ものがたり・日々雑感「ものがたり-2-」
むくむく叢書のご案内
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16~35 2016.10.19~2016.12.12
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ベートーベンのピアノソナタを先ほどから聴いています。
なんだろう、こころに滲みますね、音の連なり、ピアノ。
載せた写真は、壺坂寺駅前の食事処、昭和の匂いがしてます。
なんだろう、70年も生きてきて、記憶が一杯あるんですね。
この記憶が、さまざまに邪魔しているのかも知れない。
あの子のこと、忘れるために、過去にするために、全て辞めた。
思い出だけが、残っているから、これを時間とともに消さなければ。
ノスタルジックに、あとの人生を過ごしていくには、辛いけど。

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写真は9月24日にオープニングレクチャーがあったギャラリー176の光景。
ギャラリ-の主宰者は友長氏、IMIの修了生、昨日、個別に話をしました。
つぎになにができるか、を模索している自分との相性というもの、合いそう。
今朝の目覚めは、とっても安定しています、希望にふるえるくらいです。
写真ワークショップの可能性、写真学校の可能性、写真を中心に考える。
もっと枠をひろげて、文学校、自然学校、写真の枠をひろげて、全人的に。
つぎの世代をつくっていける人たちに巡り会えたと思えます。
IMIのクオリティー、IMIのメンバーを軸に、高度なレベルをつくりだす。
古きにこだわるといけないが、古きは参考になる、フォトハウス企画など。
ぼくが、提示できるものといえば、経験からくる枠組みということになる。
作家、批評家、場の運営者、揃い始めた新しい枠組み、うきうきしてきます。

先に書いた文章を送信しようと思ったら凍ってしまいました。
やむなく電源落として立ち上げたところ、前のは消えています。
そういうことが起こってしまうけど、それはその記事がふさわしくないから。
そう思って、あきらめることにしています。
気分おだやか、友長さん、ありがとう。

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彼の恋心は、かなり激しい恋だったと思います。
ストーカーまがいのことを起こしてしまった彼を責められません。
でも、結果は、だから、終えるしかなかったのです。
それから一年が経ったところで、彼はすべてをクローズさせました。
共にいた場所から、身を引き、そこへは立ち寄らないことでの終焉でした。
それが激しい恋の結末でした。

それからの彼は、どうしていくのだろうと、思います。
恋した彼女のためには、なにもできないことですが、消息も知らせない。
このまま霧のなかへ静かに埋没させていけば、いいのだと思うのです。
まだまだ、未練があって、心のなかではお別れできないところです。
それは、時間が経てば、心は鎮まり、思い出となっていきます。

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2016.10.27
朝に目覚めて、さて、どないしょうかな、との思いが交錯します。
あらたな枠組みで写真塾を開催できないか、と思っているところです。
三木学さんがデジタル写真の近未来、紙焼きでない、と言っています。
ぼくが10年前から主張していることと軸を同じにしている、と思う。
新しい概念に基づく写真の制作、静止画の映像的表現、といえばいいかも。
非デジタルの写真は、手作りとなる紙に像を定着させる、ということに。
ブルックナーの8番ってのを聴いています、聴けています、いいですね。
それと、ここの写真、大きく載るようになったんですかね。
これ書いて、顔を洗って、朝にしようと、思う。

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2016.10.28
聴いているプレリュードはピアノで演奏されています。
作曲者バッハの当時はハープシコードで演奏されたのでしょう。
ハープシコード、チェンバロはもっともっと繊細な音に違いない。
アンドロイドのスマホは電池の消耗がiPhoneにくらべて早い。
一日といっても12時間は持たない、そういうものらしい。
facebookの検索であの子の名前があがってきた、びっくりした。
そうして、思い出した。
忘れようと思って、心機一転したところなのに、どうしてか。
たぶん、その子だと思う、ともだちにはならないと思う。

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2016.10.30
先日、マクドナルドでハンバーガーを食べました。
これにホットコーヒーをつけてもらって400円でした。
最近、昔のことをよく思い出すから、このときもそう。
これなんか、当時の物価でいえば40円相なんだなぁ、と。
そもそもそういうことを想うというのが、化石なわけですね。
世界は、自分の位置とは全く違うところで、動いているんだな。
そう思っているのが、得策なのかもしれませんね。

なにをしたらいいのか、わからないまま、ここにいます。
山茶花が咲いて、写真にしたのを載せます。
文章は、なにを書こうかと迷っているところです。
この一年、ちょっと疲れたな、その結末がいま、ここにいる。
思い出になっていく過去、もう、現在とは断絶しなくちゃ。
時間の経過って、けっこう大切なんですね、次第に過去になる。
神社巡りをして、写真を撮って、いにしえを想おうかなぁ、と。
昔のフィルムのスキャンを再開しました、1976年とかに撮影。
京都のホームページ、追加して仕上げなければ、と思っています。
ここ数か月は、あたらしい領域への移行期だと思っていきます。

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2016.11.1
どうしたことかと、立ち尽くしてしまう。
もう会うこともない人たちの顔が浮かんで消える。
11月、月が替わって新しい気持ちになろうと思う。
どうしたらいいのか、この先、気持ちの在り方です。
地に落ちて、地下に潜っていくような気分です。
どこで浮上するか、この先のことはわからない。

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2016.11.3
振り出しに戻って、フォトハウスを再興させていこうと思う。
写真塾、写真ワークショップ、名称はいろいろ考えられる。
問題は内容をどうするか、ということに尽きると考える。
枠づくりは、これまでのノウハウでたやすいことだ。
いま、必要とする、技術とコンセプト、これをどうとらえるか。
どうとらえてカリキュラム化するのか、というところだ。
ベーシックに、ネット環境とデジタルをキーワードに、ベーシック。
だいたい、見えてきたように思う、振り出しに戻って、再出発だ。

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2016.11.9
いま、朝、8時27分です。
今日は10時に同窓生の上田精治さんと会います。
白梅町のハーバーカフェ、おとといは長澤さんと会いました。
これからのこと、いろいろと思って、考えて、友長さんにメールした。
次の土曜日、ギャラリー176へ行って、すこし話をします。
新しい写真を学ぶ器つくり、といえばいいかと思っています。
フォトハウスの小さな学校つくり、表現することを深くでとらえられる講座。
まだ、頭の中にイメージとしてあるだけですが、テキスト化しないといけない。
そのまえに、学ぶ講座つくりに、興味を持ってもらえるか、ということです。
友長さん、杉さん、それにギャラリーメンバーの人たち、合意が必要です。
講座は塾、学校というより塾、定員は5名くらい、経費も安くしたいところ。
いろいろと思うところ、まとめていかないといけないだろうな。
久々、これまでのノウハウで、フォトハウス再興、前向きに、作っていきたい。

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新しく学校をつくる方向で話が進みだしました。
ギャラリー176、豊中の服部天神の駅前にあるギャラリー。
オーナー友長さん、世話する杉さん、昨日、会って概略を話しました。
どうなっていくかは、これからのことですが、ぼくとしてはうれしい。
つぎの居場所ができる、そのことが一番のうれしさにつながります。
これまでの経験値を出して、彼らに委ねて、いけるところでいかないと。
なかなか思うほどには環境はやさしくなくて、厳しいかもしれない。
飽和状態の写真を教える器、大阪の現状、そうではなくて、どうするか。
気持ちは、図書館でのこの一年半が過去になっていく感じでうれしい。
こうしてふんぎれていくので、いいのだと思う、みゆきさん、はたさん。

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2016.11.18
もたもたしています。
稲垣さんの応援にいきます。
裁判に訴えている稲垣さんの手法をとやかく言わない。
からだをガンに侵されながらがんばる姿に感動です。
畑さんからメールが来た。
のる気にはなれないからパスしようと思う。
何も言いませんが、もう、関係を終わろうと思います。
友長さんはギャラリー176のオーナーで、IMI出身です。
新しい学校企画をここで展開できないかと模索中です。
新しい居場所になると思う。
欲をださないで、淡々とやっていくのがいいと思う。
たくさんの方と知り合って、でもあの人とは会えない。

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2016.11.27
使い方がわからなくて画像を二枚張りつけました。
上、サムネイルなし、下、サムネイル400ピクセル。
今日は大八木さんと神戸へいくことになりました。
高濱さんの展覧会を見に行くのに誘いました。
facebookを見ていて、なんだか、おいてきぼり感です。
アイチューンでベートーベンのピアノソナタを流してる。
バックハウスの演奏、1960年代です、録音音がいいです。
新しい枠組みで動こうと思っていて、それが未定だからの感覚。
ひとりぼっち、みたいな感覚、世界は遠い向こう、みたいな。
いったいなんだったんだろう、自分の人生、生きてきたこと。
写真を撮った場所は、大将軍八神社の境内。
なにしてるんやろ、どうしたら気持ちが落ち着くのか。

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206.11.22
弟とビッグボーイで昼食をとった。
唯一の身内ということになる、なにかと兄弟仲良くしないと。
あんまり人を大切にしてこなかったから、反省することしきりです。
もう、むかしのことだけど、後悔しても戻らない、すまない気持ち。
これは家族にたいして、そう思うところだけど、家族はそう思っていない。
なんかしら、団塊の世代、家族との絆というのも曖昧です。
こんなことを書こうと思ってここを開けたわけじゃない。
久しぶりにH小説を書いたりして、新学校企画内容は、まだ書いてない。
そうだね、人との交流がなにより、図書館が気になるけど、断ち切ります。
ここまできて、ぼくの人生、なんだったのか、後悔ばかりですが。
後悔していてもきりがないから、自分の仕事を残していこうと思う。
掲載の写真は松尾大社で撮った神さまへのお供え見本。

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2016.11.23
ここにこうしていると、遠くの方の出来事のように感じます。
いま、運命、ベートーベン、第四楽章でしょうか、胸、詰まります。
70年も生きてきたんだと、これから先のことを想う。
何してきたんだろう、いけないな、このままで死ねるかとの想いです。
いろいろあった、思い出すと泣けてくることがままあります。
未知の未来に向けて、なんていったって、いまさらという感じだけど。
もう一回、新しいことにチャレンジできる、その可能性あり。
悔しい思いをしていても、腹を立てていても、そこからは始まらない。
結局、自分のことをやっていくしかない、それしかない。
もうそろそろ新しい気持ちに切り替えて、切り替えられてきたと思える。

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2016.11.26
あてずっぽうに写真イメージを探してみて、これを載せる。
1950年代のころの風俗雑誌といえばいいかと思う。
なにかしら、奇譚クラブというのが、ぼくの眼に触れた。
小学生のころ、ひそかに見て、読んだことを思いだす。
ぼくの趣向がいまあるのは、そのあたりからの影響かと思う。
こんな話は、裏話であって、表に出すものではない、とも思う。
だけど、人生の多くの時間を、このあたりに頭を使うのだから。
いまどきの記録の方法として、そこへも及んでいかないと、と思う。

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2016.12.2
なにをどうしたら気が済むのか、いら立っている自分。
ゆっくりして、自分のことに専念したら、と自分で思う。
他人のことは、他人のこと、自分のことだけに専念したらいいのでは。
とはいいながら、気になることばかり、気にしない気にしない。。
空しいんだろうな、淋しいんだろうな、認められないことにです。
この写真は、稲垣氏とサイデリアで食べたハンバーグセット。
稲垣氏とは、懇意になって、心許せる関係になっていると思う。
このまえは、むかしのことを話題にして、食事をした。
1969年の東京での出来事、稲垣氏の体験、ぼくの体験。
昔のことばかり思うのは、もう年老いて、先が短いからでしょう。
あまり、よろしくないな。
未来のことは、成り行き任せ、相手次第というところでしょう。

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最近、神社の入り口になる鳥居を写真に撮っています。
鳥居の位置は、神の社の外になる処で、神域ではない。
神域ではない俗世から、神を眺めるという気持ちです。
ぼくの生まれは1946年、昭和21年のことで、神不在時代。
最近の傾向として、再び神国日本みたいなムードが興っています。
神不在時代の人間は、拠って立つ場所を喪失しています。
そのようにも思えるようになってきて、ここにいます。
新しい<ものがたり>を創っていきたいと思うところです。

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2016.12.6
昨日、今日と大阪地裁へ裁判傍聴に行ってきました。
釜ヶ崎の労働者をめぐる裁判です。
裁判所の中では撮影禁止なので写真はありません。
その法廷の事務員さん、あの子に似ている、驚きです。
思い出してしまいます、あれから一年が過ぎてしまった。
カメラを貸してあげようかと押しつけたあの日が昨日でした。
というのも遠くから撮ったあの写真があらわれてきたからです。
掲載している写真は、10wギャラリーの「ラブホ図鑑」展。
中村喬さんの写真展示の様子、ブックレットを買いました。
ぼくはこの先、どうしようかなぁ、と思案に暮れるところです。

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2016.12.10
今日は上御霊神社へ行ってみました。
写真は下鴨神社の境内ですが。
神社巡りをしている感ですね。
インスタグラムで鳥居を撮ってSNSにアップします。
自分が廻ったという痕跡を残しておこうと思っています。
神頼み、というか、神への興味、というべきか。
神社ってゆうのは日本独特の風物じゃないですか。
精神風土の根底をなしているといっても過言ではないです。
何故訪ねるのかと問われれば、何と答えようかと迷います。
でもその行為によって心が落ち着くのではないか、との思い。
そうなるかどうかは、未定だけれど、人間、罪作りだから。
罪を認めて、浄化させていく、とでもいえばいいかと思う。

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2016.12.12
シューベルトのピアノソナタ#20とでています。
ウイリアムケンプさんの演奏によるものです。
かなり夜更けになっていて、朝とは違う感じに聴こえます。
受け止める感情のところが、朝の始まりと夜の帳で違うのかと。
ほんとうは、もっと本音のところを、具体的に記しておきたいのです。
でも、具体的に書けないから、言い回しばかりになってしまうのです。
ころころと転げるようなピアノの音です、いいですね、うっとりです。
ピアニスト、ジャズピアニスト、なりたいと思ったのは18歳、少しだけ。
それから文学に移行し、写真に移行し、もたもた人生で、ここまで来た。
後悔はしないけど、別の人生など考えないけど、これでよかったとは思えない。
まだやり残しがたくさんあって、それをどうしていくのか、罪だね、やっぱり。