光の玉手箱(21)2008.3.5~
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せんせの自分&文化批評 2008.3.5~2008.12.29
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2008年3月5日
2008.3.5

今日の日付です。
西暦2008年3月5日。
このように書いてみて、なにを感じるかといえば、年月がここまで来たということ。別に、そのことが、特別に意味があることではないけれど、ぼくには、なにかしら2008年という年が不思議な気分で書いているんです。

生まれは1946年4月28日。
そうするとそれから62年が経過したことになります。
つまりぼくの年齢は、まもなく62歳ということです。
なんのことはない、最近、ぼくは従順になろうと思った。
何十年かぶりで選挙に行って投票した。
公民権行使というわけです。

けっきょくは、体制の制度にべったしとくっついているわけだから、なにも反抗することもないや、と思っただけです。
これからも、もっともっと従順になろうと思います。

ぼちぼち、とゆうこと
2008.4.13

この春先から、今にかけて、ぼくのやりかたが、かなり大きく変化させてきています。ある種、戦略的に、とでもいえばよいと思えるほど、計画的でもあります。計画的といっても、先のかたちがあるのではなく、形はそのうち、作られてくる。このように思っているところです。

このブログにしても、紆余曲折、いったんはやめようと思いながら、また、こうして続けているわけだし、いったりきたり、ぐるぐるまわり、螺旋階段をあがったりさがったり、いったりきたり。きょうのタイトルは、ぼちぼち。ぼちぼち、といったときの感じ方、捉え方みたいな、ユックリズムな感じです。

さいきん、言葉をつむぎだすのが億劫で、写真にたよっている表現です。その写真も、昨年のいまごろから撮りだした<京都>の神社仏閣町角の光景。観光客として来る若い女性を中心に、写真にしているところです。賛否あると思うけど、やっているわけです。それを、やめようかと思いながら、続けている。

かって1980年のころ、釜ヶ崎という枠組みで、無名碑とタイトルしたポートレート集をつくっていた。これのバリエーション、ぼくの現在版とでもいえばいいか。理屈をつけようと思えばつけられるけど、理屈をつけてなんぼのもんや?!なんて思って、いまのところ、あえて理屈はつけていません。

まあ、いつものことで、最初の出だしが迷路に入っていく文章で、起承転結になっていない。これも、戦略といえばそうだけど、文体とか、文章のありかたとか、文法とか、作法とか、現代版でいきたいと考えています。恐縮。写真は、千本閻魔堂の桜、2008.4.12撮影、閻魔堂普賢像桜ではなくて、関山という札がついていた桜です。わすれないうちに書いときます、閻魔堂普賢桜というのは、めしべがふたつ、にょきっと出ている、昨年、閻魔堂の法主さんに聞いたはなしです。今年は二尊院普賢像というのを、見て見たい。

記念日
2008.4.28

今日は4月28日。自分の誕生日でもあり、ネット上に、総合文化研究所、むくむく通信社の設立した日でもあり、ぼくには記念すべき日なのです。

そのことを、やっぱり、意識してしまうんですね。とくに、誕生日ということについては、いろいろな思いが出てきます。
じつは62歳という誕生日で、それが世間的にはどうゆうことかというと、つまり初期老齢者ということになるんでしょう。
じぶんで、自分のことを語るのが、おこがましい感じもしますけど、まあ、テーマが自分研究ですから、おおいに自分を書いていこう。

自分を書くといっても、自分のことがわからない。外見はわかります。62歳だし、男だし、家庭もあり家族もあり、生存しているわけだし、えも、いまもって自分のこと、つまり存在の意味がつかめない。つかめないからといって死ぬわけではなくて、生きているわけだし、年々、生きている意味がつかめなくなってきているうようにも思えます。
これが、初老ということ、なのかも、知れません。 

今日から5月です
2008.5.1

なんといえばいいのでしょうか、言葉に詰まってしまうんですけど、今日は5月1日、2008年5月1日。これは、ぼくにとって思うと、この世に誕生して、身体を持って62年が過ぎたと認識するわけです。
そうして、ぼくがとらえてきた60歳を越えた年代の人像を、思い起こし、自分が、いま、その人像にある、と思うわけです。

老人、お年寄り、前期高齢者とでも、いうんでしょうか。自分では、まったくそんな意識はないんですけど、風貌、見てくれ、そんなの、やっぱり、そうゆう年代ですよね。毎朝、洗面所で鏡を見て、ええ、自分の顔です。そうして、嫌悪感を感じたりしますけど、まぎれもなく、それが自分自身の身体、顔つき、というものです。

かって、自分に違和感があって、自分が他人のように思えたり、なにより、自分と自分の意識が乖離していたような感じがありましたけど、最近は、それが、あんまりなくて、身体と精神が、密着している感じです。そうすると、自分がやっていること、いいこともわるいことも、ぜんぶ自分だと、自分に言い聞かせて、でも、リアルでは他者にいえないこと、内緒のこともありますから、これも人間としての自分だろう、と思ったりしています。

このジオログページ、ぼちぼち、記載していこうかなぁ、と思ったり、文章書くのが億劫だから、やめようかなぁ、と思ったり。そうゆうことでいえば、月替わりっていう日は、何かしら、痕跡をとどめておかなくっちゃ、気分にさせてくれて、ここに、こうして、痕跡を残しているわけです。

区切り
2008.5.14

日々、流れ流れて、思うこといろいろ、そのつど意識になってくることがあります。
そうして、やっていることが、あほらしくなったり、おしすすめようと思ったり、迷いということですけど、そんなことが、つもり積もって、決断になるように思えます。
そうゆうことでいうと、いま、やっている写真の行為、それを見直し、やめる、につなげようかとも思ったり、でも、やめられないなぁ、いいや、やめよう、なんてせめぎあっていて、ずるずる、続けていくんですね。
でも、今日は、人は撮らないでおこう、とか、風景も撮らないでおこう、とか、考えていて、写真自体を撮らない、とゆう方法もあるのに、毎日、撮ってきた連続を、ストップさせる勇気がゆらぎます。

昨日撮影した写真を、今朝セレクトし、そうしてここに掲載の写真が、最後のコマです。たぶん、これがこのシリーズの最後になる、そのようにします。迷いは、こうして書き出すことによって、決定となる。写真を撮ることをやめる、とまでには至ってないけど、方向転換。1年間やってきたシリーズを、いちおう終えたいと思います。それから、つぎの被写体へと移っていくわけですが、あたらしいところへはいけなくて、もういちど、もどるとすれば、どこへ戻ればいいのか、それを考えています。

kamagasaki
2008.5.16

釜ヶ崎という場所。大阪西成区萩之茶屋1丁目・・・。地下鉄御堂筋線の動物園前で降りて4番か5番かの出口からあがると、そこは霞町の交差点でした。25年ぶりの釜ヶ崎訪問。なにも大げさぶる必要もないけれど、自分とのかかわりでいうと、25年ぶりに、ついに訪れた、という感じです。

いこい食堂ってのがあって、西成教会の牧師さんでもあった金井愛明さんがお亡くなりになって、偲ぶ会が、5月15日、西成市民館で催されたのにあわせて、稲垣さんに進められ、いちおうカメラマンとして、訪問したというわけです。

なんでしょうね、25年。取材に入りだして、1978年だから、それから30年です。なんだったんでしょうね。当時の顔ぶれ、小柳さん、岡さん、どちらもケースワーカーをしておられた。高柳さん、電報が届いていました。ふうむ、30年、もしくは25年。この歳月を、どう受けとめればいいのか、まだ、わかりません。

午後9時過ぎに現地をはなれ、ローソンで焼きそばパンをチンしてもらって、立ち食いして、そうして堺町線で淡路まで、そっから西院まで快速急行、バスでわら天神、自宅11時ごろ着。ええ、自宅に戻ってきました。いずれ、このことについて、触れるとおもうけど、きょうのところは、ここまでにします。支離滅裂、ごめんなさい。

5月末
2008.5.31

文章を書くことがめっきり少なくなったように思われる最近です。というのも、写真を撮ることが中心になっていて、文章にまで至らない。写真はイージー、文章は手間かかる、そんな感じがしていて、時間の余裕がない感じです。ここに、こうして、記入の枠を開けてみたものの、そうなんだ、結局、書きたい内容が、せっぱつまって出てくる状況ではないんだ。このように思います。

これまでにも、文章を書ける時期と、書けない時期はあって、繰り返されてきたように思えます。数年前には、文章が、どんどこ書けた。中身は別として、まあ、書けたわけです。ところが、最近は、書くことそれ自体、内容とか、考え、それを文章にしていく作業が、めんどくさい。ええ、写真はイージーだし、ついつい写真中心になってしまっています。

写真集と銘打って、いくつものシリーズを手掛けています。おもにブログに連載する要領で、写真集を構築しています。テーマは「京都」さまざまな切り口で、構成しようと思っているけど、ここ一年は人中心です。思えば、釜ヶ崎にて「無銘碑」ってのを手掛けて、それの京都版、その関連のなかで、京都をつくっているところです。

でも、まあ、ここらで方向転換、別の角度から京都を、考えてみたいと、思うようになっています。「神」または「神社」というイメージを、集めて、神のいる社、神社です。この1年、京都シリーズをやってきて、ひとを撮るのもさることながら、神を撮ろうとしてみよう。こうゆうアプローチが、はたして可能かどうか、できるかどうか、その問題です。

バリへ旅行してきました
2008.6.30

やっぱり月に一回は書いておこう、なんて思って、今日は6月30日です。つい最近、バリ島へ行って来たことの話からしておこうと思います。なんのことはない、日本旅行社のパック旅行で、現地ホテル三泊の一般コースです。だから、リゾートっていうか、癒しっていうか、まあ、リッチといえばリッチなパック旅行です。

バリの文化とか芸術とか、日本文化の源流がある、というような話も聞いたりしていて、それなりのイメージを持って出かけて、観光地にその面影があったりして、それを写真に撮ったりして、バリの文化と芸術に触れたような気分になって、帰ってきたところです。

バリ島で思い起こすのは、東松照明さんの太陽の鉛筆第二部の東南アジア編です。第一部の沖縄編からカラーになって第二部になりましが、その最果てがバリ島の写真でした。それから、IMIにいたころに、伊藤俊治氏を中心にしたバリプロジェクトがあり、間接的にバリの文化風土などを知ることになりました。

それで、そんなバリなんですが、たぶん、行くことはないだろうと考えていました。でも、縁あって、新婚旅行並みの気分で、バリ島を訪問することができたわけです。写真を撮って、セレクトして、135枚ほど選んで、保管したところです。まだ、旅行気分がさめない今ですが、6月末の日記、いいえ月記として、残しておきます。

暑い7月
2008.7.28

月に一回の記事書きになってしまって、いまや、7月28日です。
何か書くといっても、何を書こうかと迷う気持ちがあり、その限りにおいて、必然的に言葉が編まれるということではなく、むしろ半強制みたいな感じで、書いています。
つまり、ここ最近、かってのような文章を、書く気持になってこないんです。
あんまり、プライベートな話題も、よろしくないかと思うと、よけいに話題がない。

温暖化現象の影響か、今年の7月は、けっこう暑い日が続いています。日中気温が35度を超えた日を、猛暑日ということですが、この猛暑日が続いているんです。地球温暖化、なんだか地球が壊れていくみたいな気がして、怖いです。なんて言ったって、自分の年齢は62歳だし、まあ、孫の将来を案じることになるわけです。

なになに、自分の未来なんて、もうここまで来てしまうと、終わってしまう感じじゃないですか。いまさら、未来があるなんて思うのもはばかります。生きてきた過去の年月が、懐かしく思うだけでなく、いやなこともいっぱいあったけど、それをみんな許してあげて、あとは、悠々自適、なんて思いたいところだけど、そうとも言えないね。
7月の記事、ここで終わります。

夏の終わり
2008.8.27

月記、8月。今日はもう8月27日。涼しい日が続いています。気象のことを言えば、最近、ちょっとおかしい。地球温暖化の影響ということだけど、まだ8月の後半なのに、涼しい。

今年の夏は、家の整理。生まれて育った家。今も健在の父親が住んでいる家屋を、閉じるため。7月のはじめから、60数年間につもった家財を整理した。自分の生まれ育った家だから、小学生のころの記憶だけではなくて、具体的に、学校の教科書とか、数十年ぶりに再会するモトたち。

感傷にふけっている時ではなくて、具体的な、生命、いのちの問題なのです。生きてきた証が、そこにはありますが、それを消してしまうことなのです。汗だくだく、モノを整理しながら、感慨深い気持ち、思い出す出来事、いろいろ巡り巡る思いがありました。

自分の生まれた痕跡。今で言う母子手帳が出てきた。母親が亡くなったのは平成元年。それから20年の年月が過ぎた。整理した家屋の中には、母親の持ち物が残っていた。懐かしい匂いがした。今日の掲載写真は、母親の戒名。この盆に、千本えんま堂で流した塔婆です。

9月の終わり
2008.9.30

思い出したかのように、ここへやってくると、たいがい1か月ぶりぐらい経っている感じですね。
ぼくの感覚、ちょっとそろそろ、書くかなぁ、とおもうタイムリミットが1か月、というのかも知れない。
最近は、書くのがめんどくさい。頭を使って、思考回路を紡ぐのがめんどくさい。
かって、ひところなら、軽蔑のまなざしでしか見ていなかった<お笑い>なんて、最近は、ハマってしまう。
それにつけてもシリアスなドラマとかは、もう暗くって見てられない。
そろそろ、それなりに、無責任、あの世を垣間見る、そんな自分がここにいて、消滅することを、平常に迎えようなんてことを思ったり。
2008年9月ってゆう区切りが、今日で終わります。

時代祭へ
2008.10.22

今日は10月22日、京都暦では、時代祭が行われる、鞍馬の火祭りが行われる。時代祭りへ写真を撮りに出かけてみようと思っています。このブログへ書き込むのは久しぶり。最近は、ほんと、文章を書くのが億劫で、というのも話題に事欠くわけで、自分の興味を文章化する根気といえばよいのか。ブログへは、京都の写真を中心に掲載しています。そんな写真を撮ることにも、ちょっと沈滞気味なところへ、祭りなんてイベントがあると、ほいほい、なんてったって写真になるから、出かけて、撮って、残している。浅はかといえば浅はかな動機でわあります。

祭りとか、賑やかなこと、ハレの場といえばよろしいんでしょうか、そうゆうことが受け入れられる自分があります。年をとってきて、暗いことより明るいこと、静かなることより騒がしいこと、祭りとか、お笑とか、そうゆうほうが生きていくのに負担がかからない。そのように思っていて、肉体の衰えとともに、肉体が生きることを望むようになっているんです。

同窓会、昔の記憶と交わる。このまえ、高校の同窓会があって、参加しました。高校を卒業して、45年ほど経つんですが、卒業年齢18歳、今62歳です。なつかしい、年月が経ったことを忘れてしまう。同窓会って、なんていえばよろしいか、こころを休める場所。なにか、世間では立派な立場のひとも、そうでないと自認しているひとも、同列になってるように思います。そういえば、学校卒業して就職して仕事の関係となると、そこはお金がからみ、名誉とか上下とかの俗がからむ関係だから、その場を離れれば、関係なし、ってなことで、同窓会ってゆうのは、特殊な場ですね、やっぱり。

11月12日という日
2008.11.12

今日は11月12日、正確には2008年11月12日です。ぼくにとって、特別な日というわけではありません。記念日でもありません。日常の日々の一日にすぎません。
最近、ちょっと変化が起こっている気がします。ぼく自身、身の回りのこと、世の中のこと、大きく言えば世界変動。
この変動している世界に対して、話題にしていくことで、この種のブログとかホームページとかが成立するわけですが、それにのっとらないで、自分と文化の批評をする。このコンセプトが、けっきょく文章を書けなくしている。

最近のニュースでいえば、アメリカの次期大統領がオバマ氏に決まり、初めての黒人大統領となる。麻生総理大臣が誕生している。ニュースキャスターの筑紫テツヤさんががんのため亡くなられた。11月24日にはKBS京都で、収穫祭が行われる。などなど、大きくは世界のニュース、身の回りのニュース、いろいろあります。でも、どうも、それらを話題にして、文章を書くということに興味が乗らないのです。

パソコンに向かって、自分流にホームページをつくり、ブログをつくり、最新の手法を使って自分を発信する。かれこれ5年が過ぎていくんです。そんななかで、いったい何してるんやろ、なんて思いがよぎっていきます。むなしいといえばむなしい気持ちがあります。自虐的に、人はそんなに振り向いてくれない、と思ってしまう。悲観的になってしまう。そんな感じを払拭したいと思うけれど、ふっきれない。

ああでもない、こうでもない、と思うことは、けっきょく確定ではないから、中途半端なところで終わってしまう。といって、確定させればよいといえば、そうゆうこともできない。こんなことを、ここに書いていて、なんの役にもたたない、とも思えます。要領よく、このあたりでまとめるとすると、つまり、自分自身研究なんて、どうすればいいのか、という問題に行きあたっている感じです。ながれにまかせて、外の出来事を、適当に評論しておけば、それでいいのかもしれないのです、けれども。 

2008年も終わります
2008.12.29

最近は、この場所を訪れることも少なくなりました。毎日、かなりの時間、パソコンの前に座って、HPやBLOGをいじっているのに、ここへはご無沙汰です。原因は、いろいろ考えられます。いやあ、こうゆう書き出しではじめるのが、この場所のしきたりみたいに思えて、それに対応するような文章を書くことが、できない、興味が薄らいだ。そうなのかも知れません。それに、この場所のフォーマットのバージョンが、古いようにも思えるんです。

ここのタイトルが、自分&文化批評。ぼく自身を批評し、文化を批評する枠組みです。文化という括りは、こうゆう文章を書くということも含め、自分を表わす力です。動物から人間へ。この人間なるものを考察しようというのがここでの目的。その人間でも、自分という人間を考察しようという、かなり新しい考えに基づく、枠組みだと思います。つまり、このことを進めていくのに、かなり興味が薄らいだといえます。

自分の興味にしたがって、日々、写真を撮ってブログに載せて、写真集をつくっています。文章を書くのが、かなりめんどくさい。でも、この場所は、文章を書くのが、主たる目的のサイトです。アクセス解析もなく、他との関連もなく、だれがどの程度来てくれるのか、来ても読まれているのかどうか、などなど考えると、やっぱり遠のいてしまう。ここをやめようかとの記事は、もう1年ほど前、2008.2月に書いています。それから、月1回程度の書き込みです。そんなこんなで、2008年が終わります。新しい年には、新しいことをしようと思います。でも、何が新しいことなのか。でも、年末年始というのは、区切りでもあります。