着物色艶
2007.1.26~2007.2.14

     800kimono0002

-1-

べべ、着物のことを京都ではそのように呼びます。なにを想うかは人それぞれにちがうとおもうけれど、ぼくの場合だったら、やっぱり色艶、女子の色艶、えろすの香り、えろすの感情、ちょっと悲惨で陰鬱な気分も醸しだされる着物です。ぼくは西陣生まれの西陣育ち、このかた半世紀あまりを、この地で育っているから、とはいえぼくの親は西陣織物には関与していなくて、父の祖母、叔母が機織工をしているので、気分的には地場の人だと思っていて、制作現場にいる女たちの隠れた色艶を感じてしまうのです。

着物が時代遅れの着衣になって、特殊な立場の、特殊な御時に、身にまとう民族衣装となって、久しい感じがしますけれど、ぼくの二世代うえの人たちは日々着物で過ごしていたのです。もちろん色艶を感じさせる色合いの着物ではなかったけれど、多くは紺の色地だったけれど、古着の山をみて、一袋幾らで売られている着物をみて、やっぱり悲哀を感じるんです。

女が男に愛されるための着物、だとは断定しないけれど、赤とか桃色を基調にした染め柄は、やっぱりえろすを彷彿とさせるのです。源氏物語が執筆されて千年。精神史はその流れの直系にあって、縁日では若い女性たちが着物の山を崩しながら、物色している光景は、さながら源氏に心を寄せ女の今様かとも思えてきて、内に燃える炎を垣間見る感じがしてくるのです。

     800kimono0004

-2-

大きく歴史の流れをイメージしてみると、神話の時代から有史時代に入るところで、二つの大きな流れとなる分岐点があるのではないかと思うのです。実証科学的な観点は持ちえていないけれど、イメージとして、規律規範をベースにした思想史と、溢れる情感を規律規範から切り離そうとする思想史があって、女性の着物文化は後者の流れのなかに育まれてきたのではないかと推論しているのです。

憑物(つきもの)が宿るヒト、憑物に宿られたヒト、このヒトは男でも女でもあるけれど、憑物とは物の怪、霊、霊魂、それが心に宿ってしまって、規律規範からはみ出してしまう現象なのかとも思い、憑物を祓うための宗教行事、儀礼が考案されたりしてきたのではないかと思うのです。身にまとう着物は、魔を封じ込める装置と同時に魔を引き出す装置でもあったのかなとも思う。ここで魔とは、エロスのことを想定しているわけだけれど、男と女の間に生まれる感情と生殖行為の領域です。

いつののころから男が社会的優位であるような考えが中心になったのかは、素人のぼくにはわからないですが、着物の色艶はその遺制であるようにも思えるのです。と同時に色艶ある着物は、魔の領域を持つヒトの心を封じ込め、魔の領域に入るための帳であるようにも思うのです。ぼくは、もうひとつの文化思想史の重要なファクターとして、着物色艶をとらえているのです。憑物とか魔の領域は、封じられた情の領域、えろすの領域だとイメージするのです。

     800kimono0008

-3-

着物は肌を守るという実用をはなれて、イメージの世界を創り成していくようにも思います。まさにファッションの世界ということになるのですが、そこには<見る><見られる>という関係が成り立ちます。男が女を見る。女が男を見る。男が男を、女が女を、見る、見られる、そういう関係のなかで着物は存在するのです。ぼくはとくに女性の和装着物に興味があって、<おんなのべべ>ということに特化して語りたいと思っています。なにゆえにと聞けば、それはぼくが男であり、女を見ることに興味を覚えるからです。

美の意識といってもかなり曖昧な内容なのですが、着物は美の意識を介した女理解だと、男であるぼくは思います。ぼくのイメージによる着物は、ぼくを豊かなエロティシズムに満たせてくれる。ぼくにおける着物とは、男と女という越えがたい性の一線を引く布切れだと感じるのです。着物は、性の欲情をかきたててくる代物なのです。いやはや、着物というのは、先達がそのように感じてきた結果として、今にあるのではないかと思ってしまうのです。男としての立場とはいうけれど、この立場もあやふやな、曖昧な立場の現状ですが、ひとまづぼくは男だといっておきます。

男と女がいます。衣類に男物と女物が、いちおう区別されてあります。文化の枠組みのなかで分けられてきた区分で、男であることの意識が育まれ、たぶん女も、女であることの意識が育まれてきたものだと考えています。こうして着物が男優位の考えが主流であった時代の産物として、意匠を凝らしてきたのだと思うのです。着物の奥には性の対象としてのイメージからだがあって、着物を見ることによってそのイメージからだを彷彿させる。着物の色艶とは、まさにこのイメージ昇華の産物なのだと認知してしまうのです。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖