天地
2006.12.4~2007.1.6

天地の天-1-
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歴史のはじめは、天と地が分かれたときから始まるとゆう認識で、よろしいのでしょうか。この国の創造物語、古事記の最初に天之御中主神-あめのみなかぬしのかみ-という名前の神が記述されています。これって天の中央にあって天地を主宰する神の意味なんだそうですね。つまり太陽のことなんでしょうね。そこでボクは、 天地の天シリーズの最初に、この光のある写真をもってきたわけです。

とある坂道をのぼりはじめたとき、目の正面に、光輝くところがありました。目を向けたところ眩くって見ることができません。カメラを持ち出してみたところ、形は捉えられず、ただただ眩く、真っ白になっているだけでした。

ボクの興味は天地、形あるものとしての天地、とはいえ天に形があるかのかといえば、形ではなく現象があります。地はどうかといえば土石の塊としての形があります。太陽は光を放つ星として形がありますけれど、通常状態では、カメラの能力を超えていて、形として収めることができないのです。

思いつき程度の試みで、これから光あるところで写真を作り、文章を書いていくわけですが、<天地の天>と<天地の地>という二つの枠で、ボクは創作していきたいと思うのです。

天地の地-1-
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地は、鉱物であって、岩石であって、無機物であります。それは生命体ではありません。天の雨がしみわたり、年月を経て石になり、砂になっていくのだと、理科で習ったものです。地には四方があり、今の言葉でいえば、東・西・南・北、かっては方位を、白虎・青龍・朱雀・玄武と呼んでいたそうな。その頃にもこの地があったわけで、これ、方位でゆうと玄武の方位です。

とゆのもこの写真に撮った地は、京都の北に位置する船岡山だからです。船岡山の北側斜面に剥きでた石肌なのです。船岡山は、平安京造営のときに北の基点となった場所だといいます。そういえば、この船岡山の北に今宮神社があり、東に玄武神社があります。今宮神社は、元は疫神社といいましたとあり、玄武神社は京都の鬼門に置かれたと聞き覚えております。

天然自然現象を、そのすがたかたちを、ヒトは怖れおののき、自分を超えたなにものかを感じたのでしょうね。今、ボクは神というイメージに興味を示していて、神が出る場所を詮索しているわけで、つまり、ボクの心の或る処で、それを感じる感じ方というものを詮索したいと想っているのです。

天地の天-2-
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2006年12月19日の天。京都は北野白梅町。ぼくはカメラをもって散歩にでかけ、この交差点に立っておりました。午後二時過ぎの出来事です。冬至に近い日は、快晴の青天、とはいえ、かってあったような深い青天ではなく、少し白濁したかのような青天です。

このポイントの記憶のはじめは、小学生のころに遡ります。そうして高校に入学する日のことが甦り、時折々の記憶が甦ってくるのでした。高校に入学する日、いまは亡き母が一緒にいて、ここから嵐電に乗っていったことが甦り、母の追憶とでもいうように、かってあった母の面影を甦らせるのでした。

それらはすでに半世紀も以前のことであり、記憶をもったぼくは、ぼくの生きてきた時間を、反芻しながら、カメラのシャッターを切るのでした。街並みの光景が変わり、行き交う人の衣装が変わり、昔の面影が一変している光景を確認していくぼくが、そこポイントにいて、それにしても天からの光の姿は、それほど変わっていないんだろうなと思ったりしているのでした。

天地の地-2-
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聖地には石があると読み聞きた記憶があります。聖地とは聖なる地のことで、聖とは、国語辞典によると、1:知徳に非常にすぐれている人。ひじり。2:その道の達人。3:神聖。4:天皇に関する物事に添えることば。5:キリスト教などで聖者の名に冠することば。とあります。ぼくが使っている国語辞典は、昭和31年初版発行の角川国語辞典です。小学校の六年のときだったかに買ってもらった辞典です。

石は地の原形のひとつだと思っています。この石の在処は、京都は船岡山の建勲神社の境内です。この石の所在場所が、聖地なのかどうかを、ぼくは、いまのところ判断しませんけれど、俗にいう聖地の範疇にはいる処です。そのように想うと、なんだか霊験あらたかなるインスピレーションを、感じてしまうようにも思えてきて、水したたりおち、苔むしている地なのです。

石は鉱物、水は無機物、苔は有機物です。それを見て、感じて、認識するぼくは有機体の動物です。鬱蒼としたたたずまいのなかにある、この地を見て、鬱蒼を体感して、霊験あらたかなる気分になります。天地がわかれて、最初にあらわれた地だ、とはいいませんけれど、ぼくにとっての鬼門なのかも知れないなぁ、と想ったりしてしまう処のような気がしています。

天地の天-3-
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2006年12月22日の天。大阪府島本町桜井付近。この日付は冬至です。撮影日時は、つまり太陽がいちばん南になった日の午後4時前ごろだったと思います。ここは天王山に近く、水無瀬に近く、桜井の駅跡があるというトポスです。縁あってぼくの近場になっている場所です。天といい地といい、そこに歴史をみるという視点から、写真が撮られてタイトルつけられ、若干のコメント文をつけていく作業を試みているのです。この作業は、ぼくによるぼく自身のあとづけ作業なのだと思っていて、ぼくの内面系譜を正当化しようと思っていて、記憶の場所にて、天に向けて写真を撮っているのです。

ぼく自身を権威つけようとか、正当性を証明しようとかの意図があるわけではなくて、客観性を欠いた、主観に基づく、自分探しの試みなのだと思っているのです。たとえば素性というものが、ヒトが生きるうえで重要なファクターとなっているのであれば、ぼくの素性は祖父祖母の顔を思い出すレベルで、それ以前のことはわからない。わからないとゆうことは、素性が知れないということにつながり、俗に言うどこの馬の骨なのかわからないとゆうことだと自認しているわけです。

これはぼく存在以前を、時系列的に辿ってみて、ぼくの居る場所を定着させる試みとは無縁だと思っていて、ぼくの内面意識の深さレベルで、ぼくを捉えていこうとしている、これは芸術行為なのだと解釈しているわけです。というのも、ぼくの今様問題意識が、個の生成と記憶というテーマに根ざしていて、見えない個の記憶を、見えるように形つくろうと思っているのです。ぼくにとっては、ぼく誕生のときに天地が分かれたわけで、それから僅少60年とゆう歳月を経てきたいまの内面意識を、構造化したいと思う行為なのです。

天地の地-3-
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地の底にはなにがあるのかといえば、黄泉国(よみのくに)があるといいます。つまり暗黒で死者のいく処だとゆうのです。ぼくには、そうゆう処が実在としてあるとは考えないのですが、ふうっと、生まれる以前、生まれて今ある、死滅以後という想いが起こってきて、恐怖にいたる気持ちを抱くことがあります。個体の誕生と死滅という生命現象を、からだのことだけではなくて、こころをことを交えて考えると、以前、以後がじつは大きな関心事として立ち上がってくるのです。

ぼくらの世代は、唯物論とか実存主義という考え方をベースに、論を組み立てる時代に学んできたわけだし、教育の根幹に神代の話はいっさい無く、民主主義だとゆう概念で知識が育まれてきたわけです。今様の問題意識でいえば、ぼくのありかは何処にあるのか、つまりアイデンティティ問題なわけで、パンとミルクの給食と、欧米賛美意識で埋まれたぼく自身を、最近になって生活実感とそぐってないなぁ、と思うようになっているのです。

死して行く処がある、その場所は、黄泉国ではなくて天上の国でありたい。こころがそのように思うから、黄泉国への出入り口には封印をしてしまいたい。地表と地下は一体のものだから、なんにもしなければ地下に行ってしまう。だから、ここから、天に向ける想いがわいてくるのだと思ってしまうのです。ぼくはやっぱり天地の天を想い描きたい、そのように思う年齢に至りだしたんやなぁ、と思わざるをえないのです。

<リンク>

中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の昭和寫眞帖