自給自足のすすめ 2004.10
むくむく叢書のご案内
120nojyuku20050076

自給自足のすすめ-1-

食品の安全性についての議論があります。
遺伝子組み換え食品、化学肥料、農薬。

身体への食料補給はヒト生存の基礎ですから無関心でいられません。
無関心ごとではないから規格化が必要である。
そこでJAS法(日本農林規格法)が制定されている。

自家菜園で化学肥料や農薬を使わないで農作物をつくるとどうなんですか?
ここで採れた野菜は有機無農薬栽培です。
第三者機関による認定がなくても(笑)
JAS表示しなくても有機無農薬栽培の野菜です。

ちょっと無機質な話題になっていますが、
食品をめぐる話題を展開していくのに、
このことをふれずに通過できないように思うので、ここから始めます。

今日から断続的にですが、「自給自足のすすめ」をシリーズで掲載していきます。

まずは定義からします。
自分が食べるものは自分でつくる、これ自給自足です。
自分たちが食べるものを自分たちでつくる、これ共同自給自足です。
そしたら人間がつくる食べものだから地球上の食料は共同自給自足じゃないか?

いいえ、ここでいう自給自足とは、
貨幣が伴わないで生産と消費が行われることです。
このような側面で定義しておきます。
つまり、自分たちでつくって自分たちで食べるなかで、
お金がいらないということです。
この条件を軸に、自給自足の可能性を検証していきたいと考えています。

これが第一の切り口です。

自給自足のすすめ-2-

食料生産の分野で自給自足をめざす意識のなかに、
アグリ資本に握られた食料の大量生産への抵抗または対抗ということがあります。

この抵抗・対抗のネットワークは、他のムーブメントと歩調を合わせながらです。
1989年以降の、また2001.9.11以降の新しいムーブメントとして捉えることができます。
いうまでもなくアメリカ型グローバリゼーションへの対抗軸としての視点です。

確かにわたしが-自給自足のすすめ-というときこの潮流を理解したいと思います。
環境保護や人間解放へのムーブメントの一環として捉えることを理解します。
でも、ここで大上段に事を語ったとしてもむなしく思ってもいます。

目指すところの環境保護や人間解放といっても、
メガ資本主義という、その根底のシステムをどのように変換するのか、
という次のビジョンが見いだせないからです。

このような現状ですから、まず実践をやっていこうと呼びかけます。
ムーブメントが先にあって、そのために行動を起こす、ではなくてです。
声なき声と括られてきた声なき声のヒト個人が、具体的な現場に参加する。
そのようば仕組みを作っていきたいな~と思っているのです。

正直、ヒトの行動って理屈やなくて感情なんですね。
そのことが気持ちよかったら、必然的にその流れになってくる。
そこで、わたしはみずからの体験をつくりながら、
その体験の気持を知らせてあげようと思っているんです。

山へ入って採取生活がどこまで可能か、とか、
家畜を飼い、はたけを耕し、自然循環がどこまで可能なんだろう、とか、
肌身をもって体験していくということを、お勧めしています。

声なき声が、声になるためには、
声になる手段を手に入れることも考えなくてはならないです。
写真学校、文学校、農学校の三点セットを使いこなして、
その気をもって学びあいをしましょう!
ここが出発点かな~、金メダルを目指さなくてもいいんです。

自給自足のすすめ-3-

なにはともあれ自給自足することを考え出すと難問にぶつかります。

主食となるもの、副食となるもの、動物性蛋白源なんかをどうする。

先にも記しましたが、自給自足への道は貨幣経済から遠ざかることです。
そうするとお金を出さないと手に入らないものばっかりですね。
それをどのようにして自前で食料の自給率を100%にするか、ですね。

ヘンリー・D・ソローは、1845年からウオールデン池畔に小屋を建て始めます。
2年間少しをそこに滞在して自給自足を体験しますが(「森の生活」を参照)。
そこで、経済に多くの関心を寄せて記述しているのですが、
貨幣から遠ざかれるとしてもゼロではないですね。
貨幣での交換は最小限にしていく、ということでした。

参考文献となるソローの記録にしても最小限の貨幣が必要としています。
でもね、いまあらためて自給自足の可能性を見つめるというのは、
現代社会が抱えているヒト個人をめぐる諸問題を見つめる、
ということにつながるんですね。

個人所有が徹底し貨幣経済の社会にあって、
土地の所有をどうするのか、
作物の種をどうして手に入れるのか、
などなどの問題がでてきますね。

そこで究極の理想としての自給自足を語って、
その形にどのようにして近づけることが出来るかが、
実践していく途上で明確になってくるものと思っています。

自給自足のすすめ-4-

ヒト個人が、こころとからだを委ねる社会のなかで、
自給自足の方へ思考をめぐらせていくのは何故?って考えています。

大阪府内の不登校小・中学生の数は約1万人との報道がありました。
全国的にはどれくらいの数の不登校者数があるのでしょうか?
なぜ、学校へ行けなくなるのでしょうね、理屈じゃないと思います。
ここととからだを社会(学校)に委ねることが出来なくなる心情ですね。

不登校やリスカする中学生が書き送ってくるHPのメッセージは、
泥沼に落ち込んでいくこころを、なんとか自分で救い出だそうとの叫び、と受けとます。

大人が自給自足の方へ思考をめぐらす背景は、
学童における不登校の大人版であるような気がします。

現代の社会が内蔵しているなにかが原因なのだろうと思います。
競争が生み出す弊害かもしれないし、期待への過剰反応かもしれないし、
おおむね、内面やさしくって頭のいい子が多いんじゃないんでしょうか?

自給自足という方向は、現代社会の価値観と異にします。
現代社会は、ヒト個人に消費者であることを求めています。
生産手段は集中してきており、ヒト個人の手許にはない現状ですね。

このような視点に立ってみれば逆説的に、
みずからが生産者になろうとする欲望の表れだと思っています。
農業者になろうという労働力への形態ではなくて、
みずからの自立を求めている欲動の表れではないでしょうか?

この考えは、わたし自身の体験にもとづくイメージ化です。
ここで自給自足なんてことを目指すことじたい、
家計の経済を維持することと、稼ぐための競走への人間不信、
これの狭間に置かれた現代人のストレスですかね。

人間社会のなかでのヒト個人の良心が自給自足の方へ向わせるのだとしたら、
これは近未来において、正当化していくべき生活のあり方だと思います。
不登校、リスカ、出社拒否・・・その先にみえる救い手が、
みずからを生産者に仕立てていく発想の、具体的に実現可能な社会が必要ですね。

あい農学校のコンセプトは、フリースクールです。
フリースクールではありますが、既存社会へ編入させるためのスクールではないです。
既存社会に参入しなくても、ヒト個人が生存できる新しい社会ネットワークのスクールです。
あと少し年月がすぎれば、その年月の間に理解者が増えてくることと思っています。

自給自足のすすめ-5-

秋になると山には木の実が生ります。
春には山菜摘みを、秋は木の実拾いを、ってところですね。
そこで胡桃-くるみ-の実のはなしです。

胡桃はヒト集団が採取生活していた頃からの食べものですってね。
やまに入ると水が流れている場所、よく沢の近くに胡桃の木があります。
自生の胡桃は、栽培種で販売されている胡桃より、小さい小粒です。
自生だからその環境に左右されるのでしょうね。

胡桃って外形が梅の実によく似ていますね。
ということからゆうと、梅の種、ってところですね。
胡桃の実が木から落ちて土の上で黒ずんできた皮の種。
この種の中味を食べるんですね。
脂質がけっこう多くて食べてもあぶらっぽい味です。

自給自足の方へと志向していくとき、
基本には自然のものを採取することを考えます。
野菜栽培とか家畜飼育というのに先行します。

野山にある自生の食べものは生態系そのものです。
その生態系秩序にそのままヒト個人の身体を置くことになります。
この態度が根本・基本ではないかと考えています。

川には小魚が棲み、山には山菜や木の実が自生する。
そこにヒトの生活根拠を置くということですから、
現代にあっては、必然的に環境問題を考えていかないとダメですね。

野菜栽培や主食生産にしても、機械を使わず人力に依存するとなると、
たとえば1反の田んぼで200キロ(以上)の米が収穫できるとして、
家族4人分の主食(一人年60キロ平均)がまかなえる量なんですね。

自給自足の方へ、といっても、実践していくには、
現代人の体力でどこまで可能か!
なんてことも考えていかないといけませんですね。

自給自足のすすめ-6-

自給自足生活を考えていくとき、
農産物を作る栽培する、ということだけではなくて、
山菜や木の実を採取して食べる、ということがあります。

ここにあるのは胡桃と銀杏です。
ちょうど今の季節は秋。
胡桃が採れだしますね。
ここにはありませんが栗が採れだしますね。
ムカゴも収穫どきになってきています。
もう少し秋が深まると、銀杏が採れます。

木の実採取というのは、いたって原始的な生活です。
山へ入れば、食べられるものが沢山あります。
野菜栽培以前の食料調達の方法です。

食用の山菜採取を研究することと、木の実採取を研究すること。
山菜・木の実を採取し加工することを研究していくこと。
当然のこと、これまであった田舎生活のノウハウを生かす工夫です。
それと同時に、現代風アレンジも必要ですね。

あい農学校では、そのような創意工夫を新たに蘇えらせようと思います。
自給自足を実践するためにも、必要なノウハウだと思っています。

自給自足のすすめ-7-

自分の食べるもんぐらい自分で賄えれば、かなりの自由が得られる!
つまりお金をたくさん儲けなくても、生活やっていけるんですからね。

生活のスタイルには各人各様、さまざまです。
でも、たぶん、誰もが自分の好きなように生きていきたい!って思う。
この「自分の好きなように」生きることのなかに、自給自足を加えよう。

でも、これは、考えれば考えるほどに難しいことのように思います。
というのも現代社会で生きる方法ってなると、まず第一にお金が必要です。
それもかなり大量に稼ぎださないとやってられないじゃん、ね。

家族の平均年収が、いかほどかは存じませんが、
財産無く、結婚して夫婦だけの稼ぎで所帯を作っていくとなると、
夫婦に子供2~3人の所帯で、マイホームを手にして、
子供を大学まで進めさせたとしたら・・・
単純に年収1000万円??!!!は、稼ぎ出さんとやってられんでしょね。

いやいや、中心にいらっしゃるお人は、そんな金額どころじゃなくて、
もっと高額所得者ですよね(笑)

平均的生活者の実態は、どんなもんでしょうね。
親からの資産なしのゼロ出発で、平均的サラリーマン像です。
そのサラリーマン家族、核家族の像です。
決して貧困ではないですが、豊かでもないですね。

ええ、そのなかで何の苦労も苦痛も無く生きていけたらラッキー人生!
でも、大方は苦労と苦痛をなめながらの生活を延々と続けてる。
いや、子供は宝です、もう子供と一緒に居るときってさいこ~幸せ。
いいんです、それで、マイホームパパ、ママ。

でも、ある瞬間!そんなんじゃない~~、自由が欲しい!
なんてことに目覚めてしまって、そっからの脱出を試みようとするときです。

遥か向こうに自給自足、じきゅうじそく、なんて熟語が漂ってのが見えるんです。
で、山へ入って、くるみを拾う、まさに原始生活らしさを夢想している自分発見!