<ドキュメンタリー・フォト>3

写真で記録される現場が、ある特異な意味をもっているとき、ドキュメンタリー・フォトという手法が精彩を放つ。現場が持つ特異な意味とは、たとえば2014年の今なら、原発事故から三年が過ぎた福島、毎週金曜日に行われている抗議行動、などが思い浮かびます。特異な意味とは、原子力発電所が事故を起こしたというそのことです。おおむね、写真の撮られる現場が、特異な意味を込めてしまわれた現場ということなのです。特異な意味を持った事柄とか場所が、写真が撮られる現場ですが、その事柄とか場所は、一様ではありません。

たとえば原子爆弾が日本の広島と長崎に投下された。1945年8月6日が広島で、8月9日が長崎で、それぞれに投下されたという事実があります。炸裂した時の記録、その時の地上の光景、そのとき撮られた写真が残されています。これぞまさに記録写真そのものです。この原爆が投下された日から、日を過ぎるごとにその事実は過去の時間となっていきます。一年経てば、一年前、三年経てば、三年前、というような時が刻まれていきます。投下され、炸裂する瞬間は、瞬間であるから、その後に撮られる写真は、過去に起こった事柄をベースとして、撮るときの今を組み立てていきます。

特異な事柄は、人々の間に共有されるシンボルとして意識の底辺に記憶されているものです。写真が呈示されることによって、このことがよみがえり起立してきて、意識の表層に出てきます。前例の原爆の投下された事実とその後の記録によって、そのことが風化するのではなくて、意識の表層に出てきます。記録が単に記録として残ると同時に、意識の底辺に沈められた記録が、その後には記憶となって人の意識の中にしまい込まれるです。ドキュメンタリー・フォトの構造は、特異な事柄が起こったその時、それからの時間、それを経て、記憶のなかにしまい込まれ、あるきっかけで呼び覚まされる、ということにしておこうと思います。

  IMG_9902
   写真は、福井県三方町の海岸、原発遠望 2011.7.9撮影