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<掲載写真は、2005.5.21 京都農塾の作業風景>
※2001年7月30日付の文書を掲載します

フリースクールの展望-2-

 いま来たり来ている新しい時代は、ひょっとしたら新しい文明なのかも知れないし、これまでの文明の延長線上なのかも知れないが、ここではまだ解答がみつからない。このような疑問を投げかけだすと、「文明とは何」とあらためて問い直さなければならないのではないかとさえ思う。すでに現在、新しい文明として始まっていて、私がそのことを認知するためには、新しい捉え方をしなければならないからである。で、このままでは、その捉え方そのものの方法がどうなっているのか、という堂々巡りがはじまってしまうのだ。

 確かにコンピューターの高度な利用により生活のスタイルそのものが変化した。今後もますます変化していく予定である。この変化により社会経済システムが変容する。いや社会システムが変容したから生活スタイルも変化したのだ。このように私たちの周辺の構造変化が生じてきている。しかしこれは、生活者としての人間が主役だったとはいえない力に拠った。この変化を、今後は私たち個々の生活スタイルのほうから激変させていくときが来ている。

 あるいは革命と呼べるほどのスピード感をもって変化が起こったともいう。しかしこれらは権力構造・所有構造への革命ではなく生活環境の変化スピード革命であっただろう。そしてインターネットの普及により、国家や国民といった概念が変容し希薄化され、そのうちこれまでの概念自体が解体される。これはおおいにありうることだ、と思う。これは受け身の態度ではなく、能動的に、その解体作業を進めていかなければならないのだ。

 このことにもう少し介入していこう。いま問うことは、権力構造・所有構造レベルの革命が起こりうるかどうかである。この革命は起きている。そうでなければ起こさなければならない。私は、人間の存在の意味を捉える地平線の向こうに、そのことから解放された人間の存在をみつける。そこからが新しい文明の始まりである。このようにしてフリースクールの持つべき領域は、徐々にではあるが見えてきているのではないだろうか。