<ドキュメンタリー・フォト>5

ドキュメンタリー・フォトが作られるときの、カメラマンとしての撮影者と被写体との距離において、区分するとどうなるか。撮影者と被写体との関係性とでもいえばいいのかも知れません。この位置関係を写真の歴史では三つに区分しています。それぞれに、ソーシャルドキュメント、、パーソナルドキュメント、プライベートドキュメントとぼくは呼んでいます。ソーシャルドキュメントは、撮影者と被写体との関係は、個別人間的なつながりはありません、とします。パーソナルドキュメントは、撮影者と被写体との関係は、撮影者の思いのなかに込められ、撮影される場が共有される、とします。プライベートドキュメントは、家族とか愛人とか友人とか、親密な関係者のなかで撮られ作られる記録の方法、といえます。

たとえば戦争に密着して写真を撮った、ロバート・キャパやユージン・スミスなどは、ソーシャルドキュメントを創りあげてきた写真家だと言えます。その後1950年代以降になって、ウイリアム・クラインとか、ロバート・フランクの手法に影響される写真家たち、リー・フリードランダーやゲリー・ウイノグランドなどの手法をもって、パーソナルドキュメントとの写真家と言っています。写真家が世界を解釈する、その仕方、見方が写真の構成要件となってきます。つまり、世界を遠くに見て、解釈して、中立的な立場を保ちながら写真を作るというようなソーシャルドキュメンタリストとはちがう、世界を自分の近くに引き寄せて、解釈し、自分の立場を写真の中に込めていくというような手法です。

プライベートドキュメントは、たとえばナン・ゴールデンがあらわす、私的な友人関係、恋人との関係など、社会的センセーショナルな場面においてカメラが持ち込まれた写真群。撮影者みずからが、その場を構成する人である、そういう水平関係のなかで写真が撮られる。つまり、プライベートな関係のなかで、写真が撮られて発表される。言ってみれば、より自分という立場が、身近な位置を占めるようになってくると、言えるかと思います。このことは、個人の尊重とか、自己に目覚めるとか、社会の風潮に合わせるかのように、展開されてきたと思われます。現在においては、分類すれば三つのパターンに分けられる手法が、存在しているというように言えます。撮影する立場と目的によって、その手法が選ばれるわけで、ソーシャルドキュメントが否定されるべきではなく、プライベートドキュメントが優位にあるというのでもありません。写真家の選択によって、その方法が選ばれる、その時代が今だと思えます。

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