自然というかたち-1-
2006.11.2
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なんでもモノには形があります。そこで自然の形を考えてみます。自然のかたちには総称として、空と海と大地があります。かって宇宙創成から、地球が出来て、闇から明へと移りきて、空と海と大地に別れて形となった。海と大地は地球上の表面だから、二つにわけると、空と地球の表面という区分になるかも知れない。

ボクの興味は科学的興味であると同時に非科学的興味もあります。何が科学で、何が非科学なのかなんて、いまここでは論議しないけれど、概念として<空と海と地>を違う形として認識するわけです。

そこでぼくは、どっちかゆうと論理タイプの写真を撮るたちだから、この外枠を想定して、取材しはじめたというところです。ぼくの想いでは、<空と海と地>これを自然の器だとおもうわけで、ぼくが日常にいる場所において、カメラをそれに向けていこうと思ったのでした。

ということで、今日の写真は、痕跡シリーズと名づけたうちの<空>から1枚をアップします。

自然というかたち-2-
2006.11.5
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この海は日本海、越前岬の近くから大陸の方へカメラを向けて撮った写真です。
この被写体となった海の生成は、約2000万年から1700万年前だとされています。つまり大陸続きだったのが、日本海として広がりだしたというのです。
その頃の区分を新生代第三期とされていて、恐竜時代が終わり、哺乳類が進化してくる時代だというのです。人類の出現は、200万年ほど前だったとあります。

地球生成の全時間から見れば、この海の生成は比較的新しいといえるのかもしれません。とはいえ一言で、にせんまんねんまえ、なんて言ってしまいますけど、おそろしいほど膨大な時間なんですよね。
この項では、ちょっと科学的視点から、時間を遡ってみました。

自然というかたち-3-
2006.11.14
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地表に生える植物、どちらかというと陰性植物とイメージする苔の類があります。ぼくは、この苔の類を、生命のよみがえりというイメージで見つめています。空があり海があり地があります。空と海の現象により地に植物が生える原基が、苔のような気がします。動物が死に土に帰ったのち、再び生命としてよみがえる精気をもって、苔の類があるように思えるのです。

苔は動物ではありません。苔は植物です。植物ということを、ここでは大地から栄養素を吸収して、その生命を維持していく装置を備えた生き物だと定義しているわけです。この苔の類は、比喩的に人間模様を示唆してきます。苔は群生します。密集します。触覚をのばし花を咲かせます。じっと見つめていると、宇宙の縮図を見ているような錯覚がします。

自然というかたち-4-
2006.11.23
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この木の葉は、秋になると色づき、落葉します。
木々の生の営みを四季を通じてみていると、不思議な気持ちに見舞われてきます。自然の営みだといえば、それで解決することではなくて、その生の営みにたいする驚異と畏怖の気持ちです。

自然というかたち-5-
2006.11.29
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自然というかたちについて、いくつかの枠を考えて区切ってみて、空、海、地に生える苔、木立の葉、そうしてここでは<地>です。写真に説明は不要なのかもしれないけれど、この地は<さざれいし>と銘打たれて、下鴨神社の境内にあったものです。

これにて自然の5つの枠組みが揃ったわけです。ええ、ぼくのこれからの写真を集めていくテーマとなる枠です。そのように考えて、夏以降、写真にしたためてストックしています。このほかに<花>の枠もあり、そうしてまだ未着手<動物>、それから<ヒト>、ぼくの構想は、世界の構図をつくりたいとの思いです。
<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖