徒然日記・雑記帳「雑記帳-1-」
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はや2015年4月、平成27年、新たらしい年度になりました。
いつのまにか、ここまで来てしまいました。
京都で写真学校をたちあげて10年が過ぎました。
今年度は、開校しないほうへと進んでいます。
失意のうちに、といえばいいかと思っています。
受講する人が集まらないということが深く気持ちを痛めます。

新年度にあたり、タイトルを変えました、雑記帳。
ありふれた名前、常識的、インパクトがない、そう思います。
この常識的ということが、写真学校の成否につながっている。
そのように思えてしかたがないのですが。
若いうちは狭い道を突進、年寄ると全体が俯瞰できるようになる。
保守的になる、ということかも知れない、常識をわきまえる。

なにはともあれ、今年は69才になるわけで、若くはない。
老年ですよ、と自分に言い聞かせて、淡々と生きていきたい。
ちなみに、過去のことを、いろいろと思い出します。
あと生きられる年月は、と思うと、やるせない気持ちです。
名声をあげたい、野望を実現したい、などの意欲はあります。
でも、いまさら、通例からいって、通用しないだろうとも思う。

稲垣氏が大阪市議会選挙に立候補しています。
今日は写真を撮りに行く予定が雨が降っています。
それで日程変更したいと、電話したところですが、心残りです。
雨が降ると撮影しにくい、と思ってしまって、変更したわけ。
ひところなら、こんな変更はしなかったなぁ、といま思っています。
なんだか、自分の判断が、なさけないような気分です。

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どうしたものか、朝から、気分がよろしくない。
体調が悪いというのではなく、気分がすぐれない。
いろいろと現実からのストレスのようです。
この世とあの世、このこの世のことです。
生きながらの区分としての現実と非現実。

この世のしがらみから離れて隠遁生活することをあの世。
お金や仕事や人間関係などのしがらみまみれをこの世。
こうして自分の生きている時間をシームレスに区分けする。
この数週間、この世に生きだした感があって、現実に戻る。
戻ってきたことのなかで、ストレスが起こっているのだと思う。
普通は生きていることはこの現実だけがある状態です。

ちょっとタイミングを計りきれない自分がいます。
どうしたら人とお金とうまく付きあえるのか。
このタイミングがわからなくなっているようです。
現実に対して、気持ちと感覚が浮遊している感じ。
ちょっと疲れているのか、夢をよく見てる感じ。
先行き不安な身の上、なにかと戸惑っているところです。

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2015年4月27日、これが今日の日付です。
よい天気が続いていて、もう初夏を想うほどです。
昨日は、連帯フェスタ、2008年から参加で8年目となります。
明日はぼくの誕生日兼結婚記念日、28日です。
もう69才という年齢になった、結婚45周年です。
大阪万博の年に郵政の保養所洛翠荘で結婚式を挙げました。
24才の誕生日、そのときの写真を、このまえブログに使いました。

こうして昔のことを思い出して、うっとりしてしまいます。
これって、高齢になった年寄りの典型ではないのかなぁ。
決して若いなんて思えなくて、どぎまぎしてしまう自分がいます。
写真について、文学について、いろいろと考えを巡らせます。
断定的なことはひとつもなくて、ドリフトする自分がいます。
ああでもない、こうでもない、これがこの世というものだ、なんて。
けっこう、口から出まかせで、文章を書く癖があって、軽率です。

昨日は、万博記念公園駅、帰りのモノレール、すごい混雑でした。
改札制限に会ったのは、はじめての遭遇です。
気が焦りました、帰宅難民って、これ以上の気持ちなんだろうな。
人混みの中にいると、なんだかもう自分がわからなくなる。
群衆、そういえば、昔、デモに参加したけど、これは整然としてた。
こうしてブログに書きだすと、いろいろと想い起こされてくるんです。
いつまで、こうして、いられるのか、先のことがわからないですね。

ほかに書きたいことあるのに、避けてる感じで、この文を書いています。

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5月になって、ここのブログ、名前を変えました。
中川繁夫の雑記帳というブログ名にしました。
紆余曲折、何度かブログ名を変えています。
リニューアル、再生、新しく甦る、そんな気持ちです。
ここの左にカレンダーがあるけど、記事を書かないと月更新しない。
ウエブリブログ、ここはあまり機能がよろしくないと思っています。
でも、契約ブロバイザーがビッグローブなので、使っています。

ゴールデンウイーク、今日は5月4日、連休ですね。
今日から二泊三日で金沢へいきます。
5日は、立山博物館の方へいきます。
地道を車で走っていくので、金沢まで7時間。
昼前に京都を発って、越前海岸通って、夕方7時ごろ。
金沢へ着くと、百坂プラザってスーパーがあって、そこに寄ります。
金沢へ来たぁ!て感じで、こころが落ちつきます。

金沢に家を建てて20年になります。
老後をそこで過ごすつもりで建てたのですが。
過疎になっていく、交通の便が不便になってきてる。
そんなこんなで、田舎での老後生活は不便さを感じます。
いずこもそうで、限界集落っていうのか、年寄りばかりの集落。
金沢の家のあるところは団地なので外見はモダンです。
でも、JRバスの便が少ない、だから買い物に行きづらい。

でも、田舎住まいはなにかと都会とは別世界でもあります。
自然と一体になって人間を考えられるような気がします。

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昨日5月15日から5月27日まで、写真展に写真を出品しています。
1982年に取材していた白虎社、東方夜総会の記録写真です
三年ほど前から、かって撮ったフィルムをスキャンしだしました。
そのフィルムで撮った白虎社の写真、それから8点選びました。
なつかしいといえばなつかしい、思い出は連鎖されてきます。
その撮影に入ったきっかけとか、記したいとも思います。

今回の展示は、プリント展示です。
スキャンしたデジタルデーターからデジタルプリントです。
白虎社の夏の合宿に撮影参加したときの野外公演です。
場所は京都・鞍馬の百井という田舎のわらぶきの一軒家が拠点でした。
応募に応じてきた若い人たちと白虎社のメンバーの合同です。
観客のいない現場で、ほぼ暗闇で、撮影をしたところです。

この撮影の現場には、瀬川恵美さんがいました。
別にカラーの写真が残っており、それをどこかにアップしています。
瀬川恵美さんのことは別に書こうと思っています。
白虎社、どうして取材するようになり、どうして終わったか。
そのあたりを、書けるときに書いておきたいとも思っています。
33年が過ぎて、初めて発表することになった写真群です。

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いま展示中の写真展へ行ったら伊東春美さんに会った。
何十年ぶりかの再会です。
大八木元治さんが見に来てくださった。
白虎社というグループを、知る人ぞ知る。
その話が、幾つか耳にはいってきます。
30数年目の撮影で、未発表だったわけです。

あのころ、1984年の春に、写真を撮るのを辞めようと思った。
そうして、写真を撮らないまま、発表しないまま、2003年まで来た。
20年間のブランクでした。
なにがそうさせたのかといえば、テーマの行き詰まりでした。
釜ヶ崎のドキュメント、それから白虎社のドキュメント。
とりわけ釜ヶ崎の取材が気持ち的に辛かった。

その後には、フォトハウス構想を提起して、実行し始めました。
ワークショップを開催し、それなりの成果をあげたと思っています。
それから生活のため、国の下級管理職になっていった。
その後1995年だったか、写真の専門学校、副校長の職を得たのです。
今年が、それから20年です。
茨木に移転した図書館の再構築に参加しています。

写真図書館は1992年、畑祥雄さんと二人の蔵書をベースに設立です。
ここまでの詳細は、ここでは触れないけれど、今年は思想の再構築です。
あのころも新しい領域に踏み出すべく始まったように、再び新しい領域へ。
新鮮な気持ちにはなるけれど、個人的には欝な状態でもあります。
ただ、この現場に立ち合えることについては、感謝です。
あと少し、がんばっていこうと思うところです、生きてる証として。

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1966年のアメリカ、コンテンポラリーフォトグラファー展。
「社会風景に向かって」、ソーシャル・ランドスケープという名称。
この展覧会のカタログをメディア図書館で探した。
いまのところ見つかっていない、どうしたのだろう。
なければないでいいけれど、貴重な本だと思うから。
ただいま移転して整理中の大阪国際メディア図書館です。

コンポラという呼び名の原点というこの写真展は1966年12月。
G・イーストマンハウスにて、若い5人の写真家展でした。
CONTEMPORARY PHOTOGRAPHERS TOWARD A SOCIAL LANDSCAPE
これが原題ですが、ぼくがこのことを知るのは1986年頃です。
フォトハウスのワークショップで、金子隆一さんの現代写真史を拝した。
資料室の蔵書として、このカタログ本のコピーをいただいた。

その後、中村きょうさんから原本を寄贈いただいた。
フォトハウス資料室は1992年、写真図書館に統合します。
紆余曲折、現在、大阪国際メディア図書館、茨木市に移転。
6月にオープンしますが、閲覧できるよう、整理しているところです。
自宅の書棚に残ったコピー本を出して見た。
金子さんのメッセージが見つかった、読んだ、なつかしい。

でも、どこへいったのだろう、その本。
薄い、小型の本だから、きっとどこかに隠れている、と思いたい。
コンポラの原点と書いたが、日本ではプロヴォーグの作家たち。
第一世代、第二世代、いま写真を撮る人にも濃厚に残っています。
1970年代以降の、日本の写真を語るには、欠かすことができない領域。
でも、もう、あんまり、むつかしく、考えないでおこうかな。

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このまえ、コンポラの本が見つからないと書いたが、見つかった。
未開封のダンボールのなかに入っていたようです。
ライフの棚のうえに一冊だけ置いてあった。
さっそく貴重本の棚にしまいこみました。
おととい6月6日、図書館が茨木市でオープンしました。
図書館の名称は、一般社団法人大阪国際メディア図書館。

これらのことは全て畑祥雄氏の尽力によるものです。
理事として、ぼくはその尽力に乗っかっているだけです。
でも、最初の基本写真集約3千冊を寄託している人です。
写真図書館としてのオープンが1992年だから、23年前です。
1982年、図書館に写真集を!のムーブメントから10年後です。
有限会社からNPOに変わり、一昨年から一般社団法人です。

立場として、どうしたものかと、思っています。
名誉ではあるけれど、このままでよいのかどうか。
つまり自分が拠って立つ場所とはならない現実です。
中心とはなれなくて周辺をうろついている存在です。
このことが、ぼく自身の存在意味を問うとき、どうするのか迷うのです。
いるべきかいなくなるべきかそこが問題だ、シェクスピアの問いみたい。

現実世界との関わりが、生きていくためには必要です。
家族であり地縁であり実業団への関わりが必要です。
生きている証を求めるのに、それが必要なのかどうなのか。
ぼく自身の内面での葛藤です。
ふっ切れたと思っていたけど、なかなかふっ切れていない。
いったいぼくは何を求めているのだろうか、名誉か、利益か。

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早朝から、気ままな日記、夢幻舞台、とブログに文を書いた続きです。
朝の目覚めが、よくなくて、夢うつつとは、こういう状態をゆうのでしょう。
地の底で、水の底で、もがいている、そんなイメージの心境になっている。
目をあけると、少しは現実に戻ったように思うが、気分は不安なままです。
見えるものと見えないもの、目と精神、メルロ・ポンティって名が書いてある。
目の前の書架に、このタイトルの本があって、その背表紙が目に入る。

パソコンからはベートーベンのピアノソナタが流れてきています。
今日の今はぼくの文章作業の邪魔にならずに、むしろ訊いている。
音量は小さい、イヤホーンではなくてスピーカーから流しています。
テレビも見られるそれなりのパソコンだから、音質はかなりよろしい。
おおきなオーディオセットには負けるが、手元では、これでよい。
なんなんだろう、この作業、文章書いてネットにアップする行為。

かなり長年、文章を書くということを続けてきている。
ブログに書くということはここ10年程だけど、鉛筆書きノートがかなりある。
一番最近のノート、といっても2001年だから、もう14年も前になるんだ。
このノートにはタイトルがあって、革命ノートとつけられていてる。
自分の過去は恥ずかしいことの積み重ねだと思えます。
現在だって、なにをしてるんだか、世からみればへんなことばかりしてる。

ふ~っとハンス・ベルメールが人形つくりに没頭しているイメージが浮かぶ。
ドストエフスキーが、文章を書くのに没頭しているイメージが浮かぶ。
ベルメールもドストエフスキーも、肖像写真が残っていて、そのイメージが動く。
一枚肖像写真があると、それだけで、こんなにもイメージが湧いてくるんだ。
文豪たちの肖像写真を、大竹省二氏だったか、撮っていて、カメラに収めた。
なにやら、固有名詞が連なっているけど、その深部に触れないままですね。

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日々過ぎるの早し、6月24日、昨日が夏至でした。
気分的には、拡がってきたのがすぼんでいく感じ。
アスタルテ書房の佐々木氏の、死の報に接した。
この10年程は会っていないくて、ご無沙汰していた。
書店のオープンは、1980年代の半ばごろでしょうか。
沢山の書籍や版画を買いました。

シュールリアリズム系の書籍やイメージ。
そこそこ豪華本の少部数発行の書籍とか。
買ったけれど、多忙にまかせて積どくだけでしたが。
いまもって、背表紙を眺めるだけの書籍群。
モリニエの本が手元にあります。
バタイユの本が手元にあります。

そのころシュールリアリズムの耽美に溺れる心があった。
行き止まり感、生きている証としての性欲とか。
それを突きぬけたのがトランスパーソナルでした。
自然派、タオイズム、開く心、開かれる心、開放!
70前になって、ふたたび耽美に興味が出ている最近です。
生きている、このことの証、佐々木氏が亡くなられた。

佐々木氏が写った集合写真が一枚だけ手元にある。
そこには平木収氏の顔も写っている。
1988年だろうか、自宅を改造してフォトハウスにした記念。
様々な人との交流を、思いだします。
大阪国際メディア図書館、いまは、ここに拠点です。
まだまだ、生きていく間、模索していかなければならない。

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金沢は二俣に本泉寺という浄土真宗の寺があり蓮如さんの廟があります。
その本泉寺に、蓮如さん手植えの御塩梅という木があります。
蓮如が、加賀国に入る時、本泉寺の住職が身元引受人になった?とか。
最近は越前から加賀に入る時、吉崎御坊の前を通ります。
なにかの因縁、ぼくの家の宗派は法華ですが、妻の家は浄土真宗です。
その浄土真宗を再興された蓮如さん、1415年京都生まれとあります。

室町時代、そうなのか、そのころに本願寺が再興され、浄土真宗が力を。
そういえば五木寛之さんが書かれた「蓮如」を岩波叢書で読みました。
信長だったか、石山本願寺の百姓軍と戦う、そんなことだったか。
ぼくの頭の中にある知識だけで書いているから、怪しいけど、ね。
神道の方に興味があって、仏教にはあまり関心がありませんでした。
でもそれなりに信仰ということに、興味を覚える歳頃なのかな。

先週、そこへ妻といっしょに、本泉寺へ、墓参りに行ったのです。
えっ?、7月のいまごろに墓参りなの?、金沢ではそうらしい。
スーパーの店頭にキリコと書いてある飾り物が置かれています。
ぼくは京都の人だから、7月の墓参り、これは、初めて知りました。
ぼくが金沢を訪れるようになって、もう半世紀になります。
19になるとき初めて行って、いま69だから、そんなもんです。

ところで、蓮如さん手植えの梅の木ですが、樹齢600年弱ですかね。
写真に撮ってみてるけど、そんな樹齢のようには見えない。
ひょっとしたら、表札にしてもらった原木が、それだったのかも知れない。
その残りが、いま、本殿前に植わっているのかも知れない。
詳細はわからないけど、由緒ある寺のようです。
こうして人は、自分のルーツを探して、安心していくのかも知れません。

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人間の業というか性というか、思いはその内面に到ります。
内面という言い方が古いなら心といえばよいか精神といえばよいか。
内面、心、精神、魂という言い方もあるかとも思う。
ようは自分のなかの深~いところの心理というか気持ち、興味。
男が女を、女が男を、好きになるという本質のところだ。
ぼくはそこに興味があって、好きな女性像を解析したりします。

解析して、その衝動というか、一目見て感じる直感というもの。
ロラン・バルトには「恋愛のディスクール・断章」という名著があります。
でもこれは恋愛ではなくて、衝撃、愛の全て、傾斜する心。
不意打ちですね、これは、衝撃でした。
それでどうすればいいのか、ということに悩むわけです。
ステーグリッツはオキーフにどのように対処したのだろうか。

「仏像の世界」という本を買った。
仏像の名前とか、区分とか、それの解説、説明本です。
漠然と知っているけれど、それが何様なのかがわからない。
学校では習わない世代のぼくは、宗教心たるものに巡り会わなかった。
唯物論だとかで、宗教なんて観念論だと排斥したではないか。
情が起こって、好きになることは、本能のなせるところではないか。

小説の中身、写真の背後に現わしたいモノ、それ自体。
情というもの、身体が反応する感覚、五感がふるえて感じる。
ショパンのバラードが、ルービンシュタインの演奏で、流れてる。
初恋が実らなかったように、これは実らないから位相を変えよう。
変えたいが、変えようがわからない、世の文学者よ、どうした?
いっしょに死ぬなんて、これは近松作、太宰治演出、という情死。

-13-
もう、この夏が、今夜で終わります。
毎年、大文字の送り火をもって、ぼくの中では夏が終わる。
祇園祭からはじまって、お盆、送り火までの約一ヶ月です。
ここ七、八年、写真や動画で取材を続けてきたが、今年は。
今年は、ほぼ、取材をしていなくて、中途半端なままです。
京都をテーマに、情をベースに、人間模様を描きたい。

このように思いながら、京都の光景取材を行っていますが。
その取材の限界、はたして<情>が表現できるのか、との問題。
情とは、情緒、感情、愛欲の情、などの心と身体の感覚のことです。
イメージの疑似体験で、それが可能かどうか、その問いかけでした。
むしろ文章、小説、フィクションのほうが、適してるのかも知れない。
そう思って、小説を試みているけれど、他者の感じはつかめない。

そういうなか、いま、自分がおこなっている方法論、そのもの。
この子が想像する世界は、けっして一義的なモノではなくて、奥深い。
その奥行に、ぼくの方法論が成立しない、と思わなくてはいけない。
現在の表現現場は、ぼくの方法論では、対処できないのでは、と思う。
この10年余り、ぼくが構築してきた世界、これがどこまで有効なのか。
時代の感覚は、そんなことをとうに越えていて、もう無効なのかも。

なんだか、屈折点、ターニングポイント、なのかも知れない。
沢山のブログを作っているけど、これは写真学校の広報でした。
この広報することがいらなくなったので、整理すればいいのにできない。
どこかで区切りをつけて、身軽になって、次への展開が必要なのではないか。
なにかしら、後ろめたい気持ちになるのは、世間に逆らうからでしょうね。
もっと従順になれば、とおもうけれど、そうできないのです、困ったな。