<情動・フォト>3

写真に撮られるテーマと内容は、その時の社会がもつテーマを、具体的なイメージとして見せることだと思っています。そのことでいうと、現代社会の問題は、個人の内面の問題になってきていると思っています。もちろん、これまで表面的に現れていた問題が無効になるかといえば、まったくそうではなくて、新たな問題として現われてきている問題です。写真に撮られるときには、その問題は潜在的なものであって、写真が撮られてのち、数年またはそれ以上の後になって顕在化してくる問題です。現代社会の個人の内面の問題をとらえてみると、その中身は非常にセクシュアルなものであろうと推測できます。

最近では、痴漢行為や盗撮行為が、社会問題、犯罪として、ニュースで個別に取り上げられます。昨日、NHKでJKビジネスが売春にまで至っているというレポートをしています。JKとは女子高校生のこと。つまりNHKではJKというあやしげなる略語が、社会に認知されているという前提で、使っているものと思われますが、その実態は需給と供給の関係にまで至れると思います。社会の表面から隠された、しかし公然の秘密めいたことがら、セックスなことなのです。社会の爛熟といういい方はどうかと思うが、ある意味、世が乱れているわけで、人心が本能に基づいて行動してしまう、ということに外ならないのでしょう。

写真や映像は、疑似体験できる装置として存在するわけですから、時代の鏡としてあります。最近、あるブログが忠告を受け、あるいは閉鎖されてしまった理由のひとつに、無修正サイトへの誘導、という項目があったといいます。日本国内では、いけなくて、外国では、いける、というある特定のからだの部位が修正されていないところへの誘導のおそれがある、ということでしょうか。こういう事態が起こっているというのは、つまり、関心ごとの中身が、内面のセクシュアルをどう解消するか、という逆要請ととらえてみて、ネットの時代、個人が個人として自立し始めた時代、この時代の闇をあぶりだす装置としての写真・映像が、大きな需要として存在しているように思われます。

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