<情動・フォト>1

生命活動のうち、言語に対抗して提示できる領域といえば、情、情動。感情とか、欲情とか、そういうレベルの領域です。イメージによって感覚が刺激され感じるというもの。そういう写真があってもいいのではないか、と思うわけです。言葉を介さないで感情が動くといえば、それは本能が刺激されるということでしょうか。

男が感じる女への感情、その逆。恋愛とかいう感情そのもの、理屈ではない。このようなことが与えられる静止画としての写真。いま求められる一極は、こういった言語を介さなくても感動が得られる写真のことでしょう。

たとえば、ハンス・ベルメールの人形の写真、HIROMIXや長島有里枝といった女性たちが撮った写真をみて、これは理屈ではなくて、感情で見る写真だと思ったわけです。言語活動は、あとからつけられるとしても、写真と並列、もしくは写真の基底にあるものではないと認知するのです。このように考えると、ここにおおきな潮流としての二極が見えてきます。言語によって意味をもつ写真と、情動を動かされることによる写真、です。この時代、どちらが正しくてどちらが間違っているとは言えないところです。

いきおい、この文章は、言葉に拠っている訳です。だからここで論じる写真というもの、言語によって拘束されるではないか、と考えてしまいます。でも、そうではなくて、写真に表されるイメージからのインパクトによって、感情が動かされるという意味では、その基底に言語を有しない、といえるのではないか。

このことは、現代美術の方法にも通じるように思えます。写真もそういうことでいえば現代美術の一角を占めているわけで、情的な、情動される、むしろそういう領域は、セクシュアルなイメージであるのが大半です。人間が言語を介さなくて感情が湧きあがるのは、本能として、子孫を残す行為に直結するイメージなのかも知れません。

  IMG_6440