紫式部
2007.1.8~1.15

紫式部供養塔
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紫式部といえば源氏物語の作者さんです。古典文学の高嶺に留まったまま延々千年、読み継がれてきて、現代語訳も与謝野、谷崎、瀬戸内、それぞれに書き改めていらっしゃる魅力ある古典です。ここ京都は千本鞍馬口にある千本閻魔堂(引接寺)の境内北西に置かれている紫式部の供養塔です。多層塔だけれど、写真は下部二層です。

男と女の物語は、古今東西、永遠のテーマであるようで、男と女の、恋と愛、哀れと悲しみ、えろすを基軸としています。京都の文化を見つめようとしているぼくにとって、いよいよそれが出番であるように思えてきているところです。神イメージから引き継がれてくる豊穣えろす世界の原形のように思うのです。

紫式部墓所
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堀川北大路下るといえばいいのか、堀川鞍馬口上るといえばいいのか、つまり紫式部の墓所がある場所のことです。京都の地名は、道の交点の南北を先に東西を後につけて「上る下る」というのですが、その言い方に従ってゆうと、前記の二つの呼び名が当てはまります。縁起をかついで「上る」とすると、紫式部の墓の在処は、堀川通り鞍馬口上る、とゆうことになります。

彼女の代表作、源氏物語は、寛弘六年頃(西暦1009年頃)完成を見たとありますから、およそ千年の昔に書かれた物語です。さて、墓地がここにありますが、この地が本当かどうかは疑わしいといいます。この墓石はそんなに昔ではなくて、近年のものです。でも、まあ、場所をつくり形に残すことで、視覚として認識できるいわけですから、それはそれでいいと思います。ぼくは今日(2007.1.11)あらためて訪れて、写真にしたわけで、京都巡りの一助となるものだと思っています。

墓ない人は儚い人生、なんてお墓やさんが書いてはったけど、そうやね、30数年前に写真を撮り出したころ、クラブに入ってて、月一回の例会が、お墓やさんの二階やったか三階やったか、それで、ぼくが入るお墓は、本法寺にあって、表千家と裏千家の玄関前にあるお寺、紫式部さんと近場といえば直線で300mほどやろか、よろしゅうにたのみます、とのお近づきのしるしも込めての表敬訪問だったのです(ウソ)。

紫式部通り
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古記録に紫式部の墓は、雲林院の南に存した、とあるといいます。現存する雲林院は、北大路通り大徳寺前の交差点東南の一角にありますが、その南というポイントでは、いま、日曜朝市が開かれています。源氏物語の成立が1009年前後だとあり、それから約千年の時空を経てきた今です。京都の町は雅。そこには生きられた人々の歴史があり、暮らしがあった。そのことに明確に気づいたのは、昨日(2007.1.14)のことです。「紫野ほのぼの日曜・朝市」なるイベントが開かれている場所。ぼくはその場所へ赴き、写真を撮っていたそのときです。

一、二の三、いっちにいのさ~ん!掛け声です(笑)、ぺったんぺったんお餅つき。タオの第一章に、無名、有名とゆう字句があり、無名は万物の始めなり、有名は万物の母なりといい、無から有へ、名がつけられて人間の世界が成立するといいます。そおゆうことでいえば「紫式部通りにておこなわれている朝市でのお餅つき」との名がつけられて、ぼくの前に成立している現(うつつ)なのです。この光景は因果関係の末にあり、森羅万象の原則に帰していくとき、光景の意味が生成してくる。

いやぁ、ね、ちょっと、人間なんてのは、無意味を好まなくて、有意味、つまり意味有ることを探ろうとするじゃありませんか。なんとかこじつけてでも、意味を作ろうとするじゃありませんか。つまり、ぼくは人間であって、この人間であることの法則に基づいて、日々生きていることに気づいているのです。だから、こうして、有意味らしくしようとしているわけで、神と紫式部と朝市餅つきを、系列化しようとして、無駄な抵抗となるやろなぁ、を試みているわけです。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の昭和寫眞帖