愛と癒しの「徒然に-4-」
むくむく叢書のご案内
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徒然に-4-
43~56 2013.3.13~2013.7.8

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あれっ?、徒然にっきがここにもあった。
アメーバの花のワルツってブログで連載中。
ここは、ブログの名前が、徒然にっき。
吉田兼好さんの徒然草からの引用です。
ピアノの曲、ベートーベン、ワルトシュタイン。
その第二章ですが、ここでは音を再現できない。

パソコンに取りこんで、メディアプレイヤーで聴いています。
なかなか、いい音で聞こえますよ。
田舎では大きなスピーカーで聴くときがあります。
やっぱり、音質が違うけど、これはこれ。
なんといえばいいのか、こころむしられる。
ピアノの曲には、けっこう思い入れがあるから。

最近のことですが、けっこう忙しい?
作業を抱えすぎてるのかもしれない。
此処へは、なかなか来れない。
文章書くのが、なかなか重いんです。
別バージョン、小説については精力的に。
つまり、興味の対象が、いまは、別にある。

来月満67歳になる。
自分で信じられない。
体力落ちてきた、老体になってる。
でも、気持ちは、どうなんやろ、変わった?
精力なくなって、エロさもなくなった?
ほんとかなぁ、ここでは真相を語れないけど。

なんやかやゆうても、真相を語れない。
言論の自由とはいっても、枠がある。
ネットは公共の器だから、ガイドラインに従う。
しかし、こころは、いつも逸脱していくんです。
井原西鶴、ベルメール、モリニエ、谷崎、永井。
なんてったって、文学者であり芸術家ですね。
ぼくもその境地へ行きたいです。

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視力が落ちています。
この時間、この作成画面の文字が見えにくい。
使いすぎなことは、わかっているけど。
パソコンの画面を一日何時間見てる?
ほぼ12時間、そんなにも見てないけど8時間以上。
やりたい作業がいっぱいあるから、です。

4月に出品する展覧会の写真をまとめる。
フォトコンプレックス第五回展です。
USBに入れて、パソコンで見せる。
12作品全部を混合して、流す。
スライドショーするのに、今年はパソコンで。
まえのバージョンのパソコンがあるから、これ。

IMIOBの三木さん、葛城さんが作ってるフォトマガジン。
港さんと勝又さんが作家、三木さん編集、葛城さん発行人。
東京発、新しい試み、料金は月600円+消費税。
毎週木曜日にメール配信される、というもの。
カード決済ではなくて、特別に振りこみにしてもらった。
ネットでクレジットカードを使いたくなくて、です。

寫眞、その他のアート潮流、その現状をどうつかむのか。
ネットで情報が得られるとはいえ、やっぱりこの目で見る。
いま宝塚にあるメディア図書館へ、毎金曜日、行ってる。
そこには情報がいっぱい、それを体感します。
情報は魔物で、知る必要があるのかないのか。
なくても良いけど、なければ何かしら不安になる。

あれから10年を超えた。
あたらしい流れがぼくのまわりに起こっている。
昔の知り合いと会うだけが目的ではなくて。
功名心を得たいと思うわけでもなくて。
なにかしら、得体のしれない空気が、ぼくを連れて行く。
あと何年、このようなことができるのだろうか。

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3月29日、今年は桜の開花が早いらしい。
気象条件によってるのだと思うけど。
年々桜の開花が早くなってるように思う。
地球温暖化に影響されているんでしょうか。
桜の花はなにかと話題になることが多いです。
桜は日本を代表する花でしょうね。

花の写真を撮っています。
花といっても様々な花があるんですけど。
そうですね、どちらかといえば、和風。
日本とか京都という風土になびいてます。
桜はその代表ですね。
梅、桃、桜、冬から春へと季節は移り、です。

花はやはり女性です。
椿を撮って、牡丹を撮って、芍薬を撮る。
あでやかでつややかな美の世界です。
もちろん美の典型はなにか、と問えばです。
ビーナス、美人画、といったところでしょう。
いずれにしても春、春はうらら、まどろみます。

ここも新しいタイトルにしました。
徒然日記、おおきくは変わっていません。
もうひとつ、アメーバも「徒然にっき」だったから。
同じタイトルはまぎらわしいから。
なにより、いくつもブログをつくっているのがまぎらわしい。
使い古したのは、整理したほうがよさそうですね。

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朝からベートーベンの曲を聴いています。
いまピアノ三重奏曲第7番って表示されています。
CDからパソコンのハードデスクに取りこんだものです。
ウインドウズメディアプレーヤー、ソフトウエアです。
CDからHDに、総計500枚近くをコピーしています。
再生するのにパソコンは便利ですね。
音響のいい大きなスピーカーじゃないけれど。
充分に聴ける音質だと思っています。

パソコンでなにもかも処理できるんですね。
食べること、匂うこと、これはダメですね。
映像を見る、音楽を聴く、文章を読む、この三つ。
かってなら、別々にあったものが、統合されて。
制作するのも、パソコンを使って、します。
以前には、なんていうのは古いですね。
いまはいま、いまの時代に生きてメディアを使う。
スマートフォーンは使っていませんが。

もう65年余りを過ごしてきたこの世のできごと。
時代の変化というか変容というか、様変わりです。
昔はなんてことは野暮なことですけど、すごい時代です。
書店へ行かなくても、読める、見れる、ですね。
そんなコンテンツを世界から集めることができる。
かって書店でしか手にはいらなくて、といったことが。
いまやパソコンとかスマホとかで、手に入れられる。
ボーダーレスな時代、ソーシャルネットワークの時代。

写真を撮っているけどデジタルカメラです。
フィルム時代からみれば、めちゃくちゃ使い良いです。
なによりお金がかからない、魅力です。
この10年をみてもデジカメ環境はものすごく変わった。
1000枚の写真が、90分の動画が、撮れちゃう。
フィルム1本36枚時代には想像できなかったこと。
でも東松さんはこのことを30年前に予測していたみたい。

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おととい10日は平野神社の桜祭りでした。
何年か前に取材していてHPにもアップしています。
今年は、あらためて写真を撮ろうと思ったわけ。
ところが沿道にロープが張られています。
以前にはそんなふうになっていなかった。
もっと自由に写真が撮れた。
昨今のことだから事故防止でしょね。

明後日の14日はやすらい祭りです。
玄武神社のお祭りで京都最古とか。
我が家が氏子になるから自分の祭り。
子供のころから聞きなれたお囃子。
赤い衣を着た踊り手四名若い男子です。
長年この世にいるといっぱい経験しています。
その経験がゆすられて感動しちゃうんですね。

年を取るにしたがって涙もろくなる。
年を取るにしたがって感情が剥き出しになる。
年を取ると扱いにくくなる。
なんてったって年寄は邪魔者です。
生産活動を担っていなくて消費者です。
とかくこの世は住みにくい、漱石?。
ぼくもその部類にはいってきたのかなぁ。

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今日は4月30日、4月の末日。
昨日は奈良、明日香の万葉文化館へ行きました。
万葉集にちなむ日本画と写真展。
写真は荒木経惟氏と繰上和美氏の競作。
いろいろと参考になりました。
写真の現在、どうとらえるか、です。

明日香、飛鳥、その地域へは初めて行きました。
飛鳥寺の釈迦如来像とか、日本最古と書いてあった。
それから高松塚古墳、見に行きました。
明日香村、明るい風景が、暗くはないですね。
文化が育む陽の世界、そんな感じがします。
明日香って字も、なつかしい、記憶があります。

陽といえば陰、この二つのイメージを思います。
ぼくはおととい28日が誕生日で67才になった。
なるべく陽の方向で目をむけていきたいと思っています。
でも、陰、影、日の当たらない処、あるんですけど。
残る時間、残る年月は、陽気にいきたいと思う限り。
表現は、それだけではいけないのかも、なんて思うけど。

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早くも5月の中旬。
昨日は初夏の暑さかと思っていたけれど。
今日は少し寒いくらいの気温です。
毎日、なにをしてるんやろ、なんて。
確かに時間の中で作業をしているわけだけど。
それがいったい、何になるんやろ。

昨日は、稲垣さんとふえろう村塾へ行った。
養豚場で、豚肉、ロースとヒレを買ってきた。
稲垣さんにはたいへん世話になっているところ。
なにかと懇意になって、いい友だち関係。
もう30年来の知り合い、お付き合い。
稲垣さんは、まれにみる美徳の人物です。

釜ヶ崎の運動に身をささげ、闘っておられる。
ぼくなんかとは、その精神力が違うんです。
死ぬときって、なんて話題で言葉を交わしたり。
生きざまのこと、幸福とは、みたいな。
彼ももう70才に近い、ぼくだって67才だ。
老年、それにふえろう村塾の三浦さん。

三浦さんは、少し若いが、後継者をどうする。
なかなか養豚運営、きびしいんやろなぁ。
なにかのご縁で、知りあって、豚肉を買ってあげる。
ふえろう村塾で写真を撮って、なにに使うかはこれから。
連帯フェスタでは、ハンバーガーの店をだしてた。
来年も、また、連帯フェスタが、行われるのでしょう。

人との縁、ぼくはそんなに多くの人はいない。
長澤さん、岡田さん、稲垣さん。
懇意な人って、こんなところでしかない。
利害をもたない関係にして、長続きさせたい。
もう、あと、残すところ、どれだけなのか。
なにかと思うこと多いけど、時間がない。

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雨が降ってきました。
日曜日、午後4時前、中途半端な時間。
第三番「英雄」のこれは第一楽章。
オーケストラの音がパソコンからでてきます。
マルチタスク、1980年代にそんな言葉を読みました。
パソコンからスマホの時代になって、ますます便利に。
世の中、革新、革新、革新だらけ。

カメラはデジタルになって、コストがかからない。
かってフィルムを使って撮影してた時代。
まあ、あと処理に時間がかかる、経費がかかる。
それからみたら、デジカメ、夢のようです。
フィルムと比較する向きもありますがナンセンス。
そんなの時代とともに劣化していく論議です。
フィルムはフィルム、デジタルはデジタルです。

キャノンG1Xって機種を使っています。
その前はキャノンG11、G1Xの方が画質はいい。
でもG1X、接写が使えないから、G11も使うはめに。
微妙に操作方法、露出などが違うから、戸惑う。
新しい機種が、確実に進歩してる、とは言えない。
これは、個人の趣向と進歩がかみ合わないときです。

上位機種の一眼カメラが恐らく性能的にはいいだろう。
でも撮影する対象によって、最適なカメラを使わないと。
まあ、スナップ写真では、G1Xが使い良い。
確実にピントを合わせるためには、手動が必要。
でも、オートに馴れたら手動なんてめんどくさい。
シャッターを多く切って、そっからピントが合ったのをえらぶ。
そんなふうにカメラを使って、カメラマンしています。

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宝塚メディア図書館の蔵書の写真集。
この写真集をひろげて、写真に撮っています。
ページを作家別にして、写真の歴史が俯瞰できるように。
この前にはブログで名取洋之助から、数人分、作りました。
そうこうしているうちに、やっぱり関西の流れも、と思った。
浪華写真クラブ、丹平写真クラブ、シュピーゲル、等々。
1930年ごろから、掘り起こしていこう思うところです。

思うまではよくって、少しやり始めると欲がでてくる。
だんだんと大きくなってきて、それをやろうとする。
それが大きすぎて、けっきょくできなくなる。
途中で行きずまってしまう。
目が疲れてきて、見えなくなってきた。
思うことだけは思うけど、中味がともなわない。
それなら最初からやななければいいのに。

歴代の写真家たちを取り上げて、何を見ようとしているのか。
作品、そのイメージ、こんな写真、あんな写真。
でも、その時代と、今、年月が過ぎ去って、見方も変わる。
何のためにとってたんやろ、と思う。
仕事で写真を撮る職業なら、クライアントのために。
では仕事ではなくて、撮る写真は、何のために?。
この「何のために」の中味こそを、明らかにしたい。

釣りとか、ゴルフとか、ヨットとか。
ぼくは全くしないけど、これと同じレベルで写真。
趣味とか遊びとか、そういう範疇で括れる。
そのために、人が集まり、競い合う。
コンテストとか、グループ展とか・・・・。
でも、そうではなくて、何ンのために撮るのか。
これが時代と共に変わってきていると思う。

文学との共通項、写真を撮ってまとめる。
その行為は、自分を表現する手段として。
自分の内面を見つめる作業につながる。
ぼくの文学体験からくる、そのあり方論。
それを写真を撮っていく、あり方論に転用だ。
おそらく、どうなんやろ、内面の記憶と記録の表出。
もうちょっと具体的に、書き出さないとあかんね。

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音楽CDをパソコンに取りこんで630枚ほど。
クラシック音楽が主ですが。
パソコンの能力が向上したから音もいい。
バッハから始まって、映画音楽とかまで。
いちおうクラシック音楽といえるものを網羅か。

写真においては、自分が撮った写真が。
それと歴代の写真をコピーしておきたい。
そう思っても、なかなか進まない。
つい最近、日本の写真家の写真をコピーしている。
ぼくのなかで、関係する作家と写真集からの抜粋。

写真の歴史をまとめたいと思っています。
写真史の外観をならべてみる。
作家とその作家の写真を一記事にして。
関西の写真史1980、ってのもやってる最中。
なかなか、次に進まない、気持ちが、です。

写真を撮る、ちょっと遠のきそうです。
撮らなくっても焦らないようになっています。
実質、京都は終わった感じもします。
花にチャレンジだけど、これはこれから。
とはいっても、興味的には、つなぎですね。

作家を名乗りはしませんが心のなかは。
けっこう複雑な心境です。
ただ淡々と撮ればいい、なんてわけにはいかない。
自分のなかでの葛藤ですね。
ちょっと区切りの年になるかな。

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宝塚市逆瀬川にある宝塚メディア図書館。
そこへ週に一遍、行くことになって約一年が経ちます。
10年ぶりのことだったから、戸惑いがあったけど。
だいぶん気持ちも通勤にも作業にも、慣れてきた。
たぶん、最後のお招きであるように、思えます。

なんてったって、自分では自覚しないけど、年が。
高齢になるということは、それだけ動きが鈍くなる。
前向きのエネルギーが少なくなってしまう。
このエネルギーは体力に関係してると思うけど。
ふんばりがきかない、集中力がなくなる。

そんななか新しいシステムとして、宝塚メディア図書館。
お呼ばれして、入れてもらえて、とってもうれしい。
人との関わりが、つまり世界との接点になるから。
たぶん、最後のチャンスだと、思えています。
人間、仲間がいないと、淋しくって虚しいものだ。

昨日は光影会の撮影会で越前海岸へ。
今日は京都写真学校の開講日。
なにかと時間が詰まってくると撮影がおろそかに。
京都の写真ももう取材ストップというところ。
気持ちの成り行きにまかせて、ストレス溜めないように。

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ベートーベンの英雄、第三番ですけど、いま聴いています。
聴いているというより、パソコンから流れてきている。
ちょっと違うなと思ってみたら、バーンステインの指揮。
いつもカラヤンのベートーベンを聴いているから。
でも、いま、思い出したけど、高校の時はバーンステイン。
どっちかゆうと派手な大ぶりなイメージのバーンステイン。
いまやどっちでもいいわけですけど。

この徒然日記と愛と癒しのと花のワルツ。
続けて書いたけど、三つのブログですが。
ぼくの個人的な、私的なといっても公的な。
言葉をつらねているブログです、お遊び。
いろいろと使い分けていて、たくさんあるんです。
フェースブックとツイッター、これも使っています。
記事はブログで書いて載せて、SNSへ転送しています。

いちおうブログは、開かれていて、誰でも見れる。
SNSは会員に登録しないと、見れません。
ぼくの発表するものは、すべて一般公開です。
一切の限定はつけていません。
危険とかリスクがあるとか、そうかも知れない。
でもそれ以上のメリットがあると思っています。

ほんとうの日記は、おもてには出せません。
表出する中味は、読んでもらってもいいもの。
匿名にしてないかぎり、やっぱり表面、繕います。
言葉も可能な限りつぶして、文体つくり、します。
文筆家になれなかったけど、しやないですね。
もちろん写真家にもなりきれていませんけど。
今日は、ここまで、久しぶりでした。

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どうも最近は鬱気味ですね。
原因がどこにあるのかわからないけど。
年齢的なこともあるんでしょうか。
ハッピーに、とは思っているけど、いけない。
前向きの姿勢が、後向きになってる気がする。
一人でいる時間が多いからかも。

置いて行かれてる気分です。
時代の波にのれていない。
悠々自適なんていいほうに解釈。
世間から抹消されてしまうんではないか。
なにかくらいこと書いてる。
書くことがなくて、行き詰まります。

外向きのネット中毒にかかってる。
そのように思えるけどやめられない。
ああ、たばこのときも、そんな感覚だった。
やめることは、失うこと、喪失感。
世間との窓口、良きにつけ悪きにつけ。
他者との接点、でもみんな遠いところにいる。

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今日は月曜日、金土日の出来事を書いておこう。
金曜日は、宝塚メディア図書館へボランティア。
この日は大阪府庁へ、以前のWTCビルの38階へ。
NPO法人の件で相談、ということで行った。
かってIMIがあった場所だから、感慨深い気持ちでした。

それから土曜日は、光影会の撮影会。
日本海の舞鶴から高浜へ連れていってもらった。
舞鶴は20年前に単身赴任していた街だ。
引揚記念館、海上自衛隊見学、あじさい園へ。
高浜は七年祭ということで神輿を写す。
神社から海へ、神輿を中心に撮った。

それから日曜日は、京都写真学校の開講日。
受講生が一人となった9年目だ。
カリキュラム等について、いろいろと悩むところだ。
なにかと勉強不足で、「いま」に対処できていない。
最近情報については、そのように思えて仕方がない。

三日間、連続で外出すると、疲れます。
今日は午後から植物園でも、と思っていたが。
いやはや、天気が良すぎて、暑くて自宅待機だ。
自宅待機だと思うことじたいが、老いた証拠だ。
これを書いていて、そのように思う。
というのも、ひところは、だから撮影となったわけだ。

いすれにしてもストレスを感じないように、と。
何事も重荷にならないように、と。
悠々自適、マイペースで、なんて思っているけど。
やっぱり気になることだらけ、凡人だ。
思うように年老いて枯れていけるのかどうか。
外的には高齢者の部類に入った自分だから。