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<掲載写真は、2006.3 京都農塾の収穫風景>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの展望

 歴史性を重視する。そしてその根底をゆるがす変革のとき21世紀
 日本語文化圏において立ち現れてきた権力支配の構造は、君主の存在なくして成立しえなかったと基本的に認識します。そういう観点からみると、日本文化は雅と鄙び、中央と地方、中心と周縁、等々の構図で見渡すことができるでしょう。この構図は世界史においても同様であると思います。

 時代の大きな流れとして<政治・経済・文化>の構造をこのような関係性を基に捉えることは、その構造総体をひとつの文明のスケールとみることができるのではないかと考えます。そのように捉え、なお現在が文明移行の端境期と仮設してみると、いま私たちにとって必要な行動原理は、その関係を解体する方法に向けて模索し実践すること以外にはありえないように思われます。と同時に新しい人間の関係の構図や労働の在り方の構図を模索しながら、新たな白地図を塗りつぶしていくように実践していくこと。

 思想の根底には人としての個人が個人として自立できることが条件となります。これは、個人として自立するということの意味を具体的に問うことから始めなければならないはずです。そして個人と個人の間の位置関係とその在り方をそのものを意識レベルで捉えられること。そのトレーニングが必要だと思います。このようなトレーニングが相互的に出来る場所が担保され保証されるような環境が生みだされるとき、ようやくフリースクールの展望が見えてくるように思います。

 新しい関係は、権力関係を解体した関係ー分散型協同関係ーとして立ち現れてくるのではないでしょうか。個人が個人の能力により場を保つ。そのことの連合体として共同体が生成される。そういった意識のモンタージュが個人のありようとしての意識を形成する、そのこと。

 フリースクールの展望は、新しい人間像をイメージし実践するところから始まる。そして身体の起立と意識の充実<トランス状態>を手に入れることです。

 これまでに培われてきた最先端科学技術を、どのようにして身体の満足に応用していくのかといった科学的医学的研究と同時に、哲学的考察及び文学的表現とをどのように組み合わせるのか。身体と最先端科学技術の組み合わせで、どのような生活レベルの生産品が生みだせるのか。カオス宇宙的な感覚の拡がりのなかで身体と精神をどのように安住させるのか、等々をおこなうプラットホームを生み出すことが、いま望まれているのでしょう。

 フリースクールの展望は、そういったことを実験的に生成させていくことから必然的に見えてくるものでありましょう。