光の玉手箱(13)2007.4.1~
むくむく叢書のご案内


桜の季節に
  2007.4.1
_20180405_161637
今年もまた桜の季節がやってきて、4年目の桜取材をしています。主には平野神社ですけれど、ご近所で歩いていけるお寺や神社にて、桜を写真にしています。桜をめぐる難しい話は置くとして、まあ、見ていると、きれいやし、かわいいし、こころが浮き浮きしてくるし、まさに春の気分って、こうゆう感じなんやなぁ、と思いながら、浮かれて撮影している感じです。撮影においても、露出やら構図やら、考え出すとキリがないので、かなりイージーに撮っています。

誰のために撮るんや、なんて野暮なことは考えないで、情ですよ、ゆらゆらゆらめく気持ちです。桜には、けっこうエロティックなところがあって、木の全体を見るのもよろしいけれど、細部を、つまり一輪一輪を丹念に見るために、アップで撮って、後でじっくり見てあげる。そんな感じで、けっこうアップで撮るのが多いです。桜を他のモノへと連想させると、そこには初心な少女のイメージから熟年したおなごイメージまで、やっぱり女性なんですね。どうイメージしても男衆を連想することなんぞは出来ないんです。

平野神社へ行くと、神さまなのにピンクピンクしてる感じです。お守りにしろお土産にしろ、だいたいがピンク系にしつらえてあって、まあターゲットが女性やというのは、そのとおりやと思うけど、それにしてもそのように思うイメージじたい、ちょっと複雑な思いになってしまいます。いいえ自分の感覚をどういえばよいのか、迷ってしまうわけです。

前を向いて歩こう
  2007.4.3

桜を撮りに出歩いて、目を向けるのはおおむね上。だから、上を向いて歩こう、というタイトルがいいのかもしれないけれど、それだと坂本九の歌の文句になってしまうし、過去を引きずっている感じだし、まあ、新鮮味も、あっと驚く驚嘆もないけれど、前を向いて歩こう、とタイトルしたわけです。ええ、走っちゃだめだと言い聞かせているから、歩こう、です。歩こうというなかには、自らの意思が込められていて、意志と希望を秘めています。

4月に入って、思うことしきりにあって、過ぎ去ることにはおさらばして、新しいことにチャレンジしよう、なんて思う気持ちが昂じてきて、これを書いたら桜を求めて、歩きにいくか、と思っている。家を出て、船岡山から建勲神社を経て今宮神社へ行って、そっから鷹ヶ峰まで歩いて、2時間コースの散歩兼桜取材の予定です。ちょっと陽が射し込んで来ているから、外は明るいようです。

※二時間のコースで、今宮神社で桜取材中にメモリーがなくなってきたのと、バッテリーがなくなってきて、鷹ヶ峰まで行かなくて引き返してきたというわけで、いま、13:30です。撮影150カット、それにしてもざっと見ただけで、露出、構図、その他使えないのが山ほどあります。いちおう20カットくらい採用できればいいかな、と思うところです。採用しても、実際にブログとかで使うのは、もっと少ないけど、そんなもんやなぁ。

ここに載せた桜の品種は、御車遷(みくるまがへし)との名札がつけられていました。撮影場所は平野神社、2007.4.2のです。

今年の桜取材
  2007.4.16

今年はデジタルカメラで撮る4回目の桜取材です。三月の下旬から毎日のように桜の写真を撮った。まあ、桜のある場というのは、浮かれ気分になれる場ですね。主には平野神社の境内に咲く桜を撮っています。ここに掲載の写真は、平野妹背桜、2007.4.15撮影のものです。

ぼくが使っているデジタルカメラは、キャノンスーパーショットS50という機種です。今年の桜取材の、結果は、最短距離、最大限明るく、これがポイントになりました。ぼくの撮り方、テクニカルがへたなのか、一枚で決定的な写真を、なんて思ってもできなくて、成り行き任せでシャッターをどんどん切っていきます。大半はピンボケ、露出不足、露出過多、構図もママならず余分なものが入ってしまう。こんなヘッポコカメラマンを自認して、撮っているわけです。

現場の桜を忠実にとらえるなんてことは、あまり興味がありません。色調なんか出来合いでよろしい。このように思っているわけで、写真は現場の再現ではないんだと、思っているわけで、かなりアレンジメントしていこうと思っています。とはいえ、現場主義で、撮りっぱなしで、あとでトリミングとか、色調補正とかは全くしません。まあ、これがぼくの主義といえば主義です。

桜がおわり・・・
  2007.4.26

京都では桜の季節が終わりになってきて、今年の桜取材もそろそろ終わりにしようと思うところです。ここ最近、桜に呆けて、文章を書くことがけっこう億劫になっていて、今日は朝からこの欄を開けたけれど、けっこう書くことに戸惑っているんですけど・・・。今年は、平野神社を中心に桜を取材して、各種の桜を写真にしてきました。今日掲載の桜は、御衣黄桜という品種で、今年初めて写真にした桜です。掲載しているのは、雨宝院の御衣黄桜、昨日4/25の撮影です。

京都に生まれて住んで60年ですけど、京都のことはあんまり判っていない自分があることに気がついています。最近、京都文化という枠で、地元学をはじめだしているんですけど、まだまだ漠然としていて、中心が定まらないんです。もちろん一定の枠組みのなかで表現する目的ですから、その枠組みを想定するところから始めなければいけないわけで、この数年間の試みをまとめて、枠組みをつくっているところです。

桜は毎年4月に巡ってくる暦みたいなもんで、この4年間の自分が撮った桜を見てみて、かなり変化していることに気づいています。神社があり、町角があり、そこに人が生活している。けっきょく人の生活に踏み込みたいとはおもうけれど、まだまだ遠いところにあります。そもそも京都の文化枠組みとはなにか、このことが自分にとってのテーマでもあるわけです。

桜の季節がおわり、新緑の季節がはじまり、桜を境にして、牡丹などの花が咲き出します。花は山の別荘で撮ってきたのを、京都の市中に求めていこうかとも思いだしています。古着の着物、寺院の花々、神々がいて、それに市井のひとがいる風景。なにか自分を探している旅のような気がしています。

新緑の季節
  2007.5.8

年齢のせいもあると思うけれど、四季の移ろいにかなり敏感になってきています。若い時代の頃からみて、という自分のなかでの変化です。そうゆうことでいえば、桜の季節が終わって、新緑の季節という移ろいです。数年前に<わかば>というタイトルで、五月初旬の木立の新芽を撮ったアルバムをつくったんですが、いってみればその延長です。ところで、桜を初めとする四季の移ろいを、自然風景のなかにみるとき、ぼくには二つの系列があるんです。冬がおわり、梅の花、桃の花、そうして桜にいたる花暦ですが、そこからの一つは花の流れ、一つは緑葉の流れです。

植物領域の生命体を、イメージのなかで男系列と女系列にわけています。新緑は男系列イメージです。木立に芽生える葉。黄色をおびた新緑、黄緑から緑に変化していく、つまり成長していくわけですが、その一連の流れに、稲から米へ、山菜とか野菜へとイメージが連なっていきます。まあ、それらを写真にしていこうとしているわけですが、緑というのは、あまりインパクトが少ないです。どちらかとゆうと、花の移ろい系列に興味があります。桜を初めとして、ボケ、シャクナゲ、ボタン、ツツジといった花の系列に、どうも情が移ってしまうのは、ぼくが男生命体だからかも知れないですね。ともあれ、緑、新緑の季節に移ってきて、写真にしているわけだけれど、どうもいまいち、ぱっとしないんですね。これっていったいなんでかなぁ、と思い思いしているんです。といいながら新緑を撮っています。

写真を撮る、このことを考えてしまいます。被写体があって、それをどのように撮るかという以前の、なんで写真を撮るんや、という問題です。実は、この設問のしかたはご法度です。だって、解答の見だしようがない問いだと思うからです。確かに、社会問題にアプローチする写真行為とか、誰かのために撮る写真行為とか、ある目的を実現するために写真を撮る、とゆうのはそれ自体が解答になるわけだけれど、そうではない写真行為とはありうるとしたら、いったい何なんやろ、と考えてしまうわけです。といいながらも、新緑を撮っています。

京都、神社、町角、生活の場ではない・・・
  2007.5.29

ぼくの写真テーマの主流になってきているのが、京都というイメージにおいてです。かって観光写真ではない京都を、内在者の視線でとらえるという思いで、写真を撮った時期がありました。1980年代のはじめ頃、すでに四半世紀、25年ほど前のことです。西陣という地域に生まれ育った自分を検証するという目的があって、一方で釜ヶ先という流浪の地域を取材していたところから導かれたテーマでした。すでに25年も前のことだから、当時のぼく自身の考え方とか思いとかというのも定かでなくて、いま回顧するなかで、いまのぼくが思う過去にしかすぎない。つまり記憶を辿っているわけです。

そのようなぼく自身の経験前段があって、いま、あらためて京都を舞台に写真を撮りだしているのです。取材の範囲は、京都とはいってもぼくが小学生から二十歳前後の頃に立ち回った区域に、おおむね限定しています。かって、写真は生活現場をとらえるべきだとの考えがありました。だから当時は、なるべく日常生活を営むレベルへ参入していこうとの思いがあって、家屋のなかへと入っていこうとした経緯があります。

現在の京都取材のおもむきは、京都の表層を撮るところから始まっています。神社があり町角があります。かって見知った場所です。撮るために訪れていく場所、場所、場所。いずれも記憶に結びついた路面であり社寺の境内です。それといま初めて訪れる場所というのもあります。観光化された京都のスポットで、かって訪れたことがない場所もかなりありますから、そういう場所へも行っています。まだ始まったばかりの現場です。どのように推移し、どのようにまとまっていくかは未知数です。文章を書いて、思考を重ねながら練り上げていく作業を、ふたたびやりだしているところです。この文もその一環です。 

神域、俗域、風景。
2007.6.15

京都という地理的場所において、写真を撮りすすめているところですけど、一つの区分け方法として、神域、俗域、風景なる領域を試みています。神域は神社の境内、俗域は町角、そうして風景は街並風景、このように設定して、主には人がいる光景を撮ろうとしています。一方、京都つれづれ日々えろす、ちょっと長めのタイトルですが、ここでは主にはブツ撮りしていこうとしています。まあ、今様京都シリーズとして、デジカメで撮るスナップショットです。

おおよそ100年前、ステーグリッツがニューヨークの町角で、ハンディカメラを携えてスナップショットしたなぁ、というようなイメージがふっと立ち昇ってきて、その真似ごとみたいな方向で、ちょっと京都をやってみるかぁ、ある意味、イージーな考えなわけです。真似ごととは、独自の方法ではなくて、真似するわけですから、気楽といえば気楽です。うんうん、種明かししながら、心では、スタイルだけ真似して、中味は違うものにしたいなぁ、と思っているわけです。

京都を撮った写真家さんに、森裕樹さんがいます、東松照明さんがいます。観光写真の類の撮り方ではなくて、スナップショットスタイルで、です。長年写真に携わっていると、どうも先駆者のイメージが纏いついていて、チラチラとそのイメージが思い浮かべられて、いいものかわるいものか、真似ごとにならないように、とは思いつつ、真似ごとにしか過ぎないかもなぁ、と思うところです。

写真にする立場として、外在の目、内在の目、という言い方がされますが、ぼくは内在者の目として、生活するその範囲において写真にしたいと思っている。いわばこれが新しいスタイルにならへんかなぁ、ということです。いずれにしてもこんな話は、写真の中味ではなくて、外面にしかすぎなくて、写真そのものが現象の表皮をしかとらえられないのに、これはそのもう一つ外側の話なのです。たまねぎの皮を何枚か剥けたかなぁ、と思うところですけど・・・。 

自分とゆうことは
  2007.6.28

自分とゆう物体について、自分の意識がいろいろ詮索しているんだけど、その中心に身体(からだ)とゆうことがあります。意識が生成するためには身体が必要なわけで、これを養ってあげなければならないわけで、養うその中心は食料補給。それとは別個に、自分の場合、たばこってのがあって、じつはこれを今日から止めようとして、葛藤しているところです。最近は毎日写真撮影を手がけていたところでしたが、昨日は撮らなかった。カメラを手許に持ってはみたけれど、撮らなかった。

まあまあ、迷っているわけで、どうしょうかなぁ、どうしょうかなぁ、そんなふうです。ぼくだってそうなんだよ、って言っていることにも、ある程度の作為が見えていて、自分を表現している一端になっていると自分は思っていたりして、自分の見られ方というのを意識しているんですね。誰に見られるんや、とゆうと、見てほしいと思う人がいて、その人たちに見てほしいと思っているんです。その、ぼくとゆう自分を見てほしいと思う人は、第二人称で<あなた><きみ><だれだれさん>とぼくの目の前に顔像が浮かんできています。

けっきょく写真を撮って、ブログやアルバムに掲載して、アクセス数の多さではなくて、誰々さん見てくれてますか、と問うてみて、見てほしいなぁ。つまりコミュニケーションの手段として、写真を掲載して、話題にして、知り合っていることを確認し、自分の気持ちの安定を図る。ぼくがいまブログやアルバムに写真を置き、文章を書き添えるというのは、そのような回路だと思っていて、多分にいま、最前線写真家、ごめん写真のありかただと思っているのです。で、このことじたいが、ほんとかなぁと懐疑的になり、迷うということに他ならない。そして、誰かぁ、一緒にやらへんかなぁ、見せっこしやへんか!なんて考えているんです。

自分とゆうことの研究
  2007.7.15

なんかここの枠組みの大筋が、自分と文化の批評ということを標榜しているので、それに則した文章にしんとあかんわいなぁと思えばおもうほど、文章が書きづらくなってきて、あんまし呆けてられへんなぁ、と思うことしきりです。とゆうのも、自分を研究するなんて、あるいは批評するなんて、そんなことして何になるの?なんてことにぶつかってしまうわけで、自分のことが迷宮入りになって、にっちもさっちも行かなくなって、どうしようもないんやなぁ。

そこで、ぼくは、それを打破するために、自分とは他者の中にあって、自分が発見できるんだ、と考えて、自分を位置づけるために、関係性という概念を導入しようとしているようにも思います。人間関係、人関係、ひとはなんらかの関係があります。遠い人と近い人、遠い人が近い人になってくる関係、それとは逆の関係、などで構成される関係性です。そりゃあ、まあ、いちばん近い関係はといえば家族だと思うし、家族のレベルでも濃淡があると思うし、友達とか、仕事関係だとか、いろいろなきっかけを介在させて、関係を成立させているのです。あとは、利害と無償なんてレベルで遠近を計ることもできると思うし、同好であるゆえの関係とゆうのもありだと思います。

自分を表現するというレベルで、表現が介在する関係を考えているわけですが、特に写真とかの制作物を介して、関係を持つ位置関係、なんだか言葉で示すのもむつかしいのですが、自分と他者との位置関係を明確にすることが必要なのかなぁ、そう思ったり、それを明確にすることもなくて、混沌のままがいい、そう思ったりしています。なに、写真という表現物を介して、なにをどう表現できるのか、果たして、自分とゆうことは、いったいどうゆうことなのだろう。ああ、難しい・・・。

1967年を思い出す
  2007.7.20

いま2007年だから、40年もまえのことになる。思い出しているのは、その頃のことです。というのも、昨日、歩いている途中に、いくつかの記憶がよみがえってきて、それを思い出して記録していくのもいいかなぁ、と思って、いまここに、このような書き出しで、始めたというわけです。ひとはいかにして行動するか、余った時間というか予定の無い時間に、何かをする、散歩するといったようなときの話しです。

最初の目的は、彼女と一緒に、大極殿址まで歩くつもりをしていたのです。大極殿址は、千本丸太町の西北にあり、現在は児童公園となっています。というのも今回、初めて訪ねてわかったことでした。うんうん、この近所へは何度も来ており、通過している場所でしたが、訪問は初めてです。興味がここにあって、足を伸ばしてみたいと思ったのには、春からの京都探索の思いのなかで出てきたものです。

標題の1967年というのは、大極殿址を訪ねて、それからの行程のなかで思い出されてきた事柄でした。大極殿址が千本丸太町で、そっから南下してJR二条駅まで行こうと思った。最近JR二条駅は再開発とやらで、光景が大きく変わってきています。そこにあるビルの一角にローソンがあって、そこで飲み物を買い、店内のカウンターに座って、飲んで安上がりの休憩となった。

あとの行程を羅列すれば、二条駅から三条商店街を歩いて、堀川通りへ出て、南下して四条通りを東へとり、最近目につくホーリーカフェでホットコーヒー休憩を取りました。そこにて相談した次なる行程は、四条烏丸から大丸へ行き、店内通過で錦へ行こうということで、いいえ目的地は、三条河原町角のむさしで、回転寿司をたべるため、そこに決めました。思い出は錦を出て、寺町通りを北上するあたりから、濃厚になってきて、40年前にあった喫茶店を探し出したわけです、嵯峨野。


  2007.7.31

7月末日といえば、夏真っ盛りといったところで、8月に突入してお盆までが、夏の感覚、イメージです。そんな今年の夏は、夏を写真に撮りたいとの想いがあって、しかし、夏のイメージってゆうても、町中で何をどのように撮ろうかなぁ、なんて思っているうちに夏真っ盛りといった感じです。うん、うん、今日は、朝一番に光を撮って、午前中に天満宮中心に千本通りへ、午後には今宮神社にいたるコースで、廬山寺通りを東へ大宮通りまで、そっから北上、大徳寺境内を通って今宮神社といったところです。

あしたから8月、撮影の方はどうするかなぁ、このまま続けるか、方向転換するか、まあ、思ってはいるけれど、当面は継続やろなぁ、なんて思っているところで、もっぱら撮影とアルバムつくりに明け暮れている感じです。たばこをやめて一ヶ月が過ぎたところですけど、まだまだたばこが懐かしい感じで、文章を書くとか、落ち着いて考えるとか、ちょっとできない感じなので、まあ、外出して写真撮影に専念しようとの気持ちもあるわけです。

町中で人物を中心に写真を撮っているところです。まあ、若い女性を中心とした被写体で、写真をコレクションしている、あるいは採集といってもいい手法です。子供の頃に昆虫採集とか植物採集とか、夏休みにやったじゃないですか。大人になって、もう屑箱に足を突っ込んでしまった今になっての採集は、けっきょくのところ若い女の子採集とゆうことで、破廉恥このうえない、えろおやじにしかすぎない、こうゆう気持ちがふつふつ湧いてきて、もうやめようかなぁ、と迷うわけです。平成の西鶴を目指して、なんて心に思っているってこともあって、どっちかゆうとアラーキーが近いかなぁ・・・。

今年のお盆
  2007.8.7

今日は8月7日です。最近は毎年、8月になるとお盆の写真撮影について考えます。今年は、7月の祇園祭巡行が終わった日以後、京都の夏の写真を撮ろうと思って、日々カメラを持って写しているところです。そうして、今日からお盆のお迎え行事が始まる京都です。午前中に、千本閻魔堂へ様子を見にいってみようと思っています。お盆の頃の京都を眺めるぼくは、それらの光景を夢幻舞台と呼んでいて、アルバムにしているとことです。1983年の夏に取材し、夢幻舞台というタイトルで、小冊子だけど自費出版したことがあります。3年前にその続編のようなかたちで、デジタルカメラを持って祭礼の現場へ行き、写真に撮ってアルバムにしています。

そんないきさつもあり、今年となっているわけです。六道の珍皇寺界隈へも行っておこうと思うのですが、そうやねぇ、今日の午後からでも行ってみようかなぁ、なんて思っています。で、こうして行事を追いかけて、写真にして、いったいそれがどうしたん??、なんて考えてしまうのもこの季節です。いつも考えてるといえば言えますけど、夏の今頃、つまりお盆の頃、あの世とこの世の交感時期のこととして、やっぱり年々、生と死について思ってしまう。つまり肉体の衰えを自覚してしまう、死に向かっている自分を思っているのです。

まあ、60歳を超えてしまって、世間では還暦、赤ちゃんに戻るなんてこともいうので、そこまでは戻れないけれど、若い自分に戻った感じで、若い頃には決してできなかったテーマで、写真撮影しています。女の子が主役になる写真群です。まあ、いまさら恥も外聞もないじゃないか、なんて思って死に際にいたって、えろじじいの様相を帯びてきたなぁ、なんて思うところです。とはいっても、撮って発表する写真には限界があるので、限界以下のところはどうするのか、という問題を抱えているところです。今現在の解決方法は、別人を作り上げているところで自分の中で整合性を保っているといえます。

夏のおわりに
  2007.8.30

今日は8月30日、もう暦ではとうに夏が終わっているのに、気分がなかなか切り替えられなくて、それでも月が替わるとなると、ひとつのけじめな気がして、いくつかの作業も終え、そうして始める準備をしている今日です。今日は雨、朝からしびしびと雨が降り出してきて、夏の風情は消えうせて、秋雨みたいな気分です。最近は、毎日、写真撮り歩きです。あんまり文章が書けない。このブログへも、今月は一回きりです。律儀なぼくは、もう一回、文章を書いて夏の終わりにしようと思っているところです。

9月から気分入れ替えてスタートしたい、と思っているけれど、なになにそんなに簡単に気分が切り替わるわけではないので、当分は、もたもた、こんな調子で、でも日々写真は、ちょっとお休みしようかな、とも思っています。なにせ取材対象が町角で、神社仏閣で、なにせ人を中心に捉えたいと思っていて、それがちょっときつくなってきた感じなので、自然体に任せようとも思っているのです。釜ヶ崎も白虎社も被写体となったのが人そのもの、その流れでいうと、ぼくの写真の被写体は人という流れが出てきて、この春以降、その現場を生み出してきた気がしています。

町角スナップという手法で、それが写真現場で有効なのか、それとも無効なのか、そんなことも考えながらの作業であって、表写真を撮っているけれど、インパクトないなぁ、とそんな思いもしているところです。

何のために・・・
  2007.9.7

写真を撮って、文章を書いて、そうしてこのうようなウエブサイトに発表しているわけですが、いったいこれは何のため、という疑問に当たっていて、明確な答えが見つからない。もちろんこのような問いかけが、明確な答えを見出せないということは、経験的に知っているわけで、ある種ナンセンスな問いかけなのですが、やっぱりこだわってしまうのです。

暇つぶし、なんて思いたくはないけれど、結局そんなものかも知れないな、と思うと感情的に迫ってくるのもがあります。金儲けのため、とか人を喜ばすため、とか理由があってこそ、その目的が、何のための<何>になるからいいけれど、そうではないとき、困ってしまうんです。

たとえば100年ほど前に、パリにおいて写真を撮っていたアッジェは、絵描きさんのための下絵つくりとして写真を撮っていたというし、アメリカのアンセル・アダムスは、ヨセミテ公園の自然を絵葉書のようにして売っていたというし、まあ、目的とすればそうゆうところかと思います。でも、そうではない立場にいるぼくとしては、何のために写真を撮ってるの、と質問したら明確な答えが返ってきないから、困ってしまうのです。

自分探し
  2007.9.19

けっきょく、自分という存在を確認しようと思って、あれこれ詮索しているんじゃないか、と思っていて、その具体的な行動が、いまやっている写真を撮る、そのことなんだと、いちおう結論つけて、ここから再び、論が始まるわけです。人生60年なんて言っていた時代の感覚でいえば、僕なんぞはもう寿命が終わっているわけで、別に意識しているわけではないけれど、やたらとあの世のことなどに関心がでてきて、そこへの橋渡しをしたいような気持ちになってきて、きっとこれは永遠の時間確保のための詮索にちがいないと思ってしまいます。

人の成熟というか年月の重ね方で、区切りということであれば、20年単位というのが、大きな区切りで、20歳まで、40歳まで、60歳まで、それぞれの20年間に変化していく人生です。60を越えてしまうと、そこはもう未知の世界で、やっぱり自分探しをしているんですね。けっきょく一生かかって、自分って何、なんてこと考えながら、結論でないままに、あの世へともっていくのかなぁ、とも思ったり・・・。ここで、すでにぼくの思考は、終着点を出発点にするループに入っていて、うんうん、エンドレスなんやと思おうとしていますねぇ。

最近の写真は、今様来迎図をイメージしています。夏の最中にそのイメージがわいてきて、それまで、どっちかゆうと地獄の方に目が向いていて、そのイメージを模索したりしていたけれど、来迎図なんです。自分を探しているその先にあるのが、そのイメージであるようにも思えてきて、これが60歳を越えた直近の自分です。そうして見れば、来迎図なんて、若いぴちぴち女模倣のかたまり図であるわけで、あの世が桃色であると思うことで、安らぎ嘆き、それがこの世との橋渡しだ、なんて思ったのでしょうね、きっと・・・。

フォトする
  2007.9.28

写真を撮るなんて言葉のニュアンスをイメージしているつもりが、いまどき<写真を撮る>なんて言葉、はやらないんじゃないかと、ふと思ってしまうのでした。そうしたら、いまどきなら、どうゆう言い方が妥当なんやろう、<フォトする>なんていい方が、コマーシャルであったような気がしていて、フォトする、そうですね、これがいいかも知れないですね。そこで、フォトする、って行為をひらべったくいえば、デジカメもってあちこちおもむくままにシャッターを切る。つまりフォトするわけです。

1976年ごろの話だから、すでに30年前のことですけど、ニコマートってカメラからニコンF2ってカメラに変えたころ、一眼レフ高級カメラを手に入れて、36枚撮りモノクロフィルムで撮りまくった。撮りまくったっていっても、普通は3本100カット強、10本撮って360カットですね。それだけ撮ると、あと処理が大変な労力、またはお金がいるんです。そんな時代の写真を撮った日々のことを思い出しながら、いま2007年。デジタルカメラの時代です。つい先日、2台目デジカメとしてキャノンのパワーショットA720って機種を買いました。1Gメモリーと充電式バッテリーをつけて¥39840でした。

なによりデジカメ、ランニングコストがいらないのは収入が極端に少ないぼくにとっては、すっごい救いで、毎日300~400カット、フィルムなら10本分前後を使うわけですから、処理お金に換算していったら、とてもやないけど、写真撮れへん、いいやフォトでけへん。それがデジカメで、あとの経費はほぼゼロです。そうゆう時代なんですね、いま・・・。あらためて、言い聞かせて、そうゆう時代だから、ね。だから、写真を撮るなんて表現は、もうやめてしまって、フォトする、なんてことがいいんだと思います。携帯電話カメラふくめ、だれもが日常的にカメラを持っている時代なわけですから、ね。

ふりだしに戻す
  2007.10.14

こどものころ、すごろく遊びをしていて、ふりだしに戻る、なんて枠にはまってしまって、最初に戻ってしまう羽目になってしまうことがありました。すごろくは、すごろくをふって出た数をゴールに向けて進めていく競争で、早くゴールに達した人が勝ちというわけでした。いまさら、そんなこどものころの出来事を思い出してしまうのは、人生さまざま、すごろくみたいなもんやなぁ、そう思ってしまうんです。ゴールを目指しても、どこがゴールなのか、進めば進むほどゴールが遠い感じがして、けっきょくゴールなんてなくて、からだ消滅がまっているところが、つまりすごろく遊びのゴールかなぁ、と妙に納得してしまって、むなしくて、いてもたってもいられない、そんなとき、どうしたらいいのかしら。

これまでに何度もふりだしに戻ろうと思って、それなりにふりだしに戻って、再出発感覚で日々をすすめてきたことがあります。日々、時間なんて単調に流れているものですけど、そこに自分流気持ちが入り込んで、強弱、前へ進む、後ろへ後退する、なんてイメージで物事の流れをつかもうとしています。そうこうしているいま、なんかしら、ふりだしに戻る、なんて言葉がふつふつと沸いてくるんです。どこまで戻ろうかしら、なんて、戻りようもない時間を、戻ろうとしている。で、もし戻れるとしても、これが最後の戻りだろうなぁ、とふっと思ってしまいます。

そんなこと、こんなこと、いろいろ思い、言葉をつらね、そうして単調な時間の流れを、起伏ある時間にしようとしているんですね。むなしいったらありゃしないですね。もっと個別具体的に書かないと、ちっともすっきりしないですけど、こうしてぐだぐだ、いらだたしいけど、文字を連ねて、何かしら意味ありげに作っている、そうゆうことをふりだしに戻したい、人生もうこれまでだよ!

京都の写真-1-
  2007.9.4

最近は毎日撮影に出かけていて、9月になって、ちょっと方向転換しようかな、と思いつつ、これまでの延長にあります。いま、9月4日午前11時過ぎです。さっきからパソコンの前に座って、入力しているところだけれど、撮影に出かけようか、どうしようかと迷っているところです。そうゆうことで言うと、ちょっと不本意な事態におちいっている感じもして、どっかで切り替えしないと・・・、と思っているんです。

もっぱら京都の町角と神社仏閣で取材、といっても自宅から歩いていける場所で、町をカメラを持って徘徊する。ちっちゃなデジカメだから、ポケットにも入るから、ちょっと散歩気分で出かけています。という気分はうそで、ほんとは作品作りということをかなり意識しているわけで、どうしたら作品となるのか、試行錯誤中という気分で、ちょっと息が詰まりだしたと感じているんです。

京都に生まれ育ったという事実をもって、いま、京都をキーワードに写真と文を綴っているわけですが、その形式と内容をどうするか、ということに悩んでいるんです。もとから学識なんてないから、印象的にというところだけど、なにか洗練されてないなぁ、中途半端やなぁ、突込みが足らんなぁ、とかとか、いろいろ思うわけです。写真も文章もある意味、とっても曖昧なもんだから、その曖昧さにほんろうされてる。そんな感じです。この文とて、ちっとも理屈になってない。

京都の写真-2-
  2007.10.8

春の終わりごろから夏を越えて、今、秋たけなわ、10月に入りました。桜が終わったあと、町角、神社と取材を続けてきて、アルバムを作ってきたところです。手法としては、スナップ手法で、被写体と関係を結ぶというより、被写体を斜め切りという感じで、あんまりほめた手法ではなくて、あんまり推奨できつ手法ではなくて、むしろ否定的にとらえてきた方法なのですが、それをやっていたわけです。

10月に入って、ちょっと気分的にもきつくなってきたスナップ手法で、取材対象も方向転換、とはいってもこれまで撮ってきたモノの中心が移動するだけで、目新しいスタンスで写真を撮るというのではないのです。痕跡シリーズ、京都シリーズ、はな物語、いくつかのグルーピングで写真をまとめているところですが、再び痕跡シリーズのほうへと向いてきている感じです。

空と海と地から始まる痕跡シリーズも1年を過ぎて、撮られるものが静だから、あんまり面白くないんですけれど、いったんそこに戻って、再構築しようと、言葉上は思うわけです。一方で、京都シリーズをHPに作りこむ準備も進めているところです。なんのために・・・なんて考えだすと詰まってしまうので、なるべく考えないようにして、ふうらふうら、風の赴くままに、なんて思ったりして、でも、なかなか、そうゆうふうにはいきませんけど・・・。

京都の写真-3-
  2007.11.22

京都の写真を撮って<京都>と題したアルバム、写真集を作り出しています。10月から始めて、50日ほど経ったところです。この京都の写真集について、若干、思いについて記しておきたいと思います。

この写真集の特色は、作者が生まれ育った場所を、60歳を越えて、カメラを持って徘徊するという筋書きです。旅行者でもなく、外から京都へやってきたカメラマンでもなく、生粋京都人、とはいえ知識とか経験には相当な偏在がみられる個人の徘徊録とでもいえます。

特に子供のころの記憶を元に、地場を徘徊しながら、いまある姿を羅列していく手法です。取り立ててフォトジェニック、写真的写真ではなくて、徘徊のレベルで、撮っています。遠近については、視覚に準じるレベルを、角度については、立ち位置正面から、そうゆうことを念頭において、撮っています。

大きくは、神社仏閣の囲みある<聖域>と市井のありよう<俗域>に分類し、通り名を区切りとして、マトリクスのなかを埋めていく作業です。

地域的には、作者が幼年から少年期に生活環境としてあった場所を中心としているから、かなり狭い範囲に限定されています。これは、個人史のレベルで、有効な手法だと思います。

1969年の記憶
  2007.10.21

今朝、目覚めたときに思い起こされてきたのが、今日の日付、10月21日であることでした。どうした弾みか、その次に思い起こされてきたのが、国際反戦デー、あれは1969年の10月21日・・・・。と思いもかけなかった記憶がよみがえってきて、いま、ここにそのよみがえってきたことを記しているわけです。

1969年という年は、ぼく自身にとって、ある種、記念すべき年であって、人生に転機をもたらす前兆としてあったようにも考えています。ええ、記録によれば、東京の新宿が学生デモ隊で封鎖された、あの過激時代の最後の集団的出来事だったようです。ぼくはその日を最後に、京都へ帰ろうと思っていたし、そうして参加したデモ隊はベ平連の隊列でした。いま、そのときの像がよみがえってきていますけど、詳細を記すための言葉をつむぎだす気はありません。

突然に現れた記憶、そうして記憶の像、あれからおよそ40年近く経過する日々のいま、記憶をよみがえらせてみたところで、それはノスタルジーにしか過ぎないようにも思われます。とはいえ、その記憶と全く無縁かといえば、そうでもなくて、写真史講義の1コマに1968年問題を取り上げているから、問題意識ではあるのです。でも、もう歴史のなかに埋もれてしまった出来事で、いまさら思い出してみてもどうしょうもない感じです。

日々過ぎるの早し
  2007.11.5

一日が24時間とはいえ、この単位が早くも遅くも思えるのは、思う主体の側の問題で、ぼくの場合など、いま、一日がほんと、あっという間、とでもいえそうな感じで、過ぎ去っていきます。そんな感じです。11月5日というのが今日の日付です。ここ、毎日写真を撮っていて、かなりのスピードで進めていて、京都の写真集を作ろうと、HP内に「フォトギャラリー<京都>」とぴうページを設けたのが10月1日で、それから1ヶ月少しが過ぎた。ここ数年の写真撮影の流れで、京都にこだわりだして、京都を撮りだして、まあ、町中と神社仏閣内でのスナップ写真だけど、いろいろな思惑で、撮り、アップしているところです。

9月13日に新しいカメラにして、それから先日、1万コマをこえた。思うに、フィルムカメラで撮っていたころ、処理に一週間かかっていたのが、いまや一日です。撮影に行って、帰ってきて、パソコンにつないでアップして、それから一回目のセレクトをして、ストックしてきます。フィルムだと5日から一週間かけていた時間が、一日とはいわづ、数時間です。つまり、時間に関して得をしているのか、せきたてられているのか、それはわかりませんけど、日々過ぎるの早し、と思わざるをえないのです。

なになに、年取ると、だれでも、時間が飛んでいくんだっていいますね。たぶんにもれず、ぼくもそうなのだとおもっています。

京都の写真-4-
  2007.12.1

今日もまた、京都の写真を撮りに、出かけています。京都で撮った写真は、全て京都の写真だ、などとの傲慢なことはいいません。それなりにセレクトしているわけで、おおむねスナップショット形式の撮り方だから、どうも十分な構図にならないし、露出もなかなかばっちりとはいかないところです。最近は、捨てることにも慣れてきて、とはいえ微妙に、その日その日で選択の許容幅が違ってきます。気分による、そんなところです。

さて、きょうはもう12月1日です。今日の撮影経路は、鷹ヶ峰の光悦寺へ行くのを目的として、金閣寺経由今宮経由で、鷹ヶ峰まで行き、常照寺から光悦寺へ、でも、中へは入らずに、お金を払っての拝観をせずに、数枚写真に撮って、それで千束へ降り、しょうざん、鏡石経由で、帰ってきたというところす。440カット、そこから66カットを選び、サイズ処理したところです。

京都の撮影にあたっては、思うこと多々あるけれど、なるべく写真に没頭しようと思っています。どうも言葉がつむぎ出せない。そうして、京都は理屈ではなく、感じるレベルで、つくりたいなぁとおもうけど、やっぱり理屈抜きでは京都をテーマにできないのかも、と思って、どっちなんや。つまり迷っているわけですね。

今年もあと少し
  2007.12.19

今日は12月19日、西暦2007年もあとわずか、暦が2008年になり、あたらしい年を迎える。こんなこと考え、記事にするのも、昨日、今宮神社へ取材にいって、神社暦って冊子の表紙をみて、そこに三つの年号が書かれてあって、写真に撮って、それを載せますけど、ぼくは日常的に西暦を使っていて、平成何年なんてあんまり言わないんですけど、その神社暦にはもうひとつの年号が書かれてあります。皇紀なんて表記です。まあ、こんなことは無視したらいいようなもんの、わざわざ、ここにこうして文章にしている、つまり話題にしているわけです。

昨年から始めて、今年の春から意識的に<京都>を取材しだして、最近は<フォトギャラリー京都>というアルバム、写真集を作りつつあって、どっぷりぼくは、京都イメージ作りに精力を注いでいるように思っています。そんななかで、京都のイメージを代表する(と思っている)神社仏閣のイメージを、どう捉えたらええのやろう、と思いめぐらせ、そこに天皇制というイメージが、ぼくなりにちらついているんです。いいわるいは別にして、と棚にあげておいて、そうゆうなかで<皇紀>という暦の読み方がある、印刷物に載せられている、つまり現役なんですね、この暦・・・。

まもなく西暦2008年です。ぼくは現在、満61歳で、来年4月の誕生日には62歳。生きてきた年月を満年齢で測るのが日常ですが、そういえば神社で厄年の暦があって、それなんかは満年齢ではなくて、数え年齢ですね。ぼくの生まれは1946年で、戦後教育ということだったのでしょうか、いまここに書いている内容は学校では教わっていないと思いますけど、巷では、いまもって存在している文化現象です。そのように捉えています。

今年は2008年
  2008.1.22

もう今年といえるようになって三週間、1月22日が今日の日付、2008年です。あれよあれよと思う間に、年月が過ぎてしまいます。なんてったって還暦を過ぎてしまったわけですから、毎日を有意義に過ごさないとだめだと思います。そんな気持ちばっかりがあせって、いっこうにモノになっていかないから、ちょっとゆっくり着実にしていかないとあかんなぁ、そんな気持ちでおります。

ここもお休みにしようかな、とも思っています。つまり、ここに書いていても、反応がない、反応がわからない。もちろんほかのブログにしても、反応はほとんどありませんけど、閲覧者の数くらいはつかめます。ここは、それにも及ばないようで、ちょっと興味が薄れているのです。

それだけではなくて、文章を書くということがもどかしい気持ちになってきて、写真をアップしています。イージーやなぁ、つくづく思います。書くことには時間が必要で、そのテンポがつかめなくなってきて、ああ、イージーやなぁ、写真を撮って、写真をアップして、それの羅列、つまり写真集をつくって、自己満足してるってことです。つまり、反応がない、むなしいけど、ね。
(終わり)