愛と癒しの「そのころ、近況-2-」
むくむく叢書のご案内
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そのころ、近況-2-
13~25 2010.11.1~2011.5.10

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11月になりました。
急に寒くなってきたようです。
ストーブをつけて、部屋を少し温める。

要は心の在り方の問題。
気分ってゆう感じかも知れない。
言葉で言い表すなら、さみしい。

寒さは心を閉ざします。
冬の到来にむけて、仕度をします。
冬物の衣類を出しました。

いつも彼女がしてくれていたこと。
なにがどこにあるのかわからない。
探して見つけて取り出してきました。

自分の衣類、見覚えがあります。
自分が自分であることの証。
それが自分が着ていた衣類がわかること。

なんか、どこまで認知症なのか、わからない。
もの忘れがすごい。
なにより、前後がつながらない。

そんな自分を想像してみる。
人間って、けっこうきつい生き物です。
意識があって、自尊心があるなんて・・・・。

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ものごとを悲観的にみるのはやめる。
人を恨んだり、誹謗中傷しない。
なんでも認めていく。

なにかこの世の出来事って暗いですね。
自分が生きた60数年を振りかえっても、いやなことが多かった。
だから、もう、仙人さまの境地で、日々を過ごそうと思った。

気分は楽天、それでもくよくよしたりするけど。
落ちこむときには、くよくよしない。
もうなんでも受け入れちゃうよ。

それでかなり救われていると思う。
無責任、怠惰、いやらしい、なんでも言ってもらって結構。
それがいちばん気楽ってゆうもんだ。

まあ、楽しまなくっちゃぁ、ね。
そう思っても、やっぱり落ち込んじゃうね。
今年は、アクシデントが多発した。

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人生、なにが起こるかわからない。
ある日、突然、思いがけないことが起こる。
アクシデント、その連続で、日々が過ぎていく。

ひとつひとつに喜怒哀楽してたら、疲れる。
だから、そしらぬ顔して、通り過ぎさせる。
これも対処の仕方のひとつでしょう。

父のこと、これは老いが原因だ。
人間って死が待ち受けているけど、状況がわからない。
死に際、どんなことが起こっていくのか。

妻のこと、これはアクシデント、予期しなかった。
なにかするときには、リスクを伴う。
事故、突然の事故、予期せぬ事故。

うろたえる自分。
こっけいな自分が、そこにいて対処している。
起こったのが10月14日の午前だから、もう一か月になる。

日々の生活を組みかえる。
それでいいのだ。
なるようになる、無理にねじることもない。

淡々、日々淡白に生きていけばいい。
とはいえ、まだまだ血の気が多い。
10年先って、どうなってるんやろ?

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京都と金沢を行ったり来たりの日々。
苦に思っているわけではない。
むしろアクシデントによる変化を楽しんでる。

父のこと、妻のこと、暗くて考えるのもおっくう。
でも、そんなくよくよしても仕方ないから、気楽にいこう。
不幸中の幸い。
そのように思うのが、生きてる術としてよろしい。

中学のときの同窓会企画。
昨日、幹事会に出席しました。
世話役というところですね。

人との接触が少なくなっていく老後。
そんなときに出入りできるところがあるのはうれしい。
そんな感じで、世話役の一端を引き受けた。

些細で微妙なところで、自分を満足させる。
満足とは心を満たす。
いいじゃないですか。
 
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今年は、最初からアクシデントがありました。
父の介護につながる病院通いからはじまりました。
ディケアーへの申し込み。
介護商品のレンタル。
総合支援センターへの依頼。
なにかと、介護の現場を、知ることができました。

5月の中旬には、脳出血により、シミズ病院に入院。
6月下旬には民医連中央病院に転院。
8月中旬には上京病院、それから双岡病院。
身体障害者1級を適用してもらっていまに至る。
一か月の年金額が六万未満の父。
双岡病院、完全看護で、月額5万円未満の支払い。
ラッキーな環境になった、と思ったところに、妻の骨折入院。

金沢の浅の川総合病院、10月14日入院。
太ももと首の骨が折れていた。
現在、入院、リハビリ中。
年越しても、まだ入院が続きます。
不幸中の幸い、手足などへの障害は、残らないと思う。
金沢と京都を行ったり来たりの生活が続いています。

キクさんの47回忌、12月20日が命日だという。
高校三年のとき、単車で安置室へ行ったのを覚えている。
板の上に寝かされていた死者、あれ、12月20日なのか。
無性にむなしい気持ちになっていた学生服の自分を思い出す。
セイさんの50回忌が来年なので、一緒に回忌をしてもらう。
12月20日、つまり明日のことだ。
参列は、ぼくひとり。

厄払い、環境を変える。
とはいっても住まいを変えるわけではない。
気分の入れ替え、できるかどうかわからないけど。
パソコン入れ替え、カメラも入れ替え、リニューアル。
ほんとに今年は、いろいろあった。
ぼくは、来年65歳になる。

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今日は2010.12.23、年末になってきて、気分もあわただしい。
NECのパソコンがデスクのうえにきて、セッティング。
ホームページ、ブログ、アルバム、アドレスとパスワード設定。
それからこれまでのデータを移行させたり。
なんとか、もたもた、お部屋の掃除もかねてしている。

2003年の秋から始めたパソコンライフ。
デジタルカメラ、ネットにて作品つくり。
あしかけ7年。
なんか、ここで転機を迎える感じだ。
ネット環境も変わったし、さて、どうするか。

バリヤーが外れていく感じ。
ぼくを支えてる価値観、そんなのが壊れる感じ。
そういえば、支えられ、安定を求めて、心が安心するのだと思う。
そのバリヤーが外れていくときにおこる感情。
なんてゆうか、心を絞められる感覚。

そんな気分が、昔からあって、それが起きていたり寝ていたり。
もう心開いて、あっけからん、無敵、なにも怖くない。
そう思うことが、絞めつけられる、起きてくる。
なにか、罪悪感みたいな、この世にいることのせつなさみたいな。
ああ、だめだめ、こんなことしてたらあかん、なんて、ね。

ニコンのデジカメで撮った最初の写真。
なんだ、こりゃ、って感じ。
カメラを手にしたけど、写真作る気分が減退してる。
その分、文章を書く気になってきてる感じ。
繰り返しだね、人生なんて。

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ただいま西暦2011年となっています。
4月で誕生日を迎えて、満65歳になります。
なにかにつけ、半世紀、50年。

中学の同窓会を6月に開催する幹事になっています。
今日、パレスサイドホテルの喫茶で、その会合がありました。
ブラスバンドで一緒だった菊谷さん、50年ぶりの再開。
そんな調子で、半世紀ぶり、というのが最近の傾向。

高校時代の長澤さん、太田さん。
最近、再び、懇意になってきて、うれしいかぎり。
なんかしら、昔の友なら安心できる。
そんな気分にさせてくれる、同窓生。

妻の骨折で、今年の正月は金沢でした。
こころ痛め、一緒にいることの必要性をあらためて知ります。
かけがえのないひと、と思う。
もし、いなかったらと思うと、おそろしい気持ちになります。

父の入院、妻の入院。
昨年は、ついてない、アクシデントでした。
今年は、どんな年になるやら。
パソコン、調子悪い、買い直しします。

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結局パソコンを買いなおして、富士通に戻りました。
最新、最上級バージョンですけど、3Dテレビなんて見ません。
HDは2テラ、メモリーは8ギガ、そんなスペックです。
一昔のパソコンと比べたら、すごいです。
そんな時代になってるんですね。

カメラはニコンになって、京都取材を終えて。
何を撮るか、節分の取材をしませんでした。
植物園へ行って、温室で花の写真を撮りました。

延滞フェスタのブースに展示する釜の写真。
稲垣氏と一緒に写真を撮ったのが2月1日。
昨日、パネルにする写真のデーターを渡しました。

今日は町内会、来年度の会長等を選ぶ名簿つくりの集まり。
なにかと気になってしかたがない町内のこと。
それでも一年が過ぎていきます。

来週には、喜美子が退院します。
京都へ帰ってきて、ふたりの生活が始まります。
ひとり暮らしに慣れだしたけど、基本二人ですから。

そんなこんなで、日々が過ぎていきます。
日々、なにかやり残してる感じがして仕方がありません。
思いうほどには、ことが進まない、そんな日々です。

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写真学校の問い合わせ者がありません。
この4月からの第七期が開講できないかも。
そんな危惧を抱きだしました。
まだ2月中旬とはいえ、問い合わせが激減しています。

毎年、いまごろの時期には、心配することです。
でも、昨年から今年にかけて、何かが変化している。
時代が大きく変わろうとしている。
その変化に、学校がついていけてない。

そうなのか、どうなのかは、わからない。
いずれにしても、問い合わせがない。
なにか、割り切れない気分です。
写真は、新作、Botanical Gardenより。

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今年65歳になる人が考えること。
これから、どないしょうかなぁ。
これまでやってきたことの区切り。
何度か区切ってきた節目がありますが。
どうも今年は、その節目なのかも。

いまこれを書きながら、そのように思う。
整理せよといわれて、ぼちぼち。
書籍とか、ビデオとか、雑誌とか。
かさばるものを捨てる。
捨てるのもなかなか難しい。

手元にある物たち、それぞれに思い入れがある。
些細なペーパー一枚にしても、思い入れがある。
捨てるってゆうのは、その思い入れを断ち切ることだ。
捨てられるもの、捨てられないもの。
それは、時間が経過して、捨てられる。

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東北関東大震災。
発生から10日が経った。

強烈なショック、ダメージを受けたのは被災者。
被災者ではないぼくなんかも、ショックとダメージ。
それほどに、強烈な災害なのだと思う。
被災者のこと思うと、悲しみ、胸が詰まる。

昨日、お寺の彼岸会に行った。
本法寺、ぼくは初めての参列。
なにかしら、年のせいもあるのかと思う。
感覚が、かなり身近なものとなってきている。
母の23回忌、平成元年4月15日死去だった。
4月13日に23回忌の法会を行うこととした。

弟と、父の見舞いに行く。
月に一度ペースだ。
それとは別に、週に一回程度の見舞い。
双岡病院、終の棲家となる父。
父、母のこと、65歳にして、さまざま思う。
今日は、妻の63歳の誕生日。

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4月も終わっていきます、今日は2011年4月26日。
明後日、65歳の誕生日、41年目の結婚記念日。
総合文化研究所、むくむく通信社、京都写真学校。
つくって7年を迎えました。

いま、新世界より、を聞いています。
いまあるパソコン、2テラバイトのハードデスクです。
カメラはデジタル、キャノン、ニコン、静止画を作っています。
ネットにアルバムを作って、写真展にしています。

時代が大きく変わっている感じ。
科学、技術、ものすごい変化、進化、信じられへんくらい。
人間の心も、それなりに変化してるんでしょうね。
パソコン介して、さまざまな情報を、手元にゲットできます。

かって集めた音楽CD、それをいまパソコンに取り込んでいます。
中学のとき、ベートーベンの運命を千円で買った、それはレコード盤です。
クラシック、ベートーベンとかの、ピアノ、交響曲、その他。
中学生のころ、思い出しては、胸を詰まらせてしまう。

そういえば、中学の同窓会が6月に。
卒業50年になるそうです、そのとおりです。
何回か幹事会に出席しているけど、なにもしていません。
そろそろ、65歳ってゆうのは、区切り時なのかも、ね。

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京都写真学校が開校して7年目。
今年は、ぎりぎりになって応募者が増えた。
先日には、里さんの講座を実施、サイアノプリント。
9月には長澤さんのジャーナリズム論を実施できることになった。
写真を制作する作家養成講座となればいいと思う。

なんだか、書くのが億劫、めんどい、そんな気分。
音楽、といってもクラシック。
持っているCDをパソコンに取り込んで、聞くようになった。
バッハ、ベートーベン、ショパン、それにシューベルト。
容量が大きいから、それに音質もいいから、ストックしている。

とにかくすごい。
パソコン、インターネット、デジタル環境。
ここ数年でさえ、すごい大容量になっている。
あきらかに時代が変わってきている。
それをどう使いこなすか、が問われるところだ。

最近は、花、植物を主体に写真作業している。
京都の取材は、いちおう終了。
食べ物、環境、それも終了か。
流動的といえば流動的な写真テーマだ。