愛と癒しの「徒然に-1-」
むくむく叢書のご案内
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徒然に-1-
1~14 2011.5.27~2012.6.13

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自分史
自分のことを、生い立ちを書いていこうとしています。
他人様が読んでいただくなんてことは、考えないほうがよろしい。
だれもが、自分のことを中心に、動くわけだから、他人様のことなんか、どうでもよろしい。
とは言いながら、ひそかに、自分のことを知って欲しいと、思う気持ちがあります。
ひそかにと書いたが、かなり強く、その気持ちがあります。

自分史を書く。

どこから書こうかしら。
今年2011年、中学の同窓会が6月にあるから、ここから始めようか。
中学は衣笠中学校、1960年かなぁ、まあ、その頃。
中学生といえば13歳、十三参りって、父に連れられ行きましたよ。
嵐山の渡月橋を渡るとき、後ろを向いちゃあかん。
その時のこと覚えているから、書いておきます。
父と弟とぼくの三人、なぜか母はいなかった。

中学の入学式の日。
ステージでブラスバンドの演奏がありました。
どうしたことか、ものすごく感動しました。
音楽担当は沢村先生、クラブに入りたい人いるか、と聞かれました。
ぼくは、猛烈に、吹奏楽部ですね、入りたいと思いました。
それから、ぼくの中学時代、ブラスバンド、吹奏楽部入部と日参が始まるのでした。

-2-
京都は祇園祭り。
今年も宵山と山鉾巡行を見に行った。
山鉾巡行は三年連続の見物&写真撮影。
一昨年は河原町通で、昨年は四条烏丸で、今年は御池新町。
祭りを撮る目的は、写真集京都に収めるためだ。

写真集京都は、たぶんぼくのライフワークとなるはずだ。
まとめ方に新鮮さ、斬新さはない。
なるべく京都というイメージを自分なりに作りたい。
そしてなにより、ぼく自身が京都生まれ、京都育ち、京都在住。
このことが重要なポイントにはなると思う。

かって写真を撮る行為を、日常の方へ、と考えていた。
その方向からいえば、祭りを撮る行為は、非日常の方へ、だ。
だから、そんなわだかまりがある、とはいっても、祭りがある。
祭事、法事、歳時記、風土記、名称はさまざまにつけられた中身。
まだまだ、入り口に立ったばかりの認識。
京都がすべてではないけれど、大きなファクターではあるのです。

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今日からお盆に入ります。
毎年、祇園祭からはじまって、大文字の送り火まで。
夏のセレモニーとして、夢幻舞台を、制作します。
今年も、また、その気になっているところです。

写真を撮って、静止画でまとめているけれど、動画。
ニコンのカメラにしてから、動画をも、撮りだしました。
ウエブアルバムでも、動画を載せられる。
ニコンのフォト蔵、グーグルのピカサ。
ユーチューブとかニコニコ動画とか。

そのうち、パソコンで編集でもするようになるか。
年を取ってくると、なにかと億劫になるのがわかります。
なんなんやろ、年寄りの傾向を、認めなければなりません。
年寄り、高齢者、その部類に入ってきた自分。
今日は、京都写真学校、ライティングのレクです。

お盆のお迎え行事が今日から。
レクの前に千本閻魔堂へ寄って、取材するか。
いちおう京都取材は終わったんですけど、まだ。
行事とか、祭りとか、そんなの拾います。
京都風土記を、作りつつあるんですけど、まとまりません。

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お盆が終わったと思ったら、父の死。
2011年8月20日午後4時25分。
享年91歳。
大往生だと思う。

21日に通夜、22日は午後1時から葬儀、告別式。
やまから帰ってきて、初七日。
入院していた双ヶ岡病院からセレマの玉泉院へ移動。
父の遺体は、家にかえらず、そのまま葬儀場へ移した。

ぼくと弟、兄弟夫婦、それぞれの子供、父から見れば孫、4人。
ひ孫5人中3人が列席。
家族だけの家族葬でした。
昨夜、終えて、今日は、整理。

父との思い出とか、母を交えての思い出とか。
これから、記述する機会があれば、記述します。
父を送る。
それが終わって、一段落である。

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久しぶりの近況記録です。
このまえの記事が、父の葬儀直後でした。
あれから、満中陰、49日も終え、お骨おさめも終えました。
次第に、記憶からも薄らいでいくのでしょうね、父のこと。
順送りだから、悲しみとかの感情はありません。
でも、生きるってこと、生きる意味みたいな。
そんなこと、思わさせられますね。

つぎは、自分の番ですけど。
妻が先か、自分が先か、ですね。
これだけは、いまのところ、わかりません。
なにより、老いていくこと、必然なんですね。
このままで、いられるわけではなくて、老いていく。
もう、65才だから、今しかできないことを、したい。

人間って、どこまで貪欲なんでしょう。
精力尽きてきてるのに、気持ちだけが高ぶります。
65才の体力、ひところと比べると、これも衰えています。
でも、まだまだ、これから、衰えていくのだと思うと。
ちょっとみじめな気分になります。
だれにも明かさない秘密みたいなもの、えろすかろす。

つぎは、いつ、ここへ来てかくのやら。

-6-
もう12月、早くも一年が過ぎ去る。
この「早くも」という実感は、年々実感として感じます。
感じなんですよね、きっと。
年齢を経ると、そのように感じる感じ方。

いま、ベートーベンのピアノソナタを聴いています。
パソコンにダウンロードしたもの、29番。
29番といえば、ハンマグラービア、ですね。
なにかしら、ぼくの人生に関わっている感じ。

父が死んで、三か月が過ぎて、もう忘れてしまった。
喪中だというのに、喪に服していない。
なんと非常識な自分だろう、と思います。
ことごとくが、そんなお年寄りになっていく自分。

まあ、人生。人の生き方に、定型はあるようでない。
自分流、生き方。
それもままならないではないか。
どうすれば、自由が得られるのか。

-7-
2011.12.31
大晦日、2011年の終わりです。
今年一年、なにがあったのか。
あっちもこっちも、その話題に尽きています。
ここも、そうゆうことで、締めくくりましょう。

身内的には、父の死、8月20日。
なにより、大きな出来事です。
東北大震災、これは大きい出来事。
こころ痛みます。

自分的には、パソコンを買った。
ブログとホームページを作ってきている。
来年に向けて、新しい枠組み。
花、京都、愛の巣、この三つをリンクさせます。

表現、自分とは何か、なんて。
写真と映像と文章で表す。
65才になって、老人日記の部類です。
来春は66才、いやはや、どうしたことか。

-8-
あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくお導きください。
昨年は、喪中でしたけど、今年は晴れています。
お正月早々は、毎年、金沢シフトです。
昨年は妻が入院で変則でしたが、今年は例年とおり。

元旦に京都の家をでて、娘夫婦の家へいきます。
そこから金沢へ出発です。
高速道路を使って、行きます。
タダにするって、うそつくな、って思ってしまいます。
幻滅しますよね、公約反故にしたら、信頼ゼロですよ。

なにかしら、むなしいのは、そんな政治のせいもあります。
それだけじゃないけど、気持ち、むなしいです。
今年66才、ええ年ですよね。
ひと昔なら、もう寿命が尽きるって年代ですよ。
いやはや、だから、なにが起こるかわからない。

先が見えないから、どうしたらいいのか。
といいながら、続けるしかありませんね。
今年は、京都と花、それに愛の巣、三つのHP制作。
リンクさせながら、ぼくの制作物としたい。
ということで、よろしく、ね。

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調子に乗って、文章と写真をまとめようと意気込んでいます。
現代写真の視座1984、これはドキュメンタリー論です。
表題にもあるように1984年に書いたからおよそ30年前。
それから、写真への手紙・覚書、これは写真論。
1988年から1994年にかけて書いた写真論です。

どうしていまごろになって、そんなものを。
つまり、見直し、自分の痕跡確認、そんなもの。
京都を取材してきたのが2007年から。
いちおう取材終了としたのが2011年。
でも、あらためて、京都の写真をまとめています。

次から次へ、自分の中で、企画が起こってきます。
すこしづつ、新しい方へシフトしていくわけです。
京都、花、愛の巣、この三つのテーマをHPに立てた。
それぞれをリンクさせながら、新しい作品群をつくる。
さて、そう見栄を切ったが、はたして、どのようになるのか。

問題は、愛の巣とタイトルした領域のことです。
公然と表に出すにはおこがましい内容です。
といいながら、公然化させてしまったわけです。
中味をどのように公然化させるか。
まだまだ、未定形の中味です。

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このまえに、ここに近況報告をしたのが1月16日。
それからひと月半のごぶさたでした。
きょうは2月29日、うるう年です。
せめてひと月に一回の記事をアップする。
やめられないなら、それぐらいしなきゃあ。

今年になって、ぼくの動向が変化してきているんです。
気持ちの在りようで、写真とか文章とか、してるわけです。
なので、その時々の興味の在処が、中心になるんです。
釜ヶ崎の写真を、フィルムからスキャンしています。
66才になる年齢で、これまでのものを整理しておこう。
こんな気持ちになってきている。

新しい論を書く、少しこの作業を少なくして、温故知新。
そのためにも、古き自分の著作を再現する。
15年ほど前に、ファイルを作ったのがある。
でも、いまやパソコンでネットで、デジタルデーターで。
この流れに沿って、データーを作っている。

現代写真の視座・1984、ドキュメンタリー写真のゆくえ。
写真への手紙・覚書。
釜ヶ崎の写真と文章。
まだまだ、デジタルデーター化するのがある。
できるところまで、やっていこうと思う。

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2012.3.4
徒然日記にあやかるわけで、タイトルを「徒然に」とした。
2012年3月4日、きょうの日付です。
東日本大震災から一年、2011年3月11日。
この最近、一年ってゆう単位が、非情に短い。
年取ると、年月過ぎるの早し、というけどほんとですね。
あれよあれよで10年が過ぎる。
中学校を卒業して半世紀が過ぎた。

今朝、ブラームスのハンガリー舞曲集を聴いていた。
聞き覚えのある音の連なりが、思い出をよみがえらせる。
思い出をよみがえらせる光景より、感情、感覚、ですね。
なんといえばよいか、ノスタルジックな感覚とか。
その当時の感覚ではないと思うが、その感覚とか。
いろいろ思い出すこと、いっぱいあります。

思い出は、思い出だから、いまさらどうすることも。
いやな思い、いい思い、全部含めて、いま、ここに、いる。
まだ五体満足、あたまがちょっとボケてるかな、くらい。
いつまで続けられるんやろ、これが不安種です。
過ぎ去ってきた時間からみて、あと少ししかない。
そう思うと、整理しておくことは整理しておく。

釜ヶ崎というところに撮影に入ったのが1978年ごろ。
それから35年近くが経ってしまいました。
稲垣氏の勧めで、ネガを掘り起しています。
フィルムスキャナーでスキャンして、調整して。
釜ヶ崎ドキュメントとして、まとめています。
全駒からピックアップしたのをランダムにならべています。
いつまでかかることか、はじめています。

-12-
あれから一年、早くも過ぎ去りてきました。
東日本大震災のニュースでにぎわっています。
被害にあわれた当事者の方の心中を察します。
身内を失われた方のこと、思うだけで、切なくなります。
でも、一年、過ぎていく、過去になっていく。

ここを、徒然に、というタイトルでシリーズしていこうとしています。
でも、なかなか、この文章を書く作業が、ちょっとめんどくさい。
つまり、別のところに興味の中心があって、そこ優先するから。
だから、なんか、義務化してるんです、ここなんか。
過去を整理できない性格のぼくは、切り捨てられない。

今日は、岩波講座の日本歴史の本を4冊ごみに出した。
古本屋さんに売るのは、気持ちで、できないから、ごみだ。
そういえば、転向三冊は、前々回、前回から日本歴史。
過去を切って、整理して、身軽になる。
そのようにも思うが、いざとなるとできにくい。

最近は、Facebook、フェースブック、これが情報交換の中心。
知った他人さまとつながっている感覚は、気持ち安定します。
そういえば、社交クラブ、そんな感じですね、フェースブック。
人恋しい気持ちは、年寄りになって、社会から切れつつあるから。
やっぱり、人は、他人様と一緒でないと、生きれない。

-13-
もう4月の終わりかけ、ごぶさたしていました。
明日、4月28日はぼくの誕生日、66才。
それと結婚記念日、1970年だから42年目。
最近は京都写真学校、も8年目を迎えました。

1946年生まれ。
いつの間にか66才。
あとどれほどの時間、年月が残っているんやろ。
それを思うこのごろ、そんなことばっかり。

文章を書き連ねるのがけっこう億劫です。
写真、これは撮って整理して載せる。
比較的簡単に処理しています。
込み入ったことはしない。

京都の写真集を作っている。
どのようにまとめるのか、まだできない。
できないけれど、撮って連ねて、見せてる。
日本の絵巻物とか、歳時記とかのまとめ方。

絵巻物が参考になります。
写真は絵巻の現代版だと思う。
内容は、雅のなかの京都。
対語で鄙(ひな)という概念を持ち出した。

まだまだ制作意欲は衰えていないなぁ。
でも取材するのが億劫になってきた。
どこまでいけばいいのか。
今日は、別件、過去の写真、釜ヶ崎。

釜ヶ崎ドキュメント、撮ったコマをスキャンしている。
モノクロフィルム、400本ほどスキャンした。
あと300本ほど残っている。
そのあとには、京都、白虎社、その他がある。

-14-
世の中、物騒なことばかりが起こっています。
日本を含む世界で、悲しいことばかりが起こっています。
ぼくは感情的に、良し悪しを判断しようとしています。
しょせん専門家じゃないから、感情のレベルで、判断します。

原発の問題。
これは廃止すべきです、ぼくの感情です。

消費税アップの問題。
消費税アップには反対です。
生活者として反対です。

経済危機の問題。
つけがまわってきてるんだからしやないですね。
なるべく経済活動から遠ざかろうと思っている自分。
自己矛盾を抱えながら、存在している自分。

なにかしら、むなしい気持ちになってきます。
民主党、約束を守れよ!
選挙では投票しなかった。
実践活動してる党の候補者に投票しました。

なんか枠組みが崩れていく感覚ですね。
世界の枠組みが、壊れて、再生される。
どっかで、断ち切って、新生世界を、ですかね。
いまって、おおきな変化期なんでしょうね。