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 今日は、大田神社へ行ってみようと思って、午後一番、市バスに乗って上賀茂神社終点まで行って、そこから歩いて10分ほど。年に一回ぐらいか、訪れている処で、カキツバタの花が有名な場所。もう終っているだろうなと思って行ったら、案の定、花の季節は終わっていました。本殿も修理しているようで、幕がかけられていました。写真は、スマホで撮るだけです。そういえば、スマホで撮るために、あちこちと巡っているんです。作風が変わっているでしょ。ひところの画風から、一変してると思うんですが、なるべく引いて撮っている感じです。

 ここに載せたのは、上賀茂神社の遠景といえばよろしいか。向こうに見える鳥居の向こうが社殿というパースペクティブです。風景について、ちと思うこともあり、文章にしていかないといけないのかな、と思いながら気分的には、あほらしくなっていて、ぐだぐだ、こんなわけのわからない文体で、文章を作っているというのが、嫌になっているんです。でも、どうしようもない、あれこれ思っても、いまさらどうしようもなく、読者なんてどうせいないんだから、とか思いながらも、読者を想定しているんです。

 京都ということにこだわっていて、それも市内の北部をターゲットにして、作品にならないかと模索しているところです。そういう事でいえば、上賀茂神社は神さまがいらっしゃる処で、葵祭の行き先になる処で、歴史あり、由緒あり、意味をいっぱい持っている場所です。でも、それを無視するわけでは全くないけれど、その意味の今様のありかたを、再度捉えなおしてみたいと思っているのです。といいながら、元からその意味を自分の中に持っていないことに気づいて、あたふたしているところです。意味の再構築以前の、最初の意味をどう掴むのか、が問題なのです。神話といい、神の存在といい、意識化しだしたのは、告白しますと、最近の事なのですから。