ぼくの写真史-14-
  2005.11.7~2006.3.16

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☆東松照明展
東松照明さんの写真展が今日から始まるというので、大阪まで見に行った。
淀屋橋にある「ギャラリー新居」。東松さんと会えるかも知れないと期待しながら行ったけれど、今回は来られないとのこと。図版を買い求め、芳名帖に名前を書いて、数枚、会場の写真を撮らせてもらった。

京都市バスで四条河原町まで行き、阪急に乗って梅田へ、地下鉄御堂筋線一駅、淀屋橋まで。ギャラリーの所在がわからず、2回、淀屋橋から新御堂まで行き来してしまった。三和銀行旧本店、瓦町という表示板。かって行き来した場所へ、久しぶりに赴いて、複雑な気持ちになった。会場には10分ほど滞在したと思う。コーヒーでも飲もうかと思いながら、やめて、そのまま京阪特急に乗り込んだ。京阪電車、これも思い出多き電車だ。淀屋橋の階段降り口で、もう30年も前だな、長女を連れて写真材料の買出しにいった。そのときの光景をふっとよみがえらせていた。

四条で降りてそのまま市バスを待ち、乗り込んだ。四条のバス停で、四方の風景を写真に撮った。家を出てから帰りつくまで、5時間の行程だった。 

☆エグザイルギャラリー
エグザイルギャラリーは、北白川にある。西澤豊さんが主宰しているギャラリーだ。今日、そこへ行ってきた。1999年オープンで、これまで5回写真展を開催したという。今日は、松井洋子さんという人の写真展。目的は、西澤豊氏に会うことだった。

もう10年以上も前のことになるという、表現大学へ西澤氏が受講しに来ていた、税理士さんだった。同じ京都に住んでいて、いわば様子伺いといった訪問だった。綺麗なギャラリー空間だった。顔を合わすなり、西澤氏も気づいてくれた。ボクが京都で、DOTと一緒に写真学校を始めたことなどを話した。共同作業ができないかなとも思ったのだったが・・・。

自転車で、出町柳から百万遍へ、そこから北白川のギャラリーを探しながら行った。そうして西澤氏と会話して、また自転車で・・・今出川通りへ出た。京大農学部前、そこでカメラを取り出して、シャッターを切った。路上を撮った。1969年春先の光景が、脳裏に甦ってきたのだった。

路上バリケードの前で、投げられた火炎瓶のガソリンが燃え盛っていた光景。機動隊が催涙ガス弾を打ち込んだ光景。昨夜のニュースで、フランスで暴動が起こっているという光景を見た。それが誘引となったのかも知れなかった。1969年春の光景が、目の前に妄想されたのだった。

平和だな、と思った。自動車が行き交い、自転車に跨った学生とすれ違った。光景は、ボクの妄想にしか過ぎないのだ、と思った。ちょっと憂鬱になった。理由はわからないが、メランコリー。晴れた日の午後の時間だった。
☆写真ワークショップ京都11/12
昨日、11月12日は、写真ワークショップ京都の11月セミナー&ゼミの日でした。4月に開校して8ヶ月、今回のWSには、新しい参加者が2名、見学されました。写真の勉強をしたいと、やる気満々の二人、男の人と女の人。毎回、参加者の顔ぶれが定まらないんですが、内容的には、まだまだ試行のところがあるので、欠席の人、なんで欠席なの、と心配になってるのも事実なんです。

技術を教え学ぶカリキュラムってのは、ある意味、楽なんです。というのも撮影や写真制作技術という、確実なものを伝えるんですから、楽なんです。
セミナー&ワークショップの枠組みは、不確定要素、つまり考え方や捉え方、そのこと自体をテーマにするわけだから、やってて不安になってくるんですね。これでいいんやろか~なんて思ってしまうわけ・・・。なるべく参加者が、自らの言葉で発言して欲しい、と思いながら、言葉が少ない・・・。

新しいお二人が、言葉を沢山紡ぎだしてくれたので、正直なところ楽でした・・・。でもしゃべれなかったメンバーの気持ちを、推測すると、これでいいのかな~?やっぱり思ってしまう・・・。

一日あけた今日です、そんなこと思ってしまって、ここに記述しておきます。
ホント、主宰者がこういうことを言ったらあかんのだけど、ね。

☆イタリア紀行
11月14日から21日まで、イタリア旅行に出かけた。JTBのパック旅行です。
ヘルシンキ経由でミラノへ到着。ベローナ、ベネチア、フィレンツェ、ナポリ、カプリ、ローマ・・・。あわただしい観光旅行だった。35年目の新婚旅行と云うのも恥ずかしい気がするけれど、同行16組中、14組が新婚旅行の若いペア、それに得体の知れない中年ペアとボクたちのペアだった。

イタリアというと、最近ではスローフードの発祥地とローマ法王庁、サン・ピエトロ寺院がある・・・程度の思いで出かけた。断片的に刷り込まれたボクの知識。旅の途中の観光ガイドで、ほんと、断片知識がそれなりのまとまりとなってきた。

ルネサンスの発祥地なのだ。レオナルド・ダビンチ、ミケランジェロ、その程度の名前なら知っている。フィレンツェ、ベネチア、ローマ、その程度の地名なら知っている。その程度なのだけど、訪れた先々で、刷り込まれた記憶が、断片として浮上してくる、経験だった。

キリスト受難のイメージが、ボクの記憶のなかにあり、それを絵画や寺院を目の前にして、ある種の感動が紡ぎだされてくるのだった。いくつかの見慣れた絵画や彫刻があった。遺跡があった。そして旅は、その記憶を甦らせてくるのだった。

写真を撮る。今回はデジカメ、バッテリー消耗の範囲で、撮る。出発前に、130~150カットが撮れる計算で、撮影旅行ではない。旅の記録程度の思いで、出かけた。訪問する各都市で、10~20コマ程度の枚数だ。寺院内部や暗い場所で、シャッターを切るとき、手振れする。まあいいや、と思いながら撮った。177コマ撮れた。整理して70コマをセレクトした。極端に手振れたコマは除いた。感動して撮影したコマがいくつかある。磔刑のキリスト、マリアに抱かれたキリスト、サンピエトロ寺院の内部・・・それらがアルバムに残る。