ぼくの写真史-11-
  2005.5.9~2005.10.21
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「写真の現在展’84」という合同写真展が、1984年3月26日から3月31日まで、大阪府立現代美術センターにて開催された。関西に在住の若手写真家49人の合同展でした。いまボクの手元に、その展覧会のカタログがあります。展覧会の連絡先は、スタジオ・シーン。スタジオ・シーンは、季刊写真誌「オンザシーン」を発行していた。当時の、関西におけるインディペンデント系写真家のグループでした。

この1984年3月というのが、ボクにとってのターニングポイントだったとの認識があります。映像情報誌の発展的廃刊と、フォトハウス京都の設立呼びかけを行う年でした。ボクは、この写真展「写真の現在展’84」に、釜ヶ崎の写真を出展しました。キャビネ版で270枚を割り付けられた壁面に張り巡らすという展示方法をとりました。この展示方法は、1979年8月に釜ヶ崎三角公園で、夏祭りの参加展示で、青空写真展を開催した形式を、そのまま美術館の壁面に再現しようとしたものでした。

ボクは、この写真展参加をもって、作家活動を休止しようと決意していました。そうしてこの展覧会の最終日、つまり1984年3月31日をもって、写真作家活動の一切を休止しました。 

今日、この写真展に展示した写真を、デジタルカメラにて複写しました。撮影現場は、1979年8月13日から15日だったかと思いますが、それから26年が過ぎ去った今日です。写真発表から21年余りが過ぎ去った今日です。

昨年、釜ヶ崎ドキュメントの一部を、HPに掲載しました。また今年になって、無名碑の一部を掲載しました。今日、複写した写真もHPに掲載しようと思っています。取材から25年前後の歳月が過ぎ去って、ボクのなかでは、ようやく過去の記録になりつつあります。

写真の現在を考えるなかで、経過する時間というもの、残された画像と自分を、再検証する材料として、あるように思います。というように、作家の態度のなかには、撮られた時間と、経過した時間、そうしてあらためて発表される。このようなサイクルのなかで、作家は存在する。写真を巡るドキュメントという問題の状況です。

 この6月から7月にかけて、写真史のレクチャーを2講担当しました。「ドキュメント写真」という切り口で、1回目は、アメリカを中心とした世界のドキュメント写真の概観。2回目は、日本の1950年代以降のドキュメント写真の概観。果たして「ドキュメントとは何か」ということをあらためて捉え直して見ようとの試みです。

表現の領域が極私的レベルにまで拡げられてきた現在の状況があります。オーソドックスなドキュメントの方法を云えば、社会との関係性を、場所と時間の枠で表出した写真をいう、とレクチャーでは仮説してみました。

そうするとドキュメントから外れる写真の群がでてきます。1968年当時、プロヴォーグの作家たちが試みた写真解体のムーブメントがあり、それ以降に垣間見える写真があります。主観的直感による作品提示。たとえば森山大道という作家が発表する写真群など、等々。

2005年の現在、あらためてドキュメント写真とは、どういうことなのかを問おうとしています。というところで、この問題の立て方自体が有効なのかどうなのか、との問いがボク自身のなかにあります。ひょっとしたら、もう問題の立て方自体が、無効なのではないか、このように思うわけです。

現代写真を巡る位相は、もう別の位相から論じないといけないのではないか。
それでは、論理化する方式を無効化したときには、何をもって論理化すればよいのか?ここから導かれる解は、直感によるインパクト、なのかも知れないと思ったりします。論理化すること自体に無理がある。もう論理で割り切り、構築できる写真は、「過去」なのかも知れない。

本音、立ち止まって思案してしまうのは、こういう局面に立っている自分の言葉への不信感なのです。

写真について語るということは、実は漠然としています。写真の何について語るのか、を決めなければいけませんね。写真の技術について、とか、写真の歴史について、とか、ですね。それから、写真の勉強について、なんかもテーマになりますね。

あい写真学校と写真ワークショップ京都の写真を勉強する枠組みを作っています。前者は通信制、後者は通学制。拠点は、京都です。最近は、写真史、写真技術、写真論、そうして作品作り、学校の枠を作って、その中を埋める作業をやっているんです。どこまでやってもきりがないな~って思っています。なにかうわべだけを滑っているようで、空しいような気持ちもでてきます。そんな日々を送っています。

<再生フォトハウス京都>

フォトハウス京都を再開させて1年が経ちました。昨年の4月から、通信制の写真学校「あい写真学校」を開校し、10月からはギャラリー・DOTと共催で、「写真ワークショップ京都」を主宰しています。

思えば1984年11月に、フォトハウス京都の設立準備に入り、1985年8月に「ゾーンシステム講座」を中心に開催しました。オリジナルプリント制作の基礎講座といった内容ですが、日本で初めての本格的な公開講座でした。

2004年4月に開校した「あい写真学校」は、デジタル写真時代の新しい写真学校として、通信で学ぶカリキュラムです。そして10月に開校の「写真ワークショップ京都」は通学制。通信と通学を組み合わせて学ぶ写真学校を誕生させたわけです。

新しい写真学校は、写真表現の方法を学ぶ学校として特化させています。ともすれば商業主義に取り込まれていくアートの世界ですが、そこを一旦解体してしまう。たしかに今の時代は、商業(経済)の枠組みを離れては、全ての価値が定着しない様相を示します。つまり、アートする心、写真を撮る心、そのものが商業ベースで成立するかのような現状です。

いま、必要なことは、一旦リセットすることなのだと考えています。現状を分析・理解するためにも、価値観をリセットすることから始めなければ、新しい写真を撮る・作る価値が見出せない。アート全体が商業化されたことで成立する時代。人の生活様式が見直され、新しい人間観をつ作りだそうとの機運を捉えて、写真を一旦商業枠から外してしまう。いま新たに起こる人のあり方を、写真という側面から捉えてみようと思うのです。

新しい写真学校、あい写真学校&写真ワークショップ京都です。フォトハウス京都は、様々な状況とリンクしながら、写真の領域で立ち上げるセクションだと思います。