<ドキュメンタリー・フォト>2

ドキュメンタリーとは記録することであると定義しましたが、この記録とは何かということを、考えておかなければいけないと思います。記録とは、歴史を形成する資料です。歴史は、資料の集積です。資料の羅列です。この素材としての記録を、組み合わせて、ストーリーをつくり、歴史として定着されるのです。このことが、ドキュメンタリー・フォトの素材としての存在価値であると考えています。

この歴史という範囲は、世界の政治史の領域から、文化の領域まで、記録された、この場合だと写真が使われて、組み上げられて、それだけではなくて、言葉の介助が必要で、記録された写真には、時と場所が言葉(文字)によって並列されると考えています。歴史そのものは、言葉が先にありきで、その素材として、ここでは写真を使うわけです。そこに呈示される写真の第一義は、そこに写された物や事が、言葉や文字によって意味づけられるといえます。

ドキュメンタリー・フォトを制作する人は、上記のことを基本的に理解して、写真の意味を考える必要があろうかと思います。写真を撮る現場。この現場が持つ歴史的な意味。先験的にそのことを考えたうえで、現場に立つことが必要なわけです。現場に立つということは、ドキュメンタリー・フォトの写真は、この現場がないと記録できないという宿命を負っているからです。とはいえ、現場に立つ人は、その時空を組み立て、ドキュメンタリー・フォトとします。

具体的な例をあげるとすれば、たとえばロバート・キャパの「ノルマンデー上陸作戦のとき」の現場写真がありますが、これは現場そのものが写真に撮られ、歴史を形成する資料となった例です。一方、たとえば東松照明は「11時02分NAGASAKI」という作品において、背後に被爆した長崎という歴史があり、それから十数年を経て、「被爆地」という場所で、歴史を振り返る作業をおこなった行為です。

このように写真が撮られた時の記録が、直接的な関係と、間接的な関係とが、あります。ドキュメンタリー・フォトが持つ基本的な性格は、記録ですが、直接的な記録と間接的な記録がある、といえます。

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