光の玉手箱(18)2006.4.3~
むくむく叢書のご案内

せんせの日記帖 2006.4.3~2007.7.26
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軽やかに 2006.4.21

軽やかに日々を過ごしたい、時間を過ごしたい、と思いながら、けっこう重たい日々であり、重たい時間の連続ですね。気分が重い。どういえばいいのかな、ちょっと表現に困ってしまう。つまり、困ってしまうことじたい、すでに重い感じなんです。なにもしたくない、といって何もしないでおこうとして、ただぼんやり時間を過ごすこともできない性質だし、何かしようと思っても気分が乗ってこない。

こんな状態をなんと呼ぶのかわからないけれど、まあ、こんな状態で、この日記帖、4月に入って記載がないから、ここに書こうかと思って、この記事を書き始めたというわけだ。そうですね、こういう状態を、凹んでる状態というのでしょう。

あと8日で、ボクは誕生日を迎えます。なんと60歳だというのです。このことがけっこう重くのしかかっているように思う。恥ずかしい過去、未知の未来、あと何年あるんだ、健康は大丈夫か、生活費は捻出できるのか・・・。いろいろと頭の中をめぐる思いだ。どうも出不精になっていて、ヒトとの接触が億劫になってきて、パソコンに向き合っているんだけれど、パソコンの向うは、バーチャルだし、かといってリアルな場は、ボクを億劫にさせてしまうし、で、焦りの気持ちが競りあがってくるし、事務的作業も乗り気にならない。

軽やかに、なんてタイトルつけたけれど、それは願望の意味をもってつけたんだ、といっておきたい。

ふたたび、小説を書きたい、写真を撮りたい、そう思い出して二年が過ぎる。写真学校をつくろう、テキストを書こう、そう思って精力的に作業を進めてきて、ああ、中途半端だ、そういう思いにさいなまれていて、不義理をしてしまう、ですね。

4月に入って、年金受給手続きをやりだしたんだけれど、あんまり気乗りがしないなか、ぼちぼちと問い合わせたり、書類を書いたりしている。これがけっこう気にかかっている案件です。写真関連でいうと、写真WSの二年目、やっぱり集まる人が少ないというのは、落ち込む原因になりますよね。お金のことは、トラブルにまで至らないことだけれど、心痛みます。教育ということに乗り出しているんだけれど、人に教えるなんて大それたことを、反省ふまえ、不安になってしまう心情もある。

そんなこんなをいいながら、それでも時間は過ぎ去っていくんですよね・・・。

この3年間 2006.5.11~2006.6.8
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2006年5月11日っていうのが、今日の日付。綜合文研究所ってのをWEBで立ち上げたのが。2004年4月28日だから、それから丸二年が過ぎたことになる。三年前とゆうと、2003年の5月です。まあ、この3年間の反省とゆうか、痕跡を残すために、ちょっと書き込んどこうと思ってる。

2003年ってゆうと、まだ、それ以前の世界が、ボクのなかで過去とはならなかった時期です。もちろん現在だって、完全に過去形とはなっていないこともありますけど、そのころってのは、飛び出してしまった過去と向き合ってた時期、自分の思いの世界を作っていくことで、対抗しようと思っていた日々です。

綜合文化研究所の基本枠組みの構想は、2001年夏ごろに素案がまとまってきたんです。いいえ、まとめようとしたんです。なぜかとゆうと、あるひとと離れたくなかったからです。ものごとのきっかけなんて、いわばプライベートで些細な・・・でも本人にとっては重要な位置を占める、ことなんだと思います。

基本形、自分が生きる世界をつくる。ボクって、放出するエネルギーがけっこう強いみたいで、なにもない、淡々には耐えられないたちのようなんです。直前にいた領域は、アート領域の組織体でした。ボクの興味ある領域と符合していたから、仕事環境としては、満足できる場でありました。だから、辞したときは、空漠とした気持ちだったし、全てを失ったような気分でした。経営上の苦境から、脱出したことと引き換えに、環境を失ってしまったわけです。

ボクの叛乱、たったひとりの叛乱、ああ、カッコいいね(笑)、そうして、2001年夏に書面化し、改稿を企ててきた内容を、実行しようと思ったわけだ。現場としては、写真をベースにした学校をつくる。2003年の春から夏ごろ、e-ラーニング、つまり通信環境を利用した教育で、通信制写真学校をつくる計画を買ってくれる話が、持ち上がってきたんです。実名は公表しませんが、アマチュアカメラマンが大量に集まる出版系のシステムの関係者から、通信学校をつくるというボクの提案に乗ってきたわけです。

企画原案を作って、提示して、そこそく形が出来上がってきたころ、そう、ボクの企画の全てが相手に渡ってしまったあと、ボクはスポイルされる。よくあることです。そんなことを何度も経験してるから、ボクは、さっと身を引いた。もちろん具体的企画内容は、ボクの手許にあった。

通信制あい写真学校の原形です。立ち上げに三千万ほどの予算を組んだ東京レベルです。ボクは、金なしでできると確信してたから、当初の予定どうり、2004年4月に開校する目的で、テキストから募集要項まで、2003年10月に、いま使ってるパソコンを買い、ホームページをつくりだしたのです。

ボクの気持ちは、綜合文化研究所とあい写真学校を立ち上げるべく作業に追われることで、後ろ向きエネルギーが、前向きエネルギーに変わってきたんです。ええ、これは、強く意識しました。そうして2004年4月に、綜合文化研究所とあい写真学校、それにむくむく通信社を立ち上げたわけです。

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綜合文化研究所のHPつくりの最中、2004年4月28日に設立したことになります。この日、あらたな活動が開始されたと思っています。むくむく通信社のHPつくり、あい写真学校のHPつくり、外向け情報発信ツールが、お目見えしたわけです。ボクのやり方が正しいとは思ってなくて、外見より中味だ、と思う気持ちが濃厚にあるんだけれど、自己防衛手段として、外見をつくっていきます。箱をつくるとゆうやつです。中味はそれから・・・、そうゆう手法です。

綜合文化研究所には四つの領域を想定しましたけれど、教育、つまり学校機能が最重要でなお下層をつくりだす基本だと思っています。それで、WEB上であい文学校ってのを作り、農学校と自然学校も2004年中に立ち上げたわけです。2001年夏に企画原案をつくり、おおむね3年で形にしたい、と計画を立てたから、まあ、強引といえば言えなくない格好で、形作りをしたのです。ほれ、見てご覧、できたでしょ!まあ、意地もあったし、そういうことでは負けん気強いほうだから、かなり必死でした。

一応、形式が整って、土俵のなかで、ひとり相撲を取りはじめる。いいえ、決してひとりではない。2004年10月プレ開校、2005年4月開校の「写真ワークショップ京都」は、盟友岡田さんがいらっしゃったことで始まったわけです。何人か支えてくださった人がいたから、それらは成熟する可能性があるわけです。

かってあり、この3年間に関係した人たち、一過性の関係もあれば、これから続いていく関係もあります。徐々に、あたらしく知り合った人たちと、あたらしい仕事ができる、そうゆう環境が整ってきたのが、昨年から今年のいま、にいたる1年です。3年間という時間、おおむね千日という日々、古き場所から新しい場所へ移動する時間だと思います。

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パソコンを買ったのが2003年10月です。同じ時期にデジタルカメラも手にしました。綜合文化研究所のHPつくりを見よう見真似で作り出し、デジタルカメラで写真を撮りだしました。それから2年半が過ぎたいまです。あい写真学校と写真ワークショップ京都。このふたつの学校の広報を、ネットオンリーでやってみようと思っていたところに、ブログの存在を知ったのです。ニフティとの契約で、あい写真学校&写真ワークショップ京都のHPを開設し、このサイトを閲覧に導く手段として、ブログを立ち上げたわけです。あい写真学校&写真ワークショップ京都です。それから矢継ぎ早に、四つの学校ブログを立ち上げました。

このあたりから、ボクのネットワーク展開がはじまるわけです。かって、映像情報って個人誌を編集発行していたことがありました。1980年から1983年の三年間に、第12号まで発行した印刷物です。これのWEB版との想定で、映像情報編集室のかわりに、むくむく通信社を作ったんです。もちろんWEB上で、fc2というサービスが、HPサイトを無料で使わせてくれるというので、申し込んで「むくむく通信社」を立ち上げ、そこに「季刊むくむく通信」を置きました。

写真学校を立ち上げる。その広報をネット上だけで行う。印刷物を作らず、配布をしない。この実験的試みをやりだしたのです。ブログをつくっていく最初の動機は、この広報目的でした。検索すれば、写真学校のサイトが上位に上がってくるように、との目的もあって、精力的に記事をアップしました。なにより、写真学校のテキストを、すべてブログ上にて、直接書いていくという魂胆だったわけです。

そのうち、メディア研究に興味を持っていますから、どんなタイトルをつければアクセスすうがアップするか、なんてことを思いながら、アクセス解析を注目していきました。インターネットメディアは、新しいメディアだといわれています。この新しいメディアの新しい由縁を、具体的に使いこなしていきたいとも思っているんです。

その前後に興味を持っていた体系に、ひとつはトランスパーソナル心理学、ひとつはカルチュラル・スタディーズです。アートの新しい潮流にはメディア・アートがありますし、これらの綜合として、インターネット環境をどのように使いこなせるのか、というのが命題になってきたのです。個を越える・トランスパーソナル。マージナリーを研究するカルチュラル・スタディーズ。それにメディア・アート。これを複合させることで、なんか出てきそうだぞ、と思い出したわけです。

それに、ボク自身の規定のしかた。作家をやりたいとの思いがあるし、評論をやりたいとの思いもあるし、これらはいずれも二十歳のときにすでにあった自分の実現したい姿だったわけです。また、メディアを作り出すという考えも、三十歳のころにあった実現したい姿だったわけです。そう思うと、いま、なんだかんだといいながら、夢を追い求めているんだ、といえますね。

写真の中味 2006.6.24

なにかと想う中で、写真表現ということに回路をめぐらせます。理性の系とが情緒の系とか、写真を撮るテーマを導くための、枠組みをどうするか、というようなことです。そもそも、このような話を持ち出すことじたい、かなりナンセンスな感じを、ボクはいま、抱いているわけです。

写真の中味を考えてみる、というのが今日のタイトルです。で、考えるということは、言葉で語り、文章にして残す、という作業になります。まさに、いま、これ、そのものです。このことのナンセンスさ、とでもいえばいいのでしょう。写真の中味と、直接には関係しないとの思いがあるからです。

理性で組み立てていく論において、写真を拘束しようとすると、その写真が指し示す意味を定める行為となる。かってあった無数にちかい写真を読み解く回路は、その論に立脚した場で、組み立てられ、理解、納得、という結果を得ることに導くのです。でも、いま、ボクが想う写真とは、ちょっと違うんです。

写真が写真じたいとしてあって、そこに言葉が介在しない写真。その写真がボクに与えるインパクト。言い換えるなら、誰かが言っていた射精する瞬間の気持ち、これは♂だから、♀でいえばオーガズムに昇った瞬間の気持ち。この高揚の極みの瞬間を求めているのがヒトだとすれば、写真において、この代替となせるかどうか。 

その気持ちってのは、理屈ではないんです。理性でも、知性でもないんです。写真を文化の枠組みにおいて、そこに意味を込めようとするというのではない写真。つまり、感じる写真、ということになります。この感じる写真っていうのを、撮りたいと想うのです。ある意味、それは究極の写真として、求める価値があるとも思うのです。

ヒトの中味 2006.7.13

ヒトの中味、なんてタイトルをつけて、何を記述しようとしているのかとゆうと、わけの判らないものを詮索するために、ああでもない、こうでもない、とぐだぐだ記述していこうというだけのことです。まあ、完成された文章とゆうより、メモ書きといった感じで、そのときでまかせ言葉を、書き連ねていくだけなんです。ゆうてみれば、自分宛のメモって感じです。

ヒトの中味というからには、心っていう部分の記述です。どうしたはずみか、「時の輪」カルロス・カスタネダ<古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索>なんて書を、手許に持っているんです。山の書斎の本棚にしまってあったのを、昨日持ち帰ってきたんです。いいえ、陶酔しているわけじゃありません。興味のなかにある言葉集とでもいえばいいのでしょう。

科学的分析手法ではない、宗教的文章でもないなぁ、もうひとつの世界観とでもいえばいいのかなぁ、ボクが興味を示すのは、未知への言及みたいなイメージが立ち昇ってくるからです。シャーマン、呪術師、なんかとんでもない書物のような気がして、興味半分、本気半分、そんな感じで手許に置いているわけです。もうどん詰まった心境から4年も経ってるから、あらためてちょっと触れてみようかな、なんて思っているところです。

さて、本題、ヒトの中味、それは心のことです。自分を死が近くに感じたころ、それは救い手のように思って手を伸ばしたけれど、それは恐怖を抱かせたから、そのまま打っちゃっておいた領域です。心の中の得体の知れないモノ、たぶん死の直前っていうのは、この世の理屈ではない世界にいるのであって、まったく別のエネルギーによって心が動かされている感じだと思うのです。ボクの興味は、仮にこれを<別エネルギー>と呼ぶとしたら、生と死の両端は、エロスとタナトスのエネルギー源だと感じるんです。

エロスは生の方向へ、タナトスは死の方向へ、いずれも恍惚、混沌へ導かれる方向だと思うのです。両者とも、ヘッジがしっかり守られているので、普段は意識することはないようです。漠然と脳裏をかすめることはあっても、マジに受け留めることは避けるように仕組まれているんだと思うのです。この仕組みを解明する社会学を、ボクは持ち得ないので、これは直感的なものです。

ボクがいま試みだしているアートの形は、もし仮に、そんなアートがあるとすれば、という思いで、エロス志向、生を得るためのアートでありたいと思うわけです。ああ、ちっとも具体的でないですね。そのとおり、具体的に記述することは、いまここでは避けたいと思っているからです。文学って、作中人物が書中で死んでいくので、読者は救済されるってこともありますけれど、これって暗いじゃないですか、病気そのものじゃないですか。といってボクのエロス志向も、ある種、病気アートなのかも知れないけれど、いわば生への病気、情欲そそりて死から救済する中味とはならないだろうか、と思っているわけです。ヒトの中味は、エロスだと思っているボクが、ここにいるわけです。お粗末でした!

地殻変動 2006.8.2

数週間前から、その兆候はみられたのですが、数日前に一気に激震が襲ってきて、ついに大きく崩れてしまったものがあります。
それが何かというと、わたし自身の内側のことなのです。この三年間をかけて創りあげてきたことに、激しいゆさぶりが生じてきて、気分もろとも崩壊してしまった、と認定してよいかと思います。他者に向ける言葉は、自分を拘束する。この定理によって、わたしがこれまで積み上げてきた枠組みを変更しようと思ったのです。

何がどのように変わるのか、その範囲と内容は、これからの作業となります。前へ向いていたエネルギーが、急速に減退しており、後ろ向き推進力が強くなって、失速したっていうのが事実のようです。価値に対して価値をつくること自体への懐疑といえばいいのかも知れません。まあ、かれこれ三年間に創りあげてきた領域を、解体させていって、整理して、再び歩みだすというのが、いいことなのだと思います。

ドストエフスキーの「貧しき人びと」を、今日、読み終えました。最初は、2002.8.20に読み、そうしてふたたび、ぼちぼち読み始めて、今日、読み終えたのです。描かれた時代は、写真が発明されたころ、19世紀中頃です。人間の心の理想を含め、現実の心の醜さを描いたとでもいえばよいでしょうか。結末は、あわてふためく自分の姿を見させられる。わたしの地殻変動に、影響がなかったといえばウソになります。おおいに参考資料として、また、その手法を今に引き寄せ、わたしの新たなる文学アート形式として採用しようと思った動機でもあります。その新しい手法だと思う方法じたい、わたしは見直す必然に迫られているのだと思っています。

再生立ち直りつつ 2006.8.3

そうして今日は朝から、パンを焼く日、ネット上の中のデータを取り除くことを決意した。
パンは予定時間より早く、一次醗酵が終わり、焼き上がりが予定より2~3時間短縮された。
その間に、HPのページ削除をおこない、アドレスとトップページだけ残した。
ブログの整理には至ってない。
そうこうしているうちに写メールが送られてきた。
回路が繋がったという安堵感を味わう。

港千尋さんの著書「洞窟へ」を読み終える。
石器時代の洞窟壁画を紹介しながら、意識、記憶といった心の生成を解き明かそうとする書だ。
想像力をたくましくして、ボクのかかえているテーマに、多くの示唆を与えてくれる。

午後から、先端芸術家宣言を読み始める。
いま、芸術とはなにか、という問いを、関係性という括りで書かれている(と思う)テキストだ。
いずれも数年前に購入し、手許に置いていた書籍です。
ようやく、ひとつの時間の流れが終わり、あらたな時間へ立入っていくボクの今だ。
気分が急速に開放されていく感じを受けている。

見直し 2006.8.4

2002年7月にIMIを退職。
2002年9月からOICP写真学校のカリキュラムつくり。
2003年4月から2004年3月まで、OICPのディレクターを務める。
2004年4月にあい写真学校を立ち上げ、10月に写真ワークショップ京都のセミナーを開始。
2005年4月から写真ワークショップ京都を開校。
こうして現在2006年8月です。

2001年夏から起こした、現在の綜合文化研究所の構想、当時はフリースクール京都。学校のありかたを自分に問い、写真が専門領域らしい自分において「写真学校」をベースにしてきました。現代文化状況の諸相をまとめてマトリクス化し、分節して組み上げた綜合文化研究所の枠組みがあります。おおよそ5年にわたって、拡げてきた枠組みですが、その具体的な表象において、これでよかったのかとの問い、見直しをし始めているところです。

今朝、綜合文化研究所のホームページの各ページをWEB上から削除しました。
綜合文化研究所の枠組みは残してあります。
むくむく通信社とその関連は残してあります。
あい写真学校と写真ワークショップ京都の関連は残してあります。
個人的作品のホームページには、手をつけていません。

ここに書き上げた今日現在にいたる簡略文と、昨日から今日にかけて行った作業は、全て外向きの事柄です。
この間の内面、ボクの気持ち、それから放出してきたエネルギーの源泉が、何に由来しているのか、ということには触れていません。
創りあげてきた表面を、崩していくボクの、ほんとうは、その経緯であるとか、気持ちのあり方、だとかに注視しています。
外向けの言葉より、内向けの言葉に、ボクは執着してきていて、今はむしろ、自分のことを自分に発してあげることにエネルギーを使いたい。
そのように思っています。誰かに見てほしい。見ていてほしい。そのような気持ちが、底深くにあります。ここから、いま一度組み立て直したい。
それがここ数日のアクションなのだと思っています。

季節の終わり 2006.8.17

大文字の送り火で夏の季節が終わった、という気持ちになります。朝から、けだるいような、落ち込んだような、けったいな気分になっています。
ぐるぐるまわってきて何度も体験した気持ちだといえば、もう慣れた気持ちだけれど、やはり辛い気持ちには変わりない。
でもこの8月は、精力的に写真を撮った。連日、撮影モードに入っていって、お盆の風物、行事を撮りました。
お盆を取材するのは、23年ぶりのことで、この撮影モードに入るきっかけを、思い出し、そうして取材が終わったということです。

ことの発端は、たぶん5月末ごろに、あるヒトに出会ったことから起こったと思っています。そのヒトは、かっていたヒトを思い起きさせ、かっていたヒトは一冊の本を想い起こさせ、そうしてその面影と逝ってしまった原因に思い巡らし、そうして8月を迎えたというわけです。
それからボク自身の節目の年齢ということも、要因としてあると思います。自分をまとめてみたい。そういう思いが、前向きに出ていたエネルギーを内向きに逆噴射してきたのだと思います。

2001年の夏に始まる外向けエネルギーが、終息を迎えており、あらたなエネルギーと入れ替わり始めて、この8月を迎えたのだと思います。
フリースクール構想をおこした直接の理由が、目の前にいたヒトを繋ぎとめる手段であったことをここに記しておいて、その延長で全面拡大展開を成してきたわけです。そのことが終わったのです。いま、ボクが落ち込んだ気分に支配されている原因は、この移行期にあるためだと思っています。

何度目かの出来事になるボクの内面の劇は、今日から新しい季節を迎えようと思っています。

<我が心は石にあらず>高橋和巳が1965年頃に書き上げた小説のタイトルです。なぜかいまボクは、この小説の冒頭がよみがえり来て、単行本を開いています。
「もし築きあげえたことの成果でものの価値が計られるのなら、私たちの間の愛情はまことに価値寡いものだった。・・・」
埴谷雄高は、評のなかで、この小説を「内部の暗い奥所へ凹んだいわば凹型人間を扱うのは、高橋和巳の好んで追求する主題である。・・・現代の厚い知識人層の底辺にまぎれもなくあるひとつの原基のかたちにほかならない。」といい、それをあらためていま読むボクに、ノスタルジーとも時代の空気感ともつかぬ思いだしがあり、そのなかにボク自身を投射しているボク自身をも発見するのです。ひとつの時代の文化風土を内面化させたと思う自分自身へのやるせなさ。これがボクをつくり成している要因なのかも知れないと、思いつつ・・・。

移行期 2006.9.21

夏からいまにかけて、大きな転換期、そして移行期を迎えていると自認しています。
ボク自身のありかたの全面見直しとでもいえばいいのかも知れない。
2000年夏に始まる頭のなかで考えてきたこと、フリースクールから綜合文化研究所、むくむく通信社、写真学校に発展した一連の展開の見直しです。
パソコンを購入して、ホームページを中心として作りだしたのが、2003年の秋だったから、かれこれ3年が経ったことになります。
築き上げてきたことを崩すのはなかなか難しいところがあります。でも、考えが変わり、思うことの中心が変わり、興味の中味が移行しているわけだから、それに則して変化させていくのが筋というものだと、自ら言い聞かせています。

何がどのように変わるのかといえば、外向きから内向きへ、志向方向が変わってきた、ということです。
綜合文化研究所、むくむく通信社、写真学校、これらを立ち上げ運営するというのは、外向き、啓蒙的な側面が中心です。この中心が、わたし、わたしたち、という個人的な方へ向かって、なにかを作っていくという側面へ中心が移ってきたことです。
見直しの中心は、このズレの修正です。外面から内面へ、といえばいいのかも知れない。作家作業を中心にしていく、ということかも知れない。

昨日のことです。かって買い求めた書籍、ケン・ウイルバーの「万物の歴史」を取り出し、いま、机の上においています。大著だから、読み通すのは難しいと思っているけれど、暫く、この書を手許に置いて、まま読んでいこうかとも思うところです。

今日は、このあと、まるエコ塾の第二回目で、安土まで出かけていくところです。いわば、まるエコ塾の運営も、一連の思考のなかから結実してきた内容だから、これへのかかわりも、若干修正されていくことと思っています。
いま、ボク自身の移行期にあたって、ホームページの整理、ブログの整理、アルバムの整理・・・、それらを少しずつ実行している最中です。

もたもたと 2006.10.7

10月7日、今日の日付です。
一日一日が飛ぶように過ぎていく感覚で、はやくも10月になったんやな、って感じで、苛立ちの気持ちも無くは無い今朝です。
綜合文化研究から地域研究、そして自分自身研究へと、表出していく枠組みが変わってきて、今朝、自分自身研究室なるページを作ったところです。
気持ち恥ずかしい自分がここにいる。自分はいったい何をしているのだろう。外に向けていろいろ策略を仕掛けていくことをしているわけだけれど、もう少し自分を見つめてみよう。そう、これまでに何度そう思ってきたのか、判らないけれど、外化と内化の繰り返しなんだ。

内化していくプロセスは、けっこうしんどいものがある。いいえ、そりゃ外化させていくことだって、しんどさはあります。そう思うと、いずれもしんどいことだ。つまり苦ということだと、思ってしまうのです。この苦を楽にかえるために、あの手この手で、日々を過ごししているのに、ああ、結局は無駄な抵抗なのかな~、なんて思ってしまう。
このように思ってしまうことじたい、内化していくプロセスの悪いところ。落ち込む、凹む、鬱になる、言い方さまざまだけど、あんまりいい傾向ではないです。
外化していく文章を書くのもめんどくさいというより、虚しい気持ちなって、繊細になって、微妙になって、けっこう不安定ですね。

こうしてここに、このようなことを書いていることで、かろうじてバランスが取れているんだと思います。お許しあれ・・・。
昨日は満月、中秋の名月、みることができました。写真を10日ぶりに撮った。この一枚、ボクの執務室の窓から見えた西の茜空です。

2006年11月2日

10月には7日、この日記帖に記してから、もたもた1ヶ月近くが過ぎました。
ひところの書きたい欲求が遠のいてしまうと、何を書くのも億劫になって、いまも、定例的にこのスペースを埋めようと思うと、言葉が出てこない状態に陥り、なかば絶句状態のまま、数十分過ぎて、ようやく書きだしたところです。
いったい何を書くというのでしょう。たくさんのツールを持ってしまって、お義理的に文章を連ねても、仕方がないんだけれど、と思いながら、スペースを埋めている次第です。

10月には、写真アルバムをいくつか作りました。キャノンのアルバムにですが、これから撮っていこうと思っている<海><苔><葉>です。
<空>についてはすでに8月に作っているので、いま、四つの領域が確保されたというところです。<花>というアルバムを作ろうかどうか、迷い中です。
この三年間を、山の生活物語にまとめ、文章もそれなりに集めて、はっきりと線引きできるわけではないけれど、一応の終わりとしたところです。

ぼくの意識のなかに、いま3つの区分があります。すでに手がけてきている<桜><着物>のシリーズがあり、今回の<空><海><苔><葉>のシリーズがあり、もう一つが生きるという<えろす>です。世界観の捉えかた、自分表現の歩きかた、いわばぼくの生60年を経た結果としての<いま>の世界観を写真と文章という表現で、具体的なモノにしていく。そんなに力んでしまっても、どうしようもない、淡々と、なんて思っているけれど、それにしても、ぼくというインターフェースの向うにいるヒトへのメッセージだから、見てもらいたい、読んでもらいたい、と思っているわけです。

まだ、あたらしい三つの領域への、自己検証していく前段階です。さあて、文章をつらねて論理化すること自体を、疑りだしたもんだから、それをやっていくかどうかも、未定です。うん、体力がなくなってきて、それだけの気迫がないという諦念のような気もします。追って、ここに展開していくかも知れないですけど・・・。

拡大と縮小 2006.11.8

このブログを始めたのが2004年9月、いま2006年11月だから、2年と2ヶ月が経ったというわけです。
作ったころっていうのは、領域を拡大していた真っ最中のころです。
2003年10月、パソコンを手元に据えて、綜合文化研究所という枠をメインに、何かをやろうと思って、HP作りにトライしだして、半年後の2004年4月に、綜合文化研究所という枠を設立したことになります。
それと同時に、むくむく通信社、あい写真学校を作って、農事のことエコロジーのことなど、大きな枠組みに対抗しうる思考と実践、なんてことを考えて、狼煙をあげたというわけでした。
それから、そうですね、ブログをたくさん作り、写真アルバムをたくさん作り、その中に記事をいっぱい詰め込んできて、日々のほとんどの時間をそれに費やしてきたと思います。
なにがボクをそのようにさせていたのか、と問います。それは、何かに対抗する、という対抗という気持ちだったと思います。いま、その「何か」の中味については、明確にしないですが、けっこう負けられない気持ちがあったわけです。

今年の夏ごろから、ボク自身の気分がかなり変化してきて、それまで、外に向けていた視線を、自分自身に向ける、むしろ内向する自分にスポットをあててみようとの気持ちが全面に出てきたと思います。
自分のことにこだわる。自分のこだわりを、紐解いていく。自分自身研究ということを表明したわけだけど、そうなると、それまで外のことを、外向けに書いていた文章なんぞが、白々しくって、もう書けないなあ、なんて気分になってきて、つまり縮小してきているわけです。
拡大、縮小という言葉を使っていますけど、まったく正確ではないです。不要になったものを棄て、必要になってきたものを得るということです。移行期といえば、そのようなところにいる現在です。

ご無沙汰しています 2006.12.5

こんにちわ、ご無沙汰いたしておりますが、お元気ですか。
ぼくの近況をお話しますと、書斎にこもることが多い毎日です。
でも、最近は写真を撮ることも多くなってきて、お天気の良い昼下がりなんかに、ぶらっとカメラをもって撮影に出かけたりしています。
撮影といってもお散歩コースを辿るくらいで、遠出などはしません。

今日も午後から、北野天満宮、通称天神さんへ行って写真を撮りました。
いま痕跡シリーズを撮っていて、地、根、苔などがある場所として記憶していたからです。
ええ、それなりに撮ってきました。そうしてさっそくキャノンのアルバムにアップしたところです。

神社やお寺って、そう思えばよく撮影する場所になってきました。
なにかしら感じるところがある場所、足はついついお寺よりむしろ神社の方へ向きます。
この一週間でゆうと、上賀茂神社、下鴨神社、平野神社、それに今日の天満宮です。

イメージとして、神というのに、興味が湧いてきているんです。
神社は箱ですから、神が見えるわけではないのですけど、ね。
感じる、とでもいえばいいのでしょうか、何かしら感じてしまうように思えるのです。

この感覚っていったい何なんでしょうね?
理屈ではなくて感じてしまうこと、そういえば写真っていうのは、この感覚を感覚のように表出することなのかも知れないですね。
でも、たいがいの撮影場所は、ぼくの記憶の場所へと赴きます。
通りすがりに撮影する、ってあまりないです。
現場に立ってカメラを向ける方向に、ぼくの記憶の光景がちらちらと脳裏によみがえってきます。
あるいは脳裏によみがえってきた記憶の場所へとカメラを向けてしまいます。
まあ、こんなことはどうでもいいことなのかも知れませんけど、ね

最近の興味 2006.12.14

カメラをもって写真を撮る。最近、めっきりこの回数が増えてきました。撮る対象が決まってきて、自分のアルバム作りに精出している。いってみれば、コレクション作りの入り口に立ったんでしょうね。

その被写体のある場所が<神域>、つまり神社の境内ということに繋がってきていて、直近では、北野天満宮、今宮神社、わら天神という場所です。地、苔、根、主にこの3つのシリーズのための撮影といえばいいようです。

前に買って、読んでいなかった書籍で、日本人の宇宙観-飛鳥から現代まで-というのがあって、金沢の書棚から持ち帰ってきたし、文庫本の古事記三冊も持ち帰ってきました。天地創造、太古の意識構造、それらのイメージを作っていくための参考資料として、ちょっと閑をみつけて、読んでみたいと思っているところです。

神という概念、それを<感じる>というレベルで、写真化できればいいなぁ、と思っているんです。

2006年も年末です 2006.12.21

毎日、日々、呼び方いろいろあるけれど、ぼくを強く支配してる観念に、年月日時間というのがあるなあ、と思っているんです。まるで脅迫観念やないか、あらためてそう思うねぇ。2006年12月21日、これが今日という一日の区分です。

なんやろ、だれがいつのまに、こんな区分を考えたんやろ、なんて思うことしばし、です。すでに飛鳥時代に、暦博士だったですかね、そんな人を任命して暦を管理させていた、なんてことどっかに書いてあったなぁ。そういえば山科の御陵(みささぎ)に、水時計ってのがある、ええ?推古天皇のときに作られた時計ですよね、小学生のときに知って、まだ見たことないんですけど、つまりそれは、時を計る装置です。

ぼくは時計を身につけていないのです。ええ、もうこうなったら抵抗です。でも、時計なしではいられない世の中です。何かにつけて、時が区切られて、それに合わせて動かなければならないから、時計を身につけていないといっても、しょっちゅう時を気にしているぼくがいるんです。

自然派人生には、時計は不要だ、なんて思ったりして、それで時計を身につけないわけですけど、世の中との接点には、時というのが介在しちゃう。時を越えちゃうときって、そこは死なんでしょうね。死以後。死以後なんて、そんなもんあらへん!たぶんあらへんやろなぁ。そうすると、死が最大の恐怖だから、ああ、あるんや、死後の世界があるんや!、と、そう思うことで、静かに移動していけるんやろなぁ。

閑なことしてる、なにをいいたくて文字を連ねてるんや。こうしている間も、時間が過ぎ去り、今日という日が過ぎ去っていくんだね。12月21日だから、あと10日で来年だ。2007年という年です。信じられへんけど、信じるしかないなぁ。

あけまして2007年 2007.1.5

あけましておめでとう、なんてゆうのも時遅しという感じで、今年2007年最初の書き込みです。
大晦日、久々に四条へ出て、大丸から錦を通って、モスで休憩、それから高島屋へ行って、食料品を少しだけど買い求めました。買い求めたといっても、お金を支払うのはぼくではなくて彼女です。それから自宅に戻って、年越し蕎麦を晩御飯にして、にしんそばにして食べて、それから紅白を見て、千本閻魔堂へ除夜の鐘を突きにいったのです。ここまでが去年の出来事です。

元旦、朝9時過ぎに自宅を出て、10時に娘家族の家に着き、11時ごろに揃って車で金沢の別荘に出発。このスケジュールは3年目。二泊三日の旅行です。もろもろ、自宅へ戻ってきたのが3日の夜。昨日4日を自宅で過ごし、今日も朝から自宅にて、ああ、もうお昼の時間です。朝から、パソコンに向かって、ブログに書き込みしながら、ここにたどり着いたわけです。

昨年秋から、写真を撮りだして、大方の方向が定まってきた感じで、いまに至っているのです。テーマは、神話の世界を写真にて表現?このテーマは、さっき思いついて確定?させたところです。テキストは「古事記」です。まあ、思いつきだから、どこまでやるのかは未知数だけど、昨年、押し迫って神話を読みだして、具体的なぃマージとして、撮っていく写真のバックボーンにしようかしら、と思っているわけです。ちょっと複雑に交錯する気持ちがあります。この交錯する気持ちを整理しながら、すすめていくのがいいのかも知れません。

自分で年齢を自覚するのも嫌な気分なんだけど、60歳を超えてしまって、今年の4月には61歳ということになります。自分自身研究というフレームを立てて、自分を研究するという命題に突き当たっていて、社会との接合面、その境界面の内側を見て書いていこうと思っているところです。神話には全く触れなかった時代に育った自分がいて、西欧文化の真っ只中に育った60年です。なにも国粋主義者になろうとは思わないけれど、固有の文化土壌に育まれたぼく自身を、ぼく自身の頭によって、明確化していきたいと思っているわけです。
追々、このテーマに論及していくための、伏線として、ここに書き残しておきます。

あれよあれよと 2007.1.29

ほんと、あれよあれよと日が過ぎて、もう1月も29日だよ、何してるんだろ、毎日・・・。なんてつくづく思ってしまうんです。日々過ぎる早し、こんなことばっかり言ってるから年寄りなんだよなぁ、なんて自問自答です。
昨日1月28日(日)は、京都写真学校/写真ワークショップ京都のセミナー&ゼミの日で、朝11時に自宅を出て、自転車で書店まわりをしてしまうはめになってしまいました。

現代農業の別冊に、むくむく通信社のクレジット入りで写真が掲載されているんです。手元に一冊置いておきたいですから、と思って現代農業を置いてる書店へ行ったけれど、別冊はなくて、取り寄せもめんどくさいきぶんなので、運動のつもりで、市中をチャリンコで走ったというわけです。
紫野ほのぼの日曜・朝市、本を手に入れて朝市へ回って、それからワークショップへ行こうと思っていたのに、予定どうりには行かないのが世の常であるようで、そのまま開校場所のギャラリー・DOTへ行ったところです。

1月に入って、結構写真撮影しています。二日に一回、お散歩ぶらぶら、取材に出かけています。
紫式部関連で、瀬戸内寂聴さんの源氏物語ダイジェスト版を読み出しているけれど、ついついパソコン作業が優先で、読書が進まない。ブログに写真を貼り付けて、いくつもの写真集を連載形式で作っています。
何してんのよぉ、なんて疑問をはさむと空しくなるので、まあ、淡々、そんな気楽な乗りでやろうと心がけているんです。
いまさらやることといえば、自分の時間への閑つぶし。パスカルのパンセの一節を思い出しながら、何してるんやろ、なんて思いながら、けっこう慣れた手さばきで、事をこなしているんです。

立春すぎて 2007.2.7

今日は2月7日、毎日が飛ぶように過ぎていく、そんな感じに思える日々です。
歳をとると、日々があっとゆう間に過ぎ去っていくんだといいますが、まさにそのとおり。
こんなことぐだぐだ言ってても、何も始まらないから、いくつかのことに関わりをもってやっている。
でも、何かに追われているようで、落ち着かない日々です。

一つは、むくむく通信社を中心にして、情報発信をまとめていこうと思っています。昨年夏以来、綜合文化研究所をいったん閉鎖状態にしていたのを、その領域をまとめて、むくむく通信社を充実させようと思っているのです。
そうしてもう一つは、ぼく自身の作品を作っていくこと、これは作家作業を中心として、まとめていくものです。
とりとめなく拡大してきて、ピリっとした締まりがない感じに拡散しているのが現状で、これはぼく自身の資質なんでしょうね。

月1回の日記帖 2007.3.7

日記とゆうには、日々の出来事や思いを書いていくものだと思いながら、ここの日記は、月記になってしまっています。
月一回の日記帖です。だから近況報告ということで済ましたいけれど、近況を報告するほどの気負いも薄れているような、そんな感じの日々なのです。

でも、これはウソ、ちょっと興味の中味が変わってきて、別のことが中心になってきているわけで、それなら閉鎖してしまえばいいものを、未練がましく残しておいて、また機会があったら日々書いていこうと思っているのです。

なにか最近、この1年、自分の興味が変わってきているなぁ、と思うんです。この変わってきた興味の中味を申し述べることができなくて、このように書くことに内心イライラしてしまいます。つまり秘密ということです。

秘密を持ちたくない。そう思う気持ちがあります。ここは表の舞台だから、秘密は隠しておく必要がある。このように区分していくことが、文化の現状であり、世の習いです。秘密のアジトが側にある、なんて過激派対策ポスターが目について、テロ対策実施中なんて看板が目につくけれど、秘密は決してそうゆうことではないんだけれど、うん、まあ、ね、なんてお茶をにごしておきましょう。

三月の終わりに 2007.3.31

今日は三月末日、年度末という日です。でも、いまのぼくにはあんまり関係ない日です。公務員してたころは、先生してたころは、会社員してたころは、年度末というのはけっこう重要な日だった。区切りということでは、年度の区切りだから、終わって始まる区切りの日だったわけです。
いまそれなりに年をとって、フリー稼業をしていて、特にお金のことから距離を置いている現在では、この区切りというのも、たいして意味をもたないわけだけれど、習性というものは何時までもついてまわるようですね。やっぱり、何かと意識してしまうんです。

京都写真学校を名乗って、写真ワークショップ京都を名乗って、学びの場を作っているわけだし、まるエコ塾を名乗って、学びの場を作っているわけだから、ここでは年度の終わりと始まりがありますね。
最近は、写真を連日のように撮っていて、今日もこのあと、桜取材にでかけようと思っているところで、あんまり天気がよくないなぁ、やっぱり晴れの日がいいなぁ、なんて考えているところです。

桜の季節が終わります 2007.4.26

やっぱり日記とはいいながら月記になってしまいました、お久しぶりですね。この一ヶ月は、ほんと桜に呆けていました。こころはけっこう浮き浮きランドでしたから、喜んであげればよろしいんですね。今年はことさら桜取材に明け暮れたという感じで、そのついでに町角、神域、人々に、と写真を撮った感じです。
ブログをたくさん作ってきてしもて、にっちもさっちもいかないような状態になってきているのが現状で、写真を中心にしたブログに組み替えて、いま、写真集ブログが7個か8個か、というところです。おおむね日々、写真をアップしていくことで、写真集を生成していこうとしているわけです。

文章が書き辛い心境です。呆けるというのは、けっこう感覚の世界であって、感覚を感覚で受け留める態度であるようにも思えて、だから呆けていると思っている今日この頃ですね。この日記が、たまにしか書けないというのは、文章で綴っていくことがメインのブログだからです。呆けているときって、論理じゃなくて、情なんですね。情を傾ける。その情とは、かなりえろすちっくなものです。えろすちっくな情は、公然と文章化できにくいから、書きにくいという状況です。というのもここは、バーチャルだとはいえ、匿名ではありませんから、リアルでもあるわけだから、社会通念の枠のなかに自分を置かなくてはなりませんから、書きにくい、それが原因ですね、きっと・・・。

移ろいゆく関係 2007.5.8

人とめぐりあい、人と人としての関係をもち、そうして人と人が別れゆく。こうゆう流れを、移ろいゆく関係と名づけて、思い当たるには、様々ないくつもの、山ほどの移ろうゆく関係を結んできたものだと思います。そのなかにあって、変わらないものが一つだけあって、それを主体といい、つまり自分自身です。
人とめぐりあうとおなじように、書籍であったり風景であったり、そのつどに自分自身が関係していくことがあります。

書籍でいえば、今年に入って、源氏物語を読み始めました。読み始めて、読むといっても、原本ではなくて、瀬戸内寂聴さんの源氏物語、その抄です。文学的にふかく研究しようなってことは毛頭ないから、ざっと流し読みして、めずらしく二回目の読みにはいってしまったというところです。
内容についての評論とか感想とかを述べるほどには、読み込めていないのが実情ですが、そこに拡がる男と女の世界、それに自然の四季の移ろい、あるいはそこに使われている言葉、単語、登場する人の名前、なんてどこかで聞いたり見たりした記憶のなかにある名詞です。

なにを隠そう、源氏物語を読み始めた動機は、写真イメージを作るためです。なんとなく読む前から、源氏物語という小説が、ある区切りのような気がして、立入り始めたわけです。天地の初め、というイメージから古事記の現代語訳を少しだけ読み進んで、いくつかのマトリクスにして写真を撮りだしたのが昨年の秋ごろです。
そうして、そこからくだってきたときに、二つの系列に分岐するように思われて、イメージのなかにあった源氏物語だったというわけです。源氏物語を<情>の世界と受けとめて、その中心が情欲と感情、それに人の関係、そういう匂いを嗅ぎ取ろうとしているわけです。

写真でもってまとめていくことは、現代絵巻物をつくることのように考えていて、絵巻物の変わりに写真集ということです。ということは、ぼくは物語を作ろうと思っていて、その語りを写真イメージに置き換えてみようと思っているわけで、それらの写真イメージを作っていくために、言葉を必要としているわけです。すでに言葉からイメージをはせるトレーニングを受けてきた身として、まだ始まったばかりの物語に、古事記と源氏物語を読むことから始まったと思っています。この世の移ろいゆく関係を、イメージ化できればいいなぁ、と思っているわけです。

神域、俗域、風景・・・ 2007.5.29

タイトルにあげた<神域><俗域><風景>という単語は、先日組み立て始めた写真イメージの枠組みです。
写真を組み立てるイメージとして「京都」というイメージは、ぼくの中ではかなり古くて、25年ほど前になります。その延長線上に浮上してきているのが、いま撮りだしている写真群です。
取材区域限定、どでに線引きするのか。そう問われれば、かって小学生のころから二十歳ごろまでに立ち振る舞った地域としています。それに若干周辺を拡大した地域です。おおむねの区域を書き出すと、北方面は北山裾ライン、西方面は嵯峨野ライン、問題は南方面と東方面です。南は丸太町通り、東は堀川通りというところでしょうか。
北山裾ラインは、鏡石から千束、鷹ヶ峰あたりが遊び場としてのラインです。西方面ラインは、高校が嵯峨野だったもので、当時の友たちが奥嵯峨、鳥居本、嵐山、太秦あたりにいて、その界隈は懐かしい思い出があります。
こうした区域限定をしておいて、そこを中心に取材をすすめていこうと思うところです。

この区域限定をしたうえで、ピンポイントとしての神社仏閣があります。
京都千二百年を歴史的時間としてとらえて、社寺仏閣のなかでも、神社というトポスが浮上してきます。
玄武神社、今宮神社、上賀茂神社、下鴨神社、平野神社、ここまでは神話世界の神を祀る神社です。それに北野天満宮、建勲神社などなどがあります。
ところで、北野天満宮も建勲神社も歴史上の人物を神と崇めています。北野天満宮は、ぼくの遊び場だったし、こってり思い出も多々ある場所だから取材の中心ですが、建勲神社の扱いをどうしょうかと迷うところです。迷うところの理由は、その歴史背景に拠っています。明治になって創建された神社であることです。とはいえ、被写体としては魅力ある神社でもあるわけです。

これらの神社境内で撮った写真を<神域>として、その周辺にひろがる面を<俗域><風景>と区分しています。俗域と風景区分はグレーゾーンです。
俗域はぼくの心象にフィットするイメージで、風景は町角イメージです。
この三つの領域には、いずれも人が居るイメージを中心にしようと考えています。<神域><俗域>は、ぼくの心象風景と重なり合うイメージで、<風景>は町角淡々光景で、と思っているところです。
このような区分も、かなり揺らいでいて、ここに至った経緯をみても、昨年夏の日々写真からはじまって、まだ10ヶ月、その過渡期だから、まだまだ生成途上ではあるのです。

日記とはいえ月記、禁煙モード 2007.6.28

やっぱりここは月記になってしまう。ついつい、最近のブログの操作でゆうと、ちょっとしにくい感じで、遠のいてしまう。それに、ここは評論スペースとしているので、文章を書くのがちょっと辛い気分になっていて、この編集画面に入れないんです。
直近のことでいえば、今日の朝から禁煙モードに入っています。いま、朝からの一本を吸ったあとですけど、目覚めから二時間、吸わなかった。
昨日、保健所の禁煙支援してくれる講座とゆうか、そうゆうのに参加して、禁煙を明日からすると宣言したわけで、自分としてちょっと禁煙に努力してみようと思っています。

こんな意志というのも、自分のからだと、自分の意識とのたたかい。からだが欲して、意志でそれを止めようとゆうのだから、意識をそれに専念させないと出来ない。
このご時勢だから、禁煙に向かうとゆうのは、理にかなっているわけで、止めれるものなら止めたい・・・、これが止めるとの決意になって、悶々しだして、している、その初日とゆことです。

ほんとに禁煙できるんかなぁ、なんて思う気持ちもかなりあって、さっき一本吸ってしまったけれど、ううん、辛い気持ちになるんやろなぁ。なんでもそうかもしれないけれど、習慣になってしまっていることを止めるというのは、止めるという意志を貫かなければならないわけで、いま、頭のなかはたばこにまつわるイメージばかりで、この文章も支離滅裂的様相をおびだしているような、まとまっていかないですね。
たまたまこの文章、この場のいま、禁煙にふみきった最初の文章となった。

ありがとうございました 2007.7.26

2007年7月末で、せんせの日記帖を終了します。
ご愛読ありがとうございました。