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中川繁夫のHP
この写真はというと、氷室にある身代り不動尊の拝み場、といえばいいんでしょうか。
この氷室という場所は、金閣寺の裏、原谷へ上っていく道の途中、衣笠山の北端にあります。
小学生の頃、ここから拝み屋さんのおばさんが、家へ拝みに来て、悪魔祓いしていました。
その拝み屋さんの居住されている場所、ええ、小学生の頃、よく行っていました。
祖母に連れられて、近所のおばあさんたちが、孫を連れて、この場所へ行きました。
不思議な場所で、魔界という言葉も知らなかったのですが、魔界ですかね、此処。
現在は、寂びれていて、どうしたのか、拝み屋さんのおばさんが亡くなられたのか。
でも、人が世話している痕跡があるし、車が通る道路には、身代り不動尊の看板があります。

夏になると、怪談が良いようで、この場所、写真で見ると、怪談話ができそうでしょ。
洞穴があって水が湧き出て、霊が宿る小さな祠がいくつかあって、水が供えられています。
あれから60年、最近カメラを持って何度か訪れ、これはスマホで撮った奥の光景です。
自分を形成してきた想いとか、気持ちとか、思想の原形とか、価値観とか。
それら人格を形成する要素が、幼児期から十歳前後に形成されるとしたら、ぼくは・・・・。
真夏の真昼間、今よりも青空が青くって、澄み切っていて、セミがミンミン鳴いていて。
そのとき、凄い雨が降ってきて、雷が真横で落ちた、その記憶がよみがえってきます。
そのあとには、ふたたび、青空がひろがり、セミが鳴きだしました。

これ、身代り不動尊も、新興宗教のうちのひとつ、だったのかもしれません。
ヒトが魔界へ入っていくときって、何か心のなかの地面が開いて、見えてしまう。
狐につままれる、とか、狸にだまされる、とか、そういう言い方で、表現された向こう側。
そうの向こう側のことは、あの世ではなくて、幕の向こう側、あっち、のことです。
なんだか、こんなこと書いていると、こっちの頭が向こうへいってしまうような錯覚です。
世の中には枠組みがあって、その枠組みの中で、食べて寝てセックスして子孫を残す。
この枠組みから、あたまのなかのイメージが飛翔していく、舞い上がるとき、これですね。
やばい、やばい、もうこのへんで、書くのをやめよう、では、また、妖怪ばなしを。

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