光の玉手箱(20)2006.4.3~
むくむく叢書のご案内

徒然えろす日記 2007.7.17~2007.9.5

祭りだよ
2007.7.17
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 <女>
祭りはえろす、どんなことがあっても、祭りはえろすの領域でござる。と、まあ、このように思うわけで、晴れの日といえばいいですね。 カメラを向けても、いい顔してるじゃないですか、気分が晴れてるんやろね。祇園祭の真っ最中で、昨日、夕方から、カメラを持って出かけていきました。

祇園祭っちゅうのは、京都の代表的な祭りだし、日本の代表的な祭りでもあるわけで、それなりにでっかい祭りだけれど、ぼくはあんまり興味がなかったので、ここ数年は宵山に出かけてはいるけれど、カメラは持っていきませんでした。

今年はちょっと京都シリーズを中心にしているから、カメラを持参したわけで、ちょろっとすなっぷ、チョロスナをしてきました。そうですね、ぼくの夏の始まりだと思えばいいのかも知れませんね。夏の写真テーマに、祇園祭からお盆行事まで、いずれもえろすをテーマにしていこうかなぁ。

夏到来-1-
2007.7.20

<うなぎ>
いよいよ夏の到来や、と思ったのが昨日のこと、自宅からぶらぶら歩いて街中ウオッチングをしている最中に、夏到来、そのようにつくづく思ったのでした。祇園祭が終わって、一気に暑くなって、梅雨が明けたんやと思っていますけど、8月のお盆までのおよそ一ヶ月が、ぼくにとっての夏、今年の夏、2007年の夏、そのように思うわけです。

夏の写真を撮るテーマを何にしようかなぁ、とそれほど深刻ではないけれど、思い考えています。ぼくのなかでは、四月の桜にはじまり、5月以降は町角シリーズで、ストリートにおける女達をメインに撮ってきたと思っていて、次なる夏のメインテーマは、どうしようかなぁ、と思いめぐらせているんです。

うん、うん、いずれにしても、京都シリーズですし、ショーウインドウ、うんうん、食べ物中心、衣食住ってゆうから、衣と食がテーマかなと思ったり、それに一貫してきている神社と町場、洛中洛外、なんかが混在して、まあ、散歩を続けていきながら、範囲を決めていきたいと思っています、思いつきです。

夏到来-2-
2007.7.26

<女>
夏の風物を写真にしようと思っているところだけれど、どうしたら夏の風物写真になるのかわからない。女の子は薄着になり肌を露出する。 こおゆうイメージがあるのだけれど、どうなんかな、いまさら夏でなくても肌露出しているようだし、といいながら女の子を撮った写真を載せています。みんなどうしたの下を向いて、なんて思いますけど、夏なら上を向いて歩きましょう。

まあ、町の中でえろす気分を味わうならば、せいぜい薄着をした女の子を眺めるともなく眺めて、うむうむと頷く程度に留めておかないといけません。海辺へいけば海水浴、プールへいけばプールサイドにて、八割裸体にお目にかかれるわけですけれど、町の中ではせいぜい五割の裸体ですかね。顔、足、腕、それに腰周りがこころもち見え隠れする程度ですね。

夏到来-3-
2007.7.27

<カツ丼>
夏にはスタミナが必要だと思って、けっこうカロリーの高い食べ物を食べる癖がついてしまって、なになに、どっちかゆうと脂っこい食べ物が好きなわけで、コレステロール値を気にしながら、肥満を気にしながら、やっぱり食欲があって、なにより健康な証だと思っている次第です。といいながら、今年はそうめんが美味しいと思うようになっています。三輪そうめんは奈良ですかね、それで大門そうめん、これは富山です。そうめんではスタミナがつかないと思っているのが今年の夏です。

なになに、これはカツ丼、ソースカツ丼、 福井県は三国にある三里が浜の道の駅にあるレストランのメニューです。うん、ご飯が美味しい、地元産のコシヒカリを使っているそうです。とんかつの豚の由来はわからないけれど、まあ、ボリュームたっぷり、780円です。まあ、安いといえば安いし、高いといえば高いし、ぼくの京都金沢間移動中の昼食で定番メニューとなっているところです。

夏到来-4-
2007.7.28

<女生徒>
夏が来たとゆうことと、女子生徒がいるとゆうこととの相関関係なんて、全く無いわけで、いってみれば強引にイメージの語呂合わせをしている感じです。というのも、なんとなく夏の眩しい日差しのなかに、女子生徒が二人、なにやら話をしているようで、いいえ、誰かを待っているとでもゆうように、なんとなく夏の日を彷彿とさせる感じがするのです。

それにしても、夏ホンバンだとゆうのに、写真を見てみると、二人の女子生徒、スカートは膝上だけど、長袖シャツを着ているんですね、もうちょっと露出してもいいのになあ、とも思ってしまいます。清楚な感じがいいんです。なんてったって高校生なんですから、なんて思いながら、こうゆうことをテーマにすることじたい、どうなんかなあと思ってしまうわけ。

夏到来-5-
2007.7.30

<焼き鳥>
夏バテしないようにと滋養をつける。これ、焼き鳥。白梅町の居酒屋串八にて食べた焼き鳥の一部です。なんてったって、暑い夏を乗り切るためにはスタミナが必要、とばかりに食欲旺盛に食べてしまいます。 もっと盛りきった鉢を写真に撮ればいいものを、貧弱ではあるけれど、撮ってみたってわけです。それは昨日のことで、今日は土用の牛ってゆう日だそうで、うなぎを食べるんですね。

うなぎを食べるにあたって、中国産うなぎがなにかと問題になっていて、今年は食べ控えするひとが多いと聞きます。なあに、そんなもんですよ、食の安全、安心なんてゆてますけど、どこまで信頼したらええのか、わからへん世の中ですね。うなぎに限らず、安全・安心な食べ物をそろえるとなると並大抵のことではございませんで、参議院選挙の結果もさることながら、食べ物においても、安心が必要ですね。信じたいですよ、全てのことを、ね。

夏到来-6-
2007.7.31

<女子>
京都は観光名所だから、そうゆうところへ行くと観光旅行者がたくさんいます。ぼくは京都に住んでいるから観光客ではないけれど、観光客を装って観光地へ行って、写真を撮るわけです。夏の気分は開放的だから、写真も開放的になってあげなくては、とついつい思って、なるべく開放的イメージを求めようとしています。ううん、開放的ってイメージは、女子の薄着、燦々太陽の光に萌える風景、でも町の中だから、からだにおいては開放的というよりも、閉鎖的イメージが強いです。

ともあれ食欲と性欲を開放してあげなくっちゃと思いつつ、肉体が思うほどにはままならなくて、枯れる寸前、燃え尽きる寸前、そういえばまもなくお盆だ。そういえば今日は7月31日、明日から8月ではないか。夏到来としたタイトルが今日で終わり、明日からまた新しいタイトルでえろす日記を綴っていこうとおもうけど、どうも暑さのせいかもしれないけれど、文章書くのがめんどくさくって、写真ってイージーやね、写真中心にしていこうかな、徒然えろす写真日記・・・なんて、ね。

夏の日-1-
2007.8.1

徒然えろす日記 2007.8.1
今日から8月、あらためて夏の日や~と思います。夏の日、なつのひ、ぶつぶつ呪文を唱えるみたいに<夏の日>って呟いています。べつに、そやからゆうてどうってこともないのに、区切りのような気がするんです。つまり、終わって始まる。なにが終わってなにが始まるのか明確ではないけれど、終わって始まる。そうそう、たばこをやめて一ヶ月が経ったんですけど、体重が増えた、およそ二キロ。それに勃起不全がなおってきたかもしれない。うんうん、夏やし、えろっちっくなことも欲しいし、といいながら年々衰えゆく体力、精力に無駄な抵抗なのかも知れないけれど、ちょっと快復してきている感じもしなくもない。

街角って雑雑してて、けっこうえろっちっくな色彩に満ちてるよなぁ、と思いながらきつい日差しの真昼間、カメラを持って歩いています。じっとり汗が滲み出て、これがまた気持ちいい、なんて感じながら、けっこう楽しんでいるわけです。何撮ろうかなぁ、なんてあんまり悩んでなくて、おじぞうさまの前の花、ショーウインドウの料理見本、道行く人、とくに若い女子、街角の雰囲気、なんていろいろ、あんまり悩んでなんかいなくて、どんどんシャッター切っちゃうタイプになった。今日の一枚は、無難にロングショットの一枚、雑然としたえろっちっく街路、<女と男がいる舗道>なんて名づけようかなぁ、と思うシリーズです。

夏の日-2-
2007.8.3

徒然えろす日記 2007.8.3
アーバンライフとルーラルライフなんて分け方で、二つの生活様式を対比してみたことがあります。アーバンライフとは都市生活、ルーラルライフとは田舎生活。どっちもどっち、良くもあり悪くもあり、一長一短ということでしょうか。時代の流れとしては、ルーラルライフの方へと動いているようにも見受けられるけれど、いま、ぼくはアーバンライフに戻ってきている感じです。そうゆうなかでの夏、2007年の夏を想うわけです。

青空ではなくてどんより曇った空、じめじめした湿気多い空気感、なんてったって自然のものなんて何にもなくて、身のまわり全てが人工のものではありませんか。街路樹が自然のものだと言えば言えるけれど、人間のからだが自然のものだと言えば言えるけれど、どこまで純粋自然物かいなぁ~って疑問視してしまう、アーバンライフ感覚です。そうゆう中でからだが疼く、じんじん、疼いてきます。自然が欲しいと疼いてきます、夏です。

夏の日-3-
2007.8.5

徒然えろす日記 2007.8.5
観光で京都を訪れるとすると、JR京都駅に到着することが多いと思われて、JR京都駅前に立って写真を撮りました。京都を外からみれば、どのような形をしているのだろう、なんてイメージを抱いて、旅行者の目で京都をとらえてみたい夏の日なのです。外側からとか、内側からとか、言葉ではイメージ可能だけれど、実際の絵面としてはどのような形になるのだろうか、それには観光者の足跡をたどっていくのがベターだろうとの思いで、ぼくは旅行者となっていくのでした。

うんうん、けっこうエロティック京都が見えてきた、って思うのは早とちりで、そんなにかんたんに真髄エロスなんてみえるわけがないのです。とはいえ、お盆の行事がいよいよ始まる京都です。きっとエロスが満ち満ちているのではないか、との想定で、取材準備オーケーとゆうところですよ。うん、期待にこたえてくれることを望みますけど、現場はそんなにエロティックではないんです。

夏の日-4-
2007.8.8

徒然えろす日記 2007.8.8
夏の日やといいながら、立秋だから、もう秋の気配なんや、とは思えないけど、暦のうえではそうらしい。とゆうことは、お盆は秋の入り口になるんですね。旧暦とか新暦とか、ぼくには詳しくはわからないけど、まあ、NHKのニュースでそうゆうてるから、この夏の日は、秋の入り口、秋らしい話題にしないとあかんのかも、ね。

なあに、えろすに夏も秋もあるもんかい、季節とは無関係に・・・、なんて思っているけど、でもしかし、えろすはからだに由来している感覚だから、夏の汗だくだく、なんてゆうのはけっこうえろすな感じです。風景のなかに異性体が一つ混じってくると、なんとなくそわそわしたものでしたけれど、いまやそうでもない日々になりつつあります。

夏の日-5-
2007.8.9

徒然えろす日記 2007.8.9
お盆の日々ってゆうのは、あの世とこの世が交感する日々なのかも知れないですね。 三次元空間から四次元、五次元へ移動できる日々なのかも知れないですね。死んでしまった人が行った先から、呼び戻してあげる儀礼が、お迎え手順じゃないですか。あっちからいえば行ってあげるから、準備しておくれ、ってゆうわけでしょうね。まあ、お盆だから、この世はちょっと夢幻の世界やなぁ・・・。

たぶん、ぼくば思います。この世はえろすで、あの世はかろすかもなぁ、ってね。なんてったって肉体からだがあってこそえろすなんやから、つまり、えろすとは、せっくす含め肉体からだを満足させるため、子孫繁栄願われているための行いなわけですから、それで心を満足させるえろすなわけで、あの世には、この世における肉体は消滅しているわけだから、そこにえろすがあるわけがなくて、あるとすればかろすでしょうね、かろすとは美のことです。

夏の日-6-
2007.8.13

徒然えろす日記 2007.8.13
お盆の真っ盛りの今日、高校野球では京都代表が勝ちました。お盆真っ盛りの今日、我が家では孫が泊まりにきているところです。いずれにしても、お盆です。偶然なんてありえなくって、それなりに必然があるんだろうけれど、本棚に仕舞われていた「来迎図の美術」なんて豪華本を、開いてみた。1985年に同胞舎から出版された本で、京都国立博物館の金井氏が模写されたものです。手許に置いて20数年、初めて開いてみたんです。そうなんです、来迎図のイメージを追っているんです。

空の写真を撮って<天>なんてシリーズで写真を連ねているけれど、来迎の図には程遠いイメージやとおもいだしていてですね。ところで<京都聖域図>ってシリーズをやりはじめたんですけど、どうもこちらのイメージが来迎図に近づいてきているイメージです。つまり来迎とは如来を中心として観音さまとかが近づいてきて、お迎えしてくれるんですから、女が写った京都聖域図は、イメージとして来迎の図をめざそうと思ったのです。

夏の日-7-
2007.8.23

徒然えろす日記 2007.8.23
ことし2007年の夏から、気温が35度以上の日を、猛暑日と呼ぶ、なんてことゆうてはりますけど、まあ、呼び名はどうでもええとゆうても、やっぱ、言葉にしてゆうゴロ、漢字(猛暑)を見た感じ、視覚、聴覚として、ものすごい暑さを連想するじゃないですか。でも、まあ、年々、温暖化現象のひずみなのかしら、異常気象ですね。ううん、ちょっと待って、異常って?異常ってのは、いつもと違うことをゆうんやとしたら、そうか、かなり異常ですね。それで、異常なのは天然、自然の気象だけではなくて、ヒトの心も異常事態ですよね。

ヒトの心の正常、異常なんてことに及ぶと、かなりヤバイ感じがして、引いてしまうので論調は避けるとして、まあ、正常と異常の区分なんてどこでどうするんや、とまあ、考えてしまうわけです。実際、有害サイトなんて単語を、頻繁に見かけるようになって、だいたい察しはつくけれど、何をもって有害とするんやろ。といいながら、性犯罪なんかに導いていく内容のもの、なんてことでいいのでしょうかね。それに商売、お金が絡んでるのが有害サイト??って認定でええんやろか。こんなはなし、たわいないはなしやけど・・・。

夏の日-8-
2007.8.24


徒然えろす日記 2007.8.24
コンビニのつくりってゆうのは、お客が入りやすいように考えてはるなぁ、っておもうんですね。とゆうのも、入り口から入って店員さんと目線が合うことがない。それから、壁面は、全面ガラスになっていて、内部が見えるようになっていて、それに、週刊誌とか雑誌の棚がガラス面にあって、表からみると、書架の裏側になっていて、新しく発行された、つまり新刊紹介かねて、表紙が道路にむかって並べられているわけで、そこはちょっとホットな平面なんですね。

なにかとゆうと、にっこり笑った女の子が表紙の女性向け雑誌、ちょっとセクシーポーズの女の子が表紙の男性向け雑誌、かなり露出度が高いアダルト雑誌、とまあ、こんな具合に並べられてあるんですね。意図的なんか無意識なんか、ぼくにはコンビニのコンセプトはわからないけれど、食べ物とえろすと雑貨、この三点が主要な商品構成なんでしょうね。まま、ぼくは、こういった町角の美人美女を撮ります。


夏のおわり
2007.8.27

徒然えろす日記 2007.8.27
そろそろ夏を終わりにしないと、きりがつかない気持ちがしています。というのも、この夏は、炎天下に外出して、汗を流しながら取材するという方法を繰り返してきたんです。 そうして昨日は、あいかわらず暑さ厳しいなかでしたけど、上賀茂神社まで歩いていこうと考えて、実行したんです。なにがってゆうと、昔、そうですね千年前、紫式部が源氏物語を執筆していたころ、北野天満宮あたりから上賀茂神社へ参拝するのに、道中、どんな道やったんかなぁ、その体験取材とあいなったわけです。

ヴァーチャルでないリアルな場所、つまり身体と気分がともに置かれる環境で、道筋では千本通り、昔は朱雀大路を北上して、今宮神社を通って、北東に歩いていった。そうしてぶらぶら道草食ってたのでおよそ一時間半、加茂の社に着いたわけ。そうしたら、うん、結婚式の道中、神官に導かれた花嫁花婿に出会ったので、写真を撮ったというわけです。これが夏の終わり、秋立ちたぼくの一日でした。


徒然えろす日記 2007.9.3
いっきに秋の気配となった9月3日。とはいえ、暑いといえば残暑の日々、まあ、うずうず夏が終わって、しんみり秋の気配に、こころも沈んでしまいそうですね。最近は、あんまり文章が書けない心境で、ついつい写真を中心に構成しています。どっちかゆうと、えろちっくな中味の写真と文で綴っていきたい日記ですけど、そうとばかりはいかないです。

徒然えろす日記 2007.9.5

えろすは生きる糧、豊かな生き方を支えるもの、なんてわかったようなことを言っていますけれど、ほんとはどうなんでしょうね。 せまい範囲でえろすなんていうと、男と女の出来事ですけど、ひろい範囲でえろすといえば、それは生きるための豊かな感情と豊かな体、その二つが満たされることだと解釈してあげて、食欲と性欲を置くわけです。食べることは体を支える基本だから、何にも優先して食べることがメインテーマですね。そうして二番手にセクシュアルなこと、セックスとかですね。人間社会、進化してきたとはいえ、まだまだ開示されていないのが、後者の案件です。食については、かなり開示されてきていますけど、いよいよえろす開示の時代やと思っているんです。