ですね。
性感をくすぐられて、気持いい~、っていう身体の異変状態と同じような感覚がそのプロセスにあるんです。
これは体験しないとわからないことです。(笑)
セクスしてる最中がアートしてることだ、とは言い切りませんけれど、アートしてるプロセスの最中っていうのは、これに近いですね。

要は身体の満足度だと思うんですね。
エントロピーということで言えば、身体の中に溜まっていたエネルギーが、パンを作るプロセスにおいて、発散していく。
宇宙空間に放出されていく、その循環みたいなプロセスですね。

この状態を、アートしてる状態なんだとの思いがあるんです。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の昭和寫眞帖