ものがたり・日々雑感「気ままな日記-1-
むくむく叢書のご案内
2015.5.10~2015.10.2
_20181028_133226
気ままな日記-1-
-1-
2015.5.10
気ままな日記、ほんとうは気儘って感じを使いたかったけど。
ちょっと読みずらいと思うから気ままにしました。
まあ、思いついたこと、無難に書いていこうと思う。
あんまり難しいことは言わないようにと思っています。
卑怯でしょ、主体にならなくて従です、従うんです。
そのかわり、あんまり、文句もいいません。
生きていることに感謝!!、なんて思いたいからです。
気持ちが空しくならないようにしたいと思っています。
それは、どうしたら克服できるのか、それが問題です。
というところで、気ままな日記、始めていきたいと思います。
写真は、この前行った立山博物館の前で、撮ってもらった一枚です。

-2-
2015.5.17
おはようございます!
朝から、CDを聴いています。
ルービンシュタインが弾く即興曲。
どうもシューベルトの曲のようです。
このあと幻想曲が演奏されるようになっています。
懐かしいメロディなのです。
胸が詰まってきます、涙がこぼれそうです。
中学三年、高校一年だったか、ピアノ曲のレコードを買った。
そのなかにこれらの曲がはいっていました。
国連の難民支援のLPレコード、千円でした。
胸ときめかせて、学校では聞かなかったピアノ曲を聴いた。
どれほどの回数、聴いたんだろう。
あ、いま、幻想曲、ひらひらひらひら、って感じ。
音楽って、聴くと、その頃のことをよみがえらせます。
半世紀以上もまえの出来事を、まるで映画のシーンのように。

-3-
2015.5.22
されどわれらが日々、という小説があります。
1964年の夏、芥川賞の作品、作者は柴田翔さん。
ぼくが高校三年の夏休み、文学に興味を持ちだしたころ。
たまたまだったと思う、文春ですかね、月刊誌、買って読んだ。
リアルタイムに文学作品に触れた最初の小説です。
ショックを受けた、ぼくのなかで大転換が起こります。
友達の誕生日に、この本を贈り、それが手元に帰ってきて、恋人の手に。
単行本には、1964.10.7の日付と昭和40年5月4日の日付とが。
そのそれぞれにぼくのメッセージが、文章が書かれています。
内容は、恥ずかしいから伏せておきます。
いま手元にあって、捨てるに捨てられない一冊です。
年老いて、ささやかに小説を試みているけれど、原点です。
あれから、すでに半世紀が、経っているんですね。

-4-
2015.5.23
わが解体、というフィクションなのかノンフィクションなのかわからない小説があります。作家は高橋和巳、死にいく彼の最後のほうの文筆、途中から闘病日記になる文章です。1971年の春に発行され、その後に病で他界された。年齢は39才でした。この文章は、彼の勤務先京都大学の学園紛争に交わった自分(彼自身)を内省したものです。わが解体、なんというか、魅了された言葉です。ぼくは結婚していて長女が生まれた記念に、この単行本を買って、わが子へのメッセージを書きつけています。かなり、その時代を、闇と感じていたようで、闇の中へ、ということばが何度も書かれています。高橋が死んだという報は、大学の講義のさなかに教壇に立った先生が、報告してくれた。なにごともなかったようにその講義の時間はすぎたが、ぼくのショックは大きかった。そのころの愛読書は高橋和巳と太宰治といってもいいほど、愛読していたようです。我が心は石にあらず、とか、散華とか、明日への葬列とか、なんだったんでしょうね。

-5-
2015.5.29
福永武彦全小説第六巻、廢市・告別、手元にある小説集です。
昭和49年4月23日の日付で、一片の詩が書かれています。
わが子、二番目の娘が誕生した日に書いたメッセージです。
内容は、恥ずかしいから書き上げませんが、父28才とある。
70年安保を経て、社会の表面が平和一色になったころ。
ぼくの気持ちも、おだやかな家庭生活を想っていたように感じる。
個人的な営みとしては、文学にいきづまり、悶々していた頃。
福永武彦氏の死を報じた新聞と同じ誌面にぼくが載った。
1979年8月、釜ヶ崎で青空写真展を開催の記事が朝日新聞に載った。
そのとき、ぼくは、福永武彦さんの死を知った。
小説の内容にはふれられないけど、心に沁みる題をつけられますね。
掲載写真は1964年女生徒を背中に18才のぼくが写った写真、記念碑。

-6-
2015.6.18
あのドイツの名指揮者カラヤンが日本にやってきたのが1966年でしたか。ベートーベン交響曲の生演奏があって、FM放送では録音したものを1番から9番まで全曲を流すというのです。ぼくはテープレコーダーで放送を収録するというお手伝いをした記憶があります。そのころ高校出たてのぼくは十字屋楽器店に勤めていました。音楽愛好家の方と知りあいになって、お宅へ訪問させていただいて、高価なステレオのオーディオセットを見せてもらっていました。そのオーディオからの録音で、テープレコーダーといっても、当時はオープンリールでした。SONYのテープレコーダーがありましたが、高価でぼくなんぞの手に入る品物ではありません。そのFM放送があって、まもなくカラヤンのベートーベン交響曲全集がグラモフォンから発売されて、それを購入しました。給料の一か月分ほどの値段でした。いま、パソコンからベートーベンの交響曲、第五番運命の第三楽章、バイオリンのピチカート部分が流れています。レコードの全集はその後なくしてしまいましたが、40になってCDの全集を買いました。いまはCDで再生するよりもパソコンのメディアプレーヤーで再生リストにしておいて、クリックだけで聴けるようにしています。最近は、とってもよく聴く音楽となっています。ベートーベン、長年放浪してきて、来着いたところは、ベートーベンの音楽ですね。

-7-
2015.6.14
日曜日ですね、早くに目が覚めてしまって、自分のいる位置がわからなくって、寝ていても気持ちがかなり動揺していて、起きて、もたもた小一時間パソコンの前で、気持ちが落ち着くのを待って、いま、キーボードを打ちだしたわけです。この情報が、いまはまだ閉じられているけれど、公開するを押すと不特定のステージへと公開される。つまり公開される日記を書いているわけで、秘密でもなんでもなくて、だれか他者とつながりたいという気持ちが、そうさせているのだと思う。こんなわけで、かってなら書き留め置かれた鉛筆書きのノートが、いまはだれかに宛てた公開文なのです。世の中は、公開情報が飛びかう時代です。かってなら、手紙か葉書で特定の個人に宛てていたことが、いまなら、こういうブログなるものに書き物をして、もちろん相手のお顔が浮かんでは消えていくのですが、そのこととは関係なしに不特定多数に公開するわけです。こうしているうちに、気持ちが落ち着いてきて、自分のいる位置というか場所の確認ができるような気持ちになって、安定してきます。あやふやで、あぶなげな、時間から抜け出して、現実の時間のなかへと入っていきます。

-8-
2015.6.25
今日は天神さんの縁日で、茅の輪が出ている月です、水無月。夏越の祭りで茅の輪をくぐり、水無月というお菓子を食べる。日本の風習というか風俗です。日本の文化のなかで耽美系、シュールリアリズム系の作家達といえばいいのか、世界にその一群がおられます。日本では渋沢竜彦氏が評論しておられた世界で、奇妙に心を揺すぶられる領域です。その領域を扱っていた書房が、アスタルテ書房、京都のど真ん中、三条御幸町上がるのマンション二階にあります。ここのオーナーが佐々木さん。享年61才で先日6月15日にお亡くなりになった。昭和の終わりごろ、ジュエリービル二階のアスタルテ書房へ行きました。まだ開店してそんなに経っていない時期です。懇意になって、書籍や版画を買い求めました。お金が捻出できなくなって訪問を差し控えた経緯があるから、個人的な人間関係というより顧客としての存在だったと思います。貴重な書籍を買って読み、芸術の分野を理解するのに役立ちました。それからもう30年近くが経ちます。40前後だったぼくもまもなく70才になります。とはいっても、年下の方が亡くなられるというのは、とっても切ない気持ちになります。冥福を祈ります。

-9-
2015.7.2
京都では、祇園祭の行事が始まりました。ほぼ毎年、宵山風景と山鉾巡行に立会い、写真を撮って、動画を撮って、保存しています。写真集「京都」をウエブ上で作っていて、その写真をアップして、ページを作っています。昨年から後の祭りが行われるようになって、二回の巡行です。今年は、最初だけ、立ち会えそうです。写真を撮るといっても、一般の見物者ですから、撮るアングルも限られています。腕章をまいたカメラマン、それに警備の警察官がいて、歩道から車道の巡行を撮るには、邪魔なことが多い。ぼくは、最近は、アポをとって撮影に入るということはありません。一般の観光客が見るのと同じ目線で、生活者が見るのと同じ目線で、見られる範囲で見ています。生まれて育った内在者の目線、とはいっても、それが通用するのかどうかです。まあ、最前線のテーマで撮影していると、自分では自負しているんですけど。

-10-
2015.7.7
書斎部屋の書棚の整理をしようとして、一冊の文庫本に目がとまりました。ジッドの狭き門。有名なフランスの小説です。本を手にしています。1923年に日本語訳されています。1909年に発表されています。日本でいったら漱石が小説を書いていたころだったか。ジッドのこれは、そんなに古い小説なのだ、といま思うところです。小説の題名は高校のときに知っていたけれど、ぼくが読んだのは青春の頃ではなくて壮年になってからです。登場人物のジェロームを身近に思ったことを思い出します。主人公はアリサ、細部は思い出せないが、信仰に向かうんですね。ジェロームとの愛は地上の愛、天上の愛に向かっていく、とでもいうのでしょうか。ジッドって大戦後ノーベル賞を受賞しているんですね。なにかしらこの小説のなかの男女のことが気がかりになって、手にしたのでしょう。アリサは死んでしまう。その死後にジェロームは、アリサが自分を愛していたことを知る。やっぱり死という断絶が強い印象を与えるのか、と思う。密かに小説を書いていて、愛を扱っているのですが、死を意識しながらも死は遠くにおいています。死を描いてもいいのかも知れないね。失楽園のように。いやいや、愛はもっとハッピーだ。

-11-
2015.7.17
このまえの日記から十日が過ぎています。今日は祇園祭の山鉾巡行、撮りにいくつもりをしていたのに、雨と台風のせいもあるんですが、撮ってどないするん、撮っても中途半端やろ、と、戸惑い、迷いながら、結局、行くのをやめました。そのかわり、というわけではないけれど、このまえ図書館で複写したオキーフのポートレートを修正し、ここに載せれるサイズにしました。ええ、ステーグリッツが撮ったオキーフのポートレート。もう百年も前の撮影です。いや、いまもって新鮮です、正面を向いたオキーフさんのポートレート。この子が写った写真をみたとき、あ、オキーフの写真、って感じで思い出したのです。まるで物語のような筋書きですが、この子に、オキーフのポートレートを見せてあげました。なにを思われたのかはわからないが、ステーグリッツのオキーフに向けるまなざしに、やわらかい感動を覚えられたのではないか。きつい雨が降っています。台風の風はおさまったものの雨が降ってきているんですね。京都の自宅周辺では、水害になるほどのことではないと思うけれど、各地で水害のニュースが流れてきます。

-12-
2015.7.20
金沢市内から富山の砺波から白川郷方面へいく街道の途中に「宝乗寺」というお寺があります。ここに世間では有名な天女さまがいらっしゃる、という話を以前から聞いています。十数年前の大晦日には、このお寺で元旦を迎えました。このお寺は法華宗、いや加賀地方は浄土真宗ばかりかと思いしや法華宗で、なにやらそれなりに有名なお寺のようです。金沢の家と同じ町内なので、何度も行っていますが、なかへ入ったのは一度だけです。大晦日から元旦になったとき、奥の院といえばいいのか、長い廊下をあがっていくと祠のような本殿があって、そこで噂の天女さまにご面会させていただいた、というわけです。そのときぼくには、その天女さまが正確には見えませんでした。たぶん、ちいさなお人形さま、でも明確な姿が浮かんできません。祠の内部は記憶に残っています。神仏混合の飾り、鎌倉時代に建立されたようです。樹齢800年とかの杉の大木があります。肝心な処だけ記憶が飛んでしまって空白、ってことままあるじゃないですか。どうもぼくはその気のようでした。ぼくがここで話題にする興味は、この祠に祀られる天女さまの役割、意味、ということなのです。法華宗だから本拠地は身延山にあるんですが、そのバックヤード、背後の守りをする子、つまりその天女が祀られている、というのです。左甚五郎が刻んだという狛犬がいるといいます。平地から山間の祠へ導く案内犬、だったようです。ぼくの興味は、その天女さま、ご本尊を守る子がそこにいるという地理感覚、距離感覚、イメージの世界のことです。この子のイメージとダブって見えてきて、いま、このような話題となるわけです。

-13-
2015.8.2
8月に入りました、なんだかあっけなくです。暑い日が続いています。今が一番暑い時期、体調崩さないようにしなくちゃいけませんね。7月はあまり写真撮影ができていなかったので、この間、植物園、街中、と写真を撮ってきました。なんだか、熱中している間というのは、汗かいても、苦にならない。かなり汗をかいているのに、です。植物園へは年会費を払っているのでフリーパスですが、来年からは、年会費がいらなくて敬老扱いになります。こうして日々がすぐに過ぎてしまう。なのに、なにを考えているのでしょう。心がゆすられる光景に会いたい。いえいえ、遭遇しても、いまさらどうにもならないじゃないですか。でも、歳とともにナイーブになっていくようにも思います。みずみずしいことにあこがれます。瘋癲老人日記って谷崎の小説ですが、あんなの読めないよ、といいながら、そういう年代になっている自分。この日記は、フィクションでないから、そういうたぐいにはならなくて、ちょっとイラッとします。明日から、また二泊で金沢へ行きます。

-14-
2015.8.11
夏の暑い盛りに寒い冬の光景を思い浮かべる。なんだか突然に、松本清張の「ゼロの焦点」を想い起こしてしまって、書棚を見たら、この文庫本がなくて、だれかに貸してあげてそのままになってしまったのだろうと思いながら、テレビで見た映像の光景を思い起こしながら、小説のイメージとだぶらせ、そこからスキャンした画像を開いて、ここに能登金剛と思われる海の写真を載せようと思ったら、1.3メガの画像がとりこめなくて、どないしょうかと狼狽しながら、この文を書いているところです。写真は別の内灘を使うことにして、アップしたところです。現在は、この内灘からなぎさドライブウエーといって、自動車で砂浜を走れるようになっていて、その先が能登半島につながります。「ゼロの焦点」は東京からみれば、遠い遠い辺鄙な荒海の海岸が登場します。ぼくが高校を卒業するときの2月、この辺鄙な能登の海岸に行ってしまって写真を撮った。もう半世紀以上も前の出来事を思い出しているわけだけれど、それは鮮明に想い起こすことができます。羽咋まで鉄道で行って、そこからバスで海岸へ行きました。荒々しい外海をバスを乗り継ぎながら輪島まで行って泊まりました。ひとりで旅館に泊まった最初です。凍てついた道路、波の華が舞う海岸。そんな光景を思い出してしまうのも、何かの縁、なんてゆうんだろ、シンクロしてる、交叉してるのかも。とんでもない展開になってしまうこの日記、後から読んで、自分の航跡を留めていることに気づいています。内灘の話しは、別途、することにします。

-15-
2015.8.15
この気ままな日記では、記事はべたで段落なしで書き進めています。読み辛いのは承知で、内容が内容なので、読んでくださる人が少なくて、それでもいいかと思っています。今日は敗戦の記念日、8月15日です。社会の関心ごとは、戦争への道、新たな段階に入ったということで、それを阻止できない苛立ちが、過半の人々の心だと思います。ぼくだって、それは、そういうことで、戦争への道、危惧していますけど、反対の戦力にはなれてないなぁ、と思うところです。ぼくの興味は、もっともっと小さなこと、矮小化された現実、とでもいえばいいかもしれない。自分の欲望。古希を迎えているのに、若いふりして、小説を書いたり、恋心を体験していたり、悪さばかりの日々なのです。戦争を遂行していく輩よりははるかに、比較にならないほどに善良だと思うけれど、そこから見れば悪の華を咲かせてる、と思われるのだろうな。耽美、エロス、タナトスではなくてカロス、この世界を具体的なイメージに昇華させたいと思っているけど、そんなの無理です。でも、あきらめない、いけるところまでいくのがいい。そう思って今日もフィクションしていこうと思います。敗戦記念日のメモです。

-16-
2015.9.1
柄谷行人さんの「日本近代文学の起源」の目次を見ると、風景の発見、内面の発見、告白という制度、病という意味、児童の発見、構成力について、とあります。1980年前後に書かれたこの本を読んだのは、十数年前のことです。日本の近代文学史で、冒頭は夏目漱石という人名から書き出されています。ぼくはこの本を、日本近代文学の基本的な構造を立体的にとらえられた論文だと思っています。久しぶりにこれは講談社文芸文庫の一冊ですが、取りだしてみました。というのも、唐突かもしれませんが、古屋誠一さんの写真集「メモアール」の構造を考えてみたいと思ったからです。古屋さんの奥さん、クリスティーネさんが自死してしまうわけですが、この彼女との出会いから死をこえてそれらを過去としていくある種、私物語なのですが、どうもこの構造を語るにあたって、柄谷さんの論を引き合いにだしてみたらどうだろうかと考えているのです。ぼくの勝手な推論で、私にとっての彼女がこの世からいなくなる、という虚構を作品の形にした小説では堀辰雄の「風立ちぬ」写真では荒木経惟の「センチメンタルな旅冬の旅」それに古屋誠一の「メモアール」あたりを思い浮かべるのです。なぜぼくがこのことにこだわりだしたのか、といえばこの子が古屋誠一さんの写真集を見ているからです。ぼくが解説できるようにこころの準備をしようとしているわけです。今日から9月、新しい月がはじまりました。

-17-
2015.9.10
司法試験で大学院の教授が教え子に問題を教えた、ということで話題になっています。昨日には教授の名前も公表されたところです。あほやなぁ、とぼくはつぶやいています。そんなのしたら、ばれたらあかんことぐらい知ってるやろ、なんていってあげても、教授の心情を憶測していくと、その心情がわかるといえば、叱られるかもしれないけれど、わかる気がしています。もう半世紀もまえの芥川賞に選ばれた柴田翔氏の「されどわれらが日々」のなかに書かれたF教授と前川和子だったかの関係を、思い起こしてしまったのです。詳細は控えますが、その小説のなかのエピソードを、最近、ふっと思い出してしまって、それは優子という名前だったと思っていたけれど、そうではなくて、和子という名前でした。うんうん、そういうこともあるんだ、とは思うけど虚構と現実を混同してはいけません。写真は、ぼくが高校三年のとき、九州へ修学旅行に行ったときの、そのころ、神戸から別府へ、何時間ぐらいかかっていたのか、関西汽船のデッキでの写真です。その小説を読んだのは、このころのこと、夏休みのことです。どっかで文学遍歴を書きたいと思いだしたけど、無駄なことかもしれません。

-18-
2015.9.20
今日は9月20日で彼岸の入りです。彼岸とは向こうの岸、あの世のことらしい。じゃこっちは、この世、煩悩の多い世界のことらしい。こっちとあっちの間には川が流れていて、その川を渡るのに釈迦さんは「六波羅蜜」を極めろと伝えたそうです。六波羅蜜とは六つのなにやらを悟ることらしい。法華宗の開祖日蓮は「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで彼岸に渡れると説いたそうです。ええ、今日、秋季彼岸会施餓鬼法要というのがあって、そこで住職さんが法話してくださったというわけ。その話を、いまここに書いているというところです。なぜこんな話をここに書くのかという必然について触れておかなければいけないと思うんですが、特に必然性があるわけではない、とも思っています。今日あったことを日記にしておけば、記録として残り、のちのちには記憶としてよみがえってくることを、知っているからです。そう、煩悩の意味を引用してみます。
<?仏? 人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望,他者への怒り,仮の実在への執着など。「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され,これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。>
この煩悩なるものがぼくの心にあって、それを払い除けたいと思うから、このことを話題にしているようなのです。成熟しない恋はもう終わりにしなければいけません。この天の声に対して、ぼくは悩むわけです。煩悩を断ち切りたい、そう思うわけです。最近、かなり肉食が増えてきて、生きてる証拠をつかみたいと思う反面、つかんじゃダメだという声も幻聴します。いやはや、この世は煩悩でいっぱいじゃ!

-19-
2015.9.23
運動不足のせいなのか、からだが重くて痺れる感じがしてならない。運動をするとあとがだるくて筋肉痛になったり、腰痛になったり、気にしだすと、気になって仕方がなくなります。じっとしていてパソコンの画面ばかり見ているから、目が疲れて、目を閉じたくなります。頭が朦朧としてくるのは、酸素不足じゃないかと思ったりします。まあ、こうして体調の悪さを書いていても仕方がないけど、だんだんと年寄り身体になってきているのだと思う。若い身体が欲しい。もういざというときに役に立たない身体では、悲観しか立ち昇ってこない。万歩計は18歩を示しています。早朝からパソコンの前に座って、キーボードを操作して、マウスを操作して、外とつながっています。ブログ、フェースブック、記事を書いても、反応がないからやめようとおもうけれど、中毒みたいになっていて、止められない。

-20-
2015.10.2
我が心は石にあらず、という小説のタイトルが奇妙に気になりだして、いま、書架から手元に置きました。高橋和巳の小説です。なんか壊れていく主人公の知識人の話しだったか、と思いながら、うっすらと描かれた光景がよみがえってきます。何度か読み直した小説です。高橋和巳、昭和6年生まれとあります。1931年生まれだから、生きてられたら84才というところです。若くして逝かれた、たしか39才、まだぼくが大学に通っていたときのことで、彼と同僚の先生が西洋哲学かの講義で教壇にたたれたなかで、高橋の訃報を聞いたのでした。いやはや、「我が心は石にあらず」という小説、成熟しそうで成熟しなかった愛(恋)、ものがたりのなかにそんな場面があったよな、と思いだしたわけで、ふっとこの小説を思い出したというわけです。この気ままな日記も、そろそろ終わりにしようか、と思うところです。こころが折れてしまって、書いていくのが辛い。この10年の総決算で、成熟しなかった自分の構想に、別れを告げてもいいのかも知れないと、思う、今日、今、です。修正なしでアップします。